新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月26日 その2 東芝が消えかかり、W社は1/3の規模に

2017-04-26 14:08:32 | コラム
時の流れか、経営方針の誤りか:

私は不勉強にして東芝という会社については重電に重きを置いた会社だと思っていた以外には知識がありません。このように不勉強だったというのも、私は証券投資を生涯したことがなかったからでしょうか。報道されているような主立った事業の切り売りを続ければ、今後は東芝には何が残って如何なる形の事業会社となるのでしょうか。

あれほどの名門にして格調高かった会社が無残に崩れていくのは、我がW社がICT化の為に紙媒体が極度に衰退し、このような時代の流れの激しさに抗しきれずに、それまでの経営の主体だった紙パルプ事業部門を10年以上もかけて切り売りし、遂には1900年の創業当時の森林事業のみに専念し、その所有する700万エーカーの森林を活かす木材事業、土地を利用する不動産とデイベロッパー部門と金融部門だけの会社になってしまったのとは本質的に違うとはいえ、余りにも傷ましい事です。

W社の売上高は最新の業界紙の記事によれば、約7,000億円程度になったそうです。それで健全な会社になってしまうのだそうです。年間の売上高の最高到達点が2兆円超えだったのですから、紙パ業界が失ったものがどれほど大きいかが分かります。東芝の場合とは違う時代の流れとICT化の恐ろしさというか、副産物です。いや、もしかすると時代の流れの激しさと規模の変化の直接の影響でしょうか。

政治家という人たちを考える

2017-04-26 08:38:13 | コラム
今村雅弘復興大臣の実質的更迭に思う:

安倍政権では内閣改造をする度に、実際には改悪ではなかったかと思わずにはいられない人物を起用する結果に終わってきた。また、「こんな人物が善くぞ選ばれてきたものだと呆れ返るような者たち」が閣外にも閣内にも現れている。マスコミの論法では「安倍一強がもたらした弛み現象」であり、「驕りである」ということになるが、私はこれは本質的に「政治家とは如何なる者たちか」という極めつきの資質と素質論であるとすら考えている。

何度か採り上げてきた話題にこういうものがあった。それは、長年の友人に実業家でありながら地元の政界に隠然たるなどという表現では及ばない明らかな影響力がある人物がいる。彼と私の共通の知人にある地方都市の市役所で選挙管理委員会の長だった者がいた。彼に尋ねてみた「あの実力者である実業家は何故自分で政治の表舞台に出て行かないのか」と。

答えは「あんたも解ってないな。彼は自分から出て行くほどBAKAじゃないんだ」だった。「なるほど」と納得したものだった。後に実業家にこの質問の答えを直接ぶつけてみたが、黙って笑っていただけで何も答えなかった。

私は今回の今村雅弘復興大臣の心なき発言とされた失言は論外だとは思うし、実質的更迭も総理としては当然の措置だと思う。しかし、今村雅弘なる人の経歴をWikipediaで調べてみると東大法学部出身でもあり、JR九州でも重要な地位にあった分別があって然るべきものだと確認も出来た。だが、私は70歳という年齢に注目した。

私は最早70歳を10数年過ぎてしまったが、53歳にもなってから偶然に始めた物書きの仕事を当初はごく自然に脳裏に浮かんでくることを素直に書き連ねていただけだった。その頃のものは1996年に幸運にも単行本として出版して貰っている。邪心なき書き物がそれなりの評価を受けたのだろうと思う。それを今になって読み返せば「今の俺にはとてもこれほど素直には書けないだろう」と思わずにはいられない。

何が言いたいのかと言えば「年を重ねてくるに従って、何か書いても語っても『何と俺の言うことは素晴らしいのだろう』というような自己陶酔に陥ってしまっていて、何か他人様が助言して下さったり、好意的な批評があっても聞く耳持たない、イヤ持てなくなってしまっている」のである。このような「唯我独尊」の傾向は70歳ともなればかなり激しくなってきた経験がある。

今村氏は将にその70歳である。自らの発言に注意しつつ公の場で語るような感覚は既に失われていると思って聞いていた。非常に残念なことがある。それはそういう感覚を失ってしまうことは、”You know when you will get there.”というジャズの曲の題名が示すように「その年齢に達してみないことには外からは解らないのである。だからと言って、私は今村氏に同情はしていない。それくらい気付くべきだと言うだけだ。

今村氏個人のことを離れて政治家を考えてみたい。「長靴が売れただろう」発言でマスコミを賑わしたような政務官もいれば、中川某のような常識的な倫理観も道徳観もない者もいる。そこには野党が激しく追及するだろうとマスコミが嬉しそうに報じる「任命責任」とやらもあるだろう。既に採り上げたように「自分で出てしまったBAKA」もいるだろう。

私はその前にそういう政治家を嬉々として選んでしまった地元民乃至は支持者の責任はないのかと問いかけたい。その「選んだ責任」を問うべきは、何も自民党の政治家だけに限られないと思う。村田某だの辻元坊だの、古くは菅直人だの鳩山由紀夫だのにも言えることだと思うのだ。私が何度も指摘してきた「我が国の一部の国民の方々の民度」こそ問われても良いのではないかと思っている。

次に問われるべきは各政党が「国会の場に送り出して、真に国益を考えて行動するような人物をこそ選んで立てるべき義務を負うべき」だと言いたいのだ。自民党にも驕りがないとは言い切れない状態だし、滞貨一掃のような人事こそお国の為に止めるべきだと思う。野党を見ても「東大卒で中央官庁から漏れてきたような連中があれほど無能になってしまうのか」としか思えないような状態も改善させるべきだ。

彼らのような自民党には受け入れる余地がなかったとしか思えない国立大学出身者が何故あれほど反対の為の反対をする議員になり果てて、国益そっちのけで政権の揚げ足取りに命を賭けるのか、不思議な現象である。今村氏の後任の吉野正芳氏も68歳とある。自己陶酔の境地に入った滞貨一掃でないことを祈って上げたい、苦悩する安倍総理の為にも。