新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月19日 その2 陸連を批判すれば

2016-03-19 19:10:00 | コラム
陸連は時代遅れで賢明でもない:

この度、陸連が漸くリオデジャネイロで開催されるオリンピックに派遣する女子のマラソンの代表3名を決定して発表した。その過程を見ていると陸連の幹部たちは余り利口な方々の集団とは思えないのだ。先ずは、如何にスポンサー様とテレビ局とのしがらみがあると某週刊誌に書かれたとは言え、3名を選ぶのに選考レースを四つ指定した辺りはほとんど理解不能だ。しかも、これまでに何度も恣意的且つ主観的な選考を繰り返し、女性ランナーを苦しめてきた歴史がありながらなのに、今回の混乱振りだ。

私はこの点をこの期に及んで敢えて批判する気はない。批判したいのは「現在陸連の幹部である連中が選手だった頃と、21世紀の現在の運動選手たちとは体格も身体能力も練習や訓練の方法も手段(近頃はこの辺りを「トレーニング」というカタカナ語で括るのも気に入らない)も比較にならないほど進歩し変化しているのだ。極論的な例えを用いて比較をすれば「明治・大正時代の名選手が現在の平成の世に活躍する者たちを指導しようというのと等しい」のではないかな。換言すれば「時代感覚の欠如による暴挙」だ。

しかも、その世界だけしか知らないに等しい連中が連盟に残って、現代の科学的にも医学的にも飛躍的に進歩し、且つICT化が進んだ方法で若い芽を育てている時代に、過去の栄光の上に居座って前世紀から主観が入る余地が大きい選考方法を採って走者たちを悩ませ苦しめていることに何時まで経っても目覚めないのは、天下の奇観であると言いたい。また、マスコミも何を恐れているのか、週刊誌以外には正面から批判しない、私でさえ「日本人1位は好い加減にしろ」と笑っていたのに。私の個人的偏見で好みではない増田明美でさえ「主観が入る選考方法」を批判していたではないか。

安田純平氏

2016-03-19 18:39:52 | コラム
自己責任の危険:

ジャーナリストの安田純平氏がシリア領内でヌスラ戦線なるものに拘束され、その集団の命令なのか彼自身の意思なのか解る由もないが、英語による我が国に向けられたかの如き声明がテレビで流されている。かかる過激な輩に長期間拘束されていると聞く安田氏の心中は察するに余りあるものがある。だが、世事に疎い私にとってどうしても理解不能なことがある。それは安田氏は何故にかかる危険が彼自身の身に降りかかると百も承知だったはずなのに、敢えて取材に出て行ったのかということだ。

かかるイスラム教徒がらみ(なのだろうが?)無法集団に拘束されて色々と複雑な問題を引き起こした例がこれまでに幾つもあったし、命を失った不幸な例まであった。そして、かかる地帯に入っていくのは飽くまでも「自己責任」だという世論というか、マスコミ論調もあったような気がする。それだけではなく、私には解らないことは「かかる地域やそこに巣くう無法者たちの詳細な報告を持ち帰られたとして、それが世間的にどれだけ受けるような特ダネの類いとして評価されるのか」なのだ。

少なくとも、私にはほとんど興味も関心もない事柄である。勿論、その方面の専門家には大いなる価値がある情報となるだろうが、そこにどれほどの経済的な価値があるのかや、ジャーナリスト魂の発露としてどれほどの人たちに評価され礼賛されるのだろうか等辺りが良く解らない。また、テレビが採り上げて大きな視聴率を稼げる情報として話題になるとも思えない。それでも安田氏は危険を承知で出かけて行かれたのだろうから、そのジャーナリスト魂を遠くからでも評価しなければならないのかと考え込んでいる状態だ。

マスコミと言うか、一部には当然のことかも知れないが「身代金狙い」の言わば誘拐の如くに採り上げている向きもある。安田氏の声明には我が国も政府に語りかけているかのように聞こえる箇所もあった。政府がこれに答えたかどうかは知らないが、公式には「テロリストとは交渉しない」はずだ。私は長期間拘束されている安田氏には心からご同情申し上げる。だが、何故「自己責任」であるべき行動を取るジャーナリストの方が後を絶たないのかが良く解らないのだが辛いのだ。