新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語の発音の考察

2016-03-04 16:52:25 | コラム
英語のどの発音を標準とするのか:

始めにお断りしておくが、私はアメリカ語の発音を昭和20年(1945年)に旧制中学に入学した時から教えられてきたし、その後も専らアメリカ語の環境の中で1994年1月末にW社をリタイヤーするまで過ごしたので、飽くまでもアメリカ語を基調にして述べていくことになる。先ず断言しておくことは、UK(英連合王国)のQueen’s Englishと対比してもアメリカ式の発音が品位において劣ることなどないということだ。

我が国では何時まで経っても妄信的にUKの英語が格が上でアメリカ語は・・・といったような誤解と誤認識があるような感があるので、この点だけは強調しておきたい。Queen’s Englishを金科玉条とされている方々には私の発津音論には異論が出るだろうと覚悟の上で言っている。

日本語でもそうだが、その人の育ちというか氏素性というのか生まれと属しているだろう階層、育った環境、学校教育の質と程度、教師の質、敬語の使い方と育ち等の影響で、質も品位も品格も大いに変わってくるものだ。ここでは地方の訛りや方言は一応無視しておく。言うなれば「お里が知れる」という類いである。英語にも当然そういう条件の違いで、その質も品格も千差万別で特にアメリカでは地方によって違いが生じている場合があるのは言うまでもないこと。

故に、如何なる階層の、どの地方の英語を学ぶかで英語の質が変わってきてしまうものだ。その違いは長く英語の世界にいれば(その気になって聞き分析する意欲も必要だが)解ってくるものなので、おかしな英語をお手本にしてしまうか、怪しげなnative speakerに教えられてしまうと、極めて低品位の英語の質と発音になってしまうものだ。問題は教えられる側にその良否または品位を判定する能力などないのが普通だから、時としてとんでもない発音を「これぞ英語」として身につけてしまう結果を生じるのだ。

その最も顕著な例の一つとして先頃藤岡某(芸名・デイーン・フジオカ)の「母音+a,e,I,o,u」を採り上げた。この発音が比較的我が国の学校教育で英語を学んだ方々に多く聞かれるので、私は決して褒められたものではないと指摘した次第だ。これは戦後の混乱期に多くの進駐軍の兵士たち(ハッキリ言えば「でも、しか」が多いのが兵士の実態だ)がこの種の”r”を響かせた発音の英語でしゃべっていたので、日本語にはない音だし、「これぞ英語の神髄」とでも錯覚されて必要以上に広まってしまったと、私は解釈している。教師の方もそういう誤認識があれば変な発音を教えてしまうだろう。

これも、カタカナ語と同様で「こういう発音をしたければどうぞご勝手に。だが、決して所謂アメリカの上流階級に普及しているものではないことは忘れないように」と指摘しておきたい。しかも、困ったことはそもそも「舌を立てて上唇の裏側に当てて発音する”l or L”の音がない日本語で育った我々には「母音+a,e,i,o,u」の発音は極めて難物なのだ。従って多くの場合妙に”r”を強調した本物とは似ても似つかない発音になってしまって品位が落ちる結果に終わっている

UKの英語というべきかQueen’s accentとするのか知らないが、英連合王国ではこの「母音+a,e,i,o,u」で”r”を響かせることがなく、「アー」に近いような発音になっている。それを聞いたQueen’s English礼賛派が「アメリカ語の発音は下品」などと解ったようなことを言ったのが、アメリカ語を卑しめる原因の一つになったのだろうと、私は推定している。だが、こんなことは発音が正しいとか綺麗とかの問題の中では枝葉末節だろう。

私はそんなことよりも、”th”、”r”と”l”の区別、アクセントの付け方(二重音節の場合等も含めて)、抑揚、一つの文を何処で切るか、一つの文章の何処(単語)を強調するか、”the”の発音の使い分け(次に来る単語の最初の字が母音ならば「デイ」に近い音になる)、連結音(liaisonやr-linking)が出来ているか等々の方が遙かに重要な問題だと認識している。何か酷く難しいことを並べたような感じもするが、こういう事柄を我が国の学校教育の英語の先生方は正しく且つ正確には教えておられないようなので、敢えて列挙してみた次第だ。

実は、アメリカのように多くの外国から流入民族が多い国であると、その階層か階級か人種によっては話し、書き、読んでいる英語の質は決して褒められたものではないものが多く、真似るのも論外だし、そういう連中から教えられたりすることは論外であると私は断言する。もっと突き詰めて言えば、本国では落ちこぼれたような階層か人種が我が国に来て「英語」や「英会話」を教えている例が見られるので言うのだ。

それは昨年例に挙げたNY生まれのアジア系アメリカ人が会話の中で”you know”を多用していた例が示すように、この種の英語を話す者は決してアメリカを支配する一握りの層の中にはいないと言うこと。いや、それに近づくことすらない連中であり、決して真似てはならず、勧められない発音もしているのだ。既に指摘したように、教えら得る方の我が同胞にはそれらを識別する能力がないのが問題点だ。そこには英語教育に携わる方々の知識と教養も問題となるだろう。私は先ず始めに正しいアルファベットの発音を教えることが大事で、正しい発音が普通に身につけば聞き取り能力も普通に備わってくるはずだと経験上も考えている。始めが肝腎だ。

そこで、アルファベットの発音以外に真似て欲しくない、品格に乏しい例をいくつか挙げておこう。その一つにオバマ大統領が使う”I’m gonna ~.”がある。これの原型は”I am going to ~.”なのだ。だが、どうも教養に少しく疑問を感じさせる大統領は公式の場でもその略式である「アムゴナ」と発音される。これを少なくとも学校教育の課程にある者たちには真似て欲しくない。”I am going to ~.”を初歩とすれば「アムゴナ」はかなり次元が進んだ応用問題のようなものだ。それを「大統領様もお使いになるから格好が良い」などと誤認識して真似てはならない。基礎が出来てから応用問題に進め。同様に”water”を間違っても「ワラ」だの「ウオラー」などと発音しないことだ。正しく「ウオーター」と外国人に聞き取って貰えたならば時には使っても良いかも知れぬ下品な英語だと知れ。

所謂アメリカを支配すると言われている階層の人たちは、少なくとも公式の場で「アムゴナ」は言わないものだ。また、私が屡々例に挙げる一家全員がMBAのアッパーミドルの家庭では、”Me, too.”すら許されないのだ。これが何故いけないかを自分で考えて頂きたい。それが解らないようでは、責任を我が国の学校教育の英語に責任を転嫁されても構わないだろう。要するに「易きにつくことなく、目標を高いところにおいて英語を学ばれたい」なのだ。

その為には我が国の学校教育の英語には至らざる点が多いと危惧するものだ。結局は発音を論じている間に、学校教育の英語の質の批判になってしまった。妄言多謝。