新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外国崇拝も好い加減にしろ

2016-03-17 15:01:16 | コラム
ショーン・マクアードル・川上に思う:

昨日は週刊文春がまたもや巨人の者どもの賭博に関する暴露記事を載せると知ったので、買いに出かけた。私はその記事よりも何よりも、知りもしなかった「ショーン・マクアードル・川上」なる者の学歴というのか経歴というのか知らないが、詐称の記事の方に興味を惹かれた。実は、これを読むまで、かかる者がテレビに出ており、しかも人気があったとは全く知らなかった。

記事を読んで知ったのだが、全くの日本人であり川上伸一郎という本名がありながら、何故か”Sean McArdle Kawakami”と称していることに何とも言えない情けなさを感じた。それは、こういう連中だけではなく芸人も、流行歌手も、時には役者もこのようなカタカナの名前を名乗りたがることだ。私に言わせて貰えば「最早戦後ではなく、アメリカその他の欧米の諸国が有り難かった時代はとっくに過ぎ去ったのに、未だにカタカナの名前がそれほど有り難いのか」なのだ。「戦後70年も経った21世紀になっても未だ外国に憧れ、紅毛碧眼が有り難いのか、日本人の誇りは何処に行ったのか」と声高く言いたいのだ。

この川上なる者はこのマクアードルようなミドル・ネーム風なものまで入れたカタカナの姓名を使ってテレビ局も信じ込ませ、彼を有り難がるファンまで作ったようだから、その知恵と才能には恐れ入るしかない。だが、彼があそこまで売り込めた背景には、このようなカタカナの名前が大いに力になっていたのではないのかと、私は本気で疑って嫌悪を感じている。

我が国は人口が多いだけの中国に抜かれて世界第3位になってしまったが、歴とした世界有数の経済大国である。その国民が好い加減なカタカナ交じりの名前を名乗るものをそこまで珍重するのかと、本当に悲しくなる。この男は”Sean”というどちらかと言えば珍しい部類のファースト・ネームを名乗っているが、カタカナの名前を使う者の多くはニックネームを名乗りたがるものだ。例えば、トム、ジム、ジャック、ビル、ボブ、ケンのような。

何れにせよ、私はこの川上某がカタカナの名前を使っている辺りが本当におぞましいと思うのだ。そんなものを名乗らないと通用しないような力量を恥じるべきだし、また、そういう胡散臭い名前の者を有り難がるテレビ局も情けない極みだ。週刊文春はハーヴァードで調べて詐称だと知ったというではないか。

参考資料:Wikipedia