新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月2日 その2 女子サッカー代表の敗戦のを探る

2016-03-02 07:59:28 | コラム
試合開始前の選手たちの表情に危うさが見えた:

試合開始前にスタンドの中で一列に並んでいる時の笑顔に私は危ないものを感じた。即ち、緊張感と危機感が見えていなかったので「これは?」と見た次第だった。観戦を辞めようかと思ったほどだった。その予感であり閃きであったものは遺憾ながら当たってしまった。あの試合は負けるべくして負けた極めて悪い例だった。原因と思った事柄を挙げていこう。これらの諸点が今夜(2日)の韓国戦までに何処まで改善出来ているかが問題で、一部のマスコミが危惧して見せたようにこのままで予選落ちすらあり得るかと恐れている。

先ず気が付いたことはW杯優勝時から未だに主力として残っている一時代を築き上げた宮間、川澄、坂口、石清水、熊谷、大儀見、大野といった人たちに5年前の切れ味が薄れたことと、スピード感が見えていないこと。これは「時は残酷なものだ」を如実に示しているので如何ともしがたいだろう。世代交代を怠ったという責め方も出来るかも知れないが、容易にあの域まで達する若手は育たないとも言えるのではないか。私はなでしこリーグの発展と普及も一因だと断じる。その根拠は何度述べたから敢えて割愛する。

次はオーストラリアが我が方を研究し尽くしてきた跡が見え、宮間と大儀見を封じ込める作戦が成功してきたことが挙げられるだろう。それと同時に我が方のトラッピングの悪さを知って極めて寄せを早くしてボールを足下に抑える間を与えず、多くの場合得意の後方乃至は横へのパスに逃げるしかないように追い込む作戦が成功していたとも挙げられるだろう。その後は余り正確ではない縦パスの多様になってオーストラリアにコースを読まれるか身長の差でヘデイングで奪われてしまっていた。しかも、未だに相手の足の長さに阻まれて、これという裏を狙ったパスがほとんど通らなかったのも大きかった。

私は佐々木監督の選手起用にも腑に落ちない点を感じた。これは「世代交代未だし」にも通じるのだが、(他の8人よりも)少し落ちると見た中島、有吉、GKの山根は機能していなかった。特に何故近賀を下げてまでアナウンサーが「W杯で活躍した」と褒める有吉を使うのかが解らない。彼女は確かに捨て身的な守りは何とかなるが、攻撃面では全くといって良いほど効果があるパスが出せず、クリヤーするのが精一杯だし、近賀ほど上がっていく勘が良くない。

最後は矢張り「澤穂希の不在」と言いたくなる。澤の末期では「流石に澤」と思わせる相手のパスのコースを読んでインターセプションに持って行くとか、危機を未然に防ぐポジション取りの上手さなどは卓越していた。それだけではない、澤がベンチにいるだけでも全員の精神状態が安定する材料になっていたという「精神的な支柱」的な存在だったと思う。あのオーストラリアとの敗戦にはテイームの中心となるような者が不在だったと見えた。

「宮間や坂口がいるではないか」と言われそうだが、彼女らはそこに澤がいなくても「澤あっても宮間」であり「坂口」だったのだし、澤がいればこそ宮間のあのW杯決勝戦での素晴らしいCKがあったのだ。宮間には「自分が中心選手だ」との自覚はあるだろうが、如何せん残っている周りには澤がいないのでは致し方ない。大儀見はあの試合でもトラッピングの悪さが目立った。彼女には後方からのパスを入れないことだ。前を向いて走らせるか横から「これぞ」というパスを入れるべきだ。

兎に角、上記のような問題点を可能な限り修正して今夜の韓国に勝ってくれることを切に希望して終わる。


英語の発音の考察

2016-03-02 07:11:31 | コラム
デイーン・フジオカの発音に思う:

彼は歴とした日本人である。故に「堪能である」とテレビが礼賛する英語も、またその発音でも”native speaker”のそれではない。彼の”Borden”CMの吹き込みのところでは”Borden”の”Bor”で、私の耳には”r”を響かせているように聞こえた。これは”ar”、”er”、”ir”、”or”、”ur”の綴りの際に”r”を舌を巻くように発音するアメリカ語独特の発音である。しかし、UKの英語ではこうはならないものだ。上智大学の故千葉勉教授はこの発音を「下品だ」として我々学生に許されなかった。それは飽くまでも英連合王国の人たちのアメリカに対する対抗意識の強烈な現れのようなものと私は考えている。私は決してアメリカ英語が下品だなどとは夢にも考えていない。

しかも、このように”r”を響かせて発音することは我々日本人にとっては極めて難しいのだが、何故か前後の混乱の時期から、この言うなれば「舌巻き風」の発音をしたがる同胞が多く、未だにその傾向は収まっていない。私はこれを推薦しないし、出来れば真似しないようにと言っておきたい。ところが、徐々に民主党の大統領候補者に近づきつつあるかに見えるヒラリー・クリントン様はかなりハッキリとした”r”強調派なので、民主党である事とともに気に入らないのだ。

藤岡は”native speaker”ではないだから、何も格好を付けたつもりで無理をしてそのような発音にしない方が少なくとも私には綺麗にも「上品」のように聞こえるし、彼の崇拝者で英語を学ぼうとする人たちにつまらない影響を与えはしないかと勝手に気に病んでいるのだ。以前にも言ったことだが、私は西海岸風のアメリカ式とクイーンズ系の中間で我々日本人にとって発音しやすい方向を目指し、極力誰にも聞き取って貰いやすい発音をしようと心がけた。即ち、「”r”響かせ型」は推薦しないと言うこと。

誤解して欲しくないことは「アメリカ式発音が下品だ」と言っているのではなく、何も発音しにくいことを真似てアメリカ式の発音が出来るなどと短絡的に考えて貰いたくないと言っているのだ。ではUK風が良いのかといって、アメリカに行けば「気取っている」と余り歓迎されないのも事実だ。これも対抗意識の表れだろう。