新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「ガイアの夜明け」より

2016-01-13 14:27:16 | コラム
今こそ売り場大改革!スーパー大量閉店時代;

これは昨12日のテレ東の22時からのテレビ欄からそのまま移したもの。具体的にはGMS(=ジェネラル・マーチャンダイズ・ストアで総合スーパーマーケットの事。これを検索すると英語で"general merchandise store"となれば、アメリカでは田舎の雑貨屋を意味するとあったのは面白かった)の苦境と経営体質の転換を図っている様子を伝える内容だった。私にはあまり関心がない分野の事ゆえ、勉強になった。尤も、イトーヨーカ堂が60店舗だったかを閉めるとか、イオンがどうの、西友がどうしたか程度はマスコミ報道で少しは承知していた。

この番組を見ていて思い出したことは、私が1990年代から「現在のような営業形態を続けていればデパート(大規模小売業者でも良いが)は近い将来大苦境に陥る。その理由は簡単で、長年老舗の名前に安住し、品揃えに近代感覚が乏しく、派遣ではない本雇いの店員の商品知識が誠に頼りなく、デパートであるが故の高価格でもその知名度を買って購入するお客様が未だおられること等々に安心して、消費傾向の先行きを見通した経営方針が打ち出されておらず、何時の間にか「デパートでなければ買えない品物がほとんどなくなってきたことに気が付いていないから」と予言してきた。

また最近、と言っても三越が伊勢丹に救済されたような感が否めない統合の後でも、三越の古き顧客を招待して帝国ホテルで開催した特売会でその品揃えの時代感覚の欠如と、年老いた顧客への過度の依存度を指摘した時に、この一文を読まれた伊勢丹のOBの方が三越本店を視察されてその古色蒼然たる有様を慨嘆される感想を寄せて下さったことすらあった。手短に言えば「最早今日は三越、明日は帝劇」のようなデパートでの買い物が(敢えて英語にするが)"status symbol"ではない時代に入ったことへの認識ないという意味だ。

そのデパートの地位の一部を奪い去ったのが上記のGMSだったのは確かだった。そこにはかつて栄耀栄華を誇ったダイエーもあれば、イトーヨーカ堂もあれば、イオンもあれば、西友ストアもあったのだった。正直なところ、私のスーパーマーケットについての認識は「食料品を安価に買える大型の店舗を持つチェーン店」であって、総合スーパーとしては評価もしていなかったし、そこで衣類や家電製品などを買い求めることは全く考えてもいなかった。

尤も、私自身はやや特殊な例だが、如何なる為替レートであってもスーツ以外の服や紳士用品、靴、化粧品等はアメリカで買う方が「お買い得」だったし、売り場の店員たちは皆言わばデパートから売り場を借りている個人営業者であり、私のように定期的ではなくともシアトルに出張する度に必ず何か買っていく私を自分の顧客として優遇し、セールの案内の葉書をわざわざ日本まで送ってくるような「人と人」との結びつきを重要視する売り方をしていたのだ。これは一旦その店員と馴染みになれば常に良い買い物("good buy"等と言うが)をさせてくれるのある。であるから、よほどのことがない限り、我が国のデパートには見向きもしないようになっていたのだった。

昨夜の「ガイアの夜明け」ではデパートを苦境に追い込んだGMSたちが売上高の右肩下がりの傾向に深刻に悩んでいる点を採り上げていた。その理由が食料品を除いては、衣料品がUNIQLOや島村、家電製品等はビックカメラやヨドバシカメラ等の専門店に市場を奪われていることにあったと気が付いて不振店舗を閉鎖するとか、店舗の業態を変換していきつつあると指摘していた。当に何年か前に自分たちがデパートを追い込んだのと同じ苦しみを味わっていると解説していた。そこには「ビックロ」というビックカメラとUNIQLOの合体のような店舗まで現れたとも言って見せた。

また、嘗てはデパートの売り場の花のようだった欧米のブランド品のブテイックは、ほとんどが自前の高級な店舗を銀座のような繁華街に持つようになり、その分野の大切なお客を奪われてしまった感がある。

私はこういう悪循環とでも形容したいような時代の流れと変化の背景には(私は我が国では未だに完全にデフレ傾向から脱却できていないと見ているが)最終消費者が安値を追っていけば未だに必ず何処かでお買い得な品物を手に入れられると確信しておられ、そこを(「そのニーズを」等というカタカナ語もあるだろうが)狙って専ら量販店を利用している傾向もあると考えている。かく申す私も、今や年間4回は東京ビッグサイトで某商社が開催する会員制のファミリーフェアーでお買い得な価格でしか購入しない食料品や衣料品があるような状態で、デパートやスーパーでは滅多に買うことはない。また、この冬の下着はUNIQLOの”HEATTECH”の”EXTRA WARM”を週末のセールで購入している始末だ。

屡々「お洒落だ」と言って頂く私がこのように安値とそれに見合う以上の品質を追うようになったのは他でもない、年金に依存する後期高齢者のそのまた後期の生活に入ったからだ。そして、言うまでもないことで、今後高齢者や増える一方であり、年金支給開始の年齢は70歳にまで引き延ばすという噂もある時代だ。生活防衛の手段がコスパ(”cost performance”のことだそうだ)を狙っていく傾向は益々強くなっていくと思う。

しかし、時代を先取りしてデパートやGMSを窮地に追い込んだ主犯格の如きUNIQLOの売上高にも陰りがあると報じられている。その最中にデパートは一過性なのか継続性があるのか私には疑わしい「爆買い」の機会を逸すべからずと懸命である。しかし、その爆買いで我が国の小売業を潤わせたかの感が深い中国の経済の現状には多くの疑問符が付きだした。一時は小売業には「夜明け」が訪れたかの感があった。だが、高齢者が増えるに従って消費傾向が変化した一方では、「格差」は拡大する傾向が続き、高所得者層は相も変わらず余裕を持ってブランド品を追い求めているようだ。

今でさえ、一人の高齢者を四人の次世代の者が背負う時代にあれば、現在のような消費動向の推移は何十年も前から解りきっていたことではないのか。次の我が国の小売業界にどのような変化が生じるか等は、遺憾ながら間もなく83歳を迎える老い先短い私の関心事ではなくなりつつある。昨夜見せられた西友の業態の変化などは、GMSがこれから先に何を目指すのか、目指すという30~40歳代の所得が思うように上がっていかないこの時期に子弟の教育費、住宅ローン等々にいかに対応して生活し尚且つGMSでどれほど買ってくれるのかを何処まで見込んでいるのかと心配になる。また、定年後に年金を支給されるまでの間をどうつないでいく計画か等をよほど的確に見通さないことには、またもや業態の転換を考えねばならない事態に、デパートともに遠からず追い込まれはしないかと、「他人の疝気を頭痛に病む」状態にあるのだ。