サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール:
いきなりお断りするが、アメリカには「アメリカンフットボール」もなければ「アメリカンコーヒー」もない。”Football”と言えばサッカーでもラグビーでもない。フットボールの事だ。
フットボール:
去る19日にはカタールでオリンピック予選の対サウジアラビア戦があったが、あろう事か私はこの日本時間22:30キックオフの試合の中継を見ないで寝てしまった。理由は、NHKのBSでNFL(National Football Leagueで、アメリカの全米フットボール連盟のこと)のプレーオフのグリーンベイ・パッカース対アリゾナ・カーデイナルスの試合を見てしまって、その余りの面白さで観戦疲れしてしまった為だった。
屡々「フットボールが面白いと聞くがルールが解らなくて」という声を聞く。「一寸待ってくれ」で、野球だってルールを熟知して見ておられる野球のファンがどれだけおられるだろうか。解らないのは試合の運び方等であって、規則を心得ていないと見られないものではないだろう。
本論に戻ろう。あの夜の試合は本当に面白かった。もう残り時間が数秒のところで、パッカースのQBロジャースが乾坤一擲のパスをカーデイナルス(MLBにもセントルイス・カーデイナルスという球団がある、念のため)のエンドゾーン内(ゴールラインの向こう側)に投げ込んでそれをレシーバーが見事に捕って同点となり、延長戦に持ち込んだのだった。それはそれとして、プレーオフはリーグ戦ではないトーナメント制なので、そこで負ければシーズンが終わってしまうと言うか、スーパーボウルという全米の決勝戦に出られなくなるので、双方とも全力を出し切って戦うので、ここにもスリルがあるのでそれでなくても面白いフットボールが一層興味深いものになるので堪らない。
フットボールを理屈を言わずに、全米でも選りすぐりの体格と身体能力に優れた選手たちが、その「投(肩)の正確さ・走(のスピード)・当たり・読み・攻守の修正能力」に加えて監督以下コーチの作戦・事前のスカウテイングの成果や如何にを見て楽しむゲームである。基本的には攻撃の手法は、パスを一回のプレーの中で一度だけ前に投げて良いとなっているパス戦法と、ランニングバックがラグビーと同様にボールを持って敵陣を突破するの二つしかない。これらを如何に組み合わせるかがフットボールの醍醐味で、次は何の手法で攻めるのか、それを相手側の守備陣がどこまで読んで対応するかを観客として予測するのが観戦の楽しみである。
この日のゲームは白熱した接戦になり、最後まで(手に汗は握らなかったが)如何なる結末になるのかに興味を惹かれて見入ってしまった。尤も、両方ともそれほど馴染みがあるテイームではないので、どちらを応援するわけでもなくただ見ていただけだった。しかし、遺憾ながら在職中から入れ込んでいただけのことはあって、やはりフットボールの面白さはサッカーを超えていたと言いたいのだ。
サッカー:
そこでサッカーだが、おそらく再生の放映があると思って、フットボールに続いて観戦し12時過ぎまで起きているのを諦めた次第だった。すると、有り難いことにNHKが昨20日の夜に再放送してくれた。冷静なる評論家としてはこの対サウジアラビア戦の出来は非常に良かったとみた。手倉森監督は連れて行った全23名のうちGK除いて全員を使ったというこの第三戦目は「19歳」とアナウンサーが連呼した井手口の出来が出色だったし、ほとんど貶したくなる場面がなかったのは対タイの試合の出来を批判したのが僻めかとすら思ってしまった。
このカタールで開催された最終予選での不安材料に「中東の笛」があった。我が代表はこのサウジアラビア戦で2度目のPKの判定をされて失点した。私にはあの判定は意図的なものではなく、タイの時と同様に単に審判が未熟だったに過ぎないと見えた。次のイランに勝ってオリンピックに出て行く為には三つの試合における各人の出来を見て最善のメンバーを選ぶことだろうが、報道によれば既に主力とみられる数人が傷んでいるとかで、やはり「当たられ弱いのか」と心配だ。
ラグビー:
昨年のW杯の好成績で遺憾ながら、我がサッカーはマスコミの手厚い支持もあるラグビーに完全においていかれた感が濃厚だ。以前にも述べたが、私のラグビー論には多分に「嫉妬」が元になっている。
そのマスコミの期待に反して五郎丸君のヤマハ発動機が負けてしまった我が国のラグビー論を一席。今頃になってと言われそうだが、私は昨年のUKでのW杯の準決勝から決勝戦と三位決定戦をちゃんと見ていた。それは「我が国のラグビーの何処が世界の四強と比べて違うのか」を見出したかったから。結論としては「あのエデイ-・ジョーンズ氏が鍛えた代表テイームは限りなく体格・身体能力・スピード等が世界の強豪に近いところまで鍛え抜いてあったから、あそこまで行けたのだ」だった。
ジョーンズ氏以前では「素晴らしい突進」とか「凄いタックル」というような個人の圧倒的な優れた身体能力を活かし、「全員一丸となって」ではなく、個人の力を組み込んだ和洋折衷のような違和感があるラグビーで、中途半端だった。思うに、その身体能力と体格の劣勢を補う為に彼は選手たちが恐れた厳しい練習のプログラムを与えて、外国選手の当たり負けしないどころか大きな外国人を低いタックルで押さえきるまでの身体能力を持たせたのだろうと思っている。換言すれば、15人全員を外国人化させたのではなかったのだろうか。
四強の作戦というかゲームプランを見ていると、ただただ当たり合うだけの場面が多く、あくまで体力と身体能力の勝負を挑み合っているかに見えた。スクラムハーフからスリークオーターバックに綺麗と言うべきか華麗と言うべきかのようなパスの展開は少なく、私はやや失望させられた。中には(ニュージーランドのスタンドオフだったか)チャンスとみるや鮮やかなドロップゴールを決めて見せるような業師もいたが、全体的には体力と身体能力ありきのラグビーだった。
我が国の大学にも社会人にも外国人、それも南米や太平洋州からの体が大きな者が混じってきている。ジョーンズ氏が去った後にはこれから先にも外国勢に負けないで勝負を挑めるように鍛え上げるのか、小柄でも敏捷性に優れスピード感があり、器用な小技が出来る方向に進むのか難しい判断になりはしないか。それとも輸入選手を増やし続けるのか。
いきなりお断りするが、アメリカには「アメリカンフットボール」もなければ「アメリカンコーヒー」もない。”Football”と言えばサッカーでもラグビーでもない。フットボールの事だ。
フットボール:
去る19日にはカタールでオリンピック予選の対サウジアラビア戦があったが、あろう事か私はこの日本時間22:30キックオフの試合の中継を見ないで寝てしまった。理由は、NHKのBSでNFL(National Football Leagueで、アメリカの全米フットボール連盟のこと)のプレーオフのグリーンベイ・パッカース対アリゾナ・カーデイナルスの試合を見てしまって、その余りの面白さで観戦疲れしてしまった為だった。
屡々「フットボールが面白いと聞くがルールが解らなくて」という声を聞く。「一寸待ってくれ」で、野球だってルールを熟知して見ておられる野球のファンがどれだけおられるだろうか。解らないのは試合の運び方等であって、規則を心得ていないと見られないものではないだろう。
本論に戻ろう。あの夜の試合は本当に面白かった。もう残り時間が数秒のところで、パッカースのQBロジャースが乾坤一擲のパスをカーデイナルス(MLBにもセントルイス・カーデイナルスという球団がある、念のため)のエンドゾーン内(ゴールラインの向こう側)に投げ込んでそれをレシーバーが見事に捕って同点となり、延長戦に持ち込んだのだった。それはそれとして、プレーオフはリーグ戦ではないトーナメント制なので、そこで負ければシーズンが終わってしまうと言うか、スーパーボウルという全米の決勝戦に出られなくなるので、双方とも全力を出し切って戦うので、ここにもスリルがあるのでそれでなくても面白いフットボールが一層興味深いものになるので堪らない。
フットボールを理屈を言わずに、全米でも選りすぐりの体格と身体能力に優れた選手たちが、その「投(肩)の正確さ・走(のスピード)・当たり・読み・攻守の修正能力」に加えて監督以下コーチの作戦・事前のスカウテイングの成果や如何にを見て楽しむゲームである。基本的には攻撃の手法は、パスを一回のプレーの中で一度だけ前に投げて良いとなっているパス戦法と、ランニングバックがラグビーと同様にボールを持って敵陣を突破するの二つしかない。これらを如何に組み合わせるかがフットボールの醍醐味で、次は何の手法で攻めるのか、それを相手側の守備陣がどこまで読んで対応するかを観客として予測するのが観戦の楽しみである。
この日のゲームは白熱した接戦になり、最後まで(手に汗は握らなかったが)如何なる結末になるのかに興味を惹かれて見入ってしまった。尤も、両方ともそれほど馴染みがあるテイームではないので、どちらを応援するわけでもなくただ見ていただけだった。しかし、遺憾ながら在職中から入れ込んでいただけのことはあって、やはりフットボールの面白さはサッカーを超えていたと言いたいのだ。
サッカー:
そこでサッカーだが、おそらく再生の放映があると思って、フットボールに続いて観戦し12時過ぎまで起きているのを諦めた次第だった。すると、有り難いことにNHKが昨20日の夜に再放送してくれた。冷静なる評論家としてはこの対サウジアラビア戦の出来は非常に良かったとみた。手倉森監督は連れて行った全23名のうちGK除いて全員を使ったというこの第三戦目は「19歳」とアナウンサーが連呼した井手口の出来が出色だったし、ほとんど貶したくなる場面がなかったのは対タイの試合の出来を批判したのが僻めかとすら思ってしまった。
このカタールで開催された最終予選での不安材料に「中東の笛」があった。我が代表はこのサウジアラビア戦で2度目のPKの判定をされて失点した。私にはあの判定は意図的なものではなく、タイの時と同様に単に審判が未熟だったに過ぎないと見えた。次のイランに勝ってオリンピックに出て行く為には三つの試合における各人の出来を見て最善のメンバーを選ぶことだろうが、報道によれば既に主力とみられる数人が傷んでいるとかで、やはり「当たられ弱いのか」と心配だ。
ラグビー:
昨年のW杯の好成績で遺憾ながら、我がサッカーはマスコミの手厚い支持もあるラグビーに完全においていかれた感が濃厚だ。以前にも述べたが、私のラグビー論には多分に「嫉妬」が元になっている。
そのマスコミの期待に反して五郎丸君のヤマハ発動機が負けてしまった我が国のラグビー論を一席。今頃になってと言われそうだが、私は昨年のUKでのW杯の準決勝から決勝戦と三位決定戦をちゃんと見ていた。それは「我が国のラグビーの何処が世界の四強と比べて違うのか」を見出したかったから。結論としては「あのエデイ-・ジョーンズ氏が鍛えた代表テイームは限りなく体格・身体能力・スピード等が世界の強豪に近いところまで鍛え抜いてあったから、あそこまで行けたのだ」だった。
ジョーンズ氏以前では「素晴らしい突進」とか「凄いタックル」というような個人の圧倒的な優れた身体能力を活かし、「全員一丸となって」ではなく、個人の力を組み込んだ和洋折衷のような違和感があるラグビーで、中途半端だった。思うに、その身体能力と体格の劣勢を補う為に彼は選手たちが恐れた厳しい練習のプログラムを与えて、外国選手の当たり負けしないどころか大きな外国人を低いタックルで押さえきるまでの身体能力を持たせたのだろうと思っている。換言すれば、15人全員を外国人化させたのではなかったのだろうか。
四強の作戦というかゲームプランを見ていると、ただただ当たり合うだけの場面が多く、あくまで体力と身体能力の勝負を挑み合っているかに見えた。スクラムハーフからスリークオーターバックに綺麗と言うべきか華麗と言うべきかのようなパスの展開は少なく、私はやや失望させられた。中には(ニュージーランドのスタンドオフだったか)チャンスとみるや鮮やかなドロップゴールを決めて見せるような業師もいたが、全体的には体力と身体能力ありきのラグビーだった。
我が国の大学にも社会人にも外国人、それも南米や太平洋州からの体が大きな者が混じってきている。ジョーンズ氏が去った後にはこれから先にも外国勢に負けないで勝負を挑めるように鍛え上げるのか、小柄でも敏捷性に優れスピード感があり、器用な小技が出来る方向に進むのか難しい判断になりはしないか。それとも輸入選手を増やし続けるのか。