新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

多人種化と多国籍化に思う

2016-01-11 08:49:51 | コラム
スポーツ界の多人種化と多国籍化が示すこと:

スポーツ界:
昨年の輝かしき3勝1敗でも予選リーグ敗退となったW杯のラグビー、正月のテレビを賑わせ且つ未だ賑わしているサッカー、ヴァレーボール、バスケットボール、フットボール、ラグビー等の球技に加えて駅伝等の競技における男女の社会人:大学:高校等を見ていると、着実に我が国のスポーツ界、それも全国的水準にあるものの選手の構成が多人種化と多国籍化が進んでいると解る。テレビでは楽天イーグルスが採ったアフリカ系の親を持つ身体能力に優れたオコエ(Okoye)の特集を組みたがる傾向が見える。

私は既にラグビーが国際的に「3年以上云々」といった決め事があって、外国人を代表ティームに選抜しても良いということに違和感ありと表明してきた。昨日の帝京大が前人未踏とやらの七連覇を達成した大学ラグビーでも、これという素晴らしい突進力を見せたのが外国人だったが、ここでは一ティームには一時に外国人選手の出場は2人に限定してあるとかで、国際的方針とは一致していないようだった。

少し遠回しな言い方になったが、多くの球技にアフリカ系の親を持つ身体能力に優れた身長の高い俊足な者たちが増えてきたし、その多くはその学校乃至はティームの中心選手となって活躍している。一口に「アフリカ系の親」と言うが、今や世界的にはアフリカ系の優れた身体能力を活かした有名選手も有望株が激増している状態だ。また、その優れた能力を持つ者たちが自国を離れて西欧の諸国やアジアや中近東でも国籍を取得し、その傑出した能力を活かして走り回り投げまわり蹴りまくっている時代になってきた。私にはこの流れは最早阻止出来ない速さと幅になってきたと見えるのだが。

誤解なきように申し上げておくと、私はこれを否定しようかと阻止したいと言っているのではない。多くの国は未だにスポーツを利用した「国威発揚」か「世界制覇」を目指していれば、国家ぐるみであるところすらある。またはドミニカのように野球学校を設けてまでMLBの選手供給機構足らんとする国まで出てきている。それぞれの国がどのように自国の競技種目の強化を図るかまでに他人が介入することはないので「どうぞご自由に」と言っておきたい。

ではあっても、正月の全国社会人だったかの駅伝競走では一時テレビ画面に映った先頭集団が全員アフリカ系の走者であったのには言葉を失うことなく「何だ、これは!」と叫ぶ余裕はあった。ここではアフリカの諸国の隠れた逸材を発掘して、我が国の駅伝で鍛え上げて結果的に世界的なマラソン走者に進化していった者が出ていた実績があるのだから「それはそれで各社の広報宣伝活動として結構なこと」とでも言えるかと思う。

私が多人種化と多国籍化について懸念していることがある。その点をサッカーとフットボールだけに限って述べてみよう。それは「あっつ、素晴らしい突進だ」、「いや、素早い駆け上がりだった」、「あの体格であの速さで突っ込まれては中途半端なタックルでは阻止出来ないだろう」、「素晴らしい瞬間の判断というか閃きだった」、「あの高さまでジャンプされては防ぎようがないな」というような身体能力と先天的とも言いたいようなカンを見せる選手たちは、ほとんどが外国人なのだ。

W杯であそこまでいく前のラグビーでは、その個人の身体能力を極限までに活かした突進力を見せる外国人選手たちは日本式の細かい点を忽せにせずに全員でスクラムにモールに、パス展開に小型でも俊敏さと器用さを活かすラグビーとは極めて不釣り合いで、寧ろ浮いた存在だった。その点を巧みに猛練習とやらで克服したのがジョーンズ前HCだったようだ。だが、昨日の帝京大対東海大の試合でも帝京の#6は外国人独特の能力に加えて乱暴さをも遺憾なく発揮したにも拘らず、何故レフェリーが「シンビン」を課さなかったのかと訝ったのだった。

サッカーでも同様に個人の身体能力が優れていればこそのプレーをしてみせるのは、ブラジル人であってもアフリカ系である者が多い。解りやすい例を挙げておけば、最近日本に帰化の意向を見せたガンバ大阪のブラジル人パトリックがいる。彼の縦の動きの速さ、天皇杯で見せた遠藤と連携したコーナーキックからのシュートに持って行った動きなどは見事なもので、我が国の選手たちには簡単に望めない動物的な高い能力を示していたと見た。だが、彼には日本式の細かくて、時には責任逃れの手段でもあるようなパス回しサッカーは不向きであろう。

ここで言っておきたいこことは、昨年の甲子園ボウルと正月のライスボウルでも見られたように随所に体格と身体能力に優れた外国人選手が全体の調和とティームワークを基本にする我が国にスポーツの殻を破る瞬時の強さと速さを見ていたのも忘れてはならない点だ。そこにある問題点は、ラグビージョーンズ氏が見せた外国人との対比では小柄で身体能力が劣るような我が国の選手たちの中に、これから先に如何にして多人種と多国籍の者たちを融合させて日本化させるのか、日本式の中で彼らを最大限に活かすティーム作りをするかではないのか。

ビジネスの世界:
私はスポーツの事ばかり論じてきているが、このような現象は既に我が国の(英語の能力に欠ける憾みがある)ビジネスの世界でも起きているのではないか。外国人社員の採用と有効活用を叫んでおられる方もいるような気もする。言うまでもないが、ビジネスの世界はスポーツとは違う。私はもう20年以上も「日米企業社会の間における文化と思考体系の違い」を論じて、日本にもアメリカにも声が届くだろだろう範囲に「違いを知ってから、自国の文化をわきまえてから、海外に出よう」と唱えてきた。簡単に言えば、ここで重要なことの一つが「英語が話せることが国際化でもなければ、国際人の証明にもならない」ということ。