新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語の濫用を嫌う

2015-08-16 14:14:53 | コラム
カタカナ語の濫用を戒める:

カタカナ語の濫用は徒に聞き手というか視聴者を混乱させているだけではないのか。先日も野球の解説者という名の単なる説明者に過ぎない連中が「コンパクト」という意味不明の言葉を使うのは具体的に何を表したいのかが読み切れずに混乱させているだけではだと指摘して、主宰者に支持して頂けたのは大いに幸せだった、兎に角野球のみならずテレビに登場する解説者風の者どもはいい気になって皆一様に意味不明なカタカナ語を使って説明する傾向がある。困った事ではないか。

「コンパクト」をバットのスゥイングの振幅を狭める意味で使っているようだと最近になってやっと解ってきた。だが、”compact”という単語は物を表す時に使うもので、バットの振幅のような抽象的な観念をいう時には使わないものだ。その昔、ご婦人が「コンパクト」と言わた白粉やパフを入れた鏡つきの化粧品を入れる容器があったのを覚えている人どれだけいるか。このように元は大きかったものを原寸よりも縮小する事を言うのがコンパクトだ。それをバットの振り幅に当てはめて使うのはるのは明らかな誤りである。何でもカタカナ語を使うと近代的に聞こえると思うのは早計であり、無知である。

野球の解説者は未だ未だおかしな言葉を使って視聴者を騙している。その例の一つが「巧みなバットコントロール」がある。先ず文法的に厳格に誤りを指摘すれば、これは「ヒーロー・インタビュー」と同じ性質なのである。理屈を言い続けると目的語であるはずの「バット」が「コントロール」の前に出てきていたのでは意味を為さない。これは所謂「単語を並べたら何とか通じた」と同じ誤りなのだ。これでは「誰がバットをコントロールするのか」という主語が出てきていない。

だが、ここでは日本語の語順で並べてあるから、視聴者には「巧みにバットの振り方を修正かまたは調整して、難しい投球に合わせて打ってしまうイチロー君のような優れた技術を言い表したいのだろうと想像はつく。だが、それは飽くまで想像を逞しゅうしているだけであり、解説者の意図が正しく理解された訳ではあるまい。

兎に角彼らは日本語の語彙の貧弱さ補うなうために何かといえばカタカナ語を使って逃げるのである。この他にも屡々使われる例に「シンプル」(=simple)がある。これは「簡単に」とか「単純に」と言いたい時に出てくるのだが、既に何度も指摘した通りで、この単語にはそういう意味は一義的には出てこない。Oxfordには”not complicated; easy to understand or do”と出てくる。「簡単で解りやすい」という意味なのに、勝手に自分の都合で熟語を当て嵌めて使ってはならないと知るべきだ。

要するに、カタカナ語を使うと何となく近代的で格好が良いとの錯覚から抜け出せないない不勉強な解説者がカタカナ語を濫用し、日本語を乱しているのが実態ではないのか。私は不勉強な解説者を使っているテレビ局にも猛反省を要求したいのだ。