新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月4日 その3 日本式成果主義への疑問

2015-08-04 13:57:44 | コラム
日本式成果主義批判:

畏友尾形氏が知らせて下さった関野通夫氏との意見交換のメールの中で、関野氏が

「成果主義などと言っていますが、よほど上の人ならともかく、個人の成果を、そんなに測れるのか疑問です。日本人には、アメリカ的雇用形態は合わないと思います。」

と指摘されたことには賛成なので、以下のように自説をご披露した次第。

我が国のような人事部が存在せず、事業本部長(GMにして屡々副社長)が必要に応じて判断して即戦力を雇用するアメリカの仕組みの下にある成果主義の形骸だけを真似たとしか思えない我が国の成果主義は、賢明な策ではないと思います。我々は全権を持つGMと1対1で話し合ってjob descriptionを決め、それに応じて提示された年俸に合意して働き始め るのです。人事部は一切関係ありません。

因みに、1972年に最初に転身したMead Corp.の場合は偶々来日しておられたオウナーのNelson Mead(国際部門担当副社長)がインタビューして採用と決められました。自 慢しているのではなく、採用はその部門の責任者がするという典型的な例です。日本市場はオウナーの直轄でしただけのこと。

その結果を365日後にGMと相対で見直して、五段階の評価をするのです。基礎になっているのが自分が合意したjob descriptionですから、何を何処まで成し遂げ、どれが不十分だったかは本人が解っております。その意味では我が国の人自分のやり方よりも公平でしょうし、諦めもつきます。また多くの会社ではGMだけの査定では不公平であるとして、自分が選んだ同僚に査定させる制度もあります。

私は本部や工場の者たちに何度か査定を依頼され、どう書くべきかで苦しめられた経験があります。遂に「何で俺を選んだのか」と尋ねると「君は外国人で利害関係が無いし、公平な人物だから偏見がないと見込んだ」と言われ、益々負担に感じました。

このようなアメリカ式査定の方式ならば未だ納得できますが、我が国の直接当人の日常を見る機会が少ない人が査定することと、そもそも偏見があると見なされている「人」が他人を合意した基準もないままに評価する制度には疑問を感じます。だが、アメリカ式五段階の裏にある事実は、最低の「1」の評価となった場合は即刻解雇ですから、ここに文化の違いを見出します。

しかし、その評価を受けた者はほぼ黙って引き下がるそうですが、我が国では考えられないことでしょう。かのS社の副社長だった友人のK氏は「そこは社会通念の違いで説明がつく」と教えてくれました。

私は我が国の企業社会の文化に"job description"の制度を導入して雇用契約を結び、1年後に話し合うような方式の導入不可能だろうと思います。それは我が国にはアメリカ式の"general manger"が存在しないからです。しかも、未だにアメリカ式の労働市場の流動性が確立されていないようですから。それだけではなく、私はWeyerhaeuserに採用されたのではなくて、当時は"Consumer packaging Division"と称していた包装容器とその原紙
を製造する事業部に採用され、東京駐在員に配属されたのです。

申し上げたかったことは異なる文化を持つ国のやり方を形だけ真似るのは如何なものかなということです。


8月4日 その2 新宿区地域文化部多文化共生推進課

2015-08-04 13:48:38 | コラム
新宿区地域文化部 多文化共生推進課の資料によれば:

実は、この聞いたこともなかった課からアンケート(紛う方なき言葉の誤用である)が送られてきて、その添付資料「多文化共生のまち新宿」に本年6月1日時点での区内の国籍別外国人住民数が記載されていたので、個人的にも大変興味があったのでご紹介する次第だ。言うまでもあるかも知れないが、最も多いのは中国人だった。

因みに、6月1日の総人口が330,692人で、日本人が293,347人、外国人が37,345人となっていた。即ち、外国人が10.4%を占めているのだ。しかし、新宿少数民族と称する私が居住するこの辺りでは、イスラム教の中近東勢を加えると半分以上が外国人かと思わせられる時がある。

中国人は13,592人で外国人中の36.4%を占め、区全体でも4.1%に達している。韓国人はKoreatownの衰退とともに減少したとは承知していたが、今や10,397人で27.8%にまで低下した。区全体でも3.1%に過ぎない。第3位はベトナム人の2,933人と少なく、7.9%で区全体では0.9%である。第4位はネパール人の2,593人で6.9%だった。第5位がミヤンマーの1,433人、以下アメリカの965人=2.6%、その他が5,432人=14.5%だった。恐らくイスラム教徒はその他に入っているのだろう。

地域別の分布を見ると、大久保地区が11,833人と断然たる首位なのは頷ける。第2位は戸塚地区で5,834人となっていたのはやや意外だった。第3位が柏木地区で、5,733人だった。以下は若松町地区、落合第一地区と続いていた。

新国立競技場建設出直し問題

2015-08-04 08:08:12 | コラム
意見を聴取すべき対象を誤っている遠藤担当大臣:

遠藤大臣は如何にも閣僚中に数少ない体育会経験者らしく、ニコニコ顔で「アスリート」なる者たちに新競技場に対する意見を聞いているようだが、私は「お訊きになる対象を誤っていませんか?」と問い掛けたい。それだけではない、マスコミは何で「アスリート」なカタカナ語を使うのかとも問いたい。何故「元オリンピック出場者」にしなかったのかと。

出場経験者はあの元の国立競技場のなだらかなスタンドの勾配が観客にとって見やすいかなどには関係が無い人たちではないか。何処の局だったか評論家と言う玉木某は「下の席にいると、ベンチにいる選手たちの背中の隙間から球技が見えることもある」とは言っていたが、はかない抵抗のようだった。観客のご意見を伺うべきではありませんか、遠藤さん。

私は遠藤大臣があの競技場で懸命に試合をする選手たちを鼓舞してくれるような観客のことを考えずに「選手たちの為」を考慮する設計をしようと考えておられのだったならば、あのプロジェクトを仕切る資格はないとまで断じたい。オリンピックは選手たち為だけに開催するものだと思っていたら見当違いだ。あの番組では誰かが陸上競技専用のスタジアムが欲しいと言っていたのにも一理あると思う。

我が国では競技場の建設・設計については未開国で、何処に行っても真ん中に芝生があってサッカーなり(時にはラグビーも)何なりが出来るようにして、その周囲に400 m の陸上競技用のトラックを設けるのが普通だ。しかし、国立は兎も角一年に何度大きな陸上競技の大会が開催されるか見通しが不明の地方に、あのトラックは必要なのだろうかと何時も疑っている。極論を言えば「あのトラックは球技を見にくくするだけの効果しかない」のだ。

それにあのような大きな観客席がついた競技場を作っても、フィールド競技まで含めても陸上競技の大会で会場を満席にしたのを見たことがない。何処かで誰かが陸上競技に対する見方を誤っており、トラックが必需品だと勘違いしていると思うのだ。今回はオリンピックの主たる競技場だそうだから、トラックを付けたければつければ良いが、観客席の配置と勾配を良く考えて設計しないと、同一平面上でサッカーを観させられるような事態が起きると保証しておく。遠藤大臣だって旧国立競技場のスタンドから遙か彼方でラグビーを試合が行われてたのをご覧になった経験がおありだと思うが。