「今ほど議員の質が低下している時期を知らない」:
これは昨22日に週間ニュース新書で多勢康弘が冒頭に言った事だ。私は同感であるとは言えるが、「何を今更したり顔で言うのか」と反感を覚えていた。There goes an old saying 「政治家に自分たち以上の器量を期待してはならない」と言うが、私は彼らほど無知でも無能でも無学でもないと固く信じて疑わない。それどころか、この”old saying”をそのままマスコミにも進呈したい思いすらある。
今国会で決着するであろう安保法制の審議は始まった時には、愚かな政治家を数多く集めた野党は安倍内閣が出してきた国家の命運を左右する重要な法案であると言う前にも、単なる反対のための反対と、安倍内閣引き摺り落とし策等々をかき集めて出来る限りの手段を講じてくるのは解りきっていた。そんな議員を選んだ我々の咎を反省すべきではないのか。
そして、予想通りに議論の本質を離れた揚げ足取りと、閣僚の表現不足を論っては審議の不充実を画策し、そこに強力な?マスコミの援護射撃を受けて「国民に対する法案説明不足、即理解不足」という確固たる虚構の成果を挙げた形に持って行ってしまった。
このマスコミの報じ方などは如何に彼らが無能であるかを問わず語りしている悪い(良い?)例に他ならないのが実態だ。国民の皆様は選挙で代議士や参議院議員を選んで彼らに国政を委託したのであって、法案を理解するのは歳費を頂戴して我々を代表している議員たちの仕事であって選挙民ではない。
私はマスコミは民主主義とは如何なるものかを未だに全く理解も認識も出来ていないと憤慨している。野党だろと与党だろうと、国民の皆様の代わりに国会で審議を尽くして安保法制を十二分に理解した上で、賛否何れかの票を投じるのか彼らに課された使命ではないか。それが民主主義であり多数決ではないのか。
それにも拘わらず、「国民の皆様が理解されましたか」というが如き愚かな質問を出して調査する(本来、アンケートというカタカナ語にはそういう意味は無い)マスコミの作為に溢れた行動が今日の「国民に対する法案説明不足が法案の問題だ」というあってはならない奇妙な事態を導き出してしまったのだ。そこにあれほどの高学歴と高職歴を有しながら、まるでその筋の連中の言い掛かりのような議論しかしない野党議員が大活躍され、その有様を如何ににも優れた政治活動の如くに扱うマスコミがいるのだからたまったものではない。
私が何度も論じ且つ指摘した来たことが「反対のための反対」に目がくらんだ議員とマスコミは「中国が景気がどう転ぼうと南進を続けて南シナ海辺りで止まればまだしも、その最終目的地(目的国?)が何処の国かを弁えていない連中が余りにも我が国の中に多過ぎる事態」は最早笑い事ではないところまで来ていると密かに本気で憂いている。それにも拘わらず、「60日成立」をすら阻止しかねない野党マスコミ連合(英語では”coalition”などと言うが)が意気盛んになる一方なのだ。
現在の世界の大国を見よ。側近の粛正も蠅もトラも叩かず、押し付けられたといわれる憲法の改正を意図され、国家の安全を図る法案を提出され、因縁ばかりつけてくる近隣の何ヶ国かとの関係改善まで図られている総理大臣を恰も稀代の悪者の如くに罵って、民主主義とは何であるかを70年経った今でも理解出来ていない国民を愚弄しあらぬ方角に誘導しようと努める(カタカナ語にすればミスリードしようとするとなるか)政治を生業とする愚かな連中を何とせねばなるまいと、私は心の底から心配しているのだ。
遺憾ながら、安保法制案反対の連中の「再び戦争に向かう」であるとか「子や孫を戦場に送らないように」であるとか「徴兵制度の再来」等という文言は低民度の一部の国民には心に響くし、訴える効果が出てしまっているのだ。これがどれほど愚かな議論であるかは「もしも戦場に行く者が出てくる場面があっても、それは自衛隊に自ら入った人たちに限定される」ではないか。
「自衛隊に入れば生命の危険がある」という誤った議論も出ているようだが、生命の危険は消防署員にも屡々発生する事態であり、街中で自動車や自転車を運転してすらも起きる事態ではないのか。この手の脅し文句を何の注釈も吹けずに報じるマスコミや政治家が、少なくとも私より上に位する器量や能力やや頭脳をお持ちであるとは思ってもいないし、思いたくもない。
しかしながら、結論をいえば、その手の政治家を選んでしまったのは我々国民であったことを忘れてはならないのだ。誤った報道の姿勢で国民をあらぬ方角に導きかねない伝え方をするマスコミを信じて此処まで来たのもまた我々国民なのである。無理を承知で希望を言えば、「今こそお国の為のみならず、自分の為にも政治と経済と世界の情勢を出来る限りの知恵を出して勉強すべき時が来たったのであると認識せよ」なのだ。
判断は貴方がするものであって、最早誤った判断をしたことを他人のせいにして良い時ではないのだ。過ちの結果とその責任は結局は自分に降りかかってくるだと知るべきだ。私はこれを政治家の皆様にも心底からご忠告申し上げたいのだ。「貴方たちは今や国家の存亡を危うくする知れない重大な局面で政治を担当していると認識せよ」と告げたい。私はこれが悲観論者の杞憂に終わることを切望して終わる。
これは昨22日に週間ニュース新書で多勢康弘が冒頭に言った事だ。私は同感であるとは言えるが、「何を今更したり顔で言うのか」と反感を覚えていた。There goes an old saying 「政治家に自分たち以上の器量を期待してはならない」と言うが、私は彼らほど無知でも無能でも無学でもないと固く信じて疑わない。それどころか、この”old saying”をそのままマスコミにも進呈したい思いすらある。
今国会で決着するであろう安保法制の審議は始まった時には、愚かな政治家を数多く集めた野党は安倍内閣が出してきた国家の命運を左右する重要な法案であると言う前にも、単なる反対のための反対と、安倍内閣引き摺り落とし策等々をかき集めて出来る限りの手段を講じてくるのは解りきっていた。そんな議員を選んだ我々の咎を反省すべきではないのか。
そして、予想通りに議論の本質を離れた揚げ足取りと、閣僚の表現不足を論っては審議の不充実を画策し、そこに強力な?マスコミの援護射撃を受けて「国民に対する法案説明不足、即理解不足」という確固たる虚構の成果を挙げた形に持って行ってしまった。
このマスコミの報じ方などは如何に彼らが無能であるかを問わず語りしている悪い(良い?)例に他ならないのが実態だ。国民の皆様は選挙で代議士や参議院議員を選んで彼らに国政を委託したのであって、法案を理解するのは歳費を頂戴して我々を代表している議員たちの仕事であって選挙民ではない。
私はマスコミは民主主義とは如何なるものかを未だに全く理解も認識も出来ていないと憤慨している。野党だろと与党だろうと、国民の皆様の代わりに国会で審議を尽くして安保法制を十二分に理解した上で、賛否何れかの票を投じるのか彼らに課された使命ではないか。それが民主主義であり多数決ではないのか。
それにも拘わらず、「国民の皆様が理解されましたか」というが如き愚かな質問を出して調査する(本来、アンケートというカタカナ語にはそういう意味は無い)マスコミの作為に溢れた行動が今日の「国民に対する法案説明不足が法案の問題だ」というあってはならない奇妙な事態を導き出してしまったのだ。そこにあれほどの高学歴と高職歴を有しながら、まるでその筋の連中の言い掛かりのような議論しかしない野党議員が大活躍され、その有様を如何ににも優れた政治活動の如くに扱うマスコミがいるのだからたまったものではない。
私が何度も論じ且つ指摘した来たことが「反対のための反対」に目がくらんだ議員とマスコミは「中国が景気がどう転ぼうと南進を続けて南シナ海辺りで止まればまだしも、その最終目的地(目的国?)が何処の国かを弁えていない連中が余りにも我が国の中に多過ぎる事態」は最早笑い事ではないところまで来ていると密かに本気で憂いている。それにも拘わらず、「60日成立」をすら阻止しかねない野党マスコミ連合(英語では”coalition”などと言うが)が意気盛んになる一方なのだ。
現在の世界の大国を見よ。側近の粛正も蠅もトラも叩かず、押し付けられたといわれる憲法の改正を意図され、国家の安全を図る法案を提出され、因縁ばかりつけてくる近隣の何ヶ国かとの関係改善まで図られている総理大臣を恰も稀代の悪者の如くに罵って、民主主義とは何であるかを70年経った今でも理解出来ていない国民を愚弄しあらぬ方角に誘導しようと努める(カタカナ語にすればミスリードしようとするとなるか)政治を生業とする愚かな連中を何とせねばなるまいと、私は心の底から心配しているのだ。
遺憾ながら、安保法制案反対の連中の「再び戦争に向かう」であるとか「子や孫を戦場に送らないように」であるとか「徴兵制度の再来」等という文言は低民度の一部の国民には心に響くし、訴える効果が出てしまっているのだ。これがどれほど愚かな議論であるかは「もしも戦場に行く者が出てくる場面があっても、それは自衛隊に自ら入った人たちに限定される」ではないか。
「自衛隊に入れば生命の危険がある」という誤った議論も出ているようだが、生命の危険は消防署員にも屡々発生する事態であり、街中で自動車や自転車を運転してすらも起きる事態ではないのか。この手の脅し文句を何の注釈も吹けずに報じるマスコミや政治家が、少なくとも私より上に位する器量や能力やや頭脳をお持ちであるとは思ってもいないし、思いたくもない。
しかしながら、結論をいえば、その手の政治家を選んでしまったのは我々国民であったことを忘れてはならないのだ。誤った報道の姿勢で国民をあらぬ方角に導きかねない伝え方をするマスコミを信じて此処まで来たのもまた我々国民なのである。無理を承知で希望を言えば、「今こそお国の為のみならず、自分の為にも政治と経済と世界の情勢を出来る限りの知恵を出して勉強すべき時が来たったのであると認識せよ」なのだ。
判断は貴方がするものであって、最早誤った判断をしたことを他人のせいにして良い時ではないのだ。過ちの結果とその責任は結局は自分に降りかかってくるだと知るべきだ。私はこれを政治家の皆様にも心底からご忠告申し上げたいのだ。「貴方たちは今や国家の存亡を危うくする知れない重大な局面で政治を担当していると認識せよ」と告げたい。私はこれが悲観論者の杞憂に終わることを切望して終わる。