令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・青春編(二)(07)いや常葉(とこは)の樹(き)

2010年11月16日 | 家待・青春編(二)内舎人青雲
【掲載日:平成22年9月28日】


橘は さへ花さへ その葉さへ
           に霜降れど いや常葉とこはの樹



葛城かつらぎおう 
美努王みぬおう 母橘県たちばなのあがた犬養三千代

光明子こうみょうし
藤原不比等の娘  
今は皇后となってはいるが  三千代の子
葛城王の妹に当たる 

すでに 廟堂びょうどうに昇っていた葛城王おう
より自由な活動を望み 臣籍しんせき降下を願い出
天平八年〈736〉  十一月 その許可を得た
橘諸兄たちばなのもろえ誕生である

その日  皇后の宮殿
聖武天皇しょうむてんのう 光明皇后
そして 葛城王を庇護ひごし来たった 元正上皇げんしょうじょうこう
列する中での  酒宴
帝ことのほかの喜び   歌を給う

【葛城王  姓橘氏を賜いし時の御製歌】
橘は さへ花さへ その葉さへ に霜降れど いや常葉とこはの樹
《橘は ぃ立派やで 花も葉も えだても 緑のままや》
                         ―聖武天皇しょうむてんのう―〈巻六・一〇〇九〉
【橘宿禰奈良麻呂  詔に応えたる歌】
奥山の 真木まきの葉しのぎ 降る雪の 降りはすとも つちに落ちめやも
《奥山の 立派なの葉 押しつぶす 雪降ったかて 橘実は落てへんで》
                         ―橘奈良麻呂たちばなのならまろ―〈巻六・一〇一〇〉

  天平九年〈737〉 折からの天然痘大疫は 
政権中枢藤原きょうを 死に追いやり 
藤原氏勢力伸長頓挫とんざを もたらす
執政者失くした 廟堂びょうどう
白羽の矢を 橘諸兄もろえに立てた

温厚篤実とくじつ 台閣だいかく諸侯との摩擦まさつはない
皇族有力者でもあり 
なにより 藤原氏とのつながりも深い
再起藤原政権 つなぎの思惑を込めてか
異父妹いもうと 光明皇后の押しも 
まして 
元正上皇 聖武天皇しょうむてんのうの 信望厚いとなれば
まさに  打ってつけ

急遽きゅうきょ抜擢ばってきは 
橘諸兄もろえに 大納言 右大臣の地位を与える

しかし  
橘諸兄もろえ温雅おんがな性格が
聖武帝の 気儘きまま放縦ほうじゅうを助長
皇籍出自しゅつじ
藤原氏との確執かくしつ生む火種
時代は  新たな 風雲世界へ


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