【掲載日:平成22年9月28日】
橘は 実さへ花さへ その葉さへ
枝に霜降れど いや常葉の樹
葛城王
父美努王 母橘県犬養三千代
光明子
藤原不比等の娘
今は皇后となってはいるが 三千代の子
葛城王の妹に当たる
すでに 廟堂に昇っていた葛城王は
より自由な活動を望み 臣籍降下を願い出
天平八年〈736〉 十一月 その許可を得た
橘諸兄誕生である
その日 皇后の宮殿
聖武天皇 光明皇后
そして 葛城王を庇護し来たった 元正上皇
列する中での 酒宴
帝ことのほかの喜び 歌を給う
【葛城王 姓橘氏を賜いし時の御製歌】
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
《橘は 実ぃ立派やで 花も葉も 枝霜来ても 緑のままや》
―聖武天皇―〈巻六・一〇〇九〉
【橘宿禰奈良麻呂 詔に応えたる歌】
奥山の 真木の葉凌ぎ 降る雪の 降りは益すとも 地に落ちめやも
《奥山の 立派な木の葉 押し潰す 雪降ったかて 橘実は落てへんで》
―橘奈良麻呂―〈巻六・一〇一〇〉
翌 天平九年〈737〉 折からの天然痘大疫は
政権中枢藤原四卿を 死に追いやり
藤原氏勢力伸長頓挫を もたらす
執政者失くした 廟堂は
白羽の矢を 橘諸兄に立てた
温厚篤実 台閣諸侯との摩擦はない
皇族有力者でもあり
なにより 藤原氏との繋がりも深い
再起藤原政権 繋ぎの思惑を込めてか
異父妹 光明皇后の押しも
まして
元正上皇 聖武天皇の 信望厚いとなれば
まさに 打ってつけ
急遽の抜擢は
橘諸兄に 大納言 右大臣の地位を与える
しかし
橘諸兄の温雅な性格が
聖武帝の 気儘放縦を助長
皇籍出自は
藤原氏との確執生む火種
時代は 新たな 風雲世界へ
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