【掲載日:平成22年10月8日】
この花の 一枝のうちに
百種の 言そ隠れる おほろかにすな
内舎人となり 右大臣橘家に近づき得た家持
父旅人という 後ろ楯を失い
これといった 庇護者ないまま
七 八年を過ごした 家持に
ようやく開けた 中央政界への道であった
同じころ 放浪極めた 相聞遍歴も落ち着き
初恋 坂上大嬢との 交わり復活
家持に 心穏やかな日々が 続いていた
このころから
政界は 少しずつ 混迷の度を 深めていく
藤原氏の それとは無しの圧迫
それから解き放たれたかの
聖武帝 遊行行幸の繰り返し
天平十一年〈739〉三月始め 甕の原離宮
同 三月下旬 元正上皇同道の甕の原離宮
天平十二年〈740〉二月 難波宮
天平十二年〈740〉五月 右大臣諸兄相楽別荘
世の中 さながら写し鏡
宮廷世界退廃を 象徴するかの事件が起こる
先の元正朝での左大臣
石上麻呂の息子 乙麻呂
藤原宇合未亡人 久米若売と相聞沙汰
これがため 乙麻呂土佐へと配流
〈天平十一年〈739〉〉
また
中臣宅守 蔵部女官狭野弟上娘子との恋愛騒ぎ
宅守 越前配流
〈天平十二?年〈740〉〉
これら共に 冤罪めくが
時代の風紀紊乱背景が 起こしたもの
そして
世の中を震撼させる事件が 西に起こる
大宰小弍藤原広嗣 大宰府に拠って叛旗
「政治の乱れ 災害疫病頻発
責は 重鎮 玄 真備にあり
これら君側の奸 除くに如かず
用いし橘諸兄に咎あり」の
意見受け入れられず 筑紫左遷
然らずんばの義憤蜂起
この 若く激しやすい性格の広嗣
かつての大宰の帥 藤原宇合の長子
それだけに
中央の受けた驚愕 想像を絶するものであった
【藤原広嗣の桜の花を娘子に贈る歌】
この花の 一枝のうちに 百種の 言そ隠れる おほろかにすな
《粗略にすな この花枝に ぎっしりと わしの思いが 入っておるぞ》
―藤原広嗣―〈巻八・一四五六〉
【娘子の和えたる歌】
この花の 一枝のうちは 百種の 言待ちかねて 折らえけらずや
《折れてるで この花枝に 詰め過ぎた あんたの思い 支え切れんで》
―娘子―〈巻八・一四五七〉
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