令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(一)(32)千船(ちふね)の泊(は)つる

2010年12月24日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月5日】

浜清み 浦うるはしみ
        神代かみよより 千船ちふねつる 大和太おほわだの浜



「おお これは 敏馬みぬめの浦じゃ」
〔父上を  思い出す
 あれは確か  大和帰任の折
 筑紫で亡くした  
母者人ははじゃひとを 思うての歌であった〕

妹と来し 敏馬みぬめの崎を 帰るさに 独りし見れば 涙ぐましも
敏馬みぬめさき お前と見たな 帰りみち ひとりで見たら 涙とまらん》
行くさには  二人我が見し この崎を 独り過ぐれば 心悲しも
《来るときは 二人で見たな このみさき ひとりとおるん 悲してならん》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四四九、四五〇〕 

〔父上を  思うと
 あの『さとしのこと』が 思い出される
一、人付き合い 世渡りが為 うたつくりがかなめ
  切磋琢磨せっさたくまし 一廉ひとかど歌人うたびと目指すべきこと
 その通り  歌が人をつなげる 
 いよよ  励まねば
どれ 
 福麻呂さきまろ殿の 敏馬浦みぬめうら 拝見致すとしよう〕

八千桙やちほこの 神の御代みよより 百船ももふねの つるとまりと 八島国やしまくに 百船人ももふなびとの 定めてし 敏馬みぬめの浦は 
《国造る 八千桙やちほこ神の 昔から 多数ようけの船の 港やと 倭国中やまとくにじゅの 船人ふなびとが 決めた敏馬みぬめの その浜は》
朝風に 浦波さわき 夕波に たまる しら真砂まなご 清き浜辺はまへは 往き還り 見れどもかず 
《朝風吹くと 波さわぎ 夕べの波に たま寄る 白砂しらすな清い その浜辺 きも還りも 見きへん》
うべしこそ 見る人ごとに 語りぎ しのけらしき 百代ももよて しのはえゆかむ 清き白浜
《見た人みんな 伝えて め続けたん もっともや 今後こんご百年 められて 続いて行くで 清い白浜はま
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六五〕

真澄まそかがみ 敏馬みぬめの浦は ももふねの 過ぎて行くべき 浜ならなくに
敏馬みぬめ浦 通る全部の 船々が 寄らんで済ます 浜とちがうで》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六六〕

浜清み 浦うるはしみ 神代かみよより 千船ちふねつる 大和太おほわだの浜
《浜きよて 浦は綺麗きれえで 神代かみよから 千もの船が 集まる浜や》
                         ―田辺福麻呂たなべのさきまろ歌集―〔巻六・一〇六七〕


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