【掲載日:平成23年4月5日】
浜清み 浦うるはしみ
神代より 千船の泊つる 大和太の浜
「おお これは 敏馬の浦じゃ」
〔父上を 思い出す
あれは確か 大和帰任の折
筑紫で亡くした
母者人を 思うての歌であった〕
妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに 独りし見れば 涙ぐましも
《敏馬崎 お前と見たな 帰り路 ひとりで見たら 涙とまらん》
行くさには 二人我が見し この崎を 独り過ぐれば 心悲しも
《来るときは 二人で見たな この崎 ひとり通るん 悲してならん》
―大伴旅人―〔巻三・四四九、四五〇〕
〔父上を 思うと
あの『諭しのこと』が 思い出される
一、人付き合い 世渡りが為 歌作りが要
切磋琢磨し 一廉の歌人目指すべきこと
その通り 歌が人を繋げる
いよよ 励まねば
どれ
福麻呂殿の 敏馬浦 拝見致すとしよう〕
八千桙の 神の御代より 百船の 泊つる泊と 八島国 百船人の 定めてし 敏馬の浦は
《国造る 八千桙神の 昔から 多数の船の 港やと 倭国中の 船人が 決めた敏馬の その浜は》
朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず
《朝風吹くと 波騒ぎ 夕べの波に 玉藻寄る 白砂清い その浜辺 往きも還りも 見飽きへん》
うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲けらしき 百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜
《見た人皆 伝え来て 誉め続けたん 尤もや 今後百年 誉められて 続いて行くで 清い白浜》
―田辺福麻呂歌集―〔巻六・一〇六五〕
真澄鏡 敏馬の浦は 百船の 過ぎて行くべき 浜ならなくに
《敏馬浦 通る全部の 船々が 寄らんで済ます 浜と違うで》
―田辺福麻呂歌集―〔巻六・一〇六六〕
浜清み 浦うるはしみ 神代より 千船の泊つる 大和太の浜
《浜清て 浦は綺麗で 神代から 千もの船が 集まる浜や》
―田辺福麻呂歌集―〔巻六・一〇六七〕
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