本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

スピンクス (山岸凉子)

2007-08-17 09:37:13 | 漫画家(や・ら・わ行)
「天人唐草」が父親の娘への呪縛であったのに対し、これは母親の息子への呪縛。

-その頃僕は魔女の館に済んでいたー で始まる導入部分は毎度の事ながら、山岸ワールドの扉が開くことを示している。
2・3ページの見開きのスピンクスの妖艶さ!たまりませんわ!!
…で、魔女の館は真っ白で何もない世界。
スピンクスがやって来たり、紙人形がうろついたり…結局息子を溺愛した母親から脱出しようとした少年の話なのだが、少年の感覚を画像化して独特の世界を演出するのには「漫画」という表現法が最適だと思う。
文章のみで、ここまで読者の感性に訴えることが出来るかどうか…。

漫画より小説の方が高尚だと思い込んでいる人達に言いたい。
漫画でもピンからキリまであるように、小説だってピンからキリまであるのです。
どちらも表現方法が違うだけで、ある種の世界を作家(漫画家)が構築しているのです。
漫画だというだけで馬鹿にせずに、漫画にしか出来ない表現法でこういう素晴らしい世界を構築している作品があるということを知って欲しいのです。


…無理かなー?ま、いいけどね。

しゃぼてん (野中英次)

2007-08-15 21:48:33 | 漫画家(な行)
(2001年発行)

まあ、何と言いましょうか?
要するに、所謂、野中英次節全開!と言うか、いつもの野中英次の漫画と言うか・・・。

絵は、勿論池上遼一風。
上手いのやら下手なのやら、下手ウマなのやら?

ストーリーは、ばかばかしいのか、呆れてしまうのか、あ、こういう事あるかも?と言うか・・・。

たま~に読んで、フッと鼻先で笑う・・・そんな作品?

バスカビルの魔物 (坂田靖子)

2007-08-14 09:02:09 | 漫画家(さ行)
(2006年発行)

ほのぼの~としてるミステリー漫画。
一話が8ページなので、軽く読める。

本に収録されている漫画は1987年~2001年までに描かれたものなんだけど、さほど絵柄の変化はない。
癒し系の絵柄とでも言いましょうか?

この人にかかると幽霊もゾンビも、ち~~~っとも怖くなくなります。。。

メデュウサ (山岸凉子)

2007-08-11 00:50:39 | 漫画家(や・ら・わ行)
短編が五編入っている。

「鬼来迎」「ダフネー」は作者お得意の人間心理のドロドロを上手く表現している。

「籠の中の鳥」は、ちょっと不思議な能力を持った一族の末裔である少年の話。
一応、ハッピーエンドではあるが、今後この少年がどういう一生を送るかに興味がある。
続きはないのだろうか??

「メデュウサ」は、主人公と同性愛の関係であるニコラがいい。
最初は酷い性格だと思ったが、ラストページの前のページでのセリフで彼女に対する気持ちが180度変わった。

「あたし
あんな人間に同情しないんだ
少しでもつらくなると
相手を石にして
無視しようとするなんて
自分を最後まで
最後まで守った奴がああなるんだもの
同情なんかしない」

非常に心に響く重くて深いセリフである。



「恐怖の甘い物一家」
これは笑える!!
非常に笑える!!
幸い私は洋菓子は食べれるが、和菓子は苦手である。
夕食が特大のボタモチ5コ!!だったりしたら・・・「恐怖」です。(笑)
甘い物嫌いの人が読むと受けるかもしれない。

鏡よ鏡・・・ (山岸凉子)

2007-08-10 09:34:29 | 漫画家(や・ら・わ行)
「千引きの石」
オカルト的作品。
所謂「学校の怪談」っていう感じかな?・・・でも、この人が描くとかなり怖い!!

戦前からある古い体育館には<出る>という噂が・・・
転校生の水谷可南子が知らずにその中に入ろうとすると・・・
・・・というような内容。
イザナギノミコトが黄泉比良坂に行った話を元に描いているようだ。

「私の人形は良い人形」でも書いていたが
『ああいったモノに
感応しない
強靭な精神!
それが大事なのだ』
・・・まさしくその通りだと思う。

作者は後で、
『この作品のようなものは、しばらくひかえようと思っています。最近、少し身の危険を感じて・・・。』
・・・と書いていた。どんな身の危険があったのかちょっと知りたい気もする。




「鏡よ鏡…」
作者の話から引用
『「鏡よ鏡…」は、単行本化にあたり「星の運行」を改題したものです。
学生時代の話です。私には、とても美人の友人がいました。ある日、彼女が鏡に向かってお化粧をしていたとき、彼女の母親が「私があんたぐらいの頃はもっと美しかった」と言ったそうなんです。その言葉に女の性みたいなものを感じ、これをテーマに描こうと思ったのです。』

自分が美しいと思っている女には例え我娘であってもその「若さ」に嫉妬するんでしょうか?
私は別に自分が美しいとは思ってないせいか我娘の「若さ」に嫉妬はしないけれど・・・正直言って自分が年取ったなぁ・・・ってちょっぴり哀しくはなりますね。
でもまぁ、肉体的に年を取るのは仕方ないですが精神的にはいつまでも若々しく柔軟な発想が出来るようになっていたいですね。


天人唐草 (山岸凉子)

2007-08-08 22:11:54 | 漫画家(や・ら・わ行)
この作者は、長編もいいが、短編も非常にいいものが多い。

この「天人唐草」タイトルページでは天女?が舞っている姿。
あぁ、綺麗だなー。今回の話は現代ものじゃないのかな?と思いつつページを開くと3ページ目にはどこかの空港。不審な人物らしき人の足元のみの絵で終わる。
「えっ?何だ??この展開は???」…と思いつつ次のページをめくると「きえー」とか「ぎえーーーっ」とか妙な叫び声を上げながら歩く、髪を金髪に染め、厚化粧をし、ヒラヒラのドレスを着た、明らかに精神状態が普通でない女性の姿。
何だ???と思いつつ次のページを見ると、時間と場所が変わりますよ。というコマがあり、小さな女の子が登場する。
名前から察するに前ページの女性の子供のころの姿だと推測出来る。
ここまで読んだら、もう読者は完璧に作品世界の中に入ってしまっている。なんという見事な導入だろう。
そして、この作品のタイトルである「天人唐草」に関するエピソードが描かれる。
そこで初めて読者はそれが非常に重要なキーワードだと知るのだ。

主人公の響子が父親によって、どんどん本来の性格が歪められていく様をこれでもか、これでもか、という風に細かいエピソードの積み重ねによって描かれていく。
読者は響子がどうなるかを知っているから(もしくは、知っているのに?)ドキドキ、ハラハラしながら読んでいく。
何度か父親からの呪縛を解く小さなチャンスがあったにも関わらず、どうにも変われず、結局、父親の死で初めて父親の真実の姿を知り愕然とし、その上に見知らぬ男に暴行を受ける。
これで狂わなかったら変だ。というぐらいの展開だ。説得力あり過ぎ!(笑)


人間誰でも多かれ少なかれ、ある種の呪縛にかかっていることが多い。
かくいう私もそうであって、その呪縛に自分自身気がついているのだが、その呪縛から脱出する事がなかなか出来ない。
まぁ、気が狂うほどの呪縛ではないので大丈夫なのだが、やっぱりいつかは解放されたいと願っている。(解放されるも、されないも、自分自身の考え一つなんですけどね)
とにかく、これを読んで自分自身に何らかの「呪縛」が掛かってないか考えてみるのもいいかもしれない。…そう、思った。

草迷宮・草空間 (内田善美)

2007-08-07 23:01:07 | 漫画家(あ行)
「人形」というものが好きです。
小さい頃から好きで名前をつけて可愛がっていたのを覚えています。
「小公女」に出てくる人形も好きです。
市松人形も怖いけど好きです。
西洋のアンティックドールも好きです。
スーパードルフィーも好きです。
お金がいっぱいあるのなら、コレクションをしたいぐらいです。
美形人形をオリジナルで作って、車の助手席に座らせたり、部屋の中にさりげなく座らせたりしたい・・・と言うと、ちょっと「異常」?(笑)


まあ、とにかくこの漫画は表紙の市松人形の絵が気に入って買ったのです。
内容は人形が心を持ってしゃべるんだけど・・・、
ホラーではありません。
人形や猫好きの人ならきっと気に入るだろうな~っていう感じの作品です。

セイレーン (山岸凉子)

2007-08-07 08:47:03 | 漫画家(や・ら・わ行)
(1977年発行)

『セイレーン』(昭和52年 花とゆめ3号掲載)

主人公であるカメラマンが訪れたギリシアの最北端にあるS島。
観光客もいない辺鄙な島で出会ったニコという少年。
ニコは島民が絶対に行かないというセイレーンの岩の上にいた・・・。
その岩の下には・・・。
という感じの作品。
まるで古いフランス映画を観ているような気がしてくる。




『パニキュス』(昭和51~52年 花とゆめ24号、1号掲載)

幼い頃、いつも一緒に遊んでいたハリーとネリー。
兄のハリーは大きくなって家を離れ、音楽学校へ行くことになる。
取り残されて哀しむネリー。
兄は、向こうで友人(チャールズ)を作りそして友人の妹と結婚をする。
その後、兄は戦争に行き
友人のチャールズを助けた為死んでしまう。
ハリーを失ってチャールズを憎むネリー。
「私はチャールズを憎むわ
あの人は私のハリーを
私のハリーでなくして
そして今度はハリーを永久に私から奪ってしまった
私はチャールズを許さない」

年月が経ち、ネリーは童話作家になる。
そしてチャールズが戦争で片腕を失っていたことを知る。
彼女はチャールズに語る。
「わたくしこそ あなたのことを考えもせずに・・・
(中略)
わたしはハリーを愛してたというよりも
自分の分身を愛していたのです
(中略)
ずっと以前私を黄金の人間だといってくれましたね。
けれど 黄金は自分に泥が混じるのをおそれるあまり
もうひとつの黄金しか
愛そうとしなかったのですわ」
・・・

これは、一人の女性の半生を描いた古い洋画のような雰囲気の作品。
自分自身の自我の目覚め・・・といったものを非常によく表現している。
2時間ドラマにでもしたらいいものが出来そうな気がする。




『愛天使(セラピム)』(昭和52年 ララ3月号掲載)

母が死んで、今では後妻とその間に出来た子どもたちと暮らしている父の家で暮らすことになった水穂。
その家には離れがあって、ひとりの少年が暮らしていた。
彼は6歳の時交通事故で足を怪我して以来、心を閉ざしてしまっていた。

次第に水穂に打ち解けていく少年。
水穂は少年の純粋さに彼自身が”天使”のようだと思った。
ところが彼は天使を知っていると言う。
・・・


家庭崩壊をしている家族。
世間から隔離されている少年。
そして・・・天使。
ムード的にはとっても良いのだが、あと一歩踏み込んで貰いたかった。
どうも少年の周りに現れる天使の説得力が・・・もう少し・・・っていう感じ。
ページ数がもっとあれば良かったのかもしれない。


わたしの人形は良い人形 (山岸凉子)

2007-08-06 09:33:35 | 漫画家(や・ら・わ行)
これは怖い。夏の夜に一人で読むに相応しい作品かもしれない。

だいたい、この市松人形というのは、そこにいるだけで怖い。

この作品には全く関係ないが、私の実家にあった市松人形は、今の市松人形のように最初から着物を着せているタイプではなくて、人形に人間の赤ちゃん用の晴れ着を着せるタイプだったのだ。
夜、雛人形の横に座る「いちまさん」を見ると、何だか目が光っているようで、とっても怖かったことを覚えている。
我家にはもともと、市松人形は二体あったらしい(もしかすると三体だったかも?)のだが、私の覚えているのは一体だけで、それは何故かと言うと、私の祖母の目が悪くなって、その目の手術の日、悪い方の目と同じ方の目がポロリと落ちたので気味が悪くなった母がその人形を海に流したそうなのだ。

ま、そういう事もあってか私は市松人形が訳もなく怖いのだ。(とはいえ、結構好きだけどね)
今、私の子どもたちのために三体の人形があるが、それらは最初から着物を着ているタイプだし、ガラスケースの中に入っているので、それ程は怖くない。(少しは、怖いけど…)

・・・で、この作品の市松人形。
「副葬品」、死者に供えられた物だったのに、あまりにも立派なので、勿体無いと、死者と共に葬られなかった為、二人の女の子の執着を背負ったまま、災いを為すのだ。
一言で言うと「執着心」って本当に怖いですねーーー。という話。・・・かな?

それにしても、焼け爛れた人形が怖い!!あんな人形が現れて、迫ってきたら・・・考えただけでも恐ろしい!!

夏の夜、誰もいない家の中、市松人形のある部屋でひとりでこの作品を読む勇気は私にはないなー。(笑)

TAc・Tic・・・s (モンキー・パンチ)

2007-08-05 20:59:36 | 漫画家(ま行)
(『週刊漫画アクション』1970年~掲載)

モンキー・パンチの絵柄ってかなり独特だと思う。
人物の描き方、背景の描き方、
顔の表情、動き・・・
ああいう足の動きでは絶対に歩けないというか、不可能な動きだけど、不自然ではない。
構図のとりかた、コマの向き、実験的な箇所も多々ある。

アニメの「ルパン三世」しか知らない人が、モンキー・パンチ作品を見ると驚くかもしれない。

この作品は30年以上前のもの。
古いといえば古いんだけど、絵もストーリーもモンキー・パンチ節炸裂っていう感じがする。


諸怪志異(二)壺中天 (諸星大二郎)

2007-08-03 09:08:40 | 漫画家(ま行)
(ACTION COMICS『諸怪志異(二)壺中天』(1991年3月27日初版発行)を文庫化したもの)

「壺中天」
自分の内部に入る事が出来る壺。
素人が入ると二度と出て来ることが出来なくなるという代物なのだが、欲深い夫婦が入ってしまうんですよね。
私なら訳のわからない壺の中に入る勇気はないですね。
・・・しかし、自分の内部・・・ちょっと興味はありますね。
私の内部って何があるんでしょうね?
漫画の本がどっさり??


道士の五行先生はいろいろと不思議な術が使えます。
木の腰掛はペガサスになって空を飛べるし、
紙を切って作った切り絵の虎や鶴は、そのものになる。
いつも落ち着いていてポーカーフェイスの五行先生、素敵です♪

弟子の阿鬼は失敗ばかりしてるけど、可愛いし、
子供の眼病を治してくれる女神の
「眼光娘娘」(がんこうニャンニャン)は、かっこいいおねえさんだし、
仙人のなりそこないの費長道(ひちょうどう)は面白いし、
とにかく出て来るキャラがどれも魅力的。

不思議な話に魅力的なキャラ。
これで面白くないわけがない。

諸怪志異(一)異界録 (諸星大二郎)

2007-08-02 12:09:04 | 漫画家(ま行)
(ACTION COMICS『諸怪志異(一)異界録』(1989年6月19日初版発行)を文庫化したもの)

<裏表紙の説明より>
岩場に立つ子供の姿をした化物に
手を引っぱられた途端、
人がそこから消えてしまう。
消えた人間は一体どこへ…!?
息子を消された男が、
行方を探しながら行きついた場所とは!?

道士の五行(ごぎょう)と、弟子の阿鬼(あき)が魑魅魍魎相手に大活躍!!
全11編収録!!


<作者あとがきより一部抜粋>
中国志怪の世界に魅かれるようになったのはいつ頃からだろうか。
「聊斎志異」のような体裁の本を作ってみたいと思っていた。
(中略)
私は中国の古典を基にしてオリジナルで話を作ることにした。


怖くて、不思議で、そして面白い。
オリジナルだと書いてるが、
本当は「聊斎志異」の中にある話じゃないだろうか、と思ってしまうぐらい、
中国古典のイメージそのもの。

この本に収録されている話の中で「異界録」という話がある。
これは
<体がめくれる>話。
口がピリっと裂けて、胴体が縦にビラーっと裂けて・・・
体全体がめくれてビシャッとつぶれる。。。

目の前にいる人間が突然、体がめくれてしまう・・・そういう様を想像してみると・・・
怖いです。
グロいです。
不思議です。
そして・・・面白いです。

私はバカになりたい (蛭子能収)

2007-08-01 09:13:16 | 漫画家(あ行)
(昭和57年発行)

やっぱり面白いのかどうかよくわからない。
絵も上手いのか下手なのかよくわからない。

・・・しかし、サラサラっと読めてしまう。
たぶん、どこか人を惹きつける魅力がある作品なのだろう。

ストーリーは、ちょっとここでは説明し難い。
18禁ネタがほとんどだから・・・。

短編13作品が載っているが、タイトルはどれも映画のパロディのようだ。
結構、こういう所に気を使ってるんだな~と意外な印象・・・。(ごめんなさい。蛭子さん。)

とりあえず、表題作の「私はバカになりたい」のあらすじを軽く説明してみる。
18禁です!!(笑)

自分は頭がいいと思っている男が主人公。
この男は女と寝ていても嫌になったら直ぐ止めてしまう。
「だめなんだよ
私は……
頭が良すぎて……
バカバカしいと思ったらやる気がしなくて」
女は怒る。(当たり前だ!)
「あなたには思い遣りというものが
ないのね」
男は平気な顔で
「やっぱり私みたいな頭になると、
やってる最中に色々と考えるんだよ
(中略)
とにかく本能ムキ出しというわけには
いかないんだよ」
女は男に下着を投げつける。
「面白くない人ね 帰ってよ!!」
男は女の部屋を出て読者に弁解する。
自分がこうすると女がこうして、そしてこうなって・・・
と、冷静に考えるから女に反逆しないんだ。・・・と。

そして、女の隣の部屋(男女が○○をしている)を覗いて肩をすくめて一言・・・。
「しかし
何も考えんで良く出来るな・・・
あーあ
私もバカになりたいよ」



思わず、こーゆー嫌味なヤツいるよな~~って共感してしまうのだ。

結局、蛭子作品は一見メチャクチャに見えるけど、
人間の抑圧された感情を見事に開放するという
ふか~~~い思惑があったのかもしれない・・・。

・・・って、本当にそうかな~~~???
あの蛭子さんを見ていると、申し訳ないがな~~~んにも考えてないように
見えてしまうのだが・・・?(笑)