本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

清水の次郎長 (黒鉄ヒロシ)

2007-07-11 09:00:28 | 漫画家(か行)
(2002年発行)

いろいろと漫画の感想を書いているサイトを読むにつけて、みんなスゴイ人たちばかりだな~、
自分なんてまだまだだな~と思ってしまう。
・・・が、だからと言って自分は自分。
自分の出来る範囲でするしかない。・・・というか、出来る範囲でしか出来ない。
まあ、ぼちぼちやるしかないですね~。。。

この作者、高知県出身だということは知ってたのだけど、”司牡丹”の親族だったとは知らなかった!
「司牡丹」の竹村維早男現会長とは従兄弟同士なのだそうだ。
麦焼酎「赤兵衛」そば焼酎「赤兵衛」が、あの”赤兵衛”のイラストのラベルで発売されてるらしい。
ちょっと飲んでみたい気がする。

・・・で、この作品。
絵の素晴らしさにはただ感嘆するばかり!
一見、無造作にさらさらっと描き流してるように見えるかもしれないが、こういう線は凡人には描けない。
線が動くのだ。
まるでアニメーションのように、するするする・・・と線が動くのだ。
人間が歩く動作とか、そういう意味ではなく、形が変化していくという”動き”。
例えば、人間の顔のアップ、口元、唇、それが徐々に変化していき、富士山になる。
そういう”動き”の面白さ。

止まってる筈の線がするするすると変化していく様は何度見ても見飽きない。

「清水の次郎長」と言うと、単純に「漢の中の漢、立派な親分さん」というイメージしかなかったのだが、
これを読むと、そういうイメージががらがらがらと音をたてて崩れてしまった。
う~~~ん、歴史って深読みすればするほど面白いもんですね。
こういう見方が出来るのかと大いに感心してしまった。

ついでに言うと、実は今まで清水の次郎長が生きていた時代と新選組が活躍した時代が同じだなんて考えたことがなかったのよね。(私が次郎長にはあまり興味がなかったってこともあるけど)
同じ時代を生きていても、生き方は全然違ってたのよね。
まあ、そういうものだとは思いますけどね。
ちょっぴり「へぇ~~~~!!」っていう感じでした。(笑)

暴れん坊本屋さん (久世番子)

2007-06-16 19:42:20 | 漫画家(か行)
(2005年発行)

<裏表紙の説明より>
切なくも心温まる作品を描く
マンガ家・久世番子。
実は彼女にはもうひとつの顔があった!
ある時は自分のコミックスを大量に発注し、
ある時はマナーの悪い立ち読み客を呪い、
ある時は注文した本が届かない
そう彼女は「暴れん坊本屋さん」だったのだ!!

マンガ家兼書店員の久世番子が
本屋さんの本音や裏話を描いた
赤裸々エッセイコミック登場!!



仕事ってどれも大変だと思うけど、本屋さんも大変ですね。
ごくろうさまです。

日頃よく本屋さんに行く人がこれを読めば、より楽しく本屋さんに行ける・・・かも?(笑)

メイプル戦記 (川原泉)

2007-03-15 09:04:06 | 漫画家(か行)
(平成3年~平成7年 花とゆめ掲載)

日本初女性だけのプロ野球チーム「スイート・メイプルス」が活躍する話。

個性豊かなメンバーたち。
頑張る登場人物たち。
ギャグの中にもほろりとさせられる展開。


そして・・・ラスト!

いつもの川原節、炸裂!

感動のラストになるんですよね~。


女性が元気なのがいい。
<女性は男性より劣る>・・・と無意識のうちに考えている人がいる。

そういう概念をふっとばす漫画が普通に存在しているのがいい。

そのうち、女性が劣っているなんていう概念がなくなる日も来るかもしれない。
・・・そういう日が是非とも来て欲しい。
来るべきだと考える。


実在のプロ野球球団や選手をモデルにしているらしいが、残念ながら私にはよくわからない。
野球好きが読めばより面白みが増すんだろうな~!!


あたしンち (けらえいこ)

2007-02-20 09:02:40 | 漫画家(か行)
(読売新聞日曜版1994年6月~ )

アニメにもなってるんですよね。
ほんのチラッと観た覚えはあります。


今日、暇でしてね、長女の部屋がぐちゃぐちゃだから仕方ない、少しは片付けてやるか・・・。
・・・と、思って散らばってる本を片付けたんですよね。
その中にこの本があったんですよ。


長女は私が絶対に買わない様な本をよく買ってます。
これも申し訳ないけど、私は例え古本でも絶対に買わない本です。。。


まあ、読まず嫌いはいけないかな~?と思ってちょっと読んでみました。


何でもない日常が描かれています。
たぶん、世の中にはこんな感じの家族もいるのでしょう。


ここに出てくる母親は、私とはタイプが全然違います。。。違うつもりです。。。
違うんじゃないかな~~~?
念のため、長女に確認したけれど、「違うよ」…と言ってくれました。(ホッ…)


「お母さん、どうしてそんなこと聞くの?」
「い…いや別に…」(ちょっとうろたえる私・・・笑)


まあ、この作品、とにかくほのぼのとしてていいのではないでしょうか?

フロイト1/2  (川原泉)

2007-02-17 12:53:41 | 漫画家(か行)
(平成元年 「花とゆめ」4・8号掲載 )( 画像の本は白泉社文庫版1996年発行)


裏表紙の説明文より

ジークムント・フロイト。精神分析学、深層心理学の創始者・・・
1939年没。40年後、魂となったフロイトは、二つに別れた奇妙な提灯をこしらえ、小田原城公園にて篠崎梨生(8歳)と瀬奈弓彦(19歳)にそれぞれ5円で売り渡した……。
そうそれは「夢を呼ぶ」提灯。
そして、二人の夢をすり合わせつつ、時は流れて……。
ようこそ、川原的不思議哲学世界へ!
表題作品の他、初期短編8本を収録!


若い頃、心理学が好きで精神分析の本など色々と読んでいた時期があった。
その中には勿論フロイトの「夢判断」などもあって、凄い事を考える人もいるんだな~と感心したのだが、どうも西洋人と日本人の感覚は違うのでは?という疑問も抱いていた。
育ってきた環境、文化などで同じ物を見てもそれから連想するものは違うのでは?と思ったのだ。


また、話が脱線してしまった。
とにかく、あの「フロイト」が小田原提灯を作って売っている!?
なんというシュールな発想!!
そしてその提灯は「夢を呼ぶ」提灯なのだ!!!


もう、その発想だけで脱帽・・・っていう感じになってしまう。


いつもどおり、一見とぼけた感のある主人公が出て来る。


だいたい、川原泉作品では生い立ちが悲惨な場合が多い。
家族と死別しているという設定は数え切れないぐらいあるのではなかろうか?(笑)
簡単に人を死なせないで欲しいが、まあ仕方ない。


梨生は幼い時に母と死別、父とは離別。叔母夫婦に育てられる。
弓彦は父と死別、
大学生の時、山で遭難したため莫大な額の「捜索救助費用」返済のため必死に働いてくれた母とも死別。
・・・という非常に悲惨な人生を送っている。


タイプは全く違うが二人とも必死に前向きに生きているのだ。
特に梨生などは全然悲壮感もなさそうに見えるのに、精一杯頑張ってるのだ!


そこに読者は感動するのだろう。きっと・・・。


ブレーメンⅡ (川原泉)

2007-02-16 09:08:49 | 漫画家(か行)
人権教育のテキストにしたら、いいのではないだろうか?・・・という感じの作品。

数の少なくなってきた人類の助けになるだろうと、人間並みの知能を持った動物たちが創りだされたが、大方の人間たちが差別をする。
それでも純粋な動物たちは、真面目に仕事をする。

テーマは「差別」?・・・なのだろうか?
この作者独特のちょっととぼけた感じで押し付けがましくなく、さらりと描いているので、読む年齢や感覚によっては、人権問題を取り上げているとは、あまり感じない者もいるかもしれない。
そういう感じが非常に良い。

絵については、線のタッチとか、顔は好きなのだが、殆ど顔のみのコマが続くのが少々気になる。・・・まあ、個性と見るべきか???

観用少女(プランツ・ドール)  (川原由美子)

2007-02-07 08:41:14 | 漫画家(か行)
(1991頃?~)

完全版なるものが出たみたいですね。
う~~~ん。ちょっと欲しいがちょっと高い~~!!(一冊1600円)(全二巻)


<宣伝文句より>
この世のものとは思われぬ美しい姿をし、
ミルクと砂糖菓子と愛情で育つ”観用少女”。
その極上の笑顔に魅せられた人々の、
喜びと悲しみの、さまざまなストーリー。


人間じゃあないのよね。
”植物”なのよね。
・・・で、ちゃ~んと感情があるのよね。
ロボットでもないのよね。
ミルクを飲む姿なんてくらくらするぐらい愛らしいのよね。


う~~~ん。
ロリコン趣味の人間にとってかなり魅力的なのかな?
私のようなアンティックドール好きの人間にもたまらないよね。
目の前でプランツ・ドールがにっこりしてくれたら買いたいよね~。
でも、めちゃくちゃ高いそうだから…買えないかも?(涙)
スーパードルフィーでさえ欲しいけど持ってない私。。。(笑)


可愛くて、華やかで、
少女漫画の醍醐味というか、このプランツ・ドールに魅入られるともう逃げることは出来ない!
・・・そんな気分。


一話ごとに金持ちだったり貧乏人だったり境遇が全然違う人たちが登場しては、
それぞれプランツ・ドールに魅入られて、いろんなストーリーに発展していく。


どれも、ドールは魅力的で、関わる人間たちもそれなりに幸せになる。


読後感が爽やかで、ちっちゃな幸せ気分にさせてくれる、そんな作品。


さんさん録 (こうの史代)

2007-01-20 11:44:12 | 漫画家(か行)
(漫画アクション2004年12月2日号~2006年5月2日号掲載)


1巻カバー裏表紙の説明文より

妻に先立たれた男、参平に遺された一冊の分厚いノート。
それは妻おつうが記した生活レシピ満載の『奥田家の記録』だった。
主夫として第二の人生をスタートさせたさんさんの未来は、ほろ苦くも面白い。



地味だが温かい絵柄。
ストーリーも、やはり地味だが温かくほんわりと癒される。
時々あるセリフのない話も結構面白い。


1・2巻共にカバーをはずすと表紙の絵が違う。
特に2巻の表紙が面白いので、この本を手にする機会があれば、
是非カバーをはずして見て欲しい。



参平の妻のおつうが遺した家族の記録、及び家事の仕方だが・・・
こういう記録をつけてる人って尊敬してしまう。
私には無理だな~って思うのだ。


もし、私の方が夫より先に死んだら、家事一切しない夫は困るだろうな~って思う。
ま、その時は娘が三人もいるのだから、彼女たちが何とかしてくれるとは思うのだが・・・(笑)


何もしてくれなかったら、家事のマニュアル本や料理の本でも読んで一人で頑張って欲しい。
もし、幽霊になって手助け出来るのなら、助けてあげるけどね、
無理だろうな~~~~。(笑)


新選組 (黒鉄ヒロシ)

2006-12-05 19:34:00 | 漫画家(か行)
<第43回 文藝春秋漫画賞 受賞作品>

白い点の塊がドンドン大きくなっていく・・・かと思うとドンドン小さくなっていく・・・えっ?何だこれは?・・・人間の顔?
・・・と、まあ、まるでアニメーションを観ているような感じで始まるこの作品。
妙にリアルかと思えば、妙にナンセンス。画面が動く動く・・・・・・

池田屋騒動の池田屋の場面。
池田屋全景を描き、内部から、じわぁ~と血が溢れ出てくる様子なんて
実際にそこまで血の海になるわけないのだろうが、うう~ん素晴らしい!
・・・の一言に尽きる。

人が死ぬ。
ドンドン死ぬ。
メチャクチャ死ぬ。
切腹。打ち首。自刃。闇討ち。
・・・血糊ネバネバ。首は転がる。手は千切れ、足はとぶ!!
・・・そのさまは画面が動き出すような錯覚を覚えるぐらい素晴らしい!!!

黒鉄ヒロシが描くとここまで出来るものなのか?と、ただただ感心するのみ。

遺された幕末の登場人物の写真や肖像画を参考に出来るだけ史実に忠実にしつつ、黒鉄ヒロシのセンスで描きあげた、新選組が駆け抜けた幕末の景色。

数多くある新選組関係の漫画の中でトップクラスの出来であることは、確実である。

アカシアの道

2006-11-26 21:14:59 | 漫画家(か行)
(「週刊漫画アクション」1995年9月19日号~11月28日号掲載)


作者はこの作品についてこう語っている。

「ホライズン・ブルー」を全能の神のように上手に完結できなかった私は、
少し負け犬の気持ちになった。
それで「アカシアの道」というのを描いて、別の方向から答えを探ってみた。
やはり気持ちいい答えは出なかった。
なんて恐ろしい話を思いつくんだ、と人に言われた。
癒しがないからねー、私の漫画には。



この作品と「ホライズン・ブルー」、どっちが面白いかというと、
「アカシアの道」の方が面白いと、私は思う。
それは何故か、と考えてみた。



「ホライズン・ブルー」はどちらかと言うと過去の方を重点に描いているが、
「アカシアの道」の方は現在の方を重点に描いている。
その差だと思う。



勿論、児童虐待の克服は過去を振り返るところから始まるのだから過去は重要である。
しかし、作品として読む場合既に現在こういう風になっているのがわかっていて、
過去に何らかの事があった事も推察出来るので、苦しかった過去をこれでもか、これでもか、
・・・と、描写されても苦しくなるだけなのだ。
私などはやはりどこか「救い」とか「癒し」とかが欲しいと思ってしまうのだ。



「ホライズン・ブルー」の最後で
たぶんこれからこの主人公は前向きに生きる努力をしていくんだろうな。
とは思えるのだが、それでももう一つ何かが物足りない。



「アカシアの道」でも作者は
『気持ちのいい答えは出なかった』と書いているが、
前作より、一歩踏み出した感がある。
「過去」より「現在」をどう生きていくか?
読者はそちらの方により関心があるのだ。
少なくとも私はそうだ。





小学校の教師だった母に育てられた主人公の美佐子は非常に厳しく育てられた。
時には

「おまえなんか
おまえなんか
生まなきゃよかった」
或いは、

「グズ バカ ノロマ
どうしておまえは そうなの
おまえなんか わたしの娘じゃない」
・・・と言われながら・・・。
それで、彼女は高校を卒業してから
八年間 母のもとへ帰ってきたことはなかった。



しかし、母がアルツハイマーになり、その面倒を見ることになった美佐子。
少しずつ壊れていく母を見ながら、辛かった過去の事を思い出す。



そして、思いつめた美佐子はある日とうとう川に突き落として母を殺そうとしてしまう!!



・・・が、その時ひとりの青年に止められる。
彼もまた、かつて父親を殺そうとした辛い過去があったのだ。

美佐子は青年に言う。
「ありがとう
もし あの時
母を突き落としていたら……
わたしは 一生
罪の意識を抱えながら
母への憎しみを処理することもできずに
苦しんだはずだわ」

彼女はさらに言葉を続ける。
「これから母と生きていくことで
憎しみをなにかに 変えられるかもしれない……」

青年は「俺には無理だ」とつぶやく。

しかし、美佐子は言う。
「無理でも変えなきゃいけないのよ
親のためじゃなく自分のために……」

「あなたが教えてくれたの
あなたがわたしたち
母子を救ってくれたの」

青年は涙を流しながら呟く・・・。
「俺でも
人の役にたったんだ……」



青年が帰ったあと、静かに寝ている母に向かって美佐子は呟く。
「おかあさん ごめんなさい……」



この言葉は小さい頃、強く叱る母親に何度も何度も言った言葉である。
しかし、今呟くように言った言葉は小さい時言ったことばとは
全く違う意味を持つ。



その後、1年が経ち母親をデイケアセンターで預かってもらえるようになった美佐子。
母親も表情が明るくなり、
自分自身にもゆとりが出来た事を実感する。



ラスト、子供の頃母に「グズ!ノロマ!」と叱られながら歩いたアカシアの道を歩きながら、
美佐子は母親に優しく語りかける。

「おかあさん
わたしこうやって 手をつないでほしかった
おかあさんは やってくれなかったけれど
わたしは やってあげる」
母は素直に答える。
「そう……
ありがとう…」



その母を見つめる美佐子の表情がいい。
何を考えている表情なのか・・・。
それは読者ひとりひとりが考えるものだと思うので
私がどう思ったかは敢えてここには書かないことにする。



ホライズンブルー (近藤ようこ)

2006-11-26 21:04:27 | 漫画家(か行)
(「月刊ガロ」1988年9月号~1990年1月号掲載)


児童虐待の話。



作者はあとがきでこう語っている。

私は面白い物語を描きたかった。
そして、できれば
「虐待した母親と、虐待された子どもは、
どうしたら両方救われるか」
という答えを出したかった。



虐待をする親は自分自身も虐待された体験を持つ者が多いと聞く。
私自身は過保護じゃないかと思えるぐらい甘やかされて育っているせいか、
子どもを虐待した経験もないし・・・虐待するという発想すらない。
どちらかと言うと、ともすれば過保護にしてしまう自分に気付いて、
ここはもっと厳しくしなくちゃいけないのだろうか?と悩む自分がいるぐらいだ。



自分が親になって、時々、
あれ?もしかして自分は自分の親がしていたのと同じ事をしているんじゃないのだろうか?
と、思うことがある。
無意識のうちに親と同じ事をしている自分に苦笑してしまう。
良い事も悪い事も、知らず知らずのうちに自分自身に染み付いてしまっているのだ。



だが、「親はああいう風に育てたけれど、私は絶対ああいう風にはしない!」
と思って実行していることもある。



だから虐待も子供の頃された人は無意識にしてしまうかもしれないが、
自分自身でそれを止めようと思えば出来ない事ではないとも思う。



でも・・・それはかなり厳しい自分自身との戦いがあるのだとも思う。



虐待された子どもがその親を許し、自分自身を許した時初めて虐待を断ち切る事が出来るのかもしれない。
この話の主人公春子の母親は妹の秋美だけを可愛がって育てた。
この母親自身、家族から愛されずに育ってきたという過去がある。
母は春子にこう語る。
「わたしは あんたが こわかった……
あんたの 寂しい 気持ちが わかる分……
自分の 母親としての 自身のなさを
あんたに 見透かされて いるようで……」
春子にすまないと泣く母親に春子は無表情に言う。
「かわいそうに……
おかあさん……」
驚いたように顔を上げて言う母親。
「許してくれるの?」



しかし、春子はこう思う。

わからない
母を許せるかどうか わからない
母を理解できても 同情できても
わたしの過去を作りかえることはできないもの
わたしは大人なのだろうか
本当のわたしはまだ
母を求めて泣いている 子どもなのではないか



ラスト、春子は今まで会おうとしなかった自分が虐待した子どもに会う決心をする。
「うまくいえないけど
由希に あやまりたい……
あの子に許してもらわないと……
わたしは 大人になれないの」



虐待されたことのない私が虐待された人の気持ちを本当に理解することは出来ないかもしれない。
しかし、母親になった自分の気持ちとして、
子どもは良い事も悪い事も母親を基準にして見ているものだから
出来る限り「人間として」……
どういえばいいのだろう?適切な言葉が思い浮かばない。
人間として出来るだけ「良い人間」??になりたい??
??うまく表現できないが・・・
とにかく子どもたちには幸せな人生を送って欲しい。
そう願うのみである。



夕凪の街 桜の国 (こうの史代)

2006-11-22 14:50:40 | 漫画家(か行)
(2004年発行)


ほっこりと寂しくて・・・
はんなりと優しい・・・。



声高に「戦争反対!」と叫んでいる訳ではない。
戦争の悲惨な描写もほとんどない。



戦後10年。
広島の街では
身体だけじゃなく心に傷を抱えたまま生きている多くの人々がいる。



原爆症で倒れた皆実は終いには目も見えなくなってしまう。
その描写で、1ページ半に渡って白いコマのみが続く。
目が見えないという描写なら、真っ黒いコマにすることも出来るのに、
敢えて、「白いコマ」にした所が
何故か・・・哀しい・・・。



その白いコマに皆実の気持ちが書かれている。

嬉しい?

十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

ひどいなあ

てっきりわたしは
死なずにすんだ人かと思ったのに

ああ 風……

夕凪が終わったんかねえ



作者はあとがきでこう語っている。
「遠慮している場合ではない、
原爆も戦争も経験しなくとも、
それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、
伝えてゆかねばならない・・・」




人々が「戦争」をすっかり忘れてしまうと、
また「戦争」が起こってしまうような気がする。
うわべだけの「戦争反対論」にはウンザリするが、
こういう心の底からじわーっと何かが溢れてくるような
そういう作品は、とってもいい。



「あとがき」より

「夕凪の街」を読んで下さった貴方、
このオチのない物語は、三五頁で貴方の心に湧いたものによって、
はじめて完結するものです。
これから貴方が豊かな人生を重ねるにつれ、
この物語は激しい結末を与えられるのだと思います。



う~~ん。私にとっての
この物語の「激しい結末」ってどういうものだろう?
まだまだ、豊かな人生を重ねていないのか・・・
どうも明確な結末は浮かんでこない。



ただただ・・・
「茫洋とした哀しみ」のみが胸に広がっていくばかり・・・。