goo blog サービス終了のお知らせ 

本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

らんま1/2 (高橋留美子)

2006-12-31 00:15:57 | 漫画家(た行)
(週刊少年サンデー 昭和62年36号~平成8年12号掲載)


近頃、久しぶりにらんまを読み返している。
全38巻なので毎晩寝る前に5冊程読んでいるのだがまだ全部読み終わってない。


有名だと思うのであらすじは省略してもいいよね?


最終回はどんな話だったっけ?と思って最終巻を見ると・・・
あらら!?乱馬とあかねって結婚したっけ~~!!??
あわてて読んだが・・・あ~ナルホドね・・・っていう感じ。
ネタばれが嫌な人がいるかもしれないので、どういう結末かはここに書かない。(手抜き?・・・笑)



この作品、もうかなり古いが今読んでも十分面白い。
こういうギャグっぽいコメディって、古くなるとつまらなく感じるものも多いがこれは違う。
大したものだ・・・と思う。


超個性的なキャラたち。
多くの人たちに受け入れられるだろうと思われる魅力的な絵柄。
顔は可愛いし、動きもいい。
少年漫画のアクションものでは服装がほとんど同じ場合が多いが、
この作品では登場人物たちは実に多彩な服装をしている。
中国風のファッションが多いが、どの服も非常に可愛い!!


設定が実にユニーク!
乱馬は水をかぶると女の子、お湯をかぶると元の男の子に変わる!
こんな発想一体どこから来るんだ~~!!
父の玄馬はナント!・・・パンダだし~~~!!
黒豚、猫、あひる・・・よくまあ考えたものだ・・・。



<1巻カバー裏表紙の言葉より>
恋と涙、拳法と剣道と天道、パンダと人間と男と女が大混乱!!



かる~~く、楽しく読める作品。
ちょっと落ち込んだときなどに気分転換に読むのもいいかもしれない。


専務の犬 (高橋留美子)

2006-12-30 09:33:03 | 漫画家(た行)
BIG COMICS SPECIAL
高橋留美子傑作集

ビッグコミックオリジナルに掲載された短編が載っている。

「専務の犬」(1994)
「迷走家族F」(1995)
「君がいるだけで」(1999)
「茶の間のラブソング」(1996)
「おやじローティ-ン」(1997)
「お礼にかえて」(1998)


どの作品も現実の世界にもしかして絶対にありえないとは言えないないかも?
っていう感じのものを上手く「ルーミックワールド」として料理している。

掲載された雑誌が「ビッグコミックオリジナル」ということで、主人公は大人が多い。

学生時代からの友人は重役コースに・・・自分は「平社員」
そして(友人だった)専務に頭があがらない冴えない中年のおやじ・・・。

借金で家族心中しようと思いつめる中年のおやじ・・・。

会社では出来る男と言われ、真面目で誇り高き男だったが、
会社が倒産して失業中の中年のおやじ・・・。

突然、妻に先立たれたが何故か妻は成仏しないで家にいる・・・中年のおやじ・・・。

歩道橋から落ちて記憶喪失になり自分は13歳だと思っている中年のおやじ・・・。


「お礼にかえて」だけは中年のおやじはでてこないが・・・
とにかくこの本は色々なt中年のおやじの悲哀を描いていて、
中年のおやじが読むと、ちょっぴりほろりとするんじゃないのかな?
いや、中年のおやじじゃなくたって、ちょっぴりほろりとして、
身近にいる中年のおやじを大事にしようと思うかもしれない。(笑)

Pの悲劇 (高橋留美子)

2006-12-29 16:14:33 | 漫画家(た行)
(1994年発行)


この本には「Pの悲劇」「浪漫の商人」「ポイの家」「鉢の中」「百年の恋」「Lサイズの幸福」の6編が収録されている。
どれも(一応)普通の家族の物語だ。
(一応)と書いたのは「百年の恋」の、りさばーさんが空を飛んだり念動力が使えたりするから・・・。
このばーさん、高橋留美子の得意とするパワフルな老人だ。
こういう老人を見ていると、どうせ年をとるならこういう風になりたいよね~と思ってしまう。(笑)




嫁・姑の話を描いても高橋留美子調になると、じめじめしていないのがいい。
「Lサイズの幸福」では、姑と同居することになった嫁は

「お義母の頭金貸してくださるから、あたしたちやっと一戸建てが買えるのよっ。
このクソみたいに狭い団地を抜け出すためだもの。
一点非の打ちどころのない嫁になりきってみせるわ。」

・・・と非常に前向きに張り切っている。
その後、自分にだけしか見えない<座敷童>のせいで、姑に誤解されて仲が険悪ムードになりかけても<明るい!>
ラストは勿論ハッピーエンド。
陰湿な<嫁姑もの>にはうんざりするが、こういう明るいのはいい。



「Pの悲劇」は団地でのペット禁止に関する話。
主人公の主婦はある日夫が上司からペット(ペンギン)を一週間だけ預かってしまったため、ペット禁止派の筧さんからペンギンを隠すのに悪戦苦闘する。
こういうテーマを普通に描くとちょっと暗くなりがちだが、これもまたカラッと描いている。
しかもドタバタだけではなくてちゃーんと<深いテーマ>をも描いているのだ。
ペット禁止派の筧さんを単なる動物嫌いの人間にしていない所がいい。



筧さんが団地のペット好きたちに言う言葉。

動物好きな人は善人で、
嫌いな人は悪人なんですか。



筧さんが実は動物好きなことを知って主人公の主婦は気がつく。

筧さんは・・・
許せなかったんだ。
狭い部屋の中で鳴けないこと
走れないこと。
人間のルールが奪うたくさんの自由。
行き場のないことがわかっていても。
空も星も風も光もみんなあなたたちのもの。
私たちが与えるものじゃない。

「Pの悲劇」の<P>は、ペンギンのP、ピットくん(ペンギンの名前)のP、
そしてサブタイトル(ACT1. Petペット)(ACT2. Public公共)(ACT3. Pessimism悲劇)(ACT4. Pease平和)という具合に<Pづくし>にしている遊び心が楽しい。


明治流星雨 (谷口ジロー・関川夏央)

2006-12-23 22:10:05 | 漫画家(た行)
(1995年発行)

第4部は大逆事件。
申し訳ないが、この事件はイマイチ興味がないのでよく知らない。

この作品について関川夏央が書いているのを一部抜粋する。

第4部では、マンガにはなじみにくい「大逆事件」とその前夜をあつかった。
それは、この事件の明治知識人に与えた衝撃と影響の大きさははかりがたく、昭和二十年の破滅へとつながる道はこれによって定められたのであるから、明治精神史を描くなら不可欠であるとみとおしたためだ。
しかし、やはり事件そのものと主人公の性質による束縛から、作品にユーモアという重要な要素に欠けた憾みは大いに残った。


幸徳秋水、荒畑寒村、管野須賀子らを中心にそれぞれの人生、性格、人生観などを描きだし、
大逆事件とは何だったのか、
明治人の精神のあり方とはどういうものだったのかを考察している。

谷口ジローの画力は素晴らしい。
緻密で落ち着いた筆致は明治人を表現するのに非常にふさわしい。

田岡嶺雲と幸徳秋水の別れの場面や
山縣有朋が明治帝に参内する場面の表現などは非常に深い感銘を受ける。
こういう表現はなかなか凡人には出来ないと思う。
百聞は一見にしかず。
よければ、見て欲しい。

・・・で、次回、第5部は最終回。
再び漱石が主人公になる。
今回の第4部のラストで漱石が登場してるのだが、
神楽坂の途中で胃痛で苦しんでいる。

神楽坂の町並みを見ると、今でも探せばこういう感じの所があるかもしれないような気がする。

明治時代って、かなり昔の事のような気がするが、実は案外現代とそう変わりは無いのかもしれない。

棒がいっぽん (高野文子)

2006-12-18 09:24:26 | 漫画家(た行)
(1995年発行)


「美しき町」「病気になったトモコさん」「バスで四時に」「私の知ってるあの子のこと」「東京コロボックル」「奥村さんのお茄子」が収録されている。


どの作品も高野ワールドであり、しかもどれも雰囲気が違う。
すごいな~~って思う。


「美しき町」は1960年代ぐらいかな~?
新しく出来た工場、アパート、そして新しい人々。
私が生まれて育った町もたぶん、当時はこういう雰囲気だったと思えるから何故か親近感を覚える。
高度成長期などと言って、日本中が一生懸命に頑張っていた時代。
古きよき時代の白黒の日本映画を観ているような感じがする作品。



「バスで四時に」
女性がひとりでバスに乗って目的地に行く・・・という話。
女性の心細さを見事に表現している。



「東京コロボックル」
こういう雰囲気、結構好きです♪
我家のTVの裏に住んでると楽しいんだけどな~♪



「奥村さんのお茄子」
う~~~~ん。
実にシュールな作品!
どう展開するのか全く予測がつかない。
登場する女性は「わたし 整形なんです」なんて言って、靴もぬげないし、眼鏡もはずせない!?
先輩は「醤油さし」!!!
ビデオテープは「うどん」!!??


ストーリーに関係なく
「六月六日に雨ざあざあ」
「三角定規にヒビいって」
「お豆みっつくださいな」・・・
って、例のお絵かき歌が書かれてる。


だいたい、突然知らない人に「1968年6月6日木曜日お昼何めしあがりました?」
なんて言われても20数年前のこと覚えてるわけがない。
それに、それが重要な問題っていうのもわからない。


一体、何なんだ~~!!??
・・・と思いながら読んでいく。


これ、一回読んだだけでは実は頭の中が????状態だった。
何度か読み直して、う~~~~ん、こういうことか~~!ってちょっぴり(笑)理解出来た。


その時何をしていたか、同じ時周りにいた人たちが皆その瞬間にしていたことを証明出来れば、
それが真実だってわかる。・・・う~~~ん。そんな風に考えてみたことなかった。。。



ラストページは
「かわいい こっくさん」
で終わる。


ああ、そうか、
お絵かき歌で絵を描くときは、初めはどんな形になるかわからない。
だけど、最後にはきちんと形になるのよね。
なるほど、この作品もそういうことなのね。
それで、この歌が作品中にずっと流れてるのね。
・・・ってちょっと思ったのだけど、どうなんだろう???


秋の舞姫 (作画:谷口ジロー 原作:関川夏央)

2006-12-06 09:30:42 | 漫画家(た行)
(1989年発行)



冒頭部分を見てみよう。



見開き右ページ(本では6ページ)
遠くから歩いてくる軍人姿。
木々のざわめき。
左後方やや頭上からの軍人らしき男性が歩いている様子。
足元には「じゃりじゃり」という擬音。
最後のコマで、立派なひげをたくわえた軍人男性をやや下方から見上げる位置で描く。



見開き左ページ。
場面転換を表す為の木々。
洋装姿の男性を右斜め上方から描く。
歩く男性を横から見た図。
「じゃりじゃり」の擬音。
最後のコマは、男性の歩き去っていく後姿。


森鴎外は読者の方に向かってやってきて、
夏目漱石は読者から去っていくのだ。


つまり、前回「『坊っちゃん』の時代」の主人公は漱石だったが、
今回は森鴎外ですよ。
・・・っていう事だ。


導入部分が粋だよね。


物語は長谷川辰之助(二葉亭四迷)の葬儀のシーンから始まる。
あれ?「舞姫」の話は?なんて読者が思ってると、
漸く、鴎外の21年前の回想シーンとして本編は始まるのだ。


関川夏央のストーリーの組み立ての確かさもさることながら、
谷口ジローの画力の素晴らしさに惚れ惚れしてしまう。


例えば、ドイツから日本に帰ってきた鴎外が自分の両親に挨拶をするシーン。(46・47ページ)
広い二間続きの和室の奥に床の間を背に座っている両親。
手前の部屋から、きちんと正座をした鴎外が挨拶をする。
「ただいま帰りました
長の無沙汰でございました」
両親の返事はない。ただ黙って聞いているだけである。

そして、鴎外は心の中で思う。
(鴎外はこのとき
日本へ帰ったのだとはじめて実感した
この地では個人がひとではなく
「家」そのものがすなわちひとである)


じっと押し黙って座ってる両親。
まるで、人形か写真のようにさえ思える。
とても血の通った人間とは思えない。


このシーンを目で見るだけで、先ほどの鴎外の心境が読者の心にすんなりと受け入れられるのだ。


ベルリンでの初めての鴎外とエリスの出会いシーン。
石畳の上に座り込み声を呑みつつ泣くひとりの少女。
まるで聖母のような可憐なエリス・・・。
その姿を見て、思わず立ち尽くす鴎外。

セリフはないが、二人の心境がよく伝わってくる実にいいシーンだ。


・・・とまあ、こういう風に書いていくともっともっと書きたい箇所はいっぱいあるのだが、
長くなるので、不本意ではあるけれど、この辺で止めておこう。(笑)


とにかく、エリスが実に魅力的な女性として描かれている。


知恵も勇気もある。
胆もある。
義もある。
その上、美しい!


それに比べて鴎外の、なんと意気地の無さ!
尤も、当時の日本では仕方の無かった事だとは、理性ではわかる。
しかし、あんまりじゃあありませんか!


別れを切り出す鴎外にエリスは答える。
「理性は諒解します
・・・しかし情は不実を咎めつづけます
リンタロー
わたくしあなたを終生恨みましょう」
鴎外は答える。
「わたしは日本人だ
日本がわたしだ」



理性では諒解するが・・・終生恨む


うんうん。そうだよね~。
鴎外には鴎外の苦悩があったのは認める。
・・・でもね~。
こんなつまらん男なんてさっさと見限ってもっといい男を見つけて幸せになって欲しい!


残念ながら、エリスがドイツに帰国した後どうなったのかわからない。
エリスは、研究者によるとユダヤ人だったようだ。


長生きしていれば、ヒトラーの演説を聞いたかもしれない。
・・・となると、悲惨な末路を送った可能性もゼロではないと言うことだ。
・・・・・・。

『坊っちゃん』の時代 (関川夏央・谷口ジロー)

2006-12-01 17:09:30 | 漫画家(た行)
(週刊漫画アクション 1986年12月~1987年3月掲載)

<1998年手塚治虫文化賞 大賞受賞作品>

(選考委員評)
原作との共同作業の「豊かさ」を、理想的な形で現実のものとし続けてきた営為に対して深く敬意を表します。(大月隆寛氏)
この作品の中で提示されている「明治文学賞」は、現代文学論としても圧倒的に素晴らしく、たくさんの発見に満ちている。
まさに「文化」としてのマンガの到達点。(高橋源一郎氏)

この作品は膨大な数の資料を基に描かれている。
出来れば、「坊っちゃん」(夏目漱石)を読んだ上で読んで欲しい作品だ。


関川夏央氏の文章
<わたしたちはいかにして『坊っちゃんの時代』を制作することになったか>より一部抜粋
明治は激動の時代であった。
明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。
明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人の中に抜きがたく残っている。
われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。
れわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。
それを知らないのはただ不勉強のゆえんである、というのがわたしの考えであり、見通しであった。
また、ナショナリズム、徳目、人品、「恥を知る」など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ昨日していた時代を描き出したいという強い欲望にもかられた。
そこでわたしは「坊っちゃん」を素材として選び、それがどのように発想され、構築されたかを虚構の土台として国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。


この作品には夏目漱石を初めとして明治時代の知識人の多くが登場する。
森鴎外・森田草平・国木田独歩・石川啄木・平塚明子(らいてう)伊藤左千夫・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)東条英機・島崎藤村・柳田国男・山県有朋・徳富蘆花・・・などなど・・・

酒癖が悪く、脅迫神経症で小心者の漱石。
この苦悩する知識人である漱石を表情豊かに見事なまでに表現したのが谷口ジローの画力だ。

当然のことながら、漫画は絵とストーリーとで出来ている。
どちらかひとつだけが良くてもいけない。
両者が素晴らしくて、しかもお互いに高めあう作用があって初めて素晴らしい作品になるのだ。

<漫画=低俗なもの>と、お考えの方にこの作品を手にとって欲しいと思う。
しかし、そういう方はこの作品をパラパラっとめくっただけで、子供向きではないことぐらいは理解出来るだろうが、本質的な素晴らしさを感じ取ることなくパタンと本を閉じて、心の中で呟くかもしれない。
「・・・、ふん、所詮マンガはマンガ、ばかばかしい。文章を絵で説明しただけの、まあ所謂頭の良くない連中が読む読み物だろう。」

それは大きな間違いである。
確かに「世界名作」と言われるようなものをマンガで描いてるものもある。
それは、原作は文章で書いてるのだから、文章を絵で説明しただけのものだと言われても仕方が無い。
そういうものはレベルの低いものが多いし、例え上手な漫画家が描いたとしても、原作以上に素晴らしい作品になっているものはごくわずかだと思う。

そういうものとこの作品を一緒にして欲しくない。

まず冒頭部分を見て欲しい。
見開きいっぱいに描かれた住宅の屋根、屋根、屋根・・・
一体ここはどこかと思って見ると、
「明治三十八年十一月 東京市本郷区千駄木五十七番地」とある。
「チチチチチ」「チュンチュン」などという雀の鳴き声らしきものも聞こえてくる。
屋根瓦は一枚一枚丁寧に描かれてあって、よく見ると汚れている瓦、ずれている瓦、実にリアルだ。
描かれている家、一軒一軒全て違うものだし、そこに住んでいる人の息遣いまでが伝わってくる・・・そんな情景なのだ。
そして、そこにひときわ大きい吹き出しがひとつ。
「新しい小説を書いてみようと思ってるんだ」

読者は当然ここで、このセリフの主は夏目漱石だとわかる。
新しい小説っていうのが「坊っちゃん」だということも察しがつくだろう。

たったこれだけのセリフだけで読者をこの作品世界に引きずり込んでしまうのだ。

次のページをめくってみよう。

1コマ目は猫だ。
おおっ!これぞまさしくあの「我輩は猫である」のモデルになった猫に違いない・・・と敏感な人は気づくだろう。
黒猫が白猫とじゃれあっている。
とある家の玄関部分。
まだ人物はでてこない。
漱石らしき人のセリフが続く。
「ぼくにはこの国がどこに行こうとしているのか
とんとわからない
新時代 新時代と浮かれる軽佻浮薄の輩を多少からかってみたくなった」

次のページで漸く縁側に座る男性の後姿が描かれる。
「西洋をただ真似ようたってそうはいかねえさ
だいいち真似たところでどうもなりゃしない」

足の爪を切っているその部分のアップ
「西洋ってとこは
あれはあれで結構薄情で独善好みなんだ」

そして・・・始まりから4ページ目で漸く男性が振り向きその顔のアップが描かれる。
「そのうち日本は張子の虎みたいになっちまうのが関の山さ」

・・・で、ペ-ジをめくって5ページ目。

漱石夏目金之助
このとき
満三十八歳十ヶ月

の文字が書かれているのだ。


ああ、やっぱり漱石だったんだ。へえ?38歳なんだ~!
などと読者は思いつつ、読み続ける。


漱石のセリフと、猫の動き、そして語り・・・。


どれも超一流の画力とセンスがなければ描けない。
猫や地面や屋根に映る木々の柔らかな影。
見ているだけでため息が出るくらい美しい。しかも、それらは読者を明治という世界に誘うためのものでもあるのだ。


たったこれだけの導入部分で、
「『坊っちゃん』を素材として選び、それがどのように発想され、構築されたかを虚構の土台として国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」
・・・という原作者の<意図>を感じることが出来る。

人物の気持ちや性格などといったものは勿論、文章でも表現出来る。
しかし、画力の確かな者の手に掛かるとそれはダイレクトに読者の視覚に飛び込んできて一瞬のうちに感じ取ることが出来るのだ。
この作品の中の実に豊かな漱石の表情を見て欲しい。
悩む漱石。驚く漱石。考え込む漱石。。。
まるで目の前に漱石がいるかのような錯覚さえ覚えてしまう、実にリアルで実に魅力的な表情の数々。




この作品は何年も前に某図書館で借りて読んだ。
そして今回再び読もうとその図書館に行ってみたのだが、ナント!無い!!無いのだ~!!!
図書館員に書庫の中まできちんと調べて貰ったのだが、やはりない。。。
どうも、廃棄処分にしてしまったようだ。

何故こんな良い作品を廃棄処分にしたのだろう?
この作品の中に、平塚明子(らいてう)と森田草平のキスシーンがあるから、それに誰かがクレームをつ
けてきた可能性があるかもしれない。

しかし、もしそれが事実だとしたらたったひとつのキスシーンだけで廃棄処分にした人(誰かは知らない
けれど、おそらく図書館の責任者でしょうね)は、作品の良さを全く理解出来ない、或いは理解しようと
しない人だということになる。
廃棄処分にする前にこの本を読んでみたのだろうか?
読んだ上で、廃棄処分にしたのなら、本を見る目が全くないということです。
読まずに廃棄処分にしたのなら、きちんと仕事をしていないということになります。

この本を廃棄処分にした人にお願いがあります。
廃棄処分にした理由を私が納得のいくように説明して下さい。
もし納得がいかないような理由でしたら、
自分のポケットマネーで、廃棄処分にした<良い作品>を全て図書館に寄贈して下さい。
図書館の本は住民の本です。納得のいかないような理由で勝手に捨てられることに私は強く抗議したいと
思います。


ニッポンのマンガ (高野文子 「おりがみでツルを折ろう」)

2006-11-28 09:30:30 | 漫画家(た行)
漫画をよく知らない人には知名度が低いかもしれませんが、
朝日新聞社が主催する
「手塚治虫文化賞」2007年度マンガ大賞受賞
『黄色い本 ジャックチボーという名の友人』
を描いた作者です。



<高野文子インタビューより一部抜粋>
物語ではなく「How to マンガ」を試してみたんです。
目的は、鶴をきちっと折るために役立つこと。
主人公は女の子じゃなくて、鶴なんです。
でも、結局、だんだんこの女の子が何かを訴えかけてくるんですよね。
「また身の上話を聞かされるのか、うるさいなあ」
って思いながら描いていました。



この作品、タイトル通り、初めから終わりまで
「おりがみでツルを折る」・・・それだけの漫画だ。

この漫画を見て、その通りにしたら、確かにきちんとツルが折れるだろう。
確かに「How to マンガ」だ。


「なんだこりゃ~?」


って、思う。
思うけれども、面白い。


ど~して面白いんだろう?
単にツルを折ってるだけなのに・・・。


「ぺたぺた」とか「ぺんぺん」とか「すりすり」とか擬音が面白い。
女の子の真剣な表情が楽しい。
手つきが面白い。


いや・・・そんな細かい所ではない「面白さ」があるんだ。
もっと大きな「面白さ」が・・・。


それは一体何だろう????
・・・と、考えて・・・ようやく気がついた!!


<形のないものが形を作る過程の面白さ。>



目の前でツルを折っている人がいたら、その手先をじ~っと見つめてしまわないだろうか?
絵を描いてる人がいたら、思わずどんな絵になるのか覗き込んでしまう事はないだろうか?
例えば、さぬきうどんの手打ちの実演なんていうのを店先でやってたら、立ち止まって見たいという衝動にかられないだろうか?


そういう面白さ。
それをマンガという表現方法を使って表現している。
人間の持つ、根源的な興味を自由自在にペンと紙を使って表現しているのだ。



マンガには、こういう面白さもあるんだよね。

犬を飼う (谷口ジロー)

2006-11-27 13:06:31 | 漫画家(た行)
(ビッグコミック1991年6月25日号掲載)


作者が実際に飼っていた犬が亡くなるまでの一年間を描いた作品。



年老いて死んでいく犬の姿が、犬の飼い主である作者夫婦の目を通して実にリアルに描かれている。



そして、作者の犬に対する愛情に溢れた作品であるがゆえに思わず涙が出てきそうになる。




我家の犬もあと二ヶ月で12歳になる。
今はまだまだ元気そうに見えるが、もうそろそろ老化というものを考えなければいけない歳だ。



足が弱って散歩にも満足に行けなくなるかもしれない。
立ち上がることも出来なくなるかもしれない。
食事も満足にとれなくなるかもしれない。。。



それは確実にあと数年後にやってくる事実だ。



今から覚悟はしておかなくてはいけないと思う。



しかし・・・長女にこの本を読むように薦めたら、
本の中身も見ないうちに長女はたちまち目に涙をいっぱい浮かべてこう言った。
「お母さん、悲しすぎて今はまだこの本読めない・・・」



ヲイヲイ、今からこの調子だと実際にうちの犬が弱ってきたらど~するんだ~~!?