こんばんわ、先日機会があって私の母親の生まれ育ったあたりを訪ねてみました。
なんと、慶応大学の道路をはさんで東へ入っていったところだそうで、父さん(つまり私の祖父)は旋盤を駆使してネジ作る職人だったそうです。
まさに、オールウェールズを地でいくような生活だったようです。
この通りにも都電は走っていたそうな、もっとも戦前のことですので市電だそうですw
平和に暮らしていたそうですが、この丁度真東にNEC(当時日本電気)があり、その半径ウン十メートルは強制疎開せいとお上からお達しがあり、泣く泣く親戚があった現在の栃木県に一家で越してきたそうです。
その後の東京大空襲で、このあたりも焼野原になってしまったとか。
平和が一番ですな。
もっとも東京からの疎開がなければ今のわたしは存在しないわけで、心中複雑です。
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