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選択枝方式のセンター試験(特に国語)にもの申す
断想 その他
/
2009-01-29 18:24:37
故あって、この間の大学入試センター試験の問題を比較的じっくり眺める機会をもった。その「国語」科目の最初の(現国の)問題を読み、設問を見たときに、私は、打ちひしがれるというか、腹立たしいというか、やりきれないというか、、どうにも心穏やかではいられなかった。
問題は公表されており、ネットからも入手・閲覧できる。⇒河合塾の大学入試センター試験速報サイトにある
PDFファイル
など
文章読解が息抜きになる方は、是非、第1問-問2を見ていただきたい。出典は栗原彬:「かんけりの政治学」。原典自体は(必ずしも私の好みではないが)比較的素直に興味をもって読める文章である。
問題は、問2の設問だ。そのまま引用しよう。
*****
問2
傍線部A「たしかに『複数オニ』や『陣オニ』はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。
(1)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちがいくつもの役割を相互に演じ遊ぶ点で、従来の隠れん坊の枠をこえた、人生の行程が凝縮して経験される苛酷な身体ゲームになってしまっているということ。
(2)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニに捕まった者も助かる契機が与えられている点で、従来の隠れん坊にはなかった、擬似的な死の世界から蘇生する象徴的意味を内包してしまっているということ。
(3)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない点で、従来の隠れん坊の本質であった、社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっているということ。
(4)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちの自由を制限するさまざまなルールが付加されている点で、従来の隠れん坊とは異質な、管理社会のコスモロジーに主導された遊びに変質してしまっているということ。
(5)「複数オニ」や「陣オニ」は、隠れた者も途中でオニに転じることになっている点で、従来の隠れん坊の本義であった、相互の役割を守りつつ競い合う精神からは逸脱してしまっているということ。
*****
私は、あらゆる文章は、(それがたとえ設問文であろうと)書き手が伝えんとすることの本質をとらえるように神経を巡らせて読むよう心がけている。その際重要となるのは、枝葉末節的な誤りに目を奪われず(時には誤りを補ってでも)言語的な論理構造と思考の流れを汲み取ることだと信じている。この姿勢で、問2の設問の選択肢を読んだ、、結果、頭がくらくらした。
誤りの選択肢の文章を考案している人とはいったいどんな人なのか。本当に国語の教育のことを考えている人なのか、、心底疑問に思う。
この国語の問題の点数を稼ごうと思ったら、上述のような私の方針で選択肢を読んではならない。選択肢の真意を読み取ろうとするのは絶対の禁止事項で、選択肢中の部分部分の事項のあら捜しをして、細かい間違いが見つかればそれを排除する、、これを繰り返せば正解が残る。これが最良の方針だろう。
そのような事項の誤りを捜す訓練は、本来の国語力の養成とはかけ離れたことである。むしろ国語力を阻害する訓練といった方がよいくらいだ。(本気でそのような能力を問いたいならば、なまじ文学的な出典を用いずに、法律の条文でも出して、矛盾点を見つけさせるような試験でもすればいいのだ.)
マークシート選択方式は、特に国語の試験には、絶対に相応しくない。強く感じるに至った出来事だった。
~~~~~~~~~~
ちなみに、上の問題の正しい選択肢は3番だ。鬼ごっこのルールの誤りなどを捜し出す方式をとれば、確かにこの答えに達する。しかし私は、こんな正解に価値があるとは思わない。
(なお、解答に関する解説は塾や予備校サイトなどから数多く出ているので、気になる方は検索されたい.)
==========
〔追記〕
問2に対して、記述で答えてよいならば、私ならば例えば次のように書く。(文章は下手だが、選択肢よりはよほどまともだと思う.)
旧来の『隠れん坊』の本質は、安堵できる仲間のもとへ復帰するプロセスにあって、言わば共同体社会的な遊びであるのに対して、『複数オニ』や『陣オニ』の本質は、裏切りや自分だけが助かるスリルを味わうことを目的とする、競争社会的なゲームに変容してしまっているということ。
---追記の蛇足---
選択肢を読む際、不自然な文章にさんざん頭を使わされたあげく、最後に見えてくるのが、「なるべく紛らわしくて、かつ重複正解にはならない選択文をつくろう!」という出題者の思考活動なのだ。だから私は気分が悪くなった。
最後に以下、本設問において正解となる選択肢の文章を再掲し、これに対する文句を書いて止めにする。
『「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない』
-子供の遊びを大人が勝手に解釈して(メシの種としての)著作に利用している-出典の文章はこのような性格のものだ。だから、遊び方の説明について「想定されていない」などと、誰から見ても分かりきっているかのような表現を使うこと自体が不適切だ。原文の筆者は、子供が何をもって遊びの要素と感じているかについて、『連帯社会的』→『利己・競争社会的』のような変質があると(自分勝手に)嗅ぎとって、これを自分の専門と絡めて著述の題材にしているだけのことである。現代風のオニごっこをするときには、仲間のもとへもどる要素が無く、孤独に帰することが想定されている、、そんなことは筆者も思っていないのではないか。
『社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっている.』
これこそまさに勝手な大人の解釈であり、客観的にそのような要素があるかどうか判定できるという性格のものではない。そのような事柄の記述に際して「完全に欠いてしまっている」などという強く断定的な述語をもって来るのは、異常な国語感覚である。”過度に断定的な表現の選択肢は正答でないと思え!”という受験テクニックを意識して、それに反するようにわざと断定的な表現を用いた、、と思えば分からなくもないが、、
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「因果」を考える (17)
初等物理の気まぐれ考究,物理教育放談
/
2009-01-24 02:35:16
本稿は以下の続きである。
・
07-12-05「因果」を考える
・
07-12-31「因果」を考える (2)
・
08-01-19「因果」を考える (3)
・
08-03-11「因果」を考える (4)
・
08-04-10「因果」を考える (5)
・
08-04-30「因果」を考える (6)
・
08-05-09「因果」を考える (7)
・
08-05-27「因果」を考える (8)
・
08-06-29「因果」を考える (9)
・
08-08-28「因果」を考える (10)
・
08-09-07「因果」を考える (11)
・
08-09-30「因果」を考える (12)
・
08-10-06「因果」を考える (12-b)
・
08-10-19「因果」を考える (13)
・
08-11-10「因果」を考える (14)
・
08-11-30「因果」を考える (15)
・
08-12-24「因果」を考える (16)
-----
因果の意味・役割を巡って、(多少右往左往もしたが)考え方の見通しはかなり良くなってきた。この段階で、ドミノ倒しモデルや、さらにまた、以前に扱った'水漏れ水路モデル'の記述を振り返ると、原因や結果の事象の(言語的)表現がまだまだ明確でなかったことが分かる。
ドミノ倒しを例にしたこれまでの記述において、ある一個のドミノと、別の一個のドミノの、運動の連鎖的つながりを考えるという方向は、力学モデルにのせることに捉われており、事象全体としての「因果」がどのように認識されるかの思慮が不十分であった。そのために、厳密に論じようとすればするほど、本来考えたい因果の意味から逸れていくような違和感があった。しかし、我々が、ドミノ倒しの事象を見て感じ取る本来的な因果関係をストレートに表現することは、実は可能であったのだ。先に紹介したドミノデイ2008の例を使えば、次のような表現が、それを実現する方法だ。
『
「Leeuwardenのドミノデイ2008の会場において、11月14日の*時*分に、(元ミス・フィンランドの)Salima Peippoさんが、1個のドミノを倒したこと」
が原因となり、
「同日*時*分頃に、ドミノ倒しの個数の世界記録である4,345,027個以上を倒すことを達成する」
という結果が生じる。
』
このように表現した因果の事象関係は、1対1に限りなく近く、結びつきも十分強いことは、誰しも納得できるだろう。時刻までが指定されるとなれば、予想外の擾乱の影響は考慮から除外してよいだろうし、また、予め、この因果的つながりが実現することの確率を考えることにも十分な意味がある。
(余談ながら、この確率として多分7~8割の成功が見込まれないと、資金を投入するエンタテイメントとして成り立たないだろう.)
=====
〔追記〕
上の記述で、最初の1個を倒す人の名まで特定したのは、詳細に過ぎる指定だったという面はある。因果を科学的に扱うということは、事象がある程度一般化できる、すなわち再現性をもつということだろう。再現性というのは、原則的には、何時何処で誰がやっても同じになることを意味する。ところが、上の、表現では、何時-何処-誰 の全てが指定されてしまっている。したがって、この因果表現は再現性を度外視したもので、科学法則とは遠いところにある。
ここに、大規模ドミノ倒しのような複雑な事象の因果を問題にする場合の難しさがある。上の例で、人の指定を外すことはできる。ただし、この場合のスターターは誰にもできるとは思えない。運動機能に優れ訓練した人でなければ、重大な失敗(例えば、戻る途中にロープから落下して途中の駒を倒してしまうど)をする可能性が無視できなくなるだろう。また、外的擾乱の程度は、会場や時間帯などによって、まさにまちまちだろう。有意義な因果関係が成立するか否かは、物理的モデルとそれに直接関与する科学法則を考える範囲内では、必ずしも決定できない、、このような事情にあるようだ。
<ing>
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