はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は以下の続きである。
07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)

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大分間が開いてしまいましたが、年度末の仕事のことと、(家族順番に)厄介な風邪をひいたこと等によります。継続に迷いが生じたとかいうことでは全然ありませんので、、、淡々と続けます。
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前回、「因果関係」が認識されるときの「原因」の側は、結果として起こる事象の理由・要因・要件などになっているだけでは不十分であることを説明した。そして、そこに物理的時間の流れの問題が介在することを述べた。しかし、現象が時間遅れを伴うこと自体が根本的な意味をもつというわけではない。原因と結果の間の時間差は確かにあるのだが、それが必須であると言ってみたところで、本質が見えてくるわけではなく、釈然としないままである。「因果関係」という認識が生じるためには、大元にもっと本質的な要件がある、、ここが重要かつ難関だ。

(私見としての)結論めいたことから言おう。「因果関係」における原因とは、結果までを含む、着目する現象の全体から(かなり)独立した事象でなければならないのだ。もっと言えば、この「原因」は、考えている現象のもう一つ外側からの外因によって主に設定され得ることが大前提になっている。この前提を成り立たせるためには、結果からの跳ね返りがある程度遮断される必要がある。つまり、原因から結果に影響が向かうプロセスが一方向的でなければならない。ここで、物理的不可逆性をもたらすのが、時間の一方向的な流れ、および、区別のつかない場合の数の増大(エントロピー増大)の効果であることに思い至るだろう。この事情のため、因果関係が認識される物理現象においては、一方向的な時間発展が必ず顔を出す。具体的な物理現象の言葉で言えば、非定常非周期運動、非定在的な波動、拡散現象、熱力学プロセス などの少なくとも一つが、原因から結果に至る現象のつながりの中に含まれていることが基本になる。これを、もう少し具体的なモデルの話に戻して考えよう。
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