はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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最近、'80年代以前のポピュラーソング(洋も邦も)の名作にあらためて聴き惚れ、子供の頃には分からなかった歌詞の意味などを再発見して、一人感嘆することが趣味みたいになっている。YouTube(およびchromecast)と、そこにアップしてくれている世界のネットユーザーのおかげということになるだろう。今回は、意表を突いて、この関連のちょっとした情報発信を試みる。

さて、某大手コンビニでBGMとしてよく流れている、モンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」。気分よくのれる軽快性の上に、何か独特の’落ち着きのある浮き浮き感’みたいなテイストを発揮する曲であり、一度聞いたら必ず記憶に残る不巧のポップスナンバーだろう。
この歌詞の意味など、今までほとんど考えたこともなかったが、YouTubeでじっくり味わううちに、詞の意味が気になって仕方なくなった。原lyricsはネットで簡単に見つかる。英文は簡単なのだが、何が言いたいのかが曖昧に書いてあって、もやもやが残る。そこでネット上で日本語訳を探してみると、確かにいろいろあって参考にはなるのだが、私が英語の原詞を見たり聴いたりして、そこかしこで気になる肝心の部分が表現されていない(意味がかき消されている)ものばかりだった。ということで、はぎわら_m 流、、徹底的に文章を反芻して、曖昧さの構造を解析した上での私なりの訳詞を公開しようと思う。

先ず、歌詞の原文を(音楽著作権等が絡むそうなので、リンクで)示す。
DAYDREAM BELIEVER/うたまっぷ.com

さて、予め、私なりの理解のプロセスをメモしておく。先ずこの歌が描く場面は、早朝における(恐らく結婚して日の浅い夫婦または同棲の)男女の寝室である。つまり、大胆にも、朝のベッドシーンで始まる歌なのだ(クラッシックのオペラ ’ローゼン・カバリエ’の出だしが確かそんなだった.)。先ずこの場面性を意識しないとだめだ。二人暮らしは既にスタートしているから、緊張感などはほとんど無い。しかも、寝起きのタイミングらしいから、つらつら考えた想いを述べるような状況でもない。必然的に、たわいもない戯れのような言葉が連なるものと考えるのがよさそうだ。
さてそして、流行歌の詞というのは、多くの場合、表の意味と並行して裏の意味を暗喩するかのようにできている。裏とは、大抵、いわゆるエッチな連想に訴えかけるもので、日本のアイドル歌謡など殆どがその要素を利用して成り立っているのはご存知の通り、、(これは私だけの妄想では無いはず...ただし、「もしかしてこんな意味ですよね.」と問うても、「違います!文章のとおりですよ.」と反論できるように出来上がっている..)。

こう考えると、この歌詞の曖昧な文章、やや不自然な言い回し、などの全てが、この路線に沿って巧みにつくられたものとして理解できてくる。

分かりやすい部分としては:
「our good times start and end without dollar one to spend」
「how much, baby, do we really need」

もしかしたら...の部分としては:
「Oh, what can it mean」(この歌詞で一番曖昧で訳し難い文.この訳し方が全ての鍵.)
「a white knight on a steed」(すごくやばい例えかも..)

ここで、モンキーズの歌そのものを聴きましょう。
Monkees - Daydream Believer (1967) HD 0815007

そして、はぎわら_m による訳詞はどうなるか。
ただし、わざと直訳風にしています。したがって暗喩であることをあからさまには表現していません。連想すれば連想できる、、それが可能なように注意して日本語に訳さないと曲のエッセンスが抜けてしまう、、これが今回の主張。

Daydream Believer
作詞 (および作曲):John Stewart
訳詞:はぎわら_m (ver.3.3)

あぁ、、あの左右の翼の下に隠れられたらいいのに、、
さえずっている彼女-あの青い鳥の.
この6時のむかつく(sick)アラーム音が鳴らなきゃいいんだけど
でも鳴ってて、僕は起き上がるのさ.
両目をこすって眠気を拭うよ
僕のカミソリの刃は冷たくて、ヒリヒリ刺激してくれる.

元気アップしてっ、眠たそうなジーン!
さーぁ、一体何を意味しているんだろーな?
空想を本当みたいに思える僕と、‘ホームカミング・クイーン’の君、二人にとってさ.

はじめの頃、君は僕のことを、
馬上の白騎士みたいに思ったんだよね.
そして今では君は、僕がどんなにハッピーになれるかを知ってる.
あぁ、、それで僕ら二人の(何回もの)グッドタイムが始まって終わるわけだ、、
1ドルのお金も使わずにね.
でもさぁ、ベイビー(は)、現実的にはどれだけ要るかなぁ.

(※)
元気アップしてっ、眠たそうなジーン!
さーぁ、一体何を意味しているんだろーな?
空想を本当みたいに思える僕と、‘ホームカミング・クイーン’の君、二人にとってさ.

※繰り返し


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【追補】 ここまできたら、さらに大元の所まで言及したくなった。
どうして上の(※)が何度も何度も繰り返されて、そして、それが心地よく響くのだろうか。大体からして、'daydream believer'と'homecomming queen'という言葉は何を表現するために導入されたのか。今やよく分かる。'homecomming queen'は、男が惹かれるイイ女の表象であり、女性のセックスアピール性をイメージさせるための語である。daydream believerは、これと対比する形で使われており、あまりぱっとしない、少なくとも昼間の行動のパフォーマンス低めの男性をイメージさせる。このパフォーマンス低めの言わば並の男性が、セックスアピール抜群のイイ女性をゲットして、その彼女を”寝坊すけジーン”なんて呼び捨てにして、毎朝・毎晩、思わせぶりな戯れ言葉を語りかけられるような立場に立っている。気分いいぞ! (※)の繰り返しフレーズは、このような(男側からの)達成感・爽快感を連想させる効果を発揮するのだ。もちろん、どっしりと自信に満ちたようでかつ浮き浮きした感覚を表現するのにぴったりのシンプルで印象的な旋律の効果も抜群である。かくして、ポップスの名作品は出来上がったということなのだろう。

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〔付記〕
以上はもちろん、私なりの一つの見方です。流行歌の歌詞の意味なんて、感覚・雰囲気でとらえるものだから人それぞれで、決まっちゃいない!とする意見に立ち向かうものではありませので、念のため。
また、「そんな事は誰も皆それとなく分かっている.理屈っぽく言葉にしないだけだ.」とのご意見があれば、静かにうなずいておくのみです。

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P.S.
これでもか これでもかと、セクシュアルな暗喩の想像を迫ってくるJ-POPの代表的名曲と言えば?、、私なら松田聖子の『ピンクのモーツァルト歌詞)』をあげたい。’近日中’とはいかないだろうが、この歌詞の完全意訳を載せることを計画中。(大丈夫か. 物理学者 はぎわら_m!)
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故あって、この間の大学入試センター試験の問題を比較的じっくり眺める機会をもった。その「国語」科目の最初の(現国の)問題を読み、設問を見たときに、私は、打ちひしがれるというか、腹立たしいというか、やりきれないというか、、どうにも心穏やかではいられなかった。

問題は公表されており、ネットからも入手・閲覧できる。⇒河合塾の大学入試センター試験速報サイトにあるPDFファイルなど
文章読解が息抜きになる方は、是非、第1問-問2を見ていただきたい。出典は栗原彬:「かんけりの政治学」。原典自体は(必ずしも私の好みではないが)比較的素直に興味をもって読める文章である。

問題は、問2の設問だ。そのまま引用しよう。

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問2
傍線部A「たしかに『複数オニ』や『陣オニ』はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選べ。

(1)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちがいくつもの役割を相互に演じ遊ぶ点で、従来の隠れん坊の枠をこえた、人生の行程が凝縮して経験される苛酷な身体ゲームになってしまっているということ。

(2)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニに捕まった者も助かる契機が与えられている点で、従来の隠れん坊にはなかった、擬似的な死の世界から蘇生する象徴的意味を内包してしまっているということ。

(3)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない点で、従来の隠れん坊の本質であった、社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっているということ。

(4)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちの自由を制限するさまざまなルールが付加されている点で、従来の隠れん坊とは異質な、管理社会のコスモロジーに主導された遊びに変質してしまっているということ。

(5)「複数オニ」や「陣オニ」は、隠れた者も途中でオニに転じることになっている点で、従来の隠れん坊の本義であった、相互の役割を守りつつ競い合う精神からは逸脱してしまっているということ。

*****

私は、あらゆる文章は、(それがたとえ設問文であろうと)書き手が伝えんとすることの本質をとらえるように神経を巡らせて読むよう心がけている。その際重要となるのは、枝葉末節的な誤りに目を奪われず(時には誤りを補ってでも)言語的な論理構造と思考の流れを汲み取ることだと信じている。この姿勢で、問2の設問の選択肢を読んだ、、結果、頭がくらくらした。

誤りの選択肢の文章を考案している人とはいったいどんな人なのか。本当に国語の教育のことを考えている人なのか、、心底疑問に思う。

この国語の問題の点数を稼ごうと思ったら、上述のような私の方針で選択肢を読んではならない。選択肢の真意を読み取ろうとするのは絶対の禁止事項で、選択肢中の部分部分の事項のあら捜しをして、細かい間違いが見つかればそれを排除する、、これを繰り返せば正解が残る。これが最良の方針だろう。

そのような事項の誤りを捜す訓練は、本来の国語力の養成とはかけ離れたことである。むしろ国語力を阻害する訓練といった方がよいくらいだ。(本気でそのような能力を問いたいならば、なまじ文学的な出典を用いずに、法律の条文でも出して、矛盾点を見つけさせるような試験でもすればいいのだ.)

マークシート選択方式は、特に国語の試験には、絶対に相応しくない。強く感じるに至った出来事だった。

~~~~~~~~~~
ちなみに、上の問題の正しい選択肢は3番だ。鬼ごっこのルールの誤りなどを捜し出す方式をとれば、確かにこの答えに達する。しかし私は、こんな正解に価値があるとは思わない。
(なお、解答に関する解説は塾や予備校サイトなどから数多く出ているので、気になる方は検索されたい.)

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〔追記〕
問2に対して、記述で答えてよいならば、私ならば例えば次のように書く。(文章は下手だが、選択肢よりはよほどまともだと思う.)

旧来の『隠れん坊』の本質は、安堵できる仲間のもとへ復帰するプロセスにあって、言わば共同体社会的な遊びであるのに対して、『複数オニ』や『陣オニ』の本質は、裏切りや自分だけが助かるスリルを味わうことを目的とする、競争社会的なゲームに変容してしまっているということ。

---追記の蛇足---
選択肢を読む際、不自然な文章にさんざん頭を使わされたあげく、最後に見えてくるのが、「なるべく紛らわしくて、かつ重複正解にはならない選択文をつくろう!」という出題者の思考活動なのだ。だから私は気分が悪くなった。

最後に以下、本設問において正解となる選択肢の文章を再掲し、これに対する文句を書いて止めにする。

『「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない』

-子供の遊びを大人が勝手に解釈して(メシの種としての)著作に利用している-出典の文章はこのような性格のものだ。だから、遊び方の説明について「想定されていない」などと、誰から見ても分かりきっているかのような表現を使うこと自体が不適切だ。原文の筆者は、子供が何をもって遊びの要素と感じているかについて、『連帯社会的』→『利己・競争社会的』のような変質があると(自分勝手に)嗅ぎとって、これを自分の専門と絡めて著述の題材にしているだけのことである。現代風のオニごっこをするときには、仲間のもとへもどる要素が無く、孤独に帰することが想定されている、、そんなことは筆者も思っていないのではないか。

『社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっている.』

これこそまさに勝手な大人の解釈であり、客観的にそのような要素があるかどうか判定できるという性格のものではない。そのような事柄の記述に際して「完全に欠いてしまっている」などという強く断定的な述語をもって来るのは、異常な国語感覚である。”過度に断定的な表現の選択肢は正答でないと思え!”という受験テクニックを意識して、それに反するようにわざと断定的な表現を用いた、、と思えば分からなくもないが、、


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先日07-11-20記載の稿の末尾に、〔おまけのおまけ〕を加えました。
カッパーフィールドのトリックに見る、騙しの手法の一般論について。

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今回は、息抜き的に、ちょっとしたサイト情報と断想を記す。
もっともらしい解説を安易に鵜呑みにすべきでないという警鐘。

(1) 〔激減していた少年犯罪〕
「犯罪を犯す疑いのある14歳未満の少年に対しても警察官の調査権限を認める」、「14歳以下でも少年院送致できるようにする」などの内容をもつ少年法改正案が、本年5月に国会で可決され、6月に公布され、この11月1日から施行されるに至っている。この改正の動きの布石のように「少年の凶悪犯罪が増えている.」旨の論調の報道がなされていたが、実は、統計上の事実としては戦後の少年犯罪は大幅に減少している、、という話題(関心のある人にはよく知られた話)。

改正少年法が施行へ(47NEWS-共同通信)
経緯と問題の概要等(日弁連)
2004年までのデータ:少年犯罪統計データ(少年犯罪データベース/管賀江留郎氏)
改正直前年までの状況:少年犯罪の「増加・凶悪化」は本当か-Benesse教育情報-
その他:キレやすいのは誰だ(反社会学講座/マッツァリーノ氏)
新旧対照条文



(2)〔レミングの集団自殺はヤラセ・ねつ造だった〕
まともに考えれば到底信じられない「レミングの集団自殺(死の行進)」。実は、集団で長距離移動する習性があるが、進んで自殺に向かうというのはウソで、単に移動中の事故死が多数出る場合があるということらしい。誤った俗説に合わせた映像を撮るために、残酷な動物虐待のヤラセを行う会社が存在したという事の方が、人間集団の異様性を語っていて、むしろ戦慄的。
レミングの集団自殺(懐疑論者の祈り/Wakashimu氏より)
死の行進は本当か?レミング (タビネズミ)(UMAファン~未確認動物/ナム氏)


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(3)〔!!!〕
しかし、まあ何と言っても、近年の最高クラスの騙しは、「イラクには大量破壊兵器があることを事実として知っている.」とか「大量破壊兵器を隠している『否定できない証拠』がある.」などと明言したアメリカブッシュ政権の言葉だろう。

「イラクに大量破壊兵器の備蓄なし」米調査団が最終報告(朝日新聞(asahi.com))
「DCI Special Advisor Report on Iraq's WMD」の全文(米国CIA)
このレポートは長大。要点の項目は、以下の英語版Wikipediaのページ中の「Duelfer Report」の箇所にまとめられている。
'Iraq Survey Group'/ Wikipedia
『幻の大量破壊兵器』はいかに捏造されたかイラクの脅威を誇張し続けたブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する(神保哲生official blog)

ブッシュさんはもちろんのこと、パウエルさんも、ライスさんも、小泉さんも、福田康夫さん(当時官房長官)も、最終報告書の結論を踏まえて、当時の自分の判断に対する反省や説明をすることが絶対に必要ではないのか。政治家トップクラスの判断に伴う責任が、だんまりを決め込こんでいれば済んでしまう程度のものとして扱われている、、全く信じ難いイリュージョンの世界に迷い込んだかのような感覚に襲われる。(息抜きにならなくなりました.)


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〔おまけ〕
上の「懐疑論者の雑談」サイトには、カッパーフィールド 自由の女神消失のイリュージョンの謎解きなども出ている。気分転換と、騙されないための頭の体操になり、なかなか面白い。


〔おまけのおまけ〕
上のカッパーフィールドのトリックに、普遍的な騙しの手法を見ることができる。(1)目立つ基準(座標軸とも言える)を与えることで、相手に意識されないで視線方向を強制することができる.(2)全体を少しづつ変えていくと、気づかれぬうちに大きな変化を起こすことができる.(3)都合のいいところを明るく照らせば、都合の悪いところが見え難くなる.(4)(レーダーなどの)いかにも科学的・専門的な道具を持ち込むことで、一般人が自力で詮索する気力を遠のけることができる.(5)あからさまなフェイクやはったりも大胆・堂々と織り交ぜよ.それは騙されたがっている人への決め手のプレゼントだから.
-長々コメントはしないが、、民主国家の国民はこういう手口にも通じておく必要がある、、-

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線けい代数、線けい写像、線けい磁化率などの「けい」の字は、「形」か「型」か。私はかねてより「型」派を通している。「型」の辞書的な意味:”名詞と形容詞の語幹の下に付いて、ある性質や特徴などをもつことを表す.”がぴったりくるように思うからだが、人が「線形」を使うことは別に気にならない。ただ、時おり、よその先生とのやりとりの中で、些細なフリクションが起こるというか、意識せざるを得ない場合も生じる(実は今日あった)。そんな訳で、ちょっとWebサイトをあたって見ると、同じようなことを思い巡らせている研究者の記述があったので、紹介させていただく。

線型と線形/示野信一氏


私は、科学において、言葉の問題は(一般に認識されているよりも)大事なことだと常々思っている。しかし、それは実は、名詞語の選び方といった"体言"にまつわることではなく、動作や様態などを表す"用言"的な言葉の使い方にこそ重大な問題があるという意味なのだ。

(今どうにも時間がないので、続きを後日別記する予定。とりあえず、、、)

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気がつけば、このBlogを開設して一周年が過ぎていた。
当初は、一日一記事の投稿を考えていたが、これは(自分でも予感したように)即座に挫折した。まあ、ものぐさかつ筆不精の小生としては、何とか平均週一以上の投稿を目ざす、、あたりが息切れせずにちょうどいいというのが目下の認識だ。(ぐちを言わせてもらえば、種々雑多の用務と、種々個性的な学生の指導を抱えて、仕事以外の余力がほとんど無くなってしまうんです、、ホントニ、、)

来訪者数などどうでも良いと思って書き始めたが、管理ページに行くたびに、前日のアクセス数が見えてしまうので、全然気にしないというのも難しいものだと実感した。ただし、アクセスを競う気持ちが前面に出ると、一時的には無理を通してしまう気力の原動力にはなるが、ハタと我に返って急に冷めればそれっきり、、ということになるのが見えているので、ある程度意識的に、熱くならないよう心がけてきたという部分もある。

考えてみれば、リストラだの「勝ち組」「負け組み」だのという恐怖感と欲の気持ちに訴える手法によって企業収益を持ち上げてきた昨今の企業経営の戦略についても同じようなことが言えるだろう。日本人の滅私奉公的な勤勉さも、もはや限界に達している。国民も、さすがに、このおかしな「戦後最長の好景気」のカラクリに気づきはじめている。

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一応の節目ではあるので、これを機に、当ブログ(無料版です)のタイトルのあたりのデザインを少し改めてみることにした。

色彩トーンの変わり目をどのように自然につなぐか、、予想どおりなかなか難しい、、(どなたかよい参考サイトなど教えて下さい)。というわけで、改訂途中の暫定版での二年目スタートとなってしまった。

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ベネッセ社の育児雑誌「たまひよ」のCMがちょっとした話題になっているのをご存知だろうか(livedoor ニュース)。同社では、特に動じることなく、サイト上で動画を公開し続けているのが頼もしい(?)。

Netたまひよ/たまひよCMコーナー

ご覧になった感想や如何に。

(ちょっと硬いと自分でも思っていた)当ブログ初のソフト路線の話題でした。

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