はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は、以下の続きである。
07-03-27 浮力の説明の謎
07-04-03 浮力の説明の謎 (2)
07-04-11 浮力の説明の謎 (3)
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科学的な方法論の本質的特徴は、どこまでを考慮の対象にするかに応じて、適宜、事象やその構成要素を単純化・理想化して扱うことにあると言える。今考えている「浮力」の問題についても、ある場合には、流体中にある物体を ‘完全剛体’、さらには、‘体積の広がりをもつ以外は質点と同様のもの’ と見なした扱いがなされる。「剛体化原理」と呼ばれる、定常釣り合い状態の扱い方が、この立場に対応する。このときは、もともと、物体が「ぎゅうぎゅう押し付けられる」とか「潰れる」とかいう概念が存在しない立場をとるわけで、前掲の浮力の説明図も、アルキメデスの原理を導くための正しい計算処方になるとは言える。例えば、(現実の物体ではなく)流体中に仮想した任意閉曲面内に作用する浮力の値を求めるときに、この扱いは正当である。

しかし、初学者に対して、現実の物体へ働く浮力をイメージさせながら、前掲の抽象的な立場の説明図を使って浮力の機構を説明するのは、全く不親切、というか不適切である。浮力の効果は、底面の存在と関係なく、全体が軽くなる効果も伴うことが経験的に明らかであり、この経験的理解を封殺しておいて、科学的思考を育むことになるわけがない。

さてそこで、現実の浮力の問題を考えるときの舞台をあらためてよく確認することから再出発しよう。面倒な手続きと思う人もいるだろうが、これを行うことで、新たな爽快な見通しが開けることを示すことができる。<続く>

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本稿は、以下の続きである。
07-03-27 浮力の説明の謎
07-04-03 浮力の説明の謎 (2)
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「豆腐の表面が水圧を受けて押し込まれる力を受け、それが浮力の起源になる.」という解釈が如何に不自然であるかは、以下の図のような状況を考えれば、はっきり実感することができるだろう。

図のように、石のまな板に乗った(絹ごし)豆腐を考える。石のまな板は十分硬く、また、その表面は平面仕上げされており、豆腐との間に隙間が生じることはない。このまな板上の豆腐の浮力の状況を、水中に入れたときと、水中から出したときとで比較する。
水中に入れたとき、この豆腐は、浮力を受けて、自重による変形が軽減され、崩れにくくなるだろうか、、あるいは、そんなことは起こらず、浮力の効果は表れないのだろうか。

(前掲の)浮力の説明図を知らないか、あるいは知っていたとしても納得しなかった人は、素直な経験に基づいて、まな板の上にあろうがなかろうが同様に豆腐は軽くなると思うだろう。

一方、浮力の説明図を信じ込んでしまった人は、この場合の豆腐の底面には水圧がかかりようがないことに気づき、慌てることになる。その後の反応は二通りに分かれる。ある人は、底面以外のところに描かれたベクトル矢印の足し算を考えて、豆腐はまな板に押し付けられる一方で、軽くなるはずがないと(自己洗脳的に)信じ込んでしまう。こう考えると、水圧はもろに豆腐をまな板に向け押しつぶす効果をもたらすことになるが、これはさすがにおかしいと気づいた人は、「石のまな板から豆腐が受ける力を考えるべきなのか、、」とか、「豆腐の内側の水分の効果はどうだろう?」とか思い悩み、迷路から抜け出せなくなって、ついには「物理とは分らぬものだ.」という、欲求不満や、諦めや、挫折の印象だけが残ることになってしまう。なまじ、浮力の説明図を知っていると、正しい自然現象の認識とその本質的な理解が妨げられてしまうのだ。
<続く>

===追記===
実際に豆腐を使って実験した結果を写真にして載せようと試みたが、水から出した豆腐は自ら水分を失って(結構なはやさで)縮んでいき、また、そうこうしているうちに欠けたり崩れたりして、説得力のある一目瞭然の写真を揃えるのは案外難しいことを認識した(日ごろ台所仕事をしていないことの反省を迫られた)。別の材料を使ってもう一工夫してみようと思う。ただし、豆腐への浮力の効果が、豆腐の底が水槽底面に着いたとたんに変容したりしないことははっきり実感できた。やはり、各自、流しや風呂で試してもらうのが一番いいのかも知れない、、(ただし、豆腐一丁持って風呂場に行くと、家族に、奇行と見られるのは必至だが、、、(^^;)。

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以下は、07-03-27 浮力の説明の謎 の続きである。
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前回掲げた、浮力を説明するためにしばしば使われるは、いろいろな側面の問題を提起している。一番根本にある問題は、力の概念の理解が曖昧なままに、力(または圧力)を使って現象を説明しようとすることの無理にあると言える。

また、力のベクトルを表す矢印が、意味が不明確なままに多用される(状況によって使い方が移ろい、学習者の誤った直観を誘発する)悪しき習慣にも問題がある。

さらに、深いところに横たわっているのは、浮力を考える場合の力学要素である媒質流体(水)、その容器、浮力を受ける物体などに対して、(質点系の力学における)剛体、弾性体、圧縮性流体、非圧縮性流体 などの考え方をどのように使い分けて適用すればいいのか、、という大問題なのである。そして、このようなことを整然と説明している記述は、まず見かけることはない。

しかし、ここでは、以上のような力概念や質点系の扱い方の根本にまつわる理屈っぽい解説から入ることを避けよう思う(話が退屈になる恐れがあるので、、)。数学や力学体系の詳しい知識無しで考察が進められるような、ありありとしたイメージを使って話を進めようと思う。

力概念や質点系の扱いなどとは関係なく、学習者が、この図を納得できないように感じるのは、(絹ごし)豆腐や、ゼリーや、寒天や、プリン、など、崩れやすい物体を水中に入れたときの状況を思い浮かべたときなのだ(あるいは、潰れることのない海中のクラゲ、深海魚、スキンダイバーも好例だ)。絹ごし豆腐は、水中では、浮力のために比較的安定に形を保つが、水から出して、まな板にのせると自重で大きく変形してしまう。ここで下手に手で押したりすれば容易に崩れてしまうことを、我々は日常の経験として良く知っている。豆腐の表面が、水圧を受けて押し込まれていて、その上下方向の力の差が浮力の起源になるというのは本当なのだろうか?? この疑問は科学的に真っ当であり、このことを回避して、説明(あるいは理解)したつもりになることは、科学的精神の欠如にもなりかねないことをはっきり認識しよう。

この豆腐の疑問に対して、「手で押す場合などは場所場所で不均一な力がかかって壊れるが、水圧は各場所に連続的にかかるから壊れない.」という答えを用意する人がいるかも知れない。この解釈表現は、一面は正しいのだが、水中の豆腐の疑問に答えるための本質には全くなっていない。

そこで、この「豆腐の疑問」をもう少し明快な形にした上で、考察を進めようと思う。
<続く>

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