はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は以下の続きである。
07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)
08-03-11「因果」を考える (4)
08-04-10「因果」を考える (5)
08-04-30「因果」を考える (6)
08-05-09「因果」を考える (7)
08-05-27「因果」を考える (8)
08-06-29「因果」を考える (9)
08-08-28「因果」を考える (10)
08-09-07「因果」を考える (11)
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前稿の終わりに示した疑問については、ヒントを参考に解決した(あるいは最初から疑問が存在しなかった)人も少なくないと思うが、あえて悩ましい問いかけをしてしまった経緯上、解答的な説明を続けることにする。

<例その1>で、ロケットの運動を問題にする場合に考慮すべき力は、「ロケットに作用する力」なのであって、「ロケットエンジンの推力」ではない。この混同が誤解の根源になっていることが、ヒントなどから推察できるだろう。

‘ロケットエンジンの推力’は、まさに起源の側から考えた力にちがいない。だが、一般に、「起源の側がもたらす力とは何か?」という問いを、静力学的な立場でいくら考えても答えは出ない。結局のところは、Newton方程式における「運動する要素に作用する力」の考え方を経由して初めて意味が明らかになるという事情にある。この事情を、単純なモデルで明確かつ定量的に考察できる貴重な例が‘ロケットエンジンの推力’なのであるが、、この内容に立ち入ると話の流れが逸れてしまうので、ここでは、「起源の側がもたらす力」の意味をあまり詮索せずに進めることにしよう。

‘ロケットエンジンの推力’の値をどう決めるかは別にして、時間に対して一定の割合で燃料が燃焼し、同じ向きに同じ調子で噴射を続けるロケットエンジンが、ロケットの運動に対してある一定の効果を与えると考えて問題はないだろう。簡単のため、ロケットの全質量に比べて燃料消費質量分を無視できるという仮定も許されるだろう(現実的には少々無理があるが)。しかし、その条件で、どんなに丁寧に実験や分析を繰り返したとしても、エンジンの推力の効果とロケットの運動の様子の間の関係を、きれいな形に整理することはできないのだ。その理由は、(理解した立場から遡った表現を許すなら)空気抵抗の効果にある。ロケットに作用する空気抵抗は、ロケットの速度(および高度)に対して複雑に変化する関数量であって、ロケットの運動が決まった段階で定まるという性格の力だ。ロケットの運動は、エンジンの推力と空気抵抗の合力によって決まるから、ロケットの推力だけを考えても、一向に考察は進まないということだ。

このように起源から考えた力の効果を積み上げる方式ではお手上げになるところを、発想の転換で一気にブレークスルーするのがNewton方程式なのだ。起源は一切考えない。運動要素に作用するただ一つの量として「力」を定義する。そうしたときにはじめて、あの美しい運動方程式の関係式が現れる。そして、一旦その理解に辿り着けば、後は、実験事実を積み重ねることで、各起源に振り分けた力という量も認識できるようになる。こうして全ての視界がひらけてくる。

さて、話を戻して、<例その1>の悩ましさを解決しておこう。

(再掲II) ロケットが示す上向きの加速度に依って、ロケットに上向きの推進力が作用する。

「依って、~する。」という表現は、人間行動のイメージを想起させ(言語的概念の起源は大抵そういうものだろう)、力の発生が、動作や行為のように思えてしまう。そこで、動作は「観測」以外にないことを意識して、次のように言い換えてみよう。

(II') ロケットの上昇の加速度が測定されれば、そのときロケットに作用している上向きの力も判明する。

対応する逆の(I)型もつくっておこう。

(I') ロケットに作用している上向きの力が判明したとすれば、ロケットの上昇の加速度も判明する。

こうして見ると、これらはまったく妥当であり、どこにも不自然なところは無い。ただし、(II')の方は実際的に適用できるが、(I')は実用的でない。ロケットに作用している正味の力を知ることは非常に難しい。空気抵抗に関する種々の経験則や近似を使わなければならない。はじめは不自然に思えた(II)型の方が、実は実際的な表現だったのだ。

さて、上の表現の「測定する」や「判明する」ことの意味上の主体は、起こる事象中に登場する要素(力,ロケット等)ではなくて、事象の外側にいる、現象の認識主体である(この言葉は私の造語に近いもので、気持ちが悪ければとりあえず「外部観測者」とでも言い換えてほしい.)。この「認識主体」は、客観的な自然科学において常に暗黙に想定されるものなのだが、表現に入れるのは煩わしい、、というか、余計な情報をもっているように誤解される可能性がある。そこで、この認識主体の影をなるべく薄くした表現をつくる。

(II”-a) ロケットの上昇の加速度が決まれば、そのときロケットに作用している上向きの力も決まる。

もう一歩進めて、

(II”-b) ロケットには、上昇の加速度に応じた上向きの力が作用している。

どうだろうか。これらも自然な表現である、、が、よく見れば、これは、式をそのまま言葉で表したという類のもので、もはや、加速度と力の登場順序には意味がなくなっている。このような段階まで、余計なものをそぎ落としたものが、物理法則なのである。また逆に、物理の関係式を見たときには、上で記述してきたような色々な意味・見方を(必要に応じた形で)瞬時に意識することが求められる。これが、特定の因果の方向をもたない物理法則の式の見方なのだ。ここまで考えると、以下のような無味乾燥な物理法則の表現の見え方も変わってくることと思う。

『ロケットの上昇の加速度とそのときロケットに作用している力の間には式○○の関係が成立する。』
<ing>

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前回の稿:2008「因果」を考える (11) の後半部分を書き加えました。

(書きかけのままにしていたことをお詫びします.)


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本稿は以下の続きである。
07-12-05「因果」を考える
07-12-31「因果」を考える (2)
08-01-19「因果」を考える (3)
08-03-11「因果」を考える (4)
08-04-10「因果」を考える (5)
08-04-30「因果」を考える (6)
08-05-09「因果」を考える (7)
08-05-27「因果」を考える (8)
08-06-29「因果」を考える (9)
08-08-28「因果」を考える (10)
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前回、運動方程式に含まれる変数のうち、特に時刻t に注目した考察を行い、時間発展を表す方程式であるからといって、因果を示すことにはならない旨を述べた。このことは、運動方程式に限らず物理現象を表す式一般に言えることであり、これまでの本シリーズで考察してきた内容とも符合している。しかし、運動方程式における因果の問題は、これに留まらず、いっそう興味深くかつ悩ましい疑問を提示してくれる。

運動方程式において、時刻t 以外の各変数量の関係は、本当に相互依存的になっているのだろうか。もう少し具体的な疑問として言えば、「力に依って加速度が定まる」ことと対等かつ対称的に「加速度に依って力が定まる」と言えるのだろうか、、このことは、力の定義や意味づけに関わる本質的な問題提起である。



上に再掲した運動方程式で、aF はそれぞれ、ある時点における着目質点の加速度、およびそのとき着目質点に作用している力のベクトルであり(ノーテーションはしつこく何度でも言う)、今の話のため、加速度の部分を一つの記号で表している。

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結論を先に言えば、この加速度a と、力F は、相互依存的な関係にあり、因果的な方向性をもたない。このことが、「力」の概念を初めて客観化・定量化し、力学体系を開闢させたNewton力学の真価につながっているとも言ってよい。この加速度と力の相互依存性についての説明を試みたいのだが、単にその正当性を理屈っぽく説得するだけでは、話しが印象的でなくなって、うまく伝わらないと思う。そこで、ここはあえて、加速度と力の関係が相互対称的に見えない例を先ず出して、考えるきっかけをつくってみよう。

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<例その1>:はじめの例として、たとえば、ランチャーから打ち上げられるロケットを想定する。ただしロケットの形や広がりは考えず、質点として扱うものとする。秒読みゼロと同時に、ロケットは強烈な上向き加速度をもって上昇していく。このとき、ロケットの加速度a と、上昇のための力F の依存関係を、相互対称性を意識して書けば次のようになる。(簡単のため、定量的な関係は表現に含めない。)

(I) ロケットに作用する上向きの推進力に依って、ロケットは上向きの加速度をもつ。
(II) ロケットが示す上向きの加速度に依って、ロケットに上向きの推進力が作用する。

(I)(II)がどちらも自然に受け取れるならば(そしてそれは実は正しいのだが)、ここでの話は冗長・不要な内容になってしまう。が、、そのような人はあまり多くはないだろう。『(II)はどうにも不自然であるから、どうやらaF は相互依存的でなく、Fa の特定の方向がある、すなわち、あくまで、力が原因であり加速度は結果であるのではないか.』このような感覚をもってしまいがちである。

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<例その2>:もう一つの例は、パラドックス風のスパイスを利かせた文章にして表してみよう。

『天体の周囲を回る衛星を考えるとき、天体からの万有引力によって、(いわゆる)向心加速度をもつ円運動をするというのは分かる。しかし、円運動することによって、天体が万有引力を発揮するというのはおかしい。それならば、衛星を強制的に等速直線運動させると、その瞬間に中心の天体は消滅してしまうとでも言うのか!』

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混乱から抜け出す鍵はいくつかある。

(a)「(運動方程式に登場する)力とは、力を受ける対象側に結びついたパラメータであって、その起源を問題にする概念ではないこと.」

(b)「質点には応力や偶力の概念が存在せず、質点に作用する力は常に一つのベクトルに還元され、それを複数の力の足し合わせと考えようが(考えまいが)、何の意味の違いもないこと.」

そして、上の(I)(II)の記述には少し意地悪な細工がしてあった。「推進力」という、力の発生源(エンジン)に思考を誘導する言葉だ。「推進」の語を取り除いて、もう一度(I)(II)を読み直してほしい。また、2番目の例で、「万有引力によって」と「円運動することによって」の「よって」をわざと平仮名で書いた。読み手が「依って」と「因って」を、誤った直観イメージを補強するように、勝手に読み替えてくれることを狙った騙しのレトリック小細工(パラドックス記述用にとても有効)が入っている。さらにまた、「もつ」「する」などの語は、時間経過を伴ってなされる動作・行為のようなニュアンスをもってしまうことにも要注意。

以上がヒントだ。
<ing>

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