はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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私が小学校低学年のころのある日の出来事なのだが、ある人(隣戸に住む義理の伯父)が、竹竿にホースを括った「サイホン」で庭の池の水を汲み出しているところを観た。
とても衝撃的だった。低い池の水面からホースを通って水が登る現象は、私には奇跡的に見えた。水は高いところから低いところへ向かって流れる-と信じていたからだ。
私は、その伯父に、「どうして途中の高い所へ水が上がれるのか」の旨の質問をした。伯父は、意外な問いかけに戸惑った、、というか、むしろちょっと機嫌を害した風で、「サイホンだから‥」というようなこと以上の返事をくれなかった(思い起こせば、伯父はいわゆる文系分野の優れた社会人であった)。
その一瞬の伯父の反応は、私にとっての二度目の強い驚きであった。平然としてこの不思議な現象を眺め利用できる大人を、ある意味凄い存在だと思った。

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科学を教育することの本質は、単に面白い現象を紹介しその使い方を教えることにあるのではなく、そこから生じる素朴な疑問を重視し、その疑問の構造を解きほぐし、一般的な理解に導くことを手助けすることにある、という今の私の信念を持つに至る源泉ともなる出来事であった。

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〔追記〕
実は、今の立場からでも、上に書いた昔の私の質問に答えるのは結構難しい。--つづく--


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研究発表用の図は、種々のドローソフト(私はほとんど"word")やグラフ作成ソフト(私は"活図")でつくるのが普通だ。しかし、出版などの版組のためにはEPSファイル形式が求められることが多い。そこで、いざという時に慌てないために、統一的な方法でこれらの図をEPSファイルに変換する方法を記す。

なお、既に情報はいろいろ出ている(TeXに張りつけるEPS Fileの作成方法、あるいは epsファイルの作成と利用方法(加藤文明社) など)。本稿は、それらを参考に自分なりのbetterな方法を見つけた結果を、備忘録的に記載するものだ。

(1)
アドビ社の サポート->ダウンロード のページから、PSプリンタドライバ (Win版)を入手し、インストールする。

(2)
ウィスコンシン大学ComputerScience学科Ghostscript, Ghostview and GSview のサイトGSview のページへ行き、GSview (win32版) を入手し、インストールする(このとき、先立ってGhostscriptのインストールをすることが求められる)。

---2度目からはここから下だけ実行---

(3)
図を作成したソフト上で、目的の図を((1)を使い)印刷する手続きを行なう。印刷のウィンドウでは、プリンタ名に「Generic PostScript Printer」を指定し、「ファイルに出力する」を選ぶ。

(4)
出来上がるプリントアウト用ファイルは *.prn であるが、この拡張子を手動で、*.ps に変更する。

(5)
GSviewで上のファイルを開き、正常に表示されることを確認したら、「save as」で、「.eps」を指定し、”最終ファイル名.eps” の名で保存する。

(6)
GSview でそのepsファイル開き、見え方を確認して終了。

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(なお、プリンタ解像度のことなど、注意を要する(というか未だよく分からない)ところもあるが、追々補足する.)

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〔追記1〕
Ghostscript,GSview の日本語版や、日本語化パッチを提供しているサイト情報.

Ghostscript 8.53 + GSview 4.7 の日本語版 /Kohsaku HOTTA

〔追記2〕
Windows 用 Ghostscript と GSview のインストール/刀祢氏

〔最新情報〕
2011年7月現在のバージョン Ghostscript 9.02 + GSview 4.9 の日本語版:
K. HOTTA氏のサイト

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私には十分なコメントはできないのですが、粉飾云々がこの問題の本体とは思えません。特に野口英昭氏変死事件は、淵底の一端を垣間見せるような出来事と感じます。〔新自由主義+IT振興+最近の株価重視〕の政策がもたらした醜い側面の一つという見方も成り立つでしょう。

報道メディアは、是非、粉飾の違法性のことばかりにとらわれないで、背後で動ている(表・裏の)パワーに鋭い目を向けてほしいと思います。


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大分以前には、電話機に、通話の際に最低料金の電話会社を自動的に選んでくれるLCR(Least Cost Routing)という機能があった(後に、ACRに変わり、マイライン制度の開始で意味がなくなり、さらにIP電話と携帯全盛の今ではほとんど死語なったようだ.)。

さて、ここで、給湯器や調理器具などが消費するエナジーコストに目を転じてみよう。給湯器やガス調理台などは、最初にガス型なり電気型なりの種類を決めて導入すると、後々ずっと選択の余地なくそのエナジー・燃料を使い続けることになる。ガス型、電気型などの製品はメーカーの系統が妙に保守的に区別されていて、しかも、電力会社は「オール電化」などという言葉をつくって排他的姿勢を露骨にしている。

さらにまた、電気料金については「昼夜帯別」というのが選択できるようになっているが、これが何と、夜間に安くなる分だけ昼間は割高になるのだ(時間帯別電灯-関西電力の例)。低価格の夜の分だけを使いたいのだが、各器具のエナジー源が固定されているので、結局、昼夜両方使うことになってあまり意味が無いことになってしまう。

そう、競争が叫ばれる今の社会で、エナジー・燃料の種別間の競争がほとんど無効になっている!これはどうしたことか。

各家庭には、大抵、風呂沸かしと給湯のための集中給湯器がある。毎日長時間運転するものだし、また一度買えば何十年も使うものだ。少なくともこれは、複数のエナジー源・燃料に対応させて、昼夜の料金別を含めた時価を判断して、自動的に各時間帯のLC選択を行なうシステムにすべきだ。そうすれば、エナジー源種別(夜間電力,都市ガス,LPガス,灯油,等)間の価格競争も起こり、電力やガス業界の無駄も淘汰されるはずだ(私にしては珍しく競争淘汰推進!)

世の風潮に頼らず、自分の目でおかしなところを捜すと、今の「改革」が妙に偏ったところに目を向けさせるものであることに気づく。

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最近、必要に迫られて、VTR映像の巨大動画ファイルを他の人との間でやりとりした。数百MBを超えるファイルをメール添付するわけにもいかず、はじめは戸惑ったが、意外に簡単にできることが分かったので、ここで紹介する(とっくにご存知でしたらスミマセン)。

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その(1) Windows Messenger を使う方法

WindowsXPには標準でインターネット経由でチャット通信ができる機能「Windows Messenger」がついている。余計なものと軽視していたが、これが巨大ファイル転送にとても有効だ。ただし、受け渡しの両者が、時間を合わせて操作する必要がある。

利用に先立ってMicrosoft Passport Networkのサインイン(メールアドレスの登録)が必要だが、予備知等は必要無い。 (タスクバーから)Messengerを立ち上げれば、後はすぐに分かる。なお、MSNのユーザーである必要も無い。

やり取りする双方の登録ができたら、お互いのアカウント名を伝え合い、双方がネットに接続した状態で、相手のメールアドレスを「メンバーの追加」に入れれば、直ぐに通信可能になる。メンバーの認証に関する警告が出ることがあるが、無視してよい。後は、「操作」メニューの、「ファイルまたは写真の送信」を使えば、(ネットの接続が継続している限り)無制限の大きさのファイル送信が出来る。

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その(2) YouSendIt を使う方法

アップロード・ダウンロードのための一時サーバー提供をしてくれる無料サービスだ。国内にも類似のサービスがあるが(Yahoo!ブリーフケースなど)、ファイルサイズの上限を考えると、YouSendIt 以外は使えない。

操作法というほどのものは無く、以下のサイトをたたけばすぐに使える。(一つだけ補足するなら、Type of fileの選択は無視してよい.)

http://www.yousendit.com/  

最大ファイルサイズは1ギガバイト。ダウンロードは7日間有効で、25 downloads まで何人でもダウンロードできる。アップロード時に指定したメールの相手に、ダウンロードの案内を送ってくれるサービスがついている。指定メールを自分のメアドにしておけば、自分あてにダウンロードサイトが伝えられるので、これを複数の相手に連絡すれば、その複数人がダウンロードできるというわけだ。

注意点は、1サイトから1日一回だけアップできるというルールだ。複数のファイルがあるときは、圧縮・アーカイブなどで、(1GBまでの)1ファイルにまとめておけば良い。

気になっていたアクセス速度もかなり良好だ。ただし、巨大ファイルのアップ・ダウンにはそれなりの時間がかかる(ネットワーク環境によるが、1G近いファイルのアップは一晩がかりということもあり得る)。

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両者を比較をするならば、手続きが簡単で気楽なのは(2)だが、速く送れるのは(1)だ。(2)を使うときは、1回送る際でもアップとダウン往復分の時間がかかることに要注意。同時操作の相談が出来ない相手や、複数利用者に送る場合には(2)を使おう。

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06.1.7の記述:「平等vs.競争の図式に惑わされるな」の最後に〔追記2〕を加えました。

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05.12.29の「少子化の深刻さ-気づかれぬ側面」の記述中のニュースソースのサイト情報を変更しました。

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その後、日経デジタルARENAに、大容量ファイルをネットで送るワザ という記事が出た。参考のためここに貼っておくことにする(投稿日からはだいぶ時間が離れてしまったが、、)。

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以下に、騙しのレトリックの初歩の例を示す。たぶらかしのメカニズムを見抜こう。

(1)「とり得る選択肢がAまたはBであるときに」
(2)「Aが悪い結果を招くことが判明したとする」
(3)「そうであれば、Bを採用した方が良い」

〔答え〕
選択肢をABに限るという(1)が騙しだ。論理学的な立場では、場合分けは、ある条件Aの定義を明確化した上で「Aまたは非A」のように区分することだけが許される。AとB以外の可能性がないことを証明するのは一般には不可能だからだ(証明できるのは、BがnotAに等価なときだけ)。--大抵の場合、正しい選択肢はAB以外にある。

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(以下を当てはめてみると、この騙しの活躍の場が分かる.)
A:従来どおり,B:(小泉流)改革
A:財投維持,B:郵政民営化
A:財政破綻,B:増税
A:共産主義体制,B:競争社会
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(1/10段階で)1月7日の記述:平等vs.競争の図式に惑わされるな の最後に〔追記〕を加えました。


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「結果の平等でなく機会の平等を」,「平等より競争が活性を招く」などと謳う論調を頻繁に目にするようになった。ここに悪質な言葉の誤魔化しがあることを強く主張したい。

人間社会において、結果についても機会についても、平等などということは絶対にありえない。美醜や、生来の肉体の状況や、親の貧富・家柄などを自分の意思で選ぶことができない以上、「機会均等」は根本的に実現不可能であることに先ず気づくべきだ。

生存競争は生き物の一つの本性だ。何も意識しなくても常に競争は起きている。露骨に言えば、食べ物と異性の奪い合いが、人間を含む生物行動の根本をなしている。

しかし、この競争する生物集団が安定に繁栄するために絶対に必要な条件がある。それが、「必要以上に求めない」という前提だ。実際に、通常の生物集団では、覇者が必要以上に他者を攻撃することはなく、必要十分な食べ物(と異性)を得て、安定化している。

ところが、人間社会においては、「武器の製造」および「資本の集約」という通常の生物界にはない2つの要素を獲得してしまったことによって、欲望と競争の限界の歯止めが無くなってしまった。そのため、欲望と競争に対する、理性による調整が不可欠になった。

結局、競争を前提とした人間社会が繁栄するためには、所得の再分配や社会保障などの平等化の要素を取り入れることが必要だし、また、多様な意見に耳を傾け多様な生き方をそれなりに尊重するという努力を意識的に行なうことが必要なのだ。

社会における「平等」の重要性というのは、平等を実現しようとすることではないし、競争を無くそうとすることでもない。自ずと競争が基調となるが故に、理性による平等性の要素を(強い決意をもって)加えるべきという意味なのだ。「平等ではうまく行かないから競争だ」という論調は、このことの無理解によるか、あるいは分かった上であえて人々を誤解させ、現在立場の強い者の欲望の暴走に対する批判の目を逸らせるための悪質なレトリックと受け取らなければならない。


〔追記〕
上に書いたようなことは、多分、人文・社会科学系の学問の見識のある人にとっては常識的なことだろう。しかし、そのような分野の学者の多くは、今の世相の中で、あまり声を上げているように見えない。私はこれが不思議でならない。メディアのフィルターで阻止されているのか、あるいは、学者自身が、人文・社会科学を実効性の無い論文のネタぐらいにしか思っていなかったということなのか。

〔追記2〕
日曜のTV番組:サンデープロジェクトは最近おかしくなってきている。06.1.15の放送の中で、前原民主党代表に対するコメンテーター(たしか松原何某教授)の質問は次のようなものだった。「せっかく結果平等から機会平等へシフトしたのに、もとに戻すようなことをするのか.」
本稿で述べたように”結果平等”,”機会平等”は、実体が曖昧な煙巻き用語だ。したがって、上の質問に対しては、誰もまともに答えることはできない。2CHの書き込みと同レベルの質問だった。

〔追記3〕
さらにたちの悪い言葉の誤魔化しに「努力が報われる社会」というのがある(つい最近の日経新聞のコラムでも見かけた)。努力が報われるのは良いことに決まっている。したがって、誤魔化してでもこの言葉に結びつければ、反論を封じることができるのだ。

さて、この誤魔化しで使われる「努力」というのは、現在の勝者あるいは勝ちに近い有利な立場にいる人が欲望に駆られて目指している偏狭な努力の意味であって、通常一般の努力の意味とは全く違うことに注意しよう。平たく言えば、自分のやっていることは今以上に報われたいが、別の価値観に根ざす努力は認めたくないということなのだ。

難病に立ち向かって生きる努力をしている人にできるだけの幸福を与えようとか、イラクで誘拐される危険をおかしてまで人道活動をしようとした努力を認めようなどという意識は、これっぽっちも含まれていないことに気をつけよう。

→この追記3については、後日、別稿:「「努力が報われる社会」に騙されるな」にまとめている。

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元旦未明のTV番組「朝生」の中、終盤の方で、経済問題、貧富の差の問題が取り上げられ、それによると、日本における貧困率(収入が中央値の半分以下の世帯人口比率)は主要国中5番目になったそうだ。連合総研のサイト等に、もっと詳しい説明がある。

対して、日経新聞元旦の一面トップ"反転 強い時代が始まった"と題する記事の結びの部分には、「順調に推移すれば06年10月には1960年代57ヶ月間持続した戦後最長の「いざなぎ景気」と並ぶ可能性が出てきた」などと書かれている。

もしかすると、我々は恐ろしい社会を目指しているのではないか。一部の優良企業に属する者と関連投資家だけをまともな人間とみなし、それ以外の者はおこぼれやほどこしによってかろうじて生きている乞食のような存在、、、いやな想像をしながら新年を迎えてしまった。

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