はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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我が国の宇宙開発用ロケット技術に関する失敗や事故が続いている。
3月のH3ロケットの打ち上げ失敗については、ようやく原因が特定されたそうだ。

H3打ち上げ失敗の調査完了、原因は2段エンジン制御系の短絡による過電流

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2023年3月7日に発生した「H3」ロケット初号機打ち上げ失敗の事故調査を完了した。

日経クロステック(xTECH)

 

↑この解説を見て、電気・電子回路に関わる技術畑の人ならば、気が抜けるというか、不安に駆られるというか、複雑な心境になったのではないだろうか。
回路素子の中に内部短絡などの不具合を起こすものがあって、設計どおりに動作しないということは、割とよくあることである。ただし、そのようなことは、大量に出荷される工業製品の場合には、対処しやすい問題だ。検査してはねればよい、所謂「歩留まり」の問題の範疇におさまることなのだ。大量につくられるモノに対しては、異常が起きやすい部品、それによって生じる症状、などが統計的な経験値として蓄積できる。そうなれば、検査を、マニュアルにしたがって実行する作業扱いにすることもできる。ところが、宇宙向けの機材ではそうはいかない。試作を含めてもごく少数、本番に使うものは1発限りという世界だ。したがって、ロケット打ち上げ技術においては、開発・設計と同格というほどに、検査・チェックが重みをもつことになる。こうしたチェックは、マニュアルにしたがって期限内にきっちり仕事を為すという意識では成り立たない。起こるかも知れないことを推察・想像し、それがシステム全体にどのように影響するかを考え含めて、場合によっては、納期延長を提案する、プロジェクトの進行にストップかける、設計変更や予備ボードの装備などを強く提起する、、検査する技術者にはこうした行いを躊躇わずに為す立ち位置が求められる。
長年の大学改革の流れを観てきた私としては、日本の国策に根本的な誤りがあったことを痛感せざるを得ない。「階層的な分業」に基づく組織運営の発想が大学に持ち込まれて20年。この方針は、日教組的なものを忌み嫌うというイデオロジカルな心理を底流にして、思慮なく盲目的に政治主導で推進された。言われたことをきちんとやって評価されることを目指す、、この思考の色が、教える側にも学習する側にも染み渡ってしまった。
科学技術を考えるときに、「創出」の役目ばかりに目を向けてはだめだ。生産や検査の場面で、科学的な広い見識と推理力を本気で発揮する、、こうした意思が湧き起こるような、科学技術的風土が必要だ。製造業への派遣が制限されていた1900年代までの日本ではそれがかなり実現していた。ただし、もし、こうした根源的問題に気づき、製造業の雇用形態や大学の運営体制などを今から是正したとしても、技術レべルが回復するためはかなり長期間の年月がかかることだろう。世界がそれを待ってはくれない。鬱々とした思いに苦しむ。

〔追記〕
この20数年、日本(の自民党政治)が指向した社会的改革は、ぼんやり曖昧にされているところを鮮明化して言えば、ひたすら、軍隊型(あるいはマフィア型)の意思決定スタイルを目指してきたと言える。大元の方針がどこでどのように決まったか、それが最良と言えるのか、末端側が考えることではない、意見をもつこと自体許されない、、これがこのスタイルの核心の姿だ。右翼的精神を持つ人はさぞかし美しく感じることだろう。だが、これは、「全容を理解しようとする思考活動を止めよ、諦めよ!」と言うことに等しい。そして、これこそが、新しい科学技術を培う活力を徹底的に阻害する土壌なのだ。
確かに、単に物量を増せばいいだけの仕事ならば、大元などを考える暇に作業を進めた方が儲かると言う図式も成り立つ。しかし、宇宙技術をはじめとして、オリジナルな開拓が求められる場面では、部品一つの作製段階から、全体構成を理解した者が、疑いの思考や推理力を発揮して、最大限のこだわりを込めた仕事を積み上げる必要がある。「下請」スタイルをできるだけ遠ざけ、複数チーム間の意見の交換や情報の共有によって、計画が進んでいく形にしなければならない。
そういうスタイル・気風を予め大学で学んだ若手が、チームのメンバーでなければならない。全くもって当たり前のことなのだ。


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