憲法問題はあまりにも重いテーマであるし、また、学問分野にもなっている憲法論に私は通じていないので、軽々にこの問題に対する発言はできないと感じてはいるが、ごくごく僅かな人の目にしか触れない本ブログ(ちょっと寂しい、、)においては、自分の考えの整理のための記述も許されるだろうと思い、少しずつ触れることにした。
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ここ数年来、憲法改正(改訂というべきか)を実現しようとする動きがあからさまに目立つようになった。
関連ニュースの枚挙に暇はない。
(一例):自民党総裁選:安倍氏、憲法改正は5年以内の実現目指す-MSN毎日インタラクティブ
(Netのニュースはすぐリンク切れになってしまうので、次のサイトも引用させていただく.):
日本国憲法「改正」の動き /一致バラばらの会
しばしば改憲の要の論拠とされるのが、戦勝国アメリカの指導下で制定された経緯の問題や、自衛隊と9条の整合性の問題などであろうが、私は、このようなことは、ディベートの場でとって付けられる理屈だと思っている(事実上、現状に対して何の障害にもなっていないのだから.)。
ベースにある本質は2つある。一つは、極めて先進的な現憲法の中身を、凛として気高いものと受け取るか、観念的で頼りなくて馴染めないと感じるか、このような内的イデオロギー(感情論に近いと言ってよい)の問題だろう。もう一つは、巨大資本と軍需産業を内包するアメリカの意図・戦略という外的要素だろう。生活不安を感じる国民が強いものを求める風潮がうずまき、左派が影を薄くしている今の期に、こうした2つの要素に対する冷静でバランス感覚を保った対応が為され得るか、、大変厳しいことではあるが、崩落を傍観することは許されないと強く思う。
ただし、今回は、イデオロギー論や、アメリカの意図の問題に立ち入らない。一時の風潮に捉われることのない、長期普遍性を有する最高法規であってほしいと願う私のスタンスにそって、少し目先を変えた意見を述べる。
まず、以下のサイトで現憲法制定の経緯等を確認する。
日本国憲法の誕生/国会図書館 (この種の情報を見るにはネットはとても有用だ..)
GHQサイドは、日本人のつくった様々な案を参考にしており、政府案を却下するなどの選択の意思を反映させてはいるが、日本人の考えにないものを押し付けているとは言い難い(参考資料1)。軍国主義一色に偏極してしまった政治思想のあり方を、デフォルトに戻したと見ていいだろう。ただし、この制定経緯の日程には問題がある。中身の問題ではない。ストレートに考えて、議論の期間が短かすぎる。憲法というからには、単一でない政治体制にも対応して引き継がれ得なければ意味がない。最低100年は生き残ることを見越さなければならない。100年使うにしては、検討がはじまってほぼ1年後の公布は性急に過ぎるという批判は免れない。
したがって、私は、現憲法に対して、再制定(承認)の手続きをとることを提起したい。60年間の議論をとおして国民が承認した憲法を確立させたい。そして、そのために、現憲法体系で残されている未完成部分の国民投票条項をあてるのだ。
土台、国会議員は、現行憲法に基づいて地位が与えられ、給料をもらえる仕事のはずだ。したがって、現行憲法の根幹を揺るがす改正を提案することはできないのが原則だろう。つまり、国会において「現憲法は根本的に不都合だからこれこれのとおりに改める.」旨の発議を為すことは許されないと私は思う。憲法96条が言うところの「国会が,これを発議し,国民に提案してその承認を経る」というのは、改正案の是非を問うことではなく、〔現憲法そのもの〕と〔改訂案〕の双方を並列的に提示して、どちらが良いかの判断を国民に付託するという形で実現すべきである。
二者択一ならば、「○×投票」と同じではないかと思われるかも知れないが、投票するときの人間心理に訴えるものとしてはかなり異なるはずだ。「新案に反対すること」は、信任投票に×をつけるような印象を与え、ネガティブなイメージと結びつきやすい。改憲推進側は、このことを最大限に利用して、護憲に対して「抵抗」「守旧」「旧態依然」「後ろ向き」「反体制」のようなイメージレッテルを貼る戦略を駆使することが可能になってしまう。冷静な判断を導き出すには、投票の形態は非常に重要な要素である。
そこで、国民投票法は、以下のようにする。
(1) 国会が発議し国民に提案する憲法改訂案は、現行憲法(第一案)と、改定案(第二案)の双方を並列的に掲げ、そのいずれが良いかの判断を国民投票に付託するものとする。
<投票用紙図案の差込>
そして、一時的な感情論や風潮で憲法を決めてしまうことがないようにするためには、時期をおいて複数回の国民投票を行うことが必要だ。そしてもちろん、この2回の間、国会内の改定案の合意が継続していることを要件とする。もし、提案与党側の意見の動きなどでも、文案を変えるとなれば、振り出しに戻すこととする。
「必要以上に変えずらくしている」との批判も聞こえてきそうだが、「歴史的に古くなった」だとか「自衛隊存在の矛盾を解消する」ということを論拠にするならば、数年の間が空いたとしても、判断が揺らぐことはないはずだ。また、それに耐えるだけの高い完成度と十分な合意性をもつ改訂案であることが当然求められるはずだ。
(2) 国会が国民に付託する憲法改定にかかる国民投票は、4年間(以上)の期間をおいて2回実施するものとする。ある同一の改定案を(第二案に)もつ国民投票において、どちらか一方の案が、2回連続して過半数(*)の得票により選択されたときに、その案(現行憲法または改訂案)が、国民によって承認されたものとする。第一案が承認されたときは、現憲法が再公布され、その旨が現憲法に附記される。改定案が承認されたときは、その案が現行憲法に置き換わる。2回の結果が異なった場合は、変更も附記もなされないこととする。
なお、憲法の改訂が成立した場合には、全ての国会議員および、国務大臣は一旦失職することとするのが妥当だろう。改憲のムードがあろうがなかろうが、国民投票の法律が無いことは、現法体系の不備であるのは確かだから、自民党の動きに先んじて、このような法案の議論を盛り上げるような、護憲的でかつ行動的な野党の存在が求められると感じている。
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自民党新憲法草案全文(現行憲法との対比表つき)/たむ・たむページ
憲法調査会
〔参考資料1〕
「日本国憲法の誕生」より抜粋:
概説[第2章 近衛、政府の調査と民間案]
『政府側が秘密裏に改正草案作りを進めていたころ、民間有識者のあいだでも憲法改正草案の作成が進行し、1945年末から翌春にかけて次々と公表された。その代表例が、1945年12月26日に発表された 憲法研究会の「憲法草案要綱」であった。これは、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであった。その内容には、GHQ内部で憲法改正の予備的研究を進めていたスタッフも強い関心を寄せた。
1946年になると、各政党ともあいついで改正草案を発表した。自由党案と進歩党案はともに、明治憲法の根本は変えずに多少の変更を加えるものであったのに対して、共産党案は天皇制の廃止と人民主権を主張し、社会党案は国民の生存権を打ちだした点に特徴があった。』
論点[2 戦争放棄]
『憲法第9条の原案は、「マッカーサーノート」(1946年2月3日)の第2原則に由来する。そこには、「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。」と記されていた。しかし、この記述は、国際法上認められている自衛権行使まで憲法の明文で否定するものであり、不適当だとして、「GHQ草案」(2月13日手交)には取り込まれなかった。』
(実は、上の私案そのままではまずいところもある。これについては、後日考察を進めて続編を記述するつもりであるが、荒っぽい段階を承知で、ここで一旦投稿することにした.)
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