ドレス・リハーサルでは、
① たった一年でがたが来始めたセット
② 声のサイズがやや小さく、マルグリートの二重唱での高音を出さない(出せない?)ヴァルガス、
③ 中低音域では魅力的だけれども、高音域に無理があるために、最大の聴かせどころである
ロマンス(”燃える恋の思いに D'amour l'ardente flamme ”)で
悪い意味で尻すぼみに燃え尽きてしまうボロディナのマルグリート
④ 何よりもこの作品の良さをことごとくぶち壊し、
メト・オケから高校のマーチング・バンドのような音を引き出すという、
耳を覆いたくなるような恐ろしい技を繰り出したジェームズ・コンロンの指揮(もはや犯罪の域!)
この4点に問題は集約されました。
結果、昨シーズンのレヴァイン指揮、ジョルダーニ、グラハム、レリエー共演の時とは
比べるのも無意味と思われるほどに、緊張感のないだれた演奏となってしまっていました。
あのドレス・リハーサルと今日の公演の間にシーズン初日を迎えた『ファウストの劫罰』は、
その初日の演奏がシリウスで放送され、私も聴いていましたが、感じたのは、
ヴァルガスの歌にリハーサルよりも細かい表現や熱さが感じられたこと、
コンロン率いるオケが若干ましだったこと、位で、
ボロディナについてはほぼ同じ印象、
セットについてはリハーサルで聞いたようなびっくりするようなノイズ
(スクリーンを動かそうとする装置と
故障して”てこでも動かないわよ!”とその場に居座るスクリーン側が摩擦を起こして、
音楽が鳴っている途中におかまいなしに、バリバリバリ!!!という轟音がしていました。)
はとりあえずラジオでは確認できなかったので、
さすがに本番までに修繕したのね、と思っていたらば、、。
今日の公演が始まってまず気付いたのは、
ヴァルガスが初日の勢いや良かったところを全て失い、またもやリハーサルの時のような歌を聴かせていること。
というか、リハーサルよりもさらに悪いくらいの。
まるで、声が出てくる時にどこにも重心がないようなふぬけた声で、
これは私がこれまで聴いた彼の中でも、もっともふがいない歌唱で、
どうした?!!ヴァルガス!!??です。
しかも、声量は今までのなかでも最高に小さく、風邪でもひいて喉を守ろうとでもしているかのようです。
しかし、それを言えば昨シーズンのジョルダーニだって、
声のコンディションが悪く(というか、彼は最近万年コンディションが悪いので)、
決して理想的な歌唱ではなく、グラハムとレリエーに混じると一番弱い三角の角だったんですが、
とにかくオケが聴かせてくれ、しかもこの作品は最初から最後までオケの聴きどころが満載なので、
彼の歌の弱さがさほど気にならなかったものです。
それが、ヴァルガスは、なんて運が悪いんでしょう。コンロンの指揮と組み合わされてしまうなんて。
っていうか、もう、ほんっとうにびっくりするくらいオケの演奏がめちゃめちゃなんですけど!
さらに、言わせてもらえば、これはオケのせいじゃないですよ。
オケをまとめられないコンロンのせいです。
だって、たった昨シーズンにあれほど素晴らしい演奏を聴かせたオケが、
しかも、かなりのメンバーが昨シーズンからの居残りになっているオケが、
ひとりでにこんなことになるわけないじゃないですか!!
実際、リハーサルでは、各セクションからは魅力的な音も出ていました。
でも、それが全然セクション同士でかみ合わないのです。
しかも、あれからさらに病魔は進行したようで、
(多分、初日に若干ましだったのはオケ自身の自浄作用でしょう。
たまにあるのです。シリウスやHDのような大事な時に、あまりに指揮者がひどい場合は、
オケが自分たちで勝手に熱演してしまうことが。)
こんな指揮のもとでやってられるか!という空気が漂いはじめているのか、
もはや、各セクションから出てくる個別の音色すらやる気のない音になり始めています。
指揮者は、まず、オケがこの指揮者のためなら本気を出すぞ!と思わせるようでないと話になりません。
何もかもがそこから始まるんです。
『アイーダ』のガッティについて書いたテンポに関する不満なんていうのは、
当然、その先の問題で、逆を言うと、少なくともガッティはオケを本気にはさせていました。
それを言えば、『トスカ』の”イカ”(コラネリ)なんか、代役の指揮者でしたが、
そういう意味ではずっとずっと指揮者としての大事な任務を果たしています。
といいますか、コンロンの指揮は今まで何度か聴いたことがありますが、
この『ファウストの劫罰』での指揮で、
一体どうやって彼がLAオペラの音楽監督にまでたどり着いたのか、私には謎!と
決定的に思わせるに至りました。
今日座ったのはドレス・サークルの最前列で、
この階は客の落下防止を防ぐためのバーに若干幅があり、
それが最前列で普通に座っていると、ちょうどオケピを覆ってしまうような場所に設置されているのですが、
あまりにハンガリー行進曲の演奏がだらだらと覇気がないので、
”一体どういう指揮振りをしているんだ?!”と頭を少し下げて、
バーの下からのぞくようにしてコンロンの姿を見ると、
なんと、びっくりするようなオーバーアクションで暴れまくっているではないですか!!!
なんてむなしい、、
コンロンのオーバーアクションとあまりに対照的なオケのしょぼい音、、、
視覚と聴覚のあまりの一致しなさに、しばらく私の脳が情報処理を戸惑ったほどです。
指揮は、どんな動きもそれが音に結びつかないと意味がないでしょう。
どんなにばたばた動きまわっても、そこからオケが彼の指示を感じ取れなければ、
その動きはないに等しい。
なんだか、彼の指揮は根本のところが間違っていると思います。
また指揮とオケの演奏について気付いたことをまとめてここで全部書いてしまうと、
この作品で最も迫力があり、ここでオケが観客の心をしびれさせなければ嘘、という、
ファウストの地獄落ちのシーンなんかも、
レヴァインの時と比べて全く迫力がありません。
いや、物理的な音量から言うと、昨シーズンと全く同じ位の音がオケの各セクションからは出ています。
ただ、音が一体になっていないのです。
そのために、音の密度が薄く感じられ、本当に一体になればびしっと客席に鋭く入ってくるはずの音が、
各セクション毎にばらばらに飛んでくるので、音の輪郭がぼやけ、同じ迫力を得られないのです。
また、彼のセクションの間のバランス感もセンスが悪くて嫌になってきます。
特に、打楽器と低音の弦楽器をやたら強調したがる癖があって、
ハンガリー行進曲でのクライマックスの部分の打楽器を強調しまくった演奏は、
まるで下手な高校のマーチング・バンドみたいな音で、がっくり来ます。
このあたりも、メト・オケの長所が手に取るようにわかっているレヴァインに比べると
(まあ、その点に関してはなかなかレヴァインを越えるのは難しいでしょうが)、
このオケのいいところをわざわざないがしろにして、
なんでこんなローカル・マーチング・バンドみたいな音にするのか?!と頭を抱えたくなります。
それから、マルグリートのファウストに対する心の鼓動を表現しようとでも言うのでしょうか?
他の楽器の音を極力抑えて、コントラバスのパートをやたら強調している個所があって、
それもすごく安っぽくて嫌でした。
コンロンの指揮を???と思う点については永遠に書き続けることが出来そうですので、
これくらいにしておいて、指揮に続いて私が凍りついたのは、セットでした。
なんと、まだインターミッションにいたる前の、第二部の途中で早くもセットが崩壊。
一番最初の写真の、上段左から三つ目のセル(二人のダンサーが写っているそれ)、
こちらが問題のセルで、リハーサルで問題があったのと全く同じ場所です。
ということは、リハーサルから問題が根本的に改善されていなかった、ということになるでしょうか、、。
第二部ではこれらのセルそれぞれに上部のカーテンレールから下がった布に、
コンピューターからプロジェクトした映像が効果的に使われるシーンが連続します。
しっかりと映像を写すべき場面では布を登場させそこに映写し、
また、メフィストフェレスとファウストを乗せた小船が舞台を下手から上手に移動する場面では、
その布をスライドさせてどかせ、セルの奥行き一杯を使わせる、というように、
この布が自由自在に移動しないとかなり厄介なことになります。
問題のセルにはこのレールに問題があるようで、途中でレールに布がつっかえてそこから移動しなくなるのですが、
それでも装置が無理に布をひっぱろうとするので、布がレールから外れてびろーんと手前に垂れてきてしまいました。
、、、、、。
その垂れてきた布のむこうは本来客席から見えない状態になっているので、
ダンサーやエキストラたちの移動に使われていて、表の舞台で起こっていることとは関係のない
彼らの様子がばっちり丸見えです。
しかし、彼らも猛烈に忙しいので、そんなことに構ってられるか!ということで、
野生の動物群の移動のようにすごいことになっていて、それも丸見えです。
時折、野生の動物(エキストラ)たちの移動が収まると、大道具のスタッフが布をひっぱってみたり、
別の布をあてがおうとしてみたりするのですが、場面によっては布を透かして映写する技術を使用している場合もあって、
お尻に大工道具を下げた親父の影絵がうつりこんでしまう始末。
でも逆にこういうアクシデントがあると、上手くいっているときにはなんでもなく見えていたことが、
物凄く細かい計算や技術の組み合わせによって成り立っているんだな、と気付かされます。
結局インターミッションまではこの状態で突き進んでしまいましたが、
インターミッション中に猛烈に修復したのでしょう、後半は滞りなかったです。
この演出はそういった細かい駒が全部かみ合って、かつ、パフォーマンスが熱ければ、
きちんと真価を発揮する演出だと私は思いますが、
今日のようにミスがあったり、またパフォーマンスそのものがだらけると、
一気に遊園地的なものに堕してしまう危険性もはらんでいます。
私の隣の二人連れも、”安っぽくて先が読める”というような表現をしていましたが、
先が読めるなんていうのは、オペラの世界なら当たり前で、
大体、ほとんどの人がストーリーを知って、もしくは以前に何回も見た事のある作品を観に来るわけです。
先が読めてしまう、としたら、それは観客に感動をあらたに感じさせる熱みたいなものが、
パフォーマンス自体に欠けているからだと思います。
ですから、そのことを演出のせいにするのはお門違いです。
インターミッションがあけて後半(第三部以降)が始まる前に、
マネジメントのスタッフから、
”ヴァルガスがお腹の不調を抱えていますが、
残りのパフォーマンスも歌いますのでご理解のほどを。”という言葉がありました。
だからあんなに体のどこにも重心がないような歌だったんだな、、と納得。
この言葉で少し心の重荷がとれたのか、むしろ後半の方が歌は良かったように思います。
声も前半よりはだいぶ前に飛んでくるようになりました。
ただ、もう初日のシリウスの放送で確認済みだったのですが、
第三部のマルグリートとの二重唱で二度出てくる高音は、もう歌わない、というスタンスにしているようです。
この作品を初めて聴くとか、馴染みのない人なら、多分ほとんど違和感がないほどです。
(一つ前の音をもう一度歌っているのだと思います。)
彼のこの役の歌唱にはいい面もあるのですが(決して乱暴な部分がなく、非常に丁寧に歌っている点とか)、
総合的にみると、何よりもこの作品のオーケストレーションの上を十分に届かすだけの声量とか際立った声質がないという点で、
この作品をずっとレパートリーとしてこの先も歌っていくのは
ちょっと難しいんじゃないかな、というのが私の正直な気持ちですが、
(だし、彼にはもっといいレパートリーが他にあるとも思う。)
この先、彼はどういう決断をするでしょうか?
声量の面では一切問題のないボロディナは、特に低音域から中音域での音が充実していて、
”昔トゥーレの王が Autrefois un roi de Thule"の歌唱は、美しい声でなかなか聴かせます。
しかし、リハーサルの時と全く同じで、この役で求められる最高音あたりになると、
突然問題が噴出す感じがします。
そして、それが、この役で一番美しい部分といってもよい
マルグリートのロマンス(”D'amour l'ardente flamme")に当ってしまっているのが最大の不幸です。
というか、彼女自身にこのあたりの音に不安があって、
それが自由にこの曲での表現に集中する足かせになっていることの方に問題があるかもしれません。
それでもリハーサルや初日の時には何とか果敢にチャレンジしていましたが、
何と今日は、この曲で最も大事と言ってもよい高音を出さずじまい。
、、、オルガさん、それはちょっと、いくらヴァルガスも高音を省略しているからといって、
どさくさにまぎれすぎじゃ、、。
以前の記事でもご紹介したことのある、昨シーズンのHDの公演からの、
グラハムの歌唱の映像をもう一度引用しますと、6'38"に出てくる音で、
(最後に二度繰り返されるVoir s'exhaler mon âme, Dans ses baisers d'amour!の、
二度目のVoir s'exhaler mon âmeのexhaler)
この曲のなかでも最もエモーショナルな一音だけに、これを飛ばされるとがっくり来ます。
結局一番歌が安定しているのはアブドラザコフのメフィストフェレスでしょうか?
私はリハーサルの時の感想にも書いた通り、彼のメフィストフェレスは、
声質のせいもあって、ちょっと優しすぎて、どんな形の不気味さもあまり感じないのですが、
これはこれで魅力と感じる人が多いのか、彼のこの役は観客にはなかなか好評です。
彼もレリエーに負けず劣らず、舞台では割と長身に見え、身のこなしも綺麗なので、
その点では何の不足もないのですが、、。
彼はもうちょっと違う役で聴きたいかな、というのが本音です。
ただ、3人のメイン・キャストの中では最も破綻がなく、
歌もよく準備されている感じがするのは彼で、
かつレリエーよりも音のつなぎ、移行がきれいな部分はあるので、
そのあたりも評価の高さに繋がっているのかもしれません。
それにしても、昨年の公演と比べてパンチが足りない今年の『ファウストの劫罰』。
これを去年聴いていたなら、この作品をこれほど好きにはなっていなかったと思います。
昨年に続いて気を吐いていたのは男性と児童の合唱くらいです。
次回再演される時には、単に名前が通った歌手というのではなくて、
本当にこの作品の真価が出るようなキャストであることを祈っています。
もちろん、そして、何より指揮者の選択を誤らないよう!!!
Ramon Vargas (Faust)
Olga Borodina (Marguerite)
Ildar Abdrazakov (Mephistopheles)
Patrick Carfizzi (Brander)
Conductor: James Conlon
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set Design: Carl Fillion
Costume Design: Karin Erskine
Lighting Design: Sonoyo Nishikawa
Interactive Video Design: Holger Forterer
Image Design: Boris Firquet
Choreography: Johanne Madore, Alain Gauthier
Dr Circ A Even
ON
*** ベルリオーズ ファウストの劫罰 Berlioz La Damnation de Faust ***
① たった一年でがたが来始めたセット
② 声のサイズがやや小さく、マルグリートの二重唱での高音を出さない(出せない?)ヴァルガス、
③ 中低音域では魅力的だけれども、高音域に無理があるために、最大の聴かせどころである
ロマンス(”燃える恋の思いに D'amour l'ardente flamme ”)で
悪い意味で尻すぼみに燃え尽きてしまうボロディナのマルグリート
④ 何よりもこの作品の良さをことごとくぶち壊し、
メト・オケから高校のマーチング・バンドのような音を引き出すという、
耳を覆いたくなるような恐ろしい技を繰り出したジェームズ・コンロンの指揮(もはや犯罪の域!)
この4点に問題は集約されました。
結果、昨シーズンのレヴァイン指揮、ジョルダーニ、グラハム、レリエー共演の時とは
比べるのも無意味と思われるほどに、緊張感のないだれた演奏となってしまっていました。
あのドレス・リハーサルと今日の公演の間にシーズン初日を迎えた『ファウストの劫罰』は、
その初日の演奏がシリウスで放送され、私も聴いていましたが、感じたのは、
ヴァルガスの歌にリハーサルよりも細かい表現や熱さが感じられたこと、
コンロン率いるオケが若干ましだったこと、位で、
ボロディナについてはほぼ同じ印象、
セットについてはリハーサルで聞いたようなびっくりするようなノイズ
(スクリーンを動かそうとする装置と
故障して”てこでも動かないわよ!”とその場に居座るスクリーン側が摩擦を起こして、
音楽が鳴っている途中におかまいなしに、バリバリバリ!!!という轟音がしていました。)
はとりあえずラジオでは確認できなかったので、
さすがに本番までに修繕したのね、と思っていたらば、、。
今日の公演が始まってまず気付いたのは、
ヴァルガスが初日の勢いや良かったところを全て失い、またもやリハーサルの時のような歌を聴かせていること。
というか、リハーサルよりもさらに悪いくらいの。
まるで、声が出てくる時にどこにも重心がないようなふぬけた声で、
これは私がこれまで聴いた彼の中でも、もっともふがいない歌唱で、
どうした?!!ヴァルガス!!??です。
しかも、声量は今までのなかでも最高に小さく、風邪でもひいて喉を守ろうとでもしているかのようです。
しかし、それを言えば昨シーズンのジョルダーニだって、
声のコンディションが悪く(というか、彼は最近万年コンディションが悪いので)、
決して理想的な歌唱ではなく、グラハムとレリエーに混じると一番弱い三角の角だったんですが、
とにかくオケが聴かせてくれ、しかもこの作品は最初から最後までオケの聴きどころが満載なので、
彼の歌の弱さがさほど気にならなかったものです。
それが、ヴァルガスは、なんて運が悪いんでしょう。コンロンの指揮と組み合わされてしまうなんて。
っていうか、もう、ほんっとうにびっくりするくらいオケの演奏がめちゃめちゃなんですけど!
さらに、言わせてもらえば、これはオケのせいじゃないですよ。
オケをまとめられないコンロンのせいです。
だって、たった昨シーズンにあれほど素晴らしい演奏を聴かせたオケが、
しかも、かなりのメンバーが昨シーズンからの居残りになっているオケが、
ひとりでにこんなことになるわけないじゃないですか!!
実際、リハーサルでは、各セクションからは魅力的な音も出ていました。
でも、それが全然セクション同士でかみ合わないのです。
しかも、あれからさらに病魔は進行したようで、
(多分、初日に若干ましだったのはオケ自身の自浄作用でしょう。
たまにあるのです。シリウスやHDのような大事な時に、あまりに指揮者がひどい場合は、
オケが自分たちで勝手に熱演してしまうことが。)
こんな指揮のもとでやってられるか!という空気が漂いはじめているのか、
もはや、各セクションから出てくる個別の音色すらやる気のない音になり始めています。
指揮者は、まず、オケがこの指揮者のためなら本気を出すぞ!と思わせるようでないと話になりません。
何もかもがそこから始まるんです。
『アイーダ』のガッティについて書いたテンポに関する不満なんていうのは、
当然、その先の問題で、逆を言うと、少なくともガッティはオケを本気にはさせていました。
それを言えば、『トスカ』の”イカ”(コラネリ)なんか、代役の指揮者でしたが、
そういう意味ではずっとずっと指揮者としての大事な任務を果たしています。
といいますか、コンロンの指揮は今まで何度か聴いたことがありますが、
この『ファウストの劫罰』での指揮で、
一体どうやって彼がLAオペラの音楽監督にまでたどり着いたのか、私には謎!と
決定的に思わせるに至りました。
今日座ったのはドレス・サークルの最前列で、
この階は客の落下防止を防ぐためのバーに若干幅があり、
それが最前列で普通に座っていると、ちょうどオケピを覆ってしまうような場所に設置されているのですが、
あまりにハンガリー行進曲の演奏がだらだらと覇気がないので、
”一体どういう指揮振りをしているんだ?!”と頭を少し下げて、
バーの下からのぞくようにしてコンロンの姿を見ると、
なんと、びっくりするようなオーバーアクションで暴れまくっているではないですか!!!
なんてむなしい、、
コンロンのオーバーアクションとあまりに対照的なオケのしょぼい音、、、
視覚と聴覚のあまりの一致しなさに、しばらく私の脳が情報処理を戸惑ったほどです。
指揮は、どんな動きもそれが音に結びつかないと意味がないでしょう。
どんなにばたばた動きまわっても、そこからオケが彼の指示を感じ取れなければ、
その動きはないに等しい。
なんだか、彼の指揮は根本のところが間違っていると思います。
また指揮とオケの演奏について気付いたことをまとめてここで全部書いてしまうと、
この作品で最も迫力があり、ここでオケが観客の心をしびれさせなければ嘘、という、
ファウストの地獄落ちのシーンなんかも、
レヴァインの時と比べて全く迫力がありません。
いや、物理的な音量から言うと、昨シーズンと全く同じ位の音がオケの各セクションからは出ています。
ただ、音が一体になっていないのです。
そのために、音の密度が薄く感じられ、本当に一体になればびしっと客席に鋭く入ってくるはずの音が、
各セクション毎にばらばらに飛んでくるので、音の輪郭がぼやけ、同じ迫力を得られないのです。
また、彼のセクションの間のバランス感もセンスが悪くて嫌になってきます。
特に、打楽器と低音の弦楽器をやたら強調したがる癖があって、
ハンガリー行進曲でのクライマックスの部分の打楽器を強調しまくった演奏は、
まるで下手な高校のマーチング・バンドみたいな音で、がっくり来ます。
このあたりも、メト・オケの長所が手に取るようにわかっているレヴァインに比べると
(まあ、その点に関してはなかなかレヴァインを越えるのは難しいでしょうが)、
このオケのいいところをわざわざないがしろにして、
なんでこんなローカル・マーチング・バンドみたいな音にするのか?!と頭を抱えたくなります。
それから、マルグリートのファウストに対する心の鼓動を表現しようとでも言うのでしょうか?
他の楽器の音を極力抑えて、コントラバスのパートをやたら強調している個所があって、
それもすごく安っぽくて嫌でした。
コンロンの指揮を???と思う点については永遠に書き続けることが出来そうですので、
これくらいにしておいて、指揮に続いて私が凍りついたのは、セットでした。
なんと、まだインターミッションにいたる前の、第二部の途中で早くもセットが崩壊。
一番最初の写真の、上段左から三つ目のセル(二人のダンサーが写っているそれ)、
こちらが問題のセルで、リハーサルで問題があったのと全く同じ場所です。
ということは、リハーサルから問題が根本的に改善されていなかった、ということになるでしょうか、、。
第二部ではこれらのセルそれぞれに上部のカーテンレールから下がった布に、
コンピューターからプロジェクトした映像が効果的に使われるシーンが連続します。
しっかりと映像を写すべき場面では布を登場させそこに映写し、
また、メフィストフェレスとファウストを乗せた小船が舞台を下手から上手に移動する場面では、
その布をスライドさせてどかせ、セルの奥行き一杯を使わせる、というように、
この布が自由自在に移動しないとかなり厄介なことになります。
問題のセルにはこのレールに問題があるようで、途中でレールに布がつっかえてそこから移動しなくなるのですが、
それでも装置が無理に布をひっぱろうとするので、布がレールから外れてびろーんと手前に垂れてきてしまいました。
、、、、、。
その垂れてきた布のむこうは本来客席から見えない状態になっているので、
ダンサーやエキストラたちの移動に使われていて、表の舞台で起こっていることとは関係のない
彼らの様子がばっちり丸見えです。
しかし、彼らも猛烈に忙しいので、そんなことに構ってられるか!ということで、
野生の動物群の移動のようにすごいことになっていて、それも丸見えです。
時折、野生の動物(エキストラ)たちの移動が収まると、大道具のスタッフが布をひっぱってみたり、
別の布をあてがおうとしてみたりするのですが、場面によっては布を透かして映写する技術を使用している場合もあって、
お尻に大工道具を下げた親父の影絵がうつりこんでしまう始末。
でも逆にこういうアクシデントがあると、上手くいっているときにはなんでもなく見えていたことが、
物凄く細かい計算や技術の組み合わせによって成り立っているんだな、と気付かされます。
結局インターミッションまではこの状態で突き進んでしまいましたが、
インターミッション中に猛烈に修復したのでしょう、後半は滞りなかったです。
この演出はそういった細かい駒が全部かみ合って、かつ、パフォーマンスが熱ければ、
きちんと真価を発揮する演出だと私は思いますが、
今日のようにミスがあったり、またパフォーマンスそのものがだらけると、
一気に遊園地的なものに堕してしまう危険性もはらんでいます。
私の隣の二人連れも、”安っぽくて先が読める”というような表現をしていましたが、
先が読めるなんていうのは、オペラの世界なら当たり前で、
大体、ほとんどの人がストーリーを知って、もしくは以前に何回も見た事のある作品を観に来るわけです。
先が読めてしまう、としたら、それは観客に感動をあらたに感じさせる熱みたいなものが、
パフォーマンス自体に欠けているからだと思います。
ですから、そのことを演出のせいにするのはお門違いです。
インターミッションがあけて後半(第三部以降)が始まる前に、
マネジメントのスタッフから、
”ヴァルガスがお腹の不調を抱えていますが、
残りのパフォーマンスも歌いますのでご理解のほどを。”という言葉がありました。
だからあんなに体のどこにも重心がないような歌だったんだな、、と納得。
この言葉で少し心の重荷がとれたのか、むしろ後半の方が歌は良かったように思います。
声も前半よりはだいぶ前に飛んでくるようになりました。
ただ、もう初日のシリウスの放送で確認済みだったのですが、
第三部のマルグリートとの二重唱で二度出てくる高音は、もう歌わない、というスタンスにしているようです。
この作品を初めて聴くとか、馴染みのない人なら、多分ほとんど違和感がないほどです。
(一つ前の音をもう一度歌っているのだと思います。)
彼のこの役の歌唱にはいい面もあるのですが(決して乱暴な部分がなく、非常に丁寧に歌っている点とか)、
総合的にみると、何よりもこの作品のオーケストレーションの上を十分に届かすだけの声量とか際立った声質がないという点で、
この作品をずっとレパートリーとしてこの先も歌っていくのは
ちょっと難しいんじゃないかな、というのが私の正直な気持ちですが、
(だし、彼にはもっといいレパートリーが他にあるとも思う。)
この先、彼はどういう決断をするでしょうか?
声量の面では一切問題のないボロディナは、特に低音域から中音域での音が充実していて、
”昔トゥーレの王が Autrefois un roi de Thule"の歌唱は、美しい声でなかなか聴かせます。
しかし、リハーサルの時と全く同じで、この役で求められる最高音あたりになると、
突然問題が噴出す感じがします。
そして、それが、この役で一番美しい部分といってもよい
マルグリートのロマンス(”D'amour l'ardente flamme")に当ってしまっているのが最大の不幸です。
というか、彼女自身にこのあたりの音に不安があって、
それが自由にこの曲での表現に集中する足かせになっていることの方に問題があるかもしれません。
それでもリハーサルや初日の時には何とか果敢にチャレンジしていましたが、
何と今日は、この曲で最も大事と言ってもよい高音を出さずじまい。
、、、オルガさん、それはちょっと、いくらヴァルガスも高音を省略しているからといって、
どさくさにまぎれすぎじゃ、、。
以前の記事でもご紹介したことのある、昨シーズンのHDの公演からの、
グラハムの歌唱の映像をもう一度引用しますと、6'38"に出てくる音で、
(最後に二度繰り返されるVoir s'exhaler mon âme, Dans ses baisers d'amour!の、
二度目のVoir s'exhaler mon âmeのexhaler)
この曲のなかでも最もエモーショナルな一音だけに、これを飛ばされるとがっくり来ます。
結局一番歌が安定しているのはアブドラザコフのメフィストフェレスでしょうか?
私はリハーサルの時の感想にも書いた通り、彼のメフィストフェレスは、
声質のせいもあって、ちょっと優しすぎて、どんな形の不気味さもあまり感じないのですが、
これはこれで魅力と感じる人が多いのか、彼のこの役は観客にはなかなか好評です。
彼もレリエーに負けず劣らず、舞台では割と長身に見え、身のこなしも綺麗なので、
その点では何の不足もないのですが、、。
彼はもうちょっと違う役で聴きたいかな、というのが本音です。
ただ、3人のメイン・キャストの中では最も破綻がなく、
歌もよく準備されている感じがするのは彼で、
かつレリエーよりも音のつなぎ、移行がきれいな部分はあるので、
そのあたりも評価の高さに繋がっているのかもしれません。
それにしても、昨年の公演と比べてパンチが足りない今年の『ファウストの劫罰』。
これを去年聴いていたなら、この作品をこれほど好きにはなっていなかったと思います。
昨年に続いて気を吐いていたのは男性と児童の合唱くらいです。
次回再演される時には、単に名前が通った歌手というのではなくて、
本当にこの作品の真価が出るようなキャストであることを祈っています。
もちろん、そして、何より指揮者の選択を誤らないよう!!!
Ramon Vargas (Faust)
Olga Borodina (Marguerite)
Ildar Abdrazakov (Mephistopheles)
Patrick Carfizzi (Brander)
Conductor: James Conlon
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set Design: Carl Fillion
Costume Design: Karin Erskine
Lighting Design: Sonoyo Nishikawa
Interactive Video Design: Holger Forterer
Image Design: Boris Firquet
Choreography: Johanne Madore, Alain Gauthier
Dr Circ A Even
ON
*** ベルリオーズ ファウストの劫罰 Berlioz La Damnation de Faust ***