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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

二進言 (Sat, Jul 28, 2007)

2007-07-28 | 京劇
7月11日に観に行ったような京劇を予想していたら、とんでもないことに。

開演10分前に私の連れが放った、
”Shen Wei Dance Artsってあるけど、これって京劇なの?ダンスなの?”という
素朴かつ的を得た質問に、私もしばし沈黙。
確かに、言われてみれば、なぜOperaではなく、Dance Arts?
勝手にトラディショナルな京劇だと思い込んでいた私。。

開演前の舞台に掲げられたスクリーンには水墨画の様なタッチで描かれた竹の絵が。
開演した途端、同じスクリーンの右上端に中国語(原語)の歌詞と、翻訳が。
読みやすくて、驚きました。
これだと、舞台の上方や横にサブタイトルを映し出す方式、
またメトのオペラの公演で使用されている、前の座席の背中にでるタイプと比べても、
圧倒的に舞台との距離が近いので、視界をあちこちにやらなくてすみ、とても画期的!!!

と感動しているうちに、わらわらとグレーのパジャマみたいなダンスウェアを来て現れたダンサーの人たち。
全員中国人ではなく、白人のダンサーも数人混じってます。
そして繰り広げられるとてもコンテンポラリーだがどことなく太極拳的な動き。

・・・・・・・・。

結論から言うと、この公演、京劇がメインなのではなく、
ダンスがメイン。そう、あくまで、Shen Wei Dance Artsの公演だったのです。
だから、この記事も本当は京劇というカテゴリーは適当でなく、
ダンスという新たなカテゴリーを作るべきだったのかも知れません。

このShen Weiという人、9歳から京劇の勉強を始め、
地方公演に出演を重ねたあと、モダン・ダンスの世界に入り、
1994年に中国の全国大会で振付と踊りの両方で最高賞を得てニューヨークへ。
2000年に、ダンス、演劇、京劇、絵画、彫刻等、西洋および東洋の文化のフュージョンを目指すべく
このShen Wei Dance Artsを結成したそう。
2003年のリンカーン・センター・フェスティバルでは、
ストラヴィンスキーの”火の鳥”をバックに、大判の絵画とダンスの融合、なんていう試みも行い、
高く評価されたそうです。
つまり、今回は、京劇が主役なのではなく、
Shen Wei Dance Artsのフュージョンのパートナーとして白羽の矢がたったのが京劇だった、
というわけなのです。

そして、早速私の感想を述べるなら、少しいろいろ詰めこみすぎかな、という印象。
舞台の片側、または前方で京劇が進行する間に、反対の片側、または後方で激しくダンサーの人が踊りを繰り広げているのですが、
私のような中国語を耳で聞いてわからない人間には、これに字幕まで加わってしまうので、
どれに集中すればいいの?!という感じになってしまうのです。

タイムリーなことに、この公演から帰ってきた後に、たまたま、
お友達のブログで知って購入した、『オペラを聴くコツ、バレエを観るツボ』と言う本を、
再度流し読みしていたところ、
パリでピナ・バウシュが振付けた”オルフェオとエウリディーチェ”のオペラ・バレエなるものが上演された、という記述を発見(37ページ)。
著者の話によれば、ひとつの役に対してダンサーと歌手が一つずついて、
歌手が本音を表現しているところで、ダンサーが違う面を表現していたり、その逆だったり、と、
大変興味深い公演だったそうです。

この『二進言』では、京劇側は一つの役につき、歌手が一人いるのですが、
ダンス側は各役との、そのような一対一の関係ははっきりせず、
どちらというと複数のダンサーが全体でその場面そのものをアブストラクトに表現する、といった手法で、
”オルフェオとエウリディーチェ”と単純比較するわけには行かないのですが、
まさに、その点が仇になっているような気がする。

つまり、京劇側とダンス側とで何も有機的なつながりがないので、
別々の公演がたまたま同じ舞台で一緒にかかっていて、
それを観ているような何とも落ち着かない感触なのです。
もしも、ダンスの方がぴったり揃っていれば(ダンサーは10人くらい)、
また印象も違ったかも知れないのですが、こちらがまたばらばら。
しまいにはあまりにも集中できないため、途中からダンスの方を多少切り捨てて見ることに。
特にオペラと違って、京劇の場合は俳優にもちゃんと踊りの振りがありますから、
私の顔に8つくらい目がついていない限り、こんなのをきちんと観るのは不可能なのです。

またダンスの振付そのものも、なんだかぐねぐねしているばっかりでちっとも美しくない。
生理的にあまり快い振付ではなかったのです。

それでは何一ついいことがなかったかというと、
ステージングやセット、プロダクションは素晴らしいのです。
なんと多才、そんなステージのデザインまでこのShen Weiという人は自ら行ってしまうようで、
予算がないことを言えば、キーロフの指輪の公演の比ではないのですが、
まるでお金がないけれどもセンスのいい人が、自分の部屋をお金をかけずとも趣味のよい空間にしてしまうのと同様に、
本当にその辺の手芸店やDIY系のお店で手に入りそうなものを組み合わせて、
美しいセットを作りあげていたのには恐れ入りました。
こんな人にメトのようなところがそこそこの資金をあげてオペラのプロダクションを作ってもらったら、
ちょっと面白いことになるのでは?と思ったりもしたのでした。
しかし、資金が乏しいときほど、上品にステージを作りあげるよう専念すべきだと実感しました。
つくづく、あのキーロフのステージングは何だったんだろう?と思えてきます。

作品の方は、明の皇帝に、赤ん坊を残して先立たれたお妃が、
自分の子供に、いかに皇位と明るい国の未来を残してやるか、というのがテーマ。
なんとこの妃、自分の父親に裏切られて、
子供が受け継ぐはずだった政権を奪われたうえに軟禁状態にまでされますが、
彼女に仕える優れた軍人と民間人(といっても限りなく位は高いようですが。)の力を得て、
無事に目的を達する、というお話。

楽器の演奏が大変凝っていて、日本のお琴のような楽器も。
歌の方は、マイクを使われてしまったので、本当の意味で声の質を判断するのは不可能。
生の声フェチの私(だからオペラが好きなのだ!)にはこんなの言語道断。

私にはこの公演、ちょっとフュージョン度が高すぎたようです。


Lincoln Center Festival 2007
Shen Wei Dance Arts
"SECOND VISIT TO THE EMPRESS"
Zhang Jing (Empress Li, Widow of Ming Emperor)
He Wei (General Yang Bo, Courtier)
Deng Mu Wei (Duke Xu Yanzhao, Coutier)
Song Yang (Miss Xu, Royal Attendant)
Dancers of Shen Wei Dance Arts
Concept, Direction, and Choreography: Shen Wei
Music Direction: Zhenguo Liu

***二進言 Second Visit to the Empress***

貴妃醉酒 / 覇王別姫 (Wed, Jul 11, 2007)

2007-07-11 | 京劇
『貴妃醉酒 (The Tipsy Concubine)』

唐の第六代皇帝、玄宗皇帝が入れあげた楊貴妃のお話。
史実では、ならぶところのないご寵愛を得たことになっていますが、
この作品では、当初楊貴妃のもとに訪れる予定だった玄宗皇帝のために、大張り切りでもてなしの準備をするも、楊貴妃、すっぽかされるの巻。
玄宗はかわりに別の愛妾のところに出かけてしまい、
すっかり気分を悪くした楊貴妃は、準備されていた酒を片っ端から飲んで酔いつぶれて寝室に戻る、というそれだけの話なのですが、
笑いの向こうから、他人から受ける寵愛だけが生きる術である身の悲しさが伝わってきます。
また、楊貴妃に付いて働くもの全員も、
楊貴妃がいかに皇帝から寵愛を受けるかで自分たちの運命も決まるため、一同あげて楊貴妃をサポート。
かつ彼女の機嫌を損ねまい、と四苦八苦する姿も、おもしろおかしく描かれています。
台詞だけ聞いているとコミカルなのですが、
そこかしこに、なんともいえないほろ苦さが隠されているのがポイント。
例えば、前後不覚になるほど酔っ払ってしまった楊貴妃に、
お付きの宦官の一人が、”皇帝がいらっしゃいました”と嘘をでっちあげます。
ここは、傷心の楊貴妃を少しでもなぐさめようとついた嘘だと思われるのですが、
”どこに?”と問い詰められて、さすがに皇帝の物まねをする勇気のない宦官は観念、
”妃をだましてしまいました”と正直に返答します。
すると一瞬、楊貴妃がとても気弱な様子で、”どうしてそんな嘘をつくの?”と一言ぽろっとこぼす。ここは、
”どうして今夜は私のところに来るなどと、適当なことを言ったのですか?”という皇帝への質問とあいまって、二重の質問のように聞こえます。
お付きのものが何も応えられなくなってしまうのが、また憐れを誘う。

京劇で面白いと思ったのは、ものすごくはっきりしたここが拍手どころ!というようなポイントがあるにもかかわらず、
その箇所が素人にはきわめてわかりにくいところ。
オペラはもっと自由度が高くて、もちろん変な箇所で拍手したり、ブラボーをかけたりすると浮くのは間違いないのですが、
しても浮かない箇所は京劇よりずっとわかりやすい。
京劇の場合は、必ずしも言葉とかが一段落ついた箇所ではなく、
ある動きが決まったりすると、全然話がどんどん動いている途中でも、
やんやの歓声の嵐。これに混じって声をかけるのは、ネイティブでない人間にはかなり難しいです。
(声をかけていた人はほとんど中国系の方たち。)

この作品は、ややメロディーの繰り返しが多く、たとえば、
二人の宦官との掛け合いを、少しずつ歌詞を変えて繰り返す、などというパターンが多く見られ、
正直、若干辛気臭いところもあり、また結構長いです。

皇帝は結局一度も姿を見せず、ほとんど出ずっぱりの楊貴妃役の方の演技力にかかっている。
二つ目の作品と掛け持ちで演じたWei Hai-mingががんばっていて、
あの重い衣装と頭の飾りをつけたまま、ファイヤーダンスのようなアクロバティックなポーズを決めていたり、
(なんとなく動きに南国の島の踊りを思わせるものもあり。。)
あと、結構パントマイムっぽい動きが多いのですが、その動きも的確で感嘆しましたが、
話のテンションが若干低く、少し好みの分かれる演目かもしれません。
だんだん酔っ払っていく過程の表現は、しかしさすがに見ごたえがありました。
机によりかかったまま、机ごと前のめりになっているところなどは、
その角度など非常に計算されていて、何度も何度も演じて体得したものに違いありません。

休憩をはさんで、

『覇王別姫(Farewell My Concubine)』。
前半、触れるのを忘れてしまいましたが、京劇の特徴の一つはセットがミニマムであること。
今日の演目も、二本とも同じセットを使いまわしにしていて、
大きな木の鳥居のようなものに、『傳寿雅風』と書かれた額がかかっています。
(漢語の苦手な私には意味不明。友人に意味を聞かれ、かたまった。)
舞台の両端には赤い提灯。この赤い提灯見ると中国!という感じがするのは数々の映画による洗脳効果でしょうか?
これ以外に場によって登場するのは机と椅子。
それ以外のものは全く舞台に出てこないし、
また出てくる場合は、パントマイムで表現されたり、小道具でかわりに表現されます。
ミニマムですが、大変美しいセットでこれは大満足でした。

さて、陳凱歌(チェン・カイコー)監督、レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー出演の
1994年の映画『さらば、わが愛/覇王別姫』で、その一部分が挿入されるため、
一番目の演目より少しはなじみのあるこちらの作品。
とはいえ、映画を見ただけでは筋はなーんにもわからないので、
簡単に背景と筋書きを紹介。
紀元前3世紀の終わり、秦の始皇帝亡き後の群雄割拠を経て、
漢の劉邦と楚の項羽の一騎打ちの色が濃くなります。
配られた参考資料によれば、項羽は生まれは高貴で肉体的な強さに恵まれながらも、
考えが衝動的かつ浅はかで、人々からの忠誠を勝ち取るに必要な性質をもたない(ひどい言われよう。。)軍人タイプ。
一方の劉邦は、農民の出で学がないながらも有能な政治家や軍人をひきつけるカリスマのようなものをもちあわせており、
いつの間にか、項羽側の人間が劉邦側に寝返ったりしたことも手伝って、
勝ち目のない戦へと項羽は追い詰められていきます。
そんな情けない将軍、項羽と、そのお妃、虞美人との悲劇を描いたのがこの作品。
項羽の足手まといとならぬよう、項羽の前で最後の舞を舞った後、虞美人はみずから命を絶ち、
項羽自身は戦場で、敵に追い詰められ、自害をします。
英語のタイトルのConcubineとは愛妾を意味しますが、
作品中の台詞の訳され方から言っても、虞美人は、お妃と理解した方がつじつまがあうようです。

この作品はよい!!!
『貴妃醉酒』と打ってかわって、この作品は最初からものすごくテンションが高い。
それは振りも音楽も。
いきなり戦場のシーンで始まるのですが、たちまわりのシーンが大変迫力に富んでいて、
おお!これぞ京劇!!と、知識のない私のような観客ですら、その雰囲気を存分に楽しめるのです。
また、項羽を演じるWu Hsing-kuoは、この劇団で演出も担当している、
言ってみれば団長格の人のようなのですが、
この役に必要とされる堂々とした威風が、立っているだけでもまわりに漂っている。
前半の演目が男らしい男のほとんど登場しない(男性は宦官だし。。)演目だったゆえに余計、
この男らしい堂々とした雰囲気が新鮮。
また声のスケールも大きくて、これならもっと大きい劇場でも全然平気そう。。と思ったら、
帰宅して資料を読んでいてびっくり。
この方、あの、メトでのオペラ、『ファースト・エンペラー』で、Yin-Yang Masterを演じた方でした。

戦から疲れて戻った項羽が休んでいる間、
庭で月を愛でる虞美人。
そこで、項羽の部下同士が、もう劉邦にねがえっちゃおうかな、などとこぼしているのを耳にしてしまいます。
そこで、もはや項羽に勝ち目のないことを悟る虞美人。
夫が部下にこき下ろされたうえに、近い死をも覚悟しなければいけないとはなんて悲しい。

二人で過ごす最後の時間、少しでも項羽の心を戦から離そうと、
虞美人は舞を舞ってみせます。
この演目の主役二人は、振付のせいもあるのかもしれませんが、
とことん無駄をはぎとった動きで本当に見ていて美しい。
さらに、項羽の方は寝室に向かいながら、ちらと虞美人のほうを振り向くその様子で、
すっかり豪傑な軍人が気弱になっていることを表現していて切ない。
彼は写真でもわかるとおり、すごいメーキャップにひげまでくっついているので、
当然のことながら、顔の表情ではなく、
ほんの少しの首の傾げ方、立ち方で、そのような感情を表現するわけです。
今回の京劇でもっとも興味深かったのは、この微妙な所作で感情を表現すると言う点だったかもしれません。
ひげすらも、ものを考えるときや怒りの感情を表現する際の小道具となっていたのは大変興味深かったです。
項羽が自決する前、自分の馬を川に逃がす(入水自殺させたととれなくもない。。)のですが、
先ほど説明したとおり、京劇ではセットがミニマムなので、当然のことながら実物の馬が舞台にいるわけではなく、
手にしていた馬を打つ道具がその瞬間馬をあらわすものとなり、
項羽がそれを川の方向に向かってなげることで(背景の障子用のものを少し開いて、その隙間を川に見立てている)、
馬が川に飛び込んだのを表現しているのを見たときは、
表現の洗練のきわみだと思いました。
ものすごい勢いで放りなげられた鞭が、まさに川に全速力で飛び込む馬の姿を思わせ。。

どんな表現ジャンルでも、傑作とそうでないものがあるのが世の習いですが、
まさにこの作品はその最初から最後までテンションのゆるまない点、
またある意味、超現代的にも聞こえる音楽のユニークさ、
(時々コンテンポラリー・ダンスを目にしているかのような錯覚を覚えました)
話の運びのよさ、見せ場の満載さ、などから、
京劇の最高傑作のひとつではないかと思われます。

一つ、反省は、京劇の場合、体の微妙な動きがポイントでもあるので、
せめて指の動きがはっきり見えるくらいの近い席に座りたかった。
普通の演劇なら最高の席だったと思うのだけれど、京劇ではまだ遠かったのが残念。


Lincoln Center Festival 2007
Contemporary Legend Theatre of Taiwan
"THE TIPSY CONCUBINE"
Wei Hai-ming (Yang Guifei)
Chen Chin-ho (Eunuch Pei)
Lin Chao-hsu (Eunuch Kao)
"FAREWELL MY CONCUBINE"
Wu Hsing-kuo (King Xiang Yu)
Wei Hai-ming (Concubine Yu)
Sheng Chien (General Han-xin)
Lee Chai-chi (Groom)
Chen Min-hung, Yang Ching-ming (Han Generals)

Director: Wu Hsing Kuo
Dramaturg: Wei Hai Ming
Set and Lighting Designer: Lin Keh Hua

Rose Theater
Right Orch Box 1

***貴妃醉酒 The Tipsy Concubine 覇王別姫 Farewell My Concubine***