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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: LA TRAVIATA (Mon, Mar 29, 2010)

2010-03-29 | メト on Sirius
その記憶が悪夢となって毎夜蘇るのではないかと思われるほどひどかった、
『椿姫』のドレス・リハーサルでのスラットキンの指揮。
純粋な演奏水準だけの話をしても、あんなにひどい演奏しか出来ないのなら、
私がスラットキンなら指揮を降りるだろうし、私がゲルブ支配人なら、即効で彼をクビにしたと思う。
それも、ドレス・リハーサルまで待たずに。
しかし、驚くべきことに、この3/29の、ゼッフィレッリの演出でステージングされるのは今シーズンが最後の『椿姫』の初日に、
恥ずかしげもなく指揮台にあらわれたのですから、このずうずうしさには本当に驚きます。

しかも、初日の演奏の次の日あたりに、ヘッズのブログ(もちろんチエカさんの!)で、
当人が自らのブログに、とんでもなくふざけたことを書いている事実がすっぱ抜かれ、
おそらく、それが(自ら辞退したにしろ、追い込まれたにしろ、、)、決定打になったのだと思いますが、
ランのその後の公演には戻ってこない旨の発表があったのは、こちらの記事に書いた通りです。

演奏水準が低いのは、それだけでも罪深いですが、
そうなるのを自分でわかっていながら、”自分が学べる良いチャンス”という理由だけで、
キャストを、オケを、観客を犠牲にし、それを恥ずかしげもなく自分のブログで吹聴しているなんて、
相当頭が鈍いか、相当傲慢か、そのどちらかです。いや、その両方かも。

彼が現在デトロイト交響楽団の音楽監督をつとめていることは前の記事で書きましたが、
これほどデトロイト市民にとって屈辱的なことはないでしょう。
デトロイト交響楽団のパトロンや常連客は、今後、どんな気持ちで演奏を聴けばよいのか?
そんな市民の気持ちを反映して、ある意味、出るべくして出たのが、
デトロイト・フリー・プレスの音楽批評担当のマーク・ストライカー氏による記事です。

この記事がスラットキンのブログから引用しているところによると、
当初予定されていた『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になった時点では、
演目が変わるならやりたくない、という意向だったようですが、
しばらくするうち、オペラハウスの自分以外の全ての人間が『椿姫』を良く知っているから、
自分は彼ら先達から大いに学べるのではないか、という、例の論理に行き着いたようです。
”色んな資料をひっぱりだし、ヴェルディについて、また作品についての本を読んだ。
いくつかの音源を聴いて、それは役に立った部分もあったけれでも、さらに頭が混乱することにもなった”(おいおい、、)
スラットキンがブログで書いている言葉をそのままとるなら、
結局、自分の中で、『椿姫』の演奏のスタイルを完全に消化できなかったことに最大の敗因があるようです。

でも、『ヴェルサイユの幽霊』が『椿姫』に変更になったと言ったって、
一ヶ月とか数週間前に変更になったわけではなく、2008年の11月半ばにはわかっていたことですから、
まる一年以上の準備期間があったんですけどね、、。

ストライカーはしかし、”最初の直感に従って、『椿姫』は断った方が良かったのかもしれない。”としながらも、
スラットキンが過去にメトで指揮をした『西部の娘』、『サムソンとデリラ』がいずれも高い評価を得たことを強調。
おそらく、『椿姫』のような定番レパートリーでは十分なリハーサル時間をとれなかったこと、
また、ゲオルギューの勝手な行動も事態を良くはしなかったであろうことを推測し、
メトには戻ることはないかもしれないが、彼の最も大事な仕事はデトロイトにあって、
デトロイトには全てを注いでくれている、彼はきっとこれを乗り越える、と結んでいます。

これだって、言わせてもらえば、十分なリハの時間がとれない、ゲオルギューみたいな人に合わせていかなければならない、
なんていうのは、彼女以外のキャストも、オケも、同じなんですけどね。
いいですね、スラットキンはこうやって擁護してくれる人があって。
メト・オケなんて、『椿姫』だけでなく、新演出もの以外の演目すべてをそのようにして毎回乗り越えているわけですけど、
演奏が悪かったら、”演奏悪い””オケ下手”の二言で終わりですから。誰もリハが少ないことに同情なんてしてくれません。

地元の新聞がこうやって温かく書いてくれるのは一見良いことのように見えますが、
そのぬるいメンタリティが今の彼の姿勢につながっているのでないことを祈るばかりです。

スラットキンの指揮にご興味のある方は、4/17のマチネの公演がラジオで放送され、
ネットでの視聴も可能ですので、そちらを聴いて頂いて、、と思っていたのですが、
それが叶わぬものとなった今、この3/29の初日の公演の音源を皆様と分かち合いたいと思います。
私一人で抱えるには、あまりに重過ぎる悪夢ゆえ、、。

すべて第二幕から。
なぜ第二幕かというと、それは私が好きだからです。
好きな幕で聴くと、さらに悪夢にうなされる度500%!

まず、ヴァレンティが歌うアルフレード。
ここでも細かいディスコーディネーションが観察されますが、
ヴァレンティよ、スラットキンの方を見ても無駄です!
なぜなら、スラットキンはあなた”から”何かを教えてもらいたくて指揮台に立っているのだから。
普通、メト・デビューにあたる公演で、特に若手でこのような大役だったなら、
指揮者のサポートを受けることはあっても、サポートしてあげることはないと思うんですけどね、、、。
今回で悪運を全て使い果たしたと思って、この先、頑張ってください。




しかし、まだまだ、これは序の口。
ここからスラットキン・ワールドが全開になります。
ヴィオレッタはもちろんアンジェラ・ゲオルギュー、ジェルモン父はトーマス・ハンプソンです。
それにしても、心の動揺からか、ハンプソンがここまで音程を外しているのは本当にめずらしい、、。
そして、彼の歌が崩壊してしまうあたりは涙なくして聴けません、、。
ゲオルギュー、ハンプソン、こんなベテラン2人が、
ここまで合わせて歌うのに苦労する『椿姫』のオケの演奏なんて、本当に尋常でないです。

さ、もう、何もいいますまい。ただ、ただ、音源に耳を傾けて頂ければ、
私がドレス・リハーサルで味わった恐怖を感じていただけることと思います。








Angela Gheorghiu (Violetta Valery)
James Valenti (Alfredo Germont)
Thomas Hampson (Giorgio Germont)
Theodora Hanslowe (Flora Bervoix)
Kathryn Day (Annina)
Eduardo Valdes (Gastone)
John Hancock (Baron Douphol)
Louis Otey (The Marquis d'Obigny)
Paul Plishka (Doctor Grenvil)
Juhwan Lee (Giuseppe)
John Shelhart (Messenger)
Conductor: Leonard Slatkin
Production: Franco Zeffirelli
ON

*** ヴェルディ 椿姫 ラ・トラヴィアータ Verdi La Traviata ***

Sirius: CARMEN (Sat Mtn, Jan 16, 2010)

2010-01-16 | メト on Sirius
注:このポスティングはライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演をシリウスで聴いたものの感想です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。

ぬかりました。
HDの収録日の公演なのに、チケットを抑えていませんでした。どうせ、とれるだろう、と思って。
大晦日の公演が終わった時点ですでに、普通にウェブではチケットが買えなくなっていて、
公演の前日まで、毎日メトにキャンセルになったチケットが出てきてないか、電話をかけ続けました。
しまいには親切なパトロン・デスクのスタッフのおじ様が、
”この公演日は異常な人気になっているから、多分、チケットをとるのは無理だよ。
悪いことは言わない。努力と時間の無駄になるから、おあきらめなさい。
ボロディナとジョヴァノヴィッチのチケットならたくさん残っているから、それを抑えてあげようか?”
いや、それじゃ意味ないから!
”それだったら、もう一日、カウフマンが登場する公演日のチケットを足します。”と、
意味なく、全然違う公演日のチケットを買い足したりして、
しかし、自身が猛烈なヘッドであり、やはりカウフマンが大好き!でいらっしゃるおじ様と、
”2006-7年シーズンの『椿姫』でのカウフマンを聴いたか?”
”もちろん!あれで私はカウフマンを好きになったんですものー。”という話で盛り上がり、
さらには共にコレッリが最大のアイドルであるという共通点まで発覚。
おじ様と1時間以上も話し込んでしまいました。

しかし、いかにも彼は正しかった。
そう言われつつも、毎日電話をかけ続けたのに、やっぱりチケットはとれなかった、、、人生最大の不覚、、
考えてみたら、今シーズンのチケットをまとめて買った時、ゲオルギューがカルメンを歌うはずだったから、
2回も聴く必要ないや、と抑えずにいて、そのまま来てしまったのでした。

実演が駄目なら、HDがある!!
と、今日は映画館でHDを観るつもりだったんですが、なぜか、いつもは元気一杯で手に負えない次男(犬)が、
珍しく昨夜から体調を崩し、連れと2人で夜通し様子を見て、今日もとても心配なので、家でのシリウス鑑賞に予定変更です。
でも、これも神様の思し召しか?実演をあきらめなければならなかったとしたら、断腸の思いだったでしょうから。
いくら私がオペラヘッドと言っても、次男への愛はそれ以上です。

というわけで、今日は近所を顧みず(っつーか、どうせ、あらゆる音が筒抜けの安普請な戦後に出来たアパート
だから細かい気を使っても意味ない。)、
映画館にいる気分でスピーカーから大音響で『カルメン』を鳴らさせて頂きます。

まず、びっくり仰天のアナウンスがありまして、
今日のエスカミーリョは、予定されていたマリウス・クウィーチェンが病気なのに変わって、
テディ・タフー・ローズが代役で登場です。
クウィーチェンのエスカミーリョはかなりヘッズの間で評判が悪かったですから、
DVDにもなってしまうかもしれないHDで、一生の生き恥を刻印するよりも降板することを選んだものか、
本当に病気なのかは良くわかりません。一応、インターミッションでは、
ローズがメトから交代決定の電話があったのは朝の10時だった(公演は1時開演)と語っていましたが、
彼の登場を楽しみにしていた方には残念としても、完璧なコンディションでない状態で歌うのをクウィーチェンが避けたのは
賢明な選択かもしれないとは思います。

ちなみに、テディー・タフー・ローズは、2007-8年シーズンの『ピーター・グライムズ』で、
ネッド・キーン役を歌っていたニュー・ジーランド出身のバリトンで、シックス・パック系ナイス・ボディで、
これなら衣装がちんちくりんでほとんど漫画のキャラ化しかけていたクウィーチェンのエスカミーリョと違って、
あの衣装が映えて見目麗しいだろうなあ、、と思いますが、今日はその姿を想像しながら聴くしかありません。


(2007年、オペラ・オーストラリアの『ドン・ジョヴァンニ』に表題役で出演中のローズ。
顔が隠れてますが、決して隠さなければまずいような顔だからではありません。どちらかというと男前です。
髪が薄いですが、それは突然に髪が豊かになったカレイヤに習って対処すればノー問題です。)

まず、ネゼ・セギャンの指揮とオケ。
今日は本当に気合が入っていて、大晦日の公演より、ずっと、ずっと、いいです。
大晦日の公演では序曲の部分から全開の、彼のスピーディーな指揮
(中には早く終わらせてとっとと年明けを祝う乾杯でもしたかっただけなんじゃないか?
と皮肉っているヘッドもいましたが。)が話題になっていましたが、
私には、少しスピードが空回りしているように感じました。
けれども、今日の演奏は、同じ早いスピードにありながら、それが上滑りせず、エキサイティングな演奏になっていて、
数箇所、合唱とオケのコーディネーションが悪い個所はありましたが、
(大晦日の演奏でも、一つどころに集中しすぎるあまり、よそがお留守になる、という現場をみかけました。)
全体として、活き活きとしたいい演奏で、今後を期待される若手指揮者という評判は、誤りではないと思います。

ガランチャ。彼女はまだ完全に熟す前だとしても、本当に優れた歌手だと思います。
よそのブログで、彼女をメゾ・ソプラノ版のダニエル・デ・ニースと呼んでいる人がいて、
どこをどう聴いたらそうなるんだ、と、PCのスクリーンに向かって熱い茶でもふっかけてやりたい位でした。
要はルックスだけで実力が伴っていない、ということを言いたいんだと思いますが、
今日の公演の彼女の、”花の歌”のすぐ後の、
”いいえ、あんたは私をもう愛しちゃいないのよ Non, tu ne m'aimes pas!"という言葉のpasの音の表現力とか、
こういうのを聴いてもまだ彼女のことをハイプと感じる人は、耳垢がつまっているんだとしか考えられない。
スタミナやペースの配分も申し分がないし、とにかく彼女は公演による出来、不出来の差が小さいのもすごいです。

それに比べると、大晦日から、ずっと風邪なの?と突っ込みたくなるアラーニャ。
下で紹介する音源からもわかると思いますが、健康的な(概念としてではなく、実際に)声にはとても聴こえないんですが。
彼に関しては、『カルメン』に限らず、ここ数年で私が観た公演のおよそ2/3くらいがこういう感じなので、
私はもうこれが彼のデフォルトの声になり始めているんじゃないか、と思っているくらいです。
HDで張り切りすぎたか、声をかばおうとして、必要以上に歌唱が芝居がかっているのも私にはちょっと下品に感じられるんですが、
これは聴く側の好みもあるかもしれません。
大晦日の公演時は、こんなオーバーな芝居を入れる余裕がなかったのがかえってよかったのかも、、と思います。
ずっと、声のコンディションが悪く、初日から”花の歌”のラストのB♭をしくじっているので、
今日はもうアラーニャが最初からすごく固くなっているのがわかります。
私はこの歌は、こんなに最初から力まないで歌われる方が好きで、古い録音(1928年)なゆえ、
歌唱スタイルもレトロで、今の時代に標準に比べると技術もやや粗い感じがするかも知れませんが、
このジョルジュ・ティルの歌唱のようなのが理想です。
いい声なんですよね、このティルが。




ここでのティルはB♭を思い切り歌い上げる方法をとっていますが、
今日のアラーニャはこれをピアニッシモで歌おうとして意識しすぎ、
B♭の音自体よりも、ピアニッシモで歌い初めたその音を含めたまとまったフレーズの最初の音から、
音をきちんとサステインできなくて、持ち直さなければならなくなってしまいました。
大晦日の時はここまで音を絞らずに歌っていたように思ったんですが、アラーニャ、勝負に出て見事に散ってしまいました。
合掌。

ローズのエスカミーリョは、声の質に関しては、クウィーチェンより、ずっと役にマッチしていて、
低音域の音がしっかり出ているのが魅力です。
実際、バス・バリトンではなく、バリトンとして通しているにしては、低音が強い人だな、と感じます。
ただ、この大舞台で頭が真っ白になっているのが、ラジオで聴いているこちらにまで伝わってきて、
私までどきどきしてしまいました。
オケから段々歌が走り出して、必死でネゼ・セグインが合わせているのも涙ぐましい。いやー、どきどきしますぅ!
そして、”a grand fracas!"のところ、一体、何が起こったんでしょう?
完全にオケと外れてしまったんですが、あまりに堂々と歌い上げているので、
オケの方が全員おかしいのかも、(そんなわけない!)と、思ったくらいです。
これだけ、正気を失っている歌手に、何とか最後までついていったネゼ・セグインは本当によく頑張りました。
また、それ以外の場面も、クウィーチェンの方が技術としては基礎能力が上で、
ローズは聞いていて、危なっかしい個所があちこちにあるんですが、
こうして、悪いことばかりあげつらっているようでも、これらの欠点にもかかわらず、
私はクウィーチェンより、彼の歌唱の方がスリルがあって(色んな意味で!)、面白い歌唱だったと思います。
歌と言うのは本当に不思議なものです。
ただし、彼は高音域に少し難があって、低音の強さと少しアンバランスな感じがします。

ティルの”花の歌”に続いて、エスカミーリョの”闘牛士の歌 Votre toast"での私の理想は、
もちろん、今までこのブログのあちこちのコメントで開陳して来た通り、サミュエル・レイミーです。
下の映像は1987年のメトの舞台で、指揮はレヴァインです。
カルメンは言わずもがな、のバルツァです。(座ってるだけなのに、すごい迫力。怖い。
理由もなく、ごめんなさい、と、謝ってしまいそうです。)




なんて、格好いいの。こんな猿顔なのに。
ただし、今日のローズは、このレイミーよりもさらにしっかりした低音を出していたように思って、ちょっと驚きました。
まあ、歌全体の完成度は比べるべくもありませんが。

ミカエラを歌ったフリットリは、初日から少し高音が苦しそうだったんですが、
今日の公演が一番安定していたと思います。
ビジュアルがあると、彼女の演技力もあって、ミカエラがホセの母親とオーバーラップしているようで面白いんですが、
こうやって音だけ聴くと、ちょっと老けた感じがするのは否めません。
彼女のこの役での歌の良さを感じるには、映像と一緒の方がいいと思います。

最後に今日の公演から、ホセがカルメンを刺し殺すに至る、
ラストの”C'est toi! C'est moi! あんたね!俺だ!”以降の音源をご紹介します。
ホセに向かってカルメンが言う”Eh bien, frappe-moi donc, ou laisse-moi passer!
いいわ、なら、刺してみなさいよ、そうでなきゃ、そこどきな!”(7'44")の迫力、
そして、カルメンが指輪をぽろんと落としながら吐く、憎たらしい”Tiens!"(8'30")や、
いつもはフライング拍手の嵐のメトにしては珍しく、最後の音の後まで聴いて
一瞬間があった後に拍手が出ている様子など(ああ、劇場にいたかった、、)をお聴きください。





Elīna Garanča (Carmen)
Roberto Alagna (Don José)
Teddy Tahu Rhodes replacing Mariusz Kwiecien (Escamillo)
Barbara Frittoli (Micaëla)
Keith Miller (Zuniga)
Trevor Scheunemann (Moralès)
Elizabeth Caballero (Frasquita)
Sandra Piques (Mercédès)
Earle Patriarco (Le Dancaïre)
Keith Jameson (Le Remendado)
Conductor: Yannick Nézet-Séguin
Production: Richard Eyre
Set and Costume design: Rob Howell
Lighting design: Peter Mumford
Choreography: Christopher Wheeldon
Associate costume designer: Irene Bohan
Solo dancers: Maria Kowroski, Martin Harvey
OFF

*** ビゼー カルメン Bizet Carmen ***

Sirius: TURANDOT (Wed, Oct 28, 2009)

2009-10-28 | メト on Sirius
今日は『トゥーランドット』の初日でした。
HDの予定もある『トゥーランドット』ですが、ジョルダーニの低音がまともに出ない”誰も寝てはならぬ”といい、
ワブリングの進行度が心配なレイミーのティムール役といい、
いたるところに地雷がばらまかれているような恐ろしい公演です。

そして、あたかもそれだけでは十分ではない!といわんばかりに、
ゲネプロを見た友人からさらにぎょっとするような話を聞きました。
それは、トゥーランドット役に扮するマリア・グレギーナの化粧が、
映画『ソウ(Saw)』のマスクにそっくりだというのです!!!!
きゃああああっーーーー!!すっごく怖いんですけど!!



しかも、彼女が近年登場した演目(『マクベス』の夫人役など)を聴くにつけ、
その強引で危なっかしい歌いっぷりに、このトゥーランドット役が本当に手に負えるのだろうか、、
とキャストが発表になった時から、疑問に思って来た私です。
それでも、リハーサルは結局ずっとグレギーナで通されました。

しかし!!!!
なんと、びっくり!
今日の初日の公演からSawのマスク、いえ、グレギーナが降板。
ほとんど全くと言っていいほどリハーサルを行っていないはずの、
Bキャストのリーズ・リンドストローム(よくぞNY入りしてました!)が急遽登板!!

一幕では全く出番がない設定のトゥーランドット姫なので、
二幕の開始ぎりぎりまで調整にはげんでいたそうで、心なしか、
インターミッションに登場し、最近の演出、およびもうすぐプレミアを迎える『死者の家から』について語る
ピーター・ゲルプ氏の話が長い、長い。時間引き延ばし作戦か?

そして、いよいよ、トゥーランドット姫の登場。
もちろん、リハを全然行っていないのですから、細かい部分でぎくしゃくしている部分はあるのですが、
声は、グレギーナより全然トゥーランドット向けで、全然悪くないではないですか!
グレギーナのあの野太い声は、実はあまりトゥーランドットには向いていない、と思いますが、どうでしょう?
逆にこのリンドストロームは氷のような鋭さ、それでいて耳障りでない声、
かつシリウスで聴く限りは適度なサイズもあって、
最近聴いたこの役を歌ったソプラノの中では、こと声質だけに限っていうと、断トツで適性があると思います。
個人的にはグレギーナに変わって11/7のHDの公演で歌ってくれてもいいかも、、とすら思います。
もちろん、その場合は細かいところを短時間で猛烈に練らなければなりませんが。
まだまだ熟しきっていない部分もありますが、大体出来が想像できてしまう、
また最近大きな失敗をしないことに神経が向きすぎて、全く歌唱がスリリングでないグレギーナよりは、
リンドストロームの方が、賭ける価値があると思います。仮に結果が思わしくない方に出ることになっても。

思わぬ彼女の健闘に観客以上に大喜びだったらしいのはジョルダーニで、
二幕の後、カーテン・コールに現れた時、彼女に花を持たせ観客の歓声を一身に浴びさせながら、
エキサイトして嬉しそうにぴょこぴょこ飛びはねる彼女と、抱き合って喜びを分かち合ったそうです。
(ホストのマーガレット嬢談。注:この日の音源を聴きなおして二人の様子について加筆修整しました。

そのジョルダーニは、”誰も寝てはならぬ”の低音は相変わらずへしゃげてましたが、
最後の高音は125周年記念ガラの時よりはずっと力強く歌っていて、
リンドストロームに負けじ、と頑張っていました。

リュー役については私のベストは数年前に聴いたヘイ・キョン・ホンで、
(っていうか、あんな素晴らしいリューを現役で歌える人を舞台に出さないなんて、
メトはどうかしていると思う!!)
それに比べるとかなり大ざっぱな感じがしますが、ポプラフスカヤもそつなくまとめていました。
彼女は割りと高音が安定しているソプラノだと思います。
ただ、”お聞き下さい、王子様”の最後、もう少しオケの旋律をよく聴いて合わせてほしかった。
この部分は指揮のネルソンズがなかなか巧みな音の置き方をしていて、
これに合わせて歌っていれば、すごく美しい出来になったと思うので。

レイミーのティムールはかなり音がもがもがうがうがしていていました。
この役はもう歌わない方がいいかな、、。


Lise Lindstrom replacing Maria Guleghina (Turandot)
Marcello Giordani (Calaf)
Marina Poplavskaya (Liu)
Samuel Ramey (Timur)
Conductor: Andris Nelsons
Production: Franco Zeffirelli
Set design: Franco Zeffirelli
Costume design: Dada Saligeri, Anna Anni
Lighting design: Gil Wechsler
Choreography: Chiang Ching
ON

***プッチーニ トゥーランドット Puccini Turandot***


Sirius: DER ROSENKAVALIER (Oct 13, 2009) + α

2009-10-13 | メト on Sirius
今、これを書いているのはNY時間の15日(木)です。
昨日、シリウスの『トスカ』の放送を聴いての感想と、
13日の『ばらの騎士』の放送についての感想を夜の2時ごろまでかかってまとめて、
ほとんど完成しかかっていた文章を一旦セーブしようと思ったら、
サーバーがダウンし、全部の文章がふっとびました。
頭から湯気を吹き出しながら、ふて寝に入ったことは言うまでもありません。
というわけで、これから出来るだけ元の文章をそのまま再現しようと思いますので、
24時間さかのぼって昨日(14日)のつもりで読んでいただけたらと思います。

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いろいろ話題をふりまいた『トスカ』もAキャストはいよいよ今週の土曜(17日)が最終公演で、
4月から始まるBキャストの公演がマッティラ/カウフマン/ターフェル(←しかしこのおっさんは
最後まで油断がなりません。HD代役拒否疑惑の過去がありますからね。)、
その直ぐ後に続くCキャストの公演はデッシ/ジョルダーニ/ガグニーゼとなっているので、
アルヴァレスは土曜の公演が今シーズンメトで最後のカヴァラドッシになります。
そんな中、HDでの緊張で抜け殻になってしまったのか、今日、シリウスで放送される
『トスカ』の公演から、マッティラが降板。
(ただし、これまで、人気歌手が長期に渡って主役を歌い、
特にその公演の一つがHDに入っている場合は、
HD以外の公演日のどれかで予告なしの当日発表の降板をする例が時々見られますので、
契約の中にそれを認める条項があるのかもしれません。
これまで、ゲオルギュー、ラセットらが似たような”ドタ降板”をしています。
逆に記憶にある限り、かなり長期の主演にもかかわらず、予定通り全ての公演をこなしている歌手としては、
フレミング、ネトレプコ、デッセイ、フローレスらの名前が浮かびます。)

というわけで、今日、代わりにトスカ役を歌うのは、マリア・ガヴリローワ。
どこかで聴いたことのある名前だな、と思ったら、以前、
ラセットの代役で蝶々さんを歌ったことのあるソプラノでした。
その蝶々さんでも全くぴんと来ない歌唱でしたが、今日のこのトスカはこりゃまた一体、、
いきなり最初の"Mario,Mario,Mario"で全部音が外れていてびっくり仰天です。
これはマッティラのピッチが狂っている、なんていうレベルの話ではなく、完全に音が外れている。
この部分だけで、地面が斜めにぐらつくような錯覚を覚えました。
私は基本、ゲルブ氏の”人気歌手の降板は人気歌手で埋める”作戦には反対で、
優秀な無名のカバーにどんどんチャンスを与えてほしいと思うし、
もし私が、オペラハウスであまり知られていない代役から素晴らしい歌を聴けたら、ものすごく嬉しくなると思いますが、
今日、どうしてメトはこんなカバーしか雇ってないんだろう、、?と疑問に思いました。
正直、ある程度オペラが好きで来ている観客が”メトの舞台で聴けるもの”としてのレベルに全く達していないと思いますし、
私がマッティラの歌を聴くつもりでこの『トスカ』の公演を大枚はたいて観に行って、
代わりにこんなものが出て来たら、文句の一つも言ってやりたくなるところです。
そのマッティラだって、トスカ役としてはすでに不満があるっていうのに。
まさか、これで、”ほら、だから有名歌手が代役の方がいいでしょ?”と、正当化するつもりなのか、、?
ゲルブ氏、やり方がせこい!!

ガブリローワはむしろ、高音域まで音が上がってしまうと欠点が解消し、
マッティラよりはトスカ向きの声が出ている音もあるのですが、
中~低音域での、ロシア系歌手のべたべたした歌い方が、体をむずむずと這い上がって来そうで、
聴いていて実に落ち着きません。
ひゃらひゃらとした妙な歌いまわしが気になる場所が散見され、
また、”おいくら?””おいくらとは?””(カヴァラドッシを解放するのに必要な)値段よ! Il prezzo!"
この部分は台詞のように言って、その”台詞の吐き方”で演技力を勝負するのが普通なんですが、
あろうことか、prezzoの最後のoを大伸ばしにした上、高い音を乗っけて来たのには目が点になりました。

イル・プレッツォ~~~ 

、、、こんな変わったil prezzo、聴いたことがありません。

そして、”歌に生き、恋に生き Vissi d'arte, vissi d'amore"。
一番最初のViをどういう風に入ってくるか、たった一瞬でその歌手のセンスや歌唱力がわかる部分で、
ここをすーっと自然に入って来れるソプラノはいいな、と思います。
このガヴリローワのように、うにょ~~っと入って来られると、もうそれだけで、
このアリアの半分は死んだようなものです。
マッティラはこの音を割と上手に歌うので、その差は歴然。
しかし、マッティラも手こずっていたperche, perche, Signore、
高音はましなんだから、ここはマッティラよりもきちんと歌って欲しいな、と思ったのですが、
最後のoの短いことと言ったら、、。
マッティラは最後に泣き崩れに入るのが嫌ですが、音の長さからいったら、
このガヴリローワはマッティラよりもずっと短く、
突然ぶちっ!とコードを抜いたような音の切れ方にがっくり。
このアリア、いつからこんなに難しく聴こえるようになったのでしょう、、?
いや、もちろん難しいんですが、従来はそれをきちんとこなせるソプラノだけがこの役を歌っていたと思うのですが、
最近はこの二人といい、LOC(シカゴ・リリック・オペラ)のオープニング・ナイトで、
びっくり仰天するようなひどい"Vissi d'arte"を聴かせたデボラ・ヴォイトといい、
一体どうなってるんだろう?と思います。
ヴォイトはメトで何度かこの役を歌うのを聴いたことがありますが、その時はまともに歌えていたのに、です。

そんなガヴリローワの横で、アルヴァレスとガグニーゼはひたすら自分の仕事をこなすことに専念していました。
好調な時のアルヴァレスが歌う”星は光りぬ E lucevan le stelle"の、
Oh, dolci baci, o languide carezzeの部分は繊細で本当に美しいので、
これからHDをご覧になる方はぜひ楽しみにして頂きたいと思います。
ガグニーゼも相変わらず丁寧に歌っていました。彼は顔を見ず、声だけ聴いていた方が、
声の美しさが立つような気がします。

と、今まで舞台に立って来た二人が落ち着いた歌唱を聴かせる横で、
溺れかけのトスカがいる、という不思議な公演でしたが、
これだけでは何なので、13日放送の『ばらの騎士』について少し。

13日はこの演目のシーズン初日の公演でした。
私は昨(2008-9年)シーズンのオープニング・ナイト”ルネ・フレミング・ワン・ウーマン・ショー”での

『カプリッチョ』抜粋
や、そのすぐ後に続いた全幕公演の『サロメ』(そういえばマッティラ主演!)で、
もしかすると、現在のメト・オケはR.シュトラウスの作品をあまり得意としていないのではないか?と
という恐ろしい疑惑を抱いたのですが、指揮がいずれもサマーズだったので彼のせいにしておこう、と思っていました。
ところが、去る3月の125周年記念ガラで演奏された『ばらの騎士』の抜粋が、
レヴァインの指揮でも半崩壊状態に陥っているのを聴いて、呆然としました。
ま、歌手陣の歌の方もその混沌にかなり貢献していましたが、、。

なので、レヴァインが振る予定になっていた今年の『ばらの騎士』もあまり期待していなかったのですが、
以前このブログでお知らせした通り、レヴァインが腰の手術で10月の『トスカ』および『ばらの騎士』から降板。
『ばらの騎士』の指揮に代役で急遽呼ばれたのがエド・デ・ヴァールトです。

そして、13日の公演は、これが思いがけなく良い出来で、
シュトラウスの音楽が大好きな私としては、どれほど安心し嬉しかったことか!!

というわけで、この13日の公演から、125周年ガラに演奏されてカオスを巻き起こしたのと全く同じ、
”マリー・テレーズ!Marie Theres'!~私が誓ったことは Hab' mir's gelobt"以降の部分の音源をご紹介します。
(一本に収まりきらなかったので、一本目が終わったら、すぐに二本目を再生してください。)
マルシャリンはルネ・フレミング、オクタヴィアンはスーザン・グラハム、ゾフィーはミア・ペルションです。







フレミングとグラハムについては安定した歌唱を期待できるとは思っていましたが、
今年がメト・デビューとなるゾフィー役のペルションの健闘ぶりに強い印象を受けました。
観た目もこの通りで、イメージにぴったりです(写真はサンフランシスコ・オペラの公演から。)



3人の声の相性、言葉に言葉がミル・フィーユのように絶妙に重なっていくこの美しさ、
女性陣はすごく良いと思います。
残念なのは、HDの収録日の1/9の公演ではペルションではなく、シェーファーがゾフィー役を歌うこと。
今日の放送を聴く限り、ペルションをゾフィーに持って来たほうが良いのではないかと思います。

それにオケ!125周年記念ガラのように、カオスしてなくて、本当にほっとしました。
HDの日の指揮も、レヴァインじゃなく、このままデ・ヴァールトでもいいかも、、。
『トスカ』に続いて降板かな。

この公演で歌唱面で若干足を引っ張っているのはオックス役のジグムンドスンでしょうか?
大事な役なんですけれども。

ここで音源は紹介しませんが、歌手役はラモン・ヴァルガス。
”固く武装せる胸もて Di rigori armato il seno contro amor mi ribellai"は
なかなか難しい曲で、
最近DVD ↓ で発売されたフレミング/コッホ/ダムローのミュンヘンでの公演で、
カウフマンも苦労している通りです。



ヴァルガスは久しぶりに声を聴いたように思うのですが、更に一層声が重くなったように感じました。
少し最初のヴァースの旋律の取りかたにもたもた感がありましたが、
高音をきちんと綺麗に歌っているのはさすがです。
残念と言えば、この歌手役も、HDの収録日はエリック・カトラーになってしまいます。
(カトラーはDVD化されたHDの『清教徒』でネトレプコの相手役をつとめているテノールです。)
全幕公演で、パヴァロッティがこの役を歌ったこともあるメトとしては、
あまりに面白みのないキャスティングではないでしょうか?
せっかくのHDなんですから、もうちょっと知名度と実力のある、
わくわく感を与えてくれるテノールを配してほしいものです。

『ばらの騎士』は明日(16日の金曜)が実演鑑賞。
今からとっても楽しみです。


TOSCA
Maria Gavrilova replacing Karita Mattila (Tosca)
Marcelo Alvarez (Cavaradossi)
George Gagnidze (Scarpia)
Paul Plishka (Sacristan)
David Pittsinger (Angelotti)
Joel Sorensen (Spoletta)
James Courtney (Sciarrone)
Keith Miller (Jailer)
Jonathan Makepeace (Shepherd)
Conductor: Joseph Colaneri
Production: Luc Bondy
Set design: Richard Peduzzi
Costume design: Milena Canonero
Lighting design: Max Keller
ON

DER ROSENKAVALIER
Renee Fleming (Marschallin)
Susan Graham (Octavian)
Miah Persson (Sophie)
Kristinn Sigmundsson (Baron Ochs)
Hans-Joachim Ketelsen (Faninal)
Ramon Vargas (A Singer)
Conductor: Edo de Waart
Production: Nathaniel Merrill
Set & Costume design: Robert O'Hearn
OFF

*** プッチーニ トスカ Puccini Tosca R. シュトラウス ばらの騎士 R. Strauss Der Rosenkavalier ***

Sirius: AIDA (Fri, Oct 2, 2009)

2009-10-02 | メト on Sirius
いよいよ『アイーダ』初日です。
今年のメトの『アイーダ』Aキャストは、ボータ、ウルマナ、ザジック、ガッティという、
ミラノスカラ座日本公演組が4人(前二人は『アイーダ』、後ろ二人は『ドン・カルロ』に出演・指揮)も!!

ザジックはもう何度も言うように、かつての勢いはないですが、
しかし、だからこそ、彼女のシグネチャー・ロール(アムネリス、エボリ、アズチェーナ、ウルリカなど、
ヴェルディ・メゾの役)は、歌ってくれる間に、本当、全部観ておきたいくらいです。
というわけで、メトにかけつけたい気持ちはやまやまなんですが、
生鑑賞は今のところ10/24(ライブ・イン・HDの収録の日でもあります)までおあずけ。
こういう時に頼りになるのはシリウスの放送!というわけで、今日はシリウスでの鑑賞、行きます。
もし、今日の公演がすごかったら、24日まで待てずに、間にある公演にも行ってしまうかもしれません。

ザジックを除いたキャストについても、私のこれまでの鑑賞歴からして、
ものすごい歌を披露することはなくても、手堅い歌を歌うメンバーなので、
あまり心配はしていないのですが、はっきり言って一番心配な人、それは指揮者です。

そう、ダニエーレ・ガッティです!!!
はっきり言うと、私はこの人が嫌いなんだと思います。
なんか、スカラ座のHD(『ドン・カルロ』)を観た時から、この人が振りまくネガティブなエネルギー、
鬱陶しい感じが本当に嫌です。
あなたと友達になるわけでもないんだから、そんなことどうでもいいのでは?
という方がいらっしゃるかもしれませんが、それは違います!
オペラは関わる人間全員で作り上げていくもの。
ネガティブな空気を放出する人が混じっているのは良くないのです。



それだけでも十分に嫌いな理由になりえるんですが、あたかもそれだけでは足りないかのように、
私は彼のセンスが嫌です。

スカラの『ドン・カルロ』の時は、それが主にテンポという側面に集中していましたが、
今日、彼の指揮する『アイーダ』を聴いて、テンポだけじゃないことを思い知り、眩暈がしました。

テンポに関しては、もう案の定、というか、スカラの『ドン・カルロ』の時と全く同じ。
歌手の生理を無視した、誇張したテンポの遅さ、早さ、とギアの切り替わり。

もうそれは一幕一場から全開。あまりの音楽の遅さに自分の位置を失いかけた
ランフィス役を歌うスカンディウッツィが思わず歌の途中で立ち止まって、
”今、オケはどこを演奏しているの?”と問いかけそうな雰囲気になっているのが、
ラジオですらわかるんですから、これはひどすぎます。

かと思えば、アムネリスとアイーダが一騎打ちになる場面(同じく第一場)では、
異様なハイテンポで煽りたて、ザジックが歌いにくそうにしていることといったら!

そのくせ、第二場の神殿の場面では、これまた音楽が止まってしまうかと思うくらい、
超スローテンポで、思わず弦が待ちきれずに飛び出してしまう場面まで。
もちろん、巫女役を歌うチェックがこれまた苦労していることは言うまでもありません。
というか、彼女は何度もこの役を歌っていますが、こんなにつらそうに歌っているのは、
今まで一度も聴いたことがありません。
また、男性合唱もランフィスと同じ状況に陥ったと思われ、パート毎で歌っている個所が違う、という有様でした。

聞くところでは、リハーサルでザジックとガッティが険悪な雰囲気になったとか、ならないとか。
まあ、あのスカラ座のHDを観れば、彼女がガッティの指揮では歌いにくそうにしているのは明白で、
その頃、つまり、去年の12月あたりから、10ヶ月越し
(それも、地理的には、イタリアから日本を経由してアメリカまで!)のもやもやがここで爆発したのかもしれません。
声のコンディションが良くなかったため、今日はセーブして歌いたい、
と言っているザジックを、ガッティが”Sing! Sing!"と言って
無理矢理に歌わせようとしたのが直接の引き金だったようですが、
彼女みたいに、自分の力やコンディションをよくわかっている歌手に対して、それは余計なお世話ってもんです。

大きな問題は、彼が音を早めれば緊張度が高まってドラマティックになり、
ゆったりとすれば威厳が出る、というような、至極単純な公式でテンポを設定しているように思えることで、
ゆっくりなのだけれどそこからにじみでるような緊張を感じるとか、
逆に早いんだけど堂々としている、というような
多面的で立体的で複雑な音というのをまるっきり感じることが出来ません。

その上テンポの切り替えが本当に独りよがりで、
どこで早くなるか、遅くなるかは、ガッティのみぞ知る。
ボータ、ウルマナ、ザジックといったベテランが一様に合わせて歌うのに苦労しているんですから、
その一人よがりっぷりはかなりのものです。
歌手は楽器よりも、よりトランジションに時間がかかるので
(歌手はある程度先を読みながらブレスを調節しているわけですから。
極端な例ですが、ゆったりと大らかに歌うつもりで思い切りブレスをしている間に
突然テンポが切り替わって猛烈に速まったりしたらどういうことになるか位は我々にも想像がつくことです。)
そんなに急にテンポを変えられても歌手が同時に切り替えるのは難しいということが、
本当にこの人は全くわかっていないか、わかっていてもどうでもいいと思っているのでしょう。

他にも、彼の表面的、いえ、はっきり言えば、底の浅い味付けは随所に感じられ、
一部の弦のセクションを強調したり、といったわざとらしい小技がしょっちゅうで、
実際に演奏している側にとってはそれなりに楽しかったり、
また、何度もこのオペラを聴いてあきているヘッズの中には、こういう味付けが新鮮で良い、
と言う人もいるのかもしれませんが、私は『アイーダ』の公演に、
この楽器がこんな旋律を演奏していた、とか、
あるセクションを強調するとこんな面白いバランスになった、とか、
そんな発見をするために行くのではないので、
それらが、全体としてドラマに貢献してなければ何の意味もないと思っています。

実際、彼の指揮で『アイーダ』の演奏を聴いていると、
このオペラから本来感じるはずの、お腹の底からわーっとあふれ出てくるような、
激しい感情が一切湧き出てこないのです。

ただし、彼にフェアであるために言うと、指揮だけではなくて、オケ自体の方も最悪でした。
というか、今日は金管にサブのメンバー、それもあまり上手じゃない人が多く加わっているんでしょうか?
凱旋の場のシーンでは、ABTオケが突然乱入して来たのか?とびっくりするほど、
金管が裏返る、音を外す、で、ずっこけさせられる個所が頻発でした。
ガッティが頭から蒸気を吹いていたであろうことは想像に難くありません。でも、因果応報です。
歌手たちを苦しめる人間がいれば(ガッティのことです)、指揮者を苦しめる人間がいたって不思議じゃないでしょう。

ただ、ABTオケ乱入!と思わされる個所を除き、ガッティの指揮だけの話に限定すると、
二幕二場(凱旋の場)のリードの仕方はまずまずです。
ここだけは、比較的、きちんと音楽が流れている感じがしました。

また、四幕一場(アムネリスの最大の見せ場である、裁判の場)の前半、ここもいいです。
でも、やっぱり、後半の僧達の合唱やラストでわざとらしくテンポを落としたりしてしまうんです。
不治の病ってやつです。

歌手陣については、ザジック以外は、残念ながら全体的に小粒です。
この演目に関しては、私がオペラを鑑賞し始めてからだけでも(なので、30年、40年といった長い時間ではない。)、
どんどん歌唱のスケールが小さくなっているような気がします。
といいますか、今シーズンすでに走っている『トスカ』や、この『アイーダ』のような、
パワーホース的作品で、観客を本当の意味で満足させられる歌手が近年本当に手薄になっているのは残念なことです。
実際、今回スカラ座の日本公演とメトの公演で歌手だけで3人もメンバーが重なっていること自体、
かろうじてこれらの役を歌える、というレベルですら、そうは数がいないということを物語っています。

ウルマナは、高音が最後まで神経が通らず、途中でぽとーんと投げ出してしまう感じに聴こえるのが残念。
”ああ、わが祖国 O patria mia” は音程の取り方が甘く、高音の問題もあいまって、
全く思わしくない出来でした。
大抵の指揮者は歌い終わった後に指揮をやめてソプラノに拍手を味わわせてあげるんですが、
ガッティはそのままどんどん振り続けます。
おそらくは音楽的緊張感を損なわないように、とのことだったんでしょうが、
これでは下手なアリアに拍手はいらん!と言っているかのように見えてしまいます。

一方のザジックは、四幕一場、ガッティと険悪になったことなど感じさせないほど、
あの彼女がもう少しで息切れして音が続かなくなるかと思うほどのゆっくりな演奏にも、
果敢についてゆく、、、
やっぱり彼女はガッツのあるプロフェッショナルな人です。
これまでなら、最後の音をもうちょっと長くひっぱれていたんですが、
それはたくさんを求めすぎというものでしょう。
彼女にしてはこれでも慎重に歌っている方なんですが、
エキサイティングな歌唱で、歌唱で観客もオケの音が鳴り終わる前から大喝采でした。

ボータは2007-8年シーズンの『オテロ』以来、久々に聴くのですが、
なんだかこの短い間に声のポジションがすごく下がったように思うのですが、
ラジオで聴いているゆえの錯覚でしょうか?それとも気のせいでしょうか?
以前はもっと澄んだ美しい声だった記憶があるのですが、
随分今日は野太い声になったように感じました。

では、この日の公演の音源から、その四幕一場の抜粋をご紹介。

私を愛してくれたら命を助けてあげる、という最大の切り札でもってしても、
ラダメスにばっさり振られてしまう場面。切ないなあ、アムネリス、、。
最後、ここで拍手が出るのはちょっと珍しいので
(おのぼりさんのフライング拍手に本当に感激したお客さんがのってしまった感じ?)残してみました。




続いて裁判の場面からの抜粋。頭ののっぺりした合唱の部分はこの際省略です。
終わりにも、のったらのったらと意味ありげに振る(でもそんなに深い意味はないに違いない)ガッティ、
またスカンディウィッツィのランフィスも??なんですが、
ザジックの歌はあいかわらずの迫力です。
HDの日にもこんな感じで歌ってくれると嬉しいです。




さて、『アイーダ』のフリゼルのプロダクションは、私の記憶がある限り、
ずっと同じ振付を凱旋の場で採用して来たため、メトの観客にもすっかり飽きられている感がありましたが
なんと、今年は、ボリショイ・バレエの出身で、
現在ABTでアーティスト・イン・レジデンスの職にあるアレクセイ・ラトマンスキーによる
新しい振付が見れるそうで、これは実際にオペラハウスで観るのがとっても楽しみです。
ABTとのこういうコラボは大歓迎!ただし、オケの方は無関係でお願いします。


Violeta Urmana (Aida)
Dolora Zajick (Amneris)
Johan Botha (Radames)
Carlo Guelfi (Amonasro)
Roberto Scandiuzzi (Ramfis)
Stefan Kocan (The King)
Jennifer Check (A Priestess)
Conductor: Daniele Gatti
Production: Sonja Frisell
Set design: Gianni Quaranta
Costume design: Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreography: Alexei Ratmansky
SB

*** ヴェルディ アイーダ Verdi Aida ***

Sirius: TOSCA (Mon, Sep 28, 2009)

2009-09-28 | メト on Sirius
『トスカ』、第三日目。
先週金曜から、ずっと連れに、”月曜はメトに行かないのか、月曜はメトに行かないのか。”と責められっぱなしで、
いつから彼はPG(ピーター・ゲルブ)の手下になったのか?と思うほどです。
あの演出に、汗水垂らして稼いだ金をこれ以上つぎこむわけにはいかないので、今日はシリウスで鑑賞します。
マッティラの不安定なperche, perche, Signoreをうちのわんこにも聴かせてやることにしましょう。

レヴァインが24日の公演を降板したのは、それにすぐ続く週末に予定されていた、
彼のもう一つの活動の場、ボストン響での新シーズンのオープニング・ナイトのためだったのでは?
という説が有力で、なかには、メトでのオープニング・ナイトの後、
すぐにボストンに行ってしまったという事実から、
NYには帰ってこないつもりだった、つまり、もともと24日の公演は演奏するつもりがなかった、
ということを言う人もいるほどです。

腰の具合が悪かった24日から、なぜか、ボストン響のオープニング・ナイトでは
都合よく加減がよくなり(地元紙によれば、元気な姿で指揮をしていたそうです。)、
そして、また、今日、メトの公演からは降板。
レヴァインはこの後、ボストン響とベートーベンの全ての交響曲をカバーする演奏会も予定しているらしく、
この雰囲気では、HDの収録日も含めて、残りの公演すべてを降板する可能性もあるかもしれません。

追記:9/29にレヴァインがHDの収録日10/10を含む10月の公演全てから降板することが発表されました。
代わりに振るのはもちろん、イカ(=ジョセフ・コラネリ)。
ただし、マッティラ&カウフマン&ターフェルのキャストで公演される2010年4月のランはレヴァイン、
デッシ&ジョルダーニ&ガグニーゼのキャストになる4月後半のランはオーグインというのは
今のところ、そのままで、変更なしです。
また、レヴァインは10月に予定されていた『ばらの騎士』の公演も全てキャンセル。
1月の公演には今のところ、登場することになっています。
『ばらの騎士』のHD収録はちなみに1月です。
追々記:『ばらの騎士』の10月の公演でレヴァインに変わって指揮をするのは、
エド・デ・ワールトとの発表がありました。


さらに、ガグニーゼはまだ病気ということなんでしょうか。
今日のスカルピアは、再びカルロ・グエルフィ。
24日と違うのは、今日は私服で舞台の端に立って、二幕だけ、ではなく、
きちんと衣装もつけ、全幕で(といっても三幕で出番はありませんが)
フルの演技をしなければならないことです。どんなスカルピアになるんでしょう?
そのことを考えるとオペラハウスに行きたくなってきました。
それにしても、当初予定されていた今週の金曜から始まる『アイーダ』のアモナズロ役に加えて、
彼には大変なサイド・ビジネスが加わってしまいました。

24日に続いて再びイカ指揮者コラネリの登場。
しかし、この人はただのイカじゃなかった!
今日の公演の出来は一にも二にもコラネリの指揮とそれについていったオケのおかげ!
ひっさびさにメト・オケが燃えている音を聴きました!
こういう音こそオープニング・ナイトで聴きたかったんですよ。
弦セクションの美しさと激しさ、木管セクションの表情の豊かさ、
火を吹く金管と打楽器、と、初日の演奏が嘘のようです。
本当、もうレヴァインに帰って来てもらわなくてもいいかも。この演目に関しては。
コラネリはNYCO(シティ・オペラ)の音楽監督をつとめた後、
レヴァインのカバーの指揮者などとして地味に10年以上メトを支えてきた人ですが、
ここに来て、カバーの意地が炸裂している感があります。
それにしても、実に、今日オペラハウスにいる人が羨ましい!!!
我が家のPGの手下の言うことを聞いておくんだったかもしれない、、、。

歌手はこの指揮とオケに引きづられる形で、熱い歌唱を繰り広げました。
ただ、マッティラに関しては歌が熱くなると、
下品に音を歪めたり、しつこいくらいに音を下に引っ張って歌うなど、行き過ぎたヴェリズモみたいな歌い方になる傾向があり、
今日の彼女の歌唱は、私が許容できなくなるラインあたりを越えたり踏みとどまったりしてました。
熱くなってもいいですが、歌い崩しちゃいかんです。
そして、うちのワンのために大サービスなのか、相変わらずperche, perche, Signoreの部分を
やらかしてくれました。
パターンとしては、初日と全く同じです。
彼女はここをもっと安定して歌えるようにしなければいけないです。
24日の感想で問題にした”私はその刃物で心臓を突き刺したのです Io quella lama gli piantai nel cor"、
ここも今日は若干ましでしたが、そもそも彼女は一番高い音のところがいつも正しくとれなくて、
それが問題の根源になっています。
それでも今日は何とか音が下がってくる間に正しい音に寄せて行き、
かろうじてcorを金管に合わせてきましたが、
音を探っている様子が伝わってきました。
このように、いつもいつも失敗する個所が同じというのは、
オープニング・ナイトで主役を張るレベルのソプラノにしては情けないです。

アルヴァレスは彼女に比べると、歌唱が割と安定している点と、
どんなシーンでも歌や声を絶対に極端にゆがめず、最低限の気品を常に保っているのはさすが。
ただ、こうしてシリウスで聴くとすごく力強い声に聴こえますが
(ということはHDでもこういう風に聴こえてしまうんでしょうが)、
オペラハウスで実際に聴くと、こんなには迫力がないことは付け加えておきます。
また、三幕で少し芯を失って聴こえる音が多くなったように感じました。
初日よりも好調な感じが消えてきているのが少し心配です。

グエルフィは普通に発声しているとまあまあの歌唱なんですが、
激しさを出そうとする場面で、いつも声をへしゃげて汚くするのがいけません。
一箇所、二箇所ならともかく、マッティラのベタな行き過ぎヴェリズモ歌唱と対応する、
男版下品な歌唱になってしまいがちなのは要注意です。
また、彼の歌はどこか自分に歌いやすいように微妙に調整されているように感じられる部分があって、
(例えば高めの音はわざと遅めに音に入って音を短くしてしまうなど)、
ディクションではガグニーゼより上ですが(←イタリア人なんだからそうじゃないと困る。)、
音楽という面だけからいうと、ガグニーゼの方が、忠実に歌っているような印象を持ちます。

では、その今日の公演から、二幕でトスカがスカルピアを刺し殺す場面の音源を。
You Tubeでこのオケの演奏の熱さと、丹念に紡いでいる音の感じがきちんと伝わるかわかりませんが。
トスカが Ti soffoca il sangue?(血で息が詰まるのね)と歌う直後の弦の美しさ、
それから、Muori dannato! Muori! Muori! Muori!に重なってくるざわざわざわ、、という弦の音、
今日はどの歌手よりもオケが表情豊かで雄弁でした。
また、そのオケの頑張りを台無しにする観客の笑い声も合わせてお聴きください。





というか、これは観客が悪いのではなくて、ボンディのせいです。
あいかわらずスカルピアが昆虫のような死に方をしたのに、つい笑いが出てしまったのでしょう。
こんなところで笑いが漏れる演出なんてあるでしょうか!?
オケがいくら優れた演奏をしても、その上を遠慮なく土足で歩き回りやがって、、
またしても殺意が湧いて来ました。


Karita Mattila (Tosca)
Marcelo Alvarez (Cavaradossi)
Carlo Guelfi replacing George Gagnidze (Scarpia)
Paul Plishka (Sacristan)
David Pittsinger (Angelotti)
Joel Sorensen (Spoletta)
James Courtney (Sciarrone)
Keith Miller (Jailer)
Jonathan Makepeace (Shepherd)
Conductor: Joseph Colaneri replacing James Levine
Production: Luc Bondy
Set design: Richard Peduzzi
Costume design: Milena Canonero
Lighting design: Max Keller
ON

*** プッチーニ トスカ Puccini Tosca ***

リング特別企画: ジェームズ・モリスのインタビュー 後編

2009-04-28 | メト on Sirius
前編より続く>

今日の『ワルキューレ』の二度目のインターミッションにはゲストにジェームズ・モリスを迎えています。
過去にヴォータンがあれこれ道を迷ったことを考えれば、”一緒に来なさい”、”妻よ、私と一緒に生きよう”、
この言葉は彼の成熟とフリッカに心を捧げていることを示していますよね。
そう思われませんか?
 ええ、思います。この作品自体、ヴォータンが若さから成熟にいたる
その過程を描いたものになっています。
『ワルキューレ』は人間的な感情に焦点が当てられていますし、
『ジークフリート』では、より老いてからの賢さとか、それゆえのちょっぴりレイド・バックした
ユーモアのセンスなどが描かれていますね。
例外はエールダとの場面で、あそこでは彼も必死といった雰囲気ですが。
しかし、いずれにせよ、成長の過程を描いていることにはかわりなく、
『ラインの黄金』でさえ、最後に至るまでには、ヴォータンはものすごく多くのことを経験しますね。
すでに”喪失”ということや、ローゲの、弁護士ばりの(笑)悪いアドバイスのおかげで、
ずるさということの意味も体験します。
というわけで、『ラインの黄金』の終わりまでには、すでに多少、ヴォータンの中に
謙虚さがあらわれはじめています。
謙虚といっては語弊があるのかな、、、何といえばいいのか、、
例えばヴァルハラ城を目にしたとき、彼自身、ものすごい感銘を受けますね。
繰り返しになりますが、特にこのプロダクションは素晴らしくて、ヴァルハラ入城のシーンは美しいですよね。
石、黄金の輝き、そしてそれに繋がる虹の橋、、もうこうして話しているだけで鳥肌が立ってきます。
これまでには、私は、箱でできたヴァルハラ城なんていう困ったプロダクションで歌ったこともありますからね(笑)。
そういうセットを見るとね、ちょっとへこみますよね(笑)。
 ビーチにあるコンドミニアムみたいなね(笑)。
 それにアール・デコの邸宅みたいなのもありましたよ。あれはミュンヘンだったか、、(笑)。
 つい最近の125周年記念ガラ(注:ガラの最後の演目のこと)では、1889年のリングが再現されましたね。
あの時、あなたが頭にかぶっていたものはものすごかったですね。
 もしあれをかぶったまま作品通しで演じなければいけなかったとしたら、
とても私には出来なかったと思います。
実はものすごく正直に言ってしまうと、私はその1889年の上演の時の写真を観たのですが、
それで判断すると、あのガラでリメイクされたかぶりものは、微妙にそれとは違っているんですよ(笑)。
ちょっと大きくなってましてね(笑)。最低でも私の頭の上に数フィートそびえている感じで、
兜から羽根のように横に開いている装飾部分がありますが、あれをつけていると本当に首を動かせなかったんですよ。
ストラップまでつけなければならないことになって、、、というのも、私が少しでも頭をかしげようものなら、
兜全体があっちこっちにぐらぐらするものですから。
10分か15分くらいしか着けていなかったのに、もう首が痛んでしょうがない、といった具合でした。
 でもドレス・リハーサルの時に、あれをつけられた状態でカーテンが上がったときは、
ものすごく素敵な表情をしていらっしゃいましたよ。
本当のところは、”よし、もう一回とっととやって終わらせてしまおう!”という感じだったんですね。
 オーケストラの方を見たら、奏者の人たちが笑って見上げてました(笑)
 今日の一回目のインターミッションではリンダ・ワトソンがゲストで、
ヴォータンとの告別のシーンで、どうやって精神を集中させるか、
またつい胸にこみあげるものがあるせいでそれがいかに難しいか、
といったことについて話してくださったのですが、私にもわかります、
この作品にはあまりにじーんと来たり、鳥肌が立ったりするシーンがたくさんあって。
あなたにとっては15回目のリング・サイクルということですが、今でも同じ気持ちになりますか?
 もちろん。
 もしかするとより一層強かったり?
 ええ、そう言ってもいいかもしれませんね。
自分のパーソナルな人生で体験したことが舞台に反映されますからね。
子供が生まれたときのこと、それは私の人生の中で転機となる出来事だったんですが、
そういうことだとか、あとは、自分の娘をブリュンヒルデに置き換えてみたりとか、、(笑)。
 子供は親を涙もろくしますものね。
 そうそう、テレビのコマーシャルを見てても泣いてしまったりね(笑)
 で、あんなものすごい炎に包まれていればね、それは無理もありません(笑)
 私が具体的にこのヴォータン役を勉強し始める前は、
彼は神の長だから、色々物事の決定権を握っていて、強くてパワフルで、、、なんて思っていたんです。
実際に役を演じるようになってからですね。
彼が実際には格好悪くて間抜けな部分もある人だな、と気付くようになったのは(笑)
というのは、もともと彼には自分独自の考えというものがないんですね。
人生を通して彼を支配しているのは色々な女性たちなんですよ。
ブリュンヒルデも含めてです。だって、彼女の周りに火を燃やすのだって彼女のアイディアですからね。
あと女性ではありませんが、ローゲだってそうですね。
彼のせいでヴォータンは色々厄介なことに巻き込まれてしまいますよね。
 そうですね。ローゲの方がいつもヴォータンの一歩先を行っている感じがしますよね。
 その通りです。
でもそれだからこそ、この作品は人間的なんですね。
指環全体を通して、ワーグナーは神を登場させながらも、決して人間への視点を忘れていない。
 その点は、特にあなたのヴォータン役の役作りに顕著であるように思うんです。
あなたは多くの機会にヴォータン役を歌ってきましたが、あなたが歌うようになる前の時代には、
私はヴォータン役を歌う歌手から、その部分について、
あなたが役を演じているときと同じように感じることが、なかったんですね。
それはあなた自身が役の中に見出したことなんでしょうか?
それともみんなそのように演じてきたと思いますか。
 後者だと思いますね。
幸運なことに、私には、役を勉強している頃に、ハンス・ホッター(注:歴代最高の
ヴォータン歌いといわれている歌手)と一緒に仕事をする機会に恵まれまして、
彼からはものすごく影響を受けました。
その彼のヴォータン役へのアプローチは極めて人間らしいものでした。
で、当時、私が彼や今の私と同じ解釈をせずに演じている部分があったんですが、
すると彼が、”駄目駄目駄目駄目、そこはね、彼は悲しいのではなくって、
心の奥底では幸せなんだよ。”と言うんです。
それで私もよく考えてみましたら、ヴォータンがブリュンヒルデを眠りにつけて、
立ち去っていくあの場面は、
普通、ヴォータンがものすごく悲しい思いでいると思いがちだけれども、実は、ほろ苦く甘い感情というのか、
私は舞台ではあの場面を微笑みながら立ち去るような演技にしているんです。
というのも、ヴォータンは、いつか、世界で一番強い男性が彼女のもとにあらわれて、
目を覚まさせることを知っているわけですから。
この場面の前で、ヴォータンは、ブリュンヒルデの
”神性をはぎとって、一人の妻(WIFE)として、お前を置いていかねばならない”と、
あたかも妻という言葉がまるでフォー・レター・ワード
(注:fuckなどと同様の忌むべき言葉)であるかのように(笑)宣言しますが、
しかし、先にも申しましたように、世界で最も強くて勇敢な男性だけが
彼女にたどり着けるように、まわりを火で取り囲む、というのは彼女のアイディアなわけで、
それはヴォータンの言葉、”私の槍の先をも恐れない、もっとも勇敢な男だけが、
この火を乗り越えることができる”という言葉にも集約されています。
ですから、彼は実のところ、ブリュンヒルデが幸運で、
先に良いことが待ち受けているのを知っているわけです。
 その意味では彼女は安全といえますね。
 それから、『ジークフリート』の最後で、
ジークフリートがヴォータンの槍先を折ってしまう場面では、
舞台上はヴォータンが敗れ去った神として去って行きますが、
しかし、またここも同様に、心の奥底では、ジークフリートが若さゆえに熱気さかんで、
傲慢なところがあるにしても、彼こそが神を救える人物である、ということを悟るわけです。
ですから、この部分も、私は軽く微笑みを浮かべながら舞台から立ち去るような演じ方を好んでしています。
 なるほど、、。
 繰り返しになりますが、表面に見えることだけが全てではないんですね。
大切なのは、水面下にあることの方です。
 そうすると、偉大なヴォータンうたい、ハンス・ホッターに教えを受けたことになりますね。
 そうです。とても幸運でした。特にあの時期に彼と触れあえたということは。
 それをまた次代のヴォータンに引き継いでいかなければ、とお考えになりますか?
 ええ、そう思っています。これまでも、ヴォイス・レッスンなどをして欲しい、
歌のアドバイスをしてほしい、というリクエストを受けることはしょっちゅうだったんですが、
誰かのキャリアをめちゃめちゃにしてしまうのは嫌なので(笑)、
歌そのものを教えることはお断りしてきたのですが、
ヴォータン役の私の解釈、これを次世代に受け継がせていくこと、それは喜んでしたいと思っています。
 ハンス・ホッターだって、”君のキャリアをめちゃくちゃにしてはいけないから、、”とは
言わなかったですからね(笑)
 ご自身で、自分のこの役の遺産、といいますか、
特にあなたならではの解釈というものがある、と感じますか?またそれはどういう点でしょう?
色々な人が色んな理由で賛辞を送るでしょうが、
あなた自身が、”ここを遺産として引き継いでもらいたい”と感じる点はどこでしょう?
 人間らしさ。人間らしいヴォータン、ということでしょうね。
一面的な役作りではなく、いろいろな側面をもった人物としてのヴォータン、ということでしょうか。
 ジル・グローヴ(注:先の公演でエールダ役を歌った)が言った
”セクシーなヴォータン”という形容に賛成するのも私一人ではないと思いますが、、。
 ヴォータンをそういう風に思って見た事はないですが(笑)、
それは嬉しい褒め言葉ですね。
 この番組の放送中に彼女が語った言葉ですからね。秘密でも何でもないんですよ。
 まあ、ヴォータンはいろんな意味で非凡なキャラクターといえるんでしょうね。
ところで、まだ時間が少しある間に、リング以外の役についても少し話していただけますか?
 もちろん!特にメトの来シーズンは、いろんな役を演じられますね。
 そうなんですよ!
 本当に素晴らしい役がたくさん、、まず、『シモン・ボッカネグラ』のフィエスコ役、、
 そう、その役を演じるのは30年ぶりですよ。なので楽しみですね。
実は今年、ジミー(・レヴァイン)とボストン響との共演で、演奏会形式でこの役を歌いました。
まるで故郷に帰ってきたような感覚でしたね。
というのも、この役は、私がキャリアのごく初期に手がけた役でしたので。
なので、それをもう一度歌うというのはすごく楽しかったです。メトで歌うのを心待ちにしています。
 ということは、あの”バス王国の国歌”を歌うわけですね。
 その通りです。
ジェローム・ハインズ(注:メトを中心に、50年代から60年代に活躍したバス)がいつも
”バス王国の国歌”と呼んでいたあのアリア(注:”哀れなる父の胸は Il lacerato spirito"のこと。)です(笑)。
あのアリアは実は私がメトに採用されるきっかけとなったオーディションで歌ったアリアなんですよ。
 えっ、本当に?
 はい。
 じゃ、ちゃんと曲はご存知なんですね!(笑)
 はい(笑)
 今、30年ぶりに同じ役を歌うと故郷に戻ってきたような感じがする、というお話がありましたが、
全幕通しで歌い終わって、昔と比べて、”うわ!すごく上手く歌えるようになってるぞ!”と思ったりしますか?
 うーん、ある個所は昔より易しく感じますが、
以前より難しく感じるようになった個所もありますね。
ま、間違いなく、歳による影響はありますよ。
良くなった部分、ああ、20年前に戻りたい、と思う部分、両方です。
 それから『ハムレット』にも登場されますね。
 はい、そうです。
こちら(注:デンマーク王クローディアス役)は、今まで一度も舞台では歌ったことがない役です。
9年前(注:モリスの言葉のまま。ただし、これはデッカ盤のことを指していると思われ、
そうすると、リリースされた年度からして、最低でも16年前の録音になるはずなので、
年数については本人の勘違いだと思います。)にレコードの録音はありますが。
ジョーン・サザーランドとシェリル・ミルンズとの共演でした。
 あの役は、クロディユースですか?クロディユー(注:フランス語読み)ですか?
どのように発音されますか?どう発音していいかわかりません。
 クローディアス(注:英語読み)で私は通してしまってます(笑)
 じゃ、私もそうします(笑)
 ジェームズ・モリスがそう言ってるんだから、ってね(笑)
 フランス語読みではどうなるんでしょうね?よくわかりません。
とにかく、面白くなりそうです。
残念なことには、この演目二つとも、私にとっては最大のチャレンジとなる『ルル』の直前にあたります。
『ルル』、これは大変なチャレンジで、ずっと気になっている演目です。
というのも、ドイツ語による無調性音楽ということで、
私が以前に経験したどの役とも違うタイプの役です。
ということで、『ルル』の前に二つの役を歌うよりは、
一年ゆっくり休みでもとって、じっくり役を勉強したい気分なんですが(笑)。
 来年は歌手の皆さんにとってもそうですが、
観客にとってもドラマを体感すると疲れて大変なシーズンになりそうですね。
『ハムレット』に『ルル』、、
 来シーズンは面白い年になりますね。
今後、シリウスで聴けるジェームズ・モリスが出演する公演は、
5/4の『ラインの黄金』、5/5の『ワルキューレ』、、、
うーんと、『ジークフリート』はないのかしら?木曜日よね?
(ウィリアムに向かって)5/7の『ジークフリート』は放送なし?!
まあ、それは残念だわ!!
 私の最後のパフォーマンスなのに!!(笑)
(追記:この発言のおかげでしょうか?その後、シリウスの放送予定が変更になり、
5/7のモリス最後の登場作品『ジークフリート』がオン・エアされることになりました。
代わりに当初放送が予定されていた5/8の『トロヴァトーレ』は中止です。
『トロヴァトーレ』のBキャストは相変わらず冷たくあしらわれてますね、、。
『ジークフリート』の放送はNY時間で午後6時からとなります。)
 あと一つだけ質問させてください。リスナーの方からの質問が入ってきましたので。
舞台であがることはありますか?という質問ですね。
リングに関してはもう何度も演じられていますが、それでも舞台裏で緊張してあがったりしますか?
 もちろん、あがることはありますよ。状況によりますね。
初めて歌う役だったりすると、あがります。
例えば『マイスタージンガー』でザックスを初めて歌ったときはそうでしたね。
それから、健康状態がすぐれないとき。
そういったいろんなことが、あがる原因となります。
でも、一般的には、私の場合、あがる、というよりは、
競馬でスタート地点にならんだ馬の騎手のような気分ですね。
良く知っている役で何度も歌ったことがあれば、ただ舞台に出て行けばよくて、
それは、感動的でエキサイティングな経験になります。
でも、また多くの場合、舞台袖で自分のスタミナを図りながらペース調整していることも多いですね。
”なんでこんな職業を選んでしまったんだろう、、?”と考えたりしながらね(一同笑)。
 今日はいらっしゃってくださって本当にありがとうございました。
これからの公演、大いに楽しみにしています。

リング特別企画: ジェームズ・モリスのインタビュー 前編

2009-04-28 | メト on Sirius
メト・リング第1サイクルの『ワルキューレ』ヴォータン役の名演で観客に涙させたジェームズ・モリスが、
4/28に、第2サイクルの『ワルキューレ』のシリウスでの放送のゲストとして、
インターミッション中の30分ほどのインタビューに登場しました。
シーズン終盤、リングで盛り上がるメトとのタイ・アップ企画として
(もちろん当ブログの勝手な企画であり、メトはそんなことは露も知らない、、。)
そのインタビューの内容をご紹介します。

ホストのマーガレット嬢を
アシスタント(とはいえ、この番組の台本を企画しているのは彼なんですが)のウィリアムを
モリスをで表示します。


 ボルティモア出身のジェームズ・モリスがメトで歌い始めたのはたった23歳の時でした。
以来、モーツァルト、ヴェルディ、ワーグナーの作品など、
イタリア及びドイツ・オペラのレパートリーでは並ぶものがないバス・バリトンとして君臨、
そして、今シーズン、メト最多のヴォータン役として15回目のノー・カットのリング・サイクルに
登場中のジェームズ・モリスが嬉しいことに今回のインターミッションのゲストです。
 私の方こそ呼んでいただいて嬉しいです。
 本当に来て頂いて嬉しいわ!そして、ウィリアム・バーガーもこのインターミッションに一緒に居てくれます。
 ちゃんと聴いてますからねー。
 ”ヴォータン協会”とでもいうような他の歌手との繋がりが絶対にあるに違いない!と思うのですが。
あなたと他のヴォータンうたいが頭をつきあわせて色々相談したり、という場はありますか?
 そうそう、それはもうね、結束の固いグループですよ(笑)
 良かった点、悪かった点について話し合ったり、、
 ポーカーをしたり、、
 もちろん、そうやって経験をシェアすることはありますよ。
オペラの世界というのは狭い世界です。色んなオペラハウスに旅しているから、
いつだって、キャストの全員とはいいませんが、どんな演目でも、最低でも二、三人は知っている人と一緒になるものです。
ですから、つい結びつきも強くなるんですね。
 そうやっていつも同じメンバーで仕事をするというのも楽しいものかもしれませんね。
 毎年毎年世界が狭くなっているように感じますよ。でも、出来ることならば、
昔のように公演先には船や列車で出かけて、一つところでじっくり時間を過ごす、ということをしてみたいものです。
考えてみれば非常に贅沢なことですよね。オペラ歌手がきちんと時間をとって、大西洋を越えて、、。
今では、今夜はこの都市、明日の夜はあの都市、といった感じで飛行機で飛び回る日々ですよ。
 本当ですね。このスピードのせいで、歌手のキャリアの一年分位浮いているような感じがしますよね。
 でも、あなたはNY中心にキャリアを築いてきた、とはいえませんか?
 それはそうですね。メトはいつも私のホーム・ベースでした。
ヨーロッパ、南アメリカ、アジアと、いろいろなところに出かけてはいきますが、
メトこそが私のホームグラウンドです。ですから、出来るだけ、メトで歌いたいと思いますし、
こここそ、自分の家族がいて、子供たちが学校に行っている場所でもありますからね。
でも、私はとてもラッキーだと思います。他のオペラ歌手はいつも旅してますよね。
私の場合は、少なくともメトにいる間は、自分の家のある場所にいるわけですから、、。
なので、ここでは仕事上の生活とともに、プライベートな生活もきちんともてます。
 最近の土曜マチネのラジオ放送のため、バック・ステージでお話する機会がありましたが、
その時にも、今回が最後となるオットー・シェンクのプロダクションについて、あなたに色々質問があがっていましたね。
少しそのことをお話ねがいますか。だって、あなたにとっては、、
 もらい泣きしろと?(笑)いや、だって話してたら本当に泣けてきますから、、。
 もう是非!!ラジオで!!(笑)
 『ワルキューレ』の最後ですら、そんなことをしたことがないあなたが!!(笑)
 いや、もう本当に半べですよ。
まじめな話に戻ると、本当に素晴らしいプロダクションですね。約25年ですか?メトでかかったのは。
こんなプロダクションは世界でこれだけです。”教科書のような”(リブレットをそのまま視覚化したような)指環ですね。
他はもうほとんどどこも、”コンセプト的”(抽象的な)プロダクションですから。
ワーグナーは他のどんな作曲家よりも多くの、控えめにいっても、
珍妙な解釈のプロダクションを演出家に生み出させた作曲家といえますが、
しかし、このプロダクションはすごくまっすぐで、自然で、開放的で、
見た目にも美しいですし、演じる側の役作りや歌の邪魔にならないですね。
しばしば、よその演出では、声でそのプロダクションと戦っているような気分になるときがあります。
本当にこれを最後にお別れをしなければいけないというのは悲しいです。
もちろん、次の段階に進まなければならない、というのもわかります。
数週間前にピーター・ゲルプ氏と話していたときも、彼が、
”私達は前にすすんで行かなければならないんですよ。”と言っていて、
それで、自分も、ああ、そうなのかもな、とも思いました。
でも、嬉しいことに、壊してしまうわけではないみたいですよ。
彼とも、20年おきくらいに一度は取り出して、数サイクルかけてみたいプロダクションだね、と言っていたんです。
だって、いつだってこのプロダクションはチケットが売り切れていましたからね。
ドイツの人たちを含むヨーロッパの人々がたくさん鑑賞しに来ていましたし、
私がお話させていただいた人は決まってこういいました。
”ドイツにもこんなプロダクションがあったらいいのに、、”と。
 もしかしたら、同時に複数の演出のリングがあってもいいかもしれませんよね。
二重リング。いいじゃないですか。メトなんですから、なんでもあり!で。
 (笑)でも、きっと前進するべき時なんでしょうね。ほろ苦い気持ちですよ、それは。
来週の公演が私にとって、このプロダクションでの最後の歌唱となりますね。
 えっと、5/7ですよね。最後の『ジークフリート』ですね。
 そうです、それが最後の『ジークフリート』になります。
なので、来週の月曜、火曜、木曜、これが私にとって最後の指環となります。
 何か特別なことが予定されているんでしょうか?
 私の知っている限りでは特にありませんが、、
 じゃ、余分にティッシュの箱を抱えて舞台に立つくらいですね。
 (笑)
 ああ、それは(『ワルキューレ』の最後で)良く燃えそうですね(一同笑)
第1サイクルは私も客席にいたんですが、いつもこのシーンの迫力には観客が息をのみますね。
あなたが初めてこの場面をみたとき、どのように感じましたか?
振り返ると、山が真っ赤に燃えて、、
 いやー、それはもうすごいですよ。
演じる人間として、この演出にはインスパイアされます、本当に。
自分が本当に演じている人物になったような気分になります。
”神みたいな気分”です(笑)
でも、先にも申しましたとおり、この演出では、プロダクションと戦わなくてよいうえに、
こちらをインスパイアしてくれるんですね。
例えば、『ジークフリート』では、私は舞台の袖から、場の変換場面の様子をのぞいていることが多いのですが、
観るたびに、ノックアウトされます。あまりに美しくて、、。
 そうですよね、演出で一番必要なのは自分がその役である、と感じれることですよね。
私はあなたが槍を持ちあげた瞬間、”あ、神だ!”と思いますもの。
 そう、とにかくこの演出にはインスピレーションを受けるんですよ。
中にはわざとらしくておセンチだ、と感じる人もいるようですが、
『ワルキューレ』の最後で槍を持ち上げ、自分が煙やら炎やらに包まれていると、
本当に鳥肌が立つんですよ、いつも。
 いや、このシーンを悪く思う人はいないでしょう、本当に素晴らしいですから。
 何かこのプロダクションから記念の品を持っていくつもりでいますか?
 私が欲しいものははっきりしてますよ。
 槍ですよね、やっぱり。
 いやー、ここでは言いませんよ、ずっと私が槍を欲しがってる、なんてことは(笑)。
まあ、どうなることでしょうね。
 移動中の乗り物の中で、槍を手にしてアイ・パッチをしている人がいるな、と思ったらあなただった、みたいな、、(笑)
 アイ・パッチは自分のを持ってますんで(笑)、、、
本当に旅行中はずっと持ってるんですよ。
にしても、あるアイテムに体が慣れてしまうと、別の役をやるときにはちょっぴり奇妙な感じがしますね。
 そのアイ・パッチなんですが、この演出で使われているものについて少し説明いただけますか?
 実はあれはガーゼで出来てまして、ですから、一応、つけていても、
物が見えるには見えるんですが、汚いコンタクト・レンズを着用しているような感じです。
そして、この演出では紗幕が使われている部分が多いので、その紗幕とこのアイ・パッチのせいで、
ほとんどプロンプターは見えないんです(笑)
それどころか、ジミー(・レヴァイン)も、なんか手をひらひらさせてるなーくらいにしか見えなくて、、(笑)
それに加えて、いくつかのシーンは舞台が暗いので、アイ・パッチをつけて歩き回るのは、
結構大変です。
私が初めて舞台でアイ・パッチをつけたのは、ニュー・オーリンズでの『マクベス』のバンクォーでした。
アイ・パッチをつけたら格好いいかな?くらいの気持ちでつけ始めたんですが、
その時はガーゼじゃない、本物のがっちりしたアイ・パッチだったんですね。
驚くのは、いかに奥行きの感覚がなくなるかということです。
舞台ではつまずきまくり、ものの15分ほどもすると頭痛がしてきまして、、(笑)。
ですから、透けて見えると助かります。
 私もこれはずっとお聞きしたかったんですが、指環のストーリーの中に、、
 おやおや、大変な質問が来そうですよ。
 ヴォータンが片目を失うことについてふれられていますね。
あれは具体的にはどうやって失くしてしまったんでしょう?
 色々いわれますが、根本は二つの事柄のコンビネーションだと思います。
これは、リング・サイクル、つまり『ラインの黄金』が始まる前の話になるわけですが、
ヴォータンは自分に"智恵”を授けることになるトネリコの木の枝を切るために、
片目を差し出すわけです。
その枝を手に入れるには、何かを犠牲にしなければならなかったのです。
同時にそれは、同じ剣の両刃でもあるのですが、フリッカとの婚約のために
差し出したものでもあったわけです。
二重の意味があったんですね。
 残念ながら、当時はまだ婚約指環の習慣が出来る前のことですからね(笑)
 そう、ですから、跪いて指環を差し出す代わりに目玉を差し出した、というところでしょうか。
 ぞっとしますね(笑)
 先ほど舞台が暗いという話が出ましたが、そうすると、
床のマーキングとか蛍光塗料を使った目印なんかもないわけですか?
 そういうものが使われる場合もありますが、このプロダクションではないですね。
セットは床を含めて、すごくリアルですからね。土肌が見えた山、という設定になっていますが、
舞台もその通りです。
小さなこぶ、起伏、峰などがありますから注意しなければなりませんし、
逆にそのように塗料で塗られているけれど、実際には平らな場所というのもあって、
慣れるのにはしばらくかかります。
先週、今日のヴォータン役を歌っているアルバート・ドーマンに『ラインの黄金』のセットを一緒に歩いて見せました。
というのも、これに慣れるのは、リハーサルがないとすごく大変で、
彼は部屋でのリハーサルはしましたが、舞台でのリハーサルをする機会がなかったんですよ。
穴なんかも多いですしね。とにかく、すぐにでも足首を捻挫しかねない場所がたくさんありますよ。
 今までにこのセットで怪我をされたことは?あら?こんな質問は良くないかしら?
でも、本当のところをおっしゃってもらって結構ですので。
 いや、それはないですね。そのかわり、膝や足首に余計な力が入りますね。
 少し前に、オットー・シェンクが来てくださった回があって、
このプロダクションで実際の公演を最後に観たのはいつですか?とお尋ねすると、
”しばらく観てないなー。20年前かな。それぞれの演目のドレス・リハーサルの日が最後だ。”とおっしゃっていたんですが。
 私達からすると奇妙な感じがするんですけどね、ドレス・リハーサルしか見てないなんて。
 彼はいろいろと忙しい人ですからね。彼自身、優れた役者でもありますし、
私がドイツやオーストリアに行くと、いつもテレビに映ってるんですよ。
とにかく、素晴らしい人です。
知識が豊富だし、どの知識をある場所に持ってくればよいか、というチャネリングの能力もすぐれています。
シェンク氏も交えた今年の指環のリハーサルで、『マイスタージンガー』の話になったんですが、
というのも、あれも彼の演出なんですが、私は一度も直接に彼からの演出指導を受ける機会がなかったんですね。
すると突然、彼が椅子に座って、私がひざまずき、まるで、ヴォータンとブリュンヒルデのようですが(笑)、
彼がその状態で、ニワトコのモノローグのシーン
(注:第二幕第三場のザックスのモノローグ Was duftet doch der Flieder)を、
歌ではないですが、言葉で演じ始めたんですよ。
そのイントネーションや抑揚のつけ方の素晴らしさには、唖然とさせられました。
願わくば、いつか、私がまだ歌える間に、ぜひ、マイスタージンガーで彼と一緒に仕事をしてみたいです。
 その様子はまたすごい絵面ですよね。
 本当に、私もびっくりです。
 約20年前に、彼と一緒にヴォータン役を作り上げて行ったときと、
今、演じられているヴォータンは同じですか?
 そうですね。大体同じだと思います。舞台監督から少しずつ違うものを得はします。
この監督からはこれ、あの監督からはあれ、また別の監督からは何も(笑)といった具合に、、。
でも、シェンクと作り上げたものは、すべてにおいて辻褄が合っているんですね。
頭を使う必要がないんですよ。
他の演出みたいに、ブリュンヒルデに囁いているべきときに、
舞台上で走りまわっていなければならない、なんてこともありません。
すべて辻褄が合っているのは、それが各場面の事実と音楽とに基づいているからです。
なので、舞台上の動きを覚えるのも簡単なんですよ。
プロダクションによっては、一年ぶりに戻ってみると、前にやっていたことを忘れてしまっていることがあるんですね。
それは、辻褄が合っていないからなんだと思います。
 おっしゃっていること、よくわかりますね。特にワーグナーはそうですよね。
すでに、言葉、音楽でもものすごい量のものを覚えなければならないですしね。
 それはもうそうですよ(笑)
 物語の論理から始まって、照明、音楽、リブレット、、
 観客が考えるヴォータンの見せ場、期待する場面、楽しみにしている場面というのがありますが、
演じるあなたにとっても同じですか?あなたにとって、指環全作品を通して、
一番重要な場面というのはどこでしょう?
 いくつかは共通しているでしょうね。『ワルキューレ』の最後の場面、
ブリュンヒルデに優しく語りかける場面、これは誰しもが心待ちにする場面でしょう。
でも、そのほかにも歌っていて、いいな、と思う言葉は色々あります。
”お?この台詞いいな。”という、、(笑)
細かい、もしかすると観客の方の注意をそれほどひかない場面だったりもするのですが、、
というわけで、決してこの作品に関しては飽きるということがないですね。
それ以外にどう説明していいかわかりません。
 これはあなたの好きな台詞の一つかな、と思うのですが、
数年前に舞台をみていて、ヴォータンが『ラインの黄金』で虹をかけた後、
フリッカに、”folge mir Frau~ さあ、来て一緒に住まおう、妻よ”と声をかける場面なんですが、
あなたの歌い方がとても感動的で、突然気になるようになりました。
 私もあの台詞は大好きです。すごく温かいですね。
ヴァルハラ城に大々的な挨拶の言葉を歌った後、彼女の方に振り向き、
folge mir Frauと歌う、、心が柔らかくなる瞬間です。
 二人にとっては初めての住まいでもあるわけですからね。
 ええ、でも残念なことに、『ワルキューレ』が始まる頃までには、、、(一同笑)。
二人の間の関係が少しばかり変わってしまっていますね。
 夢のようなことはいつかは駄目になるものですからね。それでもいい場面に変わりはありません。

後編に続く>

Sirius: LUCIA DI LAMMERMOOR (Tues, Feb 3, 2009)

2009-02-03 | メト on Sirius
注:追記の中で、この日の公演の音源の抜粋をupしました。

Bキャスト初日(1/26)のヴィラゾンのアクシデントにより、
放送予定がもとの1/29の公演から延期された今日のシリウスでの生中継。
おして舞台に立った1/29もヴィラゾンのコンディションは思わしくなく、
今日(2/3)はどうなってしまうんだろう?と心配しましたが、またまたゲルプ氏、
荒技をひねり出してきました。

今日の公演はヴィラゾン降板、かわって明日(2/4)の『リゴレット』でもマントヴァ公を歌う予定の
フィリアノーティが代役です!
もしもヴィラゾンが降板するようなことになったら、
連日の登板にならなくて済むよう、現在『オネーギン』に出演中のベチャーラを
連れて来るかと思ったのですが(彼は今シーズンAキャストのエドガルドでもあった)、
スカラ座ともめた因縁の演目『アイーダ』で見事にメトでリベンジを決めたアラーニャにあやかって、
同じく今シーズンのスカラ座初日の『ドン・カルロ』が大変なことになってしまった
フィリアノーティを抜擢したのかもしれません。
しかし、このフィリアノーティの抜擢は、アラーニャのラダメス以上に的を射ています。
彼は昨シーズン、メトで、同演出のルチアにBキャストで出演していましたし、
コンディションさえ良ければ、彼に合った役柄でもあるので。

そして、結論を言うと、彼が一人で、今日の公演を引っくり返したと言ってもよいでしょう。
彼が入ることで、なあなあな雰囲気と、ヴィラゾンの不調や、
ネトレプコのテキトーな歌唱によって澱みきっていた空気が変わり、
いい意味での緊張感が加わった気がします。特にネトレプコへの影響は絶大だったと思います。

昨シーズンの『ルチア』では絶不調だった彼ですが、
今シーズンの『リゴレット』初日(1/24)は健闘。
1/31の『リゴレット』ラジオ放送では高音が安定感を欠く場面があったのが心配でしたが、
今日の『ルチア』は、彼のここ最近のメトの歌唱の中で、もっとも良かったものの一つではないでしょうか?

今日は全編、私が考える彼の最大の強みである端正さを中心に据えた歌唱に仕上がっていました。
特に彼が良かったのは重唱場面。ハーモニーが本当に美しくはまって、
ヴィラゾンの時はこうは聴こえなかった!(まあ、彼は不調でもありましたが、、)
という箇所がたくさんありました。

彼ならその必要はなかったはずなんですが、第三幕第三場は、ヴィラゾン仕様の半音下げのまま。
理由はよくわかりません。
明日の『リゴレット』も予定通り出演するのに備え、
少しでもフィリアノーティの負担を軽くするためなのか、
スコアの準備をする人が面倒くさくなった(”もう、どうせ2/7はまたヴィラゾンが
半音下げて歌うんでしょ?じゃ、今日も半音下げといて。”)だからか、
はたまた、シリウスで放送される今日のような公演はYou Tubeなどにもポスティングされやすいため、
ヴィラゾンがHDで見せる歌唱(予定通り歌うとして)との違和感を払拭するためなのか、、?

ネトレプコは、当然のことながら、私が”糞”呼ばわりしたところの歌唱と、
根本的には変わっていません。
だって、二、三日、練習したくらいで、完璧に歌えるほど甘いレパートリーじゃないですから。
相変わらず音程は不安定だし、装飾音は適当。役の表現などというレベルからは程遠い歌。
ですから、そこはもうあきらめるとしますが、一点、これまでの公演とは姿勢が変わったこと、
これは評価できると思います。遅いですけどね、今からじゃ。
でも、遅くても、全然しないよりはまし、Better Late than Neverってやつです。
姿勢が変わったことでもたらされた変化は、音符の輪郭が、ほんの少しですが、
はっきりしてきた(もちろん、まだまだ、それ、幽霊の登場ですか?というような、
ヒュードロドロドロ、みたいに聴こえる、よくわけのわからないあいまいな下降音形を、
あいかわらずかましてますが、、。)
それから、音への集中力がましたこと。
音の外れ方は、これでもかなり29日の公演よりましになっています。

しかし、狂乱の場に関しては、
26日に音を外しまくって失敗したラストの高音がトラウマになっているんでしょうか?
(29日の記事のコメントの中にあるURLで聴けます。)
29日に続いて、今日も最後の高音はなし。
普通この場面が終わった時には、歌が素晴らしければ、
息もつがぬ間に雨のように降り注ぐ喝采があるはずなんですが、
今日は拍手に入る前に、”あれ?高音はどこ?”というような一秒ほどの間があり、
観客の本音があらわれていました。
今日のコンディションなら出せたと思うんですが、心理的なものでしょう。
ライブ・イン・HDの日はどうなるでしょうか?

今日心配させられたのはクウィーチェン。
頭が少し不安定で、ネトレプコ病に感染したかとどきどきでしたが、
フィリアノーティらと一緒に歌うシーンなどが重なるうちに、いつもの調子が出てきました。

マルコ(・アルミリアート)は本当に良く頑張っています。
今日のネトレプコの歌唱がましに聴こえた一つの理由には、
彼が一生懸命、オケの側を、彼女の微妙な装飾音の音のはめ方にぴたーっとあわせていたからで、
これが、”俺についてこい!”派の指揮者だったら、ネトレプコはあいかわらず
ベル・カントの路頭に迷っていなければならないところだったでしょう。

追記:

その今日の公演からの音源を一部ここにご紹介しようと思います。
もちろんメト・オケ&合唱による演奏で、指揮はそのマルコ・アルミリアートです。
ネトレプコの歌は狂乱の場の抜粋で後ほどこってりと聴いていただきますし、
いきなりたくさん聴いて私のようにお腹を壊してもなんですので、
まずは、一幕の”あたりは静けさにつつまれ”のすぐ後の、
フィリアノーティ歌うエドガルドの登場場面から。アリーサはミカエラ・マルテンスです。




続いて、公演によってはしばしばカットされることのある、いわゆる”嵐の場”、(メトのこの公演では、三幕第一場にあたる)からの抜粋です。
フィリアノーティのエドガルドとクウィーチェンのエンリーコが対決!!




そして、ご準備はよろしいでしょうか?
いよいよ、ネトレプコ歌うルチアの狂乱の場です。
狂乱の場はかなりの長さがあり、ほんの短い抜粋になってしまいましたが、
出来るだけ、私が29日の公演を糞呼ばわりした根拠がわかる部分を抽出したつもりです。
しかし、かといって、決して特に出来が悪い部分を選んだわけでもありません。
全体にわたってこのような感じです。
いえ、むしろ、26日や29日の出来に比べると、先にも書いたとおり、良くなっているくらいです。
(ファンが隠し録りをしたと思われる26日の公演の音源もYou Tubeで聴くことができます。
29日の公演の記事のコメント欄をご覧ください。
今日の公演の歌唱の方がが26日より多少改善されていることがおわかりいただけると思います。)
この3日の公演については、わけのわからない観客のやんやの喝采もそのまま残しておきます。
本当は切り落としたいくらいですが、、。





ぎゃーっ!!(最後の部分)って、、、
こっちがギャーっ!!!ですよ、ったく、、。

この”ぎゃーっ”がデッセイの演技からアイディアを得たらしいことは
29日の記事に書いたとおりですが、あらためてこうやって聴くと、
デッセイの”ぎゃーっ”には”音程”があった、としみじみ感じます。
叫び声ですら、あくまで音楽の一部であったということに。
それに比べてこのネトレプコのぎゃーっ!は単なる叫び声でしかありません。

しかも、Nell'ira sua terribile Calpesta, oh Dio, l'anello! Mi maledice! Ah!
(4分57秒あたり)からの、ヴェリズモもびっくり仰天のこの歌唱は一体、、?!
ルチアってどんな作品だっけ?と、一瞬わけがわからなくなる瞬間です。
あ、気が動転して言い忘れてましたが、ライモンド役はアブドラザコフが歌っています。

最後はフィリアノーティによる、
最終場の、”Fra poco a me ricovero dara negietto avello  やがてこの世に別れを告げよう”




この追記を書いているのは、このシリウスの放送の翌日の4日ですが、
オペラ警察によると、今日の『リゴレット』でも、フィリアノーティは予定通り
マントヴァ公役で舞台に立ち、
公演前には、ゲルブ氏から、ルチアの公演との続投であり、
歌手にとっては非常に大変な負担であることの説明があって、
観客からのサポートと彼への感謝を求めたそうですが、
本人は特に疲れた様子もなく、元気に歌っているそうです。

また、今週土曜日のライブ・イン・HDのホストですが、
デッセイがつとめるのでは?と囁かれていますが、もし本当だとしたら、
彼女をホストにキャスティングした人が誰だか知りませんが、強烈な冗談のセンスしてますね。
こんなルチアを見て、デッセイがどう思うことでしょう、、。


Anna Netrebko (Lucia)
Giuseppe Filianoti replacing Rolando Villazon (Edgardo)
Mariusz Kwiecien (Lord Enrico Ashton)
Ildar Abdrazakov (Raimondo)
Colin Lee (Arturo)
Michaela Martens (Alisa)
Michael Myers (Normanno)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Mary Zimmerman
Set Design: Daniel Ostling
Costume Design: Mara Blumenfeld
Lighting Design: T. J. Gerckens
Choreography: Daniel Pelzig
ON

***ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor***

Sirius: LA RONDINE (Tues, Jan 13, 2009)

2009-01-13 | メト on Sirius
オペラヘッドの大好きな事件の一つに、病欠などによる思わぬ交代劇によって
登場した歌手(無名ならなお可)が素晴らしい歌唱を披露する現場に出くわす、というものがあります。

よって、私も、本来は、予定されていた歌手が体調不良で降板するなら、
代りには、出来れば、あまり聴く機会のない歌手を聴きたい!
若い有望な歌手にチャンスを!と思っている方ではあるのですが、
では、実際にアンダースタディなんかが登場して歌ってみると、
”これはやっぱりもとの歌手で聴きたかった、、”と涙させるような
お寒い歌唱であることも少なくありません。

メトでも、昨シーズンに続き、今年もあちこちの演目で穴が出て、
そのたびにいろいろな代役歌手が引っ張り出されているわけですが、
メトで近頃、有名歌手をもって有名歌手のカバーに入れる、
つまり、同時期に他の演目に出演中の主役級の歌手をカバーにお願いする、というパターンが
そう少なくないのも、結局、アンダースタディや無名の歌手に歌ってもらっても
ホームランが出る確率が少なく、
それならば、安全度が抜群に高く、観客からも文句が出るどころか喜んですらもらえる可能性もある、
有名歌手を他演目から拝借~というロジックなわけです。
マルチェッロ・ジョルダーニなんて、そのおかげで毎年どれほど酷使されていることか、、。
きっと、彼は、NY滞在中、いつゲルプ氏から電話がかかってくるやら、と、
びくびくし通しに違いありません。
(今シーズン、もともと予定されていた『ファウストの劫罰』のファウスト役と
連日で『蝶々夫人』のピンカートンの代役をつとめること数回、、。)

というわけで、有名でない歌手が代役に立って大喝采で終わった例の直近のものというと、
昨シーズンの『椿姫』で一回だけヴィオレッタを歌ったエルモネラ・ヤホくらい。
しかも、残念ながら、私はオペラハウスにいなかったし、シリウスの放送もない公演日で、
オペラハウスに居合わせた友人が電話してきて絶賛するのを、
指をくわえて聞いているしかなかったのです。くやしーっ!

今日、シリウスのスイッチをオンにすると、マグダの役名がアンジェラ・ゲオルギューではなく、
モーリーン・オフリンという名で読み上げられました。
ゲオルギューは、そういえば、昨シーズンの『ラ・ボエーム』でも、
ライブ・イン・HDの公演の日が終わった途端に、残りの公演を降板していましたが、今年も同じ手?
確か、全公演、もともとはゲオルギューが歌うはずだったと記憶しているのだけれど、、。
今日でアラーニャとの共演の日程は最後だったのに。
(この次の『つばめ』の公演は、二月半ばにフィリアノーティとの共演になります。)
”それまでは少し間が空くから今日降板しても目立たないし~、
私、HDの日も風邪だったし~。”

そして、HDの日に、ゲオルギューよりつらそうだったアラーニャは、今日、きちんと出演してます。
で、ゲオルギューの代役に立つオフリン嬢。
はっきり言って、全然名前も聞いたことがないソプラノ。
とにかくマグダ役はあまりにゲオルギューにぴったりなので、
正直、誰が歌っても彼女を越えることはないだろう、と、聴く前はボルテージが下がりっぱなし。

しかし!!!彼女が一声発して私の耳が完全停止しました。
ちょっと!!いい声ではないですか!!
ゲオルギューよりやや深めの声で、ヴェルディ作品なんかが合いそうな、
その分、ちょっとこの『つばめ』には端正すぎる気がなきにしもあらずですが、高音の伸びが本当に綺麗。
ディクションが硬いですが、丁寧に歌っているのは大変好感が持てますし、
ゲオルギューとは全然違うタイプの歌唱ながら、耳をひきつけるものがあります。
シリウスで聴いている限りでは、全く楽しめます。

まあ、声がこんなに豊かで綺麗なら、見た目はさすがにゲオルギューには敵わないだろう、、。
もしかして、ものすごく横に大きいお姉さんが、
無理矢理あの華麗な衣装を身につけて舞台をのし歩いているのだろうか、、
オペラハウスにいる人は嫌でもビジュアルが目に入るから可哀想ね、、
なんて思っていたら、このオフリン嬢がどんなルックスの人か気になってしょうがなくなりました。

そこでさっそくネットで検索。
そして、あっ!!!!とびっくり!!!




この写真が彼女です。ちょっと!美人じゃないですか!!!しかもスリムだし。
何これ!?こんななら、私もオペラハウスで聴きたいーっ!!

彼女にとっては大舞台の今日の公演。
ゲオルギューの代役、相手役はアラーニャ、しかもシリウスの放送、、。
大きなプレッシャーを跳ね返すように、舞台での全ての瞬間を大事にしたい、、
そんな気持ちが伝わってくるような歌です。
いいですね、こういう歌は。

もちろん、課題はあります。
中盤、音が外れているとまではいいませんが、重心がやや下がりがちになった部分があったのと、
やはり役作りが少しゲオルギューより浅い。
この役には少し人柄が温かすぎるような歌唱でもあります。
重唱の場面では、指揮のアルミリアートとアラーニャの懸命なサポートで切り抜けた感もありました。
でも、いきなり本舞台に立って、これだけの歌を聴かせたら、まずは賞賛に値するのではないでしょうか?
私がオペラハウスにいて、代役からこの歌唱が聴けたら、面白いものを聴いた、と喜んで家路につくでしょう。

何より彼女の強みは高音の美しさとふくよかさ。
一幕のアリアは、ゲオルギューのそれより全然出来が良かったですし、
(Ah! mio sogno! ああ、私の夢よ!と歌うフレーズでの高音の、それは美しかったこと!)
何よりも私を(いい意味で)くらくらっとさせたのは、第三幕、
作品の幕切れの最後の音となる、Ah~と伸ばす高音。
その放物線を描くように綺麗に絞られていった音からは、
まさにつばめが夕焼けの中を段々遠くに、旋回しながら飛び去っていく姿を思い起こしました。
ああ、このAh~の音は、つばめ(マグダ)が向こうに飛翔していく姿を描写していたんだ、と目からうろこでした。
この一音だけでも、彼女の歌唱を聴いた価値あり。
堪能しました。

こちらの関連記事も合わせてお読みください。短いですが、オフリンの歌唱が聴けます。)

Maureen O'Flynn replacing Angela Gheorghiu (Magda)
Roberto Alagna (Ruggero)
Lisette Oropesa (Lisette)
Marius Brenciu (Prunier)
James Courtney replacing Samuel Ramey (Rambaldo)
Monica Yunus (Yvette)
Alyson Cambridge (Bianca)
Elizabeth DeShong (Suzy)
Tony Stevenson (Gobin)
David Won (Perichaud)
David Crawford (Crebillon)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Nicolas Joel
Set design: Ezio Frigerio
Costume design: Franca Squarciapino
Lighting design: Duane Schuler
ON

*** プッチーニ つばめ Puccini La Rondine ***

Sirius: ORFEO ED EURIDICE (Fri, Jan 9, 2009)

2009-01-09 | メト on Sirius
2006-7年シーズンから一シーズン間を置いて復活した『オルフェオとエウリディーチェ』。
2006-7年シーズンの公演のオルフェオはカウンター・テノールのデイヴィッド・ダニエルズでしたが、
今年はメゾのステファニー・ブライスが同役を歌う女性オルフェオ・ヴァージョンです。

その2006-7年シーズンの記事で、”カウンターテノールの中途半端に男性っぽい声が嫌だ!”などと、
暴言を吐いてしまいましたが、
今日の公演をシリウスで聴いて、あらためてこの演目の上演の声楽的な難しさを
感じているところです。

初演された頃はカストラートやオート・コントルなどの
特異な声質の男性歌手によって歌われていたオルフェオ役ですが、
カストラートが絶滅してしまった今、
一般にコントラルトやアルトと呼ばれている歌手も含めた広い意味でのメゾ・ソプラノや、
カウンターテノールたちがこの役を歌っています。

私も正直言ってどのタイプの歌手がこの役を歌うと一番いいのかまだよくわかりません。
聴く側の好みの問題もあるので、どれが一番、なんて言うことが、
そもそも間違っているのかもしれませんが、
しかし、良くないほう、これは逆にすごくはっきりしているように思います。

そして、残念ながら、今日聴いた限りでは、ブライスは、この役には全然向いてません。
彼女はこれまでに歌って来た役、そして歌う予定の役を見るに、
ヴェルディ作品のメゾ・ロールを含む、重めでドラマティックな路線を得意としていると思いますし、
また、実際、彼女をオペラハウスで聴いた限り、それが正しい方向だと感じます。
彼女の名誉のために強調しておかなくてはならないのは、
その路線では彼女は力のあるメゾですし、ザジックがピークを過ぎた今、
アメリカ出身のメゾでこのあたりのレパートリーを歌う歌手としては、
最も期待されている人の一人です。
ザジックが高音にクリスタルのような澄んだ冷たい響きがあるのに比べると、
ブライスの方は高音が同じ澄んで聴こえても、若干温かい感じがするのが特徴でしょうか。
それとどしーっとした低音、このギャップが彼女の持ち味と言えると思います。

ヴェルディのメゾの諸役は、彼女のこの個性が生きる場合が多く、
綺麗な中高音からドーンと低音に入っても、それがプラスになることはあれ、
マイナスになることは少ないように思うのですが、
このオルフェオ役では、同じ個性が逆にものすごく足をひっぱっているように感じます。
しょっぱなに、高音域から低音域に落ちる個所がありますが、
これが声のカラーがあまりに違いすぎて、とんでもなく違和感があるのです。
この曲は、ヴェルディのメゾ・ロールに必要とされる以上にもっと、
上から下まで極めてイーブンな音色が必要とされているように思います。
むしろ、イーブンな音色があるなら、切り裂くような高音や迫力のある低音は必要ないです。
その点で、私はキャスリーン・フェリアーのイーブンな歌い口がとても好きなのです。

また、ブライスの歌いまわしは、声のサイズのせいもあって、少しこの役には重い。
鈍重な感じがしてしまいます。
今日の彼女の歌唱には、ずーっとヴェルディ・ロールの影を感じてしまいました。
彼女が得意としている音域(同じメゾでも、一番得意な、
または強みのある音域は人によって違います。)とも合わなければ、
声のタイプにも、スタイルにもマッチしていないオルフェオ役、、。
キャスティングの大失敗です。
彼女は2006-7年シーズンに、プッチーニ『三部作』のメゾ・ロールを
一日の公演の中で全て歌うという偉業をなしとげ、
怪しいホームレス寸前のようなおばさん(『外套』)、
良家の厳粛なおばさま(『修道女アンジェリカ』)、
そして、強欲だけど憎めないコミカルなおばちゃん(『ジャンニ・スキッキ』)、と、
タイプの違うそれぞれの役を器用にこなしていて、
声質やスタイルに合う役ならば、そんなこともなんなくこなしてしまえる人なのですが、
その彼女でも、このオルフェオ役だけは、あまりに彼女の持っている素材とマッチしていないため、
どうにもならなかったようです。
多分、その違和感が、役を準備している間に自分自身でも広がっていったのか、
歌唱もどことなく自信なげで、役が体に入っていないのか、
重唱では、むしろ、エウリディーチェ役のデ・ニースの方がひっぱっているような
感じがしたくらいでした。
力のある人だけに、気の毒な結果です。
アリア”エウリディーチェを失って”は上手くまとめていましたが、
アリア一曲を歌うことと公演一本通しで歌うということは全く別の話、ということがよくわかる例です。
このオルフェオなら、まだ私はカウンター・テノールのダニエルズをとるかもしれません。

さて、そのエウリディーチェ役のデ・ニースは、『魔笛』のキャベルに続いて、
美人なだけに人気だけが先行しているハイプかと心配しましたが、
温かみのある、濁りのない美しい声で、いい声を持っていると思います。



高音はもともとあまり得意ではないように思われ、中音域の美しさに持ち味がある人だと思います。
個所により、少しちゃらちゃらした歌い方になるのが、
彼女のような声質の人は、きちんと端正に歌った方がより持ち味が出るので、
残念ですが、全体の歌唱としてはいい印象を持ちました。
2006-7年のコヴァレフスカが力一杯の、まさに力唱!という感じがするのに比べると、
ものすごく楽に歌っている感じがします。
ただ、シリウスで聴いてこんなに楽に美しく聴こえる時は、
逆に、オペラハウスでは、少しボリュームが足りなく感じることがままありますので、
これは実演の鑑賞時に確認したいです。
あと、彼女について特筆すべきは、声に黒人らしさが全く感じられないことです。
歌の表情も悪くないです。
課題はブレスコントロールでしょうか?
段々とデクレシェンドしながら長く延ばす音などで、音が消えるのに近くなると、
音の大きさが微妙にでこぼこしたりするのはそのせいだと思います。
声のサイズや弱点、長所を考えるに、モーツァルトの諸役など
(ただし、高音で勝負しなければならない役は不可。)も、個性に合っているのではないかな、と思います。
(現在のところは、ヘンデルのアリア集などを出しているので、
そのあたりをレパートリーとしているようです。)

アモーレを歌ったハイディ・グラント・マーフィー。
私は彼女のやや幼児系入ったへにゃへにゃっとした声と歌い方が苦手なんですが、
(少しアニメの主題歌を歌う歌手を思わせます)
この役はそんな彼女でもマッチしてしまう役の一つかもしれません。
あとは、ブライスのところで前述した『三部作』の『修道女アンジェリカ』での、
気のいいシスターも適役でした。

この公演で最も光っていたのは実は合唱かもしれません。
2006-7年の感想では、その年の『オルフェオ~』から、現在のパルンボ氏が
コーラス・マスターになって、合唱がいい出来だった、というようなことを書いていますが、
今日のそれはそんなものじゃありません。
あれから二年で、こんなに合唱がさらに進化したのには感慨深いものがあります。
まるで宗教音楽のように響く瞬間もあり、この作品は合唱が影の立役者であることを実感。

観客の中に演出および振り付け担当のマーク・モリスに思いっきりブーを飛ばした人が数人。
よくぞ、言ってくれた!!激しく同意!!


Stephanie Blythe (Orfeo)
Danielle de Niese (Euridice)
Heidi Grant Murphy (Amor)
Conductor: James Levine
Production: Mark Morris
Set design: Allen Moyer
Costume design: Isaac Mizrahi
Lighting design: James F. Ingalls
Choreography: Mark Morris
OFF

***グルック オルフェオとエウリディーチェ Gluck Orfeo ed Euridice***

Sirius: LA BOHEME (Tues, Jan 6, 2009)

2009-01-06 | メト on Sirius
帰宅後に自宅で少し仕事をした後、ふと時計を見ると8時近く。
今日の公演はなんだっけ?シリウスの放送あるっけ?とメトのサイトを見ると、『ラ・ボエーム』。
ついこの間の土曜日のマチネもラジオで聴いたばかりだし、
残念ながら、その公演の出来が今ひとつで、
すっかり記事も公演以外のことに省略してしまったくらいなので(ばればれですね!)、
”今日はいいや。静かにご飯でも食べようっと!”と、愛犬にまとわりつかれながら食事の準備をしていると、
ニ幕の後のインターミッションあたりと思われる時間に、
今日の公演を鑑賞中の友人から電話が入ってきました。

”聴いてる?今日のシリウス。聴いてよ!テノールを!!”

聴いてよ、テノール??

ああああああああっっ!!! 

そ、そうだったあ!!!!!
今日はロドルフォがヴァルガスからマッシモ・ジョルダーノに変わる日ではないか!!
もうー、私の馬鹿、馬鹿、馬鹿。
あわててシリウスのスイッチをオンにする!
そして友人の言葉が続く!
”もう滅茶苦茶ひどくてさー、一幕崩壊よ。”
あちゃー、そんな面白いものを聞き逃したのーっ、私は?!
しかし、ふと我に返る。
今週土曜日はオペラハウスで彼のロドルフォを聴くんだった。。。
面白がっている場合ではないかもしれない。

ま、とにかく、というわけで、三幕から途中参加です。

そして。いやー、ほんと、確かにこれはひどい(笑)。ひどすぎる!!

マッシモ・ジョルダーノ、、、
何から始めましょうか、本当に(笑)。
この役に限らず、彼の発声、特に高音の、には独特のぴょろん太音(裏返る寸前のような音)が入ることが多く、
それが、彼の声だ!とすぐわかる個性になっています。
ごくたまに出るそれは、悪くないでしょうが、
このロドルフォ役ではそれがあまりに頻発し、
一々母音がぴょろん、ぴょろん、していて、(はわん、はわん、と表現してもいいですが)、
本当にうっとうしい。
異常に歌が”混みあって”聴こえます。
ロドルフォのパートって、もっとシンプルに聴こえるべきだと思うんですが、、。

それから、これが本当に致命的なんですが、彼は他の歌手を聴きながら歌うことが出来ない。
クウィーチェンとの二重唱の部分の出来が、こうもヴァルガスとの時と差があるのは情けないぞ。
というか、クウィーチェンとの時だけでなく、あらゆる重唱の場面で、彼一人が場を荒らしているのです。
共演者は、彼を”荒らし”として恐れているに違いありません。
少なくとも、我々観客は恐れます。

で、その原因となっているのがリズム感の甘さ。これに尽きる。
それで自分勝手にテンポを揺らしたりしているようなんですが、
もともときちんとしたビート感がないので、
これは、まじで、滅茶苦茶聴いていて気持ち悪いです。
わかっていただけますでしょうか?この感じ。
たとえば2センチずつ釘を打つ課題があったとして、みんなはそうやって綺麗に並べてかちかち打っているのに、
一人で勝手に1.8センチで打ったかと思えば、次は2.3センチで打ったりしている。
”マッシモッ!!!2センチっつっただろうが!!”私が棟梁なら叱りとばしますね、間違いなく。
もちろん、オペラは機械作業ではないですから、何もいつも正確に2センチで打て、とはいいません。
みんなの気持ちがあったときに、微妙に2.05センチになる、
そんなときに美しい瞬間が生まれたりすることはあるでしょうが、
周りを見ないで勝手に一人でいろいろな幅で釘を打ちまくっている歌手がいる重唱の間に
そんな瞬間は決して生まれえないと思います。

それから、この役を歌うには声がふわふわして軽すぎる。
結局、ロドルフォを歌ったときに、いつもにも増してぴょろん太してしまうのも、そのせいかも知れないとも思います。
彼の今の声の重さで歌える主役級の役の上限はアルフレードあたりではないでしょうか。

そのアルフレードの時にも思いましたが、しかし、彼の歌には本当に音楽性が感じられない。
こればっかりは、訓練して身につくものでもなく、先天性の部分も大きいので、
彼のこれからには若干疑問を感じてしまう私です。

オペラというのは本当に生ものだ、と思うのは、先週まで割りと端正に歌っていた他の共演者たちまで、
今日はぐにゃぐにゃな歌唱になってしまっていたこと。
こういう歌は感化するんですよね、本当に恐ろしいです。

これを土曜に金を払って見るのか、、、と思うと、何ともいえない気分になってきました。


Massimo Giordano (Rodolfo)
Maija Kovalevska (Mimi)
Susanna Phillips (Musetta)
Mariusz Kwiecien (Marcello)
Oren Gradus (Colline)
Tommi Hakala (Schaunard)
Paul Plishka (Benoit/Alcindoro)
Conductor: Frederic Chaslin
Production: Franco Zeffirelli
Set Design: Franco Zeffirelli
Costume Design: Peter J. Hall
Lighting Design: Gil Wechsler
Stage Direction: J. Knighten Smit
ON

*** プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme ***

Sirius: THAIS (Tues, Dec 23, 2008)

2008-12-23 | メト on Sirius
今日のフレミングは、先週土曜の実演で聴いた時よりも
無理矢理声を引っ張り出すようなテンションを感じさせる声で、まさに、これこそ、
デッカの全幕盤で聴いたのとそっくりの印象です。

ハンプソンはいつもどおりハンプソンでした。
ただ、この役は結構、声域といい、雰囲気といい、彼に合っているのか、
土曜に続き、今日も無理を感じさせない自然な歌い方で、
今まで聴いた彼の役の中では一番良いかもしれません。

今日の瞑想曲を演奏したのは土曜に続いて再びデイヴィッド・チャン氏。
長所(中、低音の鳴らし方が魅力的)、短所(軽微にピッチが甘く入る個所がある)を含め、
土曜の演奏と非常に良く似ていたように感じました。
しかし、シーズン初日の演奏がやはり今のところ、図抜けてよかったように感じます。

最近、ハイ・プロフィールの公演はチャン氏がコンマスをつとめることが多い、と、
ついこの間も書きましたが、そういう意味では今日もチャン氏が演奏する運命にあったと言えるかもしれません。

今日オペラハウスにいた友人からの連絡によると、
パルテール・ボックスで、クリントン元大統領、ヒラリー夫人、チェルシー嬢3人お揃いで鑑賞されていたそうです。

しかし。ちょっと待てよ。
先週の土曜のレポートの前編にも書きましたが、この『タイス』のあらすじは、

紀元四世紀のエジプト。
キリスト教への信心あつく世捨て人状態になったアタナエルが、
自分の生まれ故郷であり、今や虚栄と背徳の街となっているアレクサンドリアの、
(悪)名高い美人クルテザン、タイスを改心させようとする。
彼女がそれに応えてそれまでの罪を贖い改心の道を歩いていくのと反比例するかのように、
彼の方が彼女への肉欲に悩まされていることに気付き、
信仰から脱落していくという物語

やだなあ、もう。そんなどんぴしゃな演目選ばなくても、、。
メトでは、作品そのものの面でも、歌唱の面でも、もっといい公演がいっぱいあるのによりにもよって、、。
でも、この公演を観て気持ちが若返ったか、とってもお元気そうに見えたというのは何よりです。


Renee Fleming (Thais)
Thomas Hampson (Athanael)
Michael Schade (Nicias)
Alain Vernhes (Palemon)
Leah Partridge (La Charmeuse)
Alyson Cambridge (Crobyle)
Ginger Costa-Jackson (Myrtale)
Maria Zifchak (Albine)
Daniel Clark Smith, Roger Andrews, Kurt Phinney,
Richard Pearson, Craig Montgomery (Cenobite Monks)
Solo Dance: Zahra Hashemian
Conductor: Jesus Lopez-Cobos
Production: John Cox
Renee Fleming's Costumes: Christian Lacroix
Lighting Design: Duane Shucler
Choreography: Sara Jo Slate
ON

*** マスネ タイス Massenet Thais ***

Sirius: DON GIOVANNI (Fri, Dec 19, 2008)

2008-12-19 | メト on Sirius
実演を観ようかおおいに迷った今日の公演、
チケットを取ろうとしたら思うような座席は残っていないし、
朝から雪は降ってるし、これで風邪でもひいて明日の『タイス』の実演を観れなくなってはまずいし、
ということで、シリウス鑑賞に予定変更した”へたれオペラヘッド”はこの私です。

今ひとつ気が乗らない理由のもう一つは、シュロットのドン・ジョヴァンニでした。
9月に実演で観たときに役作りの方向にすごく違和感があったからです。

今日はその9月の公演とシュロットのドン・ジョヴァンニ、ダルカンジェロのレポレッロ、
ポレンザーニのドン・オッターヴィオ、レナードのツェルリーナらはそのままで、
ドンナ・アンナがクラッシミラ・ストヤノーヴァからイーヴェリに、
ドンナ・エルヴィラがスーザン・グラハムからロシュマンにと、
女性陣二人に組み替えが入った亜Aキャスト。
来年(2009年)4月には、完全に全員入れ替えになったマッテイ主演のBキャストが控えています。

今日の指揮はKoenigsというドイツ人の指揮者でメト・デビューだそうですが、
私、9月の公演のラングレより全然この指揮者の方がいいと思いました。
少しテンポが速くて歌手が大変そうにしている個所もありましたが、
決して奇をてらっているわけではなく、作品を生かすため、意味のあるテンポの速さなので、
歌手は付いてこなければなりません!
ラングレのどんよりした音楽に比べたら、今日の方が作品としてずっと楽しめました。

歌唱の話をすると、やっぱり、実感したのは、この作品は、
ドン・ジョヴァンニを太陽とした”太陽系”のような公演であってほしい、ということです。

それぞれの役に聴かせどころもあるし、彼らがどれくらい素晴らしい歌唱を聴かせるか、
というのもとても大事なことなんですが、また一方で、彼らがどんなにがんばっても、
真ん中にある太陽に力がなければ、公演全体としての魅力が半減してしまうと思います。

ドンナ・アンナを歌ったイーヴェリは、
昨シーズンの『皇帝ティトの慈悲』のヴィッテリアで不安定な出来だったのとはうってかわって、
今日の出来はとてもよかったと思います。
少し線が細かったストヤノーヴァに比べると、非常に声が豊かで、
(声量がある、という意味だけではなく、ふくよかな響きがある、といった意味で。)
声自体はとてもいいと思うのですが、
気になったのは、声量があるゆえにコントロールが難しいのか、音程がやや甘い傾向にあること。
また、低音の方でメゾ・カラーが強いというか、突然に歳を食った声になるので、
ドンナ・アンナがすごくおばちゃんに思えて来ることでしょうか?
高音が綺麗なので余計です。

ロシュマンは、私がこの公演を観に行きたかった理由の歌手。
綺麗な声ですが、存外こじんまりしているのが意外でした。
もっと大らかな感じの声をイメージしていたのですが、少なくとも今日の公演では、
ちょっと神経質そうな感じすら漂っている声で、このエルヴィラという役にはぴったりだったと思います。

ダルカンジェロはいつもどおり、際立って目立つことがないながらも、
きっちりと自分の役をこなしていますし、
ポレンザーニは、今日は彼のベストのコンディションではなく、
高音にやや安定感を欠いていましたが、持ち前の端正な歌で乗り切っていました。
レナードも若手に似合わぬ落ち着きぶりでがんばっています。
今日の騎士長のユン(韓国人のバスです)はすごく良かった。
指揮者の音作りに緊迫感があったせいもありますが、
シュロットのジョヴァンニを飲み込むようなすごい迫力でした。
騎士長はこうでなくては!

という感じで、多少の注文はあったとしても、”太陽系惑星”は力のあるいいキャストだったと思います。
これで、肝心の太陽のシュロットにもっと力があったなら、、。

彼はそんなに声量がある方ではないのですが、そんなことより、もっと気になるのは、
このドン・ジョヴァンニ役を歌っているときに、自分はこういう歌を歌いたい、
というビジョンに欠けている点だと思います。
”こういう歌”というのは、アイディアとか哲学としての”こういう歌”のみならず、
もっと卑近な意味で、この旋律を自分はどのように歌うか、とかそういうことも含めてなんですが、
それがきちんとできてないのに、なんとびっくり、歌い崩したりするんですよ、彼が!
そんなことをするのは百万年早い!!

技術と役の解釈がしっかりした歌手が歌い崩す(例えばテンポを少し外してみせる、とか)は、
”味”であり、おしゃれな人がわざと服を着崩しているような格好よさがありますが、
それを伴わない歌手が同じことをやっても、それはだらしないだけで、
ズボンをずらしてパンツ見せながら歩いてる若い男の子のファッションを思い出しました。
あんなの、おしゃれでもなんでもない。だらしないだけです!!!
昨シーズンの『フィガロの結婚』ではすごくきちんとした歌を歌っていたのに、
どうしてこんなパンツ見せファッションみたいな歌を歌うようになっちゃったんでしょう?
彼はまだ若いんだし、まだまだきちんとした歌をじっくりと歌っていく時期だと思うんですが。

そんなことだから、最後の肝心な場面でも、騎士長の歌の方が格好いいなんていう
情けない事態になってしまうのです。

シュロットのドン・ジョヴァンニの問題は、役作りの方向だけではなかった、、。
ほのぐらい太陽に照らされながら、一生懸命まわる太陽系惑星たちの公演といった雰囲気でした。
強力な光を放つ太陽を、4月のマッテイには期待しています。

Erwin Schrott (Don Giovanni)
Ildebrando D'Arcangelo (Leporello)
Tamar Iveri (Donna Anna)
Matthew Polenzani (Don Ottavio)
Dorothea Roschmann (Donna Elvira)
Isabel Leonard (Zerlina)
Joshua Bloom (Masetto)
Kwangchul Youn (The Commendatore)
Conductor: Lothar Koenigs
Production: Marthe Keller
Set Design: Michael Yeargan
Costume Design: Christine Rabot-Pinson
OFF

*** モーツァルト ドン・ジョヴァンニ Mozart Don Giovanni ***

Sirius: LA BOHEME (Mon, Dec 15, 2008)

2008-12-16 | メト on Sirius
この一ヶ月弱、イタリアものの上演が少なかったので、メトで一番のべ公演回数の多い演目ゆえ、
くちさがなく”毎年舞台に戻ってくるゾンビ”などとくさしていても、
やっぱり戻ってくるとなんだかほっとする『ラ・ボエーム』です。

去年のゲオルギューとヴァルガスのコンビでの公演ライブ・イン・HDにも乗ったし、
DVDまで発売されてしまいましたが、正直、あんまり二人の間のケミストリーも感じられなかったし、
あわてて映像化したのは失策だったんじゃないかな、と思う。

今年のAキャストは、ロドルフォが同じヴァルガスで、ミミにマイヤ・コヴァレフスカを迎えます。
彼女は2006年シーズンに『オルフェオとエウリディーチェ』のエウリディーチェ、
2007年シーズンに『カルメン』のミカエラでメトの舞台に立っています。
いずれも歌唱は花丸満点とはいいがたかったのですが、
美人なので一生懸命ゲルプ氏が売りだそうとしていて
(まだまだキャリアも浅いのに、今年のメトのシーズン・ブックでは、
大物歌手たちに混じってやたら彼女の写真が大きかったですから、、。)、
『ラ・ボエーム』の主役なんてはれるのかしら、、?とかなり懐疑的な私だったのですが、、。




はっきり言ってしまうと、技術的には全然駄目なところがてんこもり。
ここ数年メトでこの役を歌った他の歌手、ドマス、マランビオ、ネトレプコ、ゲオルギューあたり
とくらべても、ぜんっぜん技術的には上手くまとまってません。
ブレスの配分が悪くてとんでもないところに息継ぎを入れたり、
音量を小さくしながらきれいに声を収束させていくことも上手く出来ていないし、
指揮者と全く息が合っていない個所もありました。
普通だと、それ、駄目じゃん!って感じなんですが、しかし!
彼女のこの役は、そのまとまってなさゆえの独特の荒削りな魅力が私には面白く感じられました。
ただ、下手なだけの歌手を”面白い”と感じるほど私も物好きではないので一言付け加えると、
この役での彼女は、発声の仕方と歌唱のスタイルがいい意味でレトロな感じがするのがいいな、
と感じました。

綺麗に出ている時の声は、どことなくレナータ・スコットに似て感じられる瞬間もありました。
もちろん、歌唱技術のレベルは雲泥の差ですが。
(これしっかり書いておかないと、レナータに殺される~。)

言いたいのは、本人の努力によっては、
この役での彼女は化ける可能性があるのではないか、ということです。
もしも細かい歌唱技術に磨きがかかったなら、
今ミミ役を歌っている、または歌おうとしている歌手とは若干違った個性を出せる面白さを感じます。

一つ言うと、ドラマティック/エモーショナルな場面で
低音を出さなければならないときに音がやや下品なのは課題。
中高音で持っている音色が低音でも出せるようになるといいな、と思います。

ヴァルガスは決して絶好調ではなかったように思われました。
高音の支えが弱くてちょっとひやりとさせられる部分もありましたし、
音を外すことは一度もありませんでしたが、いつもに比べると、
少し声が引っ込んでしまっているように感じられる部分もありました。
今日も一幕のアリアは半音下げて歌っていたように思います。
ということで、私は彼がメトでこのアリアをオリジナルのキーで歌ったのを
まだ一度も聴いたことがないです。

ただ、心理的には、ずっと今日の公演の方を楽しんでいるような空気が伝わってきました。
ゲオルギューと共演したときはなんだか彼の方がとても縮こまっているような感じがしたのですが、
今日はコンディションのことを抜きにすれば、伸び伸びと歌っていて、
コヴァレフスカのメトでのミミ・デビューを支えようと一生懸命歌う様子が好感度高し。
その熱気が伝わったか、今日の観客、とても熱かったです。

クウィーチェンのマルチェッロ、グラデュスのコッリーネ、ハカラのショナール、
男性陣がしっかりとまとまっていて、ゲオルギューというスターはいなくても、
全体の舞台の有機度、まとまり方という意味では、今日の公演の方が断然上を行ってました。
『ラ・ボエーム』の舞台ってこれでいいんじゃないかな、と思います。

指揮はフランス人のシャスリン。
こんなに早い『ラ・ボエーム』聴いたことがない!というくらいのアップテンポ。
時に安っぽい音に傾くときもありましたが、ユニークではあります。


Ramon Vargas (Rodolfo)
Maija Kovalevska (Mimi)
Susanna Phillips (Musetta)
Mariusz Kwiecien (Marcello)
Oren Gradus (Colline)
Tommi Hakala (Schaunard)
Paul Plishka (Benoit/Alcindoro)
Conductor: Frederic Chaslin
Production: Franco Zeffirelli
ON

***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***