Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE ENCHANTED ISLAND (Sat, Dec 31, 2011)

2011-12-31 | メトロポリタン・オペラ
この記事は昨年12/31の公演に関するものですが、新しい記事であることがわかりやすいよう、しばらくトップに置いた後、本来の日付に移動します。

注:『魔法の島』で演奏される・歌われる曲の元歌リストをこちらにupしました。

メトの現支配人ピーター・ゲルブは、それまでの旧態然としたオペラ上演のあり方を変え、
新しい観客層を引き入れるために自分は努力をしている、ってな趣旨のことをこれまでさんざんぶち上げて来ました。

その中にHD上映の試みがあったり、ディスカウント・チケットの配布があったり、
起用する歌手や演出家、上演する演目の選択の変化、もしくは(本人が言うところの)工夫があり、
この中には成功しているものもそうでないものもあるし、
私が個人的に賛同するものも、しないものもあります。

2011年の大晦日である今日、プレミエを迎える『The Enchanted Island』。
(これまで当ブログでは『魅惑の島』と訳していましたが、
松竹のサイトによると日本でのHD上映は『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』という邦題になっているようですので、
今後『魔法の島』に統一したいと思います。
ちなみにライブ・ビューイングというのはなんだか不自然な英語で、かつ、音の響きとしても全く魅力が無く、
このネーミングを考え付いた人間(松竹の職員?)を縛り首にしたい位ですので、
HD上映に関してはこのブログでは絶対にライブ・ビューイングという間抜けた名前で呼ぶことはなく、
必ずライブ・イン・HDもしくは略して単にHDという呼称を使うことにしています。)

昨年二月のシーズン演目発表時から開陳されていた通り、この『魔法の島』はパスティーシュ・オペラ(イタリア語ではパスティッチョ・オペラ)といわれるもので、
非常に簡単に言うと、複数の作曲家による、複数の作品から、アリアを主とする部分部分をちょろまかして繋ぎ合せて一つの作品にしたもの、
つまり言ってみればオムニバス/コンピレーション的オペラ作品なんですが、
パスティーシュ・オペラ自体は勿論ゲルブ支配人の発明でも何でもなく、18世紀をピークに昔から採用されていた作品・上演スタイルです。



ヨーロッパではすでにスタンダード・レパートリーとして現代のオペラハウスのレパートリーに定着した感すらあるバロック作品ですが、
それがメトでは諸般の事情によりそれほど取り上げられて来なかったのは先日の『ロデリンダ』の感想にも書いた通りです。

ところで、スリムな女性が来て似合うデザインの服を太った女性が、
”でも、今、これが流行っているんだも~ん!”と、ぱっつんぱっつん状態で着用しているのを見て、
”服がかわいそう、、。”と思ったことはありませんか?
また逆に、グラマーな女性が来て似合う服を貧弱な体の女性が着用しているのを見るのも、やっぱり非常に痛い感じで、
これまた”かわいそうな服、、。”と思ったことは、、?
その服自体が素敵であればあるほど、その”かわいそうじゃないの!!”という思いが強くなる、ということ、ありませんか?
私はあります。
素敵な服だな、、と思った時、それにすぐ手をつけることだけがその服を本当に愛でていることにはならなくて、
自分の体型を振り返って、”これは本当に似合う方に来て頂こう。”と手を引くことの方がより良い愛で方である場合もある筈です。



私がメトでバロックを演奏する必要は特にない、と思うのはこれと全く同じ理由からなのですが、
トレンドだから、と、自分の体型も省みずに似合いもしない服を着たがる人というのが必ずいて、
具体的に言うと、今シーズン、『ロデリンダ』の上演だけでは飽き足らず、もう一丁バロック作品をメトで打ってやろうと目論むゲルブ支配人とかですな。

ゲルブ支配人の、もっとバロック上演を!という野望と、”旧態然としたオペラ上演のあり方を変え”る野望を合体させるにあたって、
誰が入れ知恵したのか、その隙間に紛れ込んで来たのがパスティーシュ・オペラのフォーマットの採用というアイディアです。
”他のバロック作品を上演したいけれど、『ロデリンダ』みたいな系列の作品をまんま上演するのは退屈だし、
パスティーシュ・オペラにして、もっとスピーディーな展開の物語にすればどう?”みたいな。
(最近の、特に若年層の人たちに見られるアテンション・スパンの短さはほんと嘆かわしい!と私は思っているのですが、
その代表といってもよいのが、全くもって若くはなく、いい歳こいたおっさんであるところのゲルブ支配人でしょう。
これは私の思い込み・思い過ごしなどではなく、OONYの『アフリカの女』の公演が良い証拠です。)



そしてさらにゲルブ支配人は考える。
”深い話はやめてね。頭が混乱するし、大晦日からそんな複雑なこと考えたくないから。”
”それからイタリア語とかフランス語?あれもまた眠くなって来る原因の一つだよね。うん、この際言葉も英語にしちゃおう。”
”指揮者は誰がいいか?んー、なんか良くわかんないから、バロックの一人者ってことになってる人なら誰でもいいんじゃない?
クリスティーとかいいんじゃない?え?去年彼は『コジ』でオケと険悪なムードになってたの忘れたんですか?って、、?
いいよ。だって僕がオケで演奏するわけじゃないしー。”
”そうそう、それから大事なこと、忘れてた。デブは起用しないこと!全員、スリムであることが最低条件。
ルックスの良い歌手には歌う箇所を多くして。え?デ・ニースにそこまで歌いこなせる力があるかどうか不安?
ノー問題、ノー問題!どうせメトの客はうすら馬鹿で歌唱力のことなんてわかりっこないんだから。
っていうか、僕が一番わかってないんだけど!んー、じゃ、大御所歌手を一人混ぜて、目をくらませるってのはどう?”



かくして、ジェレミー・サムズの手によって、
シェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』のストーリーが合体し、
既存のバロックのアリアにのって、英語で歌われるオペラ、『魔法の島』が完成したわけですが、
(選曲には指揮者のクリスティのアドバイスも入っているそうです。)
まあ、それにしても、なんとお粗末な作品でしょうかね、これは。
この作品の上演が何とか持っているとすれば、それはアリアそのものの力と、歌手たちの訓練の賜物による歌唱力、この二つでしょう。
新しいオーディエンスのために、新しいオペラを!とぶちあげられて出来た作品が、
結局のところ、ずっと引継がれて来たオペラ作品とその歌唱の伝統と、
それを守って鍛錬を重ねて来た歌手たちに救われているというのは、本当に皮肉なんですが、
この二つを抜いたら、私が幼かった頃、デパートの屋上で観たキッズ・ショーのデジャ・ヴに感じそうな代物です。

今回の演出はマクダーモットで、セット・デザインや衣装も、『サティアグラハ』の演出に関わった時と同一メンバーが再起用されています。
このマクダーモット率いる演出チームはなかなか力のあるチームで、『サティアグラハ』での演出は大変素晴らしかったし、
今回も、時にバロック作品の上演であることは忘れてませんよ~というオーラを出しつつも、
さりげなくそれを現代風にアップデートし、適度なスペクタル、ファンタジー感を伴ったカラフルな演出、
それでいて決して下品に堕さず、非常にバランス能力に長けた演出チームだと感じます。
特に若者四人をのせた船が難破する場面の演出は巧みで
(文章で説明するのは非常に難しく、こればっかりはHD等で実際に見て頂くしかないと思いますが、
トラディショナルな手触りとリアルさのバランスがこれまた素晴らしいと思いました。)、今日の観客からは拍手も出ていました。
ただ、どんなに演出が頑張ったとしても、やはり元の作品があまりに馬鹿馬鹿しいと、埋め合わせるのにも限界があるというものです。

シェイクスピアの作品のプロットを二つ一緒にしても、それぞれの良さがそのまま保たれるわけではなく、
かえって、それぞれに元々在った良さまで崩壊してしまう、その見本のような事態になってしまっていて、
大体、新しくつけられた英語が、あのシェイクスピアの格調高い英語に叶うはずがないわけで、そんなことは誰もはなから期待していないわけですが、
それにしても、この小児を相手にしたような英詩には本当げんなりさせられます。



作品については延々ノンストップで文句を書けそうなのでこの位にして、パフォーマンスについて。

まず、この作品、誰が一番の主人公か?と言われると、明らかにこの人!と言える人はいないんですが、
(下のキャスト・リストも、通常は主役から書いて行くことにしているのですが、今回は登場順に近いリストになっています。)
断然登場時間が多く、主役の一人と言って間違いないのが、アリエル役のデ・ニースです。
彼女は、私の中では今、ちょっとネイサン・ガンに近い位置づけになっていて、
オペラハウスでのオペラの全幕公演より、ブロードウェイの舞台とかの方が合っているんじゃないかな、、と思います。
私はオペラにもミュージカルにも優れた歌手は存在しうると思っていますが、
一つ、違っている点は、オペラは優れた歌手である手前に、それぞれのレパートリーに応じて、
絶対にマスターしなければならないテクニックというものが存在している、ということではないかと考えます。
ミュージカルは、どんな風に歌っても、お客さんの心を動かせばそれで良し、という懐の大きさがありますが、オペラではそれはありえない。
デ・ニースのオペラ歌手としての問題点は、彼女は現在実際に舞台で歌っているレパートリーに限ってすら、
きちんと身に付いていないテクニックがあることが散見される点で、
良い部分もある彼女なんですが、それ以外の部分での技術の未熟さがそれを帳消しにしてしまっています。
特別な理由もないのに、なんだか見ているだけでこちらを疲れさせるタイプの人というのがいて、
私にとっては、まさしくデ・ニースがその一人なんですが、
このあちこちで失敗と混乱を巻き起こすアリエル役はそんな彼女の個性にぴったりな風に書かれているので
(こういうオリジナル・キャストのパーソナリティに合わせて役を書けるところが新作の初演の良いところかもしれません。)
もしかして、サムズも”この女、なんか疲れるよな、、。”と内心思ってるのかな?と、勘ぐってしまいました。



彼女に指令を出し、魔術も自由に操るプロスペロー役にはデイヴィッド・ダニエルズが配されていて、
作品の中でも最大の聴かせどころとなる部分を任されている責任重大な役ですが、
(しかも、フェルディナンド役の若手のカウンターテノール、コスタンゾが美しいアリアを歌った後のことなので、
カウンターテノール同士比較される部分もあり、プレッシャーも大きい。)
曲の美しさもありますが、ベテランらしく、コスタンゾよりも豊かな表現力を見せていたのはさすがです。
英語で”Forgive me, please forgive me"と歌い始められるこの部分の元歌は、ヘンデル『パルテーノペ』の”Chi'o parta"で、
この公演、私は正直に言って、バロックの曲を集めたものであるに関わらず、あまりバロックらしさを感じなかったのですが、
この"Chi'o parta"の部分は、唯一、それらしいものを感じられた数少ない場面の一つでした。



フェルディナンド役は、プロスペローが娘のミランダの婿として目をつけた男性で、
アリエルが彼を捕獲するのに失敗ばかりするものですから、オペラの終盤になってやっと登場する、、、というわけで、
他のどのメインの登場人物よりも登場時間は短いのですが、舞台に登場していきなりアリアを決めなければいけないわ、
しかも、ミランダの夫としてふさわしい雰囲気も出さなければならないわ、で、なかなかに難しい役です。
彼が歌うのもヘンデルの作品からで、『ゴールのアマディージ』の"Sussurrate, onde vezzose"。
『ロデリンダ』の記事およびコメント欄で、新旧のカウンターテノールの違いについて話題にあげ・あがりましたが、
コスタンゾは年齢が若いせいもあるでしょうが、響きが美しいだけでなくて力強く、彼も新世代型のカウンターテノールだな、、と感じます。
彼は2008-9年シーズンのナショナル・カウンシルの勝者で、グランド・ファイナルズの時の歌唱は私も聴かせて頂いて、
ポテンシャルのある若者だわ、、、と多いにエキサイトしましたが、あの時よりも一層歌が洗練されていて、この数年の努力の跡が伺われます。
その時の記事にも、”彼の歌は音が段々消えていく時の美しさとか、音と音の”間”がきちんと生きている点が長所だと思うのですが~”
と書いていますが、その美点は顕在で、
"Sussurrate, onde vezzose"の頭のSuの音の美しさとクレシェンドして行くときの太陽の煌きのような絶妙なボリューム・コントロールは息をのみました。
ダニエルズが"Chi'o parta”で見せたような味を聴かせるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、これからに期待したいと思います。



決して少なくはない歌手陣の中で、”空気と戯れる”歌い方が出来ていたのはドミ様(ドミンゴ)とディドナートだけかもしれないな、と思います。
ドミンゴはネプチューン役での出演で、年齢を経てもなお衰えない舞台プレゼンスと声そのものの存在感は、
この役はやはりドミ様でないと、、と思わせるものがあります。
ドミ様は言うまでもなく、決してバロックの歌手ではありませんが、その一声出てきた途端、
”おおっ!!これがオペラだわ!!”と思わせる唯一無二の存在感は、
もうこういうものを持った歌手はドミ様以降この世に出てこないのだろうか、、と寂しくなるほどです。
もちろんお歳ですから、以前に比べると旋律が少し不安定気味に感じられたり、歌詞が頭に入りきっていらっしゃらないのか、
だいぶプロンプターの助けも借りていらっしゃいました。
でも、ゲルブ支配人の寄せ集め的アイディアの中で、唯一期待していた結果がきちんともたらされていたのはドミ様の起用ではなかったかと思います。
しかし、この作品が再演されることになったとして、ドミ様以外の誰がこの役を歌えるのかしら、、?という疑問は残ります。
ちなみにドミ様がお歌いになるのは確か既にご制覇されたレパートリーの一つ、『タメルラーノ』(これもヘンデルですね、、)の、
"Oh, per me lieto"です。



プロスペロー役に魔法にかけられて作品のほとんどを腰をかがめた汚らしい妖婆状態(上から四枚目の写真)で演じているのがシコラックス役のディドナート。
最後に魔法が解けて素敵な地に近い姿が見られるのは何よりです(こちらは下から三枚目の写真)。
先にも書いた通り、彼女の歌唱の良さというのは、空気と戯れるような響きを作り出す能力を持っている点で、
そういう意味でいうと、多分、生で聴かないと完全には良さが伝わらないタイプの歌手かもしれないな、と思います。
また、彼女のポジティブ・オーラ満開の個性は、あまりこういう怪しい役には向いていないかもな、、とも思いました。
私が実際に全幕で見たことのある役ではやはりロッシーニの喜劇系の役が良く合っていると思います。
ただ、彼女はバロックの歌唱でも定評がある人なので、こういうバロックもどきの公演ではなくて、
きちんとしたバロック作品の上演で機会を改めて聴きたいです。



母親のシコラックスが最後に美しい姿に戻るのだから、この人も地の姿が見れるのか、と思いきや、
なぜか、ホラー映画のようなメイクのままエンディングまで突っ走ってしまうのが、シコラックスの息子のキャリバン役のルカ・ピサローニ。
たった数ヶ月前の『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロ役で周知の通り、
なかなかのイケ面なのに、それを見せないなんて、これこそ宝の持ち腐れ、、、こんなことになるなら不細工な歌手を起用しとけばいいのに。
でも、ピサローニはレポレッロの時も思いましたが、演技がなかなかに上手ですね。
特にこの役は化け物メークのせいで顔の表情が非常に乏しくなってしまっているので、体を使って感情を表現しなければならないんですが、
演技のタイミングが非常に良いし、化け物ゆえの悲しみが、あの濃いメイクの下から立ち上がって来ているのはなかなかだと思いました。
声もしっかりとした響きをしているし、人によっては個性がない、と言われるのかもしれませんが、私は彼の素直な歌い方は結構好きです。
この作品で、バロックのレパートリーにはあまり向いてないな、と思いましたが、
もしかすると、声が熟して行ったら、今レパートリーの中心をなしているモーツァルトだけではなくて、
違ったレパートリーが広がるんではないかな、という可能性を感じます。

ミランダ役のオロペーザ、ヘレーナ役のクレア(彼女は2010-11年シーズンの『ドン・カルロ』のテバルド役でも端役ながらちょっとした注目を浴びていましたが、
リンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムのレヴァインのお気に入りでもあり、かなり将来を嘱望されているように見受けます。)、
ハーミア役のデ・ショング、と、女性の若手陣は与えられた仕事をきっちりこなしていて好印象、
逆に若手男性陣のデメトリウス役のアップルビー、ライサンダー役のマドーレの二人はちょっと不甲斐ない感じでした。

クリスティーは指揮だけでなく、選曲でも貢献したらしいことは先に書いた通りですが、
こと指揮に関して言うと、彼はメトのオケから自分が取り出したい音を取り出せていないと思います。
バロックには重過ぎるいつものサウンドのまま。
短い期間で異質のオケから理想のサウンドを引き出すテクニックがないのか、オケのメンバーの心を摑めないのか、、、。
『ロデリンダ』のビケットの方がよほど彼の意図がきちんと感じられる、良い意味でいつものメト・オケと違うバロックらしい音を紡ぎ出せていたと思います。

それにしても、寄せ集めのアイディアでオペラの上演を成功させられると思ったら大間違い。
支配人による数々のテキトーな思い付きが、バロックをバロックたらしめ、美しい作品にしているそのベースを粉砕してしまった、
その様子を見ておくのも、一回くらいは悪くないと思いますが、二度はご免。

David Daniels (Prospero)
Danielle de Niese (Ariel)
Joyce DiDonato (Sycorax)
Luca Pisaroni (Caliban)
Lisette Oropesa (Miranda)
Layla Claire (Helena)
Elizabeth DeShong (Hermia)
Paul Appleby (Demetrius)
Elliot Madore (Lysander)
Placido Domingo (Neptune)
Anthony Roth Costanzo (Ferdinand)
Ashley Emerson, Monica Yunus, Philippe Castagner, Tyler Simpson (Quartet)

Conductor: William Christie
Production: Phelim McDermott
Associate director: Julian Crouch
Set design: Julian Crouch
Costume design: Kevin Pollard
Lighting design: Brian MacDevitt
Choreography: Graciela Daniele
Animation and projection design: 59 Productions

Devised and written by Jeremy Sams
Inspired by Shakespeare's The Tempest and A Midsummer Night's Dream
Music by George Frideric Handel, Antonio Vivaldi, Jean-Philippe Rameau, André Campra, Jean-Marie Leclair,
Henry Purcell, Jean-Féry Rebel, Giovanni Battista Ferrandini

Gr Tier Box 33 Front
NA

*** The Enchanted Island エンチャンテッド・アイランド 魔法の島 ***

マイナー・オペラのあらすじ 番外編 『魔法の島』で使用される音楽たち

2011-12-31 | マイナーなオペラのあらすじ
『魔法の島』はシェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』のプロットに基づいており、
仮にこのニ作品を知らなくとも、幼児でも理解できる内容です。
むしろ、予習のためにはパスティーシュ・オペラとして、どのあたりの作品、アリアがピックアップされているか知りたい、
というニーズがあると思います。
以下がそれぞれの場面、曲の元歌リストです。


序曲:
George Frideric Handel: Alcina, HWV 34

第一幕:

1. "My Ariel" (Prospero, Ariel) – "Ah, if you would earn your freedom" (Prospero)
Antonio Vivaldi: Cessate, omai cessate, cantata, RV 684, "Ah, ch’infelice sempre"

2. "My master, generous master – I can conjure you fire" (Ariel)
Handel: Il trionfo del Tempo e del Disinganno, oratorio, HWV 46a, Part I, "Un pensiero nemico di pace"

3. "Then what I desire" (Prospero, Ariel)

4. "There are times when the dark side – Maybe soon, maybe now" (Sycorax, Caliban)
Handel: Teseo, HWV 9, Act V, Scene 1, "Morirò, ma vendicata"

5. "The blood of a dragon – Stolen by treachery" (Caliban)
Handel: La Resurrezione, oratorio, HWV 47, Part I, Scene 1, "O voi, dell’Erebo"

6. "Miranda! My Miranda!" (Prospero, Miranda) – "I have no words for this feeling" (Miranda)
Handel: Notte placida e cheta, cantata, HWV 142, "Che non si dà"

7. "My master’s books" – "Take salt and stones" (Ariel)
Based on Jean-Philippe Rameau: Les fêtes d’Hébé, Deuxième entrée: La Musique, Scene 7, "Aimez, aimez d’une ardeur mutuelle"

8. Quartet: "Days of pleasure, nights of love" (Helena, Hermia, Demetrius, Lysander)
Handel: Semele, HWV 58, Act I, Scene 4, "Endless pleasure, endless love"

9. The Storm (chorus)
André Campra: Idoménée, Act II, Scene 1, "O Dieux! O justes Dieux!"

10. "I’ve done as you commanded" (Ariel, Prospero)
Handel: La Resurrezione, oratorio, HWV 47, "Di rabbia indarno freme"

11. "Oh, Helena, my Helen – You would have loved this island" (Demetrius)
Handel: La Resurrezione, oratorio, HWV 47, Part I, Scene 2, "Così la tortorella"

12. "Would that it could last forever – Wonderful, wonderful" (Miranda, Demetrius)
Handel: Ariodante, HWV 33, Act I, Scene 5, "Prendi, prendi"

13. "Why am I living?" (Helena)
Handel: Teseo, HWV 9, Act II, Scene 1, "Dolce riposo")
"The gods of good and evil – At last everything is prepared" (Sycorax)
Jean-Marie Leclair: Scylla et Glaucus, Act IV, Scene 4, "Et toi, dont les embrasements… Noires divinités"

14. "Mother, why not? – Mother, my blood is freezing" (Caliban)
Vivaldi: Il Farnace, RV 711, Act II, Scene 5 & 6, "Gelido in ogni vena"

15. "Help me out of this nightmare" – Quintet: "Wonderful, wonderful" (Helena, Sycorax, Caliban, Miranda, Demetrius)
Handel: Ariodante, HWV 33, Act I, Scene 5, recitative preceding "Prendi, prendi"

16. "Welcome Ferdinand – Wonderful, wonderful," reprise (Prospero, Miranda, Demetrius)
"All I’ve done is try to help you" (Prospero)
Vivaldi: Longe mala, umbrae, terrores, motet, RV 629, "Longe mala, umbrae, terrores"

17. "Curse you, Neptune" (Lysander)
Vivaldi: Griselda, RV 718, Act III, Scene 6, "Dopo un’orrida procella"

18. "Your bride, sir? "(Ariel, Lysander, Demetrius, Miranda) – Trio: "Away, away! You loathsome wretch, away!" (Miranda, Demetrius, Lysander)
Handel: Susanna, oratorio, HWV 66, Part II, "Away, ye tempt me both in vain"

19. "Two castaways – Arise! Arise, great Neptune" (Ariel)
Attr. Henry Purcell: The Tempest, or, The Enchanted Island, Z. 631, Act II, no. 3, "Arise, ye subterranean winds"

20. "This is convolvulus" (Helena, Caliban) – "If the air should hum with noises" (Caliban)
Handel: Deidamia, HWV 42, Act II, Scene 4, "Nel riposo e nel contento"

21. "Neptune the Great" (Chorus)
Handel: Four Coronation Anthems, HWV 258, "Zadok the priest"

22. Who dares to call me? (Neptune, Ariel)
Based on Handel: Tamerlano, HWV 18, "Oh, per me lieto"
"I’d forgotten that I was Lord" (Neptune, Chorus)
Rameau: Hippolyte et Aricie, Act II, Scene 3, "Qu’a server mon courroux"

23. "We like to wrestle destiny – Chaos, confusion" (Prospero)
Handel: Amadigi di Gaula, HWV 11, Act II, Scene 5, "Pena tiranna"

第二幕:

24. "My God, what’s this? – Where are you now?" (Hermia)
Handel: Hercules, oratorio, HWV 60, Act III, Scene 3, "Where shall I fly?"

25. "So sweet, laughing together – My strength is coming back to me" (Sycorax)
Vivaldi: Argippo, RV 697, Act I, Scene 1, "Se lento ancora il fulmine"

26. "Have you seen a young lady?" (Ariel, Demetrius, Helena, Caliban) – "A voice, a face, a figure half-remembered" (Helena)
Handel: Amadigi di Gaula, HWV 11, Act III, Scene 4, "Hanno penetrato i detti tuoi l’inferno"

27. "His name, she spoke his name" (Caliban)
Handel: Hercules, oratorio, HWV 60, Act III, Scene 2 "O Jove, what land is this? – I rage"

28. "Oh, my darling, my sister – Men are fickle" (Helena, Hermia)
Handel: Atalanta, HWV 35, Act II, Scene 3 – "Amarilli? – O dei!"

29. "I knew the spell" (Sycorax, Caliban) – "Hearts that love can all be broken" (Sycorax)
Giovanni Battista Ferrandini (attr. Handel): Il pianto di Maria, cantata, HWV 234, "Giunta l’ora fatal –Sventurati i miei sospiri"

30. "Such meager consolation – No, I’ll have no consolation" (Caliban)
Vivaldi: Bajazet, RV 703, Act III, Scene 7, "Verrò, crudel spietato"

31. Masque of the Wealth of all the World
a. Quartet: Caliban goes into his dream, "Wealth and love can be thine"
Rameau: Les Indes galantes, Act III, Scene 7, "Tendre amour"
b. Parade
Rameau: Les fêtes d’Hébé, Troisième entrée: Les Dances, Scene 7, Tambourin en rondeau
c. The Women and the Unicorn
Rameau: Les fêtes d’Hébé, Troisième entrée: Les Dances, Scene 7, Musette
d. The Animals
Jean-Féry Rebel: Les Éléments, Act I, Tambourins I & II
e. The Freaks – Chaos
Rameau: Hippolyte et Aricie, Act I, Tonnerre
f. Waking
Rameau: Les Indes galantes, Act III, Scene 7, "Tendre amour," reprise

[there is no No. 32]

33. "With no sail and no rudder – Gliding onwards" (Ferdinand)
Handel: Amadigi di Gaula, HWV 11, Act II, Scene 1, "Io ramingo – Sussurrate, onde vezzose"

34. Sextet: "Follow hither, thither, follow me" (Ariel, Miranda, Helena, Hermia, Demetrius, Lysander)
Handel: Il trionfo del Tempo e del Disinganno, oratorio, HWV 46a, Part II, Quartet: "Voglio tempo"

35. "Sleep now" (Ariel)
Vivaldi: Tito Manlio, RV 78, Act III, Scene 1, "Sonno, se pur sei sonno"

36. "Darling, it’s you at last" (Hermia, Lysander, Demetrius, Helena)
Vivaldi: La verità in cimento, RV 739, Act II, scene 9, "Anima mia, mio ben"

37. "The wat’ry God has heard the island’s pleas" (Chorus)
Handel: Susanna, oratorio, HWV 66, Part III, "Impartial Heav’n!"

38. "Sir, honored sir – I have dreamed you" (Ferdinand, Miranda)
Handel: Tanti strali al sen mi scocchi, cantata, HWV 197, "Ma se l’alma sempre geme"

39. "The time has come. The time is now" ("Maybe soon, maybe now," reprise) (Sycorax)
Handel: Teseo, HWV 9, Act V, Scene 1, "Morirò, ma vendicata"

40. "Enough! How dare you?" (Prospero, Neptune) – "You stand there proud and free – You have stolen the land" (Neptune)
Rameau: Castor et Pollux, Act V, Scene 1, "Castor revoit le jour"

41. "Lady, this island is yours" (Prospero, Caliban, Ariel) – "Forgive me, please forgive me" (Prospero)
Handel: Partenope, HWV 27, Act III, Scene 4, "Ch’io parta?"

42. "We gods who watch the ways of man" (Neptune, Sycorax, Chorus)
Handel: L’allegro, il Penseroso, ed il Moderato, HWV 55, Part I, "Come, but keep thy wonted state – Join with thee"

43. "This my hope for the future" (Prospero) – "Can you feel the heavens are reeling" (Ariel)
Vivaldi: Griselda, RV 718, Act II, scene 2, "Agitata da due venti"

44. "Now a bright new day is dawning" (Ensemble)
Handel: Judas Maccabaeus, oratorio, HWV 63, Part III, "Hallelujah"

(出自:メトのサイトから、"Then Enchanted Island: The Music (『魔法の島』の音楽)”より。)

『ファウスト』でウェンディ・ホワイトがタラップから落下

2011-12-17 | お知らせ・その他
追記:事故の原因はプラットフォームとの接続のための金具が、もともと不良品だったか磨耗が激しかったかで、人の通行の重みに耐え切れなくなって壊れたためだそうです。
ウェンディは病院を退院したとのことで、とりあえず大事ではなかったようで、本当に良かったです。


12/17夜の公演の『ファウスト』の公演中、ウェンディ・ホワイトがタラップから落下する事故が起こりました。
事故が起こったのは第三幕で、ファウストがマルグリートを誘惑する間に、メフィストフェレスとマルトの会話が絡む場面で、
メフィストフェレス役のパペとマルト役のウェンディ・ホワイトが舞台上手側に設定されたプラットフォームから登場するシーン。
この公演、私は平土間の最前列で鑑賞していましたが、私が自分で目・耳にした範囲では、パペがプラットフォームに姿を現そうとした時、
がらがらがっちゃーん!という、かなりの重さの金属が落下するような音がして、パペが何か手でサインしているので、
私は最初、彼が何かにつまずいたか、セットの一部を破壊したかで、”すんません!すんません!”と言おうとしているのかと思っていたのですが、
彼が後ろを振り向いて、相変わらずその場に留まったまま、激しくそのサインを続け、しまいに”We have to stop!"と指揮者に叫び始めました。
この日の指揮はネゼ・セギャンではなく、これがメト・デビューとなるアシスタント・コンダクターのヴァレで、
当然のことながら、音楽のことで頭が一杯と見え、またパペがかなり舞台の奥にいるためなかなかパペの身振りや言葉を理解できなかったようなのですが、
舞台の比較的前方にいたカウフマンがパペのただならぬ様子に気づいて演技をやめ、彼の”I'm sorry but we have to stop."の言葉にオケの音が止りました。

キャストが舞台からはけた後、ステージ・ディレクターのアシスタントと思しき女性がマイクを持って登場し、”状況が判明次第、すぐにお伝えします。”
数分後に同じ女性から、”ここで早めのインターミッションに入り、公演の再開を追って連絡します。”とのアナウンスがありました。

この間、メトのオケは舞台上のアクシデントには慣れているので、ホワイトのことを心配しつつも落ち着いたものでしたが、
一番パニックしていたのは指揮者のヴァレで、楽譜をめくりながら、”この事態をどうやってまとめたら、、。”とボー然としている様子に、
額に脂汗を見たのは私の気のせいではないでしょう。
しかし、メトにはいたるところにきちんとプロが配置されていますから、
あっという間に、”再開時はこの場のこの章節から。”という指示がすぐに指揮者の手元に回ってきたようで、
”スタートする時は○○章節からお願いしま~す”とピットから出て行くオケのメンバーに叫びながら、心底ほっとしている様子でした。
それにしてもメト・デビューの公演でこのアクシデント、、、彼も本当に気の毒でした。

インターミッションに入るということは代役を立てなければならないということで、ホワイトが全く心配のない無傷ということは考えられず、
インターミッション中は”彼女、大丈夫だといいですね。”という声があちこちから聞かれました。
ホワイトはこれまでメトでたくさんの公演にサポーティング・ロールで出演しており、ほとんどメトのハウス・シンガーと化していますが、
どんな役にでも一生懸命取り組み、いつもきちんとした結果を出す彼女(これとかあれとか、、)は、私の大好きなハウス・シンガーの一人ですが、
同じ思いのヘッズはたくさんいると思います。

また同時に、”こんな階段を頻繁に上がったり下がったりするような余計な負担を歌手にかける演出が本当に必要なのか?”とか、
”リングでもまたとんでもないことが起こるのではないか?”という最近の演出への疑念の声も激しく聞かれました。
それを言えば、こんな事故が起こっているというのに、ゲルブ氏は全く表に出てきませんでしたが、彼は一体公演中どこをほっつき歩いているんでしょうか?
ステージ上での事故はステージ・マネージャーの仕事の範疇なんてことを言っている人もいますが、それは程度の問題であって、
公演が半時間以上も遅れる大きな事故になっているのに、オーディエンスの前に全く姿を見せない支配人というのは一体どうなのか?と私は思います。
それからついでに言わせてもらえば、ただでさえ過密なメトのスケジュールで、今のペースでの新演出の上演は、大道具の人数を倍にしない限り私は無理だと思います。
他の小さな箱とは舞台のサイズもモビリティも全然違うんですから、同じペース/バリエーションで上演する必要は全くないんです。
支配人にはオーディエンスに有意義な鑑賞体験をしてもらうという大きな任務がありますが、
そういった大切な役割は、まず第一に、演奏するアーティスト、関わっているスタッフの命や健康を守ることを大前提としているはずです。
今のような、アーティストやスタッフが安心して上演に関われないような状況を作っているのは支配人として失格だと私は思います。

公演再開後のメトのアナウンス(やそれに基づいて出されているAPなどの報道)によると8フィートの高さからのshort fall(短い距離の転落)で、
大事をとって救急車でERに運ばれたものの、ホワイトの怪我は深刻ではない、となっていますが、
実際は20フィート以上高さのあるタラップから8フィート落下した、という方が正しい、
(プラットフォームの高さから言って、タラップ自体が8フィートの高さってことはないと思います。)という指摘もあり、
とにかく本当に彼女の傷が大したものや後遺症が残るものでなく、一日も早くメトの舞台に復帰してくれることを願っています。

代役を務めたのはテオドラ・ハンズローで、ものすごい勢いで準備をしたのでしょう、メークも衣装もにわか作りな感じはありましたが、
事故の内容が内容だけに、落ち着かない気持ちに違いないのを、良く努めてくれたと思います。
件のタラップはおそらく事故後使用不可能になったと思われ、再開した後は同じ場面でパペとハンズローがプラットフォーム上ではなく地上の舞台裾から現れたり、
カウフマンとポプラフスカヤも、奥のタラップに消えて行く代わりに舞台手前に歩いて来てそこからはけるなど、いくつかの調整が見られました。
いや、おそらく、タラップが使用不可能になっていなくても、このセットはキャストの間でそもそも大・大不評だっただけに、
それ見たことか!ここからはこちらの好きにやらせてもらう!と、全員が地上でのみの演技になっていても何の不思議もなかったと思います。

公演そのものの感想はまた日をあらためて。

レヴァインのメトへの復帰、オープン・エンドに

2011-12-09 | お知らせ・その他
こちらの記事のコメント欄でKew Gardensさんがお知らせして下さっている通り(Kew Gardensさん、ありがとうございます!)、
レヴァインがメトでの指揮に戻って来る時期が、とりあえず永遠未定というステータスになることになりました。
もちろん、このまま二度とメトの指揮台に戻って来ない可能性もあり、、、、ということは、
先シーズンの最後の『ワルキューレ』の公演(HDの公演)が彼のメトでのラスト・パフォーマンスになってしまった可能性もあります。

以下、12/9に発表されたメトからのオフィシャルなプレス・リリース(レヴァインからのステートメントを含む)の訳です。

* メトからのプレス・リリース *

音楽監督ジェームズ・レヴァインは、八月に負った脊椎への傷害の完治に専念するため、
今シーズンの残り、および2012-13年シーズンの指揮を辞退することとなった。
レヴァインは夏季休暇中に転倒後、緊急手術を受け、今シーズンの初めの数ヶ月間に予定されていた公演からの降板を余儀なくされている。

脊髄の損傷が深刻であるため、レヴァインの担当医らは術後回復のプロセスは時間のかかるものになるだろうと述べており、
9月からずっとレヴァインはリハビリ施設に入院しているが、間もなく退院の予定である。
この数ヶ月間で症状はかなり良くなったものの、正確にいつ完治し、仕事に戻れるかは不明。

ゲルブ支配人との会談を経て、レヴァインは今シーズンの残りすべてと2012-13年シーズン中は指揮をしないことを決断した。
レヴァインがそれよりも早く指揮が出来るようになる可能性はあるが、彼が指揮予定だった演目を代わって引継ぐ指揮者を確保する為、
来シーズンに関する決断を今行う必要があるとの判断からである。メトの2012-13年シーズンとキャスティングは来(2012)年2月に発表される。

“これはジム自身にとっても、カンパニーにとっても、また彼の多くのファンにとっても、大きな打撃であり、
最終的には彼がメトに戻って来れるようにしておきたいと考えています。”とゲルブ支配人。
“休みを延長することで完治に専念してもらう一方、来シーズンに向けてメトが代わりの指揮者を選ぶにあたって最善の選択が出来るよう配慮したつもりです。”

レヴァインからのステートメントは最後を参照。

また、回復状況をみながら、コーチング、プランニング、リンデマン・ヤング・アーティスト・デヴェロップメント・プログラムの芸術上の指揮監督など、
指揮以外の音楽監督としての任務に追々復帰する予定である。

今シーズン既にレヴァインに変わって『ドン・ジョヴァンニ』、『ジークフリート』、『神々の黄昏』といった新演出作品を指揮した・することになっているルイージが、
4~5月に上演されるリング・サイクルを指揮する。
(ただし、『ジークフリート』の最後の二公演と、『神々の黄昏』の5/9の公演および5/12のマチネ公演以外。これら4公演の指揮者は近いうちに発表される予定。)

5/20に予定されているカーネギー・ホールでのメト・オケの演奏会を代わりに努める指揮者も追って発表される。

ルイージはこれまでの予定通り、3/26に初日を迎える新演出の『マノン』と4/6から始まる『椿姫』のリヴァイヴァル上演で指揮を執ることになっているが、
『椿姫』のランの最後の四公演(4/21, 25, 28 & 5/2)はリング・サイクルの上演との兼ね合いから別の指揮者が代役を努める。
『椿姫』四公演の指揮者も後日発表する。

* 音楽監督ジェームズ・レヴァインからのステートメント *

今年の夏の初め頃、私は狭窄(きょうさく)症と呼ばれる症状によって大変な痛みに苦しめられており、その状況を改善するために3つの手術を腰・背中に受けました。
狭窄症については手術は成功し問題は取り除かれ、痛みを感じることももはやありません。
しかし、メトでのリハーサルの開始をたった一週間後に控えた8月末のある日、私は転倒して脊髄を損傷し、緊急手術が必要となってしまいました。
幸運なことに、先に受けていた三つの手術の結果を損なうことにはなりませんでしたが、
それ以来、私はずっと病院でリハビリのプログラムと徹底したフィジカル・セラピーを受けています。
三ヶ月が経過し、来週の頭にようやく自宅に戻ることが可能となりましたが、リハビリとセラピーは外来患者として継続していくことになります。

脊髄の損傷は回復するのに長い時間がかかることで良く知られております。
誰一人として他の誰かと同じスピードで回復することはなく、普通、リハビリは長期に渡ります。
私の医師もセラピストも回復状況にはおおいに満足してくれていますし、私にも良い結果が感じられてはいますが、
完治というにはまだ遠い状況であることに、私自身、非常なフラストレーションを感じております。
しかし、治療の初期段階でみられた回復の度合いを見るに、時間と継続したセラピーがあれば、順調な予後になるであろうと医師たちは考えています。

メトはかなりの余裕をもって事前にシーズンを計画しなければならないため、
今の私にはいつ実際に指揮をすることが出来るのか、ということをはっきりと伝えることが求められています。
これまで、ピーター・ゲルブおよびメトのスタッフたちと、長きにわたるミーティングを重ね、この件について話し合ってまいりました。
そして、後日変更が必要とされるような指揮予定を発表することは、
オーディエンスの皆様にも、またメトのカンパニー全体にとっても、きわめてアンフェアである、という結論に我々は達しました。
私自身も、シーズン内容が発表され、チケットが売れてしまった後で公演から降板するというリスクを犯すことは本意ではありません。
そのことを念頭におき、このような結果は私の望むところではなく残念ではありますが、
自らの務めを完全にこなせるという確信が持てるまでは指揮の予定を立てるべきではないだろう、と考えるに至りました。
2012-13年の予定の調整も最終段階に入っており、代わりに指揮をすることが出来る最善の指揮者とはすぐにでも契約交渉に入らねばなりません。
症状が回復すれば、再び指揮に立てるものと信じておりますが、それがはっきりしない状態で発表をするようなことも避けたいと思っております。
このような結論になってしまったのは大変残念なことではありますが、これが正しい選択であると私は確信しております。

ポジティブな事柄の方に目を向けると、指揮以外の音楽監督としての責務に戻れることは私自身大変楽しみにしております。
ピーター・ゲルブと協力しながらの長期的なアーティスティック・プランの調整、
今後の公演プランのためのアーティスティック部門スタッフとの共同作業、歌手へのコーチング、
リンデマン・ヤング・アーティスト・デヴェロップメント・プログラムの参加者への指導などは引き続き行っていく所存です。

これまで、しばしば急な要請にも関わらず、私の仕事を変わって請け負ってくれたファビオ・ルイージをはじめとする指揮者には深い感謝の念を表します。
また、ファビオが首席指揮者という重要な役柄を通して、メトのカンパニーの中で、よりパーマネント(訳注:継続的&常設的)な存在になったことを大変嬉しく思っております。

RODELINDA (Sat Mtn, Dec 3, 2011)

2011-12-03 | メトロポリタン・オペラ
注:この記事はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演をオペラハウスで観たものの感想です。ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。

ヨーロッパをはじめ、すっかり上演が盛んになっているヘンデルの作品ですが、
メトのレパートリーの中にはバロック作品がいまいち根付いていなくて、
ここ十年で演奏されたヘンデルの作品といえば『ジュリオ・チェーザレ』と『ロデリンダ』の二作品のみです。
BAM(ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック)など、メト以外の場所でのバロック作品の上演は時にありますし、
(今年はリュリの『アティス』が上演されて話題になっていました。)
各劇場のサイズとかオケのタイプやパーソナリティといった問題もあるので、私は何もかもをメトで演奏する必要は全然ないと思っていて、
よその国も含め、メトの外に行かなければ鑑賞できない演目というのもあって良い、と感じているのですが、
かと言ってヘンデルのために遠征するか?と言われれば、今の私に限って言えばまずないだろう、というのが答えですので、
ということは、こういう機会でもなければきっと生鑑賞することはおろか、きちんと作品に向き合うこともなかったのかもしれないのだから、
そう思うとありがたみが増す今シーズンの『ロデリンダ』の上演です。



ルネ・フレミングといえばメトのスター!と思っていらっしゃる方が非常に多いようなんですが、
皮肉にも、もしかすると、今一番そうは思っていないのが実はメトの常連客たちかもしれない、、と思います。
特にゲルブ現支配人になってから、彼女の声の衰えと、それに伴って段々レパートリーが狭まっていることが重なったためにその傾向が加速していて、
もちろん、ゲルブ支配人時代になってからも、オープニング・ナイト・ガラでワン・ウーマン・ショーをつとめたり
仏壇みたいなデザインの香水を発売したり、
また、デッカが激しく彼女の登場したHDの公演を連続DVDリリースしていたりするんですが、
ネトレプコやカウフマンが出演していてもメトをソールド・アウトにするのは難しい現在、
彼女はどんな演目でもその名前だけでメトに客を呼べる歌手というのではもはや全くなく、
せっかく新演出でのせてもらった『アルミーダ』では惨憺たる集客率でした。

例えばネトレプコが今シーズン、『アンナ・ボレーナ』と『マノン』の2演目、しかもいずれもメトにとっては新演出でしかもHD上映あり、という破格の待遇を受けているのに対し、
フレミングはお古のプロダクションの『ロデリンダ』一本で勝負(以前もフレミングがロデリンダ役で上演されました。)というあたりにも
微妙に現在のメトでの彼女のポジションが現れています。
そういえば、彼女はメトの日本公演のキャストにも含まれていませんでしたね。
一方で彼女の方もメトでの自分の星が傾いて来ているのを敏感に察知しているのか、
2010年の末にはLOC(リリック・オペラ・オブ・シカゴ)のクリエイティブ・コンサルタント(今までなかった役職なので彼女のために作られたようなもの?)を引き受け、
経営陣の中に名前を連ねるようになったので、LOCに自分の将来と活路を見出しているのかもしれないな、と思います。
ヴォルピ前支配人のもとで彼女が活躍していた頃は、引退後はかつてのビヴァリー・シルズみたいにメトの経営に関わったりするのかもな、と思っていたのが、
今や遠い昔のことのようです。



そんなわけで、フレミングの今のメトでのメインの仕事はHDのホスト?なんてことを言われないためにも、
今日の公演ではしっかり歌って健在ぶりをアピールしたいところだったんですが、
最近の彼女は本当に順調に(?)声の魅力を失って行ってますね。特にトップが本当に痩せて薄いサウンドになってしまった。
何より彼女自身がそれに自覚があって不安を感じるからなんでしょう、
高音域に入るとすごく慎重な、薄氷を踏むような歌い方になるのも、オーディエンスが無心に音楽にのめりこむのを妨げ、興をそがれます。

けれども、私は、それよりも大きな彼女の問題は、声の衰えそのもの以上に、
これまでずっと、どのレパートリーにせよ、本来必要なスタイルを確立する替わりに、ア・ラ・ルネとでも言うべき自己流で流して来てしまった点にあるのではないかと思っています。
自己流な歌い方はキャリアの全盛期にある時は個性ということでポジティブに見てもらえることもありますが、
それは、やがて声やルックスが衰えて来た時、単なるエキセントリックな歌い方としか見てもらえなくなる危険性をはらんでいて、
どんなに優れた歌手も、今のフレミングくらいの年齢に差し掛かる頃には、全盛期に比べて声に衰えが見られ始めるのは普通のことで、
けれども、その衰えを補ってあまりある、磨かれた技とかスタイルを身につけた歌手というのはオーディエンスからある種の敬意を勝ち取って行くものですが、
フレミングの残念なところは、これまでオーディエンスの人気は勝ち得たことがあるかもしれませんが、
歌唱についてそのような種類の敬意を勝ち取ったことがない点ではないかと思います。
演技力やカリスマ性、それから歌唱についても、ア・ラ・フレミングの範囲内では良いものを持っている・いた彼女が、
キャリアのこの時期になって、意外にもあまりメトとその常連客に厚遇されていないのはこのあたりが原因ではないか、という風に思います。



そして、今回の『ロデリンダ』でのフレミングの歌唱は、このア・ラ・フレミング問題を凝縮してしまったような内容になっていて、
特に男性陣のショルとデイヴィスがきちんとしたスタイルのある歌唱を横で披露しているものですから、一層対比が効いてしまっていて、非常に聴いていて辛いものがあります。
これまで私は『椿姫』や『アルミーダ』、つまりベル・カント・レップ、もしくはベル・カント的技術が要されるレパートリーで
彼女の歌唱に対して怒りを爆発させたことがありますが、それは私がベル・カント・ラブな人間であり、
ア・ラ・フレミングな歌い方では決してベル・カントの本当の良さを引き出せない!と考えるからですが、
バロック愛好者では特にない私ですら”ちときつい、、。”と感じる彼女の今回の歌唱は、
バロックを愛する方々からは私がベル・カント・レップで彼女に対して持ったのと似た種類の怒りを引き起こしてもおかしくないかもしれません。
特に全ての音にグリッサンドがかかっているのかと思うようなベタベタした音の移動、
それから早いスケールで音が均一でなく、また短い音がないがしろになったりする点は、
ベル・カントのレパートリーでの彼女の歌唱と共通した大きな欠点だと思います。
これからこの公演をHDでご覧になる方は、聞き苦しいあからさまなブレスにも心の準備が必要です。



最近は演技が上手い歌手が段々と増えて来ているので、その面でもフレミングは決して超特別な歌手ではなくなっているものの、
それでも彼女は演技が決して下手ではないので、声が衰えて来た今、演技や役作りでポイントを稼ぎたいであろうに、その面でも今回、彼女はかなりの苦戦を強いられています。
一つには、ワズワースの演出が問題です。
常に上手から下手に流れるベルト・コンベイヤー状の舞台になっていて、それに乗って部屋、庭、ベルタリードの墓がある場所などが次々と現れるのですが、
最初にロデリンダが半拉致されている部屋のセットが下手にはける途中で、
部屋にあるベッドについているロデリンダを拘束するための鎖がちょうど舞台移動のためのレールの溝にぴったりとはさまってしまって、
(よりにもよってHDの時にこんな滅多にないことが起こってしまうのでした、、、。)
ベッドがばったーん!と倒れて横倒しになっても、鎖の長さ以上動かなくなってしまって、次のシーンでもベッドが半分見えているのがエキサイティングだった以外は、
大変変化に乏しく単調で退屈な演出でした。
(結局、家来の衣装を身につけたスタッフが舞台に出て来て、何とか鎖をレールから外してやっとベッドが消えて行きましたが、かなりの時間にわたる奮闘でした。)



セットの退屈さも問題ですが、しかし、それ以上にほとんど”変”の域に達していたのは演技の呼吸です。
バロックの演目というのは、後の時代のオペラに比べると音楽とドラマのスピードが遅くて、その上にアリアには歌詞の繰り返しがあるものですから、
現代的なセンスで演技付けをしようとすると非常に難しいレパートリーではないかなと思います。
私はこういう演目ではかえって中途半端な演技など入れず、直立不動で歌ってアリアに集中させてくれた方が違和感がなくて良いな、、と思うのですが、
ワズワースの意向でしょうか、ほとんど全員のキャストが何とか演技を入れようと苦闘していて、歌詞の繰り返しの部分ではほとんど同じ演技を繰り返すことになってしまっていましたし、
いくつかのシーンでは音楽の進行のスピードと演技のスピードが全く合っていなくて、妙な間があったり、???と思う部分がかなりたくさんありました。



エドゥイージェ役を歌ったブライスは大変器用なメゾゆえ、フレミングが苦闘していたとしても、
彼女だけはさすが!と唸らせる歌唱を聴かせてくれるだろう、と期待していたのですが、
これまで聴いたブライスの歌唱の中では、残念ながら役への適性という面で最も低いものの一つだったように思います。
彼女の声がここ数年で一層スケールが大きくなったのも一因だとは思うのですが、バロックに求められる敏捷性からすると、今一つ重たい感じがする点は否めませんでした。
また、彼女の声を特徴づけている、あのちょっと鼻の詰まったような独特の音色ですが、これも、音足が重たい感じがする一因になっているように思われ、
ブライスはもっとフレーズが雄大な役、例えばシーズン後半で歌うことになっているアムネリスやリング・サイクルでのフリッカなど、
よりドラマティックなレパートリーの方に期待したいと思います。



グリモアルド役を歌ったカイザーはそういえば昨シーズンもフレミングと『カプリッチョ』で共演してました。
数年前までのなんとなくもっさりした感じが抜けて、もともと背が高くて舞台姿が綺麗なのと相まって、
ルックスでは軽くブレークした感のある彼なんですが、
彼はルックスでブレークしている場合ではなく、むしろ、歌の方でブレークする必要があるだろうと思います。
まず、声の音色自体、特筆するような美しさがあるわけでも、誰にもない個性を持っているわけでもなく
(むしろ、彼の高音域での響きは私には全く快い響きに聴こえないと言ってもいいくらいかもしれません、、、。)
ブレークするとすれば表現力をつけていくしかないように思います。
2007年あたりから、再々メトでチャンスを与えられつつも、あまりそれを生かせていない点にも将来への不安を感じさせます。
彼は今までメトでは『ロミオとジュリエット』のロミオや件の『カプリッチョ』のフラマンなど、好青年系の役が主だったので、
今回のグリモアルドのような役で一皮剝けるかも、、という期待もむなしく、
好青年の役で表現力が不足している人は、複雑な役をやらせても同じ、、ということで、非常に平面的な歌唱と役作りでがっかりしました。



それからもう一人、シェンヤン。
彼は以前に『ラ・ボエーム』の出待ち編で書いたとおり、普段の彼は押し出しや貫禄みたいなのものもあるのに、
なぜか舞台に立つと、ぼーっとした腑抜け顔に見える不思議な人です。
YouTubeに行くと、メトがこの『ロデリンダ』のリハーサルからの短い映像をリリースしてますが、彼の表情を見ていても、
その場面で何を考えているのか、どういう気持ちでいるのか、全然伝わって来ない。
カメラでアップで撮影した映像でこれなんですから、遠目で舞台を見ている観客にとっては何をか言わんや、です。
また、顔の表情は歌の鏡であって、彼の歌も表情と同じくのっぺらぼうで、伝わって来るものが少ないのは何の不思議でもありません。
この作品で最もワルな人物であるガリバルド役を演じるのにこれではいけません。
歌唱にもまだまだ歌を勉強中~という雰囲気が漂っていて、学生さんのパフォーマンスを見ているような感じがするのも気になる点です。
ガリバルドはこの作品の中で、大きくはないものの大事な役ですし、彼がメトの舞台でこの役を歌うのはまだちょっと早いと感じました。

これではまるでがっかりしてばっかりのように聞えてしまいますが、
今日はアンドレアス・ショルとイエスティン・デイヴィスの二人のカウンターテノールの歌を聴けただけで満足でした。
正直に言うと、私はカウンターテノールが基本的にずっと苦手で、
以前は単純にあのおかまっぽい不自然な声の響きが生理的に合わないのだろう、と自分で思っていたのですが、
そうではなくて、ファルセットで歌うことによって響きや音量に不自由が生じたり、
その結果表現の繊細さに限りが出て来るのがじれったく感じることが原因であるらしいことがわかりました。
その証拠に、カウンターテノールの歌を聴くと、ぞわぞわ、、と鳥肌が立つようなことはなく、いーっ!!といらいらして来ることが多かったのです。

けれども、ショルとデイヴィスの二人はそれぞれ違った方法で、そのいらいらを越えてしまいました。
まずショル。
ショルは、基本的にはこれまで私が聴いたことのあるカウンターテノール(例えばデイヴィッド・ダニエルズなど)と似て、
音色的には”あ、ファルセットで歌っているな。”とはっきりわかるタイプなんですが、
その歌唱を高度に研ぎ澄ませ、普通ファルセットによる歌唱では難しいレベルの繊細さを成し遂げている点が素晴らしいと思います。
ショルの”Dove sei, amato bene? どこにいるのか、愛しい人よ”はDVDにもなっているグラインドボーンでの歌唱があまりに素晴らしくて、



あんなものは二度と聴けまい、、と思っていて、実際、今回のメトの公演ではグラインドボーンでの歌唱を越えているとは思いませんし、
特にコンディションが絶好調なわけでもなかったように感じましたが、
(一箇所、低音で思いっきりバリトンの地声が出て、それまでの歌声とのあまりのギャップにぎょっとしてしまいました。
地声になるとそれはもう声量も全然違いますし、本当に男らしいお声でいらっしゃるので、、、。
私はカウンターテノールが登場するオペラは数えるほどしか鑑賞したことがありませんが、
低音域で地声になる、というのはこれまで一度も体験したことがないので、一種のアクシデントだったと思っているのですが、
いや、そうではなく、意図的なのだ!というご意見があればぜひ伺いたいです。)
それでも彼がなぜ優れたカウンターテノールと言われるか、その理由は十分に伝わる内容だったと思います。
また、彼は舞台プレゼンスが上品で素敵!! 
こういう上品さというのは持って生まれたかそうでないか、の二つに一つなんだなあ、、とフレミングと見比べながら思ってしまいました。



一方のデイヴィス。
私はある意味、ショル以上に彼に驚かされたかもしれないです。
彼の声、いや、歌唱といった方がよいのかな、、?は、私がこれまで知っているカウンターテノールとは全然違う種類のそれで、
こういうカウンターテノールが出てきているのか、、と驚きの耳でもって彼の歌唱を聴かせて頂きました。
彼がどのようにそれを達成しているのか、非常に興味があるのですが、彼の歌唱はもはやファルセットで歌っているようにはほとんど聴こえないです。
彼が登場した時、”あれ?メゾかコントラルトがキャストに混じっていたっけ?”としばらく悩んでしまったほど、つまり、彼が女性なのかと思ってしまった位です。
よーく聴いていると、”ああ、やっぱりカウンターテノールだ。”と思う音が混じることがありますが、頻度は極々少ないし、あからさまなそれでもありません。
さらに驚きなのは、ファルセットで歌っていると、ショルのところで書いたように、必ず声量面で限界が生まれるのが普通で、
それが、メトのような大箱でカウンターテノール、ひいては彼らを登用することの多いバロック作品を聴くことの難しさの一つにもなっているのですが、
デイヴィスの歌声は、その独特の歌唱スタイルのせいで、本当に良く通る。
普通にメゾかコントラルトが歌っているようなレベルで劇場に声が通っているのです。



上の音源がデイヴィスの歌唱(ヘンデルによる”アン女王の誕生日のための頌歌~神々しい光の永遠の源泉”)ですが、
コメント欄に”地声とファルセットを非常にスムーズにブレンドしている点がカウンターテノールとしては変わっていてユニークだ。”
と書いている人がいますが、全く同じ印象を私も劇場で聴いて持ちました。
これまでファルセットを中心に置いたカウンターテノールの歌唱には必ず限界がつきまとうという思い込みがあって、
その限界にいらいらさせられることが多かった私のような人間にとっては、
彼のような新しいタイプのカウンターテノールの登場は非常にエキサイティングで、彼が再びメトに登場する際には必ずその歌声を聴きに行かねば!と思っています。

指揮のハリー・ビケットは2005年の上演に続いての登場で、バロック作品の演奏に慣れないメト・オケをよくリードしまとめていて、
わざとらしさがなく、歌手の歌いやすさを大事にした演奏に好感を持ちました。


Renée Fleming (Rodelinda)
Andreas Scholl (Bertarido)
Joseph Kaiser (Grimoaldo)
Stephanie Blythe (Eduige)
Iestyn Davies (Unulfo)
Shenyang (Garibaldo)
Moritz Linn (Flavio, son of Rodelinda and Bertarido)

Conductor / Harpsichord Recitative: Harry Bicket
Production: Stephen Wadsworth
Set design: Thomas Lynch
Costume design: Martin Pakledinaz
Lighting design: Peter Kaczorowski

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