この記事は昨年12/31の公演に関するものですが、新しい記事であることがわかりやすいよう、しばらくトップに置いた後、本来の日付に移動します。
注:『魔法の島』で演奏される・歌われる曲の元歌リストをこちらにupしました。
メトの現支配人ピーター・ゲルブは、それまでの旧態然としたオペラ上演のあり方を変え、
新しい観客層を引き入れるために自分は努力をしている、ってな趣旨のことをこれまでさんざんぶち上げて来ました。
その中にHD上映の試みがあったり、ディスカウント・チケットの配布があったり、
起用する歌手や演出家、上演する演目の選択の変化、もしくは(本人が言うところの)工夫があり、
この中には成功しているものもそうでないものもあるし、
私が個人的に賛同するものも、しないものもあります。
2011年の大晦日である今日、プレミエを迎える『The Enchanted Island』。
(これまで当ブログでは『魅惑の島』と訳していましたが、
松竹のサイトによると日本でのHD上映は『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』という邦題になっているようですので、
今後『魔法の島』に統一したいと思います。
ちなみにライブ・ビューイングというのはなんだか不自然な英語で、かつ、音の響きとしても全く魅力が無く、
このネーミングを考え付いた人間(松竹の職員?)を縛り首にしたい位ですので、
HD上映に関してはこのブログでは絶対にライブ・ビューイングという間抜けた名前で呼ぶことはなく、
必ずライブ・イン・HDもしくは略して単にHDという呼称を使うことにしています。)
昨年二月のシーズン演目発表時から開陳されていた通り、この『魔法の島』はパスティーシュ・オペラ(イタリア語ではパスティッチョ・オペラ)といわれるもので、
非常に簡単に言うと、複数の作曲家による、複数の作品から、アリアを主とする部分部分をちょろまかして繋ぎ合せて一つの作品にしたもの、
つまり言ってみればオムニバス/コンピレーション的オペラ作品なんですが、
パスティーシュ・オペラ自体は勿論ゲルブ支配人の発明でも何でもなく、18世紀をピークに昔から採用されていた作品・上演スタイルです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/80/4b9a4457966af73c9feca2a7577ac59a.jpg)
ヨーロッパではすでにスタンダード・レパートリーとして現代のオペラハウスのレパートリーに定着した感すらあるバロック作品ですが、
それがメトでは諸般の事情によりそれほど取り上げられて来なかったのは先日の『ロデリンダ』の感想にも書いた通りです。
ところで、スリムな女性が来て似合うデザインの服を太った女性が、
”でも、今、これが流行っているんだも~ん!”と、ぱっつんぱっつん状態で着用しているのを見て、
”服がかわいそう、、。”と思ったことはありませんか?
また逆に、グラマーな女性が来て似合う服を貧弱な体の女性が着用しているのを見るのも、やっぱり非常に痛い感じで、
これまた”かわいそうな服、、。”と思ったことは、、?
その服自体が素敵であればあるほど、その”かわいそうじゃないの!!”という思いが強くなる、ということ、ありませんか?
私はあります。
素敵な服だな、、と思った時、それにすぐ手をつけることだけがその服を本当に愛でていることにはならなくて、
自分の体型を振り返って、”これは本当に似合う方に来て頂こう。”と手を引くことの方がより良い愛で方である場合もある筈です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ad/5c2bd669219f9fcdd1fb9edd7a1fc941.jpg)
私がメトでバロックを演奏する必要は特にない、と思うのはこれと全く同じ理由からなのですが、
トレンドだから、と、自分の体型も省みずに似合いもしない服を着たがる人というのが必ずいて、
具体的に言うと、今シーズン、『ロデリンダ』の上演だけでは飽き足らず、もう一丁バロック作品をメトで打ってやろうと目論むゲルブ支配人とかですな。
ゲルブ支配人の、もっとバロック上演を!という野望と、”旧態然としたオペラ上演のあり方を変え”る野望を合体させるにあたって、
誰が入れ知恵したのか、その隙間に紛れ込んで来たのがパスティーシュ・オペラのフォーマットの採用というアイディアです。
”他のバロック作品を上演したいけれど、『ロデリンダ』みたいな系列の作品をまんま上演するのは退屈だし、
パスティーシュ・オペラにして、もっとスピーディーな展開の物語にすればどう?”みたいな。
(最近の、特に若年層の人たちに見られるアテンション・スパンの短さはほんと嘆かわしい!と私は思っているのですが、
その代表といってもよいのが、全くもって若くはなく、いい歳こいたおっさんであるところのゲルブ支配人でしょう。
これは私の思い込み・思い過ごしなどではなく、OONYの『アフリカの女』の公演が良い証拠です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/6d/eb88d201a4ca16f37ceba66048a2438f.jpg)
そしてさらにゲルブ支配人は考える。
”深い話はやめてね。頭が混乱するし、大晦日からそんな複雑なこと考えたくないから。”
”それからイタリア語とかフランス語?あれもまた眠くなって来る原因の一つだよね。うん、この際言葉も英語にしちゃおう。”
”指揮者は誰がいいか?んー、なんか良くわかんないから、バロックの一人者ってことになってる人なら誰でもいいんじゃない?
クリスティーとかいいんじゃない?え?去年彼は『コジ』でオケと険悪なムードになってたの忘れたんですか?って、、?
いいよ。だって僕がオケで演奏するわけじゃないしー。”
”そうそう、それから大事なこと、忘れてた。デブは起用しないこと!全員、スリムであることが最低条件。
ルックスの良い歌手には歌う箇所を多くして。え?デ・ニースにそこまで歌いこなせる力があるかどうか不安?
ノー問題、ノー問題!どうせメトの客はうすら馬鹿で歌唱力のことなんてわかりっこないんだから。
っていうか、僕が一番わかってないんだけど!んー、じゃ、大御所歌手を一人混ぜて、目をくらませるってのはどう?”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/b9/69f0e899628b7770d33f10002d212d4e.jpg)
かくして、ジェレミー・サムズの手によって、
シェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』のストーリーが合体し、
既存のバロックのアリアにのって、英語で歌われるオペラ、『魔法の島』が完成したわけですが、
(選曲には指揮者のクリスティのアドバイスも入っているそうです。)
まあ、それにしても、なんとお粗末な作品でしょうかね、これは。
この作品の上演が何とか持っているとすれば、それはアリアそのものの力と、歌手たちの訓練の賜物による歌唱力、この二つでしょう。
新しいオーディエンスのために、新しいオペラを!とぶちあげられて出来た作品が、
結局のところ、ずっと引継がれて来たオペラ作品とその歌唱の伝統と、
それを守って鍛錬を重ねて来た歌手たちに救われているというのは、本当に皮肉なんですが、
この二つを抜いたら、私が幼かった頃、デパートの屋上で観たキッズ・ショーのデジャ・ヴに感じそうな代物です。
今回の演出はマクダーモットで、セット・デザインや衣装も、『サティアグラハ』の演出に関わった時と同一メンバーが再起用されています。
このマクダーモット率いる演出チームはなかなか力のあるチームで、『サティアグラハ』での演出は大変素晴らしかったし、
今回も、時にバロック作品の上演であることは忘れてませんよ~というオーラを出しつつも、
さりげなくそれを現代風にアップデートし、適度なスペクタル、ファンタジー感を伴ったカラフルな演出、
それでいて決して下品に堕さず、非常にバランス能力に長けた演出チームだと感じます。
特に若者四人をのせた船が難破する場面の演出は巧みで
(文章で説明するのは非常に難しく、こればっかりはHD等で実際に見て頂くしかないと思いますが、
トラディショナルな手触りとリアルさのバランスがこれまた素晴らしいと思いました。)、今日の観客からは拍手も出ていました。
ただ、どんなに演出が頑張ったとしても、やはり元の作品があまりに馬鹿馬鹿しいと、埋め合わせるのにも限界があるというものです。
シェイクスピアの作品のプロットを二つ一緒にしても、それぞれの良さがそのまま保たれるわけではなく、
かえって、それぞれに元々在った良さまで崩壊してしまう、その見本のような事態になってしまっていて、
大体、新しくつけられた英語が、あのシェイクスピアの格調高い英語に叶うはずがないわけで、そんなことは誰もはなから期待していないわけですが、
それにしても、この小児を相手にしたような英詩には本当げんなりさせられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/95/17bd8de4d540229780e13510c88f1c61.jpg)
作品については延々ノンストップで文句を書けそうなのでこの位にして、パフォーマンスについて。
まず、この作品、誰が一番の主人公か?と言われると、明らかにこの人!と言える人はいないんですが、
(下のキャスト・リストも、通常は主役から書いて行くことにしているのですが、今回は登場順に近いリストになっています。)
断然登場時間が多く、主役の一人と言って間違いないのが、アリエル役のデ・ニースです。
彼女は、私の中では今、ちょっとネイサン・ガンに近い位置づけになっていて、
オペラハウスでのオペラの全幕公演より、ブロードウェイの舞台とかの方が合っているんじゃないかな、、と思います。
私はオペラにもミュージカルにも優れた歌手は存在しうると思っていますが、
一つ、違っている点は、オペラは優れた歌手である手前に、それぞれのレパートリーに応じて、
絶対にマスターしなければならないテクニックというものが存在している、ということではないかと考えます。
ミュージカルは、どんな風に歌っても、お客さんの心を動かせばそれで良し、という懐の大きさがありますが、オペラではそれはありえない。
デ・ニースのオペラ歌手としての問題点は、彼女は現在実際に舞台で歌っているレパートリーに限ってすら、
きちんと身に付いていないテクニックがあることが散見される点で、
良い部分もある彼女なんですが、それ以外の部分での技術の未熟さがそれを帳消しにしてしまっています。
特別な理由もないのに、なんだか見ているだけでこちらを疲れさせるタイプの人というのがいて、
私にとっては、まさしくデ・ニースがその一人なんですが、
このあちこちで失敗と混乱を巻き起こすアリエル役はそんな彼女の個性にぴったりな風に書かれているので
(こういうオリジナル・キャストのパーソナリティに合わせて役を書けるところが新作の初演の良いところかもしれません。)
もしかして、サムズも”この女、なんか疲れるよな、、。”と内心思ってるのかな?と、勘ぐってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5a/094afb9e70d5b4cb82a5b44394415bfe.jpg)
彼女に指令を出し、魔術も自由に操るプロスペロー役にはデイヴィッド・ダニエルズが配されていて、
作品の中でも最大の聴かせどころとなる部分を任されている責任重大な役ですが、
(しかも、フェルディナンド役の若手のカウンターテノール、コスタンゾが美しいアリアを歌った後のことなので、
カウンターテノール同士比較される部分もあり、プレッシャーも大きい。)
曲の美しさもありますが、ベテランらしく、コスタンゾよりも豊かな表現力を見せていたのはさすがです。
英語で”Forgive me, please forgive me"と歌い始められるこの部分の元歌は、ヘンデル『パルテーノペ』の”Chi'o parta"で、
この公演、私は正直に言って、バロックの曲を集めたものであるに関わらず、あまりバロックらしさを感じなかったのですが、
この"Chi'o parta"の部分は、唯一、それらしいものを感じられた数少ない場面の一つでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/64/962cc6d53b8b9390e5ecd19205c4e03a.jpg)
フェルディナンド役は、プロスペローが娘のミランダの婿として目をつけた男性で、
アリエルが彼を捕獲するのに失敗ばかりするものですから、オペラの終盤になってやっと登場する、、、というわけで、
他のどのメインの登場人物よりも登場時間は短いのですが、舞台に登場していきなりアリアを決めなければいけないわ、
しかも、ミランダの夫としてふさわしい雰囲気も出さなければならないわ、で、なかなかに難しい役です。
彼が歌うのもヘンデルの作品からで、『ゴールのアマディージ』の"Sussurrate, onde vezzose"。
『ロデリンダ』の記事およびコメント欄で、新旧のカウンターテノールの違いについて話題にあげ・あがりましたが、
コスタンゾは年齢が若いせいもあるでしょうが、響きが美しいだけでなくて力強く、彼も新世代型のカウンターテノールだな、、と感じます。
彼は2008-9年シーズンのナショナル・カウンシルの勝者で、グランド・ファイナルズの時の歌唱は私も聴かせて頂いて、
ポテンシャルのある若者だわ、、、と多いにエキサイトしましたが、あの時よりも一層歌が洗練されていて、この数年の努力の跡が伺われます。
その時の記事にも、”彼の歌は音が段々消えていく時の美しさとか、音と音の”間”がきちんと生きている点が長所だと思うのですが~”
と書いていますが、その美点は顕在で、
"Sussurrate, onde vezzose"の頭のSuの音の美しさとクレシェンドして行くときの太陽の煌きのような絶妙なボリューム・コントロールは息をのみました。
ダニエルズが"Chi'o parta”で見せたような味を聴かせるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、これからに期待したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3e/10eabb54ab61f6b712aca27b41d0968e.jpg)
決して少なくはない歌手陣の中で、”空気と戯れる”歌い方が出来ていたのはドミ様(ドミンゴ)とディドナートだけかもしれないな、と思います。
ドミンゴはネプチューン役での出演で、年齢を経てもなお衰えない舞台プレゼンスと声そのものの存在感は、
この役はやはりドミ様でないと、、と思わせるものがあります。
ドミ様は言うまでもなく、決してバロックの歌手ではありませんが、その一声出てきた途端、
”おおっ!!これがオペラだわ!!”と思わせる唯一無二の存在感は、
もうこういうものを持った歌手はドミ様以降この世に出てこないのだろうか、、と寂しくなるほどです。
もちろんお歳ですから、以前に比べると旋律が少し不安定気味に感じられたり、歌詞が頭に入りきっていらっしゃらないのか、
だいぶプロンプターの助けも借りていらっしゃいました。
でも、ゲルブ支配人の寄せ集め的アイディアの中で、唯一期待していた結果がきちんともたらされていたのはドミ様の起用ではなかったかと思います。
しかし、この作品が再演されることになったとして、ドミ様以外の誰がこの役を歌えるのかしら、、?という疑問は残ります。
ちなみにドミ様がお歌いになるのは確か既にご制覇されたレパートリーの一つ、『タメルラーノ』(これもヘンデルですね、、)の、
"Oh, per me lieto"です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/50/9b04ed216ae9fc505afca6886262f75e.jpg)
プロスペロー役に魔法にかけられて作品のほとんどを腰をかがめた汚らしい妖婆状態(上から四枚目の写真)で演じているのがシコラックス役のディドナート。
最後に魔法が解けて素敵な地に近い姿が見られるのは何よりです(こちらは下から三枚目の写真)。
先にも書いた通り、彼女の歌唱の良さというのは、空気と戯れるような響きを作り出す能力を持っている点で、
そういう意味でいうと、多分、生で聴かないと完全には良さが伝わらないタイプの歌手かもしれないな、と思います。
また、彼女のポジティブ・オーラ満開の個性は、あまりこういう怪しい役には向いていないかもな、、とも思いました。
私が実際に全幕で見たことのある役ではやはりロッシーニの喜劇系の役が良く合っていると思います。
ただ、彼女はバロックの歌唱でも定評がある人なので、こういうバロックもどきの公演ではなくて、
きちんとしたバロック作品の上演で機会を改めて聴きたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/6b/4ce484d9dac41115cfd0533517d60b51.jpg)
母親のシコラックスが最後に美しい姿に戻るのだから、この人も地の姿が見れるのか、と思いきや、
なぜか、ホラー映画のようなメイクのままエンディングまで突っ走ってしまうのが、シコラックスの息子のキャリバン役のルカ・ピサローニ。
たった数ヶ月前の『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロ役で周知の通り、
なかなかのイケ面なのに、それを見せないなんて、これこそ宝の持ち腐れ、、、こんなことになるなら不細工な歌手を起用しとけばいいのに。
でも、ピサローニはレポレッロの時も思いましたが、演技がなかなかに上手ですね。
特にこの役は化け物メークのせいで顔の表情が非常に乏しくなってしまっているので、体を使って感情を表現しなければならないんですが、
演技のタイミングが非常に良いし、化け物ゆえの悲しみが、あの濃いメイクの下から立ち上がって来ているのはなかなかだと思いました。
声もしっかりとした響きをしているし、人によっては個性がない、と言われるのかもしれませんが、私は彼の素直な歌い方は結構好きです。
この作品で、バロックのレパートリーにはあまり向いてないな、と思いましたが、
もしかすると、声が熟して行ったら、今レパートリーの中心をなしているモーツァルトだけではなくて、
違ったレパートリーが広がるんではないかな、という可能性を感じます。
ミランダ役のオロペーザ、ヘレーナ役のクレア(彼女は2010-11年シーズンの『ドン・カルロ』のテバルド役でも端役ながらちょっとした注目を浴びていましたが、
リンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムのレヴァインのお気に入りでもあり、かなり将来を嘱望されているように見受けます。)、
ハーミア役のデ・ショング、と、女性の若手陣は与えられた仕事をきっちりこなしていて好印象、
逆に若手男性陣のデメトリウス役のアップルビー、ライサンダー役のマドーレの二人はちょっと不甲斐ない感じでした。
クリスティーは指揮だけでなく、選曲でも貢献したらしいことは先に書いた通りですが、
こと指揮に関して言うと、彼はメトのオケから自分が取り出したい音を取り出せていないと思います。
バロックには重過ぎるいつものサウンドのまま。
短い期間で異質のオケから理想のサウンドを引き出すテクニックがないのか、オケのメンバーの心を摑めないのか、、、。
『ロデリンダ』のビケットの方がよほど彼の意図がきちんと感じられる、良い意味でいつものメト・オケと違うバロックらしい音を紡ぎ出せていたと思います。
それにしても、寄せ集めのアイディアでオペラの上演を成功させられると思ったら大間違い。
支配人による数々のテキトーな思い付きが、バロックをバロックたらしめ、美しい作品にしているそのベースを粉砕してしまった、
その様子を見ておくのも、一回くらいは悪くないと思いますが、二度はご免。
David Daniels (Prospero)
Danielle de Niese (Ariel)
Joyce DiDonato (Sycorax)
Luca Pisaroni (Caliban)
Lisette Oropesa (Miranda)
Layla Claire (Helena)
Elizabeth DeShong (Hermia)
Paul Appleby (Demetrius)
Elliot Madore (Lysander)
Placido Domingo (Neptune)
Anthony Roth Costanzo (Ferdinand)
Ashley Emerson, Monica Yunus, Philippe Castagner, Tyler Simpson (Quartet)
Conductor: William Christie
Production: Phelim McDermott
Associate director: Julian Crouch
Set design: Julian Crouch
Costume design: Kevin Pollard
Lighting design: Brian MacDevitt
Choreography: Graciela Daniele
Animation and projection design: 59 Productions
Devised and written by Jeremy Sams
Inspired by Shakespeare's The Tempest and A Midsummer Night's Dream
Music by George Frideric Handel, Antonio Vivaldi, Jean-Philippe Rameau, André Campra, Jean-Marie Leclair,
Henry Purcell, Jean-Féry Rebel, Giovanni Battista Ferrandini
Gr Tier Box 33 Front
NA
*** The Enchanted Island エンチャンテッド・アイランド 魔法の島 ***
注:『魔法の島』で演奏される・歌われる曲の元歌リストをこちらにupしました。
メトの現支配人ピーター・ゲルブは、それまでの旧態然としたオペラ上演のあり方を変え、
新しい観客層を引き入れるために自分は努力をしている、ってな趣旨のことをこれまでさんざんぶち上げて来ました。
その中にHD上映の試みがあったり、ディスカウント・チケットの配布があったり、
起用する歌手や演出家、上演する演目の選択の変化、もしくは(本人が言うところの)工夫があり、
この中には成功しているものもそうでないものもあるし、
私が個人的に賛同するものも、しないものもあります。
2011年の大晦日である今日、プレミエを迎える『The Enchanted Island』。
(これまで当ブログでは『魅惑の島』と訳していましたが、
松竹のサイトによると日本でのHD上映は『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』という邦題になっているようですので、
今後『魔法の島』に統一したいと思います。
ちなみにライブ・ビューイングというのはなんだか不自然な英語で、かつ、音の響きとしても全く魅力が無く、
このネーミングを考え付いた人間(松竹の職員?)を縛り首にしたい位ですので、
HD上映に関してはこのブログでは絶対にライブ・ビューイングという間抜けた名前で呼ぶことはなく、
必ずライブ・イン・HDもしくは略して単にHDという呼称を使うことにしています。)
昨年二月のシーズン演目発表時から開陳されていた通り、この『魔法の島』はパスティーシュ・オペラ(イタリア語ではパスティッチョ・オペラ)といわれるもので、
非常に簡単に言うと、複数の作曲家による、複数の作品から、アリアを主とする部分部分をちょろまかして繋ぎ合せて一つの作品にしたもの、
つまり言ってみればオムニバス/コンピレーション的オペラ作品なんですが、
パスティーシュ・オペラ自体は勿論ゲルブ支配人の発明でも何でもなく、18世紀をピークに昔から採用されていた作品・上演スタイルです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/80/4b9a4457966af73c9feca2a7577ac59a.jpg)
ヨーロッパではすでにスタンダード・レパートリーとして現代のオペラハウスのレパートリーに定着した感すらあるバロック作品ですが、
それがメトでは諸般の事情によりそれほど取り上げられて来なかったのは先日の『ロデリンダ』の感想にも書いた通りです。
ところで、スリムな女性が来て似合うデザインの服を太った女性が、
”でも、今、これが流行っているんだも~ん!”と、ぱっつんぱっつん状態で着用しているのを見て、
”服がかわいそう、、。”と思ったことはありませんか?
また逆に、グラマーな女性が来て似合う服を貧弱な体の女性が着用しているのを見るのも、やっぱり非常に痛い感じで、
これまた”かわいそうな服、、。”と思ったことは、、?
その服自体が素敵であればあるほど、その”かわいそうじゃないの!!”という思いが強くなる、ということ、ありませんか?
私はあります。
素敵な服だな、、と思った時、それにすぐ手をつけることだけがその服を本当に愛でていることにはならなくて、
自分の体型を振り返って、”これは本当に似合う方に来て頂こう。”と手を引くことの方がより良い愛で方である場合もある筈です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ad/5c2bd669219f9fcdd1fb9edd7a1fc941.jpg)
私がメトでバロックを演奏する必要は特にない、と思うのはこれと全く同じ理由からなのですが、
トレンドだから、と、自分の体型も省みずに似合いもしない服を着たがる人というのが必ずいて、
具体的に言うと、今シーズン、『ロデリンダ』の上演だけでは飽き足らず、もう一丁バロック作品をメトで打ってやろうと目論むゲルブ支配人とかですな。
ゲルブ支配人の、もっとバロック上演を!という野望と、”旧態然としたオペラ上演のあり方を変え”る野望を合体させるにあたって、
誰が入れ知恵したのか、その隙間に紛れ込んで来たのがパスティーシュ・オペラのフォーマットの採用というアイディアです。
”他のバロック作品を上演したいけれど、『ロデリンダ』みたいな系列の作品をまんま上演するのは退屈だし、
パスティーシュ・オペラにして、もっとスピーディーな展開の物語にすればどう?”みたいな。
(最近の、特に若年層の人たちに見られるアテンション・スパンの短さはほんと嘆かわしい!と私は思っているのですが、
その代表といってもよいのが、全くもって若くはなく、いい歳こいたおっさんであるところのゲルブ支配人でしょう。
これは私の思い込み・思い過ごしなどではなく、OONYの『アフリカの女』の公演が良い証拠です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/6d/eb88d201a4ca16f37ceba66048a2438f.jpg)
そしてさらにゲルブ支配人は考える。
”深い話はやめてね。頭が混乱するし、大晦日からそんな複雑なこと考えたくないから。”
”それからイタリア語とかフランス語?あれもまた眠くなって来る原因の一つだよね。うん、この際言葉も英語にしちゃおう。”
”指揮者は誰がいいか?んー、なんか良くわかんないから、バロックの一人者ってことになってる人なら誰でもいいんじゃない?
クリスティーとかいいんじゃない?え?去年彼は『コジ』でオケと険悪なムードになってたの忘れたんですか?って、、?
いいよ。だって僕がオケで演奏するわけじゃないしー。”
”そうそう、それから大事なこと、忘れてた。デブは起用しないこと!全員、スリムであることが最低条件。
ルックスの良い歌手には歌う箇所を多くして。え?デ・ニースにそこまで歌いこなせる力があるかどうか不安?
ノー問題、ノー問題!どうせメトの客はうすら馬鹿で歌唱力のことなんてわかりっこないんだから。
っていうか、僕が一番わかってないんだけど!んー、じゃ、大御所歌手を一人混ぜて、目をくらませるってのはどう?”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/b9/69f0e899628b7770d33f10002d212d4e.jpg)
かくして、ジェレミー・サムズの手によって、
シェイクスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』のストーリーが合体し、
既存のバロックのアリアにのって、英語で歌われるオペラ、『魔法の島』が完成したわけですが、
(選曲には指揮者のクリスティのアドバイスも入っているそうです。)
まあ、それにしても、なんとお粗末な作品でしょうかね、これは。
この作品の上演が何とか持っているとすれば、それはアリアそのものの力と、歌手たちの訓練の賜物による歌唱力、この二つでしょう。
新しいオーディエンスのために、新しいオペラを!とぶちあげられて出来た作品が、
結局のところ、ずっと引継がれて来たオペラ作品とその歌唱の伝統と、
それを守って鍛錬を重ねて来た歌手たちに救われているというのは、本当に皮肉なんですが、
この二つを抜いたら、私が幼かった頃、デパートの屋上で観たキッズ・ショーのデジャ・ヴに感じそうな代物です。
今回の演出はマクダーモットで、セット・デザインや衣装も、『サティアグラハ』の演出に関わった時と同一メンバーが再起用されています。
このマクダーモット率いる演出チームはなかなか力のあるチームで、『サティアグラハ』での演出は大変素晴らしかったし、
今回も、時にバロック作品の上演であることは忘れてませんよ~というオーラを出しつつも、
さりげなくそれを現代風にアップデートし、適度なスペクタル、ファンタジー感を伴ったカラフルな演出、
それでいて決して下品に堕さず、非常にバランス能力に長けた演出チームだと感じます。
特に若者四人をのせた船が難破する場面の演出は巧みで
(文章で説明するのは非常に難しく、こればっかりはHD等で実際に見て頂くしかないと思いますが、
トラディショナルな手触りとリアルさのバランスがこれまた素晴らしいと思いました。)、今日の観客からは拍手も出ていました。
ただ、どんなに演出が頑張ったとしても、やはり元の作品があまりに馬鹿馬鹿しいと、埋め合わせるのにも限界があるというものです。
シェイクスピアの作品のプロットを二つ一緒にしても、それぞれの良さがそのまま保たれるわけではなく、
かえって、それぞれに元々在った良さまで崩壊してしまう、その見本のような事態になってしまっていて、
大体、新しくつけられた英語が、あのシェイクスピアの格調高い英語に叶うはずがないわけで、そんなことは誰もはなから期待していないわけですが、
それにしても、この小児を相手にしたような英詩には本当げんなりさせられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/95/17bd8de4d540229780e13510c88f1c61.jpg)
作品については延々ノンストップで文句を書けそうなのでこの位にして、パフォーマンスについて。
まず、この作品、誰が一番の主人公か?と言われると、明らかにこの人!と言える人はいないんですが、
(下のキャスト・リストも、通常は主役から書いて行くことにしているのですが、今回は登場順に近いリストになっています。)
断然登場時間が多く、主役の一人と言って間違いないのが、アリエル役のデ・ニースです。
彼女は、私の中では今、ちょっとネイサン・ガンに近い位置づけになっていて、
オペラハウスでのオペラの全幕公演より、ブロードウェイの舞台とかの方が合っているんじゃないかな、、と思います。
私はオペラにもミュージカルにも優れた歌手は存在しうると思っていますが、
一つ、違っている点は、オペラは優れた歌手である手前に、それぞれのレパートリーに応じて、
絶対にマスターしなければならないテクニックというものが存在している、ということではないかと考えます。
ミュージカルは、どんな風に歌っても、お客さんの心を動かせばそれで良し、という懐の大きさがありますが、オペラではそれはありえない。
デ・ニースのオペラ歌手としての問題点は、彼女は現在実際に舞台で歌っているレパートリーに限ってすら、
きちんと身に付いていないテクニックがあることが散見される点で、
良い部分もある彼女なんですが、それ以外の部分での技術の未熟さがそれを帳消しにしてしまっています。
特別な理由もないのに、なんだか見ているだけでこちらを疲れさせるタイプの人というのがいて、
私にとっては、まさしくデ・ニースがその一人なんですが、
このあちこちで失敗と混乱を巻き起こすアリエル役はそんな彼女の個性にぴったりな風に書かれているので
(こういうオリジナル・キャストのパーソナリティに合わせて役を書けるところが新作の初演の良いところかもしれません。)
もしかして、サムズも”この女、なんか疲れるよな、、。”と内心思ってるのかな?と、勘ぐってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/5a/094afb9e70d5b4cb82a5b44394415bfe.jpg)
彼女に指令を出し、魔術も自由に操るプロスペロー役にはデイヴィッド・ダニエルズが配されていて、
作品の中でも最大の聴かせどころとなる部分を任されている責任重大な役ですが、
(しかも、フェルディナンド役の若手のカウンターテノール、コスタンゾが美しいアリアを歌った後のことなので、
カウンターテノール同士比較される部分もあり、プレッシャーも大きい。)
曲の美しさもありますが、ベテランらしく、コスタンゾよりも豊かな表現力を見せていたのはさすがです。
英語で”Forgive me, please forgive me"と歌い始められるこの部分の元歌は、ヘンデル『パルテーノペ』の”Chi'o parta"で、
この公演、私は正直に言って、バロックの曲を集めたものであるに関わらず、あまりバロックらしさを感じなかったのですが、
この"Chi'o parta"の部分は、唯一、それらしいものを感じられた数少ない場面の一つでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/64/962cc6d53b8b9390e5ecd19205c4e03a.jpg)
フェルディナンド役は、プロスペローが娘のミランダの婿として目をつけた男性で、
アリエルが彼を捕獲するのに失敗ばかりするものですから、オペラの終盤になってやっと登場する、、、というわけで、
他のどのメインの登場人物よりも登場時間は短いのですが、舞台に登場していきなりアリアを決めなければいけないわ、
しかも、ミランダの夫としてふさわしい雰囲気も出さなければならないわ、で、なかなかに難しい役です。
彼が歌うのもヘンデルの作品からで、『ゴールのアマディージ』の"Sussurrate, onde vezzose"。
『ロデリンダ』の記事およびコメント欄で、新旧のカウンターテノールの違いについて話題にあげ・あがりましたが、
コスタンゾは年齢が若いせいもあるでしょうが、響きが美しいだけでなくて力強く、彼も新世代型のカウンターテノールだな、、と感じます。
彼は2008-9年シーズンのナショナル・カウンシルの勝者で、グランド・ファイナルズの時の歌唱は私も聴かせて頂いて、
ポテンシャルのある若者だわ、、、と多いにエキサイトしましたが、あの時よりも一層歌が洗練されていて、この数年の努力の跡が伺われます。
その時の記事にも、”彼の歌は音が段々消えていく時の美しさとか、音と音の”間”がきちんと生きている点が長所だと思うのですが~”
と書いていますが、その美点は顕在で、
"Sussurrate, onde vezzose"の頭のSuの音の美しさとクレシェンドして行くときの太陽の煌きのような絶妙なボリューム・コントロールは息をのみました。
ダニエルズが"Chi'o parta”で見せたような味を聴かせるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、これからに期待したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3e/10eabb54ab61f6b712aca27b41d0968e.jpg)
決して少なくはない歌手陣の中で、”空気と戯れる”歌い方が出来ていたのはドミ様(ドミンゴ)とディドナートだけかもしれないな、と思います。
ドミンゴはネプチューン役での出演で、年齢を経てもなお衰えない舞台プレゼンスと声そのものの存在感は、
この役はやはりドミ様でないと、、と思わせるものがあります。
ドミ様は言うまでもなく、決してバロックの歌手ではありませんが、その一声出てきた途端、
”おおっ!!これがオペラだわ!!”と思わせる唯一無二の存在感は、
もうこういうものを持った歌手はドミ様以降この世に出てこないのだろうか、、と寂しくなるほどです。
もちろんお歳ですから、以前に比べると旋律が少し不安定気味に感じられたり、歌詞が頭に入りきっていらっしゃらないのか、
だいぶプロンプターの助けも借りていらっしゃいました。
でも、ゲルブ支配人の寄せ集め的アイディアの中で、唯一期待していた結果がきちんともたらされていたのはドミ様の起用ではなかったかと思います。
しかし、この作品が再演されることになったとして、ドミ様以外の誰がこの役を歌えるのかしら、、?という疑問は残ります。
ちなみにドミ様がお歌いになるのは確か既にご制覇されたレパートリーの一つ、『タメルラーノ』(これもヘンデルですね、、)の、
"Oh, per me lieto"です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/50/9b04ed216ae9fc505afca6886262f75e.jpg)
プロスペロー役に魔法にかけられて作品のほとんどを腰をかがめた汚らしい妖婆状態(上から四枚目の写真)で演じているのがシコラックス役のディドナート。
最後に魔法が解けて素敵な地に近い姿が見られるのは何よりです(こちらは下から三枚目の写真)。
先にも書いた通り、彼女の歌唱の良さというのは、空気と戯れるような響きを作り出す能力を持っている点で、
そういう意味でいうと、多分、生で聴かないと完全には良さが伝わらないタイプの歌手かもしれないな、と思います。
また、彼女のポジティブ・オーラ満開の個性は、あまりこういう怪しい役には向いていないかもな、、とも思いました。
私が実際に全幕で見たことのある役ではやはりロッシーニの喜劇系の役が良く合っていると思います。
ただ、彼女はバロックの歌唱でも定評がある人なので、こういうバロックもどきの公演ではなくて、
きちんとしたバロック作品の上演で機会を改めて聴きたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/6b/4ce484d9dac41115cfd0533517d60b51.jpg)
母親のシコラックスが最後に美しい姿に戻るのだから、この人も地の姿が見れるのか、と思いきや、
なぜか、ホラー映画のようなメイクのままエンディングまで突っ走ってしまうのが、シコラックスの息子のキャリバン役のルカ・ピサローニ。
たった数ヶ月前の『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロ役で周知の通り、
なかなかのイケ面なのに、それを見せないなんて、これこそ宝の持ち腐れ、、、こんなことになるなら不細工な歌手を起用しとけばいいのに。
でも、ピサローニはレポレッロの時も思いましたが、演技がなかなかに上手ですね。
特にこの役は化け物メークのせいで顔の表情が非常に乏しくなってしまっているので、体を使って感情を表現しなければならないんですが、
演技のタイミングが非常に良いし、化け物ゆえの悲しみが、あの濃いメイクの下から立ち上がって来ているのはなかなかだと思いました。
声もしっかりとした響きをしているし、人によっては個性がない、と言われるのかもしれませんが、私は彼の素直な歌い方は結構好きです。
この作品で、バロックのレパートリーにはあまり向いてないな、と思いましたが、
もしかすると、声が熟して行ったら、今レパートリーの中心をなしているモーツァルトだけではなくて、
違ったレパートリーが広がるんではないかな、という可能性を感じます。
ミランダ役のオロペーザ、ヘレーナ役のクレア(彼女は2010-11年シーズンの『ドン・カルロ』のテバルド役でも端役ながらちょっとした注目を浴びていましたが、
リンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムのレヴァインのお気に入りでもあり、かなり将来を嘱望されているように見受けます。)、
ハーミア役のデ・ショング、と、女性の若手陣は与えられた仕事をきっちりこなしていて好印象、
逆に若手男性陣のデメトリウス役のアップルビー、ライサンダー役のマドーレの二人はちょっと不甲斐ない感じでした。
クリスティーは指揮だけでなく、選曲でも貢献したらしいことは先に書いた通りですが、
こと指揮に関して言うと、彼はメトのオケから自分が取り出したい音を取り出せていないと思います。
バロックには重過ぎるいつものサウンドのまま。
短い期間で異質のオケから理想のサウンドを引き出すテクニックがないのか、オケのメンバーの心を摑めないのか、、、。
『ロデリンダ』のビケットの方がよほど彼の意図がきちんと感じられる、良い意味でいつものメト・オケと違うバロックらしい音を紡ぎ出せていたと思います。
それにしても、寄せ集めのアイディアでオペラの上演を成功させられると思ったら大間違い。
支配人による数々のテキトーな思い付きが、バロックをバロックたらしめ、美しい作品にしているそのベースを粉砕してしまった、
その様子を見ておくのも、一回くらいは悪くないと思いますが、二度はご免。
David Daniels (Prospero)
Danielle de Niese (Ariel)
Joyce DiDonato (Sycorax)
Luca Pisaroni (Caliban)
Lisette Oropesa (Miranda)
Layla Claire (Helena)
Elizabeth DeShong (Hermia)
Paul Appleby (Demetrius)
Elliot Madore (Lysander)
Placido Domingo (Neptune)
Anthony Roth Costanzo (Ferdinand)
Ashley Emerson, Monica Yunus, Philippe Castagner, Tyler Simpson (Quartet)
Conductor: William Christie
Production: Phelim McDermott
Associate director: Julian Crouch
Set design: Julian Crouch
Costume design: Kevin Pollard
Lighting design: Brian MacDevitt
Choreography: Graciela Daniele
Animation and projection design: 59 Productions
Devised and written by Jeremy Sams
Inspired by Shakespeare's The Tempest and A Midsummer Night's Dream
Music by George Frideric Handel, Antonio Vivaldi, Jean-Philippe Rameau, André Campra, Jean-Marie Leclair,
Henry Purcell, Jean-Féry Rebel, Giovanni Battista Ferrandini
Gr Tier Box 33 Front
NA
*** The Enchanted Island エンチャンテッド・アイランド 魔法の島 ***