Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

AIDA (Sat Mtn, Mar 3, 2012)

2012-03-03 | メトロポリタン・オペラ
私の友人が先日メト・デビュー(歌う方ではなくて鑑賞する方の、ですが。)を果たしました。
お付き合いしている彼と、遠方からいらっしゃるそのご家族も一緒に鑑賞!ということで、
慎重にみなさんで吟味された結果、同時期に上演しているいくつかの演目のなかから、
定番演目としての面目躍如、『アイーダ』の初日に白羽の矢が立ちました。

私はこのブログでも何度も開陳している通り、ドローラ・ザジックのアムネリスがずっと大・大・大好きだったのですが、
さすがに彼女の声が衰えて来た昨今、ふと気づけば、メトの『アイーダ』を聴きたくなる理由がほんとなくなった。
アイーダ、ラダメス、アムネリス、どの役をとっても、”この人が歌うんなら聴きに行きたい!”と思える歌手がいない。
それとも、世界のどこかには存在するのに、たまたまメトが彼らをひっぱって来れないだけなのか、、?

今シーズンのメインのキャストは、ウルマナのアイーダ、マルセロ・アルヴァレスとジョルダーニのラダメス、ブライスのアムネリス。
ブライスのアムネリスは今年がメトでのロール・デビューのはずですのである程度興味がそそられましたが、
ウルマナとアルヴァレスは歌が上手くて安定感もあるので、
公演が”なんじゃこりゃー!?”というような事態になることは決してないですが、
私の感覚からすると、役に比して彼らの歌唱のスタイルも声もコンパクト過ぎてあまり面白みがないんです。
彼らは決して自分の方を役に合わせるのでなく、役を自分の持ち味にあわせようとするので、歌に妥協があって、
よって、アルヴァレスの声や歌唱からは、型破りな馬鹿(ラダメス)を感じることができない。

一方、アルヴァレスのように頭を使って無理をしないで歌うという芸当をせず、
自分の声に合わない重い役を、思いのままに、ばしばし歌い続けて来た結果、
声に取り返しのつかないダメージを起こしているジョルダーニは、
パーソナリティ的にはまさに型破りな馬鹿を地で行ってますが、あんなよれよれ声で歌われるラダメスを聴きたい人がいるんでしょうか?
しかも、最近の彼の歌唱は本当に危なっかしくて、聴いているこっちがひやひやします。
つまり、彼の場合はアルヴァレスからさらに一歩進んで、”なんじゃこりゃー?!”な公演にしてしまう可能性すら秘めているのです。

私の友達&Co.が鑑賞した初日はアルヴァレスがラダメスなので、最悪の事態は避けられたとはいえますが、
それでもこんな今のメトの『アイーダ』で、楽しんでもらえるのかしら、、と、ちょっぴりドキドキしてしまいました。
しかし、二階建てになっている舞台が下に向かって移動した向こうにまばゆいばかりの金ぴかのセットが見えるわ、
馬が舞台に登場するわ、バレエはあるわ、と、すっかり凱旋の場面の豪華さにめくらまされたか、それなりに楽しまれたようなので一安心したわけですが、
その友人によると、ウルマナが風邪をおして歌います、というアナウンスが公演の開始前にあったそうで、彼女の歌唱の不調は割り引いて鑑賞したみたいです。

さて、私はというと、ブライスのアムネリスは聴いておきたいので、一公演だけ鑑賞しよう、、、と、
キャストに目を通していたところ、”ややっ!!!!!!”
2/23の公演のラダメス役にリッカルド・マッシという知らないテノールがキャスティングされているではありませんか!
しかもメト・デビュー。こちらは正真正銘の歌う方のメト・デビュー。
こういう場合、賭けが大外れしてとんでもないものを聴かされることもありますが、
オペラヘッドたるもの、隠れた逸材を発見する可能性が1%でもあれば、それを逃してはならないのです!!!
詳しいことは2/23の公演の記事があげられればそちらに譲りたいと思いますが、
マッシの歌はまだまだ荒削りで、フレージングや音の処理にかなり未熟なところがあり、
ここはこうだったら、あそこはああだったら、と思うところもまだたくさんありますが、
一方で、魅力的な部分も持っていて(ラダメスあたりの役に合った響き、高音域での音色の素直さ、
また、四幕最後のVolano al raggio~の部分の処理の仕方はかなり印象に残りました。
フル・ブラストで鳴らすような緊迫感と勢いで、しかし、音量自体は絞って歌うという、そのバランスの上手さと音色としての美しさ、
それをサポートしているテクニックはなかなかのものがあり、正しい指導を得れば、まだこれから伸びる能力を持った人なのではないかと思いました。)
問題は今のところ、そういった優れたものと”ええ??”と思うような稚拙な歌唱が混在している点で、
一口で言うと、きらっと光る良いものが上手くかみ合う前の時点、という感じでしょうか。
ネットでの情報で、確認をとったわけではありませんが、マッシはスカラの研修所の出身で、
同じ研修所出身の”アニタ・ラク、ラク、、、”こと、アニタ・ラクヴェリシヴィリの彼なんだそうです。
あ、そうそう、”清きアイーダ”の後に、口を開けたまま観客の拍手を味わう表情は、
パヴァロッティみたいに顔の縦横の比率が1:1に近い人がやると決まりますが、
顔の長いマッシのような人がやるとすごく白痴っぽくなるので止めた方がいいですね。

その日(2/23)もウルマナは風邪です、というアナウンスがあったんですが、
意外なことに、その日、私が最も失望したのはブライスのアムネリスで、
ブライスが今一つだとすると、その後の『アイーダ』の公演を観に行く理由は全くなくなったな、、と思っていて、
週末の土曜のマチネはラジオ放送があるけれど、それも聴かなくてもいいや、、わん達とゆっくりしようっとと思い始めていました。
そのすぐ後の2/28の公演にはいよいよウルマナが出演不可になって、ソンドラ(・ラドヴァノフスキー)姐さんが突如代役に入ることになり、
彼女がメトでアイーダを歌うのはこれが初めてなので、彼女を支持するヘッズたちの間ではちょっとしたフィーバーになりました。
また、実際に歌唱も割りと評判が良かったみたいなんですが、
ソンドラ姐さんは慌てなくてもいずれメトでアイーダを歌うことになるだろう、と私はずっと思っているので、その時を待つことにしました。
さらに、その次の3/3が件のラジオ放送があるマチネの日なんですが、もし、ウルマナがまたキャンセルになったら、
多分ソンドラ姐さんがまたカバーで出演するんだろうから、そうなったらわん達とラジオを聴くことにしよう、、と。
しかし!二日後に土曜日を控えた木曜、大爆弾が炸裂しました。
土曜のマチネ、ウルマナ、キャンセル。代役、ラトニア・ムーア。しかも、ムーアはこれがメト・デビュー!!

ムーアの名前は以前オペラ・オーケストラ・オブ・ニューヨークが企画したプッチーニの『エドガー』にキャスティングされていたので聞いたことはありますが、
その公演は鑑賞することができなかったので、生の歌声はまだ私は聴いたことがありません。
ブログのこれまでの記事からも、また上のマッシの件からもわかる通り、私は有望な若手の歌手の歌を聴くことにかけては、
もしかすると既にキャリアが確立した歌手たちに対する以上の、並々ならぬ情熱と興味を持っているので、
今週末はわん達とゆっくりする!と決めていたのに、ものすごく心が乱れて来ました。
そして、彼女が歌うこの『エドガー』からのアリアを聴いてしまって陥落しました。



行かなければならない!!!!メトに!!!!

しかし!!!!!メトのサイトに行って涙目になりました。
チケットが完売してる、、、
大体、元々『アイーダ』は人気演目で、この不景気な、他の演目ならオペラハウスの半分がガラガラになっているご時勢にも
(いや、一言言わせてもらえば、他の演目がそんなことになっているのは、
ゲルブ支配人のまずい演目スケジューリングやチケット代の設定など、他にも理由はあるんですが。)満員御礼に出来る数少ない演目の一つなのです。
その上に土曜、そしてHDやラジオ放送がある日というのは、さらにチケットのセールスが良くなってしまう。
完全に出遅れました、、、Madokakip。
黒点(チケットが売れている座席が黒点、売れてないのが白点)で埋め尽くされたシーティング・チャートを呆然と眺めているうちに、
ウルマナ、ラドヴァノフスキー、ムーアの区別なんて一切つかないはずであろうオペラに疎い旅行者が
この完売になっている黒点座席のどこかに少なからず混じっているはず、、と思うと、こみ上げてくる怒りを抑え切れなくなってきました。
オペラハウスの入り口で待ち伏せしてチケットを奪い取ってやりたい。

しかし、そのチャートの下に、思わぬ一文発見。
”スタンディング・ルーム(SR)のチケットの購入の仕方について。”
おお!!!!そうだ!!!!SRがあるんじゃないのー!!!!!!!
いやー、SRなんて、何年ぶりかな?
『ルチア』か『蝶々夫人』が最後だったと思うのだけれど、3時間近く立ちっぱなしというのはきつくなってきたわー、と、
己の体力の低下を自覚してからはちょっと足が遠のいていたのですが、こうなったら選択の余地はありません。
それから、もう一つ、SRから遠のいていた理由は、当日の朝に発売開始で、しかも代金が安いので、
人気演目・公演の時は熾烈な戦いがヘッズとバックパッカー/貧乏ツアリストの間で繰り広げられるからで、
もう歳なんでしょうか?そういうのも段々きつくなって来て、出来るだけストレス・フリーにオペラを観たいと思うようになってしまい、、。
しかし、今回は話が別。発売は朝の10時。絶対に寝過ごさないよう、金曜はものすごく早く就寝してしまいました。

時は土曜、朝10時。電話番号の最後の一桁が10:00ぴったりに重なるよう発信。
つながった。ほっ。
しかし、延々と『ドン・ジョヴァンニ』のアドバタイズメントの待ち受け音楽が鳴り続け、10分以上が経過。
ああ。もう何回ドン・ジョの序曲の始りの和音を聴いたかしら?もう今度という今度は駄目かもしれない、、、
これまで数々の無理を可能にして来た私のヘッドの幸運の星もこれまでか、、と思った頃、10:12に係りの人が電話の向こうに登場。
”今日のマチネの平土間のSRまだありますか?”(*SRは現在、平土間と最上階の二ヶ所にある。)
”何枚でしょう?”
”一枚。”
”あります。そしてこれが最後の一枚よ。あなた、ラッキーね!”
ヘッド人生で大事なモットー。求めよ、さらば与えられん!!!!!

というわけで、やって来ました。スタンディング・ルーム。
何度かスタンディングを経験しているのに、不思議なことに全然記憶が吹き飛んでいましたが、平土間のSRって、二列あるんですね。
私のお立ち場所はステージ・ライト(舞台上手寄り)のブロックの中央一列目。
すぐ上のパーテールの階が張り出している=オーバーハングに隠されて、舞台上方が見えないですが、
前に視界を遮るものが何もないので、舞台そのものはすごく良く見えます。また、音も良く通る。
以前から書いている通り、音に関しては各階の後方はそれぞれのセクションの音が上手くブレンドしてすごく聴きやすいです。



まず、やっぱり何と言ってもムーアのことを真っ先に書かなければなりませんね。
正直言うと、一幕~ニ幕はちょっと期待外れだな、と思いました。
チエカさんのサイトで、ミードよりもすごいものを持っている!と言っていた人がいたので、私の期待値がものすごく高い、ということもあったと思いますが。

最初に出てきた声は、普通アイーダを歌うソプラノの声質よりもずっと軽いふわっとした声で、
ばりばりとこの役を歌うソプラノに比べると、どこかたおやかさがあって繊細で、すごく新鮮だし、音の響きも悪くないです。
ただ、上の音源からも多少うかがえるのですが、彼女は若干高音のピッチのコントロールに苦労するときがあるみたいで、
今日も一幕の、アイーダ、ラダメス、アムネリスが腹の探りあいをする場面で、一つつまずいた後、連鎖的に音を外した場面があって、
こんな最初からそんなミス出して大丈夫?と思いましたが、むしろ、最初だから、なんでしょう。相当緊張していたんだと思います。
もう一つ、ピッチのコントロール以上に気になったのは、一つのフレーズに対して送っているブレスが足りない点で、
ものすごく沢山の箇所で、不自然な場所/言葉の途中でブレスを入れていて、その結果として言葉がブツ切れに聞えてしまっていました。
これも、多分、一部には緊張していることが原因になっているんだと思いますが、
オペラというのは言葉にも大きなウェイトがあるアートフォームだし、
また、音楽として見た時にも、ヴェルディが書いている美しいフレーズをちょん切るような結果になってしまっていて、私はすごく気になりました。
”O patria mia おお、我が故郷”でもこのブレスの問題は例外ではなかったんですが、
それ以上にたくさんの美点があり(声のたおやかな美しさ、それから息が続く範囲でのフレージングの扱い方には天然のとても良いセンスが感じられます)、
また、彼女はすごく良い舞台プレゼンスを持っていて、もしかすると観客を味方につける力はミードよりも上かもしれないな、と思います。
写真で見ると結構ムーアもごっつい体格をしているように見えるのですが、
舞台の上での体の動きが非常に機敏だし、演技も流れるようで自然で、もちろん、ものすごい演技派というのでは無く、
むしろ、どちらかというとオールド・スクールな演技の仕方をする人ですが、決して大根ではありません。
O patria miaでの彼女の繊細で、どんな音域でも無理に押し出している感じがしない美しい響きに観客は魅了されて大喝采になったんですが、
これで彼女の緊張が完全に解けたんだと思います。
ここ以降、私の耳には、彼女の歌唱がものすごく変化したように聴こえました。
一、二幕と、綺麗な声ではあるのですが、完全には芯がないような感じで、
そのせいで、アイーダの隠した激しい感情を表現する際に必要なぴーんとした響き、これが出ていなかった。
例えば、一幕登場してすぐアイーダが歌う言葉の最後、per me, per voi pavento、
ここには本当に心にかかっているのはラダメスのことであるのを隠している、それがばれるのではないか、という落ち着かないナーバスな気持ちをのせなければいけないのですが、
結構暢気なpaventoであれ?という感じでした。
その後も時々そういう、ここにはぴりりと激しさを入れて欲しいと思うところがちょっとたおやか過ぎたりして、
なんでかな?と思っていたのですが、多分、O patria miaが終わるまで、やはり結構緊張していて声が完全には乗っていなかっのだと思います。
しかし、O patria mia終了以降、これは本当に見事でした。
特にラダメスを陥落させるところの表現は素晴らしかったです。
またここの部分以降の、芯のがっちりした声を聴くと、たおやか~激昂まで、スペクトラムの広い感情を声のサウンドの違いで表現するポテンシャルを持った人で、
確かに評判通りのロウ・タレント(raw talent 技術など後で付けられるものよりも才能そのもの)を持っている歌手だと思います。
ただ、今の段階ではアイーダを完全に歌いこなせるにはまだ若干声が若いかな、という風に思いますし、
また、もしかすると、アイーダあたりの役をがしがしと歌うほどにはロブストな声ではない可能性もあるかもしれない、、、と思います。
例えば、インターミッション中にマフィアな指揮者のお友達の女性が、来シーズンメトで『アイーダ』を歌うことになっている、
リュドミラ・モナスティルスカが”ジ・アイーダ”(アイーダそのもの)なのよ!!だから絶対に見逃さないように!!と、
教えてくださって、先ほどYouTubeで彼女がROHで歌ったアイーダを拝聴しましたが、
彼女の方がムーアよりずっとずっとロブストな、アイーダを歌っても声がこたえなさそうなサウンドをしていると思います。
それを言うと、今日の公演で巫女役を歌ったロリ・ギルボーは以前レヴァインのワークショップで非常に印象に残っているソプラノで、
2009-10年シーズンのナショナル・カウンシルのファイナリストでしたが、
いよいよメトに来たわね、、という感慨があります。(今日の巫女役も良く歌えていました。)
彼女なんかも、ムーアより全然ロブストな声をしてるな、と思います。

何を言いたいかというと、ムーアは見た目がアイーダにぴったりなので(背が少し低くて、舞台で見るとなかなか可愛らしいのです)、
今回のブレークがもとで、色々な劇場でこの役にあまりにも頻繁にタイプ・キャストされて、声を酷使するようなことにならないようにして欲しいな、ということです。
彼女はまだたった32歳ですし、声が徐々に成熟してくるのを待って、無理のないペースで歌って欲しいし、
今は合わない、と思ったら、先送りにしても全然構わないと思います。
彼女には本当にたくさんの美質と優れた才能があるので、それが活かせるレパートリーを選んで行って欲しいな、と思います。


(上の写真はソンドラ姐さんが代役に入った2/28の公演から、ジョルダーニとソンドラ姐さん。)

ブライスのアムネリスが軽く失望だった、ということは先に書きました。
こちらのヘッド・シーンでは、彼女が優れた才能と声を持った歌手であることに異論を唱える人は、私を含めて、ほとんどいないんですが、
彼女のアムネリスを聴くと、まだ完成していないというか、学習中、という感じがします。
フレージングの細かい点、言葉を音にどのようにはめるか、といったところで、彼女に細かいガイダンスをしてあげる存在が必要なのではないかな、と思います。
かつてはレヴァインがそのようなことをやっていたわけですが、多分、彼と同じようなレベルでそれを出来る人が今はいないということなんでしょう、、。
私はDVDになっているメトの『アイーダ』でのザジックのアムネリスを何度も聴き、
さらに生でも彼女のアムネリスを死ぬほど聴き倒していますが、今回のランでのブライスの歌唱と比べると、
ザジックがいかにしっかりとしたストラクチャーをもってアムネリス役を歌っていたか、ということを改めて強く感じました。
また、それは言葉の中の母音をどれ位インパクトを持ってどれ位の長さで歌うか
(音符がベースにあるのでもちろんものすごく細かいレベルでの話ですが)という細かい点から始まって、
フレーズの中でどの言葉に重みを置くか、など、すべてが思い付きではなく、はっきりとした意志をもって歌われていました。
その点で、ブライスはそういったストラクチャーに割りと無頓着で、ザジックと比べてしまうと、
ほとんど行き当たりばったりで歌っているような印象を受けるほどです。
また、不思議なのは、ブライスは大きな声を出そうとしなくても、どんな声でも十分にオペラハウスに聴こえるような声なのに、
この音は大きく出したい!という音がフレーズの中にあるみたいで、その前のいくつかの音符を犠牲にしてしまう点です。
なので、彼女のそのお目当ての音はものすごく大きく聴こえるのだけれど、その周辺の音が突然小さくなったり、ということがあって、
音に凸凹が多く、極端に言うと、歯抜けの櫛のように聴こえて、フレーズ全体としての美しさが損なわれてしまっています。
彼女には素晴らしいアムネリスを歌う資質はあるのですから、それを上手くアセンブルしてくれるスタッフか指揮者が必要だと思います。

エジプト王役を歌ったジョーダン・ビシュはリンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムの出身の若手ですが、
丁寧な歌い振りで、声にも適度な重さと王様らしい雰囲気もあって、なかなか良かったと思います。

一方で、実はこの作品の中で大事な役を担っているランフィス役のジェームズ・老モリスがへなちょこでがっくり来ました。
モリスはそろそろまじめに引退を考えた方がいいと思います。
ドラマが盛り上がっているところで、かくーんと来るような声を出すのは、共演する歌手も観客も失望させる行為なのではないかと、、。
私のオペラ人生で記憶に残る公演ベスト10に必ず入るであろうあの『ワルキューレ』の思い出のためにも、これ以上そういう失望を重ねたくないです。

同じことはジョルダーニにも言えます。
ムーアやオケの演奏の力に引っ張られて何とか持ちこたえてましたが、それで良いんですか?ラダメス歌うテノールがそれで。
ジョルダーニは異様なまでに強力なファン・ベースをここNYに持っていて、私の隣に立っていたおじさんに、
”ジョルダーニにはそろそろ引退して欲しい。”と訴えたら、
”そんなに駄目かい?僕たちは彼の良かった時期の歌唱をたくさん聴いているから、冷静に見れないのかな。”というので、
”はい、そうだと思います。”と言っておきました。
声の衰えがひどすぎて、ここでまともに歌がああだった、こうだった、と書きたくなるような内容ですらない、という感じです。
ここまで声の衰えという制限がある中で、どうやって思い通りに一つのフレーズを、パート全体を歌うことが出来るというんでしょう?
なぜだか高音だけは外さずに一応歌って見せるのですが、私達は人間が吠えてるのを聴くためにオペラハウスに行くのではなく、
声で役を解釈するのを聴きに行くわけですから、それが出来なくなったら、引退を考える時期なんじゃないかな、と思います。

最後に、実はムーアよりも、私が今日の公演で一番素晴らしいと感じたのは、マルコ・アルミリアート率いるオケです。
本当に久しぶりにこういう『アイーダ』を聴きました。
完全に物語とオケの奏でる音楽が一体化していて、気がつけば、オケが演奏しているのを忘れてた、、、というような。
オケの音がすごく表現豊かで、きちんと物語を底で支えていて、、、。
テンポも全く不自然なところがなく、自然で流れるようで素晴らしかったです。
ガッティのような、”ここに俺がいるぜ。”みたいな自己主張の強い、わざとらしい演奏、私は大っ嫌いですから。
しかも、ぶっつけ本番で舞台に立っているムーアを支えながらこういう演奏をするんですからね。
(幾度となく、彼女に合わせてオケがすっと演奏を調整した箇所が聴かれました。)


Latonia Moore replacing Violeta Urmana (Aida)
Stephanie Blythe (Amneris)
Marcello Giordani (Radamès)
Lado Ataneli (Amonasro)
James Morris (Ramfis)
Jordan Bisch (The King)
Lori Guilbeau (A Priestess)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Sonja Frisell
Set design: Gianni Quaranta
Costume design: Dada Saligeri
Lighting design: Gil Wechsler
Choreography: Alexei Ratmansky
Orch SR
SB (Act II) & ON (Act III & IV)

*** ヴェルディ アイーダ Verdi Aida ***