Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

IL BARBIERE DI SIVIGLIA (Sat, Oct 3, 2009)

2009-10-03 | メトロポリタン・オペラ
昨(2008-9年)シーズンにはレパートリーに入っていなかった『セヴィリヤの理髪師』ですが、
その一年のブレークを置いて、再びメトの舞台にこの演目が帰ってきました。

2006-7年シーズンにシャーの新演出が登場し、
その年に始まったライブ・イン・HDにもカバーされたので、
フローレス、ディドナート、マッテイのキャストの公演を映像でご覧になった方もたくさんいらっしゃると思います。
ところが、その年、私は頭への血のめぐりが悪かったのでしょうか?
今考えても理由がわからないのですが、なぜか、Aキャストしか鑑賞せずにいて、
そのAキャストではロジーナがダムローだったので(フローレスとマッテイは同じ)、
ディドナートのロジーナを生では見逃してしまい、ずっと後悔してきたというわけです。ちっ!
特に2007年のタッカー・ガラで、彼女の”今の歌声は Una voce poco fa”を聴いた時には、
我が身の愚かさ呪いまくり!でした。

2007-8年シーズンにはガランチャがロジーナで登場
彼女のロジーナは本当に素敵で彼女の生声にはすぐその場で惚れましたが、
その彼女の輝きが、ザパタ&ヴァサロといった共演者を食ってしまった感がありました。

今年の『セヴィリヤ』はお馬鹿な私への神様からのセカンド・チャンスでしょうか?
なんと、ロジーナは再びディドナート!!
ただし、アルマヴィーヴァ伯爵とフィガロがバリー・バンクスとロディオン・ポゴソフのコンビ、と聞いて、
ああ、これも2007-8年シーズンのように、ロジーナが一人で輝いてしまう系かな、と覚悟を決めました。
だって、ディドナートの舞台でのハッピー・オーラはすごいですから。

バリー・バンクスは、イギリス出身のテノールで、
失礼ながら、もはや、”フローレスの影法師”とでもあだ名したいような存在。
フローレスがメトに登場する度、毎度カバーをつとめているんですが、
そのご褒美として、毎年一公演だけ主役を歌わせてもらえる日があるのです。
ただ、彼はフローレスのあの麗しいルックスに比べると、若干冴えないシュルピス軍曹系なので、
わざわざ生で観に行く気になれないうちに、シリウスで彼の歌声を聴いてしまい、
ラジオで聴いただけで判断するのはいけない、と思いながらも、あまり心を動かされるなかったので、
結果、これまで、チケットを買う時、彼が主役を張る日は積極的に避けていました。
しかし。
今回はディドナートを聴きたければ、もれなくバリーがくっついてくる!というわけで、
逃げられなくなりました。観念します。

それから、フィガロ役を歌うポゴソフ。
彼は昨シーズンの『魔笛』のアブリッジ版の公演でパパゲーノ役をつとめたバリトン。
歌唱は安定しているけれど、特に声自体が魅力的だとは当時は思えず、
また、演技のテンポに若干問題があるように感じたので、
フィガロなんてちょっと身に余る配役なんじゃないか、と今回思っていました。

だから、今日はまたしても2007-8年シーズンに続き、ロジーナ狙い!!だったはずなんですが、
これがなんと意外な方向にすすんで行ったことか!
オペラとはこういうことがあるからやめられません。



まずアルマヴィーヴァ伯爵役を歌ったバンクスですが、
彼の声は確かにラジオの放送だけを聴いて判断するのはフェアでない、
生でしか伝わらない種類の良さはあります。
フローレスの声がシャープで輪郭がはっきりしている声とすれば、
バンクスの声は、音が出てきた後にしばらく周りに温かいエコーがたゆたうというのか、
その独特の温かさが持ち味で、特に中音域の美しさはあなどれないものがあります。
声はフローレス以上に大きくよく通るわけでもないですが、
しかし、小さすぎると不満に感じるほどではありません。
実際、2007-8年シーズンのザパタよりは私は彼の声の方が好みですが、
ただ、最大かつ致命的な欠点は、高音に安定性を欠き、ややもすると、
最後まで響きがもたずに声がひっくり返ってしまいそうになったり、
息切れしているのがあからさまにわかってしまう点です。
フローレスほどに各フレーズのニュアンスを繊細に歌うことは期待していませんが、
それが出来ないなら、例えば高音だけは確実に決めて行くとか、他の部分でカバーしなければ。
その点、ブラウンリーの方がフローレスとは全く違ったアプローチ、
つまり、繊細さの代わりに体育会系の高音のスリルと力強い音で
独自の路線を打ち出すことに成功しているような気がします。
このままだと、バンクスは、声は良いんだけど最後の一ひねりがなあ、、というところに落ち着いてしまい、
それこそ、ずっと影法師、なんてことになりかねません。
とにかく、高音、彼はこれが課題なような気がします。
『連隊の娘』でメザミをそれなりにきちんと歌っている人なので、
高い音が出せないわけではないのですが、長く引っ張る高音に苦手な部分が詰まっているような気がします。

ディドナートのポジティブ光線は健在。
彼女が歌うと観客はその役を好きになってしまう。
これは努力して身につく種類のスキルではなく、天性のものだなあ、といつも感嘆させられます。
今日の彼女は決して絶好調だったわけではなく、
二幕で微妙に音がはずれてひやっとさせられる場面もありましたが、
優れた歌手の常である、”不調な時でも歌唱の下げ幅が低い”のルールに忠実でした。
特に彼女は一つの音をクレッシェンドしていく時に、音がぎらぎらっ!と灼熱するのが持ち味で、
それは今日の彼女の”今の歌声は Una voce poco fa"でも感じることが出来ました。
声そのものが持つ美しさとか技術の手堅さ、特に前者では、もしかするとガランチャの方が有利ではあるのですが、
けれども、ディドナートの歌は決してダルではなく、常に観客に”面白い””観ていたい”と感じさせる点で、
決してひけをとっておらず、今、同じ時代に、このようにチャーミングなロッシーニを歌える歌手が
複数存在しているというのは、本当に喜ばしいことです。
また、ロッシーニの『セヴィリヤの理髪師』のロジーナと
モーツァルトの『フィガロの結婚』の侯爵夫人は同じ人物なのです(後者が前者の後日談となっている)が、
『セヴィリヤ』を観ているとそうとは思えない、つまり、『セヴィリヤ』のロジーナを
あくまで独立した人物として歌っているように感じる歌手が多いです。
違う演目、ましてや違う作曲家による作品なので、それでも良いのかもしれませんが、
今日のディドナートを観ていると、ふっとした瞬間に、
きちんと『フィガロの結婚』の侯爵夫人の顔がのぞいている瞬間があったりして、
それがすごく面白く感じました。



今日のチケットは個別購入したものですが、
どうやら、長年その席のサブスクライバーだった方が今年解約されたものが回って来たようです。
隣のご夫婦はずっとその方とサブスクライバー仲間だったそうで、
”何十年も一緒に観てきたのに、解約だなんて残念だわ、、”と寂しそうにしておられました。
ゲルブ氏が支配人に就任して座席による料金が見直されて以来、
昨シーズンは各レベルの最前列のチケット代が大幅に引き上げられ、
なんと今シーズンからは、その魔の手が第二列目にまで及んでいるようで、
これが、その長年サブスクライバーだった方に解約の決心をさせた直接の理由になっているそうです。
これまでサブスクライバーでずっと二列目とか最前列を持っていた人が、
突然有無を言わさず代金大幅引き上げの宣告を受けるというのは、確かにちょっと変ではあります。
個別にチケットを買っている私のような人はいいですけど。
隣のご夫婦は、”私達は20年かけて、後ろの方の列からここ(前から二列目)までのし上がって来たのよ!”
とおっしゃっていて、多分、元々私の座席を持っていた人も、
そうやって長い間を経てこの良席を手に入れられたのでしょう。
私もグランド・ティアでサブスクライブしていた頃、
”もっと前に!”というリクエストをかけても、
”前列でキャンセルが出ていないので、、”と断られ続け、ずっと同じ席なのにしびれを切らせて
解約してしまったので、こうやって良い席にサブスクライブできるまでに至るのがどれだけ大変だったかはよくわかります。
今は金で何でも買える時代になってしまいました。
(今なら最前列は結構高額なので、その代金を払う気さえあれば、
結構簡単にサブスクライブできてしまうかもしれませんが、
昔は同じフロアなら、どの列も料金が一律だったので、何年もかけて前列にあがっていくしかなかったのです。)

この日はまわりにかなりの数のサブスクライバーたちが混じっていて、
ということは、熱いヘッズが混じっている率もおのずとあがっていくわけですが、
特に私がいた二列目以降にそういった方が多かったようです。
おそらく、最前列は、”金でそれを買った系”でしょう。
おしゃれななりをしたインテリを気取ったゲイ・ピープル四人衆でしたが、
鑑賞時の常識も知らないのか、最前列なのに、前に身を乗り出すことしばしば。
この行為が後ろに座っている人の視界を半分近くブロックすることになるのを知らないのか、、?
私のすぐ前ではなかったのでよいようなものの、目の前に奴らが座っていた日には、
否が応でも背中が座席にくっつくよう、後ろからバッグのストラップで首を締め上げてやるところです。
ところが、そう思っていたのが私だけでなかったところが、サブスクライバーの園の恐ろしいところです。
歌が一段落する毎に、三列目のサブスクライバーのおやじから、
”てめえら、のりだすな、馬鹿やろう!”、”これ以上その体勢を続けやがったら、
頭を蹴り倒すぞ!”という罵声がとびはじめました。
しまいにその声は、”今の歌声は”のイントロの部分にまでかぶる始末、、、
ちょっと、気持ちはわかりますけど、アリアの前には止めてくださいます?って感じです。
そして、それが聴こえていながらわざと前かがみの姿勢をとりつづけるゲイ・メンたち、、。
これは戦闘勃発必至でしょう。
第一幕が終了した途端、”乗り出すなって言ってるだろう!”by おやじ、
”いやなら座席を変わればいいじゃないか(んな不条理な!!)”by ゲイ・ピープル、
”なんだとー?!”by おやじ、
おやじの袖をひっぱりながら、”あなた、もういいわよ。”by おやじの妻、
”なんだと?お前は黙ってろ!”by おやじ、と激しい応酬が炸裂。
どうなるんでしょう、この結末は?と、自分に関係がないのでちょっぴり楽しく、余裕で観察してしまったのですが、
(もちろん、これが自分に実害のあることだったら、
今頃ゲイ・ピープルの横っ面に私のヒールの後が残っているはずです。)
第二幕の直前にアッシャーがゲイ・メンの側に現れ、
”後ろの方のご迷惑になりますので、上演中は前に乗り出さず、背中を座席に出来るだけくっつけて
鑑賞されるようお願いします。”
アッシャーに反抗すると席を追い出されることもあるので、ぐうの音も出ないゲイ・ピープルたち、、。
ふふふ。また正義が勝利したようです。



さて、肝心な公演の方に話を戻すと、ディドナートの輝きもさることながら、
私にとって今回の公演で最大の嬉しい驚きだったのはポゴソフのフィガロです。
『魔笛』のパパゲーノ役で持った印象、特にあまり魅力的でない声、というこのステートメントは、
謹んで撤回させていただかなくてはなりません。
今日の公演での彼の歌声は本当に魅力的でした。
彼は2004年の『魔笛』でもパパゲーノを歌っていたそうで(その時はアブリッジ版ではなく、
ドイツ語のフル・バージョンの公演)、当時26歳だったそうですから、
今、31歳ということになると思うのですが、
ロシアの音楽院を卒業した後、そのまますぐにメトの
リンデマン・ヤング・アーティスト・ディベロップメント・プログラム(LYADP)に入ったようです。
今はもうプログラムからは卒業してしまっていますが、
LYADPでは、メトの公演での小さい役を振ってもらえることが多く、
彼も2001年から、『リゴレット』のマルッロとか、この『セヴィリヤ』のフィオレッロといった役を歌ってきたようです。
今年、その同じ演目で、フィオレッロからフィガロに到達したのですから、本人にとってもこれは相当嬉しいでしょう。
今日は同演目の初日ということもあったからでしょうが、
その嬉しさが伝わってくるような歌唱を繰り広げてくれました。
こういう舞台は本当に観ている私達も嬉しいものです。




この役は実力のある歌手たちが歌って来た役ですから、まだまだそれに比べると
磨き足りない部分だとか、やや押しに一手になりがちである、
また、言葉が完全にリズムに乗っていない個所など、これから直すべき点はたくさんあります。
けれどもそれを差し引いても、これは聴いてよかった、と思わせるものが今日の彼の歌にはありました。
特に声の美しさ、彼がこんないい声をしているということに、
『魔笛』のパパゲーノ役で聴いた時は、全く気付かなかったとは、私、どうしたことでしょう?
特に”町のなんでも屋 Largo al factotum”の
最後のdella citta(町の何でも屋、の”町の”にあたる部分)のcittaのiを、
指揮のベニーニがポゴソフに思う存分伸ばさせたのですが(ナイスな判断!)、
バットに当った野球のボールがものすごい勢いでまっすぐにスタンドに飛んでくるような、美しくて力強い声で圧倒されました。
このアリアの後に、拍手にまじって、サブスクライバー/ヘッズの園から、
”Beautiful voice!!!"という声が飛んでいました。激しく同感です。

上のYou Tubeの映像は約一年前のもので、今日の公演での歌唱はもっと進歩していますが、
上で書いた欠点と長所の両方がある程度伝わるのではないかと思います。
(この映像ではiが短いのが残念ですが。)
演技ももう少し変化が欲しい部分もありますが、全体的にはパパゲーノよりも、
彼のキャラクターが上手く出ています。
ヌッチのような酸いも甘いも知り尽くしたようなフィガロを私が好むのには、
若い歌手にはこの役が手に負えない場合が多い、という実際的な理由もあるのですが、
本来はリブレットにも、フィガロは若くて素敵で、
ロジーナだって彼と話す時にはわくわくしてしまうと言うくだりがあるくらいですから、
魅力的な歌を歌える限りにおいては、若いことはむしろプラスかもしれません。
2006-7年シーズンのマッテイは歌唱の全体の安定感では、ポゴソフよりも上だったと思いますが、
実際の年齢はポゴソフよりも一回り位上であるはずなのに、
知恵のまわる若者というよりは地元のやんちゃ坊主のようなフィガロだった点に私は少し違和感を感じました。
ただ、2006-7年は新プロダクションということで、
演出家の意向がより強く尊重された結果であった可能性もあります。

何にせよ、自分が言っておいて何ですが、ポゴソフについては、
”声に魅力がない。””演技がつまらない。”という言葉で、
忘却の彼方に葬り去るのは間違っているような気がするものがありますので、
これからの活躍をおおいに期待したいと思います。



このポゴソフの嬉しい驚きに比べて、前回聴いた時と全く印象が変わらないのが、
ドン・バジリオを歌ったアナスタソフ。
この人は本人のキャラなんでしょうか?どこか鬱陶しい感じが歌唱にまで波及している感じがします。
前回聴いた時は『ジョコンダ』のアルヴィーゼ役だったので、まだ良かったですが、
この楽しい『セヴィリヤの理髪師』という演目にまで、暗い雰囲気を持ち込むのはやめてほしい。
ドン・バジリオはずるく怪しくとも、からっと演じて欲しいのですが、
(だって、考えていることはせいぜい、それでバルトロからお金をもらえりゃそれでOK!という程度のものなのですから。)、
なんだかアナスタソフのバジリオが出てきた瞬間、
アルマヴィーヴァ侯爵をなき者にしようとする暗殺計画を練っているのではないかと思うほどの、
濃厚な不気味さと怪しさが漂うのです。やりすぎでしょう、それは。
それから、彼は声がそれほど重くないというか、バスにしては私には軽すぎて感じます。

ひどかったのはベルタ役を歌ったウェイト。
唯一のアリア(”年寄りは妻を求め Il vecchiotto cerca moglie")で音を外しまくり。
こういう役で、しめるべきところをしめられないのは、本当に痛いです。

ベニーニの指揮は悪くはなかったですが、少しアンサンブルの詰めが緩い個所があるのは改善を要します。
それはオケだけではなくて、重唱の部分でも感じました。

この演出が初お目見えした時から、細かい部分に手直しが入ったりしているのですが、
そのせいでしょうか?少しずつ、オーバーアクティングのために、
初演の時は面白かったはずの場面が、わざとらしく鼻について感じられるようになった部分もあります。
特にゆるい召使(アンブロージョという名前が一応あるらしい、、)を演じているベスラーは、
俳優さんかと思っていたら、どうやらモダン・ダンスのダンサーらしく、
それでつい体を使って大きく表現する方に気持ちが行ってしまうのか、
初演の時よりオーバーアクティングが過ぎて、逆に場面が白々しく見えてしまう個所が多くなっているので、
以前の少し控えめな表現に戻った方がよいように私には思えます。


Barry Banks (Count Almaviva)
Joyce DiDonato (Rosina)
Rodion Pogossov (Figaro)
John Del Carlo (Dr. Bartolo)
Orlin Anastassov (Don Basilio)
Claudia Waite (Berta)
Edward Parks (Fiorello)
Rob Besserer (Ambrogio)
Conductor: Maurizio Benini
Production: Bartlett Sher
Set design: Michael Yeargan
Costume design: Catherine Zuber
Lighting design: Christopher Akerlind
Dr Circ B Even
OFF

***ロッシーニ セビリヤの理髪師 Rossini Il Barbiere di Siviglia***

早く飛んでくれーっ!!! 『トスカ』で再びアクシデント

2009-10-03 | お知らせ・その他
いよいよHDの上映・収録日が来週の土曜(10/10)にせまった『トスカ』ですが、
今日10/3のマチネを鑑賞したオペラ警察より、公演中に発生した面白いアクシデントについて報告がありました。

すでにあげた感想のコメント欄でも話題になったとおり、
この新しいプロダクションでは、最後の場面で、トスカがスカルピアの手下を
”つかまえるものならつかまえてみなさいよ!”と挑発しながら塔をかけあがり、
塔のてっぺんに着いて窓から飛び降りる瞬間に暗転、という演出になっています。

塔をかけあがっている間にトスカ役のマッティラの姿が見えなくなる瞬間があるのですが、
塔の中にマッティラのボディ・ダブルがいて、マッティラの姿が見えなくなる間にバトン・タッチ、
塔から飛び降りる演技をするのは、このボディ・ダブルの方だといわれています。

なぜ本人ではなくボディ・ダブルが必要かというと、
塔から飛び降りる瞬間、黒いスクリーンをバックに足の一部以外を残した体が宙に浮く姿が映るのですが、
これは体にワイヤーをつけたボディ・ダブルが演じなければならない、というわけです。
(ワイヤーがついていないと実際に落下せずにあの体勢をとるのは無理です。)

ところが初日からどうもこのラストのシーンがワイヤーやスクリーンやら、
色々頭を悩ませる要素があるのか、なかなかパーフェクトなタイミングで作動することがなく、
暗転する瞬間にオケの音をちょうど終了させるように指揮しなければならない指揮者は一苦労のようです。

今日の指揮も再びイカ
オケが最後のフレーズ、パパーーーー!という部分を轟音でぶっぱなし、
後は指揮者が音の終わりを指示するのを待つのみ、となったところ、
なんと、スクリーンには一向に飛び降りるトスカの姿が映らない。
冷や汗をかきながら、延々と音を延ばすよう指示し続けるイカ!
オケのメンバー、特に金管が、”もう駄目だ、これ以上吹き続けたら酸欠を起こす!”という表情をし始めた頃、
やっとトスカが飛び降りてくれて、無事に音楽が止まったそうです。

早く飛び降りろよな、トスカ。