映画”The Audition~メトロポリタン歌劇場への扉”により、今や多くのオペラ・ファンに知られるようになったナショナル・カウンシル・グランド・ファイナルズ。
これはメト絡みの公演、演奏会、企画のうち、私が一年で最も楽しみにしているイベントの一つと言ってよく、例年ならわくわくしながらメトに参上するところです。
メトまで来れば、少しはそんな毎年感じる興奮が戻って来るかと思っていたのですが、メトに到着してグランド・ティアーに続く階段を登っている時も、
まるで気持ちが死んでしまったかのように、何も感じられないままでした。
開始前に立ち寄った化粧室には、いつも顔を合わせる度に”今日は元気?”とか、二言三言かけてくださる案内係の黒人の女性がいるのですが、
その方が、”あなた、出身は日本って言ってたでしょ? 日本の皆さんに、どうかこの気持ちを。”と言ったかと思うと、ぎゅっと強く抱きしめて下さって、
その時は、3月11日以来初めて、一瞬だけ、何かを感じる感覚というのが戻って来たような気がしました。
どう考えても、彼女自身裕福な暮らしをしているわけでもないはずなのに、
”義援金を送る時は絶対私に声をかけてね。私も少しでも貢献したいから。”と申し出て下さって、
彼女の優しさに本当に励まされる思いがして、ぜひともこのことは、このブログで皆様にお伝えしなければ、と思った次第です。
座席に座ろうとして、ふと目が合ったすぐ後ろの列の女性は、偶然にも日本人もしくは日系人の老齢の女性でいらっしゃいました。
お互いの目が合った時、相手の目に自分の目を見ているような、とても不思議な、しかし、間違えようのない感覚があり、
ほとんど会釈もしなかったというのに、大切な祖国日本が今抱えている辛さに寄せる思いと、
私たちはきっとこれを乗り越えられますから、一緒に頑張って行きましょう、という気持ちが一瞬でお互いに伝わりました。
こんな状態で今回のグランド・ファイナルズの感想と言っても、本当にきちんと聴いたのかよ、と言われるかもしれません。
私は耳の方ではきちんと聴いたつもりでいますが、それを受ける心の方が特殊な状態にあったことは、それは多分認めなければいけないと思います。
この先は、その点を心において読み進めて頂ければ幸いです。
披露する曲は各歌手2曲ずつ。
毎年、このグランド・ファイナルズのレポートを書くに当たっては、そのスタイルを試行錯誤しているのですが、
今年はこれまでのように、全ての歌われた曲を時系列的に紹介(歌手をA、B、、曲を1と2とすると、A1、B1、C1、、、A2、B2、C2、、)するのではなく、
参加者ごとに二曲まとめた(A1とA2、B1とB2、、、)スタイルで書いてみようかと思います。
★ フィリップ・スライ Philippe Sly (バス・バリトン)
カナダ、オタワ出身の22歳。カナダの劇場のヤング・アーティスト・プログラムに在籍中。
① ヘンデル『リナルド』より ”Sibilar gli angui d'Aletto 私の周りにはアレットの蛇の立てる”
バス・バリトンとしては声がまだ出来上がっていないせいもあるのかもしれませんが(なんといってもまだ22歳、、)、
ちょっと言葉にして説明しづらい不思議な感じの声質の彼。選曲がそれをさらに強調してしまった部分があるかもしれません。
一方、声の出来上がってなさとは対照的に、アジリティ、これは22歳とは思えぬレベルの高いものを持っていて、そこをこの一曲目でアピールしたかったのかもしれません。
ただ、毎年ヘンデルを選曲する参加者がいて、よって毎年ここで同じことを言う羽目に陥るのですが、
こういうオーディションの場でヘンデルの曲を歌ってオーディエンスに強い印象を残すというのは難しいんですよ、本当に。
それなのにどうしてこうやって挑戦する、自爆系の人が毎年絶えないのかしら、、と思います。
このアリアは、トランペットが大活躍なんですが、メト・オケのビリーさんのトランペットの方が歌よりも印象が強いという事態になってしまっていました。
だから、ヘンデルはおやめなさい、と毎年言っているのに、、。
② ワーグナー『タンホイザー』より”O! du mein holder Abendstern 優しい夕星よ(夕星の歌)”
一曲目にヘンデルを歌って、次にこう来るとは、、このニ曲目はなかなかスマートな選択です。
オーディエンスに”え?本当に?”と思わせる意外性のファクターもあるし、
この曲は名曲中の名曲なので(ヘンデルがそうじゃない、と言うつもりはないですが。)、曲自体が引っ張ってくれる部分もあって、
オーディエンスに好感を持って迎えられやすい。彼は選曲の順番が非常に賢明でした。
先に書いたように、まだバス・バリトンとしての声が出来上がっていないですし
(二曲とも音域は合っていますが、バス・バリトン的な音色の手触りがまだ希薄です。)
全幕でワーグナーを歌えるバス・バリトンか?と言われると、それはまだ若すぎてとても判断できないし、判断する必要も今はないだろう、
というのが正直なところで、彼もそんなことを証明したくてこの曲を選んだのではないと思います。
この曲で彼が見せた表現力にはポテンシャルがあるな、と思いましたが、そここそが彼のアピールしたかった点だと思われ、
その狙いに関して言えば十分成功していたと思います。
★ ディアナ・ブレイウィック Deanna Breiwick (ソプラノ)
ワシントン州シアトル出身。マネス音楽院卒業。この後ジュリアード音楽院に進学予定。24歳。
① ロッシーニ『オリー伯爵』より”En proie à la tristesse 憂鬱のとりこ”
メトのスタッフによる選曲アドバイスもあるのでしょうが、メトで近いうちに上演された・される演目の曲を取り上げる、
”タイ・アップ系”の参加者も毎年見られるようになりました。
これは伯爵夫人のアリアなので、今シーズンのメトの公演ではディアナ・ダムラウが歌うわけですが、ブレイウィックにとってラッキーなのは、
メトでの『オリー伯爵』の全幕上演が今よりも先である点です(初日は3/24)。ダムラウと比べられちゃたまったものじゃないですものね。
かなりこじんまりとしたコンパクトな声で、将来、メトのようなサイズの劇場で歌って行くのはちょっと難しいかもしれませんが、
スキルはきちんとしたものを持っていて、声のボリュームのコントロール能力など、なかなか優れたものを持っているので、
少し小さめの劇場では活躍して行けるポテンシャルを持った人だと思います。
立ち上がり、”エ”の響きが強調されたような、少し下品と取られかねない微妙な響きが出ることもありますが、
一旦声が乗ってくるとその問題は消え、小さいなりにふくよかな声で決して悪くないです。
② ヴェルディ『ファルスタッフ』より”Sul fin d'un soffio etesio かぐわしい風にのって ”
一曲目のラウンドでは間違いなく全参加者の上位につけていた彼女なのにどうしたことでしょう、これは!!
いえ、歌のクオリティが下がったわけでは全くなく、相変わらずきちんとした歌を歌っているのに、全然観客の心にアピール出来ていない、、
それはなぜかというと、ひとえに、この曲には彼女の声はスケールが小さすぎるからです。
オーケストレーションとの兼ね合いを考えても、もう少しリリコに寄った声でないときつい。
一人目のプライと同様に、歌える歌のスペクトラムの広さを見せたかったのでしょうが、彼女は残念ながら、
今は声質上、そんなに広いスペクトラムを持っているわけではないので、同じ幅の広さを見せるのでも、もうちょっと違うアプローチの方が良かったのに、と思います。
ベル・カントのスペシャリストとして歌っていくのであれば、声質の幅より、キャラクターの幅なんかでアピールした方が良かったのでは?
もっと彼女の個性に合った曲がいくらでもあったでしょうに、このニ曲目が命取りになったと思います。
★ ジョセフ・リム Joseph Lim (バリトン)
韓国ソウル出身。現在リリック・オペラ・オブ・シカゴ(LOC)の若手育成プログラム、ライアン・オペラ・センターで勉強中の28歳。
① モーツァルト『フィガロの結婚』より”Hai già vinta la causa! もうお前の勝ちだと!”
韓国人の男性歌手の声には、日本人の歌手とは少し違うカラーがあって、実は何を隠そう、私、それが結構好きだったりするのです。
もしかすると韓国語の発声、それによって長年培われた骨格等が関係しているのかもしれませんが、
これまで仕事などでお付き合いのあった・ある複数の韓国人の男性ほとんどの方の声にも、この共通するカラーが備わっていて、
私はこれを声のコリアン・ファクターと名づけます。
上手く言えないのですが、日本人の男性歌手より、少し声が甘い感じがするというか、、今までこのブログで話題に上がった歌手だと、
オペラ界のヨン様ことヨンフン・リーなんかも、このファクターを持っている歌手として頭に浮かびます。
先に書いた仕事上でお付き合いのある韓国男性とは、電話でしかお話したことがない、またこれから先もそうであるだろう方が何人かいるのですが、
彼らの声のせいで、私の中ではそれを基にした、とても素敵なビジュアルが頭の中に出来上がっていますので、その幻想を壊さないためにも、
その方たちとはこれから先もずっとお会いしないでおきたいと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、このリム君、バリトンなんですが、間違いなくコリアン・ファクターが感じられる声で、
低声パートにもコリアン・ファクターが存在するのだな、、というのが確認できました。
ただ、歌の表情、これがちょっとのっぺらぼうで、曲の真ん中あたりから客の注意を完全には引き付けられなくなっていたのが残念です。
② ボロディン『イーゴリ公』よりイーゴリ公のアリア(としかプレイビルに記載がない。)
というわけで、彼は表現力に欠けているのかな、と思っていたら、この『イーゴリ公』で大逆転を見せました。
コミカルな要素よりもドラマティックなものに適性があるからか、はたまた言語(イタリア語vsロシア語)への適性によるものか、
理由は断定できませんが、最初の曲と比べて、見違えるような表現力を見せていたと思います。
歌が端正過ぎるという批判もあるかもしれませんが、私は今の段階、年齢では、こういう歌唱でいいのではないかと思います。
★ ライアン・スピード・グリーン Ryan Speedo Green (バス・バリトン)
ヴァージニア州出身、コロラド・オペラのレジデント・アーティストを経て、現在ミネソタ・オペラのレジデント・アーティスト。24歳。
① ヴェルディ『マクベス』より”Come dal ciel precipita 空が急に翳ったように”
『マクベス』もほんの数シーズン前にメトで全幕公演があったので、広い意味ではこちらもタイ・アップ系と言えるかもしれません。
その時に歌ったレリエーやパペと比べても、決して比べ物になっていないという歌の内容ではなく、なかなかに堂々とした歌いぶりで、
コロラドやミネソタで小さめの役でも舞台数を踏んでいるからか、非常に場慣れした感じのある、余裕のある歌を歌う歌手だな、と思います。
黒人の男性の中には時々ものすごく深い声の人がいますが(残念ながら、アジア人の場合、遺伝的にここまで深い声に生まれつくのはまずないことだと思います。)、
彼もその例で、生れついての素質は非常に恵まれたものを持っていて、また、声に適度なしなやかさがあるのもいいな、と思います。
② ロッシーニ『セヴィリヤの理髪師』より”La calunnia è un venticello 中傷とはそよ風のようなもの(陰口の歌)”
一曲目のヴェルディでドラマティックな歌唱を印象付けた後に、バジリオのアリアとは、なかなか面白い選曲です。
特に一曲目は彼の深く重い声が印象的だったので、バスによって歌われるとはいっても、『マクベス』からの曲とは真反対と言ってよい、
軽妙さとコミカルなセンスが求められる陰口の歌を持ってくるとなると、”へえ、、これはどんなことに?”と観客の興味をかきたて、
このあたりも、妙に場慣れした感じを与える人だな、と思います。
どちらかというと私は彼はやはりドラマティックな曲の方が適性があるかな、と思いましたが、陰口の歌も歌唱水準は高く、
コミカルな仕草を入れながらの熱唱で、オーディエンスからの好感度が最も高いファイナリストだったのではないかと思います。
それにしても、何か妙に年齢の割りに完成された感じのする人で、天邪鬼の私ゆえ、それが逆に気になったりしてしまうのですが、
大方のオーディエンスには非常に魅力のある歌手と映るようで、実際、安定した実力を持っている歌手だという風には思います。
★ サーシャ・ディハニアン Sasha Djihanian (ソプラノ)
カナダ、モントリオール出身。モントリオール音楽院を卒業後、地元の劇場で子供向けのオペラ公演などに出演中。25歳。
① ヘンデル『ジュリオ・チェーザレ』より”Non disperar 絶望せずに”
今回登場した女性グランド・ファイナリスト中、最もビジュアルに恵まれていたのが、このサーシャ嬢ではないかと思うのですが、歌に関しては嗚呼!!
それに、どうしてまた私の忠告を無視してヘンデルを歌うか、、?
彼女の場合、声の魅力、歌唱の技術、いずれをとっても、正直、今回の他のファイナリストと比べて、立っている場所が一段違うような感じがします。
声と歌というのは本当に怖い。嘘をつかないから。
声そのものの潤いのなさ、高音域で立ち現れる荒いテクスチャー、特に早いパッセージでの旋律の取り方が甘く、一つ一つの音符が生きていない、など、問題が山積みです。
② プッチーニ『トゥーランドット』より”お聞き下さい、王子様 Signore, ascolta”
このリューのアリアで大挽回しないと、非常にまずいところに立っているサーシャ嬢ですが、挽回どころか、一曲目で露呈した彼女の弱点を、
再確認するだけの作業になってしまいました。問題は一曲目で書いたことと全く同じ。
この曲は複雑・トリッキーな技はなく、テンポも非常にゆったりした曲ではありますが、
その分、声のコントロール能力、ここに全てがかかっていると言ってもよいかもしれません。
最後の高音を絞って絞ってその美しさを聴かせる、、、この曲でオーディエンスの心を動かすには力任せに歌ってはならず、
抑えた歌唱、微妙な声のコントロール、その中にカラフ(王子)を慕う切ない気持ちが込められていないといけない。
彼女のように、首を絞められた鶏のように、やっとこさ音が出ている、という状態では、まずは観客の心を打つことは不可能です。
★ ニコラス・マスターズ Nicholas Masters (バス)
コネチカット州出身。フィラデルフィアのAVA(アカデミー・オブ・ヴォーカル・アーツ)で勉強中。26歳。
① ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』より”Il lacerato spirito 悲しい胸の思い出は”
AVAはこのナショナル・カウンシルにほとんど毎回優れたファイナリストとなる歌手を送り込んでいて
(映画『The Audition』が撮影された年のミードやファビアーノもAVAですし、それ以外でも、コステロやペレーズもAVAの出身です。)、
AVAと聞いただけで胸が躍るのですが、彼に関しては、どこを見込まれているのかちょっとよくわからなかった、というのが私の正直な感想です。
さすがにAVA仕込みだけあって、歌の水準はきちんとしているのですが、激しい低声男性同士の争いとなった今回のナショナル・カウンシル
(そう、男性は今回、ファイナリストにテノールが一人もいないという、非常に珍しい年なのです!
逆に女性はソプラノばかりでメゾがいないという、これもまた珍しいパターンで、ひたすら高声女子同士の競争となりました。)の中で、
一際輝く個性みたいなものがないのが痛いところだと思います。
『シモン』も今シーズン全幕公演がありましたから、再びタイ・アップ系なんですが、グリーンのバンクォーのアリアと対照的に、
フルラネットとは表現力が違い過ぎる、、、という感覚だけが残ってしまいました。
バスということなんですが、確かに低音は音としてはきちんと出ていたものの、音色に重量感があまりないのも、
今一つ強い印象をオーディエンスに残せない原因かな、と思います。
② ブリテン『真夏の夜の夢』よりボトムの夢
こちらの選曲の方がずっと良い!彼は音色そのもので観客を唸らせるタイプではなくて、曲における歌唱の組み立てやストーリー・テリングで味の出る
インテリ系バスかもしれません。
★ ミシェール・ジョンソン Michelle Johnson (ソプラノ)
テキサス州出身。ニュー・イングランド音楽院を経て、AVAからの卒業が間近の28歳。
① チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』より”Io son l'umile ancella 私は芸術のつつましいしもべ”
今年はグリーンと彼女、男性・女性いずれも黒人勢が頑張った年でした。
ディーヴァ・アリアとしての性格が強いこの曲をナショナル・カウンシルで取り上げるのは結構勇気がいるのではないかと思うのですが、
この曲で一番難しいと私が思う、一番最初のEccoという言葉の発声や、ラストの盛り上がりまでに持っていく過程など、なかなか巧みな歌唱だったと思います。
彼女は黒人ソプラノに多い独特の音の揺れ、発声の仕方を持っているので、好き嫌いは分かれるかもしれません。
彼女の歌唱はNYタイムズの記事にこの『アドリアーナ』のアリアからの抜粋が上がっていて、録音で聴くとものすごく強烈な揺れに聴こえますが、
(ほとんど音程が外れているかのような、、)劇場では少し聴こえ方が違うことも書き添えておきます。
ただ、決してビブラート、音の揺れには一般的にはそんなに厳しい注文がない私でも、彼女のそれは音域によって非常に気になることがあって、
もうちょっと真っ直ぐにすっと音が出てくる歌い方の方がいいのにな、とは思います。
声のサイズは優に『アイーダ』の表題役をこなせるスケールがあり、面白い素材を持ったソプラノだとは思うのですが。
(例えば、同じAVA出身で、ヴェルディの作品も歌えるミードと比べても、ジョンソンの声の方がサイズは大きいと思います。)
② モーツァルト『フィガロの結婚』より”Dove sono 楽しい思い出はどこへ”
ミードと先生が同じなのかな、、、ヴェルディも歌えそうだな、、と連想させた後に、伯爵夫人のアリアを入れてくるとは。
ただ、この曲の彼女の歌唱に関しては、多くの観客は良い印象を持ったみたいですが、私は賛成しません。
この曲を聴くと、ちょっと彼女の歌唱、もっと言うと発声自体にちょっと不安を感じるところがあって、
『アドリアーナ』では隠しおおせていたことを露にしてしまうこのアリアは実に恐ろしいと思います。モーツァルト作品のシンプルゆえに難しい!の面目躍如です。
この曲で私が最も大切と感じる、一つの音の間で音色を均一に保ち、次の音に移行していくこと、これが彼女はあまり出来ていなくて、
歌がとてもグネグネして私には感じるのです。
この曲を聴くと、彼女とミードの間にはまだ大分力に差があるな、と思ってしまいました。
ただ、ジョンソンはグリーンと同じく、観客にアピールする何かを持っている歌手である点は、私も否定しないです。
★ ジョセフ・バロン Joseph Barron (バス・バリトン)
ペンシルベニア州出身。現在カーティス音楽院在学中で、グリンマーグラス、サンタフェ・オペラのスタジオなどに参加経験あり。25歳。
① ベッリーニ『夢遊病の女』より”Vi ravviso... Tu non sai この素敵な土地には見覚えがある”
グリーンの方が観客へのアピール度、存在感は高いのですが、私は歌手としては、佇まいが地味ながら、このバロンの方が好きです。
『夢遊病の女』も数年前にメトでの全幕公演があったので、タイ・アップ系。
深い音ですぐに”おお!”と思わせるグリーンとは違い、良さがじわじわ、、と来るには少し時間をかけて耳を傾けなければならないのですが、
なかなか端正で良い声をしているとも思います。
両曲で伝わって来た彼のパフォーマー&アーティストとしての柔軟性、それから、まだこれから育っていく余地が感じられる点もいいな、と思います。
② グノー『ファウスト』より”Vous qui faites l'endormie 眠ったふりをせずに”
繰り返しの笑い声などにもう少しひねりがあっても良いかなとは思いますが、照れのない突き抜けた演技と、
何より本人が楽しんでこの曲を歌い演じている様子が伝わって来る。この大舞台で度胸のある人だと思います。
彼自身の個性をより強く出せるようになったら、なお良いのですけれど、その点で少しグリーンに押されたかな、と思います。
以上、今年のファイナリストは8人なんですが、私の心の状態のせいか、実際に今年のファイナリスト達の力不足によるものなのか、
多分、両方なんでしょう、正直に言うと、本当に心から楽しんだり、感動したり、ものすごく大きな衝撃を受けたり、といった
エキサイティングな歌唱はこの時点ではゼロで、私は相変わらず不感症状態で座席に座っていました。
審査を待つ間、司会のジョイス・ディドナートからゲスト・アーティストの紹介があり、
舞台に先日までメトの『アルミーダ』に出演していたローレンス・ブラウンリーが登場しました。
彼は2001年のナショナル・カウンシルのグランド・ファイナリストでもあります。
そして彼が歌い始めたのは、ビゼーの『真珠とり』のナディールのロマンス”耳に残る君の歌声 Je crois entendre encore”。
(この映像は今日のナショナル・カウンシルのものではなく、別の機会に歌われた際のものですが、歌っているのは同じブラウンリーです。)
彼の歌を聴いていて、思わず涙が出ました。もうこの先、何も感じることが出来なくなるのではないかと思う位の麻痺感の中にいても、
本当に人の心を動かす力を持った歌手の歌というのは、必ずその心に届いてくるもの、、、。
そここそが、まだナショナル・カウンシルの段階にある歌手たちと、メトの舞台に立ってオーディエンスの心を動かす歌を歌っている歌手の力の違いなんだと思います。
メトのオケの、歌唱を立ててひたすらそっと寄り添っているような演奏も素晴らしかったと思います。
それから、さらに言うと、私の中では去年、一昨年あたりからのブラウンリーへの評価がすごく変わって来ていて、
以前は、連れの後輩の”僕の友達の方がフローレスより上手い”発言にお腹がよじれるかと思う位笑ったものですが、
今は、それはあながちそう奇天烈な発言ではなかったのかもしれない、少なくとも笑って聞く内容のものではなかった、と思うようになっています。
昨年の『アルミーダ』あたりから、ブラウンリーにはものすごい表現力が身に付いて来ていて、
フローレスにない種類のパッションが歌に出てくるようになっていると思います。
テクニック、表現両方で、フローレスの歌はすでにかなり完成されていて、曲線で言うとすでになだらかな線になっているのに対し、
ブラウンリーの方はまだこれからも伸びていく感じがあり、実際、この三年間、成長の跡がはっきりと歌に現れています。
なので、来シーズンはどんな歌を聞かせてくれるのか、、という楽しみもあります。
全幕でなく、リサイタルやガラの形式で一曲単位で曲を聴いて涙が自然に溢れて来た経験というのはこれまでほとんどないのですが、
今日のこの”耳に残る君の歌声”ではつい涙が一粒落ちて、その瞬間、このまる3日間感じたことのなかった強い感情が突然押し寄せて来ました。
オーディエンスには彼がニ曲目に歌った『連隊の娘』の”ああ、友よ、なんと楽しい日!”の連続9回ハイCが大喝采でしたが、
私にとっては今日の彼の『真珠とり』のロマンスほど、心を動かされたものはありません。
結局、グランド・ファイナリストはスライ、リム、グリーン、ジョンソン、バロンの5名。
この選抜のプロセスを見るのは、それはそれで例年通り、とても勉強になるプロセスでしたが、
何よりも今日強く印象に残ったのは、ブラウンリーが見せてくれた本物の歌が持つ力の大きさでした。
Conductor: Patrick Summers
Metropolitan Opera Orchestra
Grand Tier B Odd
OFF
*** National Council Grand Finals ナショナル・カウンシル・グランド・ファイナルズ***
これはメト絡みの公演、演奏会、企画のうち、私が一年で最も楽しみにしているイベントの一つと言ってよく、例年ならわくわくしながらメトに参上するところです。
メトまで来れば、少しはそんな毎年感じる興奮が戻って来るかと思っていたのですが、メトに到着してグランド・ティアーに続く階段を登っている時も、
まるで気持ちが死んでしまったかのように、何も感じられないままでした。
開始前に立ち寄った化粧室には、いつも顔を合わせる度に”今日は元気?”とか、二言三言かけてくださる案内係の黒人の女性がいるのですが、
その方が、”あなた、出身は日本って言ってたでしょ? 日本の皆さんに、どうかこの気持ちを。”と言ったかと思うと、ぎゅっと強く抱きしめて下さって、
その時は、3月11日以来初めて、一瞬だけ、何かを感じる感覚というのが戻って来たような気がしました。
どう考えても、彼女自身裕福な暮らしをしているわけでもないはずなのに、
”義援金を送る時は絶対私に声をかけてね。私も少しでも貢献したいから。”と申し出て下さって、
彼女の優しさに本当に励まされる思いがして、ぜひともこのことは、このブログで皆様にお伝えしなければ、と思った次第です。
座席に座ろうとして、ふと目が合ったすぐ後ろの列の女性は、偶然にも日本人もしくは日系人の老齢の女性でいらっしゃいました。
お互いの目が合った時、相手の目に自分の目を見ているような、とても不思議な、しかし、間違えようのない感覚があり、
ほとんど会釈もしなかったというのに、大切な祖国日本が今抱えている辛さに寄せる思いと、
私たちはきっとこれを乗り越えられますから、一緒に頑張って行きましょう、という気持ちが一瞬でお互いに伝わりました。
こんな状態で今回のグランド・ファイナルズの感想と言っても、本当にきちんと聴いたのかよ、と言われるかもしれません。
私は耳の方ではきちんと聴いたつもりでいますが、それを受ける心の方が特殊な状態にあったことは、それは多分認めなければいけないと思います。
この先は、その点を心において読み進めて頂ければ幸いです。
披露する曲は各歌手2曲ずつ。
毎年、このグランド・ファイナルズのレポートを書くに当たっては、そのスタイルを試行錯誤しているのですが、
今年はこれまでのように、全ての歌われた曲を時系列的に紹介(歌手をA、B、、曲を1と2とすると、A1、B1、C1、、、A2、B2、C2、、)するのではなく、
参加者ごとに二曲まとめた(A1とA2、B1とB2、、、)スタイルで書いてみようかと思います。
★ フィリップ・スライ Philippe Sly (バス・バリトン)
カナダ、オタワ出身の22歳。カナダの劇場のヤング・アーティスト・プログラムに在籍中。
① ヘンデル『リナルド』より ”Sibilar gli angui d'Aletto 私の周りにはアレットの蛇の立てる”
バス・バリトンとしては声がまだ出来上がっていないせいもあるのかもしれませんが(なんといってもまだ22歳、、)、
ちょっと言葉にして説明しづらい不思議な感じの声質の彼。選曲がそれをさらに強調してしまった部分があるかもしれません。
一方、声の出来上がってなさとは対照的に、アジリティ、これは22歳とは思えぬレベルの高いものを持っていて、そこをこの一曲目でアピールしたかったのかもしれません。
ただ、毎年ヘンデルを選曲する参加者がいて、よって毎年ここで同じことを言う羽目に陥るのですが、
こういうオーディションの場でヘンデルの曲を歌ってオーディエンスに強い印象を残すというのは難しいんですよ、本当に。
それなのにどうしてこうやって挑戦する、自爆系の人が毎年絶えないのかしら、、と思います。
このアリアは、トランペットが大活躍なんですが、メト・オケのビリーさんのトランペットの方が歌よりも印象が強いという事態になってしまっていました。
だから、ヘンデルはおやめなさい、と毎年言っているのに、、。
② ワーグナー『タンホイザー』より”O! du mein holder Abendstern 優しい夕星よ(夕星の歌)”
一曲目にヘンデルを歌って、次にこう来るとは、、このニ曲目はなかなかスマートな選択です。
オーディエンスに”え?本当に?”と思わせる意外性のファクターもあるし、
この曲は名曲中の名曲なので(ヘンデルがそうじゃない、と言うつもりはないですが。)、曲自体が引っ張ってくれる部分もあって、
オーディエンスに好感を持って迎えられやすい。彼は選曲の順番が非常に賢明でした。
先に書いたように、まだバス・バリトンとしての声が出来上がっていないですし
(二曲とも音域は合っていますが、バス・バリトン的な音色の手触りがまだ希薄です。)
全幕でワーグナーを歌えるバス・バリトンか?と言われると、それはまだ若すぎてとても判断できないし、判断する必要も今はないだろう、
というのが正直なところで、彼もそんなことを証明したくてこの曲を選んだのではないと思います。
この曲で彼が見せた表現力にはポテンシャルがあるな、と思いましたが、そここそが彼のアピールしたかった点だと思われ、
その狙いに関して言えば十分成功していたと思います。
★ ディアナ・ブレイウィック Deanna Breiwick (ソプラノ)
ワシントン州シアトル出身。マネス音楽院卒業。この後ジュリアード音楽院に進学予定。24歳。
① ロッシーニ『オリー伯爵』より”En proie à la tristesse 憂鬱のとりこ”
メトのスタッフによる選曲アドバイスもあるのでしょうが、メトで近いうちに上演された・される演目の曲を取り上げる、
”タイ・アップ系”の参加者も毎年見られるようになりました。
これは伯爵夫人のアリアなので、今シーズンのメトの公演ではディアナ・ダムラウが歌うわけですが、ブレイウィックにとってラッキーなのは、
メトでの『オリー伯爵』の全幕上演が今よりも先である点です(初日は3/24)。ダムラウと比べられちゃたまったものじゃないですものね。
かなりこじんまりとしたコンパクトな声で、将来、メトのようなサイズの劇場で歌って行くのはちょっと難しいかもしれませんが、
スキルはきちんとしたものを持っていて、声のボリュームのコントロール能力など、なかなか優れたものを持っているので、
少し小さめの劇場では活躍して行けるポテンシャルを持った人だと思います。
立ち上がり、”エ”の響きが強調されたような、少し下品と取られかねない微妙な響きが出ることもありますが、
一旦声が乗ってくるとその問題は消え、小さいなりにふくよかな声で決して悪くないです。
② ヴェルディ『ファルスタッフ』より”Sul fin d'un soffio etesio かぐわしい風にのって ”
一曲目のラウンドでは間違いなく全参加者の上位につけていた彼女なのにどうしたことでしょう、これは!!
いえ、歌のクオリティが下がったわけでは全くなく、相変わらずきちんとした歌を歌っているのに、全然観客の心にアピール出来ていない、、
それはなぜかというと、ひとえに、この曲には彼女の声はスケールが小さすぎるからです。
オーケストレーションとの兼ね合いを考えても、もう少しリリコに寄った声でないときつい。
一人目のプライと同様に、歌える歌のスペクトラムの広さを見せたかったのでしょうが、彼女は残念ながら、
今は声質上、そんなに広いスペクトラムを持っているわけではないので、同じ幅の広さを見せるのでも、もうちょっと違うアプローチの方が良かったのに、と思います。
ベル・カントのスペシャリストとして歌っていくのであれば、声質の幅より、キャラクターの幅なんかでアピールした方が良かったのでは?
もっと彼女の個性に合った曲がいくらでもあったでしょうに、このニ曲目が命取りになったと思います。
★ ジョセフ・リム Joseph Lim (バリトン)
韓国ソウル出身。現在リリック・オペラ・オブ・シカゴ(LOC)の若手育成プログラム、ライアン・オペラ・センターで勉強中の28歳。
① モーツァルト『フィガロの結婚』より”Hai già vinta la causa! もうお前の勝ちだと!”
韓国人の男性歌手の声には、日本人の歌手とは少し違うカラーがあって、実は何を隠そう、私、それが結構好きだったりするのです。
もしかすると韓国語の発声、それによって長年培われた骨格等が関係しているのかもしれませんが、
これまで仕事などでお付き合いのあった・ある複数の韓国人の男性ほとんどの方の声にも、この共通するカラーが備わっていて、
私はこれを声のコリアン・ファクターと名づけます。
上手く言えないのですが、日本人の男性歌手より、少し声が甘い感じがするというか、、今までこのブログで話題に上がった歌手だと、
オペラ界のヨン様ことヨンフン・リーなんかも、このファクターを持っている歌手として頭に浮かびます。
先に書いた仕事上でお付き合いのある韓国男性とは、電話でしかお話したことがない、またこれから先もそうであるだろう方が何人かいるのですが、
彼らの声のせいで、私の中ではそれを基にした、とても素敵なビジュアルが頭の中に出来上がっていますので、その幻想を壊さないためにも、
その方たちとはこれから先もずっとお会いしないでおきたいと思います。
前置きが長くなってしまいましたが、このリム君、バリトンなんですが、間違いなくコリアン・ファクターが感じられる声で、
低声パートにもコリアン・ファクターが存在するのだな、、というのが確認できました。
ただ、歌の表情、これがちょっとのっぺらぼうで、曲の真ん中あたりから客の注意を完全には引き付けられなくなっていたのが残念です。
② ボロディン『イーゴリ公』よりイーゴリ公のアリア(としかプレイビルに記載がない。)
というわけで、彼は表現力に欠けているのかな、と思っていたら、この『イーゴリ公』で大逆転を見せました。
コミカルな要素よりもドラマティックなものに適性があるからか、はたまた言語(イタリア語vsロシア語)への適性によるものか、
理由は断定できませんが、最初の曲と比べて、見違えるような表現力を見せていたと思います。
歌が端正過ぎるという批判もあるかもしれませんが、私は今の段階、年齢では、こういう歌唱でいいのではないかと思います。
★ ライアン・スピード・グリーン Ryan Speedo Green (バス・バリトン)
ヴァージニア州出身、コロラド・オペラのレジデント・アーティストを経て、現在ミネソタ・オペラのレジデント・アーティスト。24歳。
① ヴェルディ『マクベス』より”Come dal ciel precipita 空が急に翳ったように”
『マクベス』もほんの数シーズン前にメトで全幕公演があったので、広い意味ではこちらもタイ・アップ系と言えるかもしれません。
その時に歌ったレリエーやパペと比べても、決して比べ物になっていないという歌の内容ではなく、なかなかに堂々とした歌いぶりで、
コロラドやミネソタで小さめの役でも舞台数を踏んでいるからか、非常に場慣れした感じのある、余裕のある歌を歌う歌手だな、と思います。
黒人の男性の中には時々ものすごく深い声の人がいますが(残念ながら、アジア人の場合、遺伝的にここまで深い声に生まれつくのはまずないことだと思います。)、
彼もその例で、生れついての素質は非常に恵まれたものを持っていて、また、声に適度なしなやかさがあるのもいいな、と思います。
② ロッシーニ『セヴィリヤの理髪師』より”La calunnia è un venticello 中傷とはそよ風のようなもの(陰口の歌)”
一曲目のヴェルディでドラマティックな歌唱を印象付けた後に、バジリオのアリアとは、なかなか面白い選曲です。
特に一曲目は彼の深く重い声が印象的だったので、バスによって歌われるとはいっても、『マクベス』からの曲とは真反対と言ってよい、
軽妙さとコミカルなセンスが求められる陰口の歌を持ってくるとなると、”へえ、、これはどんなことに?”と観客の興味をかきたて、
このあたりも、妙に場慣れした感じを与える人だな、と思います。
どちらかというと私は彼はやはりドラマティックな曲の方が適性があるかな、と思いましたが、陰口の歌も歌唱水準は高く、
コミカルな仕草を入れながらの熱唱で、オーディエンスからの好感度が最も高いファイナリストだったのではないかと思います。
それにしても、何か妙に年齢の割りに完成された感じのする人で、天邪鬼の私ゆえ、それが逆に気になったりしてしまうのですが、
大方のオーディエンスには非常に魅力のある歌手と映るようで、実際、安定した実力を持っている歌手だという風には思います。
★ サーシャ・ディハニアン Sasha Djihanian (ソプラノ)
カナダ、モントリオール出身。モントリオール音楽院を卒業後、地元の劇場で子供向けのオペラ公演などに出演中。25歳。
① ヘンデル『ジュリオ・チェーザレ』より”Non disperar 絶望せずに”
今回登場した女性グランド・ファイナリスト中、最もビジュアルに恵まれていたのが、このサーシャ嬢ではないかと思うのですが、歌に関しては嗚呼!!
それに、どうしてまた私の忠告を無視してヘンデルを歌うか、、?
彼女の場合、声の魅力、歌唱の技術、いずれをとっても、正直、今回の他のファイナリストと比べて、立っている場所が一段違うような感じがします。
声と歌というのは本当に怖い。嘘をつかないから。
声そのものの潤いのなさ、高音域で立ち現れる荒いテクスチャー、特に早いパッセージでの旋律の取り方が甘く、一つ一つの音符が生きていない、など、問題が山積みです。
② プッチーニ『トゥーランドット』より”お聞き下さい、王子様 Signore, ascolta”
このリューのアリアで大挽回しないと、非常にまずいところに立っているサーシャ嬢ですが、挽回どころか、一曲目で露呈した彼女の弱点を、
再確認するだけの作業になってしまいました。問題は一曲目で書いたことと全く同じ。
この曲は複雑・トリッキーな技はなく、テンポも非常にゆったりした曲ではありますが、
その分、声のコントロール能力、ここに全てがかかっていると言ってもよいかもしれません。
最後の高音を絞って絞ってその美しさを聴かせる、、、この曲でオーディエンスの心を動かすには力任せに歌ってはならず、
抑えた歌唱、微妙な声のコントロール、その中にカラフ(王子)を慕う切ない気持ちが込められていないといけない。
彼女のように、首を絞められた鶏のように、やっとこさ音が出ている、という状態では、まずは観客の心を打つことは不可能です。
★ ニコラス・マスターズ Nicholas Masters (バス)
コネチカット州出身。フィラデルフィアのAVA(アカデミー・オブ・ヴォーカル・アーツ)で勉強中。26歳。
① ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』より”Il lacerato spirito 悲しい胸の思い出は”
AVAはこのナショナル・カウンシルにほとんど毎回優れたファイナリストとなる歌手を送り込んでいて
(映画『The Audition』が撮影された年のミードやファビアーノもAVAですし、それ以外でも、コステロやペレーズもAVAの出身です。)、
AVAと聞いただけで胸が躍るのですが、彼に関しては、どこを見込まれているのかちょっとよくわからなかった、というのが私の正直な感想です。
さすがにAVA仕込みだけあって、歌の水準はきちんとしているのですが、激しい低声男性同士の争いとなった今回のナショナル・カウンシル
(そう、男性は今回、ファイナリストにテノールが一人もいないという、非常に珍しい年なのです!
逆に女性はソプラノばかりでメゾがいないという、これもまた珍しいパターンで、ひたすら高声女子同士の競争となりました。)の中で、
一際輝く個性みたいなものがないのが痛いところだと思います。
『シモン』も今シーズン全幕公演がありましたから、再びタイ・アップ系なんですが、グリーンのバンクォーのアリアと対照的に、
フルラネットとは表現力が違い過ぎる、、、という感覚だけが残ってしまいました。
バスということなんですが、確かに低音は音としてはきちんと出ていたものの、音色に重量感があまりないのも、
今一つ強い印象をオーディエンスに残せない原因かな、と思います。
② ブリテン『真夏の夜の夢』よりボトムの夢
こちらの選曲の方がずっと良い!彼は音色そのもので観客を唸らせるタイプではなくて、曲における歌唱の組み立てやストーリー・テリングで味の出る
インテリ系バスかもしれません。
★ ミシェール・ジョンソン Michelle Johnson (ソプラノ)
テキサス州出身。ニュー・イングランド音楽院を経て、AVAからの卒業が間近の28歳。
① チレア『アドリアーナ・ルクヴルール』より”Io son l'umile ancella 私は芸術のつつましいしもべ”
今年はグリーンと彼女、男性・女性いずれも黒人勢が頑張った年でした。
ディーヴァ・アリアとしての性格が強いこの曲をナショナル・カウンシルで取り上げるのは結構勇気がいるのではないかと思うのですが、
この曲で一番難しいと私が思う、一番最初のEccoという言葉の発声や、ラストの盛り上がりまでに持っていく過程など、なかなか巧みな歌唱だったと思います。
彼女は黒人ソプラノに多い独特の音の揺れ、発声の仕方を持っているので、好き嫌いは分かれるかもしれません。
彼女の歌唱はNYタイムズの記事にこの『アドリアーナ』のアリアからの抜粋が上がっていて、録音で聴くとものすごく強烈な揺れに聴こえますが、
(ほとんど音程が外れているかのような、、)劇場では少し聴こえ方が違うことも書き添えておきます。
ただ、決してビブラート、音の揺れには一般的にはそんなに厳しい注文がない私でも、彼女のそれは音域によって非常に気になることがあって、
もうちょっと真っ直ぐにすっと音が出てくる歌い方の方がいいのにな、とは思います。
声のサイズは優に『アイーダ』の表題役をこなせるスケールがあり、面白い素材を持ったソプラノだとは思うのですが。
(例えば、同じAVA出身で、ヴェルディの作品も歌えるミードと比べても、ジョンソンの声の方がサイズは大きいと思います。)
② モーツァルト『フィガロの結婚』より”Dove sono 楽しい思い出はどこへ”
ミードと先生が同じなのかな、、、ヴェルディも歌えそうだな、、と連想させた後に、伯爵夫人のアリアを入れてくるとは。
ただ、この曲の彼女の歌唱に関しては、多くの観客は良い印象を持ったみたいですが、私は賛成しません。
この曲を聴くと、ちょっと彼女の歌唱、もっと言うと発声自体にちょっと不安を感じるところがあって、
『アドリアーナ』では隠しおおせていたことを露にしてしまうこのアリアは実に恐ろしいと思います。モーツァルト作品のシンプルゆえに難しい!の面目躍如です。
この曲で私が最も大切と感じる、一つの音の間で音色を均一に保ち、次の音に移行していくこと、これが彼女はあまり出来ていなくて、
歌がとてもグネグネして私には感じるのです。
この曲を聴くと、彼女とミードの間にはまだ大分力に差があるな、と思ってしまいました。
ただ、ジョンソンはグリーンと同じく、観客にアピールする何かを持っている歌手である点は、私も否定しないです。
★ ジョセフ・バロン Joseph Barron (バス・バリトン)
ペンシルベニア州出身。現在カーティス音楽院在学中で、グリンマーグラス、サンタフェ・オペラのスタジオなどに参加経験あり。25歳。
① ベッリーニ『夢遊病の女』より”Vi ravviso... Tu non sai この素敵な土地には見覚えがある”
グリーンの方が観客へのアピール度、存在感は高いのですが、私は歌手としては、佇まいが地味ながら、このバロンの方が好きです。
『夢遊病の女』も数年前にメトでの全幕公演があったので、タイ・アップ系。
深い音ですぐに”おお!”と思わせるグリーンとは違い、良さがじわじわ、、と来るには少し時間をかけて耳を傾けなければならないのですが、
なかなか端正で良い声をしているとも思います。
両曲で伝わって来た彼のパフォーマー&アーティストとしての柔軟性、それから、まだこれから育っていく余地が感じられる点もいいな、と思います。
② グノー『ファウスト』より”Vous qui faites l'endormie 眠ったふりをせずに”
繰り返しの笑い声などにもう少しひねりがあっても良いかなとは思いますが、照れのない突き抜けた演技と、
何より本人が楽しんでこの曲を歌い演じている様子が伝わって来る。この大舞台で度胸のある人だと思います。
彼自身の個性をより強く出せるようになったら、なお良いのですけれど、その点で少しグリーンに押されたかな、と思います。
以上、今年のファイナリストは8人なんですが、私の心の状態のせいか、実際に今年のファイナリスト達の力不足によるものなのか、
多分、両方なんでしょう、正直に言うと、本当に心から楽しんだり、感動したり、ものすごく大きな衝撃を受けたり、といった
エキサイティングな歌唱はこの時点ではゼロで、私は相変わらず不感症状態で座席に座っていました。
審査を待つ間、司会のジョイス・ディドナートからゲスト・アーティストの紹介があり、
舞台に先日までメトの『アルミーダ』に出演していたローレンス・ブラウンリーが登場しました。
彼は2001年のナショナル・カウンシルのグランド・ファイナリストでもあります。
そして彼が歌い始めたのは、ビゼーの『真珠とり』のナディールのロマンス”耳に残る君の歌声 Je crois entendre encore”。
(この映像は今日のナショナル・カウンシルのものではなく、別の機会に歌われた際のものですが、歌っているのは同じブラウンリーです。)
彼の歌を聴いていて、思わず涙が出ました。もうこの先、何も感じることが出来なくなるのではないかと思う位の麻痺感の中にいても、
本当に人の心を動かす力を持った歌手の歌というのは、必ずその心に届いてくるもの、、、。
そここそが、まだナショナル・カウンシルの段階にある歌手たちと、メトの舞台に立ってオーディエンスの心を動かす歌を歌っている歌手の力の違いなんだと思います。
メトのオケの、歌唱を立ててひたすらそっと寄り添っているような演奏も素晴らしかったと思います。
それから、さらに言うと、私の中では去年、一昨年あたりからのブラウンリーへの評価がすごく変わって来ていて、
以前は、連れの後輩の”僕の友達の方がフローレスより上手い”発言にお腹がよじれるかと思う位笑ったものですが、
今は、それはあながちそう奇天烈な発言ではなかったのかもしれない、少なくとも笑って聞く内容のものではなかった、と思うようになっています。
昨年の『アルミーダ』あたりから、ブラウンリーにはものすごい表現力が身に付いて来ていて、
フローレスにない種類のパッションが歌に出てくるようになっていると思います。
テクニック、表現両方で、フローレスの歌はすでにかなり完成されていて、曲線で言うとすでになだらかな線になっているのに対し、
ブラウンリーの方はまだこれからも伸びていく感じがあり、実際、この三年間、成長の跡がはっきりと歌に現れています。
なので、来シーズンはどんな歌を聞かせてくれるのか、、という楽しみもあります。
全幕でなく、リサイタルやガラの形式で一曲単位で曲を聴いて涙が自然に溢れて来た経験というのはこれまでほとんどないのですが、
今日のこの”耳に残る君の歌声”ではつい涙が一粒落ちて、その瞬間、このまる3日間感じたことのなかった強い感情が突然押し寄せて来ました。
オーディエンスには彼がニ曲目に歌った『連隊の娘』の”ああ、友よ、なんと楽しい日!”の連続9回ハイCが大喝采でしたが、
私にとっては今日の彼の『真珠とり』のロマンスほど、心を動かされたものはありません。
結局、グランド・ファイナリストはスライ、リム、グリーン、ジョンソン、バロンの5名。
この選抜のプロセスを見るのは、それはそれで例年通り、とても勉強になるプロセスでしたが、
何よりも今日強く印象に残ったのは、ブラウンリーが見せてくれた本物の歌が持つ力の大きさでした。
Conductor: Patrick Summers
Metropolitan Opera Orchestra
Grand Tier B Odd
OFF
*** National Council Grand Finals ナショナル・カウンシル・グランド・ファイナルズ***