Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LUCIA DI LAMMERMOOR (Sat Mtn, Feb 7, 2009)

2009-02-07 | メトロポリタン・オペラ
注:この公演はライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の収録日の公演です。
ライブ・イン・HDを鑑賞される予定の方は、読みすすめられる際、その点をご了承ください。


29日の公演を”糞”呼ばわりした記事に、読者の皆様においては
ライブ・イン・HDの『ルチア』はどんなことになってしまうのか?と、思われたに違いありません。
何より、私がそう思っていました。

29日の公演は予定されていたシリウスによる放送が2/3に延期になってしまったため、
証拠物件として聴いて頂く音源もなく、最初は、どうせ、Madokakipが誇張してものを言っているのだろう、と、
思われたに違いありません。
しかし、ありがたいことに、当ブログの読者の方からの通報により、
26日(Bキャスト初日)の公演をファンが隠し録りしたと思われる音源が
You Tubeにあがっていることがわかり(URLは、29日の公演のコメントの中にあります。
ちなみに、こちらの記事で書いた、ヴィラゾンが一瞬声を失くした瞬間も
この音源に含まれています。)、
これを聴いてくださった方なら、私の言葉が決して誇張でもなんでもないということが
おわかりいただけると思います。
ネトレプコに関して言うと、26日の出来と29日の出来はほとんど同じか、
もしくは29日の方が若干悪いくらいでしょうか。
オペラハウスでは、無性に腹がたって、頭から湯気を出していた私ですが、
こうして録音したものを聴くと、つい笑ってしまうという、それほどのひどい出来です。

それから5日が経過し、2月3日。
結局、降板したヴィラゾンに代わって、フィリアノーティが代役で立ったこの日の公演。
シリウスで固唾を呑んで聴きましたが、ほんの少しネトレプコの歌が、
それまでよりはましになったような気がしました。
フィリアノーティが入ったことにより、前二回の澱んだ空気とは打ってかわって、
舞台に緊張感が出てきたことも大きいでしょう。
そのシリウスの記事に、その日の演奏から短い抜粋の音源を掲載しましたが、
良くなったとは言っても、やっぱり狂乱の場は問題が多く、ライブ・イン・HDは
恐ろしい出来になるであろう、と、私も覚悟を決めたというものです。

結局、エドガルド役のヴィラゾンはHDの日までに復調ならず、今日2/7の代役はベチャーラ。
今シーズンの『ルチア』のAキャストでダムローを相手に同役を歌っているし、
演出にも精通しているとはいえ、現在はメトで『エフゲニ・オネーギン』のレンスキー役で出演中の身、
しかも、『ルチア』に関しては、Aキャスト以来、何ヶ月も経ってから、
いきなり、それもたった一度だけ歌うのですから、これはこれで大変です。

あのネトレプコの歌だから、どうせミラクルな公演にはならない、と勝手に決め付けていたこともあり、
すっかりリラックス・モードでいたところに、いきなり事件が発生です。
序奏の部分の後、曲調が明るくなって、ノルマンノやらがわらわらと舞台に登場し、
弦の音に続いて、トランペットがぱっぱらぱっぱら、、と入って、、と思ったら、
あれ?音がない!!
トランペット、一フレーズをまるまるシカト!!
ちょっと!どういうこと!?居眠りしてんじゃないでしょうね!!
ほんの小さなことが公演の流れを変えることもあるというのに、
しょっぱなにこんなすかたんなミスを、しかもHDで!
座席で1人、わなわなするMadokakipなのでした。

気をとりなおして。
クウィーチェンは29日の公演では絶好調で、1人で公演をひっぱっていたような雰囲気すら
あったのですが、なぜか3日はややスランプ気味。音程にも不安定さを感じました。
今日の公演では何とかその中間地点くらいまで戻してきてましたが、
まだまだ彼のベストの歌唱ではないように感じます。
今シーズンは、『ラ・ボエーム』のマルチェッロと合わせ、
一番いいときの彼を何度か生で聴く機会に恵まれましたので、なおさらそう感じるのかもしれません。
コンディションのいい時の彼は、あの体格からは想像できないくらい深く、
一音一音が消える瞬間まで神経のこもった歌唱で、
以前にも書きましたが、一方で、熱情に流れて歌い崩さないところも好感が持てるのです。
しかし、『ラ・ボエーム』のマルチェッロでの、体に役が染み付いているような滑らかさに比べると、
この『ルチア』のエンリーコでの彼は、いつもほんの少し役との違和感(声ではなく、
役作りの)を感じる部分があるのですが、なぜでしょう?
オールバックのこの変な髪形がいけないのか、、
紋切り型の、”こわい兄貴”とでも形容したくなるような、
平面的な役作りなのが残念といえば残念です。
マルチェッロの時のように、とっつぁん坊やのような可愛いぐりぐり頭で
仕切りなおしてもいいかもしれません。

ネトレプコ、登場。
狂乱の場に比べると、こちらの一幕は、もともとやや”まし”なのですが、
今日はそれを差し引いても、歌に格段の進歩が見られます。
まず、音の輪郭がはっきりし始めたこと。
思うに、出産前の準備期間で、これくらい歌えるようにはなっていたのかもしれません。
しかし、本人もあっけらかんと明かしているとおり(この発言と、
それに伴う29日の歌唱の結果が私を怒り狂わせたわけですが)、
出産後は11月まで発声練習もしなかったという彼女。
その間に腹筋の使い方の感覚等が完全に失われてしまったように思います。
29日の彼女はどの音符もだらだらだらだら~としていて、正直な話、
どんな音を歌っているのかわからないくらいひどい箇所もたくさんありました。
音程、音の長さ、シェーディングを含む、すべての面で。
今日の歌には、そのあたりの感覚が(100%ではありませんが)戻ってきたことが感じられ、
何を歌っているのかずっとはっきりとこっちに伝わって来ましたし、
またかなりきちんと楽譜をさらってきたようで、音を端よる、勝手に作曲する(=楽譜と違う音で歌う)といった、
目に余る荒技は、なりをひそめていました。
それから、音がどうにもこうにも沈む感じで聴くに耐えなかったこれまでの回に比べると、
音の重心があがって聴こえる音の率が格段に増えました。
彼女は元々やや重めで暗い声質のために、音の重心が下がっていると、
一層誇張されて聴こえる傾向にあるので、
この点は、今後、この役を歌い続けていくならば、
注意していかなければならない点ではないかと思います。

危なっかしい箇所もあるにはあるのですが、今日の彼女には、
何としてでも崩れたくない!という気合を感じます。
今日は、サイドのボックスで、割りとはっきりとキャストの表情を見れる場所から
鑑賞しましたが、
いつもの彼女のきゃぴきゃぴキャラはどこへやら、こんなに必死になっている彼女は
見た事がないほどです。

まだある種のスケール(特に下降するとき)や細かい装飾音でもたもたするのが
一番の克服すべき課題だと思いますが、他に気になったのは、
これは公演の最後まで続いていたのですが、音を細く引き延ばす部分で、音が一瞬消える部分があること。
こよりをねじりながらも切れないように、そっと、ぴんと伸ばす感じで歌ってほしいのですが、
それが、ぷちっ!といってしまう感じとでもいいましょうか。
音の絞り方はせっかく良くなっているのに、音が切れてしまっては
緊張感が途切れて台無しです。

全幕を通し、今日はもともとオプショナルで高音を出すつもりでいた個所は、
全部チャレンジし、一、二箇所やや危なっかしく聴こえたものを除いては、
基本、全て成功させていたのはすごいことです。
約一週間前の初日には狂乱の場の最後で思いっきり音を外し、
以来、トラウマになったと思われ、今日まで最後の高音に挑戦するのを
避けてきたことを思えばなおさら。
その音まで今日は何とか決めてきたのは大した度胸だと思いますし、
他にも一音、がっちりとはまって劇場中に轟いていた高音もありました。
多分、彼女を最もベルカント・レパートリーを歌っている他のソプラノから
差異化できる点は、(もちろんコンディションが良い場合ですが)
この高音の芯の強さ、ボディの太さ、パワーにあると思います。
メト・クラスの巨大な空間で聴いてこれですから、もう少し規模の小さい劇場だと
どんな風に聴こえることか、、、と思わされます。

まだまだ克服すべき点はいろいろありますが、しかし、全体としては、
一週間で、ここまで彼女の歌が良くなるとは驚異で、一幕を終わった時点で、
私はにわかに信じられないくらいの気持ちでいたことを告白いたします。

ベチャーラ。
Aキャストで登場したときに聴いた公演にくらべると、少しトップで
音が磨り減っているように聴こえるようになり始めている部分があるように思えたのが、
気になるといえば気になりましたが、
(ちょっとスケジュールが忙しすぎるんでしょうか?声は大事に!!)
彼の持ち味は、何があっても客を説得させてしまう強引さにあるような気がします。
フレージングなんかは、2/3に代役を務めたフィリアノーティの方が上手いのですが、
ベチャーラの歌唱には”勢い”とでも名づけるしかないようなものがあって、
多少の歌の欠点やミスを乗り越え、客をねじ伏せてしまう力があります。
歌が堂々としている、と言ってもいいかもしれません。
客を味方につけるのが上手い、ともいえますが、
それも歌手には必要な能力ですから、決して悪い意味ではありません。
しっかり入った時の彼の高音域は、”きらん”という言葉で形容したくなるような
独特の太陽のような輝きがあって、それも、一聴したときに観客の耳をひき、熱くさせる点かもしれません。

さすがに、たった一回の、急な代役ということで、ネトレプコとの演技に
少し固い部分があったのは仕方がないかもしれません。
Aキャストでのダムローとのコンビは、いい感じのケミストリーがあったのですが。

その一幕後のインターミッションでお茶をしていると、
アイヴィー・リーグにドイツから留学中という学生の男の子と隣り合わせになりました。
大学のある町から(ちなみに彼の学校はマンハッタンにあるコロンビア大学ではないので、
なかなかの距離を旅して観に来ていることになります。)暇を見つけては
メトに通っているというので、”次の公演は?”と聴くと、
”今日の夜のリゴレット。その次は月曜のオネーギン!”
あほだ、、、、、。
またここに一人、重度のオペラヘッドの標本を採集し、大変嬉しい気持ちになりました。

”今日のネトレプコは一週間前とは雲泥の差だから今日に来て良かったわね。”という話をすると、
”ええ!!これで?”と驚きながら、声の重心が少し低いこと、装飾音が重いこと、などを、
滔々と語る彼。
でもね、一週間前はこんなものじゃなかったんだから、本当に!!!!
しかし、ふと考えてみると、私やこのブログの読者の方は、初日からのドラマを
知るゆえに、感慨深いものがあり、盛り上がっていますが、
それなりのネトレプコの歌への期待を持って今日初めてこの公演を聴きに来た人には、
彼のような感想が多く見られたのかもしれません。

二幕。

今日のネトレプコの演技の話をここで少しすると、誰かに手を入れてもらったのか、
自分で工夫したのかはわかりませんが、オーバーな演技をトーン・ダウン。
また昨シーズンのシーズン・プレミアの
デッセイに触発された(注:その日、ネトレプコは客席で鑑賞していました。)
というか、はっきり言ってデッセイからちょろまかしたことが明らかな演技を
あれこれ29日は披露していたのに比べ、
それがすっかり整理、再考、取捨されていて、やっと、演技の面でも、
デッセイの呪縛から解き放たれた、彼女らしいルチアが形作られる最初の段階が
見え始めたかな、という気がします。
もうちょっと早くに準備をすすめていてくれたら、、と思わずにはいられません。

この二幕で段々ルチアの気がふれはじめたことを表現するため、
こめかみをがんがん握り拳で叩きながら、その場でくるくる回り始める、というのは、
29日の公演から彼女がやっていたことですが、そのまわる速さをかなり落としたことで、
芝居のフォーカスがずっと定まったように思いました。

ただし、エンリーコとの場面はもう少し工夫がいるかもしれません。
このシーンでは、少しルチアがどういう人間なのか、ということがぼけるような気がします。
デッセイは、実に気の優しそうな女性として演じていたのに対し、
ネトレプコはもう少し気の強い、現代的な女性風に演じていて、
そのこと自体は悪いことだとは思わないのですが、まわりの場面との整合性に少し欠けているように思います。

なぜ気の強そうな彼女が、兄のいいなりになって結婚するのか、とか、
エドガルドに何の事情も打ち明けようとしないで、人生のなすがままになるのか、とか。
そういったことも演技の中に出てくるといいのですが、それがないので、
ただ思いつきなキャラクター付けに見えてしまいます。

29日のヴィラゾンが声の調子さえよけれが、、と思わされるほどの熱演だった、
エドガルド、結婚式を滅茶苦茶にす!の場面は、
意外とベチャーラが大人しかったのが残念。
ここでエドガルドが燃えることで、それを受けてルチアが出すあの最後の高音が
一層光る、というものなのに。
そういえば、ネトレプコの高音がシャローに入って危なっかしかったのは、ここでした。


三幕。

ベチャーラの歌唱は明らかに三幕をターゲットとしている感じがあり、
嵐の場面あたりからエンジンがかかっていったように思います。
(彼は後日2/12に聴いた『リゴレット』でも、後に向かって登り竜してました。)

ふれるのが遅くなりましたが、地味ながらいい味を出しているのはアブドラザコフのライモンド。
パヴァロッティ追悼のヴェルディの『レクイエム』の時は、
すごく地味だと思ったのですが、つくづく役に合った持ち味というものがあるもので、
ライモンド役には今の彼くらいの地味さが合ってます。
(来シーズンは大きい役もメトでもらうようなので、段々と貫禄がついてくるのでしょうか?)
昨シーズンのレリエーは一声聴くと彼!とわかる声で、ちょっと、本人の持ち味や力の方が
役を凌駕してしまっていたように思うのですが、アブドラザコフはまさにぴったり。
付け髭や鬘も似合っていて、見た目もすごくライモンドしています。
レリエーのばりっ!とした声と対称的に、彼はまろやかな声が持ち味。
優しいライモンド、です。



狂乱の場。
問題は一幕で書いたこととほぼ同じなので、もう繰り返しません。
(今日はだいぶ持ち直していたとはいえ、この狂乱の場での下降のスケールを聴くと、
最後の音がおろそかになっているのがとてもよくわかります。
これが、”音をはしょっている”という印象につながるのです。)
下品な音延ばしも、検討すべきでしょう。
なぜそこで伸ばすのか!と、いつもつっこみたくなる一瞬です。
しかし、重ねて、崩壊寸前、というか、完全崩壊していた一週間前の
ネトレプコの歌から、これほどに持ち直すとは、誰が想像できたでしょう?

演技も、29日に比べるとだいぶよくなったと思います。
デッセイと違って、歌いながら手が止まってしまうヴェール裂きは、思い切ってあきらめて正解。
ゆっくりと裂くやり方に変えていましたが、これでいいんですよ!
また、完全にあっちの世界にいった状態で、くるくるその場で歩き回る演技付けもカット。
いい決断だと思います。
なぜなら、ネトレプコは似た動きを、ニ幕でしてしまっているので、
ここでまたそれを繰り返すと、実にしつこい感じがしてしまいます。

ただ、ナイフを手に、錯綜してエンリーコに切りかかっていくときの様子は、
まるで映画『サイコ』のようで、笑ってしまいました。
ぐさ!ぐさ!って感じで、、。
同じ動きを、同じリズムで何度も素早くやるから『サイコ』になってしまうんであって、
もう少し、動きを”はずし”て切りかかり、間に余裕を持たせれば、
印象的な場面になったかもしれないのに、残念です。

最後の高音は本人にも一瞬迷いが出たように感じましたが、
”今日は調子いいもの、行くわ!”という感じでトライしてました。
少しピッチが甘く入ったうえ(音が下がり気味)、
迷ったせいでブレスが浅くなったか、響きがシャローかつ絶叫調で、
そのために音がやや短めになってしまいましたが、
26日の完全にターゲットを逸した高音に比べたら、ずっとまともです。



ネトレプコへの拍手も多かったですが、それ以上の拍手をさらったのは、
この後を歌ったベチャーラでした。
墓場の場面からラストまで、ヴィラゾンが半音下げを希望し、
2/3に代役に入ったフィリアノーティも、
十分歌える力があると思われるのに連投(翌日に『リゴレット』のマントヴァ公を歌った)
の疲れを配慮してか、同じく半音下げで歌ったので、
今日のベチャーラがラン最後の正直!のオリジナル。
”やがてこの世に別れを告げよう Fra poco a me ricovero"での熱唱は
観客の喝采をかっさらっていました。
すでに書いたように、彼の歌は少しフォームやフレージングが乱れるところがあるのですが、
それがもともとそうあるべきであったかのような印象すら強引に与えてしまう点に、
彼の特殊さと強みがあるように思えます。

最後の舞台挨拶でも、観客が支持していたのはネトレプコよりもベチャーラ。
観客の、”今日の舞台はどうなってしまうのか、、?”という不安要素を、
見事に明るい方へ引っくり返したことへの喝采もあったと思いますが、
とにかく少なくともメトでは現在最も観客に愛されている若手~中堅テノールの一人のように感じます。

私もびっくり仰天の結末を見たこの公演。
やはり、オペラの公演というのは、実際に観る、聴くまでわからないものでした。

Anna Netrebko (Lucia)
Piotr Beczala replacing Rolando Villazon (Edgardo)
Mariusz Kwiecien (Lord Enrico Ashton)
Ildar Abdrazakov (Raimondo)
Colin Lee (Arturo)
Michaela Martens (Alisa)
Michael Myers (Normanno)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Mary Zimmerman
Set Design: Daniel Ostling
Costume Design: Mara Blumenfeld
Lighting Design: T. J. Gerckens
Choreography: Daniel Pelzig
Grand Tier Side Box Odd Front
ON

***ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor***

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32 コメント

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一件落着 (シャンティ)
2009-02-08 15:40:18
ネトレプコ 成長物語を楽しみにしています。

>最後の墓場の場面も、半音下げなしの、オリジナル

当然ですよね。アマチュア合唱をしている友人に訊いたら、半音下げなどよくあることなので、オケも合唱もすぐに対応できるそうです。3日が半音下げだったのは、他のシーンがすばらしい歌唱なだけに残念ですが、15分間歌いっぱなしだから 仕方なかったのかもしれません。

代役問題については、もしヴィラゾンが急性の風邪かなにかだったら、初めの2回をメトの代役でカバーし、残りを本人が歌うようにすればなんとかなったかと思います。最初のボタンを掛け間違えましたね。
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ネト子ちゃん、ど根性? (babyfairy)
2009-02-08 19:06:54
遂にネト子ちゃんも本気出して頑張ったんですね。この分ならウィーン迄にはましになっているでしょうか(サザーランド並にとは言いません。せめてマチャイゼ並にはしょらず頑張って欲しいだけです)。少しはマシになったなら、ウィーン迄観に行きたい(フィリアノーティがエドガルドだから)気もします。。。

ペチャーラも素晴らしかったらしいですね。エンリーコと彼のエドガルドと、ポーランド男2人、どんな感じだったのか気になります。そう言えばジルダ歌っているクルツァックもポーランド人だし、ネト子ちゃん、リゴレット役も東欧勢強いですね。
返信する
HDで観てきました (brunnhilde)
2009-02-08 19:40:12
madokakipさん、最終回をMETで観れてうらやましい限りです。
私はHDで観ました。確かにこれまでで一番良かったと思います。カメラを通して観ると、なかなか迫真の演技でした。ベチャーラも良かったですね。
インターミッションのバックステージでは、デセイがネトレブコに2回もインタビューしてました。1幕目の終わりには子供が生まれた事に触れ、3幕目が始まる直前にはmad sceneについて聞いてました。何となくデセイはネトレブコに、「歌が難しい」と言わせたかったような気もしましたが、ネトレブコは、演出上色んな事があって大変、といった返答で、特にmad sceneの歌自体が難しいとは言わず、結構おとなしく優等生回答でした。
今回は、一つの演目を短いスパンで何回も観たせいか、この4回の公演自体にドラマを感じましたね。(エドガルドは3人もいたし)
ヴィラゾンの不調・降板にはかなり落胆しましたが、ネトレブコが最後に魅せてくれたので、本当にホっとしました。
返信する
終わりよければ・・・? (tama)
2009-02-09 23:41:19
ラジオで聴きました。ネトレプコは気合が入っていましたね!今まで出さなかった、最後の高音も必死に出していたし。ベチャーラは初めて聴きましたが、輝かしい声で「ひと耳惚れ」しました

brunnhildeさんのおっしゃるとおり、幕間にはデッセイがインタビューしていました。ネトレプコは緊張していたのか、ボソボソと答えていたのですが、ベチャーラは調子が良くて気を良くしたのか、「エフゲニー・オネーギンもルチアも、言語が違うだけで演じるキャラは同じだからOKさ!」と舌も滑らかに話していたのが印象的でした。

HDは観に行ったことがないのですが、このインタビューもライブ映像で流れるのですか?最近の歌手は大変ですね。

ヴィラゾンはゆっくり休養して、次回は万全の体調で「愛の妙薬」を歌ってくれることを祈っています。
返信する
シーズン最後のルチア (Madokakip)
2009-02-10 02:20:25
頂いた順です。

 シャンティさん、

はい!前日のルクヴルールをあげましたので、
いよいよ次です。お待ちくださいね。

>半音下げなどよくあることなので、オケも合唱もすぐに対応できるそうです

うーん、対応という言葉がどのレベルの話をしているのかにもよりますが、
私はやはりシャンティさんがもともとおっしゃっていた通り、
オケや合唱にとっては大変なことだと思います。

確かにすぐに違った調に合わせて間違いなく
歌うことくらいは”すぐに対応”できるでしょう。
カラオケのキー・チェンジ・ボタンを押せば、
大概の人がすぐにそれに合わせてキーを変えて歌えるのと同じです。
プロの方(もしくはアマでも)なら、オケだって、
正確に音符を追うというレベルではすぐに対応もできるでしょう。
でも、このブログではカラオケ・レベルの歌や演奏の話をしているのではないので、、。

主要歌劇場なら、いえ、本来なら、
アマ、プロ関係なくそうあるべきだと思いますが、
キーの変更にともなって、次のような難しさがあります。

1)特にオケのメンバーは、自分のパートを、
通常演奏されることの多いキーでひたすら練習し続けています。
それが公演前に告知されて半音変わるということは、
楽器によって難しさの程度の相違こそあれ、
ずっと練習し続けてきた指のポジションなどが変わってしまうことでもあり、
それに適応しながら音楽的な演奏をすることは、
自分のパートを”どのように音楽的に”演奏するかということを気遣って練習している奏者にとっては、余計に気をまわさなければいけないファクターになってしまいます。
頻繁にシリウスやHDのマイクが入っている状況では、
なんとなく全体的に対応して演奏するだけではなく、
ノー・ミスかつ音楽的に演奏することが期待され、
中にはその半音下げの部分の中に、ソロ・パートを抱える奏者もいるのですから、
簡単とはとてもいえないと思います。

2)そして、こちらがもっと大変だと思うのですが、
キーがかわると、音の持つカラーが変わります。
ということは、演奏にこめようとしていた感情の表現が、
これで完全に影響を受けることになってしまいます。
そのカラーの変化を、どうやって今まで奏者が違うキーに基づいて練習し、まとめあげてきたものから発展させ、
うまくまとめて行くか、というのは至難の技です。
すぐれた演奏家というのは、なんとなく半音さげて演奏したり歌うだけでなく、
きちんとそのあたりに自覚があるのだということを、
今回のルチアの、フィリアノーティの歌唱や、
オケのチェロ奏者の方の演奏から私は感じました。
両者とも、明らかに、この半音下がった中で、
いかに自分らしい感情表現をするか、ということに意識的でした。
(チェロに関しては演奏のアプローチが全然違っていたのが印象的でした。)

歌手の歌唱に関してフレージングがどうの、
声のカラーがどうの、
そしてそれによる感情表現を細かく求めているレベルの聴衆が、
(特にこういうレパートリーではなおさら)、
オケや合唱に関してそれを求めない、というのは
おかしい話ですよね。
少なくともメトはオケや合唱のメンバーも、
半音下げに伴う音楽的なインパクトを計算して演奏してくれている(少なくとも努力してくれている)ようですので、ありがたいことです。

>最初のボタンを掛け間違えましたね

ですね。最初に無理をしてしまったのがいけなかったと思います。
ヴィラゾンはこれで精神的なダメージにならなければいいのですが、、。

 babyfairyさん、

もう、いつもの彼女のきゃぴきゃぴキャラはどこへやら、
真剣そのものでした。
もしかすると、出産前の練習で、今日のレベルまでには
達していたのかもしれないですが、
全然練習をしなかったことにより、腹筋の使い方などの感覚が29日までには
きちんと蘇ってきてなかったのではないかな、と思います。
今日最大の変化は、それがきちんと出来ているために、
音符の輪郭がはっきりしたことでした。
また、きちんと楽譜も勉強してきた後がありました。
音符はかなりきちんと追えるようになってきていましたし、
ある種のスケールやヴァリエーションで、もたもたしたり、
音が重くなる意外は、かなり問題を克服していたと思います。
また、音の重心が上がって聴こえる音符の率がかなりあがりました。

もし、彼女がきちんとこの調子で練習を続けるなら、
ウィーン、聴きにいかれてもいいかもしれないですね。
フィリアノーティの歌をbabyfairyさんがどう感じられるかも、
とっても楽しみです。

べチャーラ、頑張ってましたよー。
やはり、同時にオネーギンを歌っていることもあり、
少し疲れがあるのか、声が少し痩せて聴こえる場面が数箇所ありましたが、
もうこれだけ歌ってくれれば私は満足です。

そうだ、クウィーチェンもポーランドなんでしたね。
クウィーチェンって、すっごく普段陽気で、
ラテンの人かと勘違いしてしまいます。
最後のカーテン・コールでは、観客のベチャーラへの大喝采に、
すでに舞台に上がっていたクウィーチェンが、
”やったな!”と指を立てて讃える場面もありましたが、
同郷だったので余計かもしれないですね。

 brunnhildeさん、

この回がはじめて、という人は、
ふーん、こんなものか、、くらいな感想かもしれないですが、
私達は、あの26日や29日の演奏を知っているので、
余計、ドラマを感じましたよね。
私は正直、ここまで持ち直すとは思っていませんでした。
私もインターミッション中は大急ぎでベルモント・ルームに向かい、
バックステージのインタビューを見たんですが、
(でも、観客にお年寄りが多いので、
列が動くのが遅く、ほとんど頭は見逃すはめに、、。)
ネトレプコは、いつものきゃぴきゃぴキャラがなりをひそめ、
かなり神妙でしたよね。
すごく緊張していたのか、表情がすごく硬かったです。
インタビューは最後にしてあげてもよかったのにな、と思いますね。

演技も、『サイコ』ばりにナイフを振り上げるところなんか、
笑ってしまいましたが、
少しずつですが、デッセイの呪縛を逃れ、
彼女独自の演技が出始めていたので、
つくづく、なぜもっと早く準備をすすめてくれなかったかなー、と思います。

しかし、彼女が今持てる全ては出していたように感じました。
それとベチャーラの熱唱により、非常にエキサイティングな公演になっていたのは間違いないです。
返信する
シーズン最後のルチア 2 (Madokakip)
2009-02-10 03:55:28
 tamaさん、

ベチャーラはプレッシャーなんか関係ない!という感じで、
のびのび歌ってましたね。
観客からの歓声に、舞台でも本当に嬉しそうでした。
あの一週間前の、”一体どうなってしまうのだろう、、”という
どんよりした雰囲気とは百八十度の転換となった舞台でした。

>このインタビューもライブ映像で流れるのですか

そうなんですよ。これがライブ・イン・HDのある意味で
特典となっています。
(劇場にいると全部は見れませんので、、。
休憩中に、劇場の中で映像を流してくれるモニターが
いくつかあるのですが、ものすごい速さで
座席を後にしないと、見れません。)
確かに歌手にとっては負担だと思いますね。
特に、こういう演目、しかも、狂乱の場が
最後にあるので、歌手にしたら
インタビューなんか受けてられないわ!という気分かもしれません。
でも、歌手の人柄がしのばれるので、
見てるほうには楽しい企画ではありますが。

ヴィラゾンに関しては、体の方が不調になることは、
人間なら誰しもあると思うのですが、
今回はいきさつがいきさつだっただけに、
メンタルな部分でもちょっとショックだったんじゃないかな、と思いますね。
早く気持ちを切り替えてくれることを願っています。

『愛の妙薬』は個人的には彼の個性にもっとも合った演目だと思っているので、
楽しみにしているんです!
返信する
今聴いてます (babyfairy)
2009-02-10 05:22:37
遅ればせながら、ポーランド人の友人から録音ファイルをもらって、今頃聴いている所です。ちょうど今、第二幕、エンリコとルチアの二重唱です。

私、クウィーチェンは結構注目しているんです。時々高音のコントロールが甘いかなと思う事もあるけれど、ロブストな良い声していると思います。

で、肝心のネト子ちゃん、驚く程上達しましたね!たった1週間でこれは素晴らしい成長振りです。まだ例の狂乱の場を聴いてないので判断を下すのは早過ぎるかもしれませんが、おっしゃる通り、声の輪郭と、重心に大きな変化が見られますね。第一幕、第二幕は合格です。

いわゆるコロラトゥーラ・ソプラノの歌ばかりでなく、ちょっと昔のゲンチェルとか、モンセラ・カバレ、リッチャレッリ辺りのも聴き比べたので、ルチアも色んな歌い方がある事が判ったので、ネト子ちゃんはネト子ちゃんなりの歌い方をすれば良いのではと思います(一生懸命やっていると言う前提条件付きですが)。

ペチャーラに関してはフィリアノーティとカウフマンの中間くらいの声?って感じがします。ペチャーラとフィリアノーティだったら、私はやっぱりフィリアノーティの声の方が好きです。ただフィリアノーティの場合は3日の調子で『ヴェリズモ炸裂』の少ない、端正なベルカント流で御願いしたいです。その点、ペチャーラの方がきちんとしているかもしれませんね。
返信する
いかがでしたか? (Madokakip)
2009-02-10 14:18:57
 babyfairyさん、

もう全幕聴きおわられましたでしょうか?
いかがでしたか?ネトレプコ嬢の狂乱の場。

>私、クウィーチェンは結構注目しているんです

同じくです。
私は、彼とルチーチの二人がバリトンではいいな、と思っています。
レパートリーがこの二人は違っているので、
ディドナートとガランチャの時のようにジレンマを感じなくて済むのも楽でいいです(笑)。

特にクウィーチェンは、ここ一、二年の成長が著しいように思います。
おっしゃるとおり、少し歌唱が不安定になる時があるのですが、
それを克服して頑張ってほしいですね。
彼に関しては、7日の公演より、29日の方が
断然良かったんですよ。
ということで、まだまだ伸びシロがある人だと思うので、
楽しみです。

そうですね、ベチャーラとフィリアノーティは
全然持ち味が違うように感じます。
ベチャーラは結構歌が熱血なように私には思えるんですよ。
彼のモーツァルトとか聴かずに、エドガルドとか、
ガラで聴いたフランスものやヴェルディから入っているからかも知れません。
彼も段々ヴェルディとかに役柄を移行していくなら、
少し歌い方に気をつけないと、喉をやられそうな感じがあると私は思っていて、
この『ルチア』でも少しその兆候があるのが気になるといえば気になりました。
大事にしてほしいですね。せっかくエキサイティングな歌を歌える人ですから。

逆にスタイル感は断然フィリアノーティが勝っています。
ディクションの美しさとかは、他の歌手にはなかなか一朝一夕には真似ができないものがありますね。
あせらず、ゆっくりと調子を取り戻していってほしいです。
今のところは順調に復調しているように思えるので、、。
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全部聴きました (babyfairy)
2009-02-10 19:01:16
まず、一番気になるエドガルド、やっぱり私はフィリアノーティの方が声も美しいし、歌唱様式にも洗練(フレージング・ラインの作り方、ディクション等)と細部への気配りを感じます。お金を出して観に行きたい(チケット代+飛行機代+ホテル代)のはやっぱりフィリアノーティかな・・・と思います。

おっしゃる通り、ベチャーラはもう少し洗練されているのかと想像していましたが、『熱血』系ですね。それと声は野太くなりつつあるというか、もう既に、ヴェルディのマンリーコでも大丈夫そう・・・というか、一言で言えばかなりロブストに聴こえます。私の好きなタイプのテノールの声ではありませんでした。

しかし、そうした自分の趣味は度外視すれば、立派な歌唱だったのではないかと思います。

それでネト子ちゃん、本当に本当に、よくぞここまで成長してくれましたね(感涙)。もちろん、職人芸的レベルにはほど遠いとは言え、初日や3日の歌唱と比較したら、『狂乱の場』も飛躍的に上達していると思いました。やっぱり伊達に人気がある訳じゃないんですね。ベルカント正統主義者に言わせれば文句タラタラなのかもしれませんが、この調子で練習を重ねて行ってくれれば、ウィーンではかなりまともなルチアを聴かせてくれるかも・・・と期待が膨らみます。

公演全体としても、ようやく大劇場メトらしい公演になったようで、良かったですね。その要因は確かに、ネト子ちゃんも自覚する所があって猛勉強した事、クウィーチェン等、サポーティング・キャストの健闘、アルミリアートの指揮とオケ等もあるけれども、私はこの公演の転機を作ったのはフィリアノーティの功績(それをべチャーラが引き継いで発展させた)だったと思っています。
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Unknown (Madokakip)
2009-02-11 11:07:02
babyfairyさん、

>本当に本当に、よくぞここまで成長してくれましたね(感涙)

ですよね。私は我が耳を疑いましたから。
これは幻聴なんじゃないか、と、、。
あの崩壊系の歌唱を聞きたくないがために、
私の心がしくんだ技に違いない!と。

最初がひどかったというのもありますが、
一週間でこんなに良くなるというのは、
ほとんど奇跡的だと思いました。

おっしゃるとおり、フィリアノーティが代役に入ったことが
起爆剤の一つになったとは思います。
私はヴィラゾン個人は悪いテノールだとは思いませんが、
この二人が頻繁にコンビを組むのは、もうやめた方がいい、
と強く感じています。
というのは、この二人はもう信頼関係という範囲を越えて、
なあなあの域に入ってしまっているような気がするんですよね。
お互いのために、違うソプラノ、テノールと組んで、
切磋琢磨したほうが、ずっと実りが多いような気がします。
その後でたまに共演した方がいい結果になるのではないか、と。

ベチャーラは、歌い方は熱血なんですが、
声の方は、以前に比べて重くなっているとはいえ、
本来、何をどれだけ頻繁に歌ってもOK!というほど強健な声ではないように思うんですよね。
すでに微かにですが、秋に比べると、
高音域で音が浅くなったり、疲れた響きになっている時があったので、
合わないレパートリーでのオーバーワークにだけは気をつけて慎重にキャリアをすすめてほしいです。

フィリアノーティは、そう、
フレージングが綺麗なんですよね。
彼の歌を聴くと、リボンが風になびく感じを思い出します。
技術のないテノールが歌うと、かくかくしてぎこちなく感じる旋律も、
彼が歌うと、滑らかなんですよね。
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