Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE FIRST EMPEROR (Tues, Dec 26, 2006)

2006-12-26 | メトロポリタン・オペラ
映画Crouching Tiger Hidden Dragon (邦題: グリーン・デスティニー よく考えてみると、変な邦題!)の音楽監督、Tan Dun (タン・デゥン)が作曲したオペラ、ファースト・エンペラーが、メトでワールド・プレミアを迎えました。
今日は先週の初日に続く二回目の演奏。
初日をラジオで聴いた印象は、長い、印象的なメロディがない、など、
音楽の面からのネガティブなものでしたが、
でも、もしかすると、舞台上ではいろいろとドラマチックなことが起こっているかもしれない、
舞台を見れば、よい感想に変わるかもしれない、
いや、変わるといいな、と思って向かったリンカーン・センター。

残念ながら、インターミッションで、正直、そのまま帰ろうかと思いました。

まずひどいのが、ストーリーそのものと台本。
あまりにひどすぎて、むしろ、家で、歌詞をわからずに、ラジオで聴いていたほうがまだよかったくらい。

ドミンゴ演ずる始皇帝は、自らの国の伝統的な音楽を嫌い、
新しく自分をたたえる国家を作曲させるべく、
ガオ・ジャンリという、優れた音楽家である、幼馴染を探しだすことに。
この音楽家は、当時、始皇帝が治めていた領地の外に住んでおり、
始皇帝は、自らの軍の将軍に、音楽家の住む土地を占領し、彼を捕らえるよう命令し、
それとひきかえに、ユエヤン姫との結婚を許すことを約束します。



約束どおり、音楽家を捕らえた将軍。
幼馴染に久しぶりに会って感極まる始皇帝ですが、
自らの土地や人々を失った音楽家は彼を許すことができません。
始皇帝の、国歌を作れという命に抵抗する音楽家。
いっぽう奴隷の身であるにもかかわらず、始皇帝に特別扱いされる音楽家を、
興味の目で見つめる姫。
抵抗がこうじて餓死を選ぶべく、与えられた食事に手をつけなくなった音楽家を見て、
姫は、始皇帝に、音楽家の説得に向かう役を与えてもらえるよう願い出ます。
許可され、音楽家の前に現れた姫。
あらゆる言葉による説得に失敗した姫は
口移しで食事を与えることにします。
これが功(?)を奏して、姫の思う壺、音楽家は姫と恋に落ちます。
音楽家が姫と一夜を過ごした後、
あら、不思議!びっこだったはずの姫が歩けるように!
ところがこれらすべてが、始皇帝の知るところに。。
怒る始皇帝、しかし、国歌ができあがるまでは、と我慢することにします。
姫とラブラブの音楽家は、一応、死ぬことはあきらめ、普通に暮らすようになります。
そんな生活の中、奴隷が労働しながら歌う歌に心をうたれる音楽家。。
さて、始皇帝は、将軍に娘を与える約束をした手前、この状態はまずいと感じています。
そこで、姫に音楽家をあきらめるよう話しますが、姫に、”じゃ、私は死ぬわよ!”と自殺をほのめかされ、びびりまくり。
そこで、作戦を変え、音楽家にアプローチ。
”一時的に”姫をあきらめてくれるようお願いします。
というのも、彼は、将軍がいずれ近いうちに戦争で命を失うと考えており、
そうなれば、姫は、音楽家に引き取らせる、というのです。



しぶしぶこの案を受け入れ、国歌を作曲することも引き受ける音楽家。
いよいよ始皇帝の戴冠式の日。
玉座に上る巨大な階段をのぼる途中、
姫の亡霊があらわれ、(一時的にせよ)将軍と結婚させられるのがいやだったので、自殺をしました、と告げます。
悲しみにくれつつも、上り続ける始皇帝。
次は、将軍の亡霊が現れ、音楽家に毒を盛られました、と訴え、
さらに、音楽家の復讐に注意されよ、と警告を与えます。
突然、姫を失った悲しみに耐えられなくなった音楽家は、
舌を噛み切り、始皇帝に唾を吐きかけます。
ついに玉座に上った始皇帝の耳に、音楽家の作曲した国歌が聞こえてきます。
それは、例の奴隷による歌でした。
始皇帝は、これこそが、音楽家による究極の復讐であったと驚愕します。



っていう話なんですね。。。
こんなハチャメチャなお話が気にならない向き、もしくはそれを面白がれる寛大な心の持ち主には、私からこれ以上申しあげることは何もないのですが。。
まず、ご都合主義な設定が多すぎるのが気になります、それも大事なところで。。

たとえば、始皇帝が、”一時的に”姫をあきらめるよう音楽家を説得するシーン、
そうすると、音楽家が現れるまでは、まもなく死ぬだろう、と考えていた将軍に、
本気で娘を嫁入りさせようと思っていたのでしょうか?
しかも、こんなずるっこいやり方、始皇帝ともあろうお方のすることか?とか。。

あと、これらのストーリー上のご都合主義もさることながら、せりふが変な箇所がたくさん。。。

たとえば、音楽家の態度に激昂し、
”殺しちまえ!!”と絶叫する始皇帝。
いざ家来が剣を構えると、”ちょっと、待て!”
”彼には国歌を作ってもらわなきゃいかんのを忘れておった”

。。。始皇帝ってほんとわすれっぽすぎ。
こんなくだらないせりふのいちいちに、ついていけません。

このような意味のない歌詞のせいで、ほんと作品が長大に。
インターミッションは一回だけで、8時に始まって、11時半近くまで続きました。拷問だー。

さて、このように、ストーリー兼リブレットが論外の最悪さの中、
他の部分に目を向けると。

まず音楽。いろいろな中国の楽器を使ったり、リズム、演奏法ともに、
結構凝った作りになっているのですが、
既存作品(もちろん他の作曲家による)寄せ集め的な部分がちらほら。
春の祭典っぽいとこ、トゥーランドットっぽいとこ etc。
あと、Tan Dunはメロディー・メーカーではないように思えました。
作品を通じて、音があまりに無機質で、一フレーズですら、耳に残るような
メロディがなかった。
それから、これは、彼がリブレットを手がけたこととも関係があるのでしょうが、
あまりにも、舞台上で行われている動きや演技に頼りすぎで、
音楽そのものに、物語を語らせることができていないこと。
ヴェルディや、プッチーニ、ワーグナーらのすぐれた音楽家のすごいところは、
音だけ聴いていても、ドラマや登場人物の心の動きが見えるところ、
プッチーニなんて、情景すら見えるっていうのに。
って、彼らとTan Dunを比べるのは酷だけれども。
やはり、映画の音楽とかをやるほうが、この方には向いてるのかもしれません。
オペラは映画音楽とは違いますから。。どちらが優れている、ということではなく。

こんな最悪な台本の中、張芸謀(チャン・イーモウ ”初恋のきた道”、”紅夢”などの映画監督)の演出は健闘していました。ただ、少し、階段や、鐘のセットなどが、巨大で、メトの舞台をしてですら、きちきちな印象を受けました。
もう少し、大きい舞台でできていたら、もっとご本人の意図した感じが伝わったのかもしれません。

あと、衣装のワダエミさん(黒澤監督の”乱”でアカデミー賞をとられました)。すばらしかった。
デザイン画を雑誌で拝見しましたが、それ自体がもうアートワーク。
中国の方が見たら、私が蝶々夫人の衣装を見たときに感じた違和感等、あるのかもしれませんが、
もうエスニシティを超えた部分で、美しい衣装でした。
特にドミンゴの衣装、かっこよかった!

歌手に関しては、もうこれはドミンゴの一人相撲というか。。。
彼の芸術のレベルの高さだけが際立っていた感じ。
高音があまりなかったのもあって、他の役柄で指摘されるようになっている声の衰えもほとんど気になりませんでした。
とにかく、ドミンゴが出てきて一声発すると、空気が変わるというか、
その存在感のすごさ。今まで見たドミンゴの中で一番気合を感じました。



このオペラ、ドミンゴがいなかったら、どんなことになっていたか。。。
とにかく、彼に感謝、感謝!!

フトラルは、もともと、まったく、私、好きじゃないのですが、
まあ、この役の場合、役の気持ち悪さも手伝って(もう、音楽家を
口説き落とすところとか、ほんと、気持ち悪い!!



こういうのが中国の男性、好きなんですかね?それとも、Tan Dunの趣味?)、
頭痛ものでした。
まあ、この役の場合、ちょっとお気の毒だったかもしれません。

インターミッションの後も居残ることにした理由はただひとつ。
こんなオペラ、もう二度と再演されることがないかもしれない。
そうすると、歴史上、たった数回演奏された作品を見たことになる。
その歴史的意義は大きいかも。
変な作品の上演にたちあってこそ、真のオペラファン!
そんな気持ちだけでした。

オーケストラ、合唱は、ともになれない音楽であるにもかかわらず
(結構中国っぽい旋律もあり)健闘していました。
特に合唱は、ここ最近ちょっと荒い(特に女声)歌唱が多くて
耳障りなときがあったのですが、
この日はいい意味でパワーがあって、大変よかったと思います。

そうそう、あと、もう一点、このオペラの難点は、
歌詞が英語なこと。
日本語もたいがい歌にのりにくい言語ですが、
英語って本当にオペラにのりにくい。
ロックとかには乗りやすいのに。
中国語とかの方がよかったかもなー、と思いました。
(歌手の方のストレスは大変なものになりますが。)
しかし、よーく考えると、ラジオ放送のときには、英語だって気づかなかった!

ところで、隣の座席にすわったのが、
他都市からNYに遊びにきたアメリカ人の家族の方。
初めてのオペラ鑑賞体験がこの日だったとか。。。
ご愁傷さま、本当に。。。
でも、私もリゴレット、最悪の演出が、初めての生オペラ体験でしたから、
ぜひくじけず、またメトに帰ってきていただきたい!
”変な作品上演にたちあってこそ、真のオペラファン”のスピリットで!!!


Placido Domingo (Emperor Qin)
Paul Groves (Gao Jianli, a musician)
Elizabeth Futral (Princess Yueyang)
Michele DeYoung (Shaman)
Hao Jiang Tian (General Wang)
Wu Hsing-Kuo (Yin-Yang Master)
Conductor: Tan Dun
Production: Zhang Yimou
Costume Designer: Emi Wada
Grand Tier C Odd
ON
***ドゥン 始皇帝 Dun The First Emperor***

DON CARLO (Sat Mtn, Dec 23, 2006)

2006-12-23 | メトロポリタン・オペラ
今日はドン・カルロの最後の公演、かつラジオ放送の日。
それもSirius(衛星放送)ではなく、Toll Brothers(昔はTexacoだった
スポンサーが昨シーズンから、Toll Brothersに変わったのです。)
による全国FMネット放送の日。
しかも、傾向として、土曜日のマチネは比較的観客ののりがよいので、
今日は私の新法則によれば、よい演奏になるはず。。。

少し話が脱線しますが、そういえば、先週末のマチネのリゴレット、
ラジオで聴いたのですが、火を噴いてましたねー!!
本当にマイナーなかすり傷を除けば、ライブと思えないすばらしさ。
録音したのをiPodに落として通勤中に聴いていますが、ため息が出ます。
去年調子がよくなくて、いまいちだと思ったリゴレット役のカルロス・アルバレスが熱演していて、
すでに先日書いたとおり、若手の二人(CallajaとSiurina)がこれまたすばらしく。。唯一悔やまれるは、このマチネを実際にオペラハウスで聞かなかったこと。
くーっ!!私の馬鹿、馬鹿、馬鹿!!!

さて、気を取り直して、今日のドン・カルロ。
12/4のレビューにもあるとおり、前回聞きにいったときは、温度が低めだったので、
今日の公演にかなり期待して、オペラハウスに向いました。

で、まず、結論から言うと。。

すばらしかった!!
ほんとうに。今思い出すだけでも、胸が熱くなります




演出などについては軽く前回お話したので、今日は歌と演奏を中心に。

まず、前回ふれるのを失念してしまったのですが、
最初のほうの霊廟のシーンと一番最後のシーンのほんの少ししか出番がないが重要な、当オペラ中最もミステリアスな役=修道士兼先帝(実体不明。亡霊か?”この世の悩みは修道院の中でも同じ。ただ天上においてのみ平安を得ることができるのだ。”のフレーズを歌う人。)を歌ったAndrew Gangestadというバスが印象的でした。こんな少しのフレーズにもかかわらず、記憶に残るとは、すごい。韓国生まれらしく、見た目はすっかりアジア人。まだ若手のようなので、これから期待がかかります。

エリザベッタのRacetteは、むしろ前回見た公演の方が調子がよかったように思われましたが、
彼女のすぐれたところは、調子がいまいちでも、そのレベルが高いところに維持されるところ、さすがです。
比較的うるさ方が揃うStanding Roomというメトのオペラギルド付けのウェブサイトでも、
彼女の歌唱、というよりかはむしろ声質について、評価が若干分かれているようで、声質的にエリザベッタは合っていないと感じている人もいるようですが、
私はそうは思いません。
ただ、道化師、ボエーム、そしてこのドン・カルロと続けて歌唱を聞く機会があって感じたのは、
彼女の声は、声がなじむ前と後で、だいぶ違って聞こえること。
前にも触れましたが、なじむ前は、かなり金属的でかたい声質です。
ところが、そこを過ぎると、突然、ものすごく柔軟で温かい声にかわります。
なので、人によって、どちらの印象が強いかで、全然違った評価や感想を持たれているのではないかと思います。
実はムゼッタみたいな役や、道化師のネッダは、彼女の本領が出る前に終わってしまうことが多く、適役ではない気がします。
とにかくスタミナのある人で、噂によると、蝶々夫人を歌ったときも絶賛されたとか。聞いてみたいー!!!
今日も、特に最後のアリアから最後にかけては、最高の歌唱を聞けました。
また身のこなしがきれいで、この方は、舞台上の方が実際より断然きれいに見えます。(ほめてんだか、けなしてんだか。。。)



あの、道化師のときのあばずれっぽいネッダから、王室の人間に大変身、
ちょっとした所作に上品さが溢れていました。

ドン・カルロはぴんで歌うアリアっぽいアリアもなく、意外と難しい役ですが、
そつなく(っていっても、ものすごく高いレベルのそつのなさ、です。)Bohtaがこなしていました。
とにかく、この人は声量がすごいです。



彼はやはり、ワーグナーの作品向きであって、ヴェルディ・テノールではない、
という評価も見られましたが、
私には、しょぼいドン・カルロ役でこのオペラを見てかなり辛かった、という苦い過去の経験があるだけに、
細かいことよりも、とにかくパワフルに歌ってもらえただけで感謝。

ロドリーゴ役のHvorostovsky、人気がありますが、
正直、何がそんなにすごいのか、今ひとつ私にはまだよくわかりません。
なので、ファンの方にどういうところがすきなのか、教えていただきたい。
声量もこのスター・キャストに混じると、本当にか細いし、
キャラクターにリアリティを与えるという面でも、まだまだだと思いました。
ただし、今日の方が、4日の公演よりはよかった。
特にドン・カルロを獄中に訪れるあたりから、
観客から大歓声をもらって本人も嬉しかったか、だいぶ”のって”もらえましたが。
おだてに弱いタイプかもしれません。

エボリを歌ったボロディナは、今日のヴェールの歌、満点でしたねー。



びっくりです。というのも、4日は全然違う出来だったので。。
というか、今日は声量まで違って聞こえました。
調子の良し悪しでかなり差が出ます。
ただ、そんなに調子がよかったのにもかかわらず、やっぱりやってしまった”呪われた美貌”。
どうしても最後のフレーズがうまくはまっていないのが、
本当にフラストレーション、たまります。
しかも、キーも下げて歌っていた模様。
もとのキーでも絶対歌えると思うのですが、やはり、ご本人的には、調子が悪かった(またはそんな思い込みがあった)のかもしれません。
でも、彼女が今日、比較的に調子が良かったおかげで、舞台がしまりました。
大事ですね、エボリ役。

そして、フィリッポのルネ・パペ。
役のイメージとしては、以前に聞いたギャウロフの方が合っていて、
やっぱりルネ・パペは少し若い感じはするけれども、
歌については現在でもその完成度は尋常でなく、
これで年齢を重ねていくとどんなことになるのか。。
素晴らしい歌手です。



今までにご本人が選んだ歌った役で私が聞いたものは、どれもはずしがないのがすごい。
普通、この役は合ってるけど、あれはいまいち。。。というのがありがちなのですが。
そして、調子が良いとか、悪いとか、がない。
いつも調子がよい、というかそのように聞こえる。これは本当に驚くべきことです。

そして、宗教裁判長のレイミー。
彼に関しては、断然4日の公演の方がよかったです。
ただ4日とも共通していたのは、低音でやや音が汚なかったこと。
感情をこめるとしても、汚くなるのはいただけない。
この役も本当に大変です。出番はそんなに長くないけれど、
そのなかで、目もみえなくなった、よぼよぼじいさんでありつつ、王よりもある意味、強大な権力を持つ、その迫力も出さなければいけないですから。。
4日のレイミーはいい意味で、背中に寒気が走る怖さがありましたが、
その迫力が今日は少し欠けてました。残念!

最初に今日は演奏を中心に、なんていいましたが、
演出に関してどうしても気になったこと=演技の付け方が変!
1)エリザベッタがロドリーゴと二人きりで会話しているところをフィリッポに見咎められ、おつきの役として、そばにいるはずだった、エリザベッタがフランス王室から連れて来た伯爵夫人がクビになるシーン。この女性が、まずものすごい大根でびっくり!どうにかしてください!
そして、その下手さをさらに引き出すかのように、エリザベッタが”泣かないで友よ”を歌う間、ひざまずいて泣き崩れていた夫人、最初の部分が終わると、おもむろに立ち上がるので、立ち去るのかと思いきや、繰り返しのところで、またしてもひざまずいて、同じポーズ。。。変です、これ!!!立ち上がったのには何の意味が???!!!まあ、この方が演技力があればそうおかしくもないシーンなのかも知れませんが、まるで、壊れた電動人形が立ち上がったり、座ったりを繰り返してる感じでとっても変でした。
2)ロドリーゴが死ぬシーン。石でできたベンチに崩れ落ちて死ぬのだが、体勢がとっても変!大事なシーンなんだから、もっと優美なポーズがあるでしょうに。。

今日のレヴァインの指揮は、かなりテンポが遅めだったようですが、
(ラジオ放送も、30分の余分を見ていたにもかかわらず、最後のカーテンコール、時間が足りなくて、途中でカットされたそうです。)
ちゃんとドラマに寄り添った遅さなので、聞いていて心地よかった。
むしろ、心地よい中でふと、あ、そういえば、ゆっくりめなテンポかも、と思うくらいで、決して、その遅さがダルな演奏になっていないところがよかったです。
歌唱&演奏の全体でいうと、ラジオ放送で聴いて感銘を受けた初日よりも更によかったかもしれません。
本当に、至福の一日。こういう演奏があるから、オペきちをやめられません。


Johan Botha (Don Carlo)
Patricia Racette (Elisabeth of Valois)
Dmitri Hvorostovsky (Rodrigo)
Rene Pape (Philip II)
Olga Borodina (Princess Eboli)
Samuel Ramey (the Grand Inquisitor)
Conductor: James Levine
Production: John Dexter
Grand Tier D odd
ON
***ヴェルディ ドン・カルロ Verdi Don Carlo***

THE NUTCRACKER -NYCB (Fri, Dec 15, 2006)

2006-12-15 | バレエ
ニューヨークシティバレエのくるみ割り人形を初めて見に行きました。
同じ舞台芸術とはいえ、雰囲気がオペラとはまったく違います。
まず、客層。バレエは子供が多い!(特にくるみ割り人形がそうなのかもしれませんが)
そして、音楽が始まっても、ダンサーが踊り始めても、しゃべる。
まねしてくるくる座席そばで踊りまくる。。
大人はあたたかくそれを見守る。
誰も、”しーっ!”とか言って叱るような無粋な真似はしません。
メトでは、すぐ叱られます、ちなみに。
そして、かくいう私もどちらかというと叱るほうの部類です。

長いヴァイオリンのソロも、誰も拍手しないし、
ああ、オケの人たち、報われなくってかわいそう。。

さて、オペラでも、どんなにすぐれた歌手が束となっても
素晴らしい演奏を約束するわけではないのと同様に、
バレエもどんなに個々のダンサーが素晴らしくても
全体としては、いまいち熱さに欠けることがあるのですね。

特に、このくるみ割り人形はバランシンの振り付けで、
初演から50年以上上演されているもの。
歴史があるのはいいことですが、なんとなく、マンネリ化したゆるいムードが
漂っているのもまた事実。
歴史をとるか、エキサイトメントをとるか(まあ、失敗する可能性もあるわけですが)
バレエ団にとっては難しい選択なのでしょう。

しかし、バレエの世界もきびしい!
NYCBは一般的に、背の比較的高いすらっとしたダンサーが多いようなのですが、
(これは、バレリーナが背が低いと思い込んでいた私には驚きでした)
どんなにテクニックにすぐれていても、体型が少し重厚感があるだけで、
本当に印象が違います。実力以前に、体型で淘汰される世界!厳しすぎ。。。

しかも、この公演のあとで、たまたま日本の新国立劇場のバレエ団に関するテレビを見てなおびっくり!
日本人、ずんぐりしてる。。。
(もちろん、日本人の中では抜群にスタイルのいい方たちのグループなのに!)
ということで、NYCBのダンサーたちのスタイルのよさに今更ながら感心したのでした。

ソリストたちの中では、さいごの二人が抜群にすばらしく、
観客も大喜び!
何気ない、それでいた洗練されつくした動きのそれぞれの裏には、
ものすごい努力があるのだと思うと本当に感謝の念が起こります。

さて、昔の昔、テレビで、どこのバレエ団だったかは忘れてしまったのですが、
海外のバレエ団によるくるみ割り人形の公演を見たとき、
確か、すべては子供の夢の中の話だった、というようなおちになっていたように記憶しているのですが、
NYCBの演出では、子供がそりに乗って空に飛んでいってしまいました。
このそりの部分も含め、少し子供を喜ばすことにおもねりすぎて、
大人の鑑賞に若干耐えなくなくっている部分も散見されました。

バレエ好きの知り合いの方が、バレエを見るならくるみ割り人形以外の方がいいよ、
と言ってましたが、今、納得。
Sleeping Beauty(眠れる森の美女)が新年からかかるようなので、
そちらも見に行こうかと思います。


New York City Ballet
New York State Theater
FR left C
***くるみ割り人形 The Nutcracker***

LA BOHEME (Tues, Dec 5, 2006)

2006-12-05 | メトロポリタン・オペラ
一日だけのスペシャルゲストでネトレプコがミミを歌う今日のラ・ボエーム。
今シーズン、蝶々夫人に続くメトのホット・チケットとなりました。
(で、第三のホット・チケットはファースト・エンペラーですが、
こちらは今月26日に観に行く予定なので、そこで感想を書きたいと思います。)



ネトレプコに関しては、一昨年のメトでのボエームのムゼッタと、
清教徒や椿姫のアリアなどがおさめられたCDで大注目
(CDで聴ける清教徒のアリアに関してはこの大のカラス党の私がカラスよりも好きかも知れないくらい。追記:12/27/06のラジオ放送の清教徒では、彼女はいまいちでした、残念ながら。声に軽さがなく、トリルも重く。。CDのイメージとかなり違っていて、残念!!)、
それが昨年シーズンのドン・パスクワーレで確信に変わりました。
現役の歌手の中で、もっとも素晴らしい(今でもすでにものすごい実力ですが、
まだこれからもよくなりそうに思えるところがすごい!)歌手の一人だと思うし、
ネトレプコ・ファンを自称してはばからないこの私。
それだからこそ、彼女にはぜひ人気におぼれることなく、真のアーティストとしての道を歩んでいただきたい!
実力がある人にはその義務があると思うのです。

この日のミミ、彼女への評判もよく(若い頃のフレーニを思わせる、という感想も
多かったようです)、観客も大歓声でしたが、
私はまったく違った感想を持ちました。

彼女の実力を持ってすれば、ミミの役を技術的な意味で、”歌える”ことくらい驚きでも何でもありません。
でも、問題は、役を表現するために、どのように”歌う”かでしょう。

この日のボエームは、”ヴィラゾンとネトレプコ”ショーといった趣き。
(ゲオルギューとアラーニャのコンサートを見に行くという過ちを犯したことも
過去にありましたっけ。なんか、思い出してしまいました。)
でも、正直に言って、私が見たいのは、ヴィラゾン+ネトレプコ、ではなく、
ロドルフォ+ミミなのです。

まずミミは、何度もオペラの中で示唆されているように決して美人ではありません。
ロドルフォが、きれいだ、とか何とかいいますが、
これは西洋人によくありがちな、(ボクにとっては)きれいだよ、という意味で、
ムゼッタには断然器量で負けてしまっているのです。

この、少しいじけた感じを抜きにしてミミを表現することはできないでしょう。
きれいで自信があれば、”愛してるけどわかれましょう”みたいなねじれたことを
言ったりしないのです。オペラ内で、ムゼッタがいつもそうあるように、
美人は自信いっぱい、いつも正攻法なのです。

なのに、ネトレプコのミミ、自信ありすぎ。。
しかも、ヴィラゾンのロドルフォと始終べたべた。
ミミの性格からするとありえません。

思うに、この日、ネトレプコは自分を捨てきれていなかったのです。
私が歌手に求めることはただひとつ。
”いつも全身全霊で、役の表現に努める。”
声楽上のテクニックも、演技力もこの目的に奉仕するためのひとつの手段にすぎない、
というのが私の考えです。
私がマリア・カラスを信奉するのは、彼女がこの一点においては、
常に一歩も譲らなかったからです。

そして、これを怠るということは、私をもっとも腹立たせる行為。
手抜き以外の何者でもありません。
そして、この手抜きを今日、私は主役の二人に感じました。
声や演技云々を議論する前の問題でしょう。

ゲオルギュー化する前に、ぜひ目を覚ましていただきたい。

ドミンゴの指揮が、今日はじめてブーイングされました。
指揮がよくない、というのは前回も、会場でちらほら耳にしましたが、
どうやらこの日はネトレプコファンによる
彼女の歌のよさを、指揮が台無しにしているぞ、という意思表示だったらしいです。


Rolando Villazon (Rodolfo)
Anna Netrebko (Mimi)
Anna Samuil (Musetta)
Peter Coleman-Wright (Marcello)
John Relyea (Colline)
Patrick Carfizzi (Schaunard)
Conductor: Placido Domingo
Production: Franco Zeffirelli
Family Circle A Odd
OFF
***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***

DON CARLO (Mon, Dec 4, 2006)

2006-12-04 | メトロポリタン・オペラ
Sirius(衛星ラジオ)で聴いた、先週のプレミアの公演があまりにすばらしく、
期待が高まっていたこのドン・カルロの公演!
現在、これ以上のキャストで聞くのは難しいのではないかと思われるほどのスター・キャスト。
メトの強さ&よさのひとつ、”金の力に物をいわせてスター歌手をとりそろえる”
の最たる例でしょう。
しかし、これまでにも何度かふれたとおり、一筋縄でいかないのがオペラ。
同じキャスト、同じ指揮者、同じオケにコーラスでも結果が違う。
それがオペラの公演を見に行く楽しみでもあり、怖さでもあるのですが。。。
さて、今日の悪条件その1は観客。
今日の観客はほんと”のせ下手”。まじで、本当にいやになるくらいののせ下手でした。
要は、歌手も人間、観客がのせてくれれば、がんばろう!と思うもの。
しかし、今日の観客は冷めてました。ろくすっぽ拍手すらしない人も。
許せないですね、この態度。
悪条件その2。スケジュール。先月の木曜にプレミア、土曜は他演目のマチネと夜の二公演、そして月曜にまたドン・カルロ。
今日、思ったのですが、このドン・カルロ、本当に観客として見てるだけでも疲れます。最初のインターミッションにたどり着くまでにおよそ2時間ぶっ通し。全幕終了したのは12時過ぎ。これでは、キャストもオケもくたくたでしょう。
悪条件その3。今日はラジオの生放送がなかった。Siriusが週3日から4日のペースでで生放送をするようになって、放送のない日が、若干息抜きの日になっているように感じられます。新法則=公演を見に行く日はラジオ放送のある日にすべし。

と、このようなわけで、プレミアの日より、かなりテンションが低い。
そんな中、すばらしかったのはまずRacetteのエリザベッタ。
この方のユニークなところは、役によって声の質まで違って聞こえるところ。
正直言うと、道化師やムゼッタを見て、やや硬めの声質のように感じていたので、
エリザベッタはどうなのかなあ?と疑問に思っていたのですが、
なぜあの声がこんなにエリザベッタにはまるのか?
というよりも、こんなまろやかなやさしい声だっけ?と不思議に感じられるくらい。
優しい中にノーブルな雰囲気まで醸し出しているところがすばらしい!!
これでこそ、自己犠牲の精神で、愛する国民のためにドン・カルロへの思慕を
断ち切るエリザベッタのキャラクターにもリアリティが出るというもの!
ソプラノの力量によっては、退屈、もしくは最悪の場合、拷問にも感じられる
”世の虚しさを知る神よ”の感動的なこと!
彼女をエリザベッタに配したメトの判断力、感嘆いたしました。

そして、ルネ・パペ。この方のすごいのは、毎回裏切らない歌唱力。
この人が調子の悪かったのを見たことがない。すごい人です。
これはこの公演の演出家にも責任がありますが、厳しくいえば、
少し演技の面の役作りで浅さが見られた感がなきにしもあらず。
しかし、これだけの歌唱力だとそれでもお釣りが来るくらいですが。

彼とレイミーとの一騎打ち、宗教裁判長とのシーンは今日のハイライトでした。
ああ、やっぱりこのシーンは、宗教裁判長がうまいと迫力ありますねー。
今日はほんとお腹いっぱいになるくらいで大満足。



期待はずれはHvorostovsky。ものすごく人気があるようですが、
ロドリーゴ役に関しては、まだ役が練れておらず、歌唱的にも自信なげなところがちらほら。

エボリはザジックで聴いてみたかった。
ボロディナの”呪わしき美貌よ”も体温が低い。
特にラストのフレージングに問題があると思います。

しかし、Hvorostovskyやボロディナが、キャスト上の弱点に感じられるとは、なんという贅沢!

演出は非常にオーソドックス。
ただし、書割、絵画的に過ぎるところがあるというか、
生きた人間のドラマというよりは、額にかかった絵のようなイメージ。
直立不動で歌うシーンが多く、
無意味に歌手を動かすのも問題がありますが、じっとしてる場面の多さが観客の
目から気にかかる、というのもかなり問題です。

23日の最後の公演も見に行く予定なので、リベンジに期待!

Johan Botha (Don Carlo)
Patricia Racette (Elisabeth of Valois)
Dmitri Hvorostovsky (Rodrigo)
Rene Pape (Philip II)
Olga Borodina (Princess Eboli)
Samuel Ramey (the Grand Inquisitor)
Conductor: James Levine
Production: John Dexter
Grand Tier A even
ON
***ヴェルディ ドン・カルロ Verdi Don Carlo***

LA BOHEME (Fri, Dec 1, 2006)

2006-12-04 | メトロポリタン・オペラ
主演の二人に関しては、11月18日の公演とほとんど同じ感想。
それぞれはよい歌手なのに、ケミストリーに欠けるというか、
全然恋人同士に思えない。
Anna Samuilのムゼッタはなかなか興味深かったです。
(ムゼッタの役は、一聴しただけで歌手の力量を判断するのが難しいですが。。)
一昨年前に登場したネトレプコのアプローチに似てました。
他の役柄で一度聞いてみたいです。


Rolando Villazon (Rodolfo)
Angela Marambio (Mimi)
Anna Samuil (Musetta)
Peter Coleman-Wright (Marcello)
John Relyea (Colline)
Aaron St. Clair Nicholson (Schaunard)
Conductor: Placido Domingo
Production: Franco Zeffirelli
Grand Tier Box 35 Back
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***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***