Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

八月納涼大歌舞伎~お国と五平・怪談乳房榎 (Tues, Aug 18, 2009) 後編

2009-08-18 | 歌舞伎
中編から続く>

 二幕目第四場 高田南蔵院本堂の場

(あらすじ:いよいよ重信が龍に目を入れるだけとなった天井絵のために集まった人々。
そこへ、正助が転がるようにあらわれ、重信が殺されたと言う。
しかし、誰もまじめに取り合わない。重信は今、方丈で住職と話をしているのだから、と。
正助は重信がすでに霊となって現れた、とおののく。
やがて住職とともに皆の前に姿を現わした重信は、
龍の目を入れ、笑いを浮かべたかと思うと、煙と共に消えてしまう。)

この芝居の中で、ドラマ的にはハイライトの一つであるオカルト・シーン。
ここでは、二幕一場で見せた善人かつ優れた絵師と敬われる人間としての重信からシフトして、
この世のものでない雰囲気をかもし出しつつ、心に浪江らへの復讐心を抱き、
また復讐の成功を確信しているような不気味な雰囲気を漂わせなければなりません。
それを龍の目を入れる場面を使って表現したのはこの作品の上手いところ。

小さい役なのだけれど、住職の雲海を演じた坂東彌十郎が、
登場した瞬間からすでに重信の霊にひっぱられて、
あちらの世界に片足を踏み入れているようなまなざしと雰囲気で好演していました。
彌十郎は本当に大柄で立派な体格なので、
この雲海などは必ずしも大きくある必要はない役かもしれませんが、
他の、ある種の役では舞台で非常に映える人なのではないかと思います。

意外だったのは勘三郎のこの場面の割とあっさりした演じ方で、
もっと無念さを出すかと思ったのですが、そうでもなかった点です。




 三幕目 菱川重信宅の場

(あらすじ:重信が殺された日から百か日。浪江はある種の魅力があるので、
地紙折の竹六もすっかり騙され、お関に、”もう浪江さんんと再婚しちゃえば?”などと言い出す始末。
実は、重信を殺したのが浪江であるとは夢にも思わぬお関は、表向き彼女を支えてくれている浪江に、
菱川の家を継がないか、ともちかけていた。
しかし、赤ん坊の真与太郎にすべてを見透かされている気がする浪江は決心がつかないでいる。
そこで、次は正助に真与太郎を処分するよう言い、
お関の前で真与太郎を里子に出してはどうかと持ちかけた。
里子に出すふりをして正助に真与太郎を家から連れ出し殺害させる算段である。
浪江に逆らえない正助は真与太郎を抱いて出発する。
浪江が一人残ると、三次があらわれ、これを買い取ってもらいたい、と、
重信の殺害現場に浪江が落とした印籠を持ってあらわれた。また、たかり。ちんぴら魂大全開。
浪江は三次を殺そうとするが二人の力は拮抗し、勝負がつかない。
ここで三次を殺すのは難しいと判断した浪江は、
滝に向かった正助と真与太郎を殺害するのも条件で、金を出す。)

中編で福助のお関は上品で、粋で、云々、、ということを書きましたが、
非常に表現も細やかで、この場面では特にそれが光っていたと思います。
というのも、お関が舞台に登場するのは浪江と関係を持ったことが示唆される二幕一場以来なのですが、
この三幕になって、浪江と共に現れた途端、もうすっかり浪江に心を許しているらしいお関の様子が伝わってくるのです。
関係が出来た男女の間特有の慣れあった空気といいますか、、。
そこで、どうやらあの一回だけではなく、この二人はもうはっきり”出来ている”と呼んでもいいレベルに
至っているらしいことが、一瞬にして伝わってくるのです。
なので、竹六の言葉が出てくるときも、”え?そんな事態になっているの?”ではなく、
”ああ、そうなこったろうなあ。”と観客が納得してしまえる。
重信が亡くなったばかりというのに、先の幕より艶っぽくなったお関を見ると、
げに女性は恐ろしい、、と思えてきます。

その一方で浪江を演じている橋之助。こちらもやっぱりとても良い。
色悪というものの、どこか、そうはお関にのめり込んでいなさそうな、
冷淡で自分勝手な様が実に格好よいです。
ただ、さらに後から良く考えてみると、印籠を落とすというどじを踏んでみたり、
実は戦ってみると三次とそれほど腕の覚えに差がなかったりして、
なんだ、それ?ちょっと格好悪くない?とがっくりさせられる浪江なんですが、
そこを舞台が走っている間は深く考えさせず、
格好よさで押し切ってしまうところが橋之助の同役の良さでもあるわけです。

また、この場は、『マクベス』の、自分の起こした悪事が引き起こす、
無意識レベルの罪の意識によって、だんだんと精神の均衡を失いはじめるストーリー・ラインに似ています。
そこの変化をはっきりつけるのも一つの方法かもしれませんが、
私は今回の橋之助のような、最初から浮世と少し離れた世界で生きていそうな、
それゆえに、お関に手をかけても金を盗んでも何事も真の満足に結びつかないような感じのこの役作りが結構好きです。

さっきまで殺し合いをしていた人間(浪江)に、
”じゃ、これまでのことはなかったことにして。この金あげるから、俺のために殺人をしてきて”と言われても(三次が)、
普通、誰がするか!ってなことになりそうですが、ワルの世界には独自のルールがあるのか、
そこは歌舞伎だからか、軽く流していく。面白いな、と思いました。
この二人の闘いのシーンも、二人の身につけている着物の色のコンビネーションの美しさ、
そして動きの美しさもあって(またもヘッズの叫びどころ!)、見所のひとつです。

 大詰 角筈十二社大滝の場

(あらすじ:真与太郎を連れて滝までやって来た正助。
真与太郎を助けたい心はやまやまだが、子連れでは働けないし、今助けてもいつか浪江に見つかって殺されるだろう。
ならば、むしろ、何もわからない赤ん坊のうちに自分の手で、、と滝壺に真与太郎を放り込むと、
真与太郎を抱いた重信の霊が現れる。)

幕が変わった途端、滝のセットから起こる、どーっ!というすごい水の音。
この個所が話題になっているとは聞いていましたが、こんなに大掛かりなセットだとは。
というか、一階正面の最前列のお客さんには水しぶきがとんでました。
現代は色々なテクノロジーがありますのでともかく、昔はこの部分、どうやって演出していたんでしょう、、?



最後はとにかく話の筋よりも何よりも三次、正助、重信の間の、
もう、まさに、めくるめくとしか形容のしようがない、早替りが最大の見せ場なので、
実際、各登場人物が最後にはどうなってしまったのか、私の記憶にないくらいです、、。

特に三次と正助が滝の中、殺そう、または殺されてたまるか、と、
くんずほぐれつになりながら、もちろん、早替りで死闘を繰り広げる場面は圧巻です(上の写真)。

今回、重信、三次、正助というスタンダードな三役に加えて、
最後に円朝がエピローグのようなものを語って幕、となるため、
”勘三郎四役早替りにて相勤め申し候”となっているのですが、
この四役目を一緒に数えるのはちょっと苦しいところもあるかもしれません。
落語家の衣裳で出て来るのですから、ああ、これは円朝なんだな、ということが
私もすぐわからなければいけなかったのですが、
当ブログのコメント欄でご指摘を頂くまで、ずっと、勘三郎本人として喋っているのかと思っていました。
歌舞伎座の一時的なクローズを受けて、”今日いらっしゃるお年を召したお客様の中には、
新しい歌舞伎座をご覧になれない方もいらっしゃったりして、、”などという、
定番の冗談が入っていたものですから。

しかし、それにしても、この作品は本当に面白い!
というか、今まで歌舞伎を一度も見た事がない人でも大興奮すること間違いなし。
こういう作品をこそ、NYに持ってきてほしいなあ。
セットや早替りのような部分ではなくて、
芝居や舞といった、歌舞伎のコアな部分でNYの観客を感心させたい、という気持ちもわからないのではないですが、
まずは歌舞伎が面白い!ということを、
まだ歌舞伎になじみのない人間に知ってもらうことこそ、最も大事ではないでしょうか?
それにはうってつけの演目だと思いますし、早替りだって、歌舞伎が育んできた技の一つとして評価されるはずです。
先にも書いた通り、勘三郎が、”体が動くうちに上演しておかねば”なんて言っているくらいなので、
もう、次回のNY公演にでも早速!!!
本来、歌舞伎を上演するための場所ではないホールで、
歌舞伎座と全く同じ長さの花道を作るのも、
また、早替りのための、移動用の舞台裏スペースを確保する事も頭痛のタネでしょうが、
絶対大熱狂をもって迎えられると思いますし、何より、私自身がもう一度観たいのです!!


歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎

『お国と五平』
谷崎潤一郎 作
福田逸   演出
坂東三津五郎 (池田友之丞)
中村勘太郎 (若党五平)
中村扇雀 (お国)

『怪談乳房榎』
三遊亭円朝 口演
實川 延若  指導
中村勘三郎(菱川重信・下男正助・蟒三次・円朝の四役)
中村橋之助 (磯貝浪江)
中村福助 (重信妻お関)

8月18日 第三部
歌舞伎座 1階西桟敷1

*** 歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎 お国と五平 怪談乳房榎 ***

八月納涼大歌舞伎~お国と五平・怪談乳房榎 (Tues, Aug 18, 2009) 中編

2009-08-18 | 歌舞伎
前編より続く>

幕間に歌舞伎座内の客席エリア以外の部分を探検することにしました。
歌舞伎座の面白いのは、客席エリアと、売店や食事どころなどのある客席外エリアの比率。
後者がすごく大きくて、特に売店ロビーの賑わいはびっくりしました。
メトのギフト・ショップなんて目じゃない盛況ぶりで、売られているアイテムにもびっくり。
歌舞伎の有名なキャラたちに扮したキティちゃんの携帯ストラップ!また何とマニアックな、、(笑)。


(左から雪姫、藤娘、静御前、揚巻、後ろで黒い傘を持って夢中で舞っているのは鷺娘。)

ブリュンヒルデに扮してワルキューレ用鉄兜をかぶったキティちゃん、
アイーダばりに黒塗りになったキティちゃん、
背中に貧乏アパートをしょっているロドルフォ型キティちゃん(ボタンを押すとハイCで鳴く)、
またまた黒塗りで、アイーダとどこが違うんだ!とつい買い手が怒ってしまいそうなオテロ・キティなど、
オペラでも応用が十分効きそうなアイディアではあるのですが、
メトのギフト・ショップでキティちゃんの携帯ストラップ、、、、ちと無理っぽい。

役者さんの舞台写真、これは定番ですが、ふと考えると、昔、メトのギフト・ショップには
現役の歌手のサイン入り写真がたくさん売られていたのに、最近すっかり見なくなったのはなぜなんだろう、、?

さらには、手ぬぐい、のれん、文房具など、
ありとあらゆるところに歌舞伎の登場人物やら隈取といった意匠が印刷された商品で溢れかえっています。
そしてその隙間にお菓子を売るコーナーまで、、。
世界のオペラハウスをはしごしても絶対にお目にかかれなさそうな、
この駅ビルのような雑多ぶり、この何でもあり!の節操のなさが、
貪欲に色々なものを吸収して発展していった歌舞伎というアートフォームとシンクロしていて微笑ましい。
実にはちゃめちゃです。

客席外で圧倒され尽くし、座席に戻ると、いよいよ、後半の演目『怪談乳房榎』の開演です。
前編でも書きましたが、今日の鑑賞は、もちろん作品とお芝居そのものも大いに楽しませて頂いたのですが、
さらに、歌舞伎の世界では当たり前だけれども、他の芸術形態では全然当たり前じゃない、
いろいろな伝統習慣とか上演時の知恵、舞台周りの工夫などで感心させられることが多々ありました。

私は西桟敷、つまり舞台下手側に座っていたせいで、定式幕の開閉の様子がはっきりと見えたのですが、
幕の舞台下手側の端に人が居て、走りながら手で挽いて開けるというのがびっくり仰天でした。
今はそこそこの大きさの劇場なら電動で開閉する緞帳がほとんどですが、
このレトロな感じというのはなんともいえない味があります。
しかも、走り方一つにも美学があるというか、少し前のめりになりながら、
足裏が見えるくらい蹴って走るんですね。
今では上演が始まりますよ、という合図でしかない、幕を開けるという行為ですら、
芝居の一部になっているというのが美しいと思います。

プログラムによると、この『怪談乳房榎』という作品は、明治に創作された三遊亭円朝の落語がベースになっていて、
同じ明治のうちにほぼ原作どおりに歌舞伎化されているのですが、
大正三年に、後の二世實川延若が原作にはなかった三次の役を創作して付け足し、
その三次も含めた、この作品の最大の見所であるといってもよい
早替りのアイディアを盛りこんで現在の上演に至っています。
延若は上方の役者なので、江戸が舞台でありながら、どこかこってりとした芝居であるのが特徴なのだとか。

序幕 隅田堤の場

(あらすじ:赤ん坊の真与太郎と女中を連れて花見をしていた、
江戸で最近評判の絵師菱川重信(早替りの役①)のお関を絡む酔っ払いから救い出した浪人磯貝浪江。
お関が何者かを知った浪江は、重信の弟子になれるようお関に口添えを頼む。
菱川家で下男として働く正助(早替りの役②)がやがてあらわれ、
お関の窮地を助けてくれた浪江にお礼を言い、忙しく立ち去る。
一人残された浪江が何かをたくらむかのようにほくそえむ様子を陰からのぞいた男がいた。
小悪党、蟒(うわばみ)三次(早替りの役③)である。)

序幕では重信のことは語りの中でふれられるだけで、まだ実際には舞台上に登場しません。
つまり、中村勘三郎が初めて舞台に現れるのは正助の役の姿でなのですが、これが実に有効だと思いました。
この作品で最も魅力的な役はこの正助で(ある意味、彼が一番の主役と言ってもよいくらい)、
また、勘三郎の持ち味とも非常に相性が良い。
詳しいことは作品の中では語られませんが、どうやら正助は農民でありながら、
重信の優しい心遣いで下男として菱川家で働かせてもらっているという背景があるようです。
心はやさしいのだけれど、かなりおっちょこちょいのあわてんぼうで、
学がないゆえ、頭が少し緩めの(しかしそれ故に後にとんでもない事態に巻き込まれる)憎めないこの役で、
登場した瞬間から勘三郎が観客の心を捕らえたのがはっきりとわかる、素晴らしい掴みです。

しかし、何と言っても格好良かったのは中村橋之助演じる浪江。
この役は役得もあるかもしれません。いわゆる色悪に類する役で、悪人だけど格好いい。
ワルはワルでも悪の美学がある役です。
オペラで言うと『トスカ』のスカルピアに近いか?
『オテロ』のイヤーゴも悪の美学しているワルですが、
イヤーゴはなぜかあまり色の部分を感じさせないので。
NYに帰って来てから母と電話でこの日の公演のことを話していたら、
”橋之助は三田寛子のだんなやなあ。”と言われて仰天。確かにそうではないですか!
いやー、三田寛子のだんなの橋之助はさわやかな人のような印象がありましたが、この日の橋之助は別の橋之助?
最初に登場する場面で、花道を客席の後方側から歩いてくるのですが、
そのやさぐれた視線で桟敷席を射すくめる眼力は、迫力ありました。
それはもう10年以上も前になるからかもしれませんが、テレビで見た記憶では、
橋之助という人はすごく痩せていて頭も小さく、小柄な人のようなイメージがあったのですが、
なぜか、舞台に立つと大きく(縦にも横にも)見えるし、
頭がこんなにでかかったかな、、と思いました。いや、褒め言葉で。
歌舞伎の舞台は着物をつけているせいだと思うのですが、
頭の小さな西洋人体型より、やや頭部の大きい体型の方の人の方が見栄えがするように思います。
一箇所だけ残念だったのは、浪江がまんまと菱川家に入り込む手ががかりができて、
皆が去った後にほくそえむ場面。
あまりにいっしっし、、と言う感じに過ぎたと思います。
あの登場場面であれだけ眼力で勝負できるのですから、もっと抑えた方が却って迫力が出たと思います。

浪江ほどの大悪でなく、ゆすりたかりで小さく頻繁に稼ぐちんぴら野郎が蟒三次ですが、
ちんぴらながら、明らかに正助のような農民とは暮らしが違うわけで、
プチ小粋(しかし、もちろん浪江ほどには格好よくない。)な感じをうまく勘三郎が出していたと思います。

かように、軽くADDを患っているような落ち着きのないすっとぼけた正助、
ほんの少し涼やかな部分を残した小ずるいちんぴら野郎三次、
そして、重厚な雰囲気の重信と、このキャラの違う三役を早替りさせるところに、
この演目の妙があるのですが、
そのキャラの違いを観客の脳にサブリミナルで植え付ける良く出来た序幕です。

 ニ幕目第一場 柳島菱川重信宅の場

(あらすじ:あれから二ヶ月。浪江はまんまと菱川家に入り込んだ。
南蔵院本堂の天井絵の依頼を受けていた重信は龍を用いた構図を考えつく。
寺からの、出来るだけ早く完成させて欲しい、という依頼に、
愛する妻お関と生まれたばかりで可愛くてしょうがない真与太郎を残し、夜道を寺に向かう重信。
真与太郎に添い寝するお関の寝間に脅しと泣き落としで紛れ込んだのは浪江で、
途中で正助に邪魔をされそうになりながらも、目的を果たす。)

『お国と五平』でお国を演じた中村扇雀は、やや内股でかわいこぶりっこな感じで、
これはちょっと歌舞伎に馴染みの薄い女であるところの私からすると、
あまりに古風な女すぎて(中身はそうでもないくせに!)
”そんな女いないだろう、、”と、若干ひいてしまったのですが、
中村福助のお関は、もちろん役のキャラクターのせいもあるのでしょうが、
わざとらしい女性っぽい所作がなく、それでいて、きちんと女性としての仕草のつぼをおさえていて、
なお、格好良さがあるのが私は素敵だと思いました。
ただ、歌舞伎でちょっとぎょっとするのは、扇雀にしろ、福助にしろ、
女形が仕草は女っぽくしても、声のほうはまるで女っぽくしようとしないこと。
私は女形って、もう少し声のピッチを高くしたりして、女性っぽい声色を作るのだと思っていたのですが、
福助は地声がだみ声気味なのか、仕草はきれいなのですが、
低いトーンで喋る台詞がいつのまにか、
八百屋の”ねえさん、今日白菜安いよ。寄ってって。”に聞えてきます。

あと、福助は、実際、結構背丈があるんでしょうか?
舞台で見ると、女性としてはものすごくでかく見えます。
繰り返すようですが、所作は綺麗なので、なんだか、実際の女性を拡大コピーしたような不思議な感じがします。
この場面は要は浪江が赤ん坊の前でお関を手篭めにするという場面なわけですが、
上手く出来ているのは正助を引っ張り出してきて、その陰惨さを見事に中和している点です。

というか、二人が寝間にいるのに、そのことに気付きもせず、
表立っては助けを乞いたくても乞えない状態におかれているお関が微妙に正助を引きとめようとするに、
間抜けな受け答えでその真意をことごとく測り損ねる正助とのやり取りのせいで、
コミカルな場面に転化されているところが見事です。
最後にふと、”あんな色男(浪江)と一つ屋根の下、二人きりにしておいて大丈夫かな?”と、
そこまで考えておきながら、しかし、更に深く考えることはない。さすが正助です。
一つ屋根どころか、一つ部屋にいるんですけど!

また、浪江がお関に迫る場面が、見得を切る個所の一つで、
突然、動きがスローモーション、かつ、ほとんど型を披露しているような踊りのような動きになったかと思うと、
それぞれが見得を切って、そこで、大向こうからの掛け声がかかる。
しかも、ここだけ、突然さらに時間がさかのぼったかのように、
二人が発する日本語が難しくてよく聞き取れない。
直前の場面までの日本語より、古風な日本語が用いられているのではないかと思います。
ただ、見得を切るほどの場面、つまり大きな見せ場なので、
大体どういうことを言っているかは想像がつくのですが。
かように、いきなり言葉が古くなったり、時間軸が捻じ曲がるかのような、写実度を無視したゆったりとした動きもびっくりなら、
大向こうからの”成駒屋!”等の掛け声にも二度びっくり。
オペラでかけるBravoなんて、度胸さえあれば誰にも出来ますが、
歌舞伎での掛け声は、とてもとーしろがいきなり参加できるような代物ではありません。
だって、その掛け声にすら独特の発声が必要なんですもの、、。
そこには、その言葉を発しつつ同時に”うりゃーっ!”と言っているような、
不思議な響きがありました。
しかも、オペラの場合、Bravoや拍手を誘発するのは、
時にはある決めの一フレーズだったりしますが(『椿姫』のヴィオレッタの”私を愛してね、アルフレード”の後や、
『トスカ』のカヴァラドッジの”勝利だ、勝利!”の後など。もちろん、感動的に歌われれば、の話ですが)
大抵はアリアの後、と、非常にわかりやすい個所にありますが、
歌舞伎でのそれは、まさに”合いの手”で、役者の言葉のやり取りの間に
すっ、と差し入れなければならない。
つまり、よく作品とその台詞並びをしっていないと、
役者の次の台詞に重なってしまうという恐ろしい危険を含んでいるのです。
Bravo/a/iが、素晴らしい歌唱&パフォーマンスだった!という、
観客の気持ちを歌手に一方的に伝えるものだとしたら、
歌舞伎の掛け声というのは、より二方向的なものに感じます。
だから、声もやたらめったら大きくかければ良いというものではなく、
声をかける側も進行している芝居を邪魔しないような、丁度良い声量を心がけているのに気付きます。
恐るべし、歌舞伎。ヘッドは大変だ、これは。

 二幕目第二場 高田の料亭花屋の二階の場

(あらすじ:南蔵院に近い料亭の座敷で一人酒を飲む三次。そこにあらわれる浪江。
この二人にはかつて、お関のおじが遣えていた主家の金蔵を破り、共犯で二千両を奪った過去があった。
その金蔵破りで得た取り分も使い果たしつつある三次は、
菱川家に入り込んでいる浪江に金の無心を始める。さすがちんぴら。
しぶしぶ浪江が金を与え三次を返すと、寺にいる重信に料理を差し入れするという名目で
浪江が呼びつけておいた正助が入れ替わりにやって来る。
これはもちろん浪江のたくらみで、上手く正助をおだてて金を与え、かつ、自分と兄弟の契りを結ばせた後で、
重信が親の敵であったことに気付くにいたったような芝居をうち、
正助に兄として、一緒に重信を討ってくれないか、ともちかける。)

この場の、三次と入れ替わりに正助が入ってくる場面が、最初の見事な早替り。
舞台上にある座敷は実際には二階という設定で、舞台の真ん中に、
一階に見立てた舞台下から階段があがってきており、
例えば私の座っている座席からだと、階段の上から3段ほどが舞台上に見えるようになっているのですが、
三次の衣裳の着物をつけた勘三郎が客席を向いて階段をおり、正助と挨拶を交わしながら姿を消したと思った途端、
正助の衣裳をつけた勘三郎が客席に背中を向けて階段を登ってくる。
あれ?いつ着物変えたの?もしや別人??と思うのですが、
三次はさっきまで浪江との芝居があったから紛れもない勘三郎だし、
今、浪江と向き合っている正助も絶対勘三郎だ。
ということは、あのほんの一瞬で着物が変わったと思うしかない。本当、早替りだ、、。

今日の舞台は勘三郎と橋之助が共に良く、なので、この場は早替り以外の部分もとても見ごたえがありました。
特に正助となって現れてからの勘三郎が本当に良い。
浪江のような極悪人と縁あったばかりにひどい目に会う正助なのですが、
とにかくハイパーなくせに、なぜかいつも半歩遅れているというキャラクターを本当に温かく演じていて、
どんどん不幸に巻き込まれていくのに、どこかその無垢さがかわいらしく、
つい観ているこちらが笑ってしまいます。
そして、なんの罪悪感も感じず彼をどんどん奈落の底に突き落としていく浪江の冷たさ。
橋之助、私はこれまで爽やかな人と思っていましたが、
この冷酷な役を自然に演じているのを見ると、考えを変えなきゃな、と思えて来ました。

 二幕目第三場 落合村田島橋の場

(あらすじ:南蔵院の天井絵の完成も間近。
息抜きに蛍狩りに出てきた重信に浪江が竹槍で襲いかかる。
正助も、元武士出身の重信相手では何ほどの助けにもならないのだが、結局、浪江に手を貸してしまった。
ついに重信の息の根を止める浪江。
恩人ともいえる人物を殺すのに手を貸してしまい、半ばパニック状態になっている正助は、
口外したら殺すと浪江に脅され、菰を被って逃げていく。
夜道をその正助とすれ違う三次。
浪江は暗闇の中、三次を突き飛ばして逃げるが、印籠を落としてしまったため、
正体が割れ、さらに三次に弱みを握られてしまうことになる。)


(重信役に扮する中村勘三郎)

この作品は大詰めの滝の場面が最大のハイライトとして捉えられているようですが、
私個人的には、一つだけ選ぶなら、絶対この場をとるでしょう。
花屋の早替りもすごい!と思いましたが、いやいやこれは!!
正助が我を失って菰を被り、花道を舞台側から客席後方に向かって走り去るのですが、
私のほとんど目の前で、一瞬ぱっ!と正助が宙に跳ね上がったかと思うと、
もう、逆に(つまり舞台の方向に向けて)走っていく三次が勘三郎になっていました。
花屋での早替りはほんの一瞬ですが、二人の姿が見えなくなる瞬間がありますが、
この場面は花道のど真ん中で、隠れるところなんてなにもない、
あらゆる角度からの観客の視線が集中している場所です。
つまり死角がないはず。
しかも、私の席からの距離はものの2メートルほどと言ったところです。
そんな至近距離にいても、一体何が起こったか一瞬わからないほど、
本当に魔術のように二人が入れ替わってしまったのです。
もちろん、これを支えているのは演じている勘三郎や入れ替わる相手方に立っている方の技と鍛錬、
そして、着物の着付けなどを担当している裏方さんの工夫と努力の賜物なのであって、
これを魔術呼ばわりするなんて叱られてしまうかもしれませんが、
あまりに早く、あまりに隙がないので、そうとでも形容するしかないのです。
その見事な早替りに客席からは猛烈な拍手と歓声の嵐。
この花道での正助から三次への早替りが最大の見所ですが、
この場はそれ以外にもテンポの速い早替りがてんこ盛り。

座席の位置のせいもあり、私が座っている場所からは、
花道で早替りが行われるときには、必ずいつも、どどどどど、、、と猪が走っているような
木の板の上を役者さんが走る猛烈な足音が裏から聞えていました。
(おそらく桟敷の下かどこかに移動用のスペースがあるのではないかと思われる。)
勘三郎が走っているのか、相手を務める役者さんが走っているのか、
このあまりにすごい魔術を解明する余裕すらない私にはわからないのですが、
歌舞伎座のサイトで、勘三郎が、
”この役は、体が思い通りに動くうちにやっておきたい。”というような趣旨のことを
語っていましたが、そう言うのも無理はない、大変な作品だと思います。
舞台の上もさることながら、私達観客に表立っては見えていない部分でも、
ずーっと動きっぱなしなはずですから、、。

しかも、マジックの世界のように、単に着ているものが変わればいいだけではない、
そのうえに各キャラクターを演じわけなければならないわけですから、その苦労が偲ばれます。
しかし、勘三郎がすごいのはさっきまで血相変えて走っていた正助だったはずが、
今や涼しい顔で悠々と歩いている三次になっていること。
いやいや、本当にすごいです。

<大詰めを含む後編に続く>

歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎

『お国と五平』
谷崎潤一郎 作
福田逸   演出
坂東三津五郎 (池田友之丞)
中村勘太郎 (若党五平)
中村扇雀 (お国)

『怪談乳房榎』
三遊亭円朝 口演
實川 延若  指導
中村勘三郎(菱川重信・下男正助・蟒三次・三遊亭円朝の四役)
中村橋之助 (磯貝浪江)
中村福助 (重信妻お関)

8月18日 第三部
歌舞伎座 1階西桟敷1

*** 歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎 お国と五平 怪談乳房榎 ***

八月納涼大歌舞伎~お国と五平・怪談乳房榎 (Tues, Aug 18, 2009) 前編

2009-08-18 | 歌舞伎
東京に住んでいた頃、一時期同じ会社に勤めていた縁でとても仲良くなった友人たちがいます。
私を入れて4人なので、当時流行していたSATC(セックス・アンド・ザ・シティ)のキャリーたちと自分たちを重ね合わせ、
(当時はこういう勘違い4人組が世にゴマンといたはず、、。)
その会社を離れた後も、4人全員は揃わなくとも、そのうちの最低二人は
1週間に一回くらいは会ったりしていて、恋の話、仕事の話、これからの生き方の話、
よくもまあこんなに話すことがあるもんだ、と思ったものです。

その彼らと今回帰省で会えるのは一番楽しみにしていたことの一つで、
案の定、会った途端、その頃にタイム・スリップしたかのように、お互いの近況報告で大盛り上がり。
やがて、友人の一人が最近出会ったある男性の話になりました。

その男性の趣味は歌舞伎を観る事。つまり彼は歌舞伎ヘッドなわけで、
なんと二回目のデートに、”歌舞伎を見に行きませんか?”とのお誘いがありました。
彼女は特に歌舞伎ヘッドなわけではないのですが、デートに歌舞伎というのも面白いかも!と快諾。
一緒に観るのは夜の部だったので、彼女としては出来れば開演前に軽く一緒に夕食を食べるか、
もしくは幕間に歌舞伎座の中にある食事処で一緒に、、、と思っていました。
だって、結局、デートというのは、そういう、どこで何をしようか?という部分を考えたり、
実際に行動に移すのが楽しく、また目的であるわけですから、、。

しかし、彼から宣告された無情な言葉は、”食事は各自持参で、幕間に休憩場所で食べましょう。”
ええっ!!??せめて、一緒に買いに行くという選択肢もないのか、、、?
しかし、優しい彼女は”わかりました。ではそうしましょう。”と言って、
当日、コンビニで調達したおにぎりなどを持参して歌舞伎座に出かけていきました。
いよいよ、幕間。ホールにしつらえられた長椅子に座り、おにぎりを取り出す彼女。
ふと彼を見ると、仕事帰りのアタッシェケースを開けたそこには、
某製パン会社の、あんパンとスティック・パンがぎっしり、、。
”スティック・パン、お一ついかがですか?”とすすめる彼に、
ああ、この男性との次のデートはないかも、、と彼女は思うのでした。
もうこの話を聞いた時は、おかしくてお茶していた喫茶店の椅子から転げ落ちるかと思いましたが、
ふと、我に返ると、私も自分が彼女の立場なら、彼女と全く同じように感じることに間違いはないのですが、
その一方で、紛れもないヘッズである私には、ひとごとと思えず、
思わず身につまされる部分もありました。

ヘッズの基本ルールはこれ。
”自分の偏愛の対象(オペラであれ、歌舞伎であれ、、)に付き合いの浅い友人、特に異性を巻き込まないこと!”
これは相手の方が同じ対象に興味を持っていない限り、
まさに目を覆いたくなる大失敗になること、間違いありません。

それはなぜかというと、まず第一に、ヘッズなら、
いい加減に、もしくは緩い気持ちで、オペラや歌舞伎を鑑賞することはもはや不可能だからです。
いつの間にか、つい、デートでは最も肝心なはずである相手の女性・男性のことよりも、
オペラや歌舞伎の方が第一になってしまったりして、、
しかし、これはデートにおいては相手の方に対してとっても失礼です。

そして、第二には、劇場に通いつめていると、ある種の行動パターンが出来上がってしまって、
それを崩すのが苦痛になるということです。
私も、メトに行く場合、化粧室に行く段取りとか、幕間に行く場所、またそこで何をするか、など、
自分が一番リラックスしてオペラを見れるように組み立てたルーティーンがあって、
最早これを変えることは不可能なんじゃないかと思います。
例えば化粧室に行きそびれると、次の幕でパニック・アタックを起こしそうになります。
会社では全然トイレに行かなくても平気なのに。
私の友人がデートしたこの男性の食事の仕方、食べ物の選び方から、
それと同種の匂いを感じます。
いつもあんパンを食べているんだろうな、幕間に、、、という。
まあ、そうやってオペラや歌舞伎のためなら、人様のことも顧みず、
自己チューになってしまうところに、次のデートはない理由があるわけですが。

さて、私はオペラでも、自分の趣味、主義、主張全開!のスタンスで書かれた書物が大好きで、
あたりさわりのないことしか書いていないと、全く読む気になれません。
以前、三浦しをんさんの『あやつられ文楽鑑賞』がおもしろかった!とご紹介したことがありますが、
今回、東京の本屋でふと手にとった、小山觀翁さんの書いた『歌舞伎通になる本』、これがまた面白い!



御年80歳になられる小山さんは古典芸能の評論家で、
歌舞伎座でのイヤホンガイドの監修をされているのみならず、どうやら松竹の顧問ですらいらっしゃるのに、
その歯に衣着せぬ物言いは、まさに真性の歌舞伎ヘッド!
冒頭の方ではそうでもないのですが、段々とエンジンがかかり始め、早くも第二章では炸裂しておられます。

歌舞伎とは嘘を楽しむ心意気がなければならない、ということを語る章で、
歌舞伎において、大道具小道具はもちろん、話の筋の細かい点における適切な時代考証の有無は、
”一言にしていえば「ゼロ」である”
とばっさり断言したかと思うと、歌舞伎座の桟敷席については、
”その席の位置たるや、横の一番はずれにあり、
もしかりに、これが椅子席であったなら、ここはひどい席である。
現に桟敷のない国立劇場などで、こんな席を押し付けられたら、文句のひとつも言いたいところだ。”
など、その炸裂ぶりはとどまるところを知りません。
しかし、その文章には、長年舞台を見続けて来られた方特有の歌舞伎への愛が底流に感じられ、
中でも、もはや演劇、いえ”芝居”論と言ってもよい第二章は、
オペラなど、他の舞台芸術のフォーマットにも共通する部分もあり、
大いに鑑賞の参考になる内容がつまっています。
(小山さんは、現在の演劇・芸術としての歌舞伎よりも、昔の”芝居”であった頃の
歌舞伎が好きでいらっしゃるるので、”芝居”論なのです。
演劇と芝居の違いについては、同書で詳しく触れられています。)
今回の舞台を鑑賞した後に同書を読み始めたのですが、
実際に舞台で見た事と、書かれている内容がリンクする部分が多く、大変興味深く読ませて頂きました。

楽しかった日本滞在の最後の夜に、歌舞伎を鑑賞しました。
多くの方がご存知の通り、歌舞伎座は今年の公演をもって建替えが行われることとなり、
約3年間、工事のために閉場されてしまうので、
どうしても今回の帰省で含めたかったのが歌舞伎鑑賞でした。
なぜならば、15年以上も東京に住んでいながら、歌舞伎座には一度も行ったことがないので、、。



各座席についての好みなどというものは、その劇場にかなりの数通わないと決められないもので、
わからないときはとりあえず贅沢をしておくに限ります。
というわけで、今回は発売後比較的間もなく、桟敷席狙いでチケットを探しはじめたのですが、
いつもこんなに人気があるのか、現行の歌舞伎座の最後のシーズンということで特にそうなのか、
私が日本に滞在する日程のうちで、桟敷席が、それも一席だけ、残っていたのは、
この8月18日の、それも第三部(夜の公演)しかなかったのです。
というわけで、出演者や演目を吟味する余地もなかったのですが、結論、私は運が良かった!!

八月第三部の狂言は(歌舞伎の世界では、演目のことを狂言というのだそうで、
芸術形態としての狂言とは別の意味で使われています。)、
『お国と五平』と『怪談乳房榎(ちぶさのえのき)』。



平成中村座のNY公演で観た『連獅子』は舞でしたが、
今回は『怪談乳房榎』に下座による音楽の演奏がある以外には、
メインの出演者による歌も踊りもない、台詞中心の作品のカップリングです。

琵琶の演奏についての記事でも書いたとおり、
私は結構日本の伝統芸能について、言葉に対するフォビアがあって、
同じ日本人同士であるのに相手の言っている言葉がわからない、というのがすごく嫌です。
なので、一応、両作品ともあらすじを予習して行ったのですが、
それでも、目の前で意味のわからない言葉が行き交うと、もうそれだけでやる気を失う予感があったので、
すごく心配だったのですが、歌舞伎って、こんなに聞き取りやすい日本語を話しているんですね。
知りませんでした。
昔(昭和の初め頃)の公演の録画をDVDなんかを見ると、役者が語る言葉がほとんど私には意味不明なのですが、
それは時代による発声のせいなんでしょうか?
それとも、現代の公演は現代人にわかりやすいようにある程度言葉がアレンジされているのでしょうか?
(多分後者だと思う、、その理由は後ほどふれます。)
感触的には、テレビで時代劇を見ている感じに近い。
そんな言葉、現代、普段の生活では使わないけど、意味は十分わかる、というレベルの。
なので、開演前にイヤホンガイドを劇場からお借りしておいたのですが、
語られている言葉の意味を理解するという点では、全く必要ありませんでした。

というか。初見の作品で、リブレットや字幕やらの助けなしに、
語られている言葉が一語一語までわかるのって、本当に楽しい!
日本人で良かった、、と実感する一方で、オペラをもっともっと楽しむには、
もっともっとイタリア語、ドイツ語、フランス語(ロシア語は手強そうなので、多分、
死ぬまでに間に合わないと思う。)を勉強せねば!と野望に燃えるのでした。

まず歌舞伎座の劇場部分に入って驚いたのが、空間の縦横の比率。
すごく横に広くて、縦(前後)に短いんだなあ、、と。
今回は、実際の公演の内容もさることながら、細かい部分で見られる歌舞伎の上演のしきたりとか、
舞台機構としての歌舞伎座に感心したり面白さを感じた部分がたくさんあって、
こればっかりは、どんなに即席で花道とかを作っても、
エイヴリー・フィッシャー・ホールでは再現不可能な、
実際の歌舞伎座の空間の中だけでしか体感できないものだと思いました。

これはオペラも同じだと私は思っていて、海外の歌劇場が、引越し公演の形で、
セットから衣裳からオケから合唱から、全てを持ってくることは出来ますし、
それはそれで、とてもありがたいことではあるのですが、
やはりその劇場の個性というのは、その劇場が実際にある場所でしか完全には感じられないものなのではないかと思います。
だからこそ、新国立劇場には、早くレジデントのオケも作って、
そういった唯一無比の存在になるべく、がんばってほしい!と思うわけですが、、。
おっと、いけねえ。今日は歌舞伎の話でした。

前半の『お国と五平』。
これは、谷崎潤一郎の作品。歌舞伎には、他に三島由紀夫が書いた作品などもあって、
こういう優れた作家とのコラボがちゃんと昭和まで続いているのも楽しい。
(平成については、そもそも三島由紀夫や谷崎潤一郎級のすぐれた作家と呼べる人が
いないような気がする。寂しいことです。)

谷崎潤一郎は、『痴人の愛』を含む一部の作品で、
主人公の行動の馬鹿馬鹿しさ、奇天烈さを、ほとんど読者に
”馬鹿じゃないの?この人。”もしくは”なんかキモチ悪い、この人。”
と思わせるほどに、ユーモラスに、かつ意地悪に描写しながら、
しかしその一方で”ついそうせずにおれない哀しさ””痛さ””しぶとさ”を描いていますが、
それと同じ雰囲気をこの『お国と五平』から感じました。
ある意味、とても谷崎潤一郎らしい作品だと思います。

ひとかどの武士であった夫伊織を、同じ武家の、
つまり一種の身内であるはずの友の丞の裏切りによって殺されてしまい、後家になったお国。
逃げた友の丞を見つけ仇を討つため、忠実な従者の五平を伴って行脚を続けて早や五年が経っている。
そんな二人の前に虚無僧姿の友の丞が現れ、、というストーリーなんですが、
実はこの友の丞は、お国の昔の許婚で、あまりの駄目さにお国の家族同意で婚約を破棄させられたものの、
お国のことがあきらめられず、お国が彼を探していたつもりのこの5年、
実は彼の方が姿を隠しながら彼女をずっとストーキングしていて、
なんと、お国と五平の間が一線越えてしまったものになっていることも知っている。
二人が一線を越えている間にじとっとそれを外で感じ取りながら座り続けていたであろう友の丞。怖い。
最後にはそれを質に、そのことは一家に黙っておいてやるから、
かわりに何が何でも自分の命だけは助けて欲しい、と交渉する大変女々しい男なのです。
この女々しい男が女々しさ全開ついでに、最後に爆弾を落とす。
もはや主従関係を越え、相思相愛の仲になっているお国と五平の前で、
自分もお国の体を知っているぞ!と言い始めるのです。
んまっ!結婚前に!意外とガードが緩いぞ、お国!って感じなのですが、
その言葉を最後まで言わせまい、とつい刃物をとって友の丞を刺し殺すお国。
その行為こそが、それが本当であることを物語ってしまう。ガードが緩いだけでなく、頭も悪いお国!
ついに復讐を果たし、邪魔者がいなくなって、一緒になれてハッピー!のはずのお国と五平、、。
だが、しかし。
優しい五平のこと、何もなかったようにその後も振舞っていくのでしょうが、
あの友の丞の爆弾発言により、二人の間になんともいえない後味の悪いしこりが残ってしまうのです。
友の丞、死と引き換えに、見事な毒を二人に放っていきました。

私は予習であらすじを読んだ段階では、何としてでも添い遂げる!という、
お国と五平の純愛物語かと思っていましたが、とんでもない。
谷崎が書いた台詞の一語一句が実際に舞台で交わされるのを聞いて、
お芝居から観る側が感じ取るものというのは、あらすじなんかじゃなくって、
台詞の読み方を含む演技の仕方によって規定されるのだと思います。

友の丞を演じたのが坂東三津五郎(ちなみに、私も含め歌舞伎役者にあまり明るくない方のため、
下の写真の向かって前列右に座っている方)です。

話は脱線しますが、私のようなオペラファンにとって、歌舞伎で最もなじみにくいことの一つが世襲制度で、
役者さんの名前が、お魚のように若いときから段々と名前が変わっていくというのも、
また姓も名も同じ人が時代をまたがって複数(それも時には10人以上!)いるというのも、ややこしすぎます。
家の芸を継承する、というコンセプトはわかるんですが、オペラで、
いくら師弟関係を結んでいるからと言って、マイヤ・コヴァレフスカがいつの間にか
ミレッラ・フレーニに名前を変えている、なんてことはないし、
後世にわたってミレッラ・フレーニが何人も出てくる、なんてこともありえない。
伝統というのは、面白いことを考え出すものだな、と思います。



坂東三津五郎の友の丞は、私には、非常に谷崎文学の味を忠実に舞台で表現しているように思いました。
あらすじを読んでイメージしていたところでは、友の丞が憐れに見えるはずの場面で、
客席から爆笑が起こっていたりして、一瞬、あれ、これでいいのかな?と思うのですが、
これでいい。というか、谷崎がこのように作品を書いているのだからしょうがない。
『痴人の愛』の譲治に、美しさや哀れをすぐに感じる人はいないのと同様に。
譲治は最初から最後まで、格好悪い。読み終わった後ではじめてじわっと、
あれ?もしかしたら、ちょっと可哀想な人?と思うわけです。
それと同様に、友の丞は徹頭徹尾、女々しく、おかしな人でよい。
それで、作品が終わった後に、あ、そういえば、奴、すごい置きっ屁をして死んでいったな、と思わせる、
もともとそういう作品なんだと思います。

それでいうと、ちょっと演技がオフ・フォーカス気味に感じたのはお国を演じた中村扇雀。
(上の写真の二列目中央。)
というか、この作品で実は最も奥が深く、演技が難しいのは、お国役かもしれない、と思います。
この作品中、唯一、伊織、五平、友の丞全員と直接に深い絆があるのは彼女だけで、
これは、伊織は舞台には登場しない人物なのでともかく、
自分なりのお国像を作りながら、五平と友の丞の役の演じ方にそれを合わせて行くことも求められているといえます。
そもそもお国も一筋縄ではいかない女性であることは、上で書いたあらすじからも感じられ、
まず、自分なりのお国像を作るという段階ですでに難関です。
この部分も私には少し曖昧に感じられて、お国がどういう女性なのか、今ひとつ伝わって来ませんでしたし、
五平と友の丞、特に友の丞とのケミストリーも、しっくりしない感じがありました。
五平はその点、友の丞の爆弾発言のシーンまでは、割と一本気な役なせいもあってか、
中村勘太郎(写真では三列目の向かって右)の初々しい感じが雰囲気にもマッチしていたと思います。
もう少し演技に深みが出るともっといいかな、、、
長旅で足に辛さを感じているお国の片足をそっと持ち上げて、
ひざまずいた腿にそれをのせて、いたわる場面がありますが、
ここに、二人の深い仲が凝縮されなければいけない。
その濃さが今ひとつだったと思います。
それは勘太郎だけではなく、扇雀側にも言えることかもしれませんが。
また、言葉の響きも少し平たいというか、若者が一生懸命喋っている古風な日本語という感じがややします。

歌舞伎というよりは、普通の演劇に近い位置に立っているこの作品は、
(効果音をスピーカーで流したりするのはちょっとどうかと私も思いました。)
歌舞伎好きの方に必ずしも完全に受け入れられているわけではないようで、
幕間に、”まあ、こういう作品もあるのね、、って感じかしらね。”などと、
ファンと思しき方に言われていました。

私は、これはこれで、歌舞伎らしくはないとしても、それなりに興味深く拝見させていただいたのですが、
ただ、鑑賞後の、演技ではなく作品そのものから来るなんとも悪い後味に、
谷崎潤一郎は、やっぱり意地悪な作家だなあ、と思いました。
最後に告白すると、谷崎潤一郎のそういうところが、あんまり好きじゃないんですよね、私。
すみません。

<怪談乳房榎で大興奮!の中編に続く>


歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎

『お国と五平』
谷崎潤一郎 作
福田逸   演出
坂東三津五郎 (池田友之丞)
中村勘太郎 (若党五平)
中村扇雀 (お国)

『怪談乳房榎』
三遊亭円朝 口演
實川 延若  指導
中村勘三郎(菱川重信・下男正助・蟒三次・三遊亭円朝の四役)
中村橋之助 (磯貝浪江)
中村福助 (重信妻お関)

8月18日 第三部
歌舞伎座 1階西桟敷1

*** 歌舞伎座さよなら公演 八月納涼大歌舞伎 お国と五平 怪談乳房榎 ***

妙なる音と共に 筑前琵琶のしらべ (Sun, Aug 16, 2009)

2009-08-16 | 演奏会・リサイタル
会社勤めの身としては、なかなか一週間以上のお休みを頂くのは難しい。
今では東京に住んでいる親しい友人の方が数が多くなったこともあり、
今回の帰省の旅(というのは表の姿で、
実際はデヴィーアのマスター・クラスを聴講する旅だったりするわけですが。)は、
その東京と実家のある京都を日程上2:1にわけて過ごすことにしました。
その結果、京都への帰省は東京から・への移動日を含め3日、
つまり、京都に完全フリーでいられるのは、
中たった一日というスケジュールになってしまいました。親不孝もの!

で、このスケジュールですと、京都で夜ご飯を食べるチャンスは二回あることになるわけですが、
その一回は、子供の頃から高校生の終わりまで10年以上、家族で通い続け、
もはや、おいしいのどうのという言うレベルを越えて、
私の子供&青春時代ここにあり!とまでいえる近所の某焼肉屋に行きたい、と両親に宣言しました。
今だその店が存在しているということが嬉しい。

で、残りの一回は、私は何を隠そう、実は超がつく和食党で、普段、おいしい和食に飢えているので、
両親に場所はお任せで、絶対に京都のおいしい和食を!とリクエスト。
(NYでも、まあまあの金額を出せばおいしい和食は食べられるのですが、
最近、一回食べるのやめたら、オペラがもう一回見にいけるよな、というような感じで、
メトの一席分のチケット代が、生活の中での1通貨単位になりつつあります。名づけてMadokakipドル。)

それから、もちろん、元祖オペラヘッドである、私のおばも参加で。
私のおばは、あのイタリア歌劇団を生で体験したことのあるMadokakip家の元祖オペラヘッドで、
そのイタリア歌劇団の公演を観るために、夜行で大阪から東京に一人で上京していたという、
生まれる時期が違えば、それ、私のこと?と勘違いしてしまうような人です。
学生の頃からオペラが好きだったそうで、
終戦後しばらくは新しいオペラのレコードなんてなかなか手に入る雰囲気ではなかったので、
お互いが家にあったオペラのレコードを持ち寄って、
それでいろいろな作品をみんなで聴く!という会があり、それにも参加していたらしく、
おばはその時に、家から『椿姫』のレコードを持参した記憶があるそうなのですが、
一体、誰がヴィオレッタを歌った盤なのか、とても気になります。
ちなみに、イタリア歌劇団の公演とは、、、
1956年から20年間、8回にわたって日本で行われたオペラの公演で、
主にイタリアから招聘した歌手がN響の演奏と日本側がセットした舞台にのって歌った。
この公演で初めて世界レベルで活躍するオペラ歌手の生の声を聴いてぶっとんだという人が多く、
今の日本のオペラヘッズの原点となっている重大事件。
公演の時期がオペラの黄金時代に重なっていた幸運で、舞台にあがったのは、
デル・モナコ、テバルディ、ゴッビ、シミオナート、スコット、ベルゴンツィ、クラウス、
コッソット、ギャウロフ、カプッチッリらを含む、ものすごい面子で、
公演のDVDは日本で発売されているのはもちろん、
アメリカではVAIという会社がディストリビューターになっていて、新しい演目がリリースされるたび、
こんな公演がかつて日本で企画されていたということも
それまであまり知らなかった米系ヘッズの間で、話題の的となっていた程です。

さて、この京都で食べる和食の日が、デヴィーアのマスター・クラスの日付の関係や、
帰りの飛行機などとの兼ね合いで、たまたま8月の16日になったのですが、
”お盆だから料亭の中には休んでたりするところもあるのかしら?”などと、
一瞬考えただけで、そのまま深く考えずにいました。

しかし、実家に到着し、母に、
”ところでどこで食べることになった?お盆だからお店見つけるの、大変だったんじゃ、、?”と聞くと、
”何言うてんの、あんた。京都は16日はかきいれどきやんか。大文字もあるんやから。”と、
これやから外国に行った人はかなんわ、という口調で切り返されてしまいました。

あら、やだ、本当!!! 8月16日は五山の送り火の日ではないですか!!!
完全に忘れてましたよ。京都人失格!

”そやからな、このお店に行くんやけど、特別にこんなイベントがあるみたいやねん。”と、
母がおもむろに引き出しから取り出した招待状のようなもの。
それは16日に食事する予定の料亭から送られてきたもので、そこには、
”妙なる音と共に 琵琶筑前のしらべ”と銘打った琵琶の演奏が行われる旨が書かれていました。
なので、ふーん、ご飯を食べる間、琵琶がBGMとして流れているのか、くらいに思っていたのです。

この料亭は右京区の鳴滝にあるお店で、予定の時間よりも少し早めにタクシーを駆ってしまったので、
(そう、うちは家族そろってタクシーを駆るのが好きなんです。)
父が途中で、”山の裾でタクシーから降りて、歩くのもなかなかいい感じなんやで、ここは。”と言い出したのですが、
いやー、”いいよ、このままタクシーで。”と言っておいてよかった、、。
なぜならば、私は坂のことを山なんて言ってまたお父さんは大げさなんだから、と思っていたのですが、
いや、実際、それは”山”でした。
特に、料亭の正門に上がる最後の傾斜がきつい。こんなの、ワタクシ、絶対歩けませんから。

しかし、その高台からの眺望は本当に美しく、その景色の良さから、
このあたりは元々昔の裕福な方の別荘地として開かれた土地と見え、
ちょっとしたお屋敷街となっています。
実際、この料亭が入っている敷地は、かつて、ある呉服商が客人を持てなす為に作った別宅だそうです。
美しい門構えから、日本風の庭園を抜けたところに、芝生のお庭があって、
ちょっと明治のお屋敷チックな、和洋折衷の雰囲気があります。

建物もそのコンセプトを継いでいるのでしょうか?
奥の間は純和式なのですが、ロビーにあたる空間は洋式で、その隣に続く比較的小さめのお部屋も洋式。
普段はもちろん普通に予約時間を聞いてくださるお店なのですが、
今日は五山の送り火があることもあって、全客同一時間に食事が出されるという、会食形式になっているため、
予定時間前にはかなりの数の客が敷地のあちこちでうろうろしているので、
このどこか土サス(土曜サスペンス劇場)に登場しそうな”金持ちの家”的建物の雰囲気もあいまって、
”この中の誰かが、大の文字に火がついた瞬間、殺される!”と妄想してしまうMadokakipなのでした。

どうやら、まず初めに琵琶の演奏があって、その後、丁度、食事が始まった頃に、五山の送り火が始まるようなタイミングになっていて、
それはもうこの高台で、視界を遮るものは何もなく、真正面が大の字というロケーションですから、
ご飯を食べながら大文字を楽しむ、というかなり楽しいイベントです。
そのためか、新幹線で駆けつけた、という人も中にいて、
”10時半の新幹線に乗らなきゃいけないんですが、、”と、
帰りのお車の手配の必要の有無を聞いて回ってくださっているおかみさんに、
(まあ、暗がりのなか、あんな坂を降りようとしたら、
転がって怪我してしまいますので、帰りこそは絶対にタクシーが必要です。)
”一番早いタクシーを回してください。”と頼むずうずうしさを見せていました。
まあ、わかるんですけどね、、でも、こういうのはオペラと一緒で、
ゆっくりと味わうところに楽しさがあると思うんです。
公演が終わったら拍手もせず立ち上がって帰り支度を始めるオペラの客と同様、
こういうのは、私、あまり好きではありません。



夕方の6時。
いよいよ、和室の大広間に客が呼ばれました。
ぎっしり敷き詰められた座布団。
そう!食事の間のBGMなんかではなく、それこそ、『耳なし芳一』の世界も真っ青、
演奏者の方に対峙し、それも正座で、じっと演奏を聞かせて頂くスタイルなのです。
私はあの『耳なし芳一』の、壇ノ浦の合戦が琵琶にのせて語られるのにのせて、
平家の亡霊たちがもらい泣きする場面が好きですので、
私も亡霊の一人になった気分で泣かせて頂けるのだわ!と思うとわくわくして、
つい、みんな遠慮して座ろうとしないために空席になっている、
演奏者の方のど真ん前、最前列の座布団に座ってしまいました。
隣は元祖オペラヘッド。ああ、やっぱり血は争えない、、。

琵琶というと、演奏するのは頭がつるぴかの坊さん(耳なし芳一のイメージ?)か、
もしくは盲目のおじいさんかと思っていたのですが、
登場されたのは私よりも少しお若いのではないかと思われる年代の、素敵な女性の方でびっくり。
全然芳一じゃない、、。
お名前を高橋旭妙(きょくみょう)さんとおっしゃって、
8歳から琵琶を習い始め、琵琶の世界で唯一の人間国宝であった故山崎旭翠氏に師事されていたこともあるそうです。

プログラムの一曲目は源氏物語から”夕顔”。
まず、高橋さんの発声にびっくり。
もちろん、目の前に座っているからというのもあるのですが、それだけではない。
オペラとは全く違う発声法ながら、びりびりびり、、とお部屋を振動させるような、物凄く力強い声!
オペラの発声に慣れていると、すごくスタイルが違うので最初は驚くのですが、
よく聴いているうちに、この声は一体どうやって作られているのだろう、、?と、
すごく興味が湧いて来てしまいました。
一つ言えるのは、デヴィーアのマスター・クラスの時にふれられていたような、
マスケラで響かせるような、そういう音ではないということです。
ただし、喉声とも違う。
強いていえば、お腹の底から出てきた空気をあまり頭で響かせないでそのまま出しているように聴こえるのですが、
この発声法は本当、私には謎で、興味がつきません。

そして、それに負けず力強い琵琶の響き。
今日演奏して頂いた作品もそうなんですが、琵琶の作品というのは根底に”語る”ということがあるように思います。
音楽も演奏も、ひとえにその物語を聴き手に伝えるために存在している、
その意味では、非常にオペラに似ていると思います。
そのせいでしょうか、私は普段、邦楽(浜崎あゆみ的邦楽ではなく、日本古来の邦楽です)を聴くことがほとんどないので、
この演奏は退屈でたまらなくなるのでは?と内心心配していたのですが、
とんでもない!!! 物凄く楽しんでいる自分を発見して嬉しくなりました。

もう一つ心配だった理由は言葉。
字幕があるわけでもないですし、歌舞伎のDVDなんかを見ても
”何を歌っているのかさっぱりわからん、、、日本語なのに、、。”
ということが一度や二度でない私は、
源氏の夕顔は知っている話だからまだ救いがあるけど、
それでも、一語一語何を言っているかまではわからないだろうなあ、、と思っていたのですが、
それが高橋さんの歌だと、本当に一語一句、一つ一つの音まで、何が歌われているか、わかるのです。
おかげさまで、音楽的側面と共に、歌詞の方も存分に味わわせていただきました。

かように、琵琶の演奏とはこんなものなんじゃないか?という思い込みがことごとく打ち砕かれ、
あれ?琵琶ってこんなに聴きやすいものだったんだ!という発見があったのはこの日の一番嬉しいことでした。

琵琶の演奏が物を語るということを中心に据えていることは、
音色の使い方にもあらわれています。
ばちで音を出す方法にも、本当に色々あって、その一つ一つが、その場面を的確に表現、描写するために
練り上げられていったものであることがよくわかります。

”夕顔”は、現在、源氏からの寵愛真っ盛りの夕顔が、
もはや源氏からまめに顧みられなくなってしまった六条御息所の生霊に取り殺されるというストーリーなわけですが、
源氏と夕顔が愛を交わした後、ろうそくがふっと消えて妖気が漂い始める場面の印象的な琵琶の音の使い方とか、
六条御息所の霊が夕顔の髪をひっつかんでなぶり殺そうとしている様が目に浮かぶような激しくかき鳴らす場面など、
楽器としての表現力の幅の広さも驚きでした。
ただ、そこには六条御息所は本来は優しい素敵な女性でありながら、
嫉妬の気持ちが蒸留されて、それが生霊となっている、
そのバックグラウンドを知っていることで、一層、語られている内容や演奏に奥行きを与えることになるので、
ある程度、基本的な日本の古典文学の知識があった方がよいのは間違いなさそうです。
今回は、源氏物語や平家物語の、それぞれ最も有名な場面の一つが取り上げられたのでまだいいですが、
私は全くそのあたりの知識が不足がちなので、もっと読書をせねば!と自分を顧みるいい機会にもなりました。

約15分ほどの作品だったでしょうか?あっという間に時間が立ってしまいました。
ここで、高橋さんは一旦休憩を兼ねて部屋から下がられ、
お茶と和菓子が配られました。
元祖オペラヘッドである叔母と、ひとしきり、声の迫力について二人で議論。
やっぱりオペラヘッドは声から入るんですよね。

前半のプログラムは通常の着物姿での演奏でしたが、後半のプログラムのために現れた高橋さんは、
紗のような薄く、白い上着を着物のうえにつけて登場。
(下の写真参照。ただし、この写真に限っては、今日の演奏会で撮影されたものではなく、
高橋さんがあるお寺で演奏された時のものです。他の写真はすべて当日に撮影しました。)



そして、演奏に入る前に、少し琵琶のことについて話してくださいました。

琵琶はアラビアのウードと呼ばれる楽器がルーツとされており、
日本では少なくとも7世紀の奈良ですでに演奏されていたことがわかっています。
琵琶の二大メイン・ストリームは薩摩琵琶と筑前琵琶の二つ。
歴史が古いのは薩摩琵琶で、薩摩盲僧琵琶の流れが発展していったもので、
一般的に男性的と形容され、それは琵琶自身の胴の部分が、桑の木にさらに桑をはったものであることにも起因しています。
桑は丈夫な木材なので、ばちで激しく演奏しても耐えられるようになっているからです。
一方、越前琵琶は、比較的はっきりとした派として存在し始めたのは新しく、
明治頃が起源と言われています。
薩摩琵琶に対して女性的と形容される越前琵琶は桑に桐の木を貼っていて、
桐は桑よりも繊細な木材なため、自然と、薩摩琵琶のような演奏は不可能となり、
違った独自のスタイルの演奏を生み出していきました。

ばちには現在つげが使用されていますが、昔は象牙で出来たものもあったそうです。
弦は絹の糸のみを使用しているそうです。
現代では金属やナイロンといった材質を使用している弦を使う楽器が多いですから(ヴァイオリンも、ギターも、、)
これは結構意外でした。

また、オケの弦楽器のような絶対的なチューニングという概念がなく、
(それぞれのオケでピッチが多少違うといった細かい問題はここでは抜きにして、、)
演奏家の声に合わせた、言ってみれば、相対的なチューニングを行うそうで、
これもオペラで絶対的なチューニングの概念に
どっぷり浸かっている私にはとても面白く感じられました。

琵琶の演奏というのは、もともと鎮魂歌としての役割を果たすものだったそうで、
(平家物語の壇ノ浦といった演目にそれは現れています)、
今日のようにお部屋で演奏というのもなくはないのですが、
本来の目的に叶い、最も一般的な演奏場所としてあげられるのはお寺だそうです。
そういったよりフォーマルな場では、後半に身につけられた白い上着をつけるのがならわしで、
いってみればこれが琵琶奏者の方の正装姿なんだそうです。
オケで言うと、タキシードにあたるものなのかもしれません。

で、後半の演目はその平家物語の”壇の浦”。
目の前で夫が戦死するのを目にする妻や子供、
そして、平家側の完全な負けを悟り自害する人々、、そんな平家の滅亡の様子に、
世のはかなさ、無常を描いた、説明も要らないほどの有名な場面です。

すっかり琵琶の演奏にとりこになった私はもう平家の亡霊気分で座布団に鎮座しています。
演奏、お願いします。

いやー、これはさすがに名場面の名曲だけあります。
琵琶というのは、前半の”夕顔”の時にも感じたのですが、
生霊が人間を取り殺すとか、激しい争乱の描写とか、こういった激しい場面を表現するのにうってつけの楽器だと思います。
私のイメージでは琵琶というのは、びよ~んっ!とどこか薄ら悲しい音をたてるものだと思っていて、
それはそれで味わいがあっていいのですが(もしや、それが薩摩琵琶なのか、、?)、
この高橋さんの筑前琵琶の演奏はもっとしゃきっ!としているというか、モダンな感じがします。
そうそう、後半のプログラムが始まる前のお話しの中に、
高橋さんが、先生の前で”夕顔”を演奏したら、
”よう弾けてるけどな、もっと本当の恋をせなあかんで。
そやないと、夕顔が源氏にしなっと寄りかかるところの味わいとかがでえへんから。”と言われたそうです。
物語を本当に演じつくすのは、本当に一生掛り、
人生が歌や演奏となって現れるのは、琵琶もオペラも一緒だなあ、と思います。

私には正直、”夕顔”で何がその先生のおっしゃるように不足しているのかはよくわかりませんでしたが、
高橋さんの声、表現方法は、平家物語のような作品の方でより生きるような気はします。
戦いの場面の迫力、これはすごいものがありました。

しかし、いきなりばっちん!というすごい音。
見ると、なんと一番高い音域を受け持っている弦が切れてしまいました。
残りの弦でカバーできるよう、歌い、かつ琵琶を演奏しながら
一生懸命伴奏のない部分で、残りの弦のチューニングを変えようとする高橋さんですが、
それは至難の業、、。
結局、主に一番低い弦でのみ伴奏をつける方法に切り替え、後は歌で乗り切られました。
こういうアクシデントで気が沈んでしまうのではなく、
一層歌に力が入るところに、高橋さんのガッツを感じます。
最も曲が盛り上がったところでしたので、ちょっと残念ですが、
絹の糸は湿度に極端に弱く、この日も演奏前に弦を張り替えて望まれたそうなのですが、
あまりの京都の湿度の高さに弦がぷっつんしてしまったようです。

こちらは20分あまりの曲だったと記憶していますが、いずれもあっという間に時間がすぎてしまいました。

演奏が終わり、食事が用意される間、ロビーでたむろっていると、
6名ほどのおばさまのお友達グループがかしましく、
今聴いたばかりの琵琶の演奏についておしゃべりしておられるのが聞こえてきました。
”薩摩が女性的で、そんで、桑と何の木をつかっているんだっけ?”
”桐よ、桐。”
だめだ、こりゃ。一生懸命説明してくださったのに、全然話を聞いてない、、。

それ以上彼らのお話を聞いていると、せっかく憶えていた内容が滅茶苦茶にされそうだったので、
外にでてお庭で涼んでいると、ちょうど高橋さんが出て来られて、
少しお話させていただくことができました。

発声に関しては、どこから出ているということが自分でも意識しにくいのだけれども、
オペラ的発声とは違うことは確かで、というのも、オペラ的発声で琵琶のレパートリーを歌おうとすると、
支えがとれなくてふらふらし、非常に歌いづらいそうです。
ただ、風邪をひいていても、歌い始めると全く関係なく声が出てくるので、
喉を使っているわけではないことは確かなようです。
また、特にお寺で歌った場合、音がよく反響するので、さらにダイナミックな歌が聴けるとおっしゃっていました。
しかし、今日、最も心配だったのは、
私のいる座席に歌う勢いで唾がとばないか、ということだったそうです(笑)。

レパートリーは百単位の数であるのですが、結局、よく演奏されるのは、
そのうちのいくつかになってしまうそうです。(その点はオペラと同じかもしれません。)
筑前琵琶は比較的歴史が浅いので、今日演奏した”壇の浦”は明治の作曲、
”夕顔”にいたっては昭和の作品だそうです。

琵琶を習ってみたい、という方がいればぜひ、というお話が演奏中にあったので、
NYに先生はいらっしゃいますか?と伺うと、高橋さんが所属されている橘会に限っていうと、
西海岸には昔師範の方が住んでいらっしゃった絡みで当時の教え子の方たちがいらっしゃるのではないかと思うのですが、
残念ながらNYはちょっと聞かないですね、というお答えでした。
うーむ、残念。

楽しませて頂いたお礼を申し上げ、室内に戻ると、いよいよ食事が出そうな気配。
全員ではかなりの人数で給仕が一斉だったため、仲居さんはかなり大変そうでしたが、
おかげさまで希望どおりのおいしい京都のお食事を満喫しました。
やがて、歓声があがったので何事かと思うと、大の字が点火された模様。

(↓ みみずじゃありません。大の字です!!)



ガラス張りになっていて、まさに食事をしながら外が眺められる洋室組と、
食事に風情は出ますが、障子があるため、座ったままでは直接に送り火を見れない座敷組。
京都以外の土地からいらっしゃった方は洋室、
京都の人は座敷組だったように思われたのは気のせいでしょうか?
せっかく他の土地からいらっしゃったのだから大文字はその方々に満喫頂いて、
京都に住んでいる輩は毎年見れるんだから我慢せよ!ということなのかもしれません。

しかし、いい音楽、おいしい食事、いい眺め、実に楽しかった。アレンジしてくれた両親に感謝です。


『源氏物語』より
一. 夕顔
(作詞:瀧原流石  作曲:山崎旭翠)

『平家物語』より
二. 壇ノ浦
(作詞:逵邑玉蘭  作曲:橘旭宗)

筑前琵琶 日本橘会 高橋旭妙

*** Kyokumyo Takahashi Music of Chikuzen Biwa 高橋旭妙 妙なる音と共に 筑前琵琶のしらべ ***

マリエッラ・デヴィーア声楽公開レッスン 第二日目(Sat, Aug 15, 2009)

2009-08-15 | マスター・クラス
第一日目より続く>

しかし、それにしても東京は暑い!
NYの夏も実は結構湿度が高くて体感温度が高く、
私は暑いのも湿度が高いのも割と平気な方だと自負しているのですが、
それでも、成田で飛行機の外に足を踏み出した瞬間、
一息吸い込んだその空気の湿度の尋常じゃない高さに熱帯雨林かと思いました。

こりゃ、きつい 

で、デヴィーアも同じように感じたのかどうかはわかりませんが、昨日(14日)のマスター・クラスでは、
木綿の真っ白いワンピに、ウェッジソールのサンダルという、
これからビーチにでも行くのか?というような、ギャル的いでたちで登場。
でも、気持ちわかるなあ。この暑さじゃ、何にもまして快適なのが一番ですもの。

その昨日のマスター・クラスの後、当ブログが縁で初めて直接にお会いさせて頂いた方も含め、
何人かの方と駅ビルでお茶をしていたところ、向こうから、見覚えのある、白いはためく木綿の布が、、
ああああっっっ!!!! デヴィーアではないですか!!!
世界のベル・カントの女王が、小田急線新百合が丘駅の駅ビルを歩いてる!!
(っていうか、普通、車の送り迎えがついているものじゃないんでしょうか?ちょっとびっくりです。)
そのあまりにシュールな絵に、カメラもペンも手元にあったのに、
それもすっかり忘れて猿のように手を振るだけで精一杯、、。
デヴィーアの隣にいらっしゃったマネージャーかスタッフの方と思しき女性が
デヴィーアに”あそこにお猿さんがいますよ。”と教えてくださったおかげで、
にこやかに手を振り返してくださったデヴィーア。
だめ、、、あまりに不思議な図過ぎて、この世のものとは思えない、、
小田急線駅ビルを白いワンピと厚底サンダルで歩くデヴィーア、、
この像は一生瞼に焼き付いて離れないと思います。

というわけで、今日はどんなお洋服で登場されるのかしら?と、そちらも楽しみだったのですが、
今日は黒いフレアーのスカートに、黒をベースに赤など色々な色を散らしたニットのトップという、
昨日のギャル・ファッションから180度転換の大人モード。
それにしても、女性の年齢の話をするのは無粋ですが、
60歳を超えている(生まれは1948年だそうです)とは思えない姿勢の良さや筋肉の付き方に、
まさに、歌唱と同様、生活スタイルもストイックであることが見てとれます。

昨日に引き続き、今日も、デヴィーアが登場する前に、現在昭和音大の学長を務めている
五十嵐喜芳氏がデヴィーアの紹介も兼ねて挨拶を兼ねて短いスピーチを行ったのですが、
両日共に来場している人が多いこと位、想像のつきそうなものなのに、
内容が、一語一句に至るまで、ほとんど昨日と全く同じで、
(それもどこの劇場、何の演目でデヴィーアを聴いて感動した、といったそんなことばかり、、)
舞台芸術という客とコミュニケートしてなんぼ、の世界の指導にあたっている方が、
二日続けてテープを流しているかと勘違いするような、
ほとんど全く同じ内容(一つだけ新しいエピソードを加えてましたが)のスピーチを
デリバーできるということがすでに驚きです。
もう、この時点で、歌とかどうとかいう前に、客の前に立つ人間の心構えというものを、
学生に教えられていないんだろうな、ということが予想されてがっくり来てしまいます。
今回は歌手としてではなく、大学の学長という立場でスピーチをしているのだから、と言われるかもしれませんが、
かつて歌手であった人なら、こういうのはもう血のなかに埋め込まれているはずなのではないか、と思うのですが。

と、ちょっと”いらっ”とさせられてスタートした今日のマスター・クラスは、
受講生の年齢が少し上がって、音大の学部もしくは院卒で、すでにセミプロ、
もしくは完全なプロで歌っている方々。

さすがに昨日の受講生たちよりは、あまりに下品なポルタメントも影を潜め(とはいえ、その傾向はやはりあるのですが)、
歌のレベルは明らかに数段上なのですが、
その一方で、昨日と共通したところで、
問題の根深さがよりはっきりと見えていた部分もありました。
中にはこれまでの誤った訓練のせいで、非常に直すのが手強い、
性質(たち)の悪い癖が身についてしまっているように見受けられる歌手の方もいらっしゃいました。

まず、デヴィーアが爆弾を落としたのが、一人目の受講者である山邊さん。
(今日もデヴィーアの指摘やアドヴァイスを●で表示します。)

● あなたはメゾではない!!

ロッシーニの『アルジェの女』からメゾのピースを歌った山邊さんですが、
いや、私も全くデヴィーアの言葉どおりだと思います。
というか、この山邊さんの歌唱のどこをどう聴いたら彼女をメゾだと思えるのか?
山邊さんの弁によると、一時期ソプラノとして勉強していたこともあるが、
指導者と相談のうえ、メゾにスイッチしたとのことなんですが、
そうなると、指導者にソプラノとメゾの声質を見分ける能力がない、ということになるんですけれども。
メゾとソプラノをわける基準というのは、出せる最高音が何か?ということではなくって、
むしろ、声の持っている質感、つまりソプラノらしい声質であるか、
メゾらしい声質であるかということである、という点は、
声楽に携わっている方なら常識として知っていることだと思うので、
彼女をメゾに転換させたということは、指導者の方に声の質感への理解が欠けていると、
そう理解するしかなさそうなのですが、これはもう身の毛がよだつほど恐ろしいことです。

山邊さんの場合、確かに少し超高音に苦手意識があるのか、そこでは音が開拓されていない感じはありますが、
総じてソプラノにこそ求められるといって良い高音域での音の方が充実していて、
(スピントのかかったやや重めの高音で、なかなか魅力的です)
むしろ、メゾで充実していなければならないはずの低音域では、本来、彼女に合わない音域なので、
● 無理にメゾっぽい低音を作ろうとして、不自然な発声になっています。

正しい発声スタイルが身についていれば、出せる最高音を上げていくことは可能で、
実際、多くのソプラノたちは彼女たちの最高音を努力の末に手に入れています。
もし、歌うレパートリーで必要とされる最高音を獲得出来なければもちろん歌手としてやって行く事は難しくなるわけですが、
本来メゾではない声でメゾの役柄を歌っても、多分、それ以下に歌手として成功する可能性は低くなるだけですので、
恐れずチャレンジしてほしいものです。
もし指導者の方が、声質について良く理解されていて、その上で、
このような長期にわたるかもしれない苦労を避け、
インスタントな結果だけを求めるためにメゾへの転向をすすめたのだとしたら、
もっと性質が悪いです。

デヴィーアに、以前歌っていたなら、何かソプラノのアリアを歌ってみて欲しい、と要求されて戸惑うばかりの山邊さん。
ここ最近で集中的に準備・練習したソプラノのアリアがないのもわかるし、
ピアノの伴奏の兼ね合いもあるので、躊躇するのはわかるんですが、
こういう時は、ピアノなしでもいいから、ソプラノのアリアを披露できるような度胸がないと、
舞台に立つ人としてはちょっと厳しいよなあ、、と思ってしまいます。
というのは、デヴィーアが見たかったのは、曲の最高音がきちんと出るか、とか、
アジリタの技術の完成度がどうか?とかそんなことではなくって、
(天下のデヴィーアが、まだまだ未熟なアジリタの出来・不出来を細かく云々する気はないに決まっているじゃないですか!)
それよりも、むしろ、山邊さんがソプラノのアリアを歌った時に
どのようなサウンドを歌にもたらすのか、その雰囲気を知りたかったんです。
そして、そのことは、山邊さんにとって、装飾技巧についてのアドバイスを一つもらうよりも、
ずっとずっと大切なことを教えてもらえるチャンスであったかもしれないのに、、。
それなのに、”この曲しか準備していない”と、延々とこのロッシーニのアリアに拘り、
途方に暮れ続ける山邊さん、、、。
その様子を見ていると、こういう場で本当に大切なことは何か、
つまり、デヴィーアに褒めてもらうことが大切なのではなく、
自分にとって、もっと大きな視野で、いかに有益なアドバイスを引き出すか、
ということの方が大事であることを見落とし、
小手先の技術ばかりに目が向いてしまっているように思うのですが、
それは教える側がそういうことばかり求めているからかもしれません。
しかし、完全にパニックモードになってうろたえるばかりの彼女を見ていて、
本当に彼女の指導者とやらは、罪深い、、と感じました。
こういう指導者が、もしかすると才能のある若い歌手たちを遠回りさせて彼らの時間を浪費し、
さらに最後にはせっかく持っていた才能を潰しまくっているのではないかと思うと怒りすら感じます。

二人目に歌ったテノールの曽我さんは、私は彼の声を聴いて完全には快い気分になれず、
それはどこか無理がある部分があるからではないか?と個人的には感じ、
あまり好きな歌唱ではないのですが、
デヴィーアが比較的見込みのある参加者として、細かいアドバイスを与えていた受講者の一人でした。
彼の素晴らしい点は、果敢にイタリア語でデヴィーアとコミュニケートし、
また比較的勘が良いのか、デヴィーアが与えたコメントに対して、
比較的歌にそのレスポンスが素早く現れる点です。
今日のレベルの受講者になると、デヴィーアの言葉に対する理解力の良さ、
それをすぐ歌に反映させられる実行力、これらの差が受講者間で如実に現れていたように感じます。
テッシトゥーラ(曲の中で多用され、よって、中心となる音域の高さ)が猛烈に高いこの曲を
へとへとになるまで一生懸命歌っている姿も好感が持てるのですが、
ただ、そのために、心と体が構えてしまって、
● ソとラを歌っているときにも、すでに(それより高い方の)ドとレを歌っているような
ポジショニングになっている
という指摘がありました。
このアドバイスの後、何度か歌ううちに、構えて歌っていた最初の時よりも、
ずっと柔らかくて耳に優しい音が出てくるようになってきたのは印象的でした。
聴いている側に悪い意味での緊張を強いるような歌は、もうその時点で×なんだ、ということを再実感します。
他に、
● 子音と母音の間に不必要な音が入っている
という指摘があり、彼もまた、口の開け方が不必要に大きく、
音が日本人歌手一般の例にもれず、ぴゃら~っと平たくなる傾向があるので、
● 口を開けるのは響きを作るためであり、それ以上の何物でもない、
という説明と
● 少し音を暗くする気持ちで、後ろにではなく、前に音を飛ばすように心がけなさい、
という注意がありました。

三番目に歌った納富さん。
今日の受講者中、唯一私が本当のオペラ歌手らしい声だと感じた方。
といいますか、実際、かなり魅力的な声でいらっしゃいます。
納富さんの強みは、もともと声に備わっているトーンもさることながら、
発声が終わった後に独特の美しい残響がある点で、
ほとんどの場面で無理のない発声ができているので、聴いていて非常に快いです。
唯一の課題は、おそらくご本人が取り組んでいる真っ最中であるかもしれないので、
あえてここで書く事もないのかもしれませんが、高音です。
というか、潜在的には楽に出る能力をお持ちだと思うのですが、
まだそれを毎回再現できる方法を模索中であるように思います。
”高音が来るぞ”と思うと無意識にテンス・アップしてしまうようで、
それが一層、それまでの快く軽々と出ている音に比べて違和感を生む、固くて、
やや耳障りな音につながっています。
デヴィーアはこの点について、
● 音を支えるということと、押すということは違う
という見事な説明をしていました。
納富さんの優れた点は、曽我さん以上に、とにかく飲みこみが早いことで、
スポンジのようにデヴィーアのアドバイスを吸収し、歌に反映させていました。
高音も、デヴィーアのアドバイスを受けるうちに、何度かは美しく無理のない音が出始めていたので、
彼女のような人にこそ、デヴィーアのようないい先生がつけば、
素晴らしい歌手に成長する可能性があるのに!と思います。
基本的な発声が良く出来ているので、納富さんに関してはデヴィーアからも細かいアドバイスが出てくるようになって、
● レチタティーヴォ(アリアのように旋律がはっきりしている部分の前や間にある、旋律度の低い部分。
納富さんの例だと、Eccomi in lieta vestaから、Oh! quante volteに入る前まで。)は、
どうしても段々とテンポが遅くなりやすい傾向にあるので、もっと表情をつけた歌唱を心がけた方がよい、
というアドバイスもありました。
高音、それから細かい部分の装飾技巧の完成度をアップさせること、
これらを良い先生についてマスターされた暁には、是非全幕で聴いてみたい方です。

第四番目の受講者である丹呉さんは、歌に非常に悪い癖がついてしまっていて、
これを取り除いて再度正しい歌い方を身につけるのは至難の技だと思いますが、
山邊さんと同じく、恐れず挑戦していただきたい。
それにしても、なぜこんなになるまで、指導者の方は放っておいたのでしょう?
丹呉さんの場合、昨日の受講生で指摘されていた方の多かった、”声が喉にはりついている”パターンで、
ここをまず変える必要があると思います。
まずそこでつまずいているのに、パワーのある歌を歌おうと、
ガリガリばりばりと歌う癖がついてしまっているので、
● そんなに大きな箱は必要ないですよ!
という、デヴィーアの声が早速飛んでいました。
それから丹呉さんの歌唱のもう一つの大きな問題点は、
● 音が上下するたびに、声のカラーが変わってしまう
点です。
これは、丹呉さんが、歌っているときに、いつも持っていなければならない拠り所=正しいポジションを体得していないことを示していて、
それは、つまり、正しい発声が身についていない、ということになると思います。
● まずは、常に同じカラーで歌える練習をしなさい
というデヴィーアの言葉がありましたが、
これは昨日の受講生がしばしば注意されていたレガートの習得と同じことで、
まずは、均一に、安定した音色で次の音に移行していく訓練が出来ていないと、
ここに何を足しても崩壊してしまう、ということなのだと思います。

ラストの正岡さんは、納富さんの温かい響きとは対照的な、
少し硬質な音色が特徴のように感じられ、
本当は、今日歌われた『愛の妙薬』のアリアなんかはあまりご自身の個性にマッチしたレパートリーではないように感じます。
いや、それを言うと、いわゆるベル・カント・レパートリーにはあまり向かない方かもしれません。
それでも、ベル・カント歌唱をマスターすることはどんな歌手の方にとっても有益なはずです。
正岡さんに関しては、私はもっといい声と歌唱が隠れているのに、
何かがそれを覆ってしまっていて、そこに完全には到達できていないようなもどかしさを感じました。
時々出てくる音は硬質ながら面白いトナリティーを持っていて、
訓練の仕方によってはもっといい発声が出来る方ではないかと思うのですが、、。
デヴィーアが何度も指摘していたのは、
● 音に空気が入っている
ということ。
ご自身はそうしないと声が届かない、という不安があるのか、
全ての音に一杯一杯空気を消費していて、そのことが常にかすかに空気の音が聴こえるような発声につながっています。
特にこの”Prendi”がどんな場面で歌われるか、ということを考えると、
熱さの中にもしなやかさが絶対に必要で(特に最初の部分)、
こんなにいっぱいいっぱいに聴こえてしまう歌唱は全くふさわしくありません。

ずっと自分を愛してくれていたネモリーノを、うすのろで自分には似つかわしくない、
と退けて来たちょっぴり高ビーなアディーナが(しかし、完全に嫌な女なのではない)、
彼の真剣な思いに心を動かされ、初めて自分も彼を愛しているたことに気付いた、ということを、
ネモリーノに告白するに至るまでの場面です。




(上の『愛の妙薬』の映像はメトの1998年の公演からで、現行の演出と全く同じです。
アディーナを歌っているのはルース・アン・スウェンソン姉さん、ネモリーノは言うまでもありませんが、パヴァロッティです。)

丹呉さん、正岡さんに共通して言えるのは、
一度、こうした間違った発声が身についてしまうと、
悪い部分を指摘されても、そこを自在に変えることが非常に難しくなっている点で、
曽我さんや納富さんがデヴィーアのアドバイスに柔軟に対応できているのに比べて、
お二人がなかなかご自身の癖を抜くことが出来ない様子は、見ている私もいたたまれないものがありました。
ここに至るまでには長い道のりがあったでしょうから、
もっと早い時期に、今日のデヴィーアのような適切なアドバイスを与えられる指導者がいたなら、、と、本当に残念です。

ただ、私は今回、指導者側の問題が大きい、ということを書き、
また、それにはいささかの疑いも持っていないのですが、一方で、
歌の道で身をたてていく決意をしたら、究極的には自分の声や歌唱を守るのは自分自身です。

ビルギット・ニルソンの自伝”ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯”
(原題:La Nilsson: My Life in Opera)には、あのニルソンが、
音大時代、いや、その後も、指導者に恵まれず、自分で正しい発声を模索していった姿が描かれています。
彼女の人柄でしょうか、ユーモアを交え、何でもないことのように書いていますが、
良く読んでみると、その苦闘は壮絶ですらあり、
その渦中にあった彼女の苦しみと努力は想像を絶するものであったはずです。



私達オペラを聴かせて頂く側は、拍手を送る時、
その声の美しさを賞賛しているのももちろんなんですが、それと少なくとも同程度、
いえ、私を含め、多くの方はそれ以上に、その歌唱に至るまでの苦労と努力を思って、
それを賞賛したくて拍手を送るのです。

どうか、歌の道を進むと決めたら、それが時に大変な迂回を意味することになっても、
また茨の道であっても、
どうぞその困難な試練から逃げ出さないで、全力で戦って頂きたい、と思います。
私が生きている間に、いつか、メトで、日本の歌手の方の大活躍に、
それまで払われた努力を思って精一杯の拍手を送れる日が来ることを心から願っておりますので。


山邊聖美 Kiyomi Yamabe (メゾソプラノ)
ロッシーニ『アルジェのイタリア女』より”祖国のことを思って Pensa alla patria”

曽我雄一 Yuichi Soga (テノール)
ロッシーニ『どろぼうかささぎ』より”さあ私の腕の中に Vieni fra queste braccia”

納富景子 Keiko Noudomi (ソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”私はこうして婚礼の衣裳を着せられ~ああ!幾度か
Eccomi in lieta vesta ~ Oh! quante volte”

丹呉由利子 Yuriko Tango (メゾソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”たとえロメーオがご子息を殺めたとしても
Lieto del dolce incarco ~ Se Romeo t'uccise un figlio”

正岡美津子 Mitsuko Masaoka (ソプラノ)
ドニゼッティ『愛の妙薬』より”受け取って Prendi”

伴奏:浅野菜生子 Naoko Asano
講師:マリエッラ・デヴィーア Mariella Devia
解説:小畑恒夫 Tsuneo Obata
昭和音楽大学 テアトロ ジーリオ ショウワ

*** Mariella Devia Master Class at Showa Academia Musicale 昭和音楽大学 マリエッラ・デヴィーア 声楽公開レッスン”

マリエッラ・デヴィーア声楽公開レッスン 第一日目(Fri, Aug 14, 2009)

2009-08-14 | マスター・クラス
マスター・クラスを開くとは、素晴らしい。昭和音大。
そして、それを私のようなパンピー(一般ピープル)に公開してくれるのもありがたい、昭和音大。
しかも、その講師にマリエッラ・デヴィーアを呼んでくるとは、信じられないような機動力!の昭和音大。
でも、一つ聞きたい。学校で一体何を教えているのでしょうか、、?

オペラ鑑賞の牙城が現在メトにある私にはいくつか夢があって、
そのうちの一つは、メトの、比較的メジャーな演目の全幕公演(出来ればAキャストが望ましい)で、
主役~準主役級の役をはれる日本人歌手がリアル・タイムで登場し、
その彼(女)が出演する公演を鑑賞し、さくらでなく心からbravo/aと叫ぶこと。
なんですが、少なくとも今の日本の声楽の世界の状況を見るに、
正直、あまり期待していない自分もいます。
この”世界のオペラ界における日本人歌手”という話題は、
ワタクシ的にすでにパンドラの箱化している部分もあって、
メト関連ですでに十分、誰に刺し殺されてもおかしくないほど、
自由自在に言いたいことを言っているので(アラーニャとか、昔のクーラとか、
最近のネトレプコとか、、)
ここに日本の声楽関係の方まで入れる必要もあるまい、と思い、今まで言い控えて来た部分もあるのですが、
大体が、今まで観たワーク・ショップやナショナル・カウンシルと比べて、
日本人に対してだけは、極端に低い水準を前提にするというのも変な話ですし、
そんなことをしていては、私の夢は一生叶わないのです!
今回のマスター・クラスは、かねがね私が考えていたことをまとめるいい機会でもありました。
というわけで、いつも通りの水準で、つまり、メトのナショナル・カウンシルを見ているのと同じ気持ちで、
(一方はオーディション、一方はマスター・クラスという違いはありますが。)
いつもと同じように、思ったことをそのまんま書きたいと思います。

日本で上演されるオペラ公演で、メインが日本人キャストだと観に行く気がしない、という方、
結構おられると思います。
その中には、そもそも日本人がメイクや鬘で西洋人化しようとする試み自体が痛い、という方もいらっしゃるかもしれません。
私も何を隠そう、メインが日本人キャストの公演はできるだけ避けていたクチですが、
私はこのブログを定期的に読んでくださっている方はすでにご存知の通り、
生まれつきの、よって本人の力ではどうしようもないビジュアル面の問題、
つまり太っている、とか、不細工である、とか、については非常に寛大です。
よって、”日本人は生まれつき西洋人ではない”、という当たり前の事実には目をつぶる準備もあります。
私が日本人歌手の出演するオペラを好まない理由はたった一つで、
”声も演技も私が考えるオペラのそれとあまりに異質な人が多く、鑑賞していて気持ちが悪い。”
この一点につきます。

まず、日本人全体として見たとき、
相対的に本来オペラを歌う声がどんなものか、という理解が不足していることが大きな問題の一つだと思います。
千の風になっているテノールとか、ネッスンドルマでブレイクしたネスカフェなテノール
(前者はオペラの舞台には立っていないようですが、それでもクラシックの声楽を勉強した、という経歴になっています)
の声を、これがオペラを歌う声なんだ、と一般的に思っている人が多いと思うと、
本当に暗澹とした気持ちになります。
私がオペラ好きであることをカミング・アウトすると、
”あ、こういうのね。”と言って、オペラ歌手の歌真似をするいまどき信じられないようなリアクションをする人がいるのですが、
その時に出てくる声が、彼らの発声を真似したものになっているのに気付き、さらにがっくり来てしまいます。

それは、あまりオペラを良く知らない人の話なんじゃないの?と思われる方も多いかもしれませんが、
それがそうではなく、声楽の道を志す、つまり、いつかはオペラの舞台に立ちたい、
と思っている若い人たちの声や歌い方に影響を与えているのを今回このマスター・クラスで目撃し、
私は愕然としたのです。

今回私がオペラの声として気持ち良く聴けたのは、
第一日目、第二日目合わせ(つまり学生とプロを合わせて)、たった二人だけでした。
この二人だけが、いわゆるマスケラの部分を使って、真に共鳴する音を作っていました。
こういう音を作れないと、オペラハウスのどこにも心地よく届く声というのは出せません。
実際にオペラハウスでオペラを聴くと、声と言うのは、
いわゆるデシベルで計れるような、物理的な音量が問題なのではなくって、
いかに空気を共鳴させられるか、これが大事で、
これが出来ていないと、逆に、全幕の主役なんかだと最後に至る前に声が疲弊してしまいます。
デヴィーアのような歌手はもちろんですが、
ここ最近色々ネガティブなことを書いたネトレプコでもオペラハウスで聴くと、
これがきちんと出来ているので、劇場では豊かでニュアンスに富んだ声に聴こえるのです。
また、昨日、MetPlayerに新しくアップされた『チェネレントラ』を流しがけしていたのですが、
ガランチャもお手本のようなそれを見せています。
マスター・クラスに話を戻すと、それ以外の方は、しばしばデヴィーアが指摘していたように、
● 声が喉にはりついている
状態です。
(これ以降、デヴィーアが指摘した言葉、アドヴァイスなどを●付きで表示します。)
その状態で無理に音を出そうとしているため、音が平べったく、母音に
● エの音が入ったように聴こえます。
また、フル・スロットルで出さなくてもいいような音にまで、
本来必要な空気の量以上に空気を送り込もうとするので
(それは喉から声が出ているからだと私は思うのですが)
● 空気の流れが必要以上に大きく、
デヴィーアが、何度も、”そんなにたくさんの空気は必要ありませんよ!”と指摘する原因となっていました。
それを修整するため、デヴィーアから複数の参加者に出たアドヴァイスをまとめると、
● 口のあけ方を少し小さめにして、母音をo(オ)に近く発声し、やや暗めの声を出すようにしてみなさい、ということでした。
先に書いた『チェネレントラ』でも、ガランチャがほとんど口を開けていないように見えるのに、
しっかりした音を出している場面があって、声量をコントロールするのは口の大きさではなくって、
むしろ、マスケラへの音の当て方とそこに送り込む空気の量のコントロールではないか?と思えます。

● イタリア語は喉でなく、舌と唇で音を出す
というデヴィーアの指摘がありましたが、これは適量な空気が体の中を流れていてこそで、
今日の参加者のように、空気の流れよりも喉から出す音で音が作られている場合は、
逆に舌と唇で音を作ろうと思っても、音が出ないのではないかと思います。
それでもって、正しい発声ではない、という証明にはなるでしょうが、、。

今回のマスター・クラスは、第1日目が高校生と大学生および院生、
そして、第二日目が学卒もしくは院卒のセミプロ及びプロの方が受講生(実際に歌う受講生。
我々聴いているだけの人間は聴講生です。)だったのですが、
特にこの第1日目では、高校生の一人を除き、あまりに発声が耳障りな方たちばかりで、
これは私にとっては、まさに黒板に爪を立てられているのと同じ位の拷問で、
本当に文字通り、何度も鳥肌が立ち、耳を覆いたい衝動にかられました。
むしろ、高校生の方がまだ発声自体は若干、素直だったかもしれません。
ということは、学費を払って歌を悪くしている、ということ、、、?!ええっ!?

しかし、高校生、大学生、院生、いえ、のみならず、今回参加したすべての歌手たちに多かったのは、
● 妙なポルタメント(注:ある音から別の音に移行する際に、滑らかに徐々に音程を変えること)のつけ方
です。
というか、私に言わせれば、一言、悪趣味もいいところ!
ポルタメントはスパイスのように、ちょろっと聴かせどころで使用するから良いのであって、
これは、何でしょう、、これがオペラ的な歌唱と勘違いしているのでしょうか?
多用しすぎなんですよね。
デヴィーアも言っていた通り、
● ポルタメントの多用はセンスが悪いです。
といいますか、これは今回、少し物理的時間的に日本と離れていて逆にはっきりと気付いたのですが、
日本人の歌唱って、オペラの曲を歌っていても、すごく演歌調、和製ポップ調なんですよね。
デヴィーアは多分演歌や和製ポップスにはなじみがないので、
これをポルタメントの多用と形容するしかなかったようですが、
要は、和製歌唱から脱却しなければいけない、ということなんだと思います。
こういうものは、生まれ育った環境によってハード・コードされたものなので、
知らず知らずに耳に体についていくものですから、意識するのはすごく難しいのはわかるのですが、
将来オペラを歌いたい、ましてや、世界レベルで活躍したいと思うなら、
絶対に抜かなくてはなりません。
こんな演歌みたいなオペラを聴きたいオペラヘッドはいませんから。
特に後半で歌った駿河さんという方、私には彼の”人知れぬ涙”がスピッツの新作に聴こえました。
実際、メロディのまわし方が、草野マサムネにそっくりです。
こういう歌い方、オペラではやめましょうね、本当に。エキセントリックすぎます。

いくつかデヴィーアが強調しても強調しすぎではない!という位に熱く繰り返していた点がありましたが、
その一つが、
● 一にもレガート、二にもレガート
ということ。
彼女には、ほとんどの参加者の歌が普通に歌っているつもりでもスタッカート気味に聴こえたようです。
で、”レガート!”とデヴィーアが言うと、無意識にポルタメントがかかってしまう参加者もいたりして、
またポルタメントかい!という、、(笑)。
レガートというのは、あくまでその音の高さを保持しながら、滑らかに次の音につなぐことなんですが、
彼女がこう何度も何度もレガート!と連呼していたのには、
日本人の言葉(今回の場合はすべてイタリア語)の習得の仕方が深く関係しているのではないか、と思います。
というのは、日本人の外国語の習得の方法として、今だ、カタカナで音を書く、というのは
メジャーな手法だと思うのですが、
この方法には、おのずと限界があります。
カタカナで表記する、ということ自体、そもそも日本語の枠に収めようとする行為であり、
むしろ、その枠に収まりきらない点にこそ、一番習得が難しい個所が隠れていると思うのです。
で、そうしてカタカナで音を表記すると、どうしても音符それぞれに、そのカタカナ表記の音をあてはめようとするので、
それで音が全部スタッカート気味になってしまうのではないかな?と推測します。

二重母音の問題もありました。
『アンナ・ボレーナ』に関しては
Piangete voi? D'onde tal pianto?(泣いているの?どうしてそんな涙を?)の部分からが
レッスンの対象だったのですが、
● Piangeteの最初のpiaは”ピーア(二音)ではなくって、もっと早いピア(一音)です、それから
● piantoの方はピにアクセントがないといけないので、ピーアントに近い、
と、同じ語源の”泣く”と”涙”という単語ですらこれなので、
カタカナ表記で全てをカバーするには厳しいものがあることがよくわかります。

また、
● tの前にはっきりしたnがあるのも気になる。なぜなら、そんな音はイタリア語にはないから
という指摘もありました。
指摘があったのはpiantoとは違う単語でしたが、引き続きpiantoを例にとると、
強いてカタカナで書くとどうしてもピーアントになってしまうのですが、
ンというのは一つの独立したシラブルではなくって、最後のトとくっついた(ン)トという音です。
日本語の”ん”の感覚で音をはっきり出してしまうと、音数にすら影響を与え、
違和感のある歌唱になってしまいます。

一日目の参加者の方全員について言うと、言葉が全くイタリア語らしくないと言ってもよいと思います。
高校生はともかく、学部生、院生までそうとはどうしたことなんでしょう?
私は日本のクラシック音楽に携わる人、また好きでそれを聴く人ともども、
鑑賞している分には、異常なまでに演奏や歌唱に、
”イタリアらしさ””ウィーンらしさ””ドイツらしさ”を求める傾向があるくせに、
演じる方、歌う方にまわると、突然、
”自分たちにイタリア人と同じように歌えるわけがない”ということを言い訳にして、
なかなかそこから出てくる工夫や努力をしないように見えます。
いや、もしかすると、完璧主義なゆえなのかもしれないですが、、。
でも、語学と一緒で、ネイティブと全く同じには喋れないから、とあきらめるよりは、
少し訛っていても、喋れるようになった方がいいのではないでしょうか?
ネイティブに近づくには、まず何と言っても喋り、歌わなくては。
おしのように黙っていながら、突然雷鳴が轟いてネイティブのように喋ったり歌ったり出来る、
なんてことは、絶対に、絶対にないのです。

私は時々日本人の歌手でアメリカにキャリアを求め、
または研修で滞在していらっしゃる方のサイトなんかをのぞかせていただくことがありますが、
以前にイタリアにいらした方なんか、特にそうなんですが、
そこには、”アメリカの(まあ、メトですが、、)演奏は、何かイタリアとは違う。”とか、
そんな言葉ばっかりで、嫌になってきます。
日本はオペラに関しては主要レパートリーに自国語のものが極めて少ない、という点で、
アメリカと非常に似ています。
アメリカは、”ネイティブみたいでなくても、喋れないよりは、歌えないよりは、演奏できないよりはまし”を実践し、
独自の路線で、少なくとも世界の歌劇場で歌える歌手を輩出するようになっています。
また、オケもイタリア的、ドイツ的、ウィーン的ではないかもしれませんが、
しかし、今のオケの音が出来あがって来たその根底には、
特に第二次世界大戦後、それらの国も含め、
あらゆる国や地域からやって来た奏者の音がごちゃまぜになっているという歴史的背景や、
各歌劇場固有のニーズなどが深く関わっているわけで、そういったことを理解しないで、
アメリカのオケはイタリアっぽくない、といった議論をするのはお門違いもいいところで(だって、そんなの当たり前、、)、
それを突き詰めると、極論は、
作曲された国以外の国には、その作品の演奏をすることは出来ない、ということになってしまいます。
もちろん、イタリア・オペラにはイタリア固有の、ドイツ・オペラにはドイツ固有ゆえの素晴らしさがありますから、
それしか受け付けない、という方は、その国のオケと歌手による公演だけ観ていればいいでしょう。
でも、今のオペラを取り巻く状況は、もう自国だけ、と言っていられない状況なわけで、
(大体、どの国のオペラをとっても、自国の奏者や歌手のみで、
その演奏を高い水準でまかなえるほどの数を生み出すことが出来なくなっているのは明らかです。)
そこはきちんと観る側も区別する必要があります。
つまり、どういうものが真にイタリアっぽい演奏なのか、ドイツっぽい演奏なのか、
ということを知っていることはとても大事ですし、
その国のオペラを演奏する限り、出来る限りそこに近づく努力をすることは大事ですが、
それだけが公演の良し悪しを判断する基準にならないことが大事だというのが私の考えです。

アメリカに何十年と住んでいる方でも、大抵、
どこの出身の方かということが、かすかな(時にはものすごい)アクセントでわかってしまう通り、
言葉の習得というのは簡単なものではありません。
しかし、今回、ショックだったのは、このマスター・クラスで見る限り、
日本の声楽教育が、こと言葉の習得という点においては、
”完璧でなくても喋れないよりはマシ”というレベルではなく、
”完璧でないから、押し黙っていよう”というレベルにとどまっている点なのです。
上達をあきらめているような雰囲気さえ漂っています。
正直、大学で何を勉強したのか?と聴きたい。
発声というのは非常にデリケートで複雑なものなので、
努力しても後退する、ということもままあって、(特に良くない先生についた場合、、。)
単純なことは言えませんが、
外国語の習得というのは、あまり後退するということがなく、
やればやるほど身につくはずのものなので、
ご自身が勉強をしていらっしゃらないか、教える側が余程何も教えていないか、いずれかだと思います。

今アメリカに研修でいらっしゃっている方は、
イタリアではなく、アメリカに来られた以上、
”イタリアとは違うんだよなー”と嘆いている暇があったら、
なぜ、日本と似た状況でありながら、アメリカはそれなりに独自の路線を確立し、
声楽教育に関しても、日本よりはずっと優れた歌手をコンスタントに出せるようになっているのか?
そういうことを勉強され、ご自分なりに答えをお出しになって、
日本の声楽教育に還元して頂きたいものです。

今回のマスター・クラスでは、私は実際に歌われた生徒さんには、
気の毒に感じています。
というのは、彼らたち、彼女たちは、(特に第1日目のような若い世代の方たちは)、
本人の努力もさることながら、むしろ、実際に評価されていたのは、
彼らを教えた先生たちであったと思うからです。

特に高校生の部では同じ学校から3名の生徒が参加されていましたが、
(受講者の高校生5名はいずれも、昭和音大が実施している高校生のためのコンクールの優秀賞受賞の生徒さんたちです)
この学校は先生が自分の趣味をひけらかす選曲を生徒に押し付けている感じがして、
大変不愉快でした。
もっと身の丈にあった、彼らの良さが引き立つ曲があったと思います。
また、第1日目で唯一聞いていて快い発声を行っていた中山さんなんですが、
発声そのものは大変良いと思うのですが、声が明らかにソプラノのそれなのに、
メゾの歌う”恋とはどんなものかしら?”を選んだのは、これはいかに、、?
(デヴィーアからも、”あなたはソプラノだと思うけれど”という指摘がありました。)
オペラの声には種類があって、それぞれの役や曲というのは合った声質で歌われてこそ、
良さが出る、ということを知るのもとても大事なことだと思います。
ご本人はまだ高校生なのでともかく、指導されている先生がそのあたりのことをご存知ないとか、
もしくは知っていても大した問題じゃない、と感じられているとは、思いたくないのですが、、。

アジリタの技術を身につけるとか、表現とか、そういった問題の前に、
一番基礎になる、スポーツでいえば基礎体力になる部分の脆さが明らかになった今日のマスター・クラスでした。
土台がしっかりしていないところに、どんな高音や装飾技術を重ねても、
いつか崩れ落ちてしまいます。
デヴィーアが少しアドヴァイスをしただけで、見違えるほど歌が良くなる生徒さんもいて、
今、指導にあたっている方たちにこそ、しっかりと見ていただきたい内容でした。

それから、歌の世界を目指す学生さんには、
実際にオペラハウスで、世界のレベルで活躍し、きちんと評価を受けている
優れた歌手の声とその音や語感を体感する機会をもっと与えてあげてほしいと思います。
(新国立劇場とか、海外の歌劇場を招聘している会社が協力して、、。)
発声が正しくない歌手の発声を何度聴いても、何のためにもなりませんから。

第二日目に続く>


浅沼雅 Miyabi Asanuma
モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』より”ぶってよ、マゼット Batti, batti, o bel Masetto”

中山華子 Hanako Nakayama
モーツァルト『フィガロの結婚』より”恋とはどんなものかしら Voi che sapete che cosa e amor”

小野寺光 Hikaru Onodera
トスティ ”夢 Sogno”

川目晴香 Haruka Kawame
ヘンデル『ジューリオ・チェザーレ』より”この胸に息のある限り Piangero la sorte mia”

野間知弘 Tomohiro Noma
ヴェルディ『6つのロマンツァ』より”墓に近寄らないでほしい Non t'accostare”

(休憩)

石岡幸恵 Yukie Ishioka(ソプラノ)
ベッリーニ『カプレーティ家とモンテッキ家』より”おお、幾たびか Oh! quante volte, oh! quante"

中畑有美子 Yumiko Nakahata (ソプラノ)
ベッリーニ『清教徒』より”ここであなたの優しい声が Qui la voce sua soave”

駿河大人 Daijin Suruga (テノール)
ドニゼッティ『愛の妙薬』より”人知れぬ涙 Una furtiva lagrima”

吉田明美 Akemi Yoshida (ソプラノ)
ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』より”私の生まれたあのお城 Al dolce guidami, castel natio”

伴奏:酒井愛可 Aika Sakai
講師:マリエッラ・デヴィーア Mariella Devia
解説:小畑恒夫 Tsuneo Obata
昭和音楽大学 テアトロ ジーリオ ショウワ

*** Mariella Devia Master Class at Showa Academia Musicale 昭和音楽大学 マリエッラ・デヴィーア 声楽公開レッスン”

ゲオルギュー、メト新演出『カルメン』で初日を含む6公演を降板。そしてとことん呪われる『ホフマン』!

2009-08-14 | お知らせ・その他
皆様、こんばんは。本日、東京に上陸いたしました。
それにしても、この蒸し風呂のような暑さは一体、、? Madokakip、早くも軽く半死状態、、
と思いきや!!!!!!まったくもって、死んでいる場合ではありませんでした。

私が機上の人となり、デヴィーアのマスタークラスを思い、浮かれている隙に、
またまた大型なキャスト・チェンジが発表されているではありませんか!!
(情報をいただいたkeyakiさん、どうもありがとうございます。)
俺様から、一日でも目を離すとこういうことになるのだ!というメトのメッセージなのか、、?

新演出ものとして、また、え?あの人がカルメンを?という話題性で、
良くも悪くも2009-10年シーズンの注目の演目の一つであった、『カルメン』。
この『カルメン』でタイトル・ロールに予定されていたアンジェラ・ゲオルギュー(写真)が、
初日を含む計6公演から降板することが明らかになりました。
なんと、代わりに同役を歌うのは、HDの対象でもあった、2008-09シーズンの
『チェネレントラ』での活躍も記憶に新しいエリーナ・ガランチャ。
彼女は今年ローマでカルメンを歌っています(詳しくはkeyakiさんのブログをご覧ください。)が、
メトで彼女のカルメンを聴けるのはもう少し先かと思っていました。

ただ、この代役を可能にするため、彼女はもともと予定されていた、
『ホフマン物語』の二クラウス/ミューズ役を降板。
(『カルメン』も『ホフマン』もHDの対象演目ですし、両方に登場させるのは難しかったのかもしれません。)
代わりに同役を歌うのは、ケイト・リンゼー。
彼女は『フィガロの結婚』『ルサルカ』などですでにメトの舞台に立っていますが、
まだまだ若手の部類に入ることを思うと、これは大抜擢。
ヴィジュアルも花丸です。

ただ、いわゆるスター・パワーという面では、ヴィラゾン、パペに続いて、
ガランチャが抜けた穴は大きく、
ネトレプコと(強いて言うと→)カレイヤの肩に大きな重責がのしかかってきました。
ゲルブ氏が『ホフマン』の企画を立ち上げた時、こんな状況は想定していなかったことでしょう、。
呪われてますね、まじで。

私としては、ガランチャによる二クラウスこそ、
この先、永遠に生で聴く機会を個人的に逸してしまうのでは?と思わせる役柄で、
逆に『カルメン』については、まだ、もう少し役が練りあがって、彫りが深まったら、
メトで聴いてみたかったな、という部分がありますので、
当初のキャスティングが流れたのはやや残念です。
ガランチャは段々と少しずつ重い役にシフトして行っているように見えるので、
カルメンについては、かならずメトで聴ける機会がいずれあったはずですから、、。

『カルメン』については、ガランチャがゲオルギューの代わりに歌う公演のホセ役はすべてアラーニャ。
一方、ゲオルギューが当初の予定通り歌うつもりでいるラン終わりの二公演(4/28と5/1)は、
いずれもホセ役がカウフマンです。
(それ以外の中盤の公演はボロディナがジョヴァノヴィッチのホセとコンビを組みます。)

アンジェラ、夫を放り出してカウフマンとだけ共演することになったのもなんだか皮肉ですが、
実際のところは、彼女の役の準備が追いついてないのではないか?と推測します。
(というか、大体が、そもそも、彼女がカルメンなんて歌おうとするとはけしからん!という、
とある老ヘッドの一喝もありましたね、、そういえば、、、。)
というわけなので、ランの最後のほうに予定されているカウフマンとの公演も、
どんな結末になるか、最後までわかりません。
土壇場近くでゲオルギューの予定公演全キャンセルというのも、ありえなくはないと思います。
メト側の立場を考えると、ああ、おそろしや。
ただ私の個人的な立場で考えると、その場合、カウフマンとの二公演には誰が入るのか?など、興味が尽きません。

結局、現在のところ、ライブ・イン・HDは、

『ホフマン物語』2009年12月19日
レヴァイン指揮、キム、ネトレプコ、グバノーワ、リンゼー、カレイヤ、ヘルド
(最初に発表されていたキャストに比べると本当に地味になりましたね、、。やっぱり呪われてます。)

『カルメン』2010年1月16日
ネゼ・セグイン指揮、ガランチャ、アラーニャ、フリットリ、クヴィーチェン
(話題性のネガティブ・インパクトはほとんどなし。)

という予定です。(日にちはアメリカでの収録、上映日)。