Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

メト日本公演でさらにソリストのキャンセル

2011-05-29 | お知らせ・その他
再々注:とうとう正確な情報が出ましたね!(mayumiさん、ありがとうございます!!)
ということで、タイトルの最後の?マークを削除しました。
カレイヤに加えてネトレプコのキャンセル(いずれも原発問題が原因)、これだけでも大きな衝撃ですが、
それよりも大きな衝撃なのはフリットリの『ドン・カルロ』(エリザベッタ)から『ラ・ボエーム』(ミミ)の演目移動ではないでしょうか?
一方、代役に入るのは、またあんたが代役かい?のポプラフスカヤ(『ドン・カルロ』のエリザベッタ役)、
そして、これはびっくり!のヴィラゾン(『ルチア』のエドガルド役。術後一度もメトでは歌ってません。)、
”Who are you?"なアレクセイ・ドルゴフ(同じく日程違いの『ルチア』エドガルド役。彼に至っては、生涯一度もメトで歌ったことなし。)、
そして、こちらはメト常連と言ってよいマルセロ・アルヴァレス(『ラ・ボエーム』のロドルフォ役)。
この短期間で良く今の日本にすぐに来れるメンバーをこれだけ集めたものと思います。(6/1)


再注:さらにチエカさんのブログで爆弾のようなインフォメーションが出ていますが、
”insiderによる情報”とチエカさんが書かれている時は、それすなわち、”正しくない可能性もあり。”という意味なので要注意です。
カレイヤのキャンセルはまず間違いがなさそうですが
(カレイヤに関する記事の時は”メトは~~するであろう、という、もっと断定的な書き方でした。)
それ以外の情報に関しては最低でも一つは正しくない情報が混じっていそうなので
(クヴィエーチェンがキャンセルと書かれていますが、中部空港に到着したアーティストの写真の中に彼の姿がありました。)
当ブログでは、完全な情報ではないと判断し、現在の段階では記事をアップデートしないで注の形にしておきます。(5/30)


注:追記をいれました!(5/29)


今日(29日)、一足早く日本入りを済ませている大道具のスタッフやゲルブ支配人
(ただし、ゲルブ支配人はずっと日本にいたわけではなく、ベトナムに旅行していたのが
NYタイムズの記事でばれてしまいましたが。)に続き、
残りのスタッフ、オケ、合唱、ダンサー、一部のソリストたちが、名古屋に向けてNYを出発しました。
いよいよ日本公演が目の前ですね!

と、こんなぎりぎりのタイミングに発表というのも何ですが、
チエカさんのサイトで紹介されている通り、メトの日本公演からさらにソリストのキャンセルがありそうです。

今日お昼頃にチエカさんのサイトとは別のルートでジョセフ・カレイヤがキャンセルするらしい、という話を聞いたのですが、
チエカさんが出している”メトが、もう間もなく、日本公演のキャスティングは
『まあ、夢を構成するもの』に過ぎなかったことを認める予定”というヒントと結びつかなくて、ここで紹介するのをためらっていました。
しかし、コメント欄の12.2と12.2.1の方が書いていらっしゃる通り、この『uh, stuff that dreams are made of.』というのは、
映画『マルタの鷹』の中の台詞で、ということは、チエカさんもマルタ出身のテノールということでジョセフ・カレイヤを指しているものと思われること、
また、日本の方々は今キャンセルというと、ダムラウか、ネトレプコではないか?と、彼女達の降板を危惧する方が圧倒的に多いと思われ、
皆様に安心して頂き(現在のところ、彼女たちが降板するという話は聞いていません。)、
また、彼女たちについての誤った情報が流布しないよう、との意図でお知らせしますが、まだ公式の情報ではないという点、ご了承ください。
(って、まるでカレイヤがキャンセルするのは誰もがっかりしないかのような書き方になってしまいましたが、
そういうつもりではまったくありません、念のため!)

ちなみに誰が彼の代役をつとめるのか(さすがにべチャーワが『ラ・ボエーム』と『ルチア』の両方を全日程歌うのは難しいでしょうから、、、。)、
これは公式の発表が出るまで、待つしかなさそうです。

追記(5/29):代役としてメキシコのテノールとの情報があがっているようですが、そうするとヴァルガス(↓)でしょうか?
(まさかヴィラゾンってことはないと思うのですが、、。
あと、ドミンゴ様もメキシコのテノールとは言えなくありませんが、演目的に難しいような、、、。)



ヴァルガスならばメトの常連のテノールですし、演目的にも辻褄が合うように思います。発表が楽しみです!



新シーズン 『アンナ・ボレーナ』のジョヴァンナ役はグバノーワに

2011-05-25 | お知らせ・その他
5/7のお知らせの続報になりますが、新(2011-12年)シーズンのオープニング演目『アンナ・ボレーナ』で妊娠・出産のため降板になったエリーナ・ガランチャに代わり、
9~10月の公演でジョヴァンナ・シーモア(ジェーン・シーモア)役を歌うのは、エカテリーナ・グバノーワに決定したようです。
(メトのチケットオーダー画面ですでにキャストとして彼女の名前が反映されています。)
メトの日本公演でも『ドン・カルロ』をキャンセルすることになったボロディナの代わりにエボリ役を歌うグバノーワ
2009-10年シーズンの『ホフマン物語』で聴いた歌声からすると、ガランチャのスタイリッシュなメゾ声とはだいぶタイプの違う歌手のように感じられ、
またベル・カントのレパートリーも歌うとはちょっと想像だにしていなかったので、
日本公演代役のニュースを聞いた折も”もしかすると彼女がジョヴァンナ役かな?”とはちらりとも思わなかったのですが、
この二つの演目、パフォーマンス次第では彼女のキャリアが大きくステップアップする大チャンスになりえると思います。
『アンナ・ボレーナ』はHDもありますからね。良い歌唱を期待しています!

あと、前回のお知らせを出した当時はガランチャのままになっていた2012年2月の2回の公演でのジョヴァンナ役ですが、
やはり、それまでに復帰をすることは断念したようで、現在、ガランチャの名前は消え、TBA(未定)となっています。

カウフマンとボロディナがメトの日本公演を辞退

2011-05-12 | お知らせ・その他
大変なことになってしまいました、、、。
メトの日本公演から二名のソリストが辞退です。
いずれも『ドン・カルロ』の演目で、カルロ役のヨナス・カウフマン(トップ写真。メト新シーズンの『ファウスト』のスチールより。)と
エボリ役のオルガ・ボロディナ(↓ 写真はメト『カルメン』の旧演出に出演時のもの)の二人。
NYタイムズによると、すでにメトからの公式な発表で、
理由はカウフマンが”個人的な理由”、ボロディナが”医者に二ヶ月間声を休めるように申し渡されたため”。



代わりに舞台に立つのは、カルロ役が”オペラ界のヨン様”ことヨンフン・リー。
彼は今シーズンの『ドン・カルロ』のカルロ役のカバーで、アラーニャとのダブル・キャストでニ回ほど本公演の舞台にも立ちました。



また、エボリ役はエカテリーナ・グバノーワ(↓)で、彼女は先シーズンの『ホフマン物語』のジュリエッタ役を歌ったメゾです。



カウフマンとボロディナがキャンセルすることで、雪崩のように大型キャンセルが続かなければよいのですが。
それにしても、カウフマン、後に続く二つの日本公演(ボローニャとバイエルンの引越し公演)はどうするつもりなんだろう、、、。

2011-12年シーズン オープニング演目『アンナ・ボレーナ』のピンチ!!

2011-05-07 | お知らせ・その他
まあ、次から次へと色々なニュースが!!!
ついさっきレヴァインのメト日本公演からの降板のお知らせをアップしたばかりですが、
今度は新シーズンのオープニング・ナイトの演目である『アンナ・ボレーナ』絡みです。

my両親がこの秋に久しぶりにNYを訪れ、その時に鑑賞するのを大変楽しみにしている『アンナ・ボレーナ』。
というか、美形女子好きのうちの父がネトレプコとガランチャが共演するというので楽しみにしている、と言い換えた方が
まったくもって正確なんですが、その父をショックに陥れる緊急事態が発生です。
ジェーン・シーモア役を歌う予定だったエリーナ・ガランチャがご懐妊だそうで、出産予定は10月、、、
つまり、メトの『アンナ・ボレーナ』への彼女の登場はおそらく無理、ということになってしまいました。
おめでたい理由ではありますが、実に残念、、、、。
あれ?でも、そうすると、新シーズンの発表の頃には余裕で出演が無理そうなことがわかっていたのでは、、、?
またメトに騙されてチケットを買ってしまったじゃないか、、、、。

というわけで、今年の春も、再び代わりの歌手を探して駆けずり回るメトのアーティスティック部門なのでした。
『アンナ・ボレーナ』は秋のランが終わった後、2月に二公演だけセカンド・ランが予定されていますが、
セカンド・ランについては、現在の段階では出演するつもりでいるらしい、というヘッズの間の噂です。
ただ、赤ちゃんが生れて”可愛くて離れられないー!”ということもあるかもしれませんし、こればかりは何ともいえませんね。

(写真は、メトでは初共演となるはずだった予定が泡と消えたネトレプコとガランチャ。)

レヴァイン、メトの日本公演には不参加、代指揮はルイージ

2011-05-06 | お知らせ・その他
メトの日本公演に関してです。

① 出発までに別の大きな地震等が発生するといった特殊な状況になく、現在の状況とほぼ変わらない状態であれば、日本公演は必ず行われます。
すでにカンパニーのメンバーは渡航のための準備などを始めています。
現段階では降板を表明しているソリストはいませんが、こちらは個人の問題になり、最後までどのようになるかわかりませんのでご了承ください。

② 支配人からカンパニーのメンバーに今日(5/6)、パブリック・アナウンスメントとして告知されましたので、
ジャパン・アーツなどのサイトでもいずれ発表があると思いますが、
レヴァインは今シーズン残された『ワルキューレ』ニ公演(5/9とHD収録の5/14)を除き、
10月に予定されている新シーズンの『ドン・ジョヴァンニ』(新演出)初日まで、全てのメトでの仕事をキャンセルすることになりました。
よって、日本公演には参加しません。
日本公演、そして、5/15に予定されているカーネギー・ホールでのメト・オケとのコンサート、
いずれも、レヴァインが指揮する予定だった演目はすべて、ファビオ・ルイージ(写真)が引継ぐことになりました。
(日本公演では『ドン・カルロ』と『ラ・ボエーム』がルイージの指揮となります。
アナウンスメントの中には来日中に行われるネトレプコとクヴィエーチェンとの演奏会に関する記述がなかったのですが、
”すべて”ということは、こちらもルイージが引継ぐことになるのではないかと思われます。)
お医者様から夏の間は健康の回復と治療に専念するように進言されたため、というのがレヴァイン降板のオフィシャルな理由になっています。
(追記:NYタイムズにも関連記事があがりました。当然ながらレヴァインはタングルウッド音楽祭での仕事もキャンセルです。)

DIE WALKURE (Mon, May 2, 2011)

2011-05-02 | メトロポリタン・オペラ
今シーズンは『ワルキューレ』を三公演鑑賞することになっていて、シーズン初日に続く二度目の鑑賞が今日です。
(最後はHDの収録日である5/14のマチネ。)

これまでも何度か書いて来た通り、メトのオペラハウスの音に関して言うと、私はあまり平土間を好まず、
音響のみに限れば、最上階=ファミリー・サークルの真ん中一番後ろが最高だと思っているのですが、
そこではあまりに視覚面でのハンデがあるので、双方のバランスにコストを掛け合わせた結果、
グランド・ティアとドレス・サークルを贔屓の席にして、その中でも出来るだけ似た場所にいつも座るように心がけています。
特にシーズン中に同じキャストで一度しか鑑賞しないものについては、
歌手の声(特にメト・デビューの歌手のそれは!)の状態を可能な限り同じ条件で比較したい、ということと、
演技がある程度の距離をおいて座っている観客にきちんと通じる種類のものであるかを確認したい、ということがあって、
(結局、劇場にいるオーディエンスの大半は肉眼では歌手の表情がはっきりとは見えないところに座って鑑賞するわけですから、、。)
それを徹底するようにしているんですが、同じキャストの公演を複数回鑑賞する時は、
一度はビジュアル重視の鑑賞をしてもよい、というルールになっていて、というか、決めているのは私なのですが、
今日はその特別ルールにのっとり、久々の平土間鑑賞です。
なーんて、カウフマンをアップで見るために無理やり作った特別ルールであることがばればれですけど、ま、いっか。



新演出ものを初めて見る日、特にこの『ワルキューレ』のような大きな作品では、
ステージングや演出の流れを咀嚼するだけでかなりのエネルギーが費やされるため、
脳がキャパ・オーバーになってしまって、自分の望むレベルには歌唱や演技に耳や目が回っていないような気がしてフラストレーションがたまることがあります。
なので、歌手の歌唱や演技を堪能するという意味では、初日の公演を観て、演出の流れをすでにある程度心得ている状態で臨める今日の公演からが、本来の鑑賞と言えなくもなく、
それを言えば、初日の演奏ではジークリンデ役でメト・デビューを飾ったエヴァ・マリア・ヴェストブルックが
二幕から風邪でダウンして代役のレイが舞台に立っていたのにもかかわらず、アナウンスが間に合わなくて、
観客のほとんどはニ幕もヴェストブルックが歌っていると思い込んでいたという事件もありましたが、
その彼女も初日以来、すっかり体調が戻って来たようで、今日は初めて全幕を通してその実力を聴けるという楽しみも出来ました。

初日が始まるまで、私はレヴァインが『ワルキューレ』のようなスタミナを最大級に必要とする作品を今の健康状態で振り切るのは
まったく不可能だと思っていたので、なんとか初日の公演を振り終えた時は本当に驚きましたが、
その初日と今日の公演の間にあった二回の公演を鑑賞した友人からは、レヴァインがいつ倒れてもおかしくないような様子で、
指揮する腕がほとんど上がっていない状態だった、とも聞いており、
万が一レヴァインが駄目になった時のためにはルイージがスタンバっているらしい、という話まで流れ出すにつけ、
今年『ラインの黄金』でのルイージの指揮を聴き逃していますので、ちょっぴり、”それもまたいいかも、、。”なんて思ってしまった私です。
レヴァインのキャラクターから言って、HDの日は絶対に何が何でも指揮台に上ってきて、
それこそ文字通り公演を”死守する”感じになることは容易に想像がつくので、
もしレヴァインが一回でもお休みをとって他の誰かに振らせるとしたら、”今日あたり可能性が高そうなんじゃないか、、、。”
とつい期待をし、そしてちょっぴりわくわくしてしまいましたが、
オペラハウスが暗転し、オケピを囲む壁の上に飛び出して来たのは、あの見覚えのあるもしゃもしゃ頭なのでした。
というわけで、今シーズンに関しては、私がレヴァイン以外の指揮者による『ワルキューレ』を聴ける確率はこれでほとんどゼロになったようです。



ほとんど普段の調子にまで声が戻っていると見られるヴェストブルック、
この感想を書いているのは実は楽日(HDの収録の日)が終わった後ですが、
結果から言うと、私が聴いた三回の中で彼女の声の調子が最も良かったのは、この日の公演だったと思います。
HDの日の歌唱も悪くはないですが、この日の方が声が伸びやかでした。
本調子の時の彼女はかなり声量もあり、正直、私の感覚では”でか声”の範疇に入るかもしれません。
カウフマンは以前から書いている通り、絶対的な声量は決して小さくはありませんが、ブルドーザーのような声でもまた決してないので、
まともに彼女と声量で張り合って歌合戦!みたいなことになると、カウフマンの方が喉への負担が大きくなるので要注意です。

ヴェストブルックに関しては、今はジークリンデ役を主に歌っているようですが、
いずれはブリュンヒルデも、、ということになる可能性も大いに考えられるかな、と思うのですが、
彼女は高音域に若干の課題があって、それはHDの日の公演の三幕の"O hehrstes Wunder! Herrlischste Maid!”の部分なんかにも伺われますが、
高音域で音が軽くなる傾向があるのと、将来ブリュンヒルデを歌うなら、もう少し声にキレと鋭さがあってもよいかな、という風に思います。
中音域までは非常に充実した音を持っているので、余計に高音域の音の浅さが目立つのかもしれません。
けれども、声に過剰な揺れがなく、これらのレパートリーを歌う歌手の中では非常に聴きやすい素直な発声であるのは彼女の美点であり、
その良さを保ちつつ、もう少し高音域に厚みと良い意味での鋭さが備わったなら、これからのキャリア・パスに大いに期待できそうです。



むしろ、私が彼女について気になったのは声楽的な面より、何の役を歌うにしても非常に大事な、相手役との舞台上でのコミュニケーション、
これがやや希薄で、ややもすると一人で歌っているような感じがする点です。
特に今日のように舞台に近い座席で見ると、カウフマンが押しても引いても反応のない”ぬらりひょん”みたいなところがあるな、と感じました。
メト・デビューでいきなり『ワルキューレ』のジークリンデという大変な役を歌わなければならない、
指揮はレヴァインで相手はカウフマン、、と、大きなプレッシャーがてんこ盛りで、歌うことで手一杯になってしまう気持ちもわからなくはないですが、
オペラの舞台というのは何よりもまず何かを表現するためにあるのであって、
彼女のこの作品の中でのつとめは、ジークムントとの愛に生きるジークリンデという人を表現することのはずです。
それがカウフマンのジークムントがどんなに絡もうとしても、真っ直ぐの方向(レヴァインがいるあたり、、)をガン見して歌い続け、
さらに愛おしそうに抱きしめようとしてもキスをしようとしても、なんかぐたーんと体が脱力している感じでまるでダッチワイフのようなジークリンデです。
彼女は声だけでなく体格の方にも農婦的と形容したくなるようなたくましさがあり、
カウフマンよりも一回り大きい感じがするほどで(縦にも横にも)、
そのうえにどこかあまり敏捷そうな感じがしないのも、その印象に拍車をかけているかもしれません。
横たわった時にダッチワイフになっているかと思うと、立ち上がった時にはびくとも動かない大木に変身!という感じで、
これまたカウフマンがいくら絡んでも、大木によじ登っている少年のようにしか見えない、、。
前身ごろに斜めにたくさん走らせた紐が不思議なこの衣裳も、彼女の体型には全く不似合いで、
美人か不細工かに分けると間違いなく美人の部類に入り、着る衣裳によってはとても魅力的に見えるはずの彼女を
あんな細紐で縛った料理中の肉かと見間違うような姿にしてしまうとは、衣裳担当のサン・オーバンによる嫌がらせかと思ってしまいます。

少し話が逸れてしまいましたが、私はジークリンデには、ジークムントと一緒に駆け足で必死に愛に生きる感じ、
ジークムントと同じか、もしくはそれ以上に愛に飢えている感じが必要なはずだ、と思っているのですが、
ヴェストブルックのジークリンデは、出会ってしまった二人が辿るしかない運命の疾走感があと一歩!という感じで、
歌の完成度は高いのに、彼女のジークリンデには何かが足りない感じがする、、という意見がアメリカのヘッズの間には多く聞かれましたが、
その辺りのところに理由があるのかな、という風に私は思っています。

それにしても、今シーズンからさかのぼって直近で演奏された『ワルキューレ』といえば、2008-9年シーズンのそれになるわけですが、
あの時は、ワルトラウト・マイヤーがジークリンデを歌っていたんですよね、、、。
今日の双子コンビも決して悪くはない、むしろ現在舞台で鑑賞できるものとしては非常に良い内容の方に入ると思いますが、
マイヤーのような演技力も特別なものを備えた人がカウフマンと組んでいたなら、もっともっと強烈なドラマが舞台に生れたはず、、。
こんな風に歌手がある役を歌える時期、役にキャスティングされる時期がなかなか上手く合うことがないのもオペラの難しさだな、と思います。



カウフマンは今日は歌の入りを間違うこともなく、舞台上の動きには初日から比べると段違いの進歩があって、
転げながら舞台に飛び出してくる一幕の冒頭のスピード感は初日とは雲泥の差で、
また、フンディングに命を奪われる立ち回りのぎこちなさもかなり解消されていました。
実を言うと、カウフマン個人の歌と演技だけを取り上げるなら、私が鑑賞した3回の公演のうち、最も印象に残った歌唱は今日の公演なんですが、
さらに言うと、3回のうち、最も声のコンディションがやばかったのもこの日の公演でした。

この公演のニ幕の途中で、突然、カウフマンの声に変調が感じられた瞬間があって、
一幕は少なくとも私にはおよそ不調だとは感じられない出来だったので(Walseなど、ものすごくしっかり音が入っていて今日は好調なのかと思った位です。)、
どうしたのかと思っていると、見る見るうちに声が荒れているのがはっきり感じられるようになって、
おそらくは、最初から風邪の初期症状があったのに舞台に立ったものと思われ、ヴェストブルックの瓦も割らんという大声と、
普段よりはこじんまり目に演奏しているとはいえ、やはりビッグ・サウンドである事には変わりがないメト・オケの演奏の間に挟まって、
自分が思っていた以上に一幕で声を酷使したものと推測されるのですが、そのツケが一気にニ幕で現れて来た感じでした。

最初に変調を感じられた地点からジークムントが舞台にいる最後となるニ幕のラストまでは、
ブリュンヒルデとの対面も含め、相当歌うパートが残っていたので、聴いている私の方もひやひやするというか、
実際、このまま歌い進めたら、どこかでクラックする可能性もあるかも、、と観念したのですが、
荒れ始めている声でも出来る範囲のことを全て行い、さらに演技の方も全くスローダウンする様子がなく、
結局、目立って大きな問題がないままニ幕を歌い終えてしまいました。
彼の歌の微妙な変調に気づかなければ、単に、”つつがなく歌ってたな。”とか”良い歌唱だったな。”という感想に終わることかもしれませんが、、
私はあの状態で大きな問題なく歌い終えるということが、どれほどの集中力と、自分の声の能力や限界に関する知識・経験をフル稼働させなければいけないか、
そのことがわかる程度には歌うということの大変さを理解しているつもりですので、
こういう場面で彼がどのような形でピンチを切り抜けるか、それを今という時期にこの目で見れたこと、
実際、その地点以降の彼の歌唱から感じたのは普通じゃないレベルの集中力だったわけですが、これは大きな収穫でした。



というのも、以前にどこかで書いたと思うのですが、カウフマンが大きくブレイクし始めた前と後での最大の違いは、
後者の彼は常に一定以上のクオリティの歌唱を出せるようになっている、という点で、
これがクリアできて初めて、本当に名実伴った歌手と呼べるんじゃないかと私は思います。
私が彼を”良いテノールがいるぞ。”と感じたのは、ブレイク前夜のメトの『椿姫』の公演でしたが、当時はまだ公演毎の出来の振れ幅が激しくて、
あんな歌を聴けるならもう一度!とかけつけた次の公演では、そうでもなかった、、ということもありました。
非常に優れた素質は持っていましたが、今のような安定感はなかったのです。
それがたった5年程前のこと(とはいえ、オペラの5年というのは非常に大きい、ということは、これまでもこのブログで何度も触れてきたた通りですが。)。
でも、ブレイクしてからのカウフマンは、メトに来て歌ってくれる演目に関しては全演目複数回鑑賞していますが、
歌唱と演技の内容にがっかりさせられた公演というのが、今日を含めてまだ一度もない、、これはすごいことだと思いますし、
オーディエンスの期待とそこから生れる責任や立場のようなものが一層アーティストを大きくするということがあるのだな、というのを実感します。

こういうことを書くと、Madokakipはカウフマンに入れ込むあまりいよいよ頭がおかしくなって
ひいてもいない風邪を彼にひかせて虚妄癖に入っているんだろう、可愛そうに、、、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、決してまだそこまで頭がぼけているわけではないことは、この公演の直後の『ワルキューレ』にあたる5/5の公演を、
そのさらに次の公演(5/9)とHD(5/14)に備えるために、カウフマンが風邪気味を理由にキャンセルをしたい旨の申し出を当初はしていて、
実際、開演1時間前になってもまだカウフマンが歌うと確定していなかったらしい、という話を聞きました。
というのも、HD当日に何か問題があった時に備え、予備の録画撮りをするのが収録日の一つ前の公演で、
幸いなことに、これまで予備の録画が映画館のHDの上演に使用されなければならないような問題が起こったことは一度もありませんが、
そのような理由から、HDの直前の公演もビデオ撮りがあり、キャストにとってもHDに並んで重要な公演日なのです。
実際、ライブ上映される場合の映像やその後映画館に配給されるアンコール上映用の映像は、当日の公演を収録したものですが、
DVD化された公演の中には、一部の場面が編集で一つ前の公演の映像と置き換わっている、と指摘しているヘッズもいて、
例えばガランチャとアラーニャが出演した『カルメン』のDVDの最後の場面は、
映画館で上映された当日の映像とは別の、一つ前の公演の映像なんだそうです。
私は『カルメン』についてはHDの日の公演も一つ前の公演も、映画館でもオペラハウスでも観ていないので、その真偽のほどはよくわかりません。

ところが、”メトにまつわるプチ・ニュース”にも掲載した通り、5/5にはいきなり”わしがお先に、、。”とばかりにレヴァインが降板してしまって、
(そして代指揮は噂されていたルイージではなく、デリック・イノウエさんでした。)
レヴァインとカウフマンのダブル降板なんてことになったら、ヘッズに八つ裂きにされる!と恐れおののいたゲルブ支配人の説得攻撃に負けたか、
自主的に体調は大丈夫と判断したか、5/5もカウフマンは舞台に登場し、
結局今シーズンの『ワルキューレ』のランからの彼のキャンセルは一度もなく、全日程を歌って見せました。



私は初日の時点から今回の『ワルキューレ』の舞台を牽引している最も大きな力はカウフマンだと思っていて、
もちろん彼が舞台で歌っている一幕&ニ幕の間中ずっと良いパフォーマンスだな、と感じながら鑑賞していましたし、
生れた時からトラジックな運命を背負ったジークムントという人物に、カウフマンの暗めの声のトーンは良く合っているな、とか、色々思うことはあるのですが、
それ以上に彼が演じるジークムントが死んでしまった後、つまり第三幕以降のドラマ上の喪失感、テンションの失速感の大きさ、
そこで失ったものの大きさを知るというか、”彼のジークムントはすごい!”というのを一番強く感じます。

また、全幕が終わった時、彼とジークリンデの二人の世界の方が、
ターフェルとヴォイトによるヴォータン&ブリュンヒルデのコンビの世界よりも全然強く印象に残る点にも。
それでも、この二つの世界が交わる瞬間、つまりブリュンヒルデがジークムントと対面する瞬間と、
それからジークムントが生の最後にヴォータンと対面する瞬間、これは公演の中でもそれなりに感慨のある場面になっていて、
特に後者は今日の公演でのカウフマンの演技とそれを受け止めるターフェルの演技が良くかみ合っており、
三幕のラストよりも大きな公演最大のハイライト・シーンとなってしまっています。

ジークムントがフンディングの剣に倒れる時、カウフマンは頭をオーディエンスの方=舞台前方に向けて仰向けに倒れて来ます。
この結果、自分を抱き起こそうとしているのは誰なのか、
(さらにはもしかすると、それが彼の剣を制した人物と同一人物であることもわかっているのかもしれません。)を知ろうとして、
相手の顔を見極めようと、虫の息の中、ヴォータンの顔に手を差し伸べ、わずかに上半身を起こそうとする演技から最後に息絶える瞬間まで、
よほど劇場の端のほうの座席に座っているのでない限り、一度もオーディエンスにはカウフマンの顔の表情がはっきり見えない角度になっています。
ところがそれが、ヴォータンの頬になんとか触れんと腕を伸ばすカウフマンの演技の中に、
ジークムントは命の火が消える直前に、自分を抱きかかえている相手が他ならぬ、自分の愛する、そしてずっと会いたかった父親であるのを認識し、
ひいてはノートゥングの力を奪った父親を赦して死んですらいったのではないか?と感じさせる場面に演じあげています。
その瞬間、私にはジークムントが父親に再会出来た喜びの中で微笑を浮かべて死んでいく、その笑みまで想像することが出来ました。
実際、その後、HD(ライブ・ビューイング)の再上映を鑑賞する機会に恵まれ、
HDではオペラハウスにいるオーディエンスにはおよそ鑑賞不可能な角度からカメラがカウフマンににじり寄って彼の表情をおさえることに成功しているのですが、
その表情が、劇場で見た彼の腕の演技から感じた通りの表情だったので本当にびっくりしました。
オペラの、特にメト級の大劇場の舞台では、肉眼では見えないものを観客に感じさせ、それを見たような感覚を持たせるという種類の能力は非常に大事で、
普段私がビジュアルの面で平土間に劣る席種の座席に座ってもそう苦にならない理由の一つは、本当に表現力・演技力のある歌手なら、
距離があってもきちんと伝わる種類の演技が出来るからで、逆を言うとそれを出来ない歌手は、間近で見たところで、やっぱりあまり訴えてくるところがない、、
ということになる場合がほとんどだからだと思います。



おそらくランの最後まで言い続けることになるのだろうと思いますが、ターフェルのヴォータン役は私にはかなり辛いです。
彼の声そのものは本当に美しいと思いますし、私は彼のことを、合った役においては、一見がさつなように見えて、
それが実は知的さの裏返しであるというような、個性的で面白い歌を聴かせられる、優れた能力を持った歌手だという風に思っていますが、
彼にはヴォータン役を十全に表現し、また彼という人物を観客に頭で考えたり理解するのではなく、”感じさせる”種類の声がない、
このことは彼がどんなに頭が良く優れた歌手であったとしても完全には穴埋めできないような気がしています。
特に今日の公演でのヴォータンのパートの最後の言葉、”Wer meines Speeres Spitze fürchte, durchschreite das Feuer nie!"
(私の槍の先を恐れるもの、決してこの火を越えてはならぬ!)のfürchteという言葉でのがなりっぷりはほとんど下品の域に達していて耳を覆いたくなりました。
せっかく緻密な役作りを全編に渡ってして来ても、大事な箇所でのこういう響きはそれをすべて帳消しにするような怖い力を持っていると思います。
このラストの場面は、劇場ではHDやラジオなどの録音したものではおそよその効果の全てを感じ取ることは出来ないような音響でオケが鳴っているので、
つい力が入ってしまうのはわかるのですが、彼がヴォータン役にしては声のスケールが小さめであることはもう秘密でも何でもないわけですから、
こういう下品な音を出すよりは、アンダーパワーだとしても響きをもう少し美しく保つ方が良いと個人的には思います。
HDの日に今日みたいな下品ながなりが出ないことを願っています。

プレミエの日の記事でもヴォータン役についてはモリスとの比較について言及しましたが、
モリスが同じパートをターフェルに比べてどれ位がならずに朗々とfürchteという単語をオケを越えて鳴らしているかはこのYouTubeにあがっている
1989/90年シーズンの公演の映像でも感じられると思います。
味もしゃしゃりもなく金を食うばかりの現行のルパージュの演出に乗っ取られるまで、深くヘッズに愛されて来た、
今でも”いつでも帰って来て!”という声が止まないオットー・シェンクのプロダクションによる上演で、指揮はレヴァインです。




はあ、、、たった3分半弱の抜粋なのに、プロダクションが違うとここまでドラマの奥行きの深さが違うものかと溜息が出てきました、、。
それにしても、モリスがメトでヴォータンを歌うことはもうないかもしれないな、と思いますが、
声が衰えただの何だのと言われていた2008-9年時の演奏でさえ、
オケを楽に越える響きという一点においてはターフェルとは比べ物にならないものを持っていたということを再確認。

今シーズンの『ワルキューレ』の公演で、しかし、一般的にローカルのヘッズから不満の声が大きいのはターフェル以上にヴォイトに対してかもしれません。
ただ、彼らの失望の大きさというのは、彼女に抱いていたワーグナー歌手としてのポテンシャルの大きさへの期待ゆえかな、という風にも感じます。
私は正直、彼女が巨大だった頃も、痩せてからも、それほど彼女に入れ込んだことがないので、
今回のブリュンヒルデも確かに声がふわふわしていて、役にそれほど合った声を持っているわけでないことは否定しませんが、
それを言えばターフェルやカウフマンだってそれほどスケールが大きいわけではないし、
ヴォイトのブリュンヒルデはそれなりにチャーミングな役作りだったとも思っていて、
彼らが酷評するほどひどいブリュンヒルデだとは思っていません。
しかし、彼女の能力を高く買っていたヘッズほど、本当はもっと優れたブリュンヒルデになっていてもおかしくなかったのに、
という期待外れの感覚が大きいようです。
なかにはそれを、はっきりと、彼女がスリムになった、またその原因ともなった手術のせいにしているヘッズもいます。
でも、彼女が基本的に優しい感じの声であることは以前から変わりがなく、ブリュンヒルデに硬質な激しさを求めている人は
そもそもヴォイトが彼らの求めるブリュンヒルデにはなりえないこと位は予想できたのではないでしょうか?



ところで、ルパージュの『ワルキューレ』に使用されているセットに対して大道具のスタッフでさえ懸念の声を上げていたことは
初日の公演の感想の中にも書きましたし、
実際その初日には、ヴォイトがマシーンから足を踏み外すという事件もありました。
しかし、さすがに大道具のスタッフを心配させているだけあって、事故はそれだけでおさまらず、
4/28の公演ではワルキューレの騎行の途中で、ジークルーネ役のイヴ・ジリオッティがプランクから落ちて本舞台の床に投げ出されるという、
一つ間違ったら大怪我になっていてもおかしくない事故が起こってしまいました。
この場面ではホーヨートーホーを歌いながら、ワルキューレが一つ一つ大きなシーソーのようになっているプランクから滑り落ちて来ます。
滑り始める場所、つまりプランクの一方の端はメトの舞台の高さのちょうど真ん中位のところにある感じですので、相当な高さがあります。
彼女たちが着地する場所=プランクのもう一方の端が止まる場所は本舞台の床よりも少し高めに作ってある張り出し舞台のはずなのですが、
このプランクを裏で手動で動かしているスタッフ(!!信用できないコンピューターに完全制御させるのはあきらめたか?!)の間で、
キューを出し間違えたか、読み違えたかで、プランクが張り出し舞台でとまらずにさらに低い場所に向かって、
つまり、予定よりも強い勾配をもって傾いてしまったのが原因で、張り出し舞台と本舞台の高さの差は1メートル弱ほどのものですが、
期待していたものと違った動作をプランクがしたことで、ジリオッティが咄嗟に対処できず、
張り出し舞台と本舞台の間に出来た溝に放り出されてしまった形になり、
演奏している(それも静かな部分ではなく、ワルキューレの騎行ですから!!)オケの奏者にまで、
”どーん!”という大きな音と、舞台近くに座っている観客の息を呑む声が聴こえたといいます。
それでも助けが来るまでに咄嗟に立ち上がって自力で舞台の脇まではけていったというのですから、彼女のプロ根性はたいしたものです。

今日もまたインターミッションでマフィアな指揮者とご一緒、
というのも、彼は今年の『ワルキューレ』、一公演だけを除いて残りの全部を鑑賞しているからで、
ということは、ジリオッティの落下事件も彼は自分の目で目撃しているので、
今日のプレイビルは彼女の名前になっているけれど、そんな事故があったすぐ次の公演なんかに無事に登場できるんだろうか、、?
登場したとしてもきっとものすごく怖いでしょうね、、と二人でお話していたのですが、
実際ワルキューレの騎行の前奏部分が始まって舞台に照明がついて、舞台の一番下手寄りでプランクに跨っているのはまぎれもない彼女本人で、
初日の時と全く変わらない活き活きとした明るさ一杯にジークルーネ役を歌っている姿と彼女のガッツには胸が熱くなりました。

メトからいずれ”手入れ”が入るかもしれず、いつまで視聴が可能かわかりませんが、
HDの映像をYouTubeにアップしてくれた方がいらっしゃいましたので、百聞は一見にしかずで、
この部分の映像をご紹介しておきます。(ただし、HDに収録されたのは5/14のマチネの公演で、5/2のものではありません。
もちろん、件のジリオッティ嬢も元気な姿を見せています。)



今年のワルキューレ達は例年に増して意図的にフレッシュな顔ぶれのキャスティングにしたのではないかというように感じますが、
セットはやたら重いくせにドラマそのものに重厚感を欠くこのルパージュの演出には、却ってそれが良くマッチしているように思います。
声楽的にも変な癖のない素直な発声を聴かせる若手が多く起用されているせいで、声の響きも良く調和していて、
ワルキューレたちはなかなかに健闘していると思います。
中でもオルトリンデを歌っているウェンディ・ブリン・ハーマーは『ラインの黄金』でフライア役を歌っていたソプラノで、
アンサンブルの中でも一際しっかりしたスケールの大きな声をしていて、
2006年のリンデマン・ヤング・アーティスト・デヴェロップメント・プログラムのワークショップで彼女の歌声を初めて意識して聴いて以来
(というのも、それまでにももしかすると彼女が脇役を歌ってくれていたことがあったかもしれませんが、そうと気づかずにいたかもしれないので。)、
これからの活躍を楽しみにしている歌手の一人です。



フリッカ役のブライスは相変わらずあの登場場面の少なさにしては信じられないくらいの存在感を感じさせる歌で、
”コワい妻”的キャラクターになりがちなこの役に、女性としての弱さや『ラインの黄金』以来深まるばかりのヴォータンとの溝や、
子供がいないという事実から生れる焦り、ブリュンヒルデに対する複雑な感情などの諸々を吹き込んで、
この役を非常に立体的なものに見せているのは見事だと思います。
そして、ブライスのすごい点はこれが彼女の全部でないところ!
フリッカのようなシリアスな役もすごくいい彼女ですが、私は彼女の歌い演じるコメディー・ロールも好きで、
メトでの『三部作』の『ジャンニ・スキッキ』におけるジータ役での抱腹絶倒の歌唱・演技力に舌を巻き、
以前YouTubeで見たアリゾナ・オペラの『ミカド』の映像(↓)でのはじけっぷりには目が点になりました。
ほんと、懐の深い歌手だと思います。



最後にオケですが、、、、うーん、、、今日の演奏はどうしてしまったのでしょう?
らしくない乱れが散見され、セクション同士の音が全く上手くブレンドしておらず、
レヴァインが指揮するワーグナーで、均整が取れすぎて面白くない、とか、テンポがまったりしていてスリルがない、という批判があったとしても、
こんなにコーディネーションが悪く、平たく言うとメト・オケが下手に聴こえたことは今までにまずなかったことです。
だらけているわけでは決してないのに、何かぴたっとまとまらない感じ、、、。
レヴァインは過去の映像などからも、動きに非常にクラリティがあって、彼の指揮を見ていると何を欲しているかというのが、
とてもはっきり伝わって来るのですが、そういう明瞭性に富んだ指揮が体の自由が効かなくなっていることから段々難しくなっているのかもしれない、と思います。
それから、メト・オケがレヴァインとリングを演奏する時にいつもある”火”が無く、思い切りの悪さみたいなものを感じます。
これから先、常時、今日のような演奏内容になってしまうとしたら、いよいよレヴァインも引退を考える時期が近づいているのかもしれないな、とすら感じます。

今日の公演の歌唱に関しては幾人かの歌手の個々の力・適性の問題はありつつも、熱いものもありましたのでまず満足しましたが、
オケの演奏が良くない『ワルキューレ』なんて駄目です!!!
それも良い演奏を出せる可能性が無いに等しいオケならともかく、メトのオケで!!!
HDまで後10日あまり。個々の楽器の細かいミスの有無は私はあまり気にしてません。
それよりも、とにかく彼ららしいサウンドの演奏を聴かせてほしいな、と思います。


Jonas Kaufmann (Siegmund)
Eva-Maria Westbroek (Sieglinde)
Hans-Peter König (Hunding)
Bryn Terfel (Wotan)
Stephanie Blythe (Fricka)
Deborah Voigt (Brunnhilde)
Kelly Cae Hogan (Gerhilde)
Molly Fillmore (Helmwige)
Marjorie Elinor Dix (Waltraute)
Mary Phillips (Schwertleite)
Wendy Bryn Harmer (Ortlinde)
Eve Gigliotti (Siegrune)
Mary Ann MacCormick (Grimgerde)
Lindsay Ammann (Rossweisse)
Conductor: James Levine
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set and projection design: Carl Fillion
Costume design: François St-Aubin
Lighting design: Etienne Boucher
Video image artist: Boris Firquet
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*** ワーグナー ワルキューレ Wagner Die Walküre Die Walkure ***