Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

CAVALLERIA RUSTICANA/PAGLIACCI (Fri, Jan 26, 2007)

2007-01-26 | メトロポリタン・オペラ
10月の公演から3ヶ月、キャスト組み換えのカヴァレリア&道化師。
またリチトラの見事な寝取られ亭主ぶりを見れるわ!とわくわくしながら向かいました。

10月はグレギーナがちょっと予想外の低調ぶりだったので、
ザジックに期待のCav。
最近自分の期待しているキャストしか覚えていかないことが多く、
幕中にあれ?この人、何ていう人だろう?ということがしばしば。
今日もザジックとリチトラ以外、ぜーんぜんキャストを覚えていかなかったので、
舞台上の教会の裏から
O Lola ch'ai di latti la cammisa~ という例のトゥリッドゥの声が聞こえてくる冒頭のシーンで、
おや?と思う。
少し不安定だが(しかし、オペラの頭ではよくあることなので。。)、いい声じゃないの!
声にちゃんと芯があるし、前回のFarinaより全然いいぞ!
確か、メトデビューのテノールだったはず。。。なんて思っていたら、
合唱のシーン。
そして、サントゥッツァとトゥリッドゥの母親とのシーン。
トゥリッドゥはローラという相思相愛の恋人がいたのに、
徴兵から帰ってきてみたら、ローラはアルフィオという別の男と結婚していたため、
サントゥッツァと内縁関係に。ちなみにリブレットの後半によれば、結婚話まで出ていたようなので、
サントゥッツァがトゥリッドゥを一方的にストーキングしていたわけではない。
しかし、母親はあんまりサントゥッツァのことをよく思っていない、というシーンです。
ザジックは、やはりグレギーナよりもきちんと声も出てます。
ただ、ザジックの声のすばらしさがこの役では生きにくい気もしました。
彼女のヴェルディのメゾ役(ドン・カルロのエボリ、アイーダのアムネリス、
トロバトーレのアズチェーナあたり)は本当に素晴らしいのですが、
それらのメゾ役でいきるザジックの声の美点、
例えば空気がぴりぴりするような(しかもメトのような大きいオペラハウスで!)高音、それから、豊かな低音、といったことが、
逆にサントゥッツァのような役では、
高音が冷たい感じに、低音ではほとんどドスがはいっているように聞こえるのが
残念でした。
それでも、役を自分流にきちんと解釈しているところはさすが!
それは、後にふれるとして、次はミサにみんなが向かうシーン。
ゼフィレリのプロダクションってよく動物が舞台上に出てきて私のような動物好きにわくわく感を高めてくれますが、
このプロダクションもしかり。
この合唱のシーンでは、
馬にロバにわんこにとわらわら動物が登場。
わんこは退場のシーンの途中で立ち止まって、体をぶるぶるぶると振るわせる熱演ぶりで、観客の笑いを誘っておりました。
(うちのわんこも緊張をほぐすとき、気持ちのよいときなどによくするしぐさなのです。)
しかし、ふと私の眉をしかめさせたシーンがこの後に。
それは、例のアルフィオのシーン。
このアルフィオという人は、結構見た目は偉丈夫風、
美人のローラを妻にして、人生絶好調!みたいな感じを出してほしい。
それゆえに、ローラとトゥリッドゥとの関係を知って、怒りで切れまくる!という役のはずなのですが。。。
このDelavanっていう人、弱いー。
これじゃ、トゥリッドゥにやられてしまうのでは?って感じ。
声もたたずまいも。
このアルフィオって登場人物は曲者で、どうやらオペラハウスには、
予算をケチれる役という位置づけにされてしまっているようで、
私は今まで、これは!と納得させられるような歌唱に出会ったことがないのです。
しかし、この役がしっかり決まると、かなりリアリティに違いが出るんだけどなー。
まあ、でも10月のマエストリという人が極端な内股で(男性であるにかかわらず!)
大変気になったので、今日の人はまだ内股じゃないというだけで、マシか。
歌には何の関係もありませんけど。
そう、そして、眉をしかめたというのは、
そんな情けない歌しか歌ってないのに、この人、
馬のすぐそばで、ぴしっ!!ぴしっ!!と鞭を振るもんで、
(Schiocchi la frustaのところ)
馬が怖がってびくっ!びくっ!とするのが、動物愛護派の私には見ていて耐えられませんでした。
素晴らしい歌なんだったらともかく!
そんなわけで、ザジックとの会話のシーンもなんとなーく盛り上がらない。
あー、今日もやっちゃったかしらね?と思っていたら、
Tu qui, Santuzza?と言って現れたトゥリッドゥ。
あれ? あれ? あれ???
もしや、リチトラ???!!!
思わず身を乗り出す。
まちがいない。リチトラだ!!!
あんたは寝取られ亭主のはずで、寝取る方じゃないのよ!!!とつい叫びだしそうになる。
しかし、リチトラがこの役を歌うってことは、
次の道化師と合わせて二本立ての、リチトラ・スペシャル!
すごい!!!同歌手による寝取り亭主、寝取られ亭主の聞き比べですね!
望むところだ!
しっかし、この人、ほんっとに、こういったイタリアの片田舎の男が本当にはまる。
英雄系よりも絶対こういう役が合ってる。
もう、ローラの声が遠くに聞こえてきて、顔がほころんでしまうのを、
サントゥッツァに見咎められて、どきまぎするところ、なんて心憎いくらい。
(ローラ役のSandra Piques Eddyがまた好演。悪気のない高びしゃさがよくあらわれてました。)
今日は決して声の方は絶好調じゃなく、少し不安定な部分も見られるものの、
肝心な部分は押さえるうえに、芝居がほんと上手。
ザジックも触発されたか、このあたりから、ぐっと舞台のテンションが変わりました。
ここから、トゥリッドゥがサントゥッツァを教会前で振り払い、一人でミサに向かう後ろ姿に、
サントゥッツァがののしりの言葉を吐くシーンまでは
息をもつかせぬ素晴らしさ。
今日はこのシーンを見れただけで私は満足です。
怒りで我を失ってアルフィオに不倫を密告したものの、
それが、アルフィオからの予想以上の反応を引き出し(まあ、Delavanの歌のほうは、ほんとに全然怒りが伝わってこないんですけど、リブレットによるとすごく怒ってるはず。)たことに気づきおののくサントッツァ。
そしてあの美しい間奏曲が始まります。
前半、なんとザジックが舞台上で演技をするのですが、
(グレギーナのときはどうだったか記憶がないのです。。
演技をしてたかも知れないけど、記憶に残ってないってことは。。)
これが、またなんとも切ない。。。
どうにか神に自分の密告を許し、かつその密告が導くかも知れない結果をとめて
ほしいと懸命に祈るサントゥッツァ。
しかし、しばらく後に、こんなことは無駄だと言わんばかりに、
突然祈るのをやめて立ち上がって舞台から立ち去ってしまいます。
そこには、トゥリッドゥを救いたい、でも、自分を裏切った二人を罰してやりたい、
という心の葛藤が表現されていて、今まで”見た”(そう、いつもは”聴く”んですが)間奏曲のなかでもっとも感動的でした。
ザジック、お見事!
さて、後半は、若干、リチトラに疲れが見られるも、
(でも、道化師もあるから、疲れてる場合じゃないぞー!)
かなりソリッドな演奏でした。
ただし、トゥリッドゥがアルフィオとの決闘を約束するシーンの後、
母親がぬーっと壁のうしろから現れて、観客から笑いが出ていましたが、
これは多分、盗み聞きをしていたと勘違いされて、笑われたのだと思われるのですが、まずい展開。
その後、トゥリッドゥが”母さん、この酒は強いね”で、
さりげなく母親に自分が命を落とすことをほのめかしているというのに、
母親が気づかず、トゥリッドゥが決闘に向かった後に、
はたと思い至るという流れが肝になっているというのに、
盗み聞きは矛盾もいいところ。
もう少し間をもって、さりげなく出てきてほしかったなあ。
ここで笑いが出たのは、私の鑑賞歴上はじめてです。
最後がまたザジックが度肝をぬく怖さ!
女性の”Hanno ammazzato compare Turiddu!(トゥリッドゥが殺されたわ!)”
という絶叫に、
頭にかぶっていた黒いショールをすっぽり顔にかぶせ、
閉じはじめた幕に向かって、前進してくるのです!!!
ああ、あまりに怖くて、あのにじり寄ってくる黒頭巾がしばらく頭から離れそうもありません。
結論:声楽的にはベストでない箇所もありましたが、演技で補ってあまりあり。
リチトラは寝取った方をやらせてもいける。

インターミッション中、プログラムに挟まった紙片発見。
病気のPorrettaに代わってリチトラが代役、となってました。
もしや、リチトラが両方演じたいがために、むりやり病気にさせられたか、Porretta?と思うのはうがちすぎ?
でも、まあ、両方歌うとかなりきついですから、まずは本当に病気だったのでしょう。

道化師。
これまた芝居上手なRaccetteが前回歌ったのに比べると、
Stoyanovaのネッダは、声は決して悪くない(むしろ、良い!)のに、
オーバーアクティングなのが、しらけます。
もう少しさりげない演技ができれば。。
声は、Raccetteのネッダより、柔軟性があってまろやか。
鳥の歌のところ、もう少し高音でボリュームが出るとなお良いですが、
全体的には、声だけ聴いていれば大変良い出来だったと思います。
そして、前回代役で歌ったCroftが素晴らしかっただけに、
今日のBraunのシルヴィオは、なんだか音大生が歌っているような拙さ。。
ばっさり言ってしまうと、役のつかみ方といい、
歌唱といい、少なくともこの役で、
メト級のオペラハウスで歌うのはまだ早いのではないかとおもいました。

リチトラは、やはりベストのコンディションではないこともあり、
特に前半少し微妙に荒れたうえ、
”衣装をつけろ”も、彼のベストを聞いた私としては、
今日の歌唱は少しもどかしさもありましたが、
(普通の基準で言えば出来はよかったのですが、こんなものではないのよ!というもどかしさ。。。。)
もうこれは、彼の持ち役に認定いたしましょう。
後半、特に劇中劇が始まったあとの切れぶりと、
ローラとシルヴィオを刺し殺し、
ラストの台詞、La commedia e finita!(喜劇は終わりだ)を言い捨てるまでのシークエンスは、
もう本当に彼の真骨頂。
何度見ても興奮!
アタネリの若いけどいやらしいトニオも絶好調。

もともとアルミリアートのわざとらしくない指揮と、
彼の”指揮が出来るのがとにかく幸せ!”という飾り気のないポジティブな態度が好きなのですが、
今日はトランペットのあちこちでの失敗に足をとられた形に。
特に道化師、ひどかったです。
ただし、チェロが数音、なんとも言えぬ美しい音を出してカバーして下さいました。
そうそう、Cavの方では、アルフィオのDelavanが、入るタイミングが悪く、
何度か、オケを崩壊に陥れていたことも付け加えておきましょう。

結論:リチトラは、やっぱり最高の寝取られ亭主。アタネリのトニオとのコンビがあったら絶対見逃さぬこと!

Salvatore Licitra replacing Frank Porretta (Turiddu)
Dolora Zajick (Santuzza)
Mark Delavan (Alfio)
Sandra Piques Eddy (Lola)
Jane Bunnell (Mamma Lucia)
---------------------

Salvatore Licitra (Canio)
Lado Ataneli(Tonio)
Krassimira Stoyanova (Nedda)
Russell Braun (Silvio)

Conductor: Marco Armiliato
Production: Franco Zeffirelli
Dress Circle D Even
OFF
***マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ Mascagni Cavalleria Rusticana
レオンカヴァッロ 道化師 Leoncavallo I Pagliacci***

I PURITANI (Thurs, Jan 11, 2007)

2007-01-11 | メトロポリタン・オペラ
ヨーロッパほどではないかもしれませんが、ここニューヨークでも、ネトレプコの人気は勢いを増してます。
”真のベルカントレパートリーは彼女の声にあってない”とか、
”声自体はそれほど印象的じゃない”とか
”彼女の歌唱は劇場で見ないと真価がわからない(そして、当然、そのあとに、声だけでつたえられないとだめなのだ!と、まくしたてるコアなファンがおり。。)”
など、いろいろ言われていますが、
やっぱり、それだけいろいろ言われること自体、やはり”人気”があるといえるでしょう。
ましてや、多分新支配人ゲルプ氏の作戦でしょうが、今シーズンの彼女の扱いはまるでセレブ。
この状態で、なかなか彼女の歌をフェアに聞くのは難しい!がんばります!!

まず、申し上げておきますと、
私は基本的に、ネトレプコのファンだし、これからの活躍もおおいに期待するものです。
去年、メトで演じたドン・パスクワーレのノリーナは、
うるさがたのファンには、あれは正統なベルカント唱法ではない、とかいろいろいわれてましたが、
このサイトの紹介にもあるとおり、私は音楽の専門家でなく、
限りある財力と時間の中で、どれだけ心を動かされる演奏に出会えるか、という
まるっきり独自の好き勝手な聴き方をしているだけなので、
感動的な演奏に寄与するテクニックは大いに歓迎するのですが、
テクニックのためのテクニック、スタイルのためのスタイルのようなものはあんまり興味がなく、
(とはいえ、多くの場合、やはり技術やスタイル感のある歌手の方がドラマに深みを与えうるのもまた事実ですが。。)
それゆえに、むしろオーソドックスではなくても、いきいきと役を演じきった様子、
何度高音を出しても後から後から湧き出るような声にエキサイトしたものでした。
またその高音も、”ring "とでもいいますか、空気がぴーんとなるような響きがあって、すばらしかったのです。
近頃、漫画”ガラスの仮面”をまた読み始めたのですが、その例を借りれば、
姫川亜弓演じる、原作からぬけでたような”たけくらべ”のみどりをオーソドックスなノリーナとするなら、
ネトレプコのそれは、おきゃんで型破りだけど、観客にとっては不思議と目がはなせない、北島マヤ演じるみどり、といった趣でした。
それから、ヴォルピ総支配人のさよならガラの時の、夢遊病の女からのアリアも、よかったですし。。

そんなネトレプコですが、この”清教徒”、初日のラジオ放送では、
ちょっとにわかに信じがたい(悪い意味で)歌いっぷり。
彼女のCDで聴ける狂乱の場、Qui la voceが本当に素晴らしいのですが、
そこで聴ける歌唱と比べ、声がだいぶ暗くて重たい感じに聞こえたのと、
とにかくトリルが重たくてどうにもこうにも。。
まあ、その日は調子も悪かったのかもしれません。



さて、今日の公演ですが、初日より全然良くなってました。
またトリルもきちんと決まってましたし、ピッチも良かった。
ただ、惜しむらくは、やはり、初日に思ったほどではないとはいえ、
オペラハウスで聴いても声の質の変化が感じられた点。
また、最高音域が出にくくなっているように感じました。
去年のようなringが聴かれず、音にかすかに”すかすか感”が残るときも。



しかし、この方の声による存在感はやはりただものではありません。
多くの人が、ネトレプコのことを、”見た目が綺麗で得して!”と思っているようですが、
私がこの日、もっとも胸を打たれたシーンは、
狂乱の場のはじめ。
みんなが階段の踊り場にたたずんでいるところに、
2階から、正気を失い始めたエルヴィラの声が聞こえるシーン、
アルトゥーロが他の女性と駆け落ちしたと勘違いして、
(実はスチュアート家の女王を安全に逃がすための偽装工作)
O rendetemi la speme, o lasciatemi morir (私に希望を返して。そうでなければ死を。。)と歌いだすシーン、
ここはオフステージで歌われ、彼女の姿など全然見えないのですが、
このフレーズからあふれ出る悲しみのなんとリアルなこと。。
声だけにこれだけの心情がこめられるとは、
ルックスだけのソプラノにできることとは思われません。



ヴェルディ中後期の作品やプッチーニ作品のように情熱的な音楽よりは、
むしろ、モーツァルトの作品やベルカントのレパートリーの方が彼女にはあっているように思われるのも興味深いところ。あと、フランスもののレパートリー(マノンなど)も、私は聴いていないのですが、大変評価が高いようです。
(椿姫やリゴレットも歌っていますが、ヴェルディの作品の中では比較的に早い時期の、まだベルカントレパートリーの影響を受けているころの作品ですし。)
実際、ボエームのミミを歌ったときは全然しっくりこなくて、
役作りにも疑問が残りました。

あと、ひとつは、忙しくて、役を十分歌いこめる時間がないのではないか、と思いました。今日も、プロンプターにだいぶたすけられ、2幕のカーテンコールでは、
狂乱の場で抱えていた花束を、プロンプターボックスに差し入れる場も。。
長丁場なので、時に助けが必要なのもわかりますが、ラジオ放送の時から、
かなりひんぱんにプロンプターの声が確認されているので、
もうちょっと役を覚えてこなしてほしいところ。
変な箇所でブレスをするのが多かったのも気になりましたが、
それも、能力というよりは、どちらかというと、役の研究時間の不足から来ているのではないかと思われました。



さて、ネトレプコ以外のキャストについてですが、
まず、Cutler。まだ若手のアメリカ人テノールで、だいぶ期待がかかっているようですが、
高音でテンションがかかるのが、なんとも聴いていてつらい。
声量はあって、舞台栄えもする体格なのですが、
フレージングとか高音の発声とか、まだまだ磨かれる前の原石状態。
VassalloとRelyeaは、手堅く脇を固めていたと思います。



さて、しかし、この作品も、狂乱の場が信じられないよさだからともかく、
一幕の拷問のような長さ(そのくせ、ほとんどが2幕にいたる単なる状況説明)、
ストーリーのご都合主義ぶりといい、(なんで発狂したはずのエルヴィラが正気にもどる!)
”この作品の現代版がFirst Emperor?”疑惑(2006/12/26の記事参照)が発生しました。

Anna Netrebko (Elvira)
Eric Cutler (Arturo)
Franco Vassallo (Riccardo)
John Relyea (Giorgio)
Conductor: Patrick Summers
Production: Sandro Sequi
Grand Tier B Odd
ON
***ベッリーニ 清教徒 Bellini I Puritani***