7月11日に観に行ったような京劇を予想していたら、とんでもないことに。
開演10分前に私の連れが放った、
”Shen Wei Dance Artsってあるけど、これって京劇なの?ダンスなの?”という
素朴かつ的を得た質問に、私もしばし沈黙。
確かに、言われてみれば、なぜOperaではなく、Dance Arts?
勝手にトラディショナルな京劇だと思い込んでいた私。。
開演前の舞台に掲げられたスクリーンには水墨画の様なタッチで描かれた竹の絵が。
開演した途端、同じスクリーンの右上端に中国語(原語)の歌詞と、翻訳が。
読みやすくて、驚きました。
これだと、舞台の上方や横にサブタイトルを映し出す方式、
またメトのオペラの公演で使用されている、前の座席の背中にでるタイプと比べても、
圧倒的に舞台との距離が近いので、視界をあちこちにやらなくてすみ、とても画期的!!!
と感動しているうちに、わらわらとグレーのパジャマみたいなダンスウェアを来て現れたダンサーの人たち。
全員中国人ではなく、白人のダンサーも数人混じってます。
そして繰り広げられるとてもコンテンポラリーだがどことなく太極拳的な動き。
・・・・・・・・。
結論から言うと、この公演、京劇がメインなのではなく、
ダンスがメイン。そう、あくまで、Shen Wei Dance Artsの公演だったのです。
だから、この記事も本当は京劇というカテゴリーは適当でなく、
ダンスという新たなカテゴリーを作るべきだったのかも知れません。
このShen Weiという人、9歳から京劇の勉強を始め、
地方公演に出演を重ねたあと、モダン・ダンスの世界に入り、
1994年に中国の全国大会で振付と踊りの両方で最高賞を得てニューヨークへ。
2000年に、ダンス、演劇、京劇、絵画、彫刻等、西洋および東洋の文化のフュージョンを目指すべく
このShen Wei Dance Artsを結成したそう。
2003年のリンカーン・センター・フェスティバルでは、
ストラヴィンスキーの”火の鳥”をバックに、大判の絵画とダンスの融合、なんていう試みも行い、
高く評価されたそうです。
つまり、今回は、京劇が主役なのではなく、
Shen Wei Dance Artsのフュージョンのパートナーとして白羽の矢がたったのが京劇だった、
というわけなのです。
そして、早速私の感想を述べるなら、少しいろいろ詰めこみすぎかな、という印象。
舞台の片側、または前方で京劇が進行する間に、反対の片側、または後方で激しくダンサーの人が踊りを繰り広げているのですが、
私のような中国語を耳で聞いてわからない人間には、これに字幕まで加わってしまうので、
どれに集中すればいいの?!という感じになってしまうのです。
タイムリーなことに、この公演から帰ってきた後に、たまたま、
お友達のブログで知って購入した、『オペラを聴くコツ、バレエを観るツボ』と言う本を、
再度流し読みしていたところ、
パリでピナ・バウシュが振付けた”オルフェオとエウリディーチェ”のオペラ・バレエなるものが上演された、という記述を発見(37ページ)。
著者の話によれば、ひとつの役に対してダンサーと歌手が一つずついて、
歌手が本音を表現しているところで、ダンサーが違う面を表現していたり、その逆だったり、と、
大変興味深い公演だったそうです。
この『二進言』では、京劇側は一つの役につき、歌手が一人いるのですが、
ダンス側は各役との、そのような一対一の関係ははっきりせず、
どちらというと複数のダンサーが全体でその場面そのものをアブストラクトに表現する、といった手法で、
”オルフェオとエウリディーチェ”と単純比較するわけには行かないのですが、
まさに、その点が仇になっているような気がする。
つまり、京劇側とダンス側とで何も有機的なつながりがないので、
別々の公演がたまたま同じ舞台で一緒にかかっていて、
それを観ているような何とも落ち着かない感触なのです。
もしも、ダンスの方がぴったり揃っていれば(ダンサーは10人くらい)、
また印象も違ったかも知れないのですが、こちらがまたばらばら。
しまいにはあまりにも集中できないため、途中からダンスの方を多少切り捨てて見ることに。
特にオペラと違って、京劇の場合は俳優にもちゃんと踊りの振りがありますから、
私の顔に8つくらい目がついていない限り、こんなのをきちんと観るのは不可能なのです。
またダンスの振付そのものも、なんだかぐねぐねしているばっかりでちっとも美しくない。
生理的にあまり快い振付ではなかったのです。
それでは何一ついいことがなかったかというと、
ステージングやセット、プロダクションは素晴らしいのです。
なんと多才、そんなステージのデザインまでこのShen Weiという人は自ら行ってしまうようで、
予算がないことを言えば、キーロフの指輪の公演の比ではないのですが、
まるでお金がないけれどもセンスのいい人が、自分の部屋をお金をかけずとも趣味のよい空間にしてしまうのと同様に、
本当にその辺の手芸店やDIY系のお店で手に入りそうなものを組み合わせて、
美しいセットを作りあげていたのには恐れ入りました。
こんな人にメトのようなところがそこそこの資金をあげてオペラのプロダクションを作ってもらったら、
ちょっと面白いことになるのでは?と思ったりもしたのでした。
しかし、資金が乏しいときほど、上品にステージを作りあげるよう専念すべきだと実感しました。
つくづく、あのキーロフのステージングは何だったんだろう?と思えてきます。
作品の方は、明の皇帝に、赤ん坊を残して先立たれたお妃が、
自分の子供に、いかに皇位と明るい国の未来を残してやるか、というのがテーマ。
なんとこの妃、自分の父親に裏切られて、
子供が受け継ぐはずだった政権を奪われたうえに軟禁状態にまでされますが、
彼女に仕える優れた軍人と民間人(といっても限りなく位は高いようですが。)の力を得て、
無事に目的を達する、というお話。
楽器の演奏が大変凝っていて、日本のお琴のような楽器も。
歌の方は、マイクを使われてしまったので、本当の意味で声の質を判断するのは不可能。
生の声フェチの私(だからオペラが好きなのだ!)にはこんなの言語道断。
私にはこの公演、ちょっとフュージョン度が高すぎたようです。
Lincoln Center Festival 2007
Shen Wei Dance Arts
"SECOND VISIT TO THE EMPRESS"
Zhang Jing (Empress Li, Widow of Ming Emperor)
He Wei (General Yang Bo, Courtier)
Deng Mu Wei (Duke Xu Yanzhao, Coutier)
Song Yang (Miss Xu, Royal Attendant)
Dancers of Shen Wei Dance Arts
Concept, Direction, and Choreography: Shen Wei
Music Direction: Zhenguo Liu
***二進言 Second Visit to the Empress***
開演10分前に私の連れが放った、
”Shen Wei Dance Artsってあるけど、これって京劇なの?ダンスなの?”という
素朴かつ的を得た質問に、私もしばし沈黙。
確かに、言われてみれば、なぜOperaではなく、Dance Arts?
勝手にトラディショナルな京劇だと思い込んでいた私。。
開演前の舞台に掲げられたスクリーンには水墨画の様なタッチで描かれた竹の絵が。
開演した途端、同じスクリーンの右上端に中国語(原語)の歌詞と、翻訳が。
読みやすくて、驚きました。
これだと、舞台の上方や横にサブタイトルを映し出す方式、
またメトのオペラの公演で使用されている、前の座席の背中にでるタイプと比べても、
圧倒的に舞台との距離が近いので、視界をあちこちにやらなくてすみ、とても画期的!!!
と感動しているうちに、わらわらとグレーのパジャマみたいなダンスウェアを来て現れたダンサーの人たち。
全員中国人ではなく、白人のダンサーも数人混じってます。
そして繰り広げられるとてもコンテンポラリーだがどことなく太極拳的な動き。
・・・・・・・・。
結論から言うと、この公演、京劇がメインなのではなく、
ダンスがメイン。そう、あくまで、Shen Wei Dance Artsの公演だったのです。
だから、この記事も本当は京劇というカテゴリーは適当でなく、
ダンスという新たなカテゴリーを作るべきだったのかも知れません。
このShen Weiという人、9歳から京劇の勉強を始め、
地方公演に出演を重ねたあと、モダン・ダンスの世界に入り、
1994年に中国の全国大会で振付と踊りの両方で最高賞を得てニューヨークへ。
2000年に、ダンス、演劇、京劇、絵画、彫刻等、西洋および東洋の文化のフュージョンを目指すべく
このShen Wei Dance Artsを結成したそう。
2003年のリンカーン・センター・フェスティバルでは、
ストラヴィンスキーの”火の鳥”をバックに、大判の絵画とダンスの融合、なんていう試みも行い、
高く評価されたそうです。
つまり、今回は、京劇が主役なのではなく、
Shen Wei Dance Artsのフュージョンのパートナーとして白羽の矢がたったのが京劇だった、
というわけなのです。
そして、早速私の感想を述べるなら、少しいろいろ詰めこみすぎかな、という印象。
舞台の片側、または前方で京劇が進行する間に、反対の片側、または後方で激しくダンサーの人が踊りを繰り広げているのですが、
私のような中国語を耳で聞いてわからない人間には、これに字幕まで加わってしまうので、
どれに集中すればいいの?!という感じになってしまうのです。
タイムリーなことに、この公演から帰ってきた後に、たまたま、
お友達のブログで知って購入した、『オペラを聴くコツ、バレエを観るツボ』と言う本を、
再度流し読みしていたところ、
パリでピナ・バウシュが振付けた”オルフェオとエウリディーチェ”のオペラ・バレエなるものが上演された、という記述を発見(37ページ)。
著者の話によれば、ひとつの役に対してダンサーと歌手が一つずついて、
歌手が本音を表現しているところで、ダンサーが違う面を表現していたり、その逆だったり、と、
大変興味深い公演だったそうです。
この『二進言』では、京劇側は一つの役につき、歌手が一人いるのですが、
ダンス側は各役との、そのような一対一の関係ははっきりせず、
どちらというと複数のダンサーが全体でその場面そのものをアブストラクトに表現する、といった手法で、
”オルフェオとエウリディーチェ”と単純比較するわけには行かないのですが、
まさに、その点が仇になっているような気がする。
つまり、京劇側とダンス側とで何も有機的なつながりがないので、
別々の公演がたまたま同じ舞台で一緒にかかっていて、
それを観ているような何とも落ち着かない感触なのです。
もしも、ダンスの方がぴったり揃っていれば(ダンサーは10人くらい)、
また印象も違ったかも知れないのですが、こちらがまたばらばら。
しまいにはあまりにも集中できないため、途中からダンスの方を多少切り捨てて見ることに。
特にオペラと違って、京劇の場合は俳優にもちゃんと踊りの振りがありますから、
私の顔に8つくらい目がついていない限り、こんなのをきちんと観るのは不可能なのです。
またダンスの振付そのものも、なんだかぐねぐねしているばっかりでちっとも美しくない。
生理的にあまり快い振付ではなかったのです。
それでは何一ついいことがなかったかというと、
ステージングやセット、プロダクションは素晴らしいのです。
なんと多才、そんなステージのデザインまでこのShen Weiという人は自ら行ってしまうようで、
予算がないことを言えば、キーロフの指輪の公演の比ではないのですが、
まるでお金がないけれどもセンスのいい人が、自分の部屋をお金をかけずとも趣味のよい空間にしてしまうのと同様に、
本当にその辺の手芸店やDIY系のお店で手に入りそうなものを組み合わせて、
美しいセットを作りあげていたのには恐れ入りました。
こんな人にメトのようなところがそこそこの資金をあげてオペラのプロダクションを作ってもらったら、
ちょっと面白いことになるのでは?と思ったりもしたのでした。
しかし、資金が乏しいときほど、上品にステージを作りあげるよう専念すべきだと実感しました。
つくづく、あのキーロフのステージングは何だったんだろう?と思えてきます。
作品の方は、明の皇帝に、赤ん坊を残して先立たれたお妃が、
自分の子供に、いかに皇位と明るい国の未来を残してやるか、というのがテーマ。
なんとこの妃、自分の父親に裏切られて、
子供が受け継ぐはずだった政権を奪われたうえに軟禁状態にまでされますが、
彼女に仕える優れた軍人と民間人(といっても限りなく位は高いようですが。)の力を得て、
無事に目的を達する、というお話。
楽器の演奏が大変凝っていて、日本のお琴のような楽器も。
歌の方は、マイクを使われてしまったので、本当の意味で声の質を判断するのは不可能。
生の声フェチの私(だからオペラが好きなのだ!)にはこんなの言語道断。
私にはこの公演、ちょっとフュージョン度が高すぎたようです。
Lincoln Center Festival 2007
Shen Wei Dance Arts
"SECOND VISIT TO THE EMPRESS"
Zhang Jing (Empress Li, Widow of Ming Emperor)
He Wei (General Yang Bo, Courtier)
Deng Mu Wei (Duke Xu Yanzhao, Coutier)
Song Yang (Miss Xu, Royal Attendant)
Dancers of Shen Wei Dance Arts
Concept, Direction, and Choreography: Shen Wei
Music Direction: Zhenguo Liu
***二進言 Second Visit to the Empress***