Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

二進言 (Sat, Jul 28, 2007)

2007-07-28 | 京劇
7月11日に観に行ったような京劇を予想していたら、とんでもないことに。

開演10分前に私の連れが放った、
”Shen Wei Dance Artsってあるけど、これって京劇なの?ダンスなの?”という
素朴かつ的を得た質問に、私もしばし沈黙。
確かに、言われてみれば、なぜOperaではなく、Dance Arts?
勝手にトラディショナルな京劇だと思い込んでいた私。。

開演前の舞台に掲げられたスクリーンには水墨画の様なタッチで描かれた竹の絵が。
開演した途端、同じスクリーンの右上端に中国語(原語)の歌詞と、翻訳が。
読みやすくて、驚きました。
これだと、舞台の上方や横にサブタイトルを映し出す方式、
またメトのオペラの公演で使用されている、前の座席の背中にでるタイプと比べても、
圧倒的に舞台との距離が近いので、視界をあちこちにやらなくてすみ、とても画期的!!!

と感動しているうちに、わらわらとグレーのパジャマみたいなダンスウェアを来て現れたダンサーの人たち。
全員中国人ではなく、白人のダンサーも数人混じってます。
そして繰り広げられるとてもコンテンポラリーだがどことなく太極拳的な動き。

・・・・・・・・。

結論から言うと、この公演、京劇がメインなのではなく、
ダンスがメイン。そう、あくまで、Shen Wei Dance Artsの公演だったのです。
だから、この記事も本当は京劇というカテゴリーは適当でなく、
ダンスという新たなカテゴリーを作るべきだったのかも知れません。

このShen Weiという人、9歳から京劇の勉強を始め、
地方公演に出演を重ねたあと、モダン・ダンスの世界に入り、
1994年に中国の全国大会で振付と踊りの両方で最高賞を得てニューヨークへ。
2000年に、ダンス、演劇、京劇、絵画、彫刻等、西洋および東洋の文化のフュージョンを目指すべく
このShen Wei Dance Artsを結成したそう。
2003年のリンカーン・センター・フェスティバルでは、
ストラヴィンスキーの”火の鳥”をバックに、大判の絵画とダンスの融合、なんていう試みも行い、
高く評価されたそうです。
つまり、今回は、京劇が主役なのではなく、
Shen Wei Dance Artsのフュージョンのパートナーとして白羽の矢がたったのが京劇だった、
というわけなのです。

そして、早速私の感想を述べるなら、少しいろいろ詰めこみすぎかな、という印象。
舞台の片側、または前方で京劇が進行する間に、反対の片側、または後方で激しくダンサーの人が踊りを繰り広げているのですが、
私のような中国語を耳で聞いてわからない人間には、これに字幕まで加わってしまうので、
どれに集中すればいいの?!という感じになってしまうのです。

タイムリーなことに、この公演から帰ってきた後に、たまたま、
お友達のブログで知って購入した、『オペラを聴くコツ、バレエを観るツボ』と言う本を、
再度流し読みしていたところ、
パリでピナ・バウシュが振付けた”オルフェオとエウリディーチェ”のオペラ・バレエなるものが上演された、という記述を発見(37ページ)。
著者の話によれば、ひとつの役に対してダンサーと歌手が一つずついて、
歌手が本音を表現しているところで、ダンサーが違う面を表現していたり、その逆だったり、と、
大変興味深い公演だったそうです。

この『二進言』では、京劇側は一つの役につき、歌手が一人いるのですが、
ダンス側は各役との、そのような一対一の関係ははっきりせず、
どちらというと複数のダンサーが全体でその場面そのものをアブストラクトに表現する、といった手法で、
”オルフェオとエウリディーチェ”と単純比較するわけには行かないのですが、
まさに、その点が仇になっているような気がする。

つまり、京劇側とダンス側とで何も有機的なつながりがないので、
別々の公演がたまたま同じ舞台で一緒にかかっていて、
それを観ているような何とも落ち着かない感触なのです。
もしも、ダンスの方がぴったり揃っていれば(ダンサーは10人くらい)、
また印象も違ったかも知れないのですが、こちらがまたばらばら。
しまいにはあまりにも集中できないため、途中からダンスの方を多少切り捨てて見ることに。
特にオペラと違って、京劇の場合は俳優にもちゃんと踊りの振りがありますから、
私の顔に8つくらい目がついていない限り、こんなのをきちんと観るのは不可能なのです。

またダンスの振付そのものも、なんだかぐねぐねしているばっかりでちっとも美しくない。
生理的にあまり快い振付ではなかったのです。

それでは何一ついいことがなかったかというと、
ステージングやセット、プロダクションは素晴らしいのです。
なんと多才、そんなステージのデザインまでこのShen Weiという人は自ら行ってしまうようで、
予算がないことを言えば、キーロフの指輪の公演の比ではないのですが、
まるでお金がないけれどもセンスのいい人が、自分の部屋をお金をかけずとも趣味のよい空間にしてしまうのと同様に、
本当にその辺の手芸店やDIY系のお店で手に入りそうなものを組み合わせて、
美しいセットを作りあげていたのには恐れ入りました。
こんな人にメトのようなところがそこそこの資金をあげてオペラのプロダクションを作ってもらったら、
ちょっと面白いことになるのでは?と思ったりもしたのでした。
しかし、資金が乏しいときほど、上品にステージを作りあげるよう専念すべきだと実感しました。
つくづく、あのキーロフのステージングは何だったんだろう?と思えてきます。

作品の方は、明の皇帝に、赤ん坊を残して先立たれたお妃が、
自分の子供に、いかに皇位と明るい国の未来を残してやるか、というのがテーマ。
なんとこの妃、自分の父親に裏切られて、
子供が受け継ぐはずだった政権を奪われたうえに軟禁状態にまでされますが、
彼女に仕える優れた軍人と民間人(といっても限りなく位は高いようですが。)の力を得て、
無事に目的を達する、というお話。

楽器の演奏が大変凝っていて、日本のお琴のような楽器も。
歌の方は、マイクを使われてしまったので、本当の意味で声の質を判断するのは不可能。
生の声フェチの私(だからオペラが好きなのだ!)にはこんなの言語道断。

私にはこの公演、ちょっとフュージョン度が高すぎたようです。


Lincoln Center Festival 2007
Shen Wei Dance Arts
"SECOND VISIT TO THE EMPRESS"
Zhang Jing (Empress Li, Widow of Ming Emperor)
He Wei (General Yang Bo, Courtier)
Deng Mu Wei (Duke Xu Yanzhao, Coutier)
Song Yang (Miss Xu, Royal Attendant)
Dancers of Shen Wei Dance Arts
Concept, Direction, and Choreography: Shen Wei
Music Direction: Zhenguo Liu

***二進言 Second Visit to the Empress***

祝! 2008年 キーロフ・バレエNY公演

2007-07-26 | お知らせ・その他
オペラにせよ、バレエにせよ、日本にいると、
いたれりつくせりな感じでいろいろな情報が郵便やら何やらで招聘元から送られてくるために
すっかりレイジーになっていた私。
ここNYでは何事も自ら動いて手に入れなければいけないことを忘れておりました。今までチケットをあまり購入していないバレエは特に!!

日本にいるお友達に、NYは日本みたいに海外からのバレエやオペラの公演が多くなくて。。とぼやいていたところ、
ふと、本当に公演がないのだろうか?私が知らないだけでは??と思い立ち、
ウェブで調べてみたところ、
ああ、こんなものを知らずにいたとは!!!!

じゃーん。
キーロフ・バレエ(マリインスキー劇場)NY公演!!!
こんなのが2008年の4月に予定されているではありませんか!!!

しかし、確か一週間前にABTの秋シーズンのチケットをオーダーしたときには
同じ会場で公演されるために、同じサイトを使って申し込んだのですが、
まだキーロフ・バレエの情報はアップされていなかったはず。
このどんぴしゃのタイミングはまさに神の思し召しに違いない。
そして、神様に思し召しされてしまったら、行くしかないのだ!!

今回は全幕公演ではなく、各日、全幕もののうちの一幕、もしくは一幕ものを3つから4つ組み合わせたガラ形式。
しかし、このプログラムがどれも観にいきたくなるようにうまく出来ているのです。
きーっ!

泣く泣く厳選してチケットをゲットした2プログラムはこれ。

 その1

① ライモンダ 第三幕
(音楽:グラズノフ、振付:プティパ)




② パキータ グラン・パ
(音楽:ミンクス、振付:プティパ)



③ ラ・バヤデール(バヤデルカ)”影の王国”
(音楽:ミンクス、振付:プティパ)



のコンビネーション。
影の王国は本などで知って、とっても見たいと思っていたので、かなり楽しみ

 その2

① ショピアーナ
(音楽:ショパン、振付:フォーキン)



② 薔薇の精
(音楽:ウェーバー、振付:フォーキン)

残念ながら写真なし。

③ 瀕死の白鳥
(音楽:サン・サーンス、振付:フォーキン)



④ シェエラザード
(音楽:リムスキー・コルサコフ、振付:フォーキン)



こうまとめてみると、
その1はプティパ・プログラム、その2はフォーキン・プログラムになってました。

招聘元のサイトには、瀕死の白鳥のところに、
ロパートキナは、世界でももっともすぐれた白鳥で、云々の説明があるものの、
現在のところ、誰が何を踊るかは発表されていません。
私のお友達&バレエ鑑賞のメンター、yol嬢からも、
”彼女は人間じゃない。白鳥そのもの!”と聞かされ、
『白鳥の湖』全幕が見れないとあれば、せめて、『瀕死の白鳥』で、ロパートキナを見てみたい!!
(瀕死の白鳥の説明のところに彼女の名があるということは、
少なくともどれかの公演で踊るのではないかと思うのだけれど、
ただのフェイントの可能性もあるのか??)

しかし、こんなにも厳選したつもりなのに、他のも見たい。
最初からこの2プログラムだけの公演なら、すっかり満足していたと思うのだけど、
そこにあるからやっぱり気になるという、人間の欲の深さ、底なしです。

GOTTERDAMMERUNG (Sat, Jul 21, 2007)

2007-07-22 | メト以外のオペラ
リンカーン・センターフェスティバルとメトの合同企画で行われた
キーロフ・オペラ(マリインスキー劇場)、ゲルギエフ指揮によるリング。
今回は2サイクルの公演。
いずれにせよスケジュール的に1サイクルすべて、全4日を見るのは厳しかったのと、
プロダクション・デザインの写真を見たところ、
危険な香り(=妙なプロダクションである予兆)がぷんぷんしていたので、
今回は一演目だけにしておこう、ということで、
第2サイクルの『神々の黄昏』を選択。
もしもスタンダードな演出でキャストもよければ、何とか都合をつけてでも全日見たかもしれませんが。。

さて、会場につくと、ヘルメットをかぶってコスプレしている人が数人。
(しかもいい歳したおばちゃんたちまで。。)
すごい!ロッキー・ホラー・ショーのようなのり!オペきち野郎の熱い魂を感じさせます

でも、本人は多分、こういう感じをイメージしているのだと思うのだけれど、



間違いなく、仕上がりはこちらに近い。悲しい。



さて、悪い勘とはぴったりとあたるもので、
今日のプロダクション、キーワードは
①アフリカ民族系(それも、”土人”っぽい。)
②水木しげるの世界
③ゴス
あたりでしょうか?

今回プロダクションに関わったといわれるゲルギエフ。
あえて言ってしまおう。あなたは指揮だけしていてください。

とはいえ、ゲルギエフがデザイン画を書いたりするとはとても思えず、
おそらく、実質の芸術面ではこのTsypinという人物がとりしきったと思われるのだが、
悪趣味な演出の罪で、オペラ刑務所に留置決定いたしました。
バジェットが足りなかったというのもわかります。
でもその少ないバジェットの配分の仕方にも問題ありありなのです。

舞台は序幕、3人のノルンのシーン。
プロジェクターを使っていろいろなイメージが背景に浮かび上がります。
例えば、ブリュンヒルデがいる岩山を表現するのに火のイメージが使われたり、と全幕に渡ってプロジェクター大活躍。
正直言って、いまどきプロジェクターを使った背景なんて、珍しくもなんともないけれど、
少なくともストーリーの邪魔立てはしていなかったので、これはよしとしましょう。

しかし、許せないのは、そのプロジェクションの前に置かれたメトのステージの高さ一杯にそびえたつ二体の土偶のような人形。
こわすぎる。
それが突然エメラルドのような光を放ったかと思うと、
中が半透明になっていて、片方の土偶の中に、
ダッチワイフ状のものが泳いでいるのです!(すみません、これ以外に適当な表現が見つからないほど悪趣味なので。。)

ここは確か岩山のシーンだったと思ったのですが、なぜだか水中っぽい。
わけがわかりません。

ノルンのシーンは3人とも声楽的に弱くて、いきなり退屈!
これで5時間弱の演奏を乗り切れるのかと(←私の方が)猛烈に心配になってきた。
そういえば、予習にはメトのDVDを今回使用したのですが('89か'90年の演奏)、
いつもこきおろしてばかりのアンドレア・グルーバーが何と第3のノルンを歌っていて、
これがなかなか頑張っているのです!
まだ若かりし頃のグルーバー、声が瑞々しくて、気合も十分だし、
こんなに歌えた人が今やトスカやトゥーランドットでいまいちな結果しか出せないとは、
17年の年月とは本当に残酷です。
で、そんなDVDと比較しているものだから余計に退屈に思われるのかも知れないのですが。
しかも、綱が切れるシーン、DVDでは、ノルンたちが順に歌う”綱が切れた”の一言が、
三人三様ニュアンスが違っていて、なんともいえない後味をかもし出しているのに比べて、
キーロフは、一人の人が全部歌っているのじゃないかと思えるほど、のっぺらぼうで、
何の解釈らしきものも見えなくてがっかり。

さて、そのかったるいノルンのシーンが終わると、
いよいよプロジェクターが川の水面の映像を映し出し、”夜明け”の旋律が。

ブリュンヒルデを歌ったOlga Sergeevaは、歌唱の90パーセントはいいのに、10%が致命的。
特に最高音域で、音が土台を失ってふらふらするのがとても痛い。
最悪のケースだと、音がへしゃげる、というのか、それまで出してきた声と全く異質の声が出てきたり。
中音域、高音域では頑張っているのだけど、それももう半周りサイズが大きかったらなあ、と思わせる部分もなきにしもあらず。
で、こういったブリュンヒルデの役に必要とされるクオリティを持っていないとしたら、
彼女がこの役を歌うべきなのか?という身も蓋もない議論に行きついてしまうのです、残念ながら。

しかし、このブリュンヒルデ、違和感あり、と思ったら、
衣装がとてもゴスっぽいのであります。
なんだか、こんな感じ。



前髪が、陰陽の模様のように波打っていて(モヒカンのアレンジか?)、
そして、足元は革ブーツ。
ブリュンヒルデって神の娘でありながら、ゴスっ子??!
たしかに、ヴォータンにたてついたりして根性はありそうだけれども。
でも、私の好みはもうちょっと、そんな蓮っ葉な中にもどこか神々しさ(だって、実際、神の娘なんですもの。。)、
エレガンスのようなものを感じさせるブリュンヒルデなのです。

しかし、もっとびっくり仰天はジークフリート。まるで80年代のラテン・ヒップ・ホップチームのメンバーみたい。。
赤いタンクトップに、赤いバギーパンツ、獅子のようなあたまにヘアバンド。
とどめに白いメッセンジャーバッグのようなものをたすきがけ。
こんなダサい人がジークフリートだなんて無理がありすぎる。
しかも、立ち上がりのこのブリュンヒルデとのシーン、声量でも彼女に押されていてださすぎる。
私が最近”沈む声”と名づけている、声がオペラハウスの後ろに届く前に、
前の方の観客の頭のあたりでぽとん、と落下するような感じの声。
二人揃うと、消え入りそうなジークフリートに、高音で怪しい音を立てるブリュンヒルデ。。
ああ、まじですか?
これで5時間弱は絶対無理。

”ラインへの旅”を経てようやく第一幕へ。

グンター役のEvgeny Nikitinにおよんで、
やっと、声量十分で、役に必要なカラーも持ち合わせている歌手が出てきた、と安心。
グートルーネ役のValeria Stenkinaは、どことなく最近のネトレプコを思わせるような、
少し暗いロシア色の強い声で、ワーグナー作品には若干の違和感があるものの、
遠めで見る限りは細めで見た目がかわいらしく、歌いまわしも割りと丁寧で好感が持てるので、
この役は魅力的でなければいけない!と考えている私には、ある意味ではありがたかったです。
たびたび引き合いに出してしまいますが、例のメトのDVDでは、このグートルーネの役を、
Hanna Lisowskaというソプラノが歌っているのですが、
この人がすごいおばさんで、お世辞にも魅力的とはいえないルックスな上に、
前歯がすきっ歯なのか、一本歯がないのか、
歌うたびにかぱっ!と黒い穴が開いているのには、本当にぎょっとさせられるのです。

忘れ薬を飲まされたとはいえ、大恋愛の相手のブリュンヒルデを忘れてまで
ジークフリートが夢中になるというグートルーネが歯抜けばばあでは、ちょっと。。
その点、こちらのグートルーネはかわいらしくて、
安心して見ていられました。
ここでもまだジークフリートは見た目も歌唱的にもださださ。

しかし、第三場で事態が劇的に変化するとは誰が予想したでしょうか?
まず、Olga Savova演じるヴァルトラウテ。
ジークフリートにもらったものだからと頑なに指輪に固執するブリュンヒルデに、
こんこんと、みんな(特に神ですが)の将来と幸せのために指輪を捨てるよう説得するヴァルトラウテ。
ここは、この作品の最後でブリュンヒルデが自分の犯した間違いを悔いるところ
(”自分の悲しみと苦痛を経て、やっとわかった”)
につながっていく部分なので、とても大事だと思うのだけれど、
このヴァルトラウテは、大上段な歌い方ではないのですが、とつとつと訴える様子がいじらしい。
しかし、最後にブリュンヒルデに、
”あなたのように本当の恋をしたことのない人間に何がわかるの!”(なんて傲慢なゴス女、ブリュンヒルデ!)
に逆ギレされ、退散。

そこに現れた、グンターの仮装をして現れたジークフリート。
忘れ薬の効果により、すっかりブリュンヒルデと愛を誓い合ったことも忘れ、
グンターの妹グルトルーネに入れあげ、
彼女との結婚を許してもらうために、グンターが結婚したがっているブリュンヒルデを、
彼と結婚させるために、ジークフリートが火で囲まれた岩山から連れ出すシーン。
この岩山は、世界でもっとも勇敢な人物、つまりジークフリートしか飛び込めないはずなのに、
いきなり別の男が現れてびっくり仰天のブリュンヒルデ!
(傲慢だった罰よ!)

ここのジークフリートが、さっきまでの情けなさ、だささとはうってかわって、素晴らしい!
仮装したついでに、違うテノールが乗り移ったかのよう。
といっても、ここは、ジークフリートがギュンターの振りをしているところなので、
幕の最後に(ブリュンヒルデには聞こえていないという設定で)本来の声を出すまで、低い音での歌唱なのですが、これが実にうまいのです!
しかも、その幕最後に、本来の声でグンターとの友情を守るのだ!と宣言するシーンでは、
さっきまでの消え入りそうだった声量がうそのように高らかな歌いっぷりで、
俄然、パフォーマンスに熱がこもってきました。
ああ、よかった。ここまでで休憩なしの二時間。
途中、不安を感じさせられたものの、これなら最後まで大丈夫そう。

ここで休憩をはさんで、第二幕。

ハーゲンに、指輪を取り返すよう説得する父、アルベリヒ。小人族。
そんなの、腹黒いハーゲンがとっくに考えているどころか、一歩も二歩も先手を打って計画を練りまくっているのも知らず、
ぴーちくぱーちく指示を飛ばしてうざいアルベリヒ。
このアルベリヒが、またどこかで見たぞ。。と思いきや、
バットマン・リターンズのペンギン男のよう!!!



まあ、ある意味小人ですけど。。

さて、ハーゲン、とてもとても大事な役であるにもかかわらず、
全然キャラがたってこなくて不満が募る。
見るからに腹黒く演じるもよし、見た目はスマートだけどヘビのようにねちねちと計算高いタイプ、
または出自ゆえに世界に復讐をもくろむかわいそうな人、というように、
それこそ無数の解釈の仕方があると思うのだけれど、
Mikhail Petrenko、ただ歌っているだけ、という感じで、
彼の演じているハーゲンがどんな人物なのか、ちっとも伝わってこない。
この日最後までハーゲンに関してはその不満がくすぶり続けました。

グルトルーネに、ブリュンヒルデと一夜同じ場所にいたことを問い詰められて、
”東と西の間に北があるように、(彼女は)近くにはいたけど遠くに離れていた”
とかなりいかした言い訳をジークフリートがするシーン。
今回劇場の椅子の背に現れるサブタイトルの英訳が、意訳が多くて、
この方角に関する言い回しなども、すっかり省かれていたのが残念。
ワーグナーは細かい台詞におもしろさや深遠さが隠されているので、
できるだけそのまま訳してほしいと思うのは無理な注文か?

第三場の男性の合唱のシーン、なかなか力強くていい味を出してました。
少し荒々しいけれども、それが雑にならずに持ち味になっているし、声質もヒロイック。

ブリュンヒルデは、ジークフリートの姿を見つけ、愕然とし、
彼女をここまで連れてきた悪人がはめていたはずの指輪が彼の指に光っているのを見て、
やっと二人が同一人物であることを理解し怒り心頭に達するブリュンヒルデと、
忘れ薬の効果絶頂で、あくまでしらを切りとおすジークフリート。
二人の対決が今回の公演中、歌唱つきのシーンでは、もっとも見ごたえのあった場面の一つだったかもしれません。
ジークフリート役のVictor Lutsukがもうこのあたりでは、
すっかり本調子を出していて、声量も特に不足を感じさせず、
本来のヘルデン・テノールとはちょっと異質かも知れませんが、
ある意味このジークフリートという役の本質=ヒロイックさ、無邪気さ、また無邪気さゆえの残酷さ、
をうまく表現していたと思います。
これは最初には思いもしなかった拾い物!
また、一番馬鹿を見たグンターの苛立ちを、Nikitin、よく表現していたと思います。
全キャストの中で、彼は演技力も一歩抜きんでている印象を受けました。

いよいよ復讐心に燃えるあまり、ハーゲンにジークフリートの急所を教えてしまうブリュンヒルデ。
ここはちらっとアイーダのアムネリスが浮かんだりもするのですが、
アムネリスがほとんどすぐにラダメスを僧たちに売ってしまったことに後悔の念を持つのに対し、
さすがは思い込んだら頑固なゲルマン系、ブリュンヒルデ。
ちーっとも反省なんかするどころか、”やっちまって頂戴!”と、
しまいにはハーゲン、グンターとともにバレーボールの試合のような円陣を組んでしまう始末。
こわいです。
歌唱的にはここが最高の盛り上がりを見せました。

二回目の休憩をはさみ、いよいよ第三幕。

貝がくっついたドレスを着たラインの乙女たちのアンサンブル。(上の写真参照。)
と思ったら、そのラインの乙女たちのうしろに一反木綿のような化け物がひらひら、ひらひら。。



なんだ、これ?と思ったのですが、よく見ると、
頭から蛍光塗料付きの麺状のかつらをかぶった女性ダンサーたち。
ああ、水草を表現しているのね。。

狩に出ていた男性一行。
ジークフリートは興にと、自分の出自を話しはじめ、気がついたらとまらない、
なんとブリュンヒルデと愛を誓い合ったことまで一気に話してしまいます。
これを口実にハーゲンに惨殺されるジークフリート。もちろん真の狙いは指輪。
ジークフリート、最後までなかなかの熱演、グンターがまたよい!

ここで、いよいよジークフリートの葬送行進曲。
ここまであえてオケについての印象を書くのを回避していたのですが、
一気にここで。
まず、今日の序幕の頭、最初の和音を聞いたときには、正直、あれ?という感じでした。
なんというか、細かい部分への注意にかけるというのか。。
音符の長さ、音の強さ、引っ張り方のニュアンス等、のっけから難しい和音だと思うのですが、それが意外と雑い印象を受けました。
で、その印象が葬送行進曲の直前まで続いてしまった。
また、もう一つはこれは何とも言葉で表現するのが難しいのですが、
おそらくその雑であるということはこの問題の一部なのだとも思うのですが、
少しドイツらしさというものの表現が希薄だったように思います。
実はキーロフ・オペラでイタリアもの(ヴェルディの『運命の力』)を何年か前に聴いたときも、
どこかスタイル感のなさというのが気になったのですが、
ロシアものだと、例えばバレエ音楽なんかでも素晴らしい演奏を聞かせてくれる彼らなので、
今回あえてワーグナーなんて演奏しなくても、できればロシアものが聞きたかったな、と思うのは私だけでしょうか?

それから、この葬送行進曲にいたるまでは、おそらくゲルギエフの指示によるものと思われるのですが、
本来オケが出せる音に対して、かなり余裕のある、
つまり小さめな音での演奏だったように思いました。
歌手陣が若干スケールが小さめなので、それに配慮したのかもしれません。
メトのワーグナーものは、それが盲目的によいとはいいませんが、常に大音量なので、
キーロフの静かな演奏が目立ちました。
しかし、バイロイトではオケピットが隠れている、という事実を思えば、
キーロフの演奏の方がバイロイトなんかで聞ける音量に近いのかもしれません。
また、箇所によっては極端に早く演奏されていた部分があったのが、目(耳)を引きました。

一言で言うと、葬送行進曲までの演奏は、なんとなくジェントリファイされているとでもいうのか、
はっきりしたカラーがなくて、あらゆる意味で中庸な印象の演奏でした。
それでも、実力があるのでそこそこ持ってしまうのですが。。

しかし、葬送行進曲。これは特筆しておかねばなりません。

当然のことながら、音量を小さめに演奏していたのは、彼らが大音量で演奏できないからではない!
葬送行進曲の大音量は、メトのオペラハウスが揺れるかと思うぐらいの轟音でした。
そして彼らのすごいところは、そんな大音量でも、
音がつぶれたりディストーションを起こしたりせず、綺麗な響きを保ったままで、
まだもっと大きい音が出せるのではないか?と思わせるほどなところ。
また、このオケは、負のパワー、悲しみ、陰鬱さ、というものの表現には本当に長けています。
ここで、やっとやっとオケのエネルギーが一点集中して、ものすごいパワーを感じさせてくれたのでした。
満足。

しかし、そんな素晴らしい音がオケから鳴り響いているというのに、
ジークフリートの亡骸が撤去される間、
舞台上ではゾンビのような化け物がはりついた赤い車輪のようなもの
(どこかしら、ハムスターの車輪に似ている。。しかし、水木しげるの漫画にも、
こういう妖怪がいたような気がします。)
がくるくる回っているのであります。めまいがしてきました。
目を閉じちゃいましょう、この際。

そのジークフリートの亡骸といえば、その棺桶が、なんだかナイル川に浮かんでいるカヌーのよう。。
しかも、それを言えば、舞台上の土偶の雰囲気といい、
グンター、ハーゲン、グートルーネに腰まで落としたスカート状の衣装に、
背中に張り付いた土人アートのような模様といい、
妙にアフリカを感じさせるのです。
このプロダクション、ロシアの土着文化のエッセンスを取り入れたことになっているそうですが、
私にはどう見てもアフリカ。。

まあ、ロシアにせよ、アフリカにせよ、土着の文化に目をつけたことは間違いないようなのですが、
それは、この指輪の話自体が人間の原始的な罪、過ち、赦し、救済といったことを描いているからなのでしょうか?
しかし、重ねていいますが、異様です。
趣味が悪すぎます。
演出家の野心はすごいと思いますが、何度もいうように、
作品の本質を抉り出さなければ、野心だけが空回りしても。。
特にあの舞台上に設置された巨大な土偶に費やされた予算、
あれをもうちょっと他のものにまわしましょうよ!と思います。

やはり否定しようとしまいと、この作品にはドイツらしさがそこはかと流れているのです。
ワーグナーのこのあたりの作品が人間の根源的な要素を描いている、という意見は私も決して否定するものではありませんが、
ワーグナーはその要素をドイツの自然というフォーマットに置いて演奏されたときに、
もっとも効果が出るようなやり方で、この作品を作っていったと思うのです。
そのワーグナーの、ライン川、いえ、ドイツの景色すべてに対するあつい思い。
それがナイル川に勝手に変更されるようなことがあっていいものでしょうか??!!

さて、当然予想できた結末ですが、
ハーゲンが、指輪のために、グンターまでをも殺害し、
ついにその指輪に手をかけんとした途端、
ブリュンヒルデ登場!さっきまで一緒になって復讐に加担していたのに、
突然憑き物が落ちたかのように、真実を見通し始めるのです。
ジークフリート(つまり人間全体)の愚かさを知りつつも、
それも込みで愛しましょう、というブリュンヒルデの大きな愛が歌われ、
遂に遂に、指輪がラインの乙女たちの手に返されます。

ここはオケの演奏ともあいまって、つい胸が熱くなります。
だが、しかし!そのままで終わらないのがこのプロダクション。
突然その感動的なシーンのうしろにハーゲンが現れ、”指輪からさがれ!”と言いながら、
岩山のセットの裏に飛び降りつつ、退場。
観客、失笑。

このシーンは、ワーグナーがこんな台詞を書いてしまったがために、
ハーゲンを登場させなければいけない鬼門なのですが、
どうやれば上手く処理できるのか。。。

このキーロフのプロダクションでは、一度ハーゲンが完全に退場して、
この言葉まで一度も姿を見せないので、余計に唐突な感じがぬぐいきれないのです。

このプロダクション、どこかオペラのストーリーを完全に消化しきっていないような、
気持ち悪さが残ってしまうのでした。
この作品の音楽とストーリーを壊さずに、舞台化するのは大変な作業であることは理解しつつ。

この変てこりんさをわけあうために、お写真を一つ。
お、真ん中に見えるはペンギン男!
こんな舞台で、ゴス女やヒップホップチームの男や、一反木綿が暴れまわるわけです。

(ただし、『神々の黄昏』以外の日の公演からの写真。コンセプトは伝わるかと。。)



Victor Lutsuk (Siegfried)
Evgeny Nikitin (Gunther)
Mikhail Petrenko (Hagen)
Victor Chernomortsev (Alberich)
Olga Sergeeva (Brunnhilde)
Valeria Stenkina (Gutrune)
Olga Savova (Waltraute)
Conductor: Valery Gergiev
Production Concept: Valery Gergiev and George Tsypin

Metropolitan Opera House
ORCH Y Even

***ワーグナー 神々の黄昏 Wagner Gotterdammerung キーロフ・オペラ The Kirov Opera of the Mariinsky Theatre***

2007-2008年シーズン アップデート

2007-07-20 | お知らせ・その他



しばらくメトのサイトをチェックしなかった間にいろいろなことが発表になったり、変更になったりしてました。
まめなチェックを怠った自分に猛省を促す!

① まず、ライブ・イン・HD(日本ではライブ・ビューイングという名前のようですが)、
2006-2007年シーズンで大好評だったため、なんともとの予定の6本から8本に増加!

12/15 ロミオとジュリエット(ネトレプコ、ヴィラゾンのパワー・コンビでキックオフ)
1/1 ヘンゼルとグレーテル(元旦からオペラとは、素敵!)
1/12 マクベス(もともとグレギーナの予定だと思ったが、何とこの日の夫人役が未定に!メトが誰をひっぱりだしてくれるのか期待!)
2/16 マノン・レスコー(マッティラ&ジョルダーニ)
3/15 ピーター・グライムズ
3/22 トリスタンとイゾルデ(ヴォイト&ヘップナー)
4/5 ラ・ボエーム (ゲオルギュー&ヴァルガス。きゃっ!←ヴァルガスを好きになれない私。)
4/26 連隊の娘 (デッセイ&フローレス)

ビッグ・ネームのキャスティングに焦点をあてたチョイスになっているようで、
私が本当に楽しみにしている公演はほとんど入っていないのが残念ですが、しかし!

② なんと、EMIがこのうちの5演目のDVD化権を獲得したようです。
そして、もれてしまった3演目とは、ロミ・ジュリ、トリスタンとイゾルデ、連隊の娘の三つ。
がっかり。
レコード会社間の確執とはかくも恐ろしい!
しかし、気になるのはむしろ、2006-2007年の権利はどうなっているのか?ということ。。
過ぎたことだから、とこのまま流されてしまうのか?
あのプッチーニ三部作をDVD化しないとは犯罪!

③ スケジュール、キャスティングを読みこみ、完全なチケット手配完了!と思っていたのに、
足元を思いっきりすくわれました。
キャストの変更がごろごろ。
早く手配しすぎるとこういうリスクがあるのだわ。。でもこればっかりはどうしようもありません。
仕方がないので、いくつかチケットを追加オーダー。

チケットを手配済みの公演は

9月

 ランメルモールのルチア
Levine; Dessay, Giordani, Kwiecien, Relyea
メトオケコンサートをキャンセルしたデッセイ。不安が残るも今のところ予定通り。
しかし、彼女の場合、キャンセルするとしたら、もっと直前かも。
まだまだ安心は禁物。)

 アイーダ
Ono; Brown, Zajick, Berti, Dobber, Colombara, Kavrakos
(アイーダというか、グレギーナにやられた!
彼女はアイーダについては全予定日、降りてしまいました。
代わりに第三の裏キャストのブラウンがグレギーナの分まで歌う模様。
なので、ブラウンをアムネリス違いで二度聴くことに。)

 ロミオとジュリエット
Domingo; Netrebko, Leonard, Villazón, Gunn, Sigmundsson
(こちらも大変なことになってます。私が観にいく日はセーフでしたが、
大晦日ガラで予定されていたと思ったヴィラゾンがポレンザーニに変更。
これはチケット買った人、痛い!
でも、ポレンザーニ、最近結構評判がいいので、何が吉と出るかわからない!
しかし、私が観に行く日はドミンゴが指揮 素晴らしい歌手なんですが。。。)

10月

 蝶々夫人 x2
Elder; Racette, Zifchak, Alagna, Salsi
(日本人だし、好きな演目だし、ラセット好きだし、で全く同じキャストを二度!)

 フィガロの結婚
Jordan; Röschmann, Bayrakdarian, Vondung, Pertusi, Schrott
(ロシュマンを聴いてみたくて、あまりモーツァルトが好きではないといいながら。。。)

 アイーダ
Ono; Carosi, Borodina, Berti, Pons, Kowaljow, Kavrakos
(例のアイーダの裏キャスト。三部作で老けたなーと感じたポンス。
段々登場頻度が少なくなっている感もあるので、アイーダで聴けるのは嬉しい。)

 ABT Ballo della Regina / The Leaves are Fading / Millepiedの新作
ダンサー未発表
(バレエにはまった勢いで、こんなチケットまで買っちまいました。
しかし!Ballo della Reginaは、なんとヴェルディのオペラ、ドン・カルロの音楽の抜粋にバランシンが振付けたもの。
これは見たい!!
Leaves are~はチューダーの振付。)

 ABT Clear / Elo-Close-Glassの新作/ Fancy Free
同じくダンサー未発表
(同じく勢いあまり系。Clearはバッハの曲に、ウェルチの振付。男性ダンサー大活躍!の作品らしいので楽しみ。
Fancy Freeはジェローム・ロビンス振付、バーンスタイン曲。)

11月

 椿姫
Armiliato; Fleming, Polenzani, Croft
(外せません。)

 アイーダ
Ono; Brown, D'Intino, Berti, Delavan, Kowaljow, Hagen
(因縁のアイーダ。ディンティーノがアムネリス、むむむ。。。
最初から9月の公演でブラウンが聴けることがわかっていたら、
このチケット買わずにすんだのに!)

 フィガロの結婚
Jordan; Harteros, Siurina, Lindsey, Keenlyside, Terfel
(私が見落としていただけ?いいえ、多分、変更になったのだと思う!
来シーズン戻ってこないんだ。。と落胆の種の一つになっていた、
あのリゴレットのジルダで素晴らしい歌唱を聴かせてくれたSiurinaが登場!!
変更前は誰だったか、今では記憶にないが、これはかなり嬉しい!!!)

 ノルマ
Benini; Guleghina, Zajick, Farina, Tian
(こちらも大荒れ。っていうか、またもグレギーナ。
全公演このキャストだったはずが、前半、パピアンに変更。
幸い、抑えていたチケットはグレギーナ。
しかし、最近調子がいまいちに見受けられる彼女、ここはパピアンに行っておくべきなのか?!また悩みが。。)


12月

 戦争と平和
Gergiev; Poplavskaya, Semenchuk, Shevchenko, Begley, TBA, Gerello, Ramey
(一番キャンセルしそうな人=ゲルギエフ。恐ろしい。なんと12月はこれだけ。
うーん、寂しいぞ。。)

1月

 マクベス
Levine; TBA, Aronica, Ataneli, Relyea
(と、ここまで書いてきて、元凶が割れました。
夫人を全公演歌うはずだったグルーバーが、なんと1/3だけしか歌わない模様。
やった!←グルーバーに全く期待してない。
残りの半分、つまり全体の1/3はグレギーナが飛び入り。それで他の彼女の出演作に影響が出たのだと思われます。
それにしても、昨シーズンのトスカでのグルーバーの代役といい、
グルーバーにそっと寄り添うグレギーナ。。
さて、残りの1/3はTBA、つまり未定!!
そしてそれが私の観にいく日!!今から誰になるのか、楽しみなような、怖いような。。
そして、1月もこれだけ。さみし。。)

2月

そんな12月と1月の遅れをとりもどすかのような怒涛のスケジュール。。

 ワルキューレ
Maazel; Gasteen, Voigt, DeYoung, Forbis, Morris, Petrenko
(マゼールが全部振る予定だったのが、最後の一日は別の指揮者に。
なんと、気がつかなかったが、最初の二日はブライスが出演!
デッセイ・キャンセル事件で大活躍したデ・ヤングもいいが、ブライスも聴きたいー!追加か?!)

 マノン・レスコー
Levine; Mattila, Giordani, Croft, Travis
(サロメの舞台でまっぱになって走り回ったことのあるくらい根性のあるマッティラなので、
キャンセルすることなく、歌ってくれることでしょう。楽しみ。)

 カルメン x2
Villaume; Kovalevska, Borodina, Álvarez, Gallo
Villaume; Stoyanova, Borodina, Álvarez, Gallo
(ああ、これも因縁の演目。。もともとホフマン物語で、全演目、私大注目の
Stoyanovaが歌う予定だったのに、
アルヴァレスの身勝手により、カルメンにすげかえられた。
怒ったのかな、Stoyanova。半分がKovalevskaに変わってしまいました。
もともと購入していたチケットが変わってしまった方。
このKovalevskaは、オルフェオとエウリディーチェで押して押して押しまくり、の人なので、
わかってたら、観にいかなかった。
そしてStoyanovaの分を追加購入するはめに。もう、やだ。)

 オテッロ
Bychkov; Fleming, Botha, Guelfi
(なんだか根拠はないけれど、このキャストはちゃんと予定通りに歌ってくれそうな気がする。
っていうか、歌ってください。)

 セビリヤの理髪師
Chaslin; Garanca, Schade, Vassallo, Muraro, Raimondi
(観にいこうか、観にいくまいか、大迷いしたのだけれど、
メトのサイトの、ロジーナ役のGarancaが満を持してメトに登場!の一言に、突然聴いてみたくなった。
そう、こういう落とし文句に弱い。)

3月

 ピーター・グライムズ
Runnicles; Racette, Griffey, Michaels-Moore
(サブスクリプションでくっついてきてしまったので、観にいくが、ラセットが聴ける以外は今のところ、楽しみなし。)

 トリスタンとイゾルデ
Levine; Voigt, DeYoung, Heppner, Schulte, Salminen
(なんだか、ワルキューレとキャストがかぶってる女性陣。。余計にワルキューレのブライスを見なければいけないような気分になってきました。)

 エルナーニ
Abbado; Radvanovsky, Giordani, Hampson, Furlanetto
(なぜ観にいくのか、自分でもよくわからない。キャストだろうか?
下手すると、シモン・ボッカネグラのような予習不足になりかねない。要注意。)

4月

 賭博者
Gergiev; Guryakova, Savova, Diadkova, Galouzine, Gassiev, Hancock, Aleksashkin
(一番キャンセルしそうな人=やっぱりゲルギエフ。
でもこれはオール・ロシア人キャストに近いので、頑張ってくれることでしょう。
これも迷っていた演目ですが、バレエでプロコフィエフの音楽にふれ、
聴いてみたくなった。)

 ラ・ボエーム
Luisotti; Gheorghiu, Arteta, Vargas, Tézier, Kelsey, Gradus, Plishka
(毎年見てるラ・ボエーム。。もう今年はいいか!と思ったのに、ゲオルギューですから。。)

 仮面舞踏会
Noseda; Brown, Sala, Blythe, Licitra, Hvorostovsky
(おお!ここでブライスが聴ける!しかも、リチトラにホロストフスキー。
前半はクライダーですが、多分ブラウンで正解だと思う!)

 連隊の娘
Armiliato; Dessay, Palmer, Flórez, Corbelli, Caldwell
(ただただデッセイとフローレスの二人が揃うことを祈りましょう。)

5月

 後宮からの逃走
Robertson; Damrau, Kurzak, Polenzani, Davislim, Sigmundsson, von Stegmann
(これもサブスクリプションに含まれていたからやむを得ず、系。
でもこうして見てみると、ダムローやポレンザーニと、割と手堅いメンバー。)

 マクベス
Levine; Gruber, Calleja, Alvarez, Pape
(グルーバーが歌う1/3のうちの一つだが、落胆する必要なし。
カレイヤ、パペ、カルロス・アルバレスという男性陣が補ってあまりある。)

これで、カバーされていないのは、
皇帝ティトの慈悲(理由:モーツァルト←前にも書いたとおり、あまり好きでない。&ヴァルガス)、
ファースト・エンペラー(理由:これ)、
ヘンゼルとグレーテル(理由:英語オペラ)、
タウリス島のイフィゲニア(理由:迷っているから。でも、ドミンゴ聴きたいかも。一番、この落選グループ一抜けの可能性高し。)、
Satyagraha(理由:80年代のオペラ+ガンジー。言っときますが、ガンジーは尊敬してます。)、
魔笛(理由:モーツァルト)

まだ二ヶ月もありますが、何だか書いてるだけで、気分が盛り上がってきました
単純!

平成中村座 連獅子 (Mon, Jul 16, 2007)

2007-07-16 | 歌舞伎
連れがやむを得ぬ事情で突如この公演を観れなくなってしまいました。
”もー、チケット200ドルもしたのにー!!”と怒ってみてもしょうがないか、本人も残念そうだし。

しかし、ありがたいことに、うちのわんこのお世話を日中してくださっているN子さんのお取り計らいで、
なんと一緒に観にいって下さる方が出現!!

初対面の方との待ち合わせだというのに、
あまりに急いでいたために携帯を忘れるという失策を犯す。
しかし、N子さんも一緒に待ち合わせ場所に来てくださる、ということだったので、
日本人の二人連れの女性なら、すぐ見てわかるから、いいや!なんて、思った私は甘かった。

Avery Fisher Hallの前は、日本人、日本人、日本人の嵐!
日本人の二人連れが目立つのはあくまでアメリカ人に埋もれていた場合のことで、
こんなに日本人ばかりだとは思わなかった。。。
結論をいうと、無事にN子さんとお友達には会え、ご一緒に鑑賞することができたのですが、
この余談と思われる話、実は深い意味があって後ほどそれにふれようと思うのですが、
今は少し置いておいて、舞台のお話を先に。

まず、Avery Fisher Hallのまわりはすっかり日本のよう。
平成中村座と後援者の名前が書かれた旗がたちならび、
みやげ物(プログラム 15ドル也)を販売する売店も、和風。
ホール内に入ると、サイドの二階席から赤いぼんぼりがずらーっと垂らされています。
正面舞台前には平成中村座の名入りの大判提灯。

いよいよ開演。
舞台は能の舞台様の松羽目(上の写真参照。ただし、写真は別の公演からのもの)。
狂言師が3人(通例は2人で右近と左近と呼ばれるのですが、ここが3人なのが中村座の売り。
通例は2人が親獅子、子獅子となるところを、ここでは親獅子と2匹の子獅子というコンビネーションになります。
しばしば、今回も含め、実際の親子で踊られることが多く、実際の親子の絆が芝居に反映されるところも見所となっているそうです。)、
手獅子を操りながら語り合う3人。
天竺清涼山の千丈の絶壁断崖から、
子獅子を突き落とす親獅子の厳しさと愛情についてふれたところで、
舞を舞う間に、彼らに獅子の精がのりうつりはじめます。
踊り狂いながら、3人退場。

ここまでが、まず”第一場”とも言えるでしょう。
外人などのために無料のオーディオ・サービスがあって、
携帯型の端末から、訳やら解説が聞けるようになっているのですが、
あの、ヘッドセットからもれる音ってとても気になるのは私だけでしょうか?
特にこの演目、音楽が大変効果的に使われているうえに、
日本特有の間を生かした演奏が随所にあるので、無音のはずのところで、
ささーささーという、あの独特の音が数席先に座っている外人のヘッドセットからもれ聞こえてくるのは、
私、我慢なりませんでした。なぜ、字幕にしてくれなかったか!?
さて、そんなオーディオ・サービスのことも知らなかったし、
知っていても、多分借りなかったでしょう私のこと。
よって、全ては彼らの実際に発している言葉にすべて頼らざるを得なかったのです。
はっきり言って、全語彙を理解するのはむずかしい。
特に最初、ややかったるくて、やたらセーリョーザンという言葉が聞こえてくるけれども、
何の話だろう?と言う程度にしか私には理解できませんでした。日本人失格!
また、このAvery Fisher Hall、やはりもともとは音楽を聴くために作られているホールなので、
演劇やこういう舞台芸術には向いていない。
座席の勾配もゆるすぎれば、舞台の高さも低すぎ。
よって、舞台の下端がちょうど私の前3列分くらいの人たちの頭と重なって、全然足元が見えない。
舞やダンスを見るのに足元がはっきり見えないとは致命的。
なので、すべてはひざ上から判断した限りですが。。
この作品そのものは大変優れていると思いました。
特に振付が素晴らしく、時にコンテンポラリー・ダンスにも通じるような動きがあり、
1861年に作られた作品と思えぬほど、斬新だと思いました。
古典なのに斬新。すごいことです。
この踊りのドライブ力がすごくて、最初の言葉のわからなかったことなど、すっとんでしまうのでした。
また、跳躍して、着地するときのどすんという音、
これを絶妙に音楽の中に取り入れているのが面白い。
この音が、特に二人(後に子獅子になる二人)で鳴らされると、ものすごい迫力なのです。
床がぬけるのではないかとおろおろするほどに。。
ここは3連獅子の場合、子獅子コンビ(まだ獅子にはなっていないのですが、便宜上そう呼ぶことにします。)
の息が合っているかが大きなポイントになります。
若干跳躍の疲れからか少し片方が遅れる場面も見られたものの、
総じて踊りのシーンは見ごたえがありました。

さて、三人が退場した後に、間狂言が挟まれます。
この場面は狂言の『宗論』から取り入れたものだそうですが、
私にはあまりおかしいと思えなかった。
その一つの理由には、中村橋之助の芝居があります。
彼がこういう類の役を得意としていない可能性があるとはいえ、
あまりにおかしさということの理解が表面的に過ぎる気がしました。
あからさまに滑稽な物言いや振る舞いをすることがおかしさの本質ではない、と私が常日頃から考えているのは、
ABTのシンデレラの鑑賞記で書いたとおり。
おもしろいシーンこそまじめにやるべきなのです。
その点、中村扇雀の方が私好み。
中村橋之助には、ダックス王子ゴメスの爪のあかでも煎じて飲むことをおすすめしたい。
彼のお芝居のスタイルでは、すでに台詞を知っているお客さんを予定調和的に笑わせることはできても、
私のようにトーシロの観客(そして、言っておきますが、この公演は、
まさにそういったトーシロのアメリカ人の観客をもともとターゲットにしたものではなかったか?)にはきつい。
ジャンルが違うとはいえ、ゴメスの方が、演じる人として、百万倍おかしさの本質を理解していると私は思いました。

そう、忘れないうちに書いておくと、この公演の問題点。

すでにこの公演自体が、歌舞伎に興味のある人、あるいは日本人といった多少歌舞伎に理解のある人をあてにしてしまっている。
本当にアメリカ人に歌舞伎を理解して欲しいと思ったら、まずもっと観客にとって見やすい劇場を選ぶ、
芝居のレベルをユニバーサルなものにする(具体的にはすでにゴメスとの比較で述べた)、
価格を落とす、といった努力をすべき。

さて、間狂言が終わったあと、いよいよ鼓の音がなって獅子の登場。
この鼓の一音一音の間がものすごく長くて、奏者の人が居眠りをしているか、
絶命されてしまったのでは?と心配になるほど無音の時間が長いのですが、
これがすごく効果的なのです。
まるで、獅子が遠くの方からじわじわとあらわれてくる妖気のようなものすら感じさせる。
そして、間狂言の間にお着替えを済ませ、獅子の格好となった3人が登場!!
かっこいいー!!!!
ここは本当に素直にかっこよいと言っておきましょう!
あのものすごい鬘、化粧、衣装、どれもが本当にかっこいい。
しかし、これはまさに私が日本人であることの証ともいえます。
京劇の場合、どんなに衣装が美しくても(実際、美しさではいずれ負けず劣らずの美しさ、豪華絢爛さ。)、
このような生理的レベルの興奮を催させないのですが、
やはり、日本人には日本人の独特の美意識というものがあるのだなあ、と再確認。
あたりまえですが。
もうこの後の獅子の舞は圧巻。首を何回振り回したかについては、
あまりに回数が多くてわかりません。
観客も大喝采の大興奮。
これは、オペラでいうなら超絶技巧のアリアをきめられたとき、
バレエでいうなら白鳥の湖で黒鳥が32回転を決めたとき、
それに匹敵する興奮度なのであります。
舞台下手側の子獅子が少し疲れたか回転に切れを欠いていた場面もありましたが、
全体的には大変見ごたえのある舞いでした。

ここで、幕。
あ、いよいよインターミッションかしら?と思いきや、まさかまさかのこれにて終了。
7時半の開演からたった一時間。そして200ドル。
これはちょっと高すぎませんか!!??

舞は見ごたえがあったし、またこの演目のよさは伝わったけれど、
ちなみに、平土間席の金額を比較すると、

① オペラのドン・カルロ
世界のトップクラスの歌手たち6名出演。見所のアリア、数知れず。
ものすごいドラマ。
セットの転換数回あり。オケ付き。
上演時間約3時間半。
心で泣いた。
チケット代 $220。

② バレエのロミオとジュリエット
ヴィシニョーワとコレーラという世界トップクラスのバレエ・ダンサー出演。
見所、同じく数知れず。ものすごいドラマ。
セットの転換数回あり。オケ付き(へぼいが。)
上演時間約2時間。
あまりの美しさに実際に涙が出た。
チケット代 $105。

③ 京劇の貴妃醉酒・覇王別姫
歌舞伎と同じく地域性の強いアートフォーム。
見所、数箇所あり。
セットの転換なし。楽団つき。
上演時間約2時間。
大変興味深いものを見た、と思った。
チケット代、$60。

これらと比べて、今回の歌舞伎、一時間の公演に$200ドルのチケット、
これをどう理解すればよいのでしょう?
確かに、日本から俳優さんや上演にかかわる人すべてを持ってきたうえに、
セットやらなにやらあるわけですから、
日本で上演されるよりは高くなるのは無理なし。
しかも、連獅子はもう一つの演目『法界坊』が複数上演されるのと違い、
一回きり、ということで、値段も割高、というのもわかります。
メトの日本公演はS席 65000円とかするじゃないか!という議論もわかります。

でも、メトの日本公演が、アメリカ人の観客ばかり、ということがあるでしょうか?
いえ、私の経験では90パーセント以上の観客は日本人です。
つまり、オペラの引越し公演にはすでに、きちんと現地のオーディエンスが存在しているということです。
これはバレエもおそらく似たようなことだろうと思います。

しかし、歌舞伎がNYでどれほど現地の人に受けいれられているか?
某テレビ局の取材が、日本人であふれかえっている会場から、
巧みに外国人だけを選び出してインタビューしている姿に、私は本当に悲しくなりました。
そうまでしてあたかも外人に受けたかの印象を作り出す前に、
まだまだやることがたくさんあるのでは?

実際素晴らしい舞を見せてもらったとも思うし、作品そのものの出来への感嘆はそれ以上ですが、
このチケットの高さ、たったの1時間の上演。
はっきり言って、アメリカ人ならよほどの物好きか、日本好きでない限り、
二度と見てくれないと思います。
そうでなければ、二年前の同じく中村座のNY公演が絶賛されたと言う割りに、
これほどまでに今回の日本人の観客が大勢なのは、どうすれば説明がつくのでしょうか?

本当の意味で、世界の人々にこの優れたアートフォームである歌舞伎を広めたいと思うなら、
今の見たい事実だけを見るという姿勢をやめて、真摯にどういう変化が必要か、考える必要があるのではないでしょうか。

今日の観客の中には多くの芸能関係の人がおり、
この公演については、きっといいことばかりを書いたり話したりするでしょうから(で、いいことも実際たくさんありましたし)、
私&私のブログに何がしかの価値があるとすれば、
そんなしがらみのないところで、正直なことを書ける!という一点につきるので、
多少厳しい意見であることは承知ながら、日本を愛するものとして熱く書かせていただきました。

Lincoln Center Festival 2007
Heisei Nakamura-za
"RENJISHI (The Three Lions)"

十八代目中村勘三郎(狂言師/親獅子)
中村扇雀 (浄土の僧遍念)
中村橋之助 (法華の僧蓮念)
中村勘太郎 (狂言師/子獅子)
中村七之助(狂言師/子獅子)

Avery Fisher Hall
Right Orch Row Z

***平成中村座 連獅子 Heisei Nakamura-za Renjishi***


貴妃醉酒 / 覇王別姫 (Wed, Jul 11, 2007)

2007-07-11 | 京劇
『貴妃醉酒 (The Tipsy Concubine)』

唐の第六代皇帝、玄宗皇帝が入れあげた楊貴妃のお話。
史実では、ならぶところのないご寵愛を得たことになっていますが、
この作品では、当初楊貴妃のもとに訪れる予定だった玄宗皇帝のために、大張り切りでもてなしの準備をするも、楊貴妃、すっぽかされるの巻。
玄宗はかわりに別の愛妾のところに出かけてしまい、
すっかり気分を悪くした楊貴妃は、準備されていた酒を片っ端から飲んで酔いつぶれて寝室に戻る、というそれだけの話なのですが、
笑いの向こうから、他人から受ける寵愛だけが生きる術である身の悲しさが伝わってきます。
また、楊貴妃に付いて働くもの全員も、
楊貴妃がいかに皇帝から寵愛を受けるかで自分たちの運命も決まるため、一同あげて楊貴妃をサポート。
かつ彼女の機嫌を損ねまい、と四苦八苦する姿も、おもしろおかしく描かれています。
台詞だけ聞いているとコミカルなのですが、
そこかしこに、なんともいえないほろ苦さが隠されているのがポイント。
例えば、前後不覚になるほど酔っ払ってしまった楊貴妃に、
お付きの宦官の一人が、”皇帝がいらっしゃいました”と嘘をでっちあげます。
ここは、傷心の楊貴妃を少しでもなぐさめようとついた嘘だと思われるのですが、
”どこに?”と問い詰められて、さすがに皇帝の物まねをする勇気のない宦官は観念、
”妃をだましてしまいました”と正直に返答します。
すると一瞬、楊貴妃がとても気弱な様子で、”どうしてそんな嘘をつくの?”と一言ぽろっとこぼす。ここは、
”どうして今夜は私のところに来るなどと、適当なことを言ったのですか?”という皇帝への質問とあいまって、二重の質問のように聞こえます。
お付きのものが何も応えられなくなってしまうのが、また憐れを誘う。

京劇で面白いと思ったのは、ものすごくはっきりしたここが拍手どころ!というようなポイントがあるにもかかわらず、
その箇所が素人にはきわめてわかりにくいところ。
オペラはもっと自由度が高くて、もちろん変な箇所で拍手したり、ブラボーをかけたりすると浮くのは間違いないのですが、
しても浮かない箇所は京劇よりずっとわかりやすい。
京劇の場合は、必ずしも言葉とかが一段落ついた箇所ではなく、
ある動きが決まったりすると、全然話がどんどん動いている途中でも、
やんやの歓声の嵐。これに混じって声をかけるのは、ネイティブでない人間にはかなり難しいです。
(声をかけていた人はほとんど中国系の方たち。)

この作品は、ややメロディーの繰り返しが多く、たとえば、
二人の宦官との掛け合いを、少しずつ歌詞を変えて繰り返す、などというパターンが多く見られ、
正直、若干辛気臭いところもあり、また結構長いです。

皇帝は結局一度も姿を見せず、ほとんど出ずっぱりの楊貴妃役の方の演技力にかかっている。
二つ目の作品と掛け持ちで演じたWei Hai-mingががんばっていて、
あの重い衣装と頭の飾りをつけたまま、ファイヤーダンスのようなアクロバティックなポーズを決めていたり、
(なんとなく動きに南国の島の踊りを思わせるものもあり。。)
あと、結構パントマイムっぽい動きが多いのですが、その動きも的確で感嘆しましたが、
話のテンションが若干低く、少し好みの分かれる演目かもしれません。
だんだん酔っ払っていく過程の表現は、しかしさすがに見ごたえがありました。
机によりかかったまま、机ごと前のめりになっているところなどは、
その角度など非常に計算されていて、何度も何度も演じて体得したものに違いありません。

休憩をはさんで、

『覇王別姫(Farewell My Concubine)』。
前半、触れるのを忘れてしまいましたが、京劇の特徴の一つはセットがミニマムであること。
今日の演目も、二本とも同じセットを使いまわしにしていて、
大きな木の鳥居のようなものに、『傳寿雅風』と書かれた額がかかっています。
(漢語の苦手な私には意味不明。友人に意味を聞かれ、かたまった。)
舞台の両端には赤い提灯。この赤い提灯見ると中国!という感じがするのは数々の映画による洗脳効果でしょうか?
これ以外に場によって登場するのは机と椅子。
それ以外のものは全く舞台に出てこないし、
また出てくる場合は、パントマイムで表現されたり、小道具でかわりに表現されます。
ミニマムですが、大変美しいセットでこれは大満足でした。

さて、陳凱歌(チェン・カイコー)監督、レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー出演の
1994年の映画『さらば、わが愛/覇王別姫』で、その一部分が挿入されるため、
一番目の演目より少しはなじみのあるこちらの作品。
とはいえ、映画を見ただけでは筋はなーんにもわからないので、
簡単に背景と筋書きを紹介。
紀元前3世紀の終わり、秦の始皇帝亡き後の群雄割拠を経て、
漢の劉邦と楚の項羽の一騎打ちの色が濃くなります。
配られた参考資料によれば、項羽は生まれは高貴で肉体的な強さに恵まれながらも、
考えが衝動的かつ浅はかで、人々からの忠誠を勝ち取るに必要な性質をもたない(ひどい言われよう。。)軍人タイプ。
一方の劉邦は、農民の出で学がないながらも有能な政治家や軍人をひきつけるカリスマのようなものをもちあわせており、
いつの間にか、項羽側の人間が劉邦側に寝返ったりしたことも手伝って、
勝ち目のない戦へと項羽は追い詰められていきます。
そんな情けない将軍、項羽と、そのお妃、虞美人との悲劇を描いたのがこの作品。
項羽の足手まといとならぬよう、項羽の前で最後の舞を舞った後、虞美人はみずから命を絶ち、
項羽自身は戦場で、敵に追い詰められ、自害をします。
英語のタイトルのConcubineとは愛妾を意味しますが、
作品中の台詞の訳され方から言っても、虞美人は、お妃と理解した方がつじつまがあうようです。

この作品はよい!!!
『貴妃醉酒』と打ってかわって、この作品は最初からものすごくテンションが高い。
それは振りも音楽も。
いきなり戦場のシーンで始まるのですが、たちまわりのシーンが大変迫力に富んでいて、
おお!これぞ京劇!!と、知識のない私のような観客ですら、その雰囲気を存分に楽しめるのです。
また、項羽を演じるWu Hsing-kuoは、この劇団で演出も担当している、
言ってみれば団長格の人のようなのですが、
この役に必要とされる堂々とした威風が、立っているだけでもまわりに漂っている。
前半の演目が男らしい男のほとんど登場しない(男性は宦官だし。。)演目だったゆえに余計、
この男らしい堂々とした雰囲気が新鮮。
また声のスケールも大きくて、これならもっと大きい劇場でも全然平気そう。。と思ったら、
帰宅して資料を読んでいてびっくり。
この方、あの、メトでのオペラ、『ファースト・エンペラー』で、Yin-Yang Masterを演じた方でした。

戦から疲れて戻った項羽が休んでいる間、
庭で月を愛でる虞美人。
そこで、項羽の部下同士が、もう劉邦にねがえっちゃおうかな、などとこぼしているのを耳にしてしまいます。
そこで、もはや項羽に勝ち目のないことを悟る虞美人。
夫が部下にこき下ろされたうえに、近い死をも覚悟しなければいけないとはなんて悲しい。

二人で過ごす最後の時間、少しでも項羽の心を戦から離そうと、
虞美人は舞を舞ってみせます。
この演目の主役二人は、振付のせいもあるのかもしれませんが、
とことん無駄をはぎとった動きで本当に見ていて美しい。
さらに、項羽の方は寝室に向かいながら、ちらと虞美人のほうを振り向くその様子で、
すっかり豪傑な軍人が気弱になっていることを表現していて切ない。
彼は写真でもわかるとおり、すごいメーキャップにひげまでくっついているので、
当然のことながら、顔の表情ではなく、
ほんの少しの首の傾げ方、立ち方で、そのような感情を表現するわけです。
今回の京劇でもっとも興味深かったのは、この微妙な所作で感情を表現すると言う点だったかもしれません。
ひげすらも、ものを考えるときや怒りの感情を表現する際の小道具となっていたのは大変興味深かったです。
項羽が自決する前、自分の馬を川に逃がす(入水自殺させたととれなくもない。。)のですが、
先ほど説明したとおり、京劇ではセットがミニマムなので、当然のことながら実物の馬が舞台にいるわけではなく、
手にしていた馬を打つ道具がその瞬間馬をあらわすものとなり、
項羽がそれを川の方向に向かってなげることで(背景の障子用のものを少し開いて、その隙間を川に見立てている)、
馬が川に飛び込んだのを表現しているのを見たときは、
表現の洗練のきわみだと思いました。
ものすごい勢いで放りなげられた鞭が、まさに川に全速力で飛び込む馬の姿を思わせ。。

どんな表現ジャンルでも、傑作とそうでないものがあるのが世の習いですが、
まさにこの作品はその最初から最後までテンションのゆるまない点、
またある意味、超現代的にも聞こえる音楽のユニークさ、
(時々コンテンポラリー・ダンスを目にしているかのような錯覚を覚えました)
話の運びのよさ、見せ場の満載さ、などから、
京劇の最高傑作のひとつではないかと思われます。

一つ、反省は、京劇の場合、体の微妙な動きがポイントでもあるので、
せめて指の動きがはっきり見えるくらいの近い席に座りたかった。
普通の演劇なら最高の席だったと思うのだけれど、京劇ではまだ遠かったのが残念。


Lincoln Center Festival 2007
Contemporary Legend Theatre of Taiwan
"THE TIPSY CONCUBINE"
Wei Hai-ming (Yang Guifei)
Chen Chin-ho (Eunuch Pei)
Lin Chao-hsu (Eunuch Kao)
"FAREWELL MY CONCUBINE"
Wu Hsing-kuo (King Xiang Yu)
Wei Hai-ming (Concubine Yu)
Sheng Chien (General Han-xin)
Lee Chai-chi (Groom)
Chen Min-hung, Yang Ching-ming (Han Generals)

Director: Wu Hsing Kuo
Dramaturg: Wei Hai Ming
Set and Lighting Designer: Lin Keh Hua

Rose Theater
Right Orch Box 1

***貴妃醉酒 The Tipsy Concubine 覇王別姫 Farewell My Concubine***

家で聴くオペラ (1) ランメルモールのルチア 追記

2007-07-10 | 家で聴くオペラ
7月7日のバレエ、『シンデレラ』の公演の後、お友達とメトのギフト・ショップへ。
マンハッタン中のタワーレコードが閉店してしまい、
Virgin Recordsは全くクラシック部門にやる気が見られない今、
オペラのCDやDVDを購入するとき私が唯一頼りにしているのが、このショップ。
欲しいと思ったらすぐ聴きたい!という私なので、ウェブでオーダーするよりも、
店頭買いが好きなのです。

お友達が買い物をしている間、”今日は見るだけ”だったつもりでチェックし始めたオペラのCD&DVDコーナー。
前から聴きたかった/見たかったデヴィーアのルチアのスカラ座ライブを発見。
即買い。
その他気が付けばバレエのDVDだの、ばらの騎士のDVDだの、どっさり大人買い。
見るだけ、が、なぜ??!!

さて、帰宅して、やっぱり最初に見てしまうのは、ルチア。
このルチアのDVDがですね、素晴らしすぎて、
私はこのDVDを紹介しなければ天罰が下るのではないかと怖くなってきてしまったので、
ここに紹介させていただきます。

デヴィーアといえば、1996年のフィレンツェ歌劇場の来日公演で
このルチアをエディタ・グルベローヴァとのダブル・キャストで歌った時、
真のベル・カントの技術を堪能するなら、グルベローヴァよりもデヴィーア!という前評判にもかかわらず、
グルベローヴァの方を選んでしまった私。。
今考えれば、オペラヘッドとして失格者の烙印を額のど真ん中に押されても何も言えますまい。
今の私なら、間違いなく両方観にいくか、仮にどちらかを選ばなければならないとしたらデヴィーアを観にいったでしょう。
ああ、後悔

それも、これも、当時まだ青かった私は、知名度の高いグルベローヴァになびいてしまったから。
デヴィーアはものすごい実力なのに、レコード会社等の契約に恵まれず、
はっきり言って、今NYの店頭にはデヴィーアのCDなんて売ってません。
グルベローヴァはその点、ちゃっかりもので、自分のレコード会社なんか持ったりしちゃっている。
当時の私はデヴィーアって誰?というのりだったのです。ああ、無知とはかくもおそろしい!

今でも、やたらCDやらDVDやらが続々と発売されている、
ゲオルギュー、ネトレプコ、フレミングといったルックスの良い歌手たちの影で、
彼女たちを凌ぐ素晴らしい歌唱を実際のオペラハウスで聴かせてくれるのに、
見た目で損しているとしか思えない歌手たちが本当にたくさんいます。
私、今後は、このような素晴らしい歌手たちの布教活動をしながら殉死することにいたします。

と、そういうわけなので、このデヴィーアというソプラノは、見た目は女優のようではありません。
しかも、プロフィールに使っている写真が、これ、80年代に撮ったでしょ?というのりのヘア・スタイルでさらにいけてない。
私は、あまりにこのプロフィール写真のイメージが強くて、
”確かに、このルックスでは注目されなくても文句いえないか。。”
と、失礼千万なことを昔は思っていたのですが、
DVDで見ると、写真で見るほど冴えてなくありません。
意外と、舞台では綺麗に見える。(だけど、上の3人とは間違っても比べないよう。。)

でも、そんなことはどうでもよい!!!

私は、このDVDを見て、こんな公演が1993年のスカラ座で行われているうえに、
DVDとして記録まで残っているのに、
人々が、”現代の歌手のレベルは落ちた”と嘆いているのが信じられない。
このDVDは、第一回本編で紹介したマリア・カラスのライブCDをある意味超えるすごい演奏です!!!
こんな演奏を聞き逃しておいて、カラスの時代はよかった、などといって嘆くとはなんたる怠慢。
(↑私だ、私。深く反省!!)

彼女のその歌唱技術の完成度の高さ、細かい部分まで神経の届いた歌いっぷり、
的確なディクション等、何をとってもすごすぎます。

幕が開くと、オケの演奏のトロさに、まじかよー!としばらくじりじりしてしまうのですが、
おそろしい。まるで麻薬か何かのようにじわじわと後効きしてくるのですよ、このテンポが。
ステファノ・ランザーニという、今どこで何をしているのか知らないこの指揮者。
最初は交通整理系の指揮者かと思いきや、(伴奏だけしてる、という。。)
いつの間にかすっかり彼のペースに巻き込まれているのです。
第三幕などは、オーケストラが、歌手と一緒に歌っている。。。素晴らしい。
気分がのった時のスカラ座オケの持ち味全開。
そして、またコーラスがなんともいえずいい響きを生み出してます。

これは、演奏にかかわっている全てのひとが、
この公演が特別なものであることを理解している、そういう類の演奏なのです。

まわりをかためるブルゾン、コロンバーラが素晴らしいのはいわずもがな。
あの、実演ではいつも失望させられることの多かったラ・スコーラも、
デヴィーアに触発されてか、
”あれ、こんなに歌えるの?”(一箇所、声がひっくりかえりそうになる場面があるとはいえ。。)
という頑張りよう。

もう、一幕のアリア、三幕の狂乱の場、どこをとっても非の打ち所がないのですが、
その狂乱の場の、”とうとう、あなたは私のもの、そして私はあなたのもの”
(家同士が敵対関係にあることから、無理やり兄によって意中の彼エドガルドとの仲を引き裂かれたうえに、別の男性と結婚させられたために、その男性を殺してしまったルチア。
すでに正気を失いながら、エドガルドとの結婚を幻想に見て、このフレーズを歌う。)
ここは特に超絶技巧も何もないところなのですが、
その魂の入りようには、心が動かされます。
このような何気ないフレーズをこんな風に歌える、こういう歌手をもっとこの先聴いていきたい!!

1996年といえば、このDVDの公演からたった3年後。
きっと日本公演では、このDVDに近いトップ・フォームで、
素晴らしい歌唱を聴かせてくださったのだろうと思うと、
本当に自分の愚かさを呪ってしまう。。
(グルベローヴァはグルベローヴァで、
本当に鈴のような声+機械のように正確な音程ですごかったのですが。)

Opus Arteというイギリスの会社と思しきメーカーから発売されています。
リージョン・フリー。

セットも重厚で絵画のよう。美しいです。さすがスカラ座。

Renato Bruson (Lord Enrico Ashton)
Mariella Devia (Miss Lucia)
Vincenzo La Scola (Sir Edgardo di Ravenswood)
Marco Berti (Lord Arturo Bucklaw)
Carlo Colombara (Raimondo Bidebent)
Orchestra and Chorus of Teatro alla Scala
Conductor: Stefano Ranzani


CAT NO: OA LS3003 D
FORMAT: All Formats
REGIONS: All Regions
PICTURE FORMAT: 4:3
LENGTH: 143 MINS
SOUND: DOLBY STEREO
SUBTITLES: EN
RELEASED: 01/06/2004
NO OF DISCS: 1

***ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor***

CINDERELLA - ABT (Sat Mtn, July 7, 2007)

2007-07-07 | バレエ
私のバレエ鑑賞のメンターであるお友達が出張でNYにいらっしゃることに!!
成田からJFKに到着した後、ほとんどホテルに荷物を置いたその足でリンカーン・センターに向かう、
という無謀なスケジュールにもかかわらず、
バレエファンの執念に神も微笑むしかないと観念したか、
万事、スムーズにすすみ(といっても、あわてて日本を発った彼女は化粧品やら携帯やらかなり肝心なものを持ってくるのを忘れてしまったらしい。。)、
集合時間の開演30分前にメトのオペラハウスに向かうと、すでに懐かしい彼女の顔が!
喜びの再会を果たし、そして、全く疲れている表情すらない彼女のパワーに感服。

直前の出張決定だったため、残念ながら残っていた連番の座席はいまいちなものばかり。
よって、今回は別々の席で鑑賞することに致しました。
彼女のパーテールの座席も、私のグランド・ティアの座席も、いずれも見やすい座席で安心。
と思ったら開演間近であることを知らせる鉄琴の音が響いてきたので、おのおのの座席へ。

今シーズンのABT、『マノン』、『ロミオとジュリエット』、『白鳥の湖』と、
鑑賞した演目がひたすら王道のクラシック・バレエ演目であるばかりか、
演出も王道クラシックだったので(そして、私、オペラもバレエも、その王道クラシックな演出が大好きなのであります。)
この『シンデレラ』も深く考えず、同じくコンサバ路線かと思いきや。。

とんでもない!!!!
これは、何っ??!!!!

まず、シンデレラといえば、ディズニーやら、小さい頃に読んだ絵本のイメージがものすごく強いので、
姫は長いドレスにティアラで、王子はタイツに剣の王子ルックかと思いきや、設定が思いっきり20年代風。
国は不明ですが、シンデレラがこき使われている意地悪姉妹の家のインテリアからすると、
アメリカのような気がする。。。
でも、ん??アメリカに王子??!!
でも、気にしない、気にしない。
なぜならば、彼は全幕ずっとスーツかタキシードで、タイツ、一切なし!!
女性はフル・レングスのドレスはこれまた一切なく、
夜会のシーンも、ひざ下くらいの長さのドレスで、
最後の結婚式の招待客の衣装は、ココ・シャネル系。
なので、途中から、私は勝手に、”彼”は王子なのではなく、
アメリカのどこかの金持ちのぼんぼんで、シンデレラは王女になるのではなく、
単に金持ち息子と玉の輿にのる話なのだ、と解釈することにしました。

さて、myメンターより、男性が意地悪姉妹を演じる版もあると聞きましたが、
今回はいずれも女性のダンサー。
ただし、姉と思われる側を演じた方が、やたら背が高くてたくましく、
初登場の場面では、”あれ?男??”と一瞬舞台を凝視してしまいました。
よーく見ると女性ですが、しかし、あの、異様な背の高さと、プラチナブロンドのウィッグとあいまって、
ドラッグ・クイーンのような雰囲気を醸しだしてました。
めがねをかけた妹の方は間違いなく女性でしたが、踊りも確かなら、芸も達者。
この二人がかなり狂言まわし的な役で重要なのですが、
この妹がすっかり姉を食ってました。

さて、シンデレラ役のジュリー・ケント。
舞台写真などから察するにものすごくエレガントな踊りを披露してくれるのではないかと期待していたのですが、
この役、特にこの演出に合わないのか、終始動きは綺麗なのだけれど、
感情を伴わない踊りで少し意外。
”ああ、綺麗だなあ”とは思うのだけれど、全く一度として心に訴えてくるものがなかったです。

それに引き換え、わがダックス王子のマルセロ・ゴメス!!
彼がかわりにいい味を出しているのであります!!

彼の好青年なところと、妙に律儀っぽいところ(キャラクター的にも、踊りも。。)が、
この演出とうまくはまっているというか、
おかしなことをまじめな人が一生懸命やっていると、
面白さ倍増に感じられることがありますが、まさにその公式を地でいっているのです。

例えば、意地悪姉妹に夜会で見初められて(そう、王子の方が。。)、おびえる王子。
まさにとびかかっていきそうな勢いの姉妹から逃れようと、椅子にあわてて飛び乗るところなんか、
まじめな顔で、まじめに美しく椅子に飛び乗っているのが笑える。
また、靴を片方落としたシンデレラを探しに、世界一周の旅に出るゴメス。
(しまいには、日本まで行ってしまうのですよ、これが。。)
このあちこち飛び回ってます!という表現をするのに、舞台を何度も
右から左へ、左から右へといろいろなジャンプやら技を入れつつ移動するのですが、
いちいちその技がまた綺麗なもので、おかしさ百倍。
このシーン、こんなにまじめにやるところなの?とつっこみたくなるくらいに、
突き抜けて丁寧に踊っているのが、さらに笑いを誘う。。

いいです!この役は、彼にとっても合ってる!!
しかし、残念なのは、ボッレと並んで二大ギリシャ彫刻と私が呼んでいるゴメスのお体が、
この20年代衣装では全く見えない。。泣いちゃいますよ、本当に。

Ballet 101という私のバレエ鑑賞のお供の本を読み始めたばかりの頃、
バレエの歴史で、男性がタイツをはいたり、女性がチュチュを着るようになった意味は、
体の動きがよく見えるよう、云々と書いてあって、
”えー、そんな違いあるかー??!”と笑っていた私ですが、声を大にしていいましょう。

おおありです!!!!!

普通のスーツで踊られることが、こんなにフラストレーションの溜まるものだとは思いませんでした。
特にゴメスは本当に細かいところが丁寧で、体の動きが美しいので、なんだか、とっても損した気分。
かろうじてシンデレラは、ひざ丈のやわらかい素材の衣装を着けてくれていたので、何とか我慢。

さて、衝撃のシーンは第一幕のお庭のシーン。
魔法使いのおばあさんが連れてきた手下たちが踊るシーンですが、
いよいよ、12時になると魔法が解けてしまう、ということを説明する場面で、
おもむろに頭にかぼちゃをかぶった黒いスーツの男性ダンサーが12名登場。
円陣を作って座ったかと思うと、一人一人立ち上がって、びよよよよーん、とその場でジャンプするのです。
そのジャンプがみなさん渾身のジャンプで、高さもすごい。
先ほどの論理と同様に、真剣なのが、おかしすぎる。。
いや、本当にすごいインパクトなのです。
私は、椅子から転げ落ちるかと思うほど、笑いをこらえるのに苦労しましたが、
周りの人、誰も笑ってないー!!!!
そうなの?ここで笑っちゃいけないのっ??
そう思うと余計笑えるのだけど、お友達は全然違う席に座っているし、
どうやってこの笑いを発散すればいいのーーー!!!??
一幕目がはけた後の休憩時、私はお友達に会った開口一番、
”ねえ、あのかぼちゃ、何??!”と聞いてしまいました。
お友達は、すでにパンフレットを見て、12人の名前がPumpkinsのところにあったので、
なんだろう?かぼちゃって、馬車だけのはずなのに?と不思議に思っていたそうです。
さすが!
しかし、彼女のまわりではみなさん、ちゃんとお笑いになっていたそうです。
何なの、私の席のまわりの人。寝てんじゃないでしょうね!!

次の夜会のシーンで、実際に魔法が解けるシーンで、またこのかぼちゃチームが登場するのですが、
こちらはもうすこしわかりやすく、
かっこ、かっこ、と時計の音が鳴るのにあわせて、時計盤の数字のように、
1時から12時まで順にかぼちゃが飛び上がるので、
ああ、時間が経っていることをこれで表現したかったんだ、とやっと納得。

さて、先ほど少しふれたゴメス世界一周のシーンでは、
ゴメスが世界中を行脚。
なぜだか、女性飛行士Amelia Earhartを思わせる女性やら、
スペインからはカルメンチックな女性、そして、オランダ、アラブ、日本
(しかし、ここでの日本女性の扱いは結構ひどいです。
ゴメスが差し出す靴に、くすくすっとうつむいて笑うばかり。
本当、アメリカ人の持ってる日本人のイメージって、いつまでこうなんでしょう?)まで、
あらゆる女性に、片方の靴を試させようとするのでした。

一体、何年かかったことか、シンデレラを見つけるまでに。。。

しかし、ここでふと気付いた。
シンデレラは運で玉の輿にのっただけだけれど、
実は王子のほうは、彼女を探してそれこそ火の中、水の中。苦労しているのです。
(その間、シンデレラの方は、今までと同じように、意地悪姉妹にいじめられながら働いているだけ。。)
この話、実は、王子が真の恋を手に入れるまでの涙の物語なのでは?と思いました。

だから、最後、小汚い女中姿なのにもかかわらず、
シンデレラを目にした途端、すでに王子は、
”もしや彼女では?!”と感じとるのです。(ここが、またゴメス、いい演技!)
そして、おつきのものが靴を履かせる間、その間ももどかしいといわんばかりにそわそわ。
そして、彼女こそが夜会の美女だということを確認したときの王子の喜びよう。



”よかったねー!!!王子!!”と、いつの間にか、
我々は、すっかり、シンデレラにではなく、王子に共感している!!
これは、シンデレラのいわゆる”シンデレラ・ストーリー”に女心が反応するから、
この話は人気があるのだ、と思い込んでいた私には、コロンブスの卵的な発見でした。

この後、シンデレラと王子二人が踊るシーンは、
背の高さ、体格や、踊りのスタイルなど、見た目という点では、
割と相性がよい二人と思われ、美しかったです。
ただ、もともと慎重派のゴメスに、ジュリー・ケントもその傾向があるように思われました。
なので、美しいのだけれど、少し安全運転すぎるかな?という不満もなきにしもあらず。
でも、この演目ではそれもいいのかも知れません。

最後になってしまいましたが、王子の4人のおつきの方、良かったです。
ジャンプの高さ、きれ、4人のコンビネーションともに、なかなか見せてくださいました。

いわゆるトラディショナルなクラシック・バレエをイメージしていくと肩透かしをくらわされますが、
全く別物のエンターテイメントとして割りきると、結構楽しめました。

そうそう、オペラのカーテン・コールは歌手が割と素に戻ってしまう過程なのに比べて、
バレエは最後の最後まで役になりきっているのが楽しい。
最後、シンデレラと手と手をたずさえて現れたダックス王子ゴメスに、
いきなり意地悪姉妹のめがねの妹が、だっこちゃんのようにへばりつき、
そのだっこちゃんを肩に背負ったまま、ゴメス、全キャストと共にお辞儀。
迷惑がりながらも、育ちのよさゆえにつっぱねきれない王子様特有の微笑みを浮かべつつ。。
この人、正真正銘、天然の王子キャラだわ!と確信いたしました。
ダックス王子、万歳!!!!

とうとう終わってしまった今年のABTのシーズン。
来シーズンまでにさらなる精進を積んで、来年もバレエ鑑賞に励みたいと思います。

Julie Kent (Cinderella)
Marcelo Gomes (Her Prince Charming)
Carmen Corella (Her Stepsister)
Marian Butler (Her Other Stepsister)
Matthew Golding, Blaine Hoven, Jared Matthews, Luis Ribagorda (Four Officers)

Music: Sergei Prokofiev
Choreography: James Kudelka
Conductor: Charles Barker

Metropolitan Opera House
Grand Tier C Even

***シンデレラ Cinderella***