米軍に囲まれた「孤島」の民家 来客はパスポート必携 2014年2月7日18時07分
写真・図版米軍根岸住宅地区に囲まれた自宅(右奥)の前で話す佐治実さん=1月31日、横浜市、菊池康全撮影
日本に住みながら自宅の周りは米国のルールが支配する。そんな場所が全国で唯一、横浜市内にある。米軍住宅に囲まれた「飛び地」で暮らす夫妻が、長年にわたって日常生活で制約を受けたとして、約1億1500万円の損害賠償を国に求める訴訟を横浜地裁に起こした。「私たちは日本にも米国にも人権を守られていない」と訴える。
JR根岸線根岸駅の近く。かつて横浜競馬場があった根岸森林公園の西側に米海軍横須賀基地が管理する根岸住宅地区がある。横浜市の中区、磯子区、南区にまたがる約43万平方メートルの土地だ。その中の「飛び地」で暮らす佐治実さん(65)と妻みどりさん(62)が昨年暮れに提訴した。夫妻は自宅を「陸の孤島」と呼ぶ。
この土地は、みどりさんの祖父が所有していた。戦後の1947年、祖父の住宅が立つ土地など5世帯の居住部分を除き、周りの畑などを米国側が接収した。飛び地には現在、この一家を含む2世帯が暮らす。
今年1月末に訪れると、実さんが車で米軍住宅のゲートの外まで迎えに来てくれた。自宅に行けるゲートは2カ所。実さんたち住民は顔写真入りの通行証の掲示が必要だ。来客はパスポートを持参しなければならない。ゲート内は385戸の米軍住宅が点在し、米兵や家族が暮らすが、空き家もちらほらと見える。
650メートルほど車で移動すると、青い屋根の木造2階建て民家が見えてきた。夫妻と2人の娘が住む家だ。庭は高さ約1メートルのフェンスに囲まれ、入り口脇に「ここから私有地立ち入り禁止」と英語と日本語で書かれた看板が立つ。隣は米軍の家族がピクニックなどをする広場で、いすやテーブルが並ぶ。
夫妻によると、フェンスができる前は自宅に向かって石を投げられたり、つぶれると赤くなる実を洗濯物にぶつけられたりした。庭をトイレ代わりにされたことも。交渉の末に数年前、米軍側がフェンスと看板を取り付けた。米軍関係者と近所づきあいはほとんどない。
家は1936年に建った。業者の自由な行き来が米軍から認められず、自分たちで手直しをしてきた。水道管の接続許可を得るのに25年かかり、上下水道を引けたのは2000年。それまでは井戸水を使うことを余儀なくされた。
かつては急病でも救急車が自由に入れず、実さんが倒れた時には娘がゲートまで行き、通行証を見せてようやく救急車が入れた。タクシーや宅配便は指定業者に制限されている。
家族で海外旅行中に車のバンパーが壊され、サクラの木を盗まれた際には米軍や防衛省に抗議したが、補償はなかった。
夫妻はみどりさんの父から「この土地を残してくれ」と言われていた。「引っ越したら、ここで起きたことが何も片付かない」と住み続けてきた。
日常生活の不便解消を防衛省に何度も訴えたが、たらい回しにされたり、「また連絡する」と言われたりして音沙汰がなくなった。同省に借り上げや買い取りを求めても応じてもらえなかった。一昨年になって「今後10年間、年80万円を支払う」と示されたが、夫妻は「見合わない」と応じず、経済的な損害や慰謝料を求めて提訴に踏み切ったという。訴状の中で「米軍の基地管理権が優先され、基本的な生活利益を奪われ続けてきた」と主張する。
根岸住宅地区は04年、神奈川県逗子市と横浜市にまたがる池子住宅地区の追加整備を条件に、日米が返還の方針で合意した。夫妻は「返還されたら我々の犠牲はなかったことになるのか」と憤る。
提訴について、防衛省南関東防衛局は「訴状の内容を検討し、関係機関と調整しているが、係争中でコメントは差し控えたい。当局としては適切に対応したい」としている。
一方、米海軍横須賀基地司令部は「軍への提供施設の中にある民家という非常に特異な環境の中ではあるものの、日本人居住者には他の横浜市民と変わらぬ日常の生活が送れるよう最大限配慮している」と説明。一方で夫妻らには米軍居住者と同様の規則に従ってもらっているといい、「不便もあるだろうが、施設を管理する上で相応の警備を行わなければならず、理解を得ていると思っている」とコメントしている。(及川綾子)
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