かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上・照栄院と妙見堂(池上の寺めぐり・朗師講23) 

2011-05-08 | 池上の寺めぐり・朗師講
朗慶山 照栄院
東京都大田区池上1-31-10


照栄院の本堂 後方、池上会館より。






 照栄院
 縁起
正応四年(1291) 日朗聖人の庵室として開創。日朗聖人没後荒廃したが、嘉吉年間(1441~1444)に再興された。元禄二年(1689) 南谷檀林という僧侶教育の学校を開設、明治二年(1869)に廃されるまで多くの高僧を送り出した。本門寺の役寺としての三院家の一。
山上の妙見堂に祀られる妙見菩薩立像は寛文四年(1664) 加藤清正の娘瑤林院が夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後生善処を祈念して奉納したもの。

山門 扁額「照栄院」

本堂 扁額「朗慶山」

石碑 南谷檀林跡










後方の森の中に妙見堂がある。

石碑・北辰妙見大菩薩と妙見坂


妙見堂



案内板 妙見菩薩立像
 大田区文化財
  妙見菩薩立像(みょうけんぼさつりゅうぞう) (非公開)
 木造寄木造り、玉眼、彩色、箔押。像高四三センチ。
 この像を安置する厨子扉に記された銘文から、寛文四年(1664)に、徳川家康の子で紀伊徳川藩の祖である頼宣の「現世安穏後世善処」を祈念して造像されたことがわかる。
 像背に、当寺の本門寺貫主、日豊(1600~1669)の開眼墨書銘がある。製作年代、由来等が明確な妙見像として貴重である。
 頼宣の妻、瑤林院(加藤清正の娘)が、本門寺に寄進したもので、元禄期(1688~1704)に、南谷檀林(僧侶の学校)が開校された際に、その守護の尊像として当院に移管されたものである。
 昭和五十年三月十九日指定
                                  大田区教育委員会



シンガポール チャンギー 殉難者慰霊碑
チャンギー殉難者慰霊塔と、田中(本隆)日淳上人のことは、照栄院のホームページ、妙見堂の項に詳しく載っています。

〇南谷檀林
〇北辰妙見菩薩
〇チャンギー(チャンギ)
〇田中(本隆)日淳上人 池上本門寺第81世貫主
1914(大正3)年~2010(平成22)年
大正3年、北海道乙部町 漁師の家に生まれる。昭和2年に得度受戒(13歳)。
昭和4年に上京、池上本門寺に入る。のち塔頭・照栄院に移る。石川日教上人(照栄院住職、のち池上本門寺第77世貫主)に師事。
昭和15(1940)年、立正大学卒業。同年、応召。昭和20(1945)年、シンガポール、陸軍第三航空司令部で終戦を迎える。戦後、チャンギー刑務所でBC級戦争犯罪人とされた日本軍人の教誨師を勤める。
昭和22年9月に復員、11月に照栄院住職。のち池上本門寺に勤務し執事・執事長等を奉職。
昭和58(1983)年、照栄院内にチャンギー殉難者慰霊碑を建立。
昭和63(1988)年に池上本門寺第81世貫主(~2000)、平成7(1995)年には第48代日蓮宗管長に就任(~1999)。
平成22(2010)年7月18日、照栄院内の向林庵にて逝去された。


参考 HP 「日蓮宗 池上院家 照栄院」>妙見堂
      それと、>花と庭の項は、かなりの力作です。
   HP 「日蓮宗新聞社」




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