かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上・永寿院と万両塚 (池上の寺めぐり・朗師講24)

2011-05-23 | 池上の寺めぐり・朗師講
不変山 永寿院
東京都大田区池上1-19-10

養珠院(お万の方)の孫、芳心院(茶々姫・因幡姫)とご縁の寺院。





本堂 扁額 「不変山」

池上の寺めぐり 永寿院
永寿院
 縁起
寛永十九年(1642)以前の開創。備中庭瀬藩主 戸川逵安が本門寺十六世日遠聖人に帰依して自らの下屋敷五千坪を聖人の隠棲地として寄進し、日遠聖人の弟子 日東聖人(本門寺十七世)により堂宇が完成した。当初は日東聖人の院号にちなみ蓮乗院とよばれた。その後、お万の方の孫芳心院(紀州家初代徳川頼宣の娘、鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け永寿院と改称。宝永五年(1708)に没した芳心院の墓所は「万両塚」とよばれている。


備中庭瀬藩 戸川家の墓所

万両塚 芳心院墓所


「万両塚」 芳心院の墓所


芳心院墓所
 万両塚に埋葬されている「芳心院殿妙英日春大姉」は、徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家初代藩主頼宣の娘、鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。
 宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得」(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。
 宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の納められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓です。
万両塚をめぐる系図
永寿院と芳心院
 祖母養珠院の仏縁で、永寿院に帰依していた芳心院は、息子永寿丸が多病であったため、本門寺の祖師に祈念し、もしつつがなく成長した時には出家させると願をかけた。この願はかなえられ永寿丸は立派に成長したが、その出家させるのを惜しみ、観成院日遥を猶子として、永寿丸の身代わりとなして、永寿院の住職とした。それ以前は蓮乗院という寺号であったが、芳心院より永寿院の寺号を賜った。

芳心院の親戚関係
 徳川家康とお万の方の孫
 紀州頼宣の娘、池田光仲の妻、
 徳川光圀のいとこ、徳川吉宗の叔母
〇芳心院 茶々姫=因幡姫
 寛永8年9月22日 - 宝永5年11月28日 (1631 - 1709)
 池田光仲 1630(寛永7)年 - 1693(元禄6)年
 長男・池田綱清(後の鳥取藩主) 1648(正保4)年 - 1711(正徳1)年
 次男・池田仲澄(後の鹿奴藩主) 1650(慶安3)年 - 1722(享保7)年
〇養珠院 お万(萬)の方 (徳川家康側室)
 天正8年 - 承応2年8月22日 (1580 - 1653)
 徳川頼宣(初代紀州藩主)、徳川頼房(初代水戸藩主)の生母。
 大野本遠寺、紀州養珠寺を建立。日遠聖人が開創に当たった。

堤方権現台古墳




〇永寿院(永壽院) 創立・寛永19年(1642)以前 開山・心性院日遠聖人、開基檀越・戸川肥後守達安(逵安)(たつやす・みちやす)
庵室建立は日遠の弟子、日東聖人(池上17世)。日東聖人の院号に因み、当初、蓮乗院と呼ばれた。山号は戸川達安の院号(不変院)によっている。26世金子日如(文妙院日威)聖人は比企谷妙本寺78世・池上本門寺80世。


参考 HP 日蓮宗東京都南部宗務所>永寿院
それと、『大田区の文化財 第8集 大田区の寺院』 大田区教育委員会
    『大田区史跡散歩』 新倉善之著 学生社
これからの「池上の寺めぐり」には、新規・手直しに随時参照させてもらいます。

永寿院の、現在のご住職は吉田尚英さん。「池上市民大学」のクラス担任をされています。私事ながら「池上市民大学」では、たいへんお世話になっています。

いつも追記が多くて恐縮してますが、当記事の公開のあとで、HP 『万両塚』(津田沼ラプソディ(さん)、ブログ・津田沼日記)をはじめて知りました。万両塚と芳心院の三百回忌法要、そして堤方権現台古墳の話が詳しく載ってます。永寿院そして池上本門寺に、ご縁があるのですね。