~ラフマニノフ自作自演集 赤盤復刻シリーズ~
ラフマニノフ:前奏曲Op.3の2 (1928年4月4日)
前奏曲Op.33の7 (1940年3月18日)
前奏曲Op.32の7 (1940年3月18日)
前奏曲Op.32の6 (1940年3月18日)
前奏曲Op.23の10 (1940年3月18日)
ユーモレスクOp.10の5 (1940年4月9日)
W.R.のポルカ (1928年4月4日)
セレナードOp.3の5 (1936年1月3日)
メロディOp.3の3 (1940年4月9日)
楽興の時Op.16の2 (1940年3月18日)
前奏曲Op.32の3 (1940年3月18日)
練習曲Op.32の2 (1940年3月18日)
ひなげしOp.38 (1940年3月18日)
オリエンタル・スケッチ (1940年3月18日)
音の絵Op.39の6 (1925年12月16日)
ピアノ:セルゲイ・ラフマニノフ
発売:1979年
LP:RVC(RCA RECORDS)
ラフマニノフ(1873年―1943年)は、今でこそピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番などの名曲を数多く世に送り出した作曲家として知られているが、ラフマニノフが活躍していた時代には、作曲家に加えピアニストとしても超一流の名声を得ていたということを忘れがちになる。モスクワ音楽院に在学中にピアノ協奏曲第1番を作曲するなど、若くして作曲家としての才能を開花させていたラフマニノフだが、そこに思わぬ大事件が勃発するのである。1917年のロシア革命である。貴族出身のラフマニノフは、ソビエト政権を嫌いパリに亡命後、アメリカに渡り、永住することになる。勿論、作曲活動も続けたが、生活のためには、ピアニストとしての活動を余儀なくさせられる羽目に陥る。ところがこのピアニストの活動が大きな話題を呼び、以後ラフマニノフは名ピアニストとしての名声を得ることになる。作曲家に加えピアニストとしての成功にも関わらず、故郷のロシアに戻りたいという願いは、第二次世界大戦の勃発で叶わず、70歳でカリフォルニア州のビバリー・ヒルズで生涯を閉じることになる。このLPレコードは、ラフマニノフが20年にわたり、おもにRCAに自作を録音したSPレコードを基に作成されたもの。そのため、今の録音技術からすれば、音質は比べようもないが、当時としては最新の録音技術を駆使したものと考えられ、現在聴いてみると、音色は硬質であり聴きやすいとは言えないものの、音そのものはしっかりと捉えられており、当時のラフマニノフのピアノ演奏の雰囲気は感じることができる。ラフマニノフのノスタリジックな演奏を聴いていると、あたかもラフマニノフが現代に蘇り、リスナーの直ぐ側でピアノ演奏をしているかのような錯覚に陥るほど。もうそうなると、音質の問題などあまり気にならなくなるから不思議だ。このLPレコードを通して聴こえるラフマニノフのピアノ演奏によって、リスナーは、現代のピアニストとは比較にならないほど雄大なスケールを持ち、そして、何処までもロマンの香りが馥郁と漂う、古き良き時代の気分を存分に味わうことができるのである。ラフマニノフの作品の愛好家は一度、ラフマニノフの自作自演のピアノ演奏の録音を聴いておいて欲しいものである。ラフマニノフの見方が多少なりとも変わってくるかもしれない。なお、このジャケットは、SPレコード時代のものを使用。(LPC)