ベートーヴェン:交響曲第4番/第8番
指揮:アンドレ・クリュイタンス
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30003
アンドレ・クリュイタンス(1905年―1967年)は、ベルギー、アントワープ出身の名指揮者。20歳を過ぎてからの活躍が、フランスを中心であったことでフランスの指揮者というイメージが強い。現に、ラヴェルの管弦楽曲集、ビゼーの「アルルの女」組曲、ベルリオーズの幻想交響曲や序曲「ローマの謝肉祭」、フォーレの「レクイエム」などが、現在でも不朽の名盤として遺されている。しかし、当時から、ドイツ・オーストリア音楽のきっちりとした構成力に対する理解力とアプローチにも高い評価がなされていた。つまり、フランスものはもちろん、ドイツ・オーストリア音楽にも本場の指揮者以上の理解力を持ち合わせていた類まれな指揮者であった。このLPレコードでは、アンドレ・クリュイタンスは、ドイツ・オーストリア系指揮者に勝るとも劣らない、質の高いベートーヴェンの交響曲の演奏を聴かせる。アンドレ・クリュイタンスは、9歳からアントウェルペン王立音楽院でピアノ・和声・対位法を学んだ。同王立音楽院を卒業し、1922年に王立歌劇場の合唱指揮者となる。1927年には同歌劇場第一指揮者に任命された。1932年からはフランスの歌劇場でも活動を始める。1944年には、パリ・オペラ座の指揮者となり、1949年にはミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任する。以降1967年にクリュイタンスが逝去するまで、このコンビは黄金時代を築くことになる。それと並行してフランス国立放送管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団の指揮も兼任した。1955年のバイロイト音楽祭での「タンホイザー」の指揮は、歴史的名演とも言われた。1964年には、パリ音楽院管弦楽団とともに来日し、日本の聴衆に多大な感銘を与えた。リュイタンスの死去の後、パリ音楽院管弦楽団は発展的解散を遂げ、現在のパリ管弦楽団へと改組された。アンドレ・クリュイタンスの指揮は、気品に満ち、優雅さをたたえた演奏が特徴だが、このLPレコードの第4番、第8番という、ベートーヴェンとしては比較的小ぶりの交響曲において、その特徴が如何なく発揮されているのが、この録音から聴いて取れる。2つの交響曲とも実に明るく、屈託なく演奏しており、その伸び伸びとした優雅な指揮ぶりは、どの指揮者とも比較できないほど、ベートーヴェンの一つの面を表現し切っており、聴き終えると実に爽やかな印象がリスナーに残る演奏内容となっている。(LPC)