★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フェレンツ・フリッチャイのリスト:交響詩「前奏曲」/スメタナ:交響詩「モルダウ」/ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」

2023-01-23 09:47:31 | 管弦楽曲

リスト:交響詩「前奏曲」
スメタナ:交響詩「モルダウ」
ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団(「前奏曲」「パガニーニの主題による狂詩曲」)
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(「モルダウ」)

ピアノ:マルグリット・ウェーバー(「パガニーニの主題による狂詩曲」)

録音:1959年9月23日(「前奏曲」)/1960年23日―24日(「モルダウ」)/1960年6月3日―8日(「パガニーニの主題による狂詩曲」)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7810

 このLPレコードは、昔から現在に至るまでリスナーに人気が高い、リスト:交響詩「前奏曲」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、それにラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」の3曲を、名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)が指揮している。さすがはフェレンツ・フリッチャイである、これらの“通俗名曲”の上っ面だけを演奏するのでなく、原点に返って、その曲の持つ特質を生き返らせながら、フリッチャイでなくては表現出来ないような視点に立って、それぞれの曲を再構築して演奏してくれている。このため、リスナーは既成概念に捉われることなく、これらの曲が持つ本来の価値に初めて気づかされるのだ。リスト:交響詩「前奏曲」は、自ら作曲した男声合唱曲「四つの元素」の前奏曲を基に作曲した。「前奏曲」という表題は、ラマルティーヌの「瞑想録」によるもので、「人生は死への一連の前奏曲に過ぎない」というところから取ったもの。スメタナ:交響詩「モルダウ」は、スメタナが祖国を賛美しようと作曲した連作交響詩「わが祖国」第2曲目の曲。スメタナは、この「モルダウ」の最後に「まったく耳が聞こえなくなってしまった」と書いたように、悲劇の名曲でもある。ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」は、ピアノ協奏曲風の曲で、主題の曲はパガニーニの「無伴奏ヴァイオリンのための“カプリース”」の第24曲目から取り、24の変奏曲とした。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律も取り入れ、壮大な感じの曲に仕上がっており、フリッチャイの劇的な効果も取り入れた、その指揮ぶりを存分に堪能することができる。フェレンツ・フリッチャイは、ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで活躍したハンガリー出身の名指揮者。ブダペスト音楽院に入学し、ピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、トロンボーン、打楽器などを学び、コダーイ、バルトークらに指揮と作曲を学ぶ。1949年ベルリン市立歌劇場音楽監督、RIAS交響楽団首席指揮者に就任。1953年ボストン交響楽団を指揮してアメリカ・デビューを果たす。1956年バイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。1958年秋ごろより、白血病の症状が現れる。1960年ベルリン・ドイツ・オペラの初代音楽総監督就任の契約を交わすが、健康状態を理由に数週間後に辞退。そして、1962年2月20日、白血病の症状が悪化し、スイスのバーゼルの病院において、48歳の若さで生涯を終えることになる。同年3月のベルリン放送交響楽団による追悼コンサートでは、チェコ出身で同じ1914年生まれ、ラファエル・クーベリック(1914年―1996年)が指揮台に立った。フリッチャイの死後、フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)がフリッチャイ協会を設立し、指揮者カール・ベーム(1894年―1981年)が名誉会長を務めた。(LPC)

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