先月、埼玉のクライミングジムから帰る時にチョークバッグを仕舞い忘れたのかと思った。確かバッグに入れたはずだと思ったチョークバッグがベンチに置いてあったのだ。だけど手に持って見て自分のではないのが分った。やはり名前を書いとかないと行けないと思った。
以前からTシャツなどにボッケ家の家紋を描いたら面白いかなと思ってた。というのもメーカーの広告塔みたいなのは今1つだからだ。そこでチョークバッグも家紋にしてみたい。しかし手描きでは上手く行かなそうだ。印鑑みたいにしたいと思って何となく検索してたらスタンププリンターなんてのが世の中にあるのを知った。魅力的な商品ではあるけどちとコスト高かな。
版画用のゴム板を探しに本屋などの文房具コーナーを見たけど中々見つからない。彫刻刀はあるけどそれ以外の道具が無い店、版画関係の物は全く置いてない店。習字の道具は何処でも見たけど版画は絶滅なのかな。ならば一番簡単そうな消しゴム版画かな。
ボッケ家の家紋は武田菱
例えばこんな感じ@完成予想写真
以前からTシャツなどにボッケ家の家紋を描いたら面白いかなと思ってた。というのもメーカーの広告塔みたいなのは今1つだからだ。そこでチョークバッグも家紋にしてみたい。しかし手描きでは上手く行かなそうだ。印鑑みたいにしたいと思って何となく検索してたらスタンププリンターなんてのが世の中にあるのを知った。魅力的な商品ではあるけどちとコスト高かな。
版画用のゴム板を探しに本屋などの文房具コーナーを見たけど中々見つからない。彫刻刀はあるけどそれ以外の道具が無い店、版画関係の物は全く置いてない店。習字の道具は何処でも見たけど版画は絶滅なのかな。ならば一番簡単そうな消しゴム版画かな。
1年ぶりにまたこのルート。登ってみると岩は湿り加減で嫌な感じ。ウォームアップ代りってことで1本目は途中まで行って降りて来た。そしたら小さな雨粒がポツリ。遠くで雷鳴も。これは間もなく雨だなと思ったが折角だから相方に少しでもやってみたらと言った。すると雨が降ったら拙いからもう止めようと強く言う。ここで思いついた選択肢は2つだけど2番目を選んだ。
- もう一度カラビナをかけた所まで登って捨てビナ(※)使って回収。
- 裏から登って上からロープを垂らして回収。捨てビナは使わないで済む。
裏から回ってルートの上に出た。そこでロープを太い木にかけて懸垂下降。10mくらい降りたら場所がずれてるのが分った。隣のカサブランカというルートの上に出ちゃったのだ。もう一度登り返し、ロープを外して10mほど行き過ぎた分を戻る。
同じ事をもう一度やってるうちに雷鳴。いよいよ降ってきそうだ。今度はノーモアレインの終了点に無事到着。ここで大事な事をやらなかった。それはロープを太い木から終了点に掛け直すことだ。滅多にやらないのでそんな考えは浮かばなかった。雨に降られたら嫌だと思ったのもあって降りるのを急いだ。そしてそのまま懸垂下降。
そして雨がザーッ かまわず懸垂下降を続けたら今度はロープが足りなくなった。このままでは地面に届かない。さすがにすっぽ抜け対策はしてあったけど…
※ 敗退時などに支点に使うカラビナで回収不能。
届かないなんて有り得ないはずなのにその理由が分らなかった。理由は簡単だった。ロープを太い木から終了点に掛け直さなかったからだ。その分の長さが足りなかったのだ。じゃぁ今更だけどここでロープを引いて掛け直すことにしたんだけどロープはピクリとも動かなかった。
- 太い木に掛けたので摩擦が大きい。
- 雨で濡れて摩擦は更に増した。
それでも登った所までは降りることは出来た。幸い急いで抜く必要もないってことで掛けっ放しになってたロープがあったのでそれを使って降りることが出来た。でも捨てビナをそこで使った。そして次は相方も雨の中抜けなくなったロープを回収しに… 捨てビナを使ったという点では選択肢の1と同じで時間は何倍かかっただろう。
フリークライミングばかりだとロープの使い方などは2つ3つ覚えていれば事足りる。ところがこういう事態になると色々な事を知っててそれが即座に出て来ないと拙い。今回それが出来なかったという失敗。状況が変化してる最中は特に間違え易いのかもしれない。もう雨は沢山というノーモアレイン。
未成熟な♂では腹部の黄色い部分はこの写真のように黄色だそうだ。お前はまだまだ黄色いなってところかな。でも俺は黄色のままの方が好きだな。まだ羽化したばかりということだろうけど何日くらい経つと白くなるんだろ。
このトンボ、図鑑で見たことはあるような気がするけど実際に見たのは初めて。でも実際はそうでもない気がする。もしかすると黄色だっかからかもしれない。
タウン誌って言うのかな、月に1回ポストに放り込まれる。大抵はそのまま古紙置き場に直行なんだけどたまたま転がしといたらそれをヨメが読んでいた。「 ペットと同伴って変だよね 」 と言う。
日本語には敬語というのがあって同じ人間同士なのに上下関係が生まれる。ところが最近犬猫と人間が同等のような言い方を良く耳にする。一番気になるのが 「 うちの猫が去年亡くなって… 」 というやつかな。亡くなったって言い方には違和感がある。試しにペット 同伴や猫が亡くなったで検索したら当たり前のように沢山ヒットした。
うちには猫が居候してる。よくヨメに 「 猫持って来う 」 と言う。持って来うというのは佐久の方言で持って来いという意味である。物扱いってところかな。でも実態はというとこちらが格下で… そして猫の頼み事はお願いというより命令形に聞こえる今日この頃。
態度、頗る悪し
日本語には敬語というのがあって同じ人間同士なのに上下関係が生まれる。ところが最近犬猫と人間が同等のような言い方を良く耳にする。一番気になるのが 「 うちの猫が去年亡くなって… 」 というやつかな。亡くなったって言い方には違和感がある。試しにペット 同伴や猫が亡くなったで検索したら当たり前のように沢山ヒットした。
うちには猫が居候してる。よくヨメに 「 猫持って来う 」 と言う。持って来うというのは佐久の方言で持って来いという意味である。物扱いってところかな。でも実態はというとこちらが格下で… そして猫の頼み事はお願いというより命令形に聞こえる今日この頃。
岩登りに行く山は森林限界より低い。だから岩場までは鬱蒼としてる森を歩くことになる。歩いてると所々に花が咲いている。目に入ったのは5種類くらいだったけどその中で綺麗なのを2種。
四手沙参(シデシャジン)
フシグロセンノウはポツンと咲いててもそのオレンジ色が森の中でよく目立つ。
節黒仙翁(フシグロセンノウ)
フシグロセンノウはポツンと咲いててもそのオレンジ色が森の中でよく目立つ。
今使っているノートPCの中にあるデータで一番容量の多いのは写真だ。デジカメ写真は15年分、他にアルバムの古い写真をデジタル化したのが少々。15年くらい前だとCD1枚でウン10年分保存出来ると思ってたけどデジカメを買い換えるたびに写真ファイルが大きくなった。Lumix G3 の写真ファイルは最小でも2MBくらいと大きい。だからCDでは1年分すら無理なのだ。
250GBのシステムディスクのうち50GBを写真ファイルが占めていた。問題はシステムディスクの残り容量が20GBを切ってることだ。といってたまには古い写真を見ることがある。そんな時に外付け装置を一々接続して見るのでは煩わしい。
Lumix G3 では縦横比4:3で撮ってるがの画素数は 2272x1704 に設定してある。これが一番少ない画素数だ。この写真をノートPCで見る時は半分の 1136x852 かそれより小さくして見てる。そうしないと全体が見れないからだ。ならば写真そのものを 1136x852 というサイズにすれば見る時に一々縮小しなくて済む。やってみたら写真ファイルのサイズが5分の1から10分の1くらいになった。そしたらシステムディスクの残りが20GBから60GBに増えた。
最近友達からメールで送って貰った。そのカメラの撮像素子は1/2.3型という恐らく一番小さなタイプである。撮像素子というのは昔のカメラならフィルムに相当する部分でこれが大きければ大きいほど写真の肌理が細かくなる。
送られた写真の画素数は 1920x1080 とパソコン画面より大きいんだけど空が下のようになっていた。雲の微妙な色の違いが滑らかな階調になってないしザラザラしている。ならばこんな大きな画素数にすることはない。もっと小さな画素数に設定して撮った方が写真ファイルのサイズがずっと小さくなる。もしかするとその方が色階調が滑らかになり綺麗な写真になるかもしれない。
撮像素子が小さいから滑らかな階調にならない
250GBのシステムディスクのうち50GBを写真ファイルが占めていた。問題はシステムディスクの残り容量が20GBを切ってることだ。といってたまには古い写真を見ることがある。そんな時に外付け装置を一々接続して見るのでは煩わしい。
Lumix G3 では縦横比4:3で撮ってるがの画素数は 2272x1704 に設定してある。これが一番少ない画素数だ。この写真をノートPCで見る時は半分の 1136x852 かそれより小さくして見てる。そうしないと全体が見れないからだ。ならば写真そのものを 1136x852 というサイズにすれば見る時に一々縮小しなくて済む。やってみたら写真ファイルのサイズが5分の1から10分の1くらいになった。そしたらシステムディスクの残りが20GBから60GBに増えた。
最近友達からメールで送って貰った。そのカメラの撮像素子は1/2.3型という恐らく一番小さなタイプである。撮像素子というのは昔のカメラならフィルムに相当する部分でこれが大きければ大きいほど写真の肌理が細かくなる。
送られた写真の画素数は 1920x1080 とパソコン画面より大きいんだけど空が下のようになっていた。雲の微妙な色の違いが滑らかな階調になってないしザラザラしている。ならばこんな大きな画素数にすることはない。もっと小さな画素数に設定して撮った方が写真ファイルのサイズがずっと小さくなる。もしかするとその方が色階調が滑らかになり綺麗な写真になるかもしれない。
夏のお墓参りと言ったらお盆。そのお盆は7月のところと8月のところがあるけど兎に角お盆にするのが一般的だ。佐久近辺では夏のお墓参りはお盆ではなく8月1日。それは今から300年くらい前の大洪水に関係してる。この洪水のことは戌の満水と呼ばれている。ただ8月1日という日は旧暦で今の暦だと台風が頻繁に上陸する頃である8月の後半だ。
山梨の別荘付近では集落の外れに墓地がある。そこにはその集落に住んでる人の墓がある。佐久では何処かの一族の墓が佐久の何処かにまとめてある。なので集落に住んでる人と全く縁の無い墓なんてこともある。ヨメ一族でも当然その風習に則っているがヨメ実家が本家に近いので墓地は実家近くの山の斜面にある。
ヨメ一族の誰かが家系図を作っていて一番古いのは10数代前まで確認されている。なのでこの墓地の中にもそのくらい古いのがあるはずだ。だから古くなって字が読みにくいのもある。傾いてる墓石も多い。墓石の無いのもある。貧しかったり戦争中だったりして墓石を建てられなかったのかもしれない。また古い墓石には幼子のが幾つもあるのが特徴だ。その中にはヨメが会ったこともない幼い姉のも。
山梨の別荘付近では集落の外れに墓地がある。そこにはその集落に住んでる人の墓がある。佐久では何処かの一族の墓が佐久の何処かにまとめてある。なので集落に住んでる人と全く縁の無い墓なんてこともある。ヨメ一族でも当然その風習に則っているがヨメ実家が本家に近いので墓地は実家近くの山の斜面にある。
ヨメ一族の誰かが家系図を作っていて一番古いのは10数代前まで確認されている。なのでこの墓地の中にもそのくらい古いのがあるはずだ。だから古くなって字が読みにくいのもある。傾いてる墓石も多い。墓石の無いのもある。貧しかったり戦争中だったりして墓石を建てられなかったのかもしれない。また古い墓石には幼子のが幾つもあるのが特徴だ。その中にはヨメが会ったこともない幼い姉のも。
小学生の頃に小百合という名の同級生がいた。口喧嘩になると鬼百合小百合と言った微かな記憶。もし姥百合という名を知ってたら…
墓地周辺は草が綺麗に刈られていた。そこに自生してたウバユリが刈られず残っていた。その葉は細長いものではなくこんなゴボウの葉か何かって感じの葉。到底ユリには見えない。
墓地周辺は草が綺麗に刈られていた。そこに自生してたウバユリが刈られず残っていた。その葉は細長いものではなくこんなゴボウの葉か何かって感じの葉。到底ユリには見えない。
スポーツ新聞は年に1回見る。BBQの時にやってくる人が毎回買いに行くからだ。そんな新聞にちょっと目を引いた広告があった。
イメージというか何かを妄想したくなるような絵柄なんだけど、イメージとリアルは違うんだろうなぁ…
イメージというか何かを妄想したくなるような絵柄なんだけど、イメージとリアルは違うんだろうなぁ…
小川山のキャンプ場に着いた。岩場に行く前に取り敢えずトイレ。シャワーという文字が見えたら良かったけど今は良く見えない。今まで間違えた事が無かったのに何故かシャワー小屋に。
そっちは違うよと言われて気がついた。ウ~ン、アメリカ生活長カッタアルカラ英語読メナイアルヨ。
そっちは違うよと言われて気がついた。ウ~ン、アメリカ生活長カッタアルカラ英語読メナイアルヨ。
この冬に大きな庭木の頭を切った。太い枝は30cmに切ったけど細いのは長いままで山のように積んである。こういう地道で丁寧な仕事はヨメちゃんがやったんだけどこのまま放置して朽木にしたら申し訳ない。だけどこれを切るのが面倒臭い。2人でやると簡単なんだけどチェーンソーを使ってる時にはヨメちゃんもメメちゃんもそばに居て欲しくない。
山のような小枝
チェーンソーの整備中ではない。
チェーンソーでテーブルソーのようなのを試作。テーブルには今は使わなくなった折りたたみ式の作業台を使うことにした。
切る仕組みはというと、枝で紐を押すとソーチェーンが回り出すというもの。本体のことをチェーンソーと言い、刃となるチェーンのことをソーチェーンと言うのが紛らわしい。
引き金に小さな穴を開けてそこに針金を通す。
押された紐が針金を引っ張ることにより引き金が引かれてソーチェーンが回りだす。そのまま枝を押し続けるとスパッと切れるという仕組みである。最初は金具とネジでと考えたけど適当な金具が無かったのでそこにはクランプを使うことにした。
チェーンソーの固定は2ヶ所。金具とネジを使ったところとクランプの2ヶ所である。
下の写真のようにちゃんと切れた。中々具合が良いので機能的には成功だ。ただこの工夫が安全かというと怪しい。数ある電動工具の中でも危険度上位の卓上鋸と似てるのでこれも危険間違いなし。何かの拍子でうっかり手を乗せたら大怪我をする。
改良すべきところを直してもう一度試し切りするけどそれでも危なっかしいと感じたらこの案はボツだな。安全な使い方というなら短く切らないことかな。君子危うきに近寄らずってことだ。それよりもこの枝の上に雨除けをしてその都度短く切る方がいいかな。
チェーンソーの整備中ではない。
チェーンソーでテーブルソーのようなのを試作。テーブルには今は使わなくなった折りたたみ式の作業台を使うことにした。
切る仕組みはというと、枝で紐を押すとソーチェーンが回り出すというもの。本体のことをチェーンソーと言い、刃となるチェーンのことをソーチェーンと言うのが紛らわしい。
引き金に小さな穴を開けてそこに針金を通す。
押された紐が針金を引っ張ることにより引き金が引かれてソーチェーンが回りだす。そのまま枝を押し続けるとスパッと切れるという仕組みである。最初は金具とネジでと考えたけど適当な金具が無かったのでそこにはクランプを使うことにした。
チェーンソーの固定は2ヶ所。金具とネジを使ったところとクランプの2ヶ所である。
下の写真のようにちゃんと切れた。中々具合が良いので機能的には成功だ。ただこの工夫が安全かというと怪しい。数ある電動工具の中でも危険度上位の卓上鋸と似てるのでこれも危険間違いなし。何かの拍子でうっかり手を乗せたら大怪我をする。
改良すべきところを直してもう一度試し切りするけどそれでも危なっかしいと感じたらこの案はボツだな。安全な使い方というなら短く切らないことかな。君子危うきに近寄らずってことだ。それよりもこの枝の上に雨除けをしてその都度短く切る方がいいかな。