ロクでもないページからのトラックバックは悩まずに削除出来るけど、削除しようかどうか判断しかねるのもある。そこで一々悩むのも嫌なんでトラックバックの受け付けを今はしてない。でもコメントを付ける時にURLを記述出来るからトラックバックが出来なくても自分のページを見て貰うようにする事は可能だ。
古い記事を読んでたらトラックバックがされていた。何処からされたんだっけと思ってクリックしたらこんなウインドウになった。おいおい、そんなの分ってるよ。
編集モードにすれば見る事は出来るけど、ここを閲覧してる人は分らない。受け付け拒否したからって以前許可したのが見れないってのも変じゃないのかなぁ。
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このビールは岩場の帰りに寄ったスーパーでふと衝動買い。他と比べれば味の違いは分るだろうけどちょっと高いけどまたこのビールにしようというほどの感動はなかった。ちなみに缶はキリンの方が開け易かった。試しに缶の重さを比べてみた。重さはどちらも16g程度だけど手持ちの秤ではそんな軽い物を正確に測れない。だけど若干だけどキリンの方が軽そうだ。それとのみ口の所の直径は明らかにキリンの方が小さかった、ってそれがどうした。
夕方岩登りから戻り家の中に入る。早く暖房を入れなきゃと震えることはない。風呂を沸かす。といってもボタンを1つ押すだけ。ご飯を電気釜で炊く。これもボタンを押すだけ。ふとこういう便利で楽チンな生活が何時まで出来るんだろうなぁ、と思った。仕事が無くなったらなんてのもあるし、庶民にとって灯油は高嶺の花になってしまうとか。まぁそんな心配は他所に目先の瞬間的極楽を味わう日々。
泊りがけでスキーに行くと困ることがある。部屋の温度が高過ぎるのだ。何度あるのか正確には分らないけど暑くて寝られないくらいだから25℃、熱帯夜くらいの温度がありそうだ。だから夜中にこっそり暖房を切ったりするんだけどそれで寒いという話は聞いたことがない。
山梨に住んでた頃、寝る頃の室温が0℃だった。早い話外気温と殆ど同じ家だけどストーブを使うようになったのはそんなに古い話ではない。親が歳取ったり県外の友達が来るようになってからだ。でもヨメの家に冬泊まった時はもっと寒かった。夜中に熱湯でいれたお茶、飲まずに寝てしまったら翌朝茶碗の底まで凍ってた。確実に氷点下だったけど、こういう経験を他にしたのは山小屋くらいだ。だけどヨメも義兄も何故か寒がりだ。
川崎でのアパート時代、晩年は石油ファンヒーターを使ってたので部屋の中ではTシャツ姿。そんな生活を数年やったら寒さに弱くなり山梨の冬に慣れるのに3~4年はかかった。でもある程度の寒さに慣れるとこの長野の冬に慣れるのは1年で済んだ。暑さ寒さに弱いと着る物を一々着たり脱いだりと面倒でヨメはちょっとでかけるだけでも悩んでる。ファッションを悩むのではなくセーターを着てこうかどうかという悩み。
今の家はどうかというと、真冬はまだ先だけど朝は13℃くらいで夕方から寝る頃は17℃~18℃くらいかな。間仕切りがあまり無いので別の場所に行ったらひんやりするってことはない。足は炬燵の中だけど部屋の中でセーターを着る事は多い。でもここのところ料理が直ぐ冷めてしまうようなのでもう少し暖かくした方が良いのかな。
山梨に住んでた頃、寝る頃の室温が0℃だった。早い話外気温と殆ど同じ家だけどストーブを使うようになったのはそんなに古い話ではない。親が歳取ったり県外の友達が来るようになってからだ。でもヨメの家に冬泊まった時はもっと寒かった。夜中に熱湯でいれたお茶、飲まずに寝てしまったら翌朝茶碗の底まで凍ってた。確実に氷点下だったけど、こういう経験を他にしたのは山小屋くらいだ。だけどヨメも義兄も何故か寒がりだ。
川崎でのアパート時代、晩年は石油ファンヒーターを使ってたので部屋の中ではTシャツ姿。そんな生活を数年やったら寒さに弱くなり山梨の冬に慣れるのに3~4年はかかった。でもある程度の寒さに慣れるとこの長野の冬に慣れるのは1年で済んだ。暑さ寒さに弱いと着る物を一々着たり脱いだりと面倒でヨメはちょっとでかけるだけでも悩んでる。ファッションを悩むのではなくセーターを着てこうかどうかという悩み。
今の家はどうかというと、真冬はまだ先だけど朝は13℃くらいで夕方から寝る頃は17℃~18℃くらいかな。間仕切りがあまり無いので別の場所に行ったらひんやりするってことはない。足は炬燵の中だけど部屋の中でセーターを着る事は多い。でもここのところ料理が直ぐ冷めてしまうようなのでもう少し暖かくした方が良いのかな。