ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

古い物を見た時

2007年11月06日 08時14分30秒 | 思ったこと
駿河冨士沼(するがふじのぬま)@広重

 チャップリンの独裁者って映画を見た時、今まで見たあのシーンってこれが元だったのかぁ、なんてのが幾つもあった。手塚治虫の漫画の中で駒の枠を破って次の駒に飛んでくなんてのがあったけど、それって広重の上のようなのが参考になったのかな、それとも独創だったのか、それとももっと以前からこういう枠からはみ出たのってあったのかなぇ。

 山梨側を走る国道139号を大月から南下すると時々真正面に富士山が現れる。それが時には凄く大きく感じる事があって正にこの絵のようだ。
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200年前、200年後

2007年11月06日 08時14分25秒 | 思ったこと
 北斎、広重の生活してた時代が今回の北斎と広重の冨嶽百景展で分った。北斎は今から250年ほど前の1760年(宝暦10年)に江戸で生まれた。冨嶽三十六景は1830年(天保元年)からたったの4年で制作したものだけど、既に70代前半。年取ってからの偉業といえば50歳から日本地図を作った伊能忠敬くらいかと思ったが更にその上を行く年齢の人が居た。広重はというと北斎より37も年下だけど、北斎が70歳になってから冨士を描いたので同じ頃に活動した作家ということになった。

 200年前といえば車なんて無いわけで移動は多分徒歩。道だって今より凸凹してるだろうし山道は険しそうだ。広重が描いた一番遠くからの冨士は三重県からのものだ。芸術家とはいえアスリートみたいなもんだなぁ。恐らく歩いてるからこそ見逃さない景色もあったんだろう。車で移動すると面白い物を見つけても道路によっては引き返すどころか止まることも出来ない。また戻ればいいとはいえついまた今度となってしまうし景色によっては2度と同じものは見れない。カメラという便利なものはあるが描いてみて初めて分ることもある。

 冨士の絵は今の東京や横浜からのものが多いんだけど、たった200年というか、200年も前というか、その風景と今の風景は全く結びつかない。生活は今の方がずっと便利だろうけど、景色としてどちらが良いかと聞かれれば昔の方が好きだ。皮肉っぽく言えば今の日本はというと国栄えて山河無し。派手な看板やネオン、壊れた蜘蛛の巣のような電線は醜悪。そんな国の栄えもあと200年続くかなぁ、と勝手に心配してる。その少し前に至るところ埋立てゴミの山という時代が来そうだ。
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バイパスとは呼べないバイパス

2007年11月06日 08時14分17秒 | 思ったこと
 石和(いさわ)にある山梨県立博物館を出て帰路につく。ちょっと逆方向に行けば一ノ宮インターから中央高速に入れるのに高速代をけちって国道20号を西に進む。この道路は甲府バイパスと呼ばれてる。でも夕方なのでやっぱり込んでいた。甲府昭和インターまでずっと渋滞。何事もなければ15分くらいのところを1時間弱かかった。久々の渋滞体験に後悔の山。

 パイパスというのは混雑した市街地を通らないでその先の目的地に行くための道だ。なのにそれが大渋滞ではもうバイパスではない。街は道に沿って発展するとはいえバイパス周辺に大型店舗などあらゆる店の営業を許可したらこうなるに決まってる。都市計画なんて無いっていうよりはその考えの浅さが問題か。もしかするとお役所的には既にバイパスとは言ってないかも。

 ちなみに山梨県東部の大月では周回遅れなバイパス工事をやっている。本当なら30~40年前にやっておくべきだったけど、商店街の足並みが揃わず今になってしまった。現在の国道20号は一応商店街なのでそれなりに信号もあるが特定の時間を除いてだいたい空いている。ならばトンネル作ったり山を削るような壮大な工事をするよりアーケード通りに残って僅かに営んでる商店を潔く撤去してしまった方がよっぽど安上がりってもんじゃなかろうか。(暴言モード)
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