森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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安倍首相から何を学ぶのか
今というときは、安倍政権を心安からず思っている人にとっては、すぐにでも内閣総辞職を望みたい事態かもしれません。
しかし話はそう単純だとも思えない。久間氏の辞任は少しも安倍氏自身を直接的には傷つけてはいない。
結局、久間氏の辞任で幕引きをはかろうとする意図はみえみえなのでしょうが、それにきっぱりとノンをつきつける意思が国民の側にあるのかどうか、それが問われています。
一部のメディアでは、事ここにいたっても野党への支持がそれほど高まっていないことを指摘しています。自民離れ⇒野党支持という単純な構図ではなさそうなのです。
さて、安倍氏の言葉は、私たちのもちいる言葉と同じ言葉であっても、まったく合致することのないもの(一つ前のエントリー)。
私たちは、言葉を語り、他人と社会の中で生きていく存在であるのならば、呼びかけを聞いたら応答しなければなりません。安倍氏はこの約束に拘束されることを嫌います。だから、たとえば自らの「思い」の通じる者ばかりを集めた安倍政権は仲良しグループと党内からも揶揄されるのです。
いっさいの「外」からの呼びかけに応答することをやめているのが安倍首相なのでしょう。
しかし、就任以来の安倍氏の評価はつまるところ、つぎの話に尽きるかもしれません(『世界反米ジョーク集』から)。ブッシュを安倍晋三に置き換えてください。違和感はほとんどないでしょう。
私たちが学んだのはつぎのことです。そして、置き換えることによって、ジョークは安倍氏に刃を突き立てることにもなっていると私は感じるのです。
しょせん安倍氏は自民党政治の一つの表現形態にすぎません。自民党政治そのものを問う、今は絶好の機会をむかえているのではないでしょうか。
=====
演説の効用 その1
合衆国大統領の演説は、しばしば英語を勉強するためのテキストにも使われる。
リンカーン大統領の演説は、世界中の人々が助詞の勉強に使っている。
ブッシュ大統領の演説は、世界中の人々が間違い探しの勉強に使っている。
演説の効用 その2
合衆国大統領の演説は、しばしば若者に大切なことを教える。
リンカーン大統領の演説は、世界中の若者に民主主義を教えた。
ブッシュ大統領の演説は、世界中の若者に勉強の必要性を教えた。
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しかし話はそう単純だとも思えない。久間氏の辞任は少しも安倍氏自身を直接的には傷つけてはいない。
結局、久間氏の辞任で幕引きをはかろうとする意図はみえみえなのでしょうが、それにきっぱりとノンをつきつける意思が国民の側にあるのかどうか、それが問われています。
一部のメディアでは、事ここにいたっても野党への支持がそれほど高まっていないことを指摘しています。自民離れ⇒野党支持という単純な構図ではなさそうなのです。
さて、安倍氏の言葉は、私たちのもちいる言葉と同じ言葉であっても、まったく合致することのないもの(一つ前のエントリー)。
私たちは、言葉を語り、他人と社会の中で生きていく存在であるのならば、呼びかけを聞いたら応答しなければなりません。安倍氏はこの約束に拘束されることを嫌います。だから、たとえば自らの「思い」の通じる者ばかりを集めた安倍政権は仲良しグループと党内からも揶揄されるのです。
いっさいの「外」からの呼びかけに応答することをやめているのが安倍首相なのでしょう。
しかし、就任以来の安倍氏の評価はつまるところ、つぎの話に尽きるかもしれません(『世界反米ジョーク集』から)。ブッシュを安倍晋三に置き換えてください。違和感はほとんどないでしょう。
私たちが学んだのはつぎのことです。そして、置き換えることによって、ジョークは安倍氏に刃を突き立てることにもなっていると私は感じるのです。
しょせん安倍氏は自民党政治の一つの表現形態にすぎません。自民党政治そのものを問う、今は絶好の機会をむかえているのではないでしょうか。
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演説の効用 その1
合衆国大統領の演説は、しばしば英語を勉強するためのテキストにも使われる。
リンカーン大統領の演説は、世界中の人々が助詞の勉強に使っている。
ブッシュ大統領の演説は、世界中の人々が間違い探しの勉強に使っている。
演説の効用 その2
合衆国大統領の演説は、しばしば若者に大切なことを教える。
リンカーン大統領の演説は、世界中の若者に民主主義を教えた。
ブッシュ大統領の演説は、世界中の若者に勉強の必要性を教えた。
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「責任」をいう安倍首相の責任のとり方
久間防衛大臣が辞任しました。当然でしょう。
だが、辞任ですから、野党の罷免要求にこれでは応えたことになりません。正確にしておかなければならないのは、安倍首相は久間暴言での責任をとっていないということです。首相は自らの任命責任を引き受けたことにならないのです。
首相は「私の責任」ということをこれまでも度々語っていますが、一度も明確な責任の取り方を国民に示してこなかった。すでに佐田、本間、そして松岡氏の自殺と、閣僚や諮問機関トップの交代が繰り返されました。
その都度、安倍首相は自らの責任について大なり小なり発言してきたのですが、私たち国民にとってはしっくりこないまま、今日まできてしまいました。
責任=応答可能性(*)というとらえ方があります。
あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には人と人が共存し共生していくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の“約束”があります。人間が言葉を語り、他者とともに社会の中で生きていく存在であるのならば、この“約束”に拘束される。これを破棄する、つまりいっさいの呼びかけに応答することをやめるときには、人は社会に生きることをやめざるをえないし、結局は「人間」をやめざるをえません。
要するに人間はそもそもresponsibleな存在、他者の呼びかけに応答しうる存在。responsibility つまり応答可能性としての責任の内にある存在 といえるでしょう。
責任を可能にする条件は、すなわち赦しを可能にする条件でしょうが、安倍首相はこの埒外にあるように思えてなりません。首相のいう責任とはいったい何なのか。それは、少なくとも国民の理解する責任の概念とはけっして合致せず、交差するばかりのものではないでしょうか。つまり応答不可能。別の言葉でいえば、それは無責任ということにほかなりません。
これだけ国民から遊離した言説をくりかえす安倍首相に、一国の総理大臣を任せられるとは、もはや誰も考えないのではないでしょうか。
誤解のないようにいっておきますが、私は安倍首相が交代すればそれでよしとする気持ちは毛頭ありません。そこにとどまるつもりはまったくありません。
都知事選に関しても、とにかく石原氏をひきずり降ろせに収斂していく議論には強い疑念をもちました。一人の人間が辞めたところで同じ枠組みならば一向に変わらない。一階梯にすぎないのです。
望み薄だと分かっていても、あえて安倍氏の見識を問わねばならない。あなたのいう責任とはいったい何なのか。
今回の久間辞任は、自民党内の中枢部での議論の結果なのでしょうが、いまの局面で取りうる最良の手段という自民党の思惑は、国民の側が突き放さなければならないのでしょう。
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*たとえば、高橋哲哉の指摘(エントリー;戦後責任)。
だが、辞任ですから、野党の罷免要求にこれでは応えたことになりません。正確にしておかなければならないのは、安倍首相は久間暴言での責任をとっていないということです。首相は自らの任命責任を引き受けたことにならないのです。
首相は「私の責任」ということをこれまでも度々語っていますが、一度も明確な責任の取り方を国民に示してこなかった。すでに佐田、本間、そして松岡氏の自殺と、閣僚や諮問機関トップの交代が繰り返されました。
その都度、安倍首相は自らの責任について大なり小なり発言してきたのですが、私たち国民にとってはしっくりこないまま、今日まできてしまいました。
責任=応答可能性(*)というとらえ方があります。
あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には人と人が共存し共生していくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の“約束”があります。人間が言葉を語り、他者とともに社会の中で生きていく存在であるのならば、この“約束”に拘束される。これを破棄する、つまりいっさいの呼びかけに応答することをやめるときには、人は社会に生きることをやめざるをえないし、結局は「人間」をやめざるをえません。
要するに人間はそもそもresponsibleな存在、他者の呼びかけに応答しうる存在。responsibility つまり応答可能性としての責任の内にある存在 といえるでしょう。
責任を可能にする条件は、すなわち赦しを可能にする条件でしょうが、安倍首相はこの埒外にあるように思えてなりません。首相のいう責任とはいったい何なのか。それは、少なくとも国民の理解する責任の概念とはけっして合致せず、交差するばかりのものではないでしょうか。つまり応答不可能。別の言葉でいえば、それは無責任ということにほかなりません。
これだけ国民から遊離した言説をくりかえす安倍首相に、一国の総理大臣を任せられるとは、もはや誰も考えないのではないでしょうか。
誤解のないようにいっておきますが、私は安倍首相が交代すればそれでよしとする気持ちは毛頭ありません。そこにとどまるつもりはまったくありません。
都知事選に関しても、とにかく石原氏をひきずり降ろせに収斂していく議論には強い疑念をもちました。一人の人間が辞めたところで同じ枠組みならば一向に変わらない。一階梯にすぎないのです。
望み薄だと分かっていても、あえて安倍氏の見識を問わねばならない。あなたのいう責任とはいったい何なのか。
今回の久間辞任は、自民党内の中枢部での議論の結果なのでしょうが、いまの局面で取りうる最良の手段という自民党の思惑は、国民の側が突き放さなければならないのでしょう。
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*たとえば、高橋哲哉の指摘(エントリー;戦後責任)。
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